kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

爺3人よれば・・・???  その3

2013-10-18 11:19:56 | 日記
次回旅行できれば、こんな姿かも


4. 楽しい話題も・・・10月1泊旅行に。台風のため1周遅れて22日に
 昨年は、茨城県の“鵜の岬国民宿舎”に1泊旅行をした。
今年も、3人の健康が許せば、昨年に続いて、千葉県の“九十九里国民宿舎”の10月
行くことにしました。
よぼよぼの爺さんの旅姿、考えても滑稽ですね

午後2時ごろ宿舎について、少し海岸を散歩、翌日は昼食をたべて帰る。
泊りがけで親睦宴会と勝手な雑談で、楽しいひと時を過ごそう。冥土の土産に・・・・。
ただ、歳だから、お酒は手酌で自分ペースにしよう。の約束をした

5 長年続いている会であるが、今までの話題は
5-1. 60歳代は、男女9人で毎月定例的に都内の見学、年1回の1泊旅行、会食が主であった。話題は、実施した旅行のこと、当時の職場の回顧談、現在の職場の推測等の話題が中心であった。みんなに同じ共通経験のある事でした。家庭やプライバシー等については話題に出なかった。
  男性一人、持病で他界した。・・・メンバー8人に
5-2.. 70歳代は、会員で病気中の病気情報、家庭での生活やサークル参加等の様子の話題に変わってきた。それぞれ人生を楽しんでいるようだ。

5-3. 70歳後半
  ある女性会員が失踪し、2人の男性が歩行困難で会に参加不能になった。また、男性2人(妻介護疲労)で他界し、会員4人になった。寂しい人生の宿命であろう

5-4 80歳代 女性1名が認知症で特養に。会員男子だけの3名になった
  参加できた機会を大事にしていこう



爺3人よれば・・・???  その2

2013-10-17 15:10:49 | 日記
2. 第2の話題は、今年の10月支給の年金支給額が大きく減額される
  この歳になって、生活の仕方を多少変更しなければならない。喧喧囂々(けんけんごうごう)の意見で、国の施策の失敗までたどりついて、しかし、どうするもできないと諦める。
  一方、日本のように年金や医療・介護と恵まれている国は世界でも珍しい。
  話題の最後は、減額の説明を読んで不満がのこるが解消した

3. 他人には言えない、家庭内の問題点までおしゃべりを・・・信頼関係の友情でこんな話は、初めてであった
○ 2人の息子がおり、結婚し家を新築して、何も心配ないようだ。しかし、両息子とも子供が生まれない。どうも私(おやじ)が原因しているようだ。
 養子でもとろうか・・・と話題になった。悩んでいる。

○ 親も兄弟も子供もいない。妻は6人兄弟で全員健在。養子縁組を甥っ子にしたと。・・・うまくいくかと悩んでいる。

 ○ 娘夫婦が大分歳をとっているが、家を新築したい。銀行から特別住宅資金(ローンは高い)が許可された。最後まで、返済は大丈夫かと心配している。

○ 子供たちは、独立し自宅を持っている。家の後をついてくれる者はいない。
家やお墓はどうなるか。・・・誰にも言えない本音がさらけ出してきた。
  どこの家にも、問題を抱えていることを、鈍感ながら爺も解ってきた

爺3人よれば・・・???  その1

2013-10-16 11:46:18 | 日記
9月6日(金)に、昔の仲間の定例の会食会を、11時30分より上野駅前の地下食堂で楽しんだ。年6回、来月は1泊旅行である。
前は9人の会員でしたが、現在は80数歳の男性のみ3人になってしまった
婆さんが集まれば、「旦那の悪口に花が咲く」という。女性は身についているようだ。

>爺たちも、今までは家庭のこと等を話題にすることはなかった。この頃、3人とも、家庭で過ごす時間が多くなり、妻と毎日長い時間顔を合わせている。
妻の不満の声で、自然に盛り上がってきた

どの家も年寄り夫婦は同ようだ

1. 女房は、毎日文句を言っている。・・・邪魔な存在なのだな・・

 女房は、よくしゃべる。爺が文句を言うなら、3倍がぐらい文句で返ってくる

3人とも共通であるとへんな同感をする
 この頃の会食会では、この話題が最初から自然に出てくる。

 普段こんなことが話題にできる機会がない。この会食会は、気心のあった仲間で、この会でストレスを解消しようとの気持ちがある
 
女房は、“お昼ぐらいは外で食べてきて!。自分で好きな食事を作りなさいよ!。
 自分の事だけでなく、家の手伝いもしてよ。特に居間の掃除ぐらいをしてよ。座敷犬の世話ぐらい自分で責任をもってよ。“こんな口調で、耳のタコができるという。

 この辺の具体的文句は、それぞれの家庭の奥さんの人柄や価値観で多少違いようであるが、旦那を邪魔な存在として見ているのは同じように見える。

 爺さんにとって、気の合った男年寄りのおしゃべりは健康の基ですね。

イランの大統領は、どうなっているの。

2013-10-15 11:05:34 | 日記
爺の留守を来週に延ばしました。台風のため旅館のお計らいで

イスラム共和制の理念に基づき、高位のイスラム聖職者から選ばれる

1. 1979年のイラン革命で帝政が倒れ、イスラム共和制に基づくイラン・イスラム共和国が成立したのにともない、国家元首に相当する官職として新設された。

2 最高指導者は行政、司法、立法の三権の上に立ち、最高指導者は軍の最高司令官であり、イスラーム共和国の諜報機関および治安機関を統轄する。宣戦布告の権限は最高指導者のみに与えられる

3. なお、イランには大統領も置かれているが、他国の大統領が国家元首であるのに対して、イランの大統領は行政府の長であり国家元首ではない

4. イスラム共和制のイランはシーア派教徒の共同体であり、そこでは救世主が出現するまでの間、シャリーアの最高解釈者が「神(アッラーフ)の意思に従う」というかたちで国家を指導する責務を負う。

5. 大統領は最高指導者の専権事項以外で、執行機関たる行政府の長として憲法に従って政策を執行する

スンニ派とシーア派の違いわかりませんでした。・・・その2

2013-10-14 10:43:26 | 日記
4. 歴史的には、シーア派を支えたのは主にイラン民族です

スンニの教義ではシーア派は異端で、真のムスリムには含まれません。スンニーの一般ムスリムに尋ねても、シーア派への宗教的共感は全く無いようです

ただ、例えば欧米・国連がイランに圧力をかけると「ほらみろ、やはり欧米はイスラームの国を目の敵にしているではないか」という風には見る。でも、シーア派のイランのために一緒に戦おう気には全くなりません。スンニーから見ればシーアは理解しにくい異常な教派に過ぎないから。

5. イランでこの両派が対立していない、イラクで対立している

イランは圧倒的なシーア派国家で、それに対立するようなスンニ勢力は無いです。
今のイラクは、イラク社会を混乱させ内乱状態を激しくさせようとするテロリスト勢力(アル・カーイダなどに同調する連中。また、旧サッダーム・フセイン派など)が、スンニーとシーアとの間で紛争を起こさせようと煽り立てているので異常な対立状態になっています。普通は、なんとなく共存してきたのです。

クルド人

現在、クルド人は世界最大の「独立した祖国を持たない民族」だと言われています
クルド人とは、トルコとイラク、イラン、シリアの国境地帯に跨って住む中東の先住民族で、人口は約3000万人と言われています。
イスラム化が進み、現在では75%がスンニ派、15%がシーア派だと言われています
19世紀からクルド人たちは自治や独立を求める闘争を続けてきました現在でもトルコやイラク、イランでクルド人の様々な政治組織が独立や自治を求める戦いを続けています


明日から3日間留守にします。アップをお休みします

スンニ派とシーア派の違いわかりませんでした。・・・その1

2013-10-13 10:11:58 | 日記
1. 教義が若干違います
イスラームの基本信仰箇条である「アッラーの他に神は無し」「ムハンマドはアッラーの使徒なり」については同じですが、ごく簡単にいうと預言者の後継者(=後世の指導者)の資格についての考えの違いから、イスラーム史の比較的初期のうちに分かれました

2. スンナ派(スンニー)は血統による世襲にこだわらなかった主流、シーア派は預言者(ムハンマド)の血を引く子孫に特別の資格があると考えた少数派(というか、戦って負けて少数派になった)が、連綿とその後千年以上も残っているもの。

3. イスラームの戒律や慣行についても、一般には、シーア派のほうが信仰の内面を重視するが、戒律についてはスンニーの方が厳密に実行する傾向にあるとされます

例えば、イラン人は今でも意外に酒を飲む人は多いし、ラマダーンの断食をしない人もいます。シリアやエジプトや湾岸アラブ諸国の方がずっと戒律を守る率は高い。
現代ではシーア派の地域に行くと、ホメイニの肖像とかが街角に大きく掲げられていたりして、イスラーム(スンニー)の地域とはちょっと違うと思います。

アラブ首長国連邦とはどんな国・・・・その3

2013-10-12 16:30:39 | 日記
7 現在のアラブ首長国連邦の領域で最古の人類居住遺跡は紀元前5500年ごろのものである。やがて紀元前2500年ごろにはアブダビ周辺に国家が成立した
 イスラム帝国[編集] 7世紀にイスラム帝国の支配を受けイスラム教が広がる。その後オスマン帝国の支配を受ける。その後、変遷を受けて トルーシャル首長国になり、1892年イギリスの保護下におかれた。1972年現在のアラブ首長国連邦となった。歴史の古い国である。
何もない砂漠の国に、石油と天然ガスが発見され、国が大変豊かになった国である

8. 国人のおおくは公務員で、初任給1000万円、平均2000万円という。医療も教育もすべて無料である。住宅等が困っている人には無料で提供されている
賃金の決まりがあり、アラブ人より高い賃金で雇えない。働く人は外国人で低い賃金で労働に携わっている

アラブ首長国連邦とはどんな国・・・・その2

2013-10-11 09:50:31 | 日記
4.  外交は湾岸協力会議諸国などの近隣諸国との関係を重視する保守穏健路線で、特に隣接するサウジアラビアとの関係を重視している島を巡ってイランと領有権を争っている。また、サウジアラビアとの国境問題は1974年に条約を締結し一時解決したかに思われたが、2006年に再燃した。
5.  GDP 3,602億ドル(2011年)(世界銀行)で、約40%が石油と天然ガスで占められ、日本がその最大の輸出先である。原油確認埋蔵量は世界5位の約980億バレル。天然ガスの確認埋蔵量は6兆600億m³で、世界の3.5%を占める。一人当たりの国民所得は世界のトップクラスである。2011年が45,653ドル(2011年)である。原油のほとんどはアブダビ首長国で採掘され、ドバイやシャールジャでの採掘量はわずかである。アブダビは石油の富を蓄積しており、石油を産しない国内の他首長国への支援も積極的におこなっている。

6.  住民は、在来のアラブ人からなるアラブ首長国連邦の国民は全体の19%を占めるに過ぎない。その他は外国籍の住民であり、他のアラブ諸国から来た人々や、イラン人、南アジア系50%(インド人140万人、パキスタン人、バングラデシュ人、スリランカ人)、東南アジア系(フィリピン人)、欧米系、東アジア系の人々などがいる。これらの外国籍の多くは、石油収入によって豊かなアラブ首長国連邦に出稼ぎとしてやってきた人々であるある

アラブ首長国連邦とはどんな国・・・・その1

2013-10-10 08:46:09 | 柏シルバー大学院
9月26日、麗澤大学客員教授O先生より、「北方領土を中心に」のテーマで講義を受けた。
その前に、先生が国際関係についてアラブ首長国連邦を訪問してきたとのことで、其れについてのお話をしてくれた。大変お話の上手な先生で、楽しみながら拝聴していった。
要点をアップします。

1.  アラブ首長国連邦とは

1971年にアブダビ(アラビア語ではアブザビの方が発音に近い)、ドバイ、シャールジャ、アジュマーン、ウンム・アル=カイワイン、フジャイラの各首長国が集合して連邦を建国。翌1972年、イランとの領土問題で他首長国と関係がこじれていたラアス・アル=ハイマが加入して現在の7首長国による連邦の体制を確立した

2 大統領はアブダビ首長のナヒヤーン家、副大統領はドバイ首長のマクトゥーム家が世襲により継ぐのが慣例化している。閣僚評議会(内閣相当)評議員は、大統領が任命する。

3. 連邦予算は8割がアブダビ、1割がドバイ、残りの1割は連邦政府の税収によってまかなわれており、残りの5首長国の負担額はゼロである事実上、アブダビが北部5首長国を支援する形になっていると言える。石油収入は油田を持つ首長国の国庫に入るため、連邦に直接石油収入が入るわけではない

映画「少年H」を見て・・・爺の当時の生活と重なって その9

2013-10-09 10:12:15 | 日記
           
昭和21年のパンパンの手入れ


11 戦後の混乱・・・食糧難で苦しむ

11-1映画では、戦後も食糧難が変わらず、タンスの綺麗な着物を背負って、田舎に列車で米と交換しに行った。買い出し列車といって、汽車が乗客で超満員、窓からの出入りでした

11-2 子供たちは米軍に食べ物をねだって大勢がついていく。戦災で家や家族も失い、裸同然の真っ黒い子供も大勢いて、地下道等で寝ていた。人も自分が生きるために必死であった。子供を世話する余裕もなかった。

11-3 若い女性の中には、米兵に身体を売って生活をしていた者もいた
 “パンパン”と呼ばれ、その頃の流行歌に「こんな女に誰かした・・・」があり、悲しい歌として多くの人にうたわれた。黒人の子どもが生まれ、めだつようになった。

11-4 外地から復員と言って、派遣されていた軍人がどんどん帰還してきた。
  ロシアの国と戦い、多くの軍人が捕虜となって数年にわたって、シベリアの酷寒の地で大変きつい仕事をさせられ、現地で多くの人が亡くなられた。
11-5 戦死の公報が届き、主人が死んだものとして、再婚していた妻の所に、生きていて帰還したという悲しい事も割に多く聞かれた

こんな中にも、平和になり立ち上がらるべきとの意思から、焼け残った柱等を利用して、掘立小屋を作り生活と仕事を見つけるようになった
  H少年も親元を離れ、独立して生きるようになった

 戦争は人を苦しめ、人を殺し、家を焼けつくし、生活を奪い、全くが悪で、決してしてはいけない。今の憲法は平和憲法で素晴らしい。皆さんの心の中にしっかりと・・・。