kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

映画「少年H」を見て・・・爺の当時の生活と重なって その8

2013-10-08 10:34:44 | 日記
10 終戦の日の続き・・・爺を中心として

10-6 放送に雑音が多く、玉音放送の内容がよくわからない。、しかし、ところどころの言葉が耳に残る。爺たちは、海軍幹部養成の学校に在籍していたため、3000人前後の学生が広い広い校庭で放送を聞いていた。
爺には、放送内容が聞き取れなかった。隣列に並んでいる2年生が泣きだしていた
周りから、すすり泣きの声が雑音のように耳に入った。一人戦争はまけた!!。
放送が終わって、腰を抜かしたように地べたに座り込んでしまった学生もいた


校は1年生の世話は、上級生の2年生が見ていた。ビンタとの暴力は日常茶飯事でした。
その上級生が、優しく接するようになった。地獄に仏のように

終戦の翌日、軍籍の身分ははずされ、自宅に帰省することになった。爺は数時間で帰宅できたが、日本全国、とりわけ台湾や朝鮮からの学生もいたので、大変だったと思う。

何処の専門学校も大学も同じようだったと思う

映画「少年H」を見て・・・自分の当時の生活と重なって その7

2013-10-07 10:28:10 | 日記
終戦の詔勅 -玉音放送- (1945.8.15正午)


10 終戦の日・・・昭和20年8月15日
10-1. 1945年(昭和20年)8月14日:日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に
通告した日。
10-2. 1945年(昭和20年)8月15日:玉音放送(昭和天皇による終戦の詔書の朗読放送)により、日本の降伏が国民に公表された日。
10-3. 1945年(昭和20年)9月2日:日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日。

10-4 予告放送
玉音放送の予告は14日午後9時のニュースと15日午前7時21分のニュースの2回行われた。内容として「このたび詔書が渙発される」「15日正午に天皇自らの放送がある」「国民は一人残らず玉音を拝するように・・・。

10-5 終戦の詔勅 -玉音放送- (1945.8.15正午)
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ・・・・以下文略
臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス・・・以下文略
朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ

雑音で玉音放送の内容がわからず、しかし、途中から泣き出す者もいたので解かってきた。

介護保険2割自己負担・・・厚労省案  その3 ・・・高齢者の常識

2013-10-06 10:26:13 | 日記
介護保険2割自己負担・・・厚労省案・・・また値上げ案か!!


厚労省は、収入が一定額以上の人が介護保険サービスを利用する時の自己負担の割合について、9月25日、今の1割から2割に引き上げる見通し案を公表した。

年金対象は年280万円以上か、290万円以上の人が対象。280万円の方が有力だ。
来年の通常国会で介護保険法を改正し、2015年度の実施をめざす


約50万人が対象に
約430万人いる利用者のうち約50万人が当てはまるという。

>基準は、世帯ではなく、個人単位で判断する。夫が厚生年金で300万円、妻が国民年金で80万円の場合、夫のもが2割となる。
市町村民税が非課税の高齢者を対象に、介護保険料の軽減策を拡充する案も示した。

将来、介護保険も高齢者医療保険のように、1割。2割、3割負担の考えられよう

高齢者は、社会保険の負担増の動きに目を注ぎ、自分の将来を見つめ直していかなければならないであろう。

高齢者の年金生活者は、10月より物価調整の1%減額、恩給期間を含む共済年金者は大幅な減額、更に来年4月の3%消費税と負担が大きくなります。大変ですね!!

特養入居者補助を資産で線引き案 その2 ・・・高齢者の常識

2013-10-05 10:47:52 | 日記
また、資産の基準では土地や建物も考慮にいれる方針。

ただ換金が難しいケースも想定される。

そこで不動産を担保に入居者にお金を貸し、本人の死亡後に担保を売って回収する仕組みも合わせて検討する。とのことである。

高齢者が国民人口の「3分の1」になる社会では、社会福祉には大変な予算がかかります。

ある程度は理解でるが、負担する国民から考えれば、>将来の計画が出来上がって生活している過程での大きな変更は、混乱をおこす

国の明晰な頭脳で、計画する段階で将来の高齢者人口の正確な数字と予算をはじき出して、途中で変更をしないですむ計画を作成してほしいですね。
それが、老後の安心につながりますから



年金も同じです。先にアップしたように、10月支給の退職共済年金から大変大きい減額があり、また、年金の物価スライドによる、1%の減額等を含め、大きい減額支給となる

今後、高齢者も経済的に社会福祉の負担が多くなっていくであろう。
社会の流れに関心を向けていかなければならないと思う

特養入居者補助を資産で線引き案 その1 ・・・高齢者の常識

2013-10-04 10:02:34 | 日記
2013年9月21日の新聞朝刊に、以下の記事がありました。

特別養護老人ホームや介護施設に入居する低所属者に食費や部屋代を補助している制度がある。
今の制度では、対象の判断基準は所得のみで、年収200万以下の高齢者夫婦である。
この中の3割は貯蓄が900万以上との調査結果もある

実際の経済力を反映していない

現在、住民税が非課税の所帯では、相部屋型の場合、22000円~42000円を支給している。
補足給付の対象は約100万人(11年度)、総額2800億円にのぼっている。

厚生労働省は、預貯金・有価証券が夫婦で2000万円、単身で1000万円などを基準にする
つまり、今までの所得だけでなく、資産も含め実質的な不払能力に応じた仕組みに改める
厚労省は、近く社会保障審議会の部会のこの案を示し、15年度から実施したい方針

社会保障の総額が年々多く増加している。そういう点から、今後ますます削減という方向で見直される様になると思う

高齢者の常識として心いておくべきと考えます。

映画「少年H」を見て・・・自分の当時の生活と重なって その6

2013-10-03 08:53:36 | 日記
8. 本土空襲 H少年の住む神戸市の大空襲

神戸とその周辺地域は1945年(昭和20年)1月3日から終戦までの約8ヶ月間に、大小合わせて128回の空襲を受け、特に3月17日および6月5日の市街地絨毯爆撃と、川西航空機甲南工場を標的とした5月11日の戦略爆撃によって大きな被害を受けた。被害状況に関する公式記録は存在せず、具体的な数字ははっきりしていないが、被害面積は神戸周辺都市部の21%に及び、少なくとも8841名の市民が犠牲となり、15万人といわれる負傷者、焼失家屋15万戸、のべ65万人もの人々が家屋に被害を受けたといわれている。これは人口および面積から換算した被害率としては、当時の五大都市の中でも最悪の数字であった

9.  東京大空襲
百科事典マイペディアの解説.・・・ 東京大空襲 【とうきょうだいくうしゅう】
太平洋戦争中,米軍の東京への空襲。爆撃は1942年4月に始まったが,1944年末からは休みなく来襲。1945年3月10日未明,襲来したB29の大編隊は無差別攻撃によって大量に爆弾・焼夷弾を投下,発生した火災は半時間足らずで下町地区全域に及び,焼失家屋26万戸,死者約10万人の被害を生じた

映画「少年H」を見て・・・自分の当時の生活と重なって その5

2013-10-02 10:23:51 | 日記
7. 出征兵士と英霊の帰還

 当時は兵役が国民の義務になっていた
 20歳になったら、徴兵検査があり、結果は健康的に入隊に支障がなければ甲種合格、不適当なのは丙種合格で招集は免除された。
 その間に乙種もあったろうが記憶にない。丙種は肩身の狭い小さい顔をしていた。

 戦争が長引き兵隊が足りなくなると、年齢の高い方も、丙種合格者も徴兵されるようになった。映画でも父親が徴兵された。

7-1 赤紙(招集制度)が来ると、住民の方に“おめでとう”と言われ、近所や軍関係の皆さまが、万歳三唱をして、軍歌等で最寄り駅まで送られていった
  親とも、友人とも、恋人とも無理にわかれて・・・

7-2 戦争が長引くうちに、英霊となって帰還する兵士もいた遺骨の中には、骨はなく頭髪や石など等も入っていた事もある。誰のものか定かではなかったであろう。

7-3 戦死をする時、病気の時は、“天皇陛下万歳!!”と叫ぶよう教育されていたが、実際は“お母さん”と叫ぶ者が多かったとのこと

7-4 この頃になると、戦争も末期であろう、女性も竹やり戦術で、竹やりをつくり藁人形を指しす訓練をしていた
7-5 バケツリレー消化訓練も各隣組単位で練習を行った。

個人の全ての自由は奪われ、戦争のために国民全員が向けられた。

映画「少年H」を見て・・・自分の当時の生活と重なって その4

2013-10-01 09:46:32 | 日記
5 反戦思想の根絶に・・・

5-1 映画の中でも先生が、父親が、その他の人が、特高警察に眼をつけられ、拷問を受けて白状を強要された。

特に特高警察として思想の取り締まり、反戦的な考えをもつ者を探し出し、拷問で白状させ、監獄にいれる。国民も恐怖になり、隠れようとする。すると、人のうわさで、人に近づいてくる

国民も、いつもビクビクしていた。疑問があっても口には出せない世の中であった
H少年のように疑問をもつ若人も多くいたと存じますが、心を抑え耐え忍んでいたのであろう。時たち中学生は一途に勝つまでは・・・の気持ちで終戦まで。

6. 困窮する食べ物。・・・白米を食べたいが国民の願望であり夢であった

 米も魚等の惣菜も国からの配給制度。戦争が長引くと配給も大変少なくなり、米の変わりに「さつま芋」が配給される様になった

国民は、ご飯の代わりにさつま芋、また、大根やカボチャの米の粒を少し混ぜたような食事をした。
当時の人の願いは、白米を食べたいであった