次の年ごろ、勤務している課にパソコン1台が配置された。この頃から、パソコンというようになった。
社会教育課の人たちはワープロで仕事をし、パソコンは殆ど使わない。それをいいことに、爺の専用のようにパソコンを使い始めた。ロータスソフト(エクセルと同じように表計算ソフト)を使っての校庭解放のデータ処理を、一太郎(ワードと同じワープロソフト)を使っての文章を作成し、自分の仕事以外も課の人の仕事の手伝いをしてあげた。感謝されたことを覚えている。
課の人たちは、新しくパソコンが入っても。勉強する暇がない現状であった。
嘱託の身分で、任命された生涯学習研究員の仕事は、初めての職務で、新しく業務を作成することだった。暇の時間も見つけては、一太郎ソフトで広報誌等を作成する勉強をした。
この頃、同じパソコン機器を自宅に購入した。周辺機器も含め632、300円で現在に比べ大変高価なものでした。
全国で初めての公立小中学校で公開講座を始める
その内に、都立高校で公開講座を5日間で実施するようになった。2人の爺たち生涯学習研究員も、区立小中学校の先生を講師にした公開講座を企画・運営した。希望校も年々増加して行った。
例えば、パソコン入門講座、英会話講座、絵画講座、テニス講座・・・等。教員の特技を生かした講座でした。。
勤務は土曜・日曜を選定し、学校自体が受講生を募集し、講座も企画し運営した。手当も。都立高校の講座の講師手当と同額にした。開講日には該当校に訪問し教育委員会としての挨拶をしたことを記憶している。それらの記録もパソコンを利用し手作成し、各学校に配布した。
全国から見学者が続々と来られた。張りのある務めであった。
次年度からは、地域町会が、学校を利用して公開講座を開くためのマニアルを作り、6年間の嘱託を終わりこの社会教育課を退職した。次年から区の歴史編纂の編集の仕事の依頼をうけ、担当職場に勤務を移動した。
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