ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

世の中は…(2013.03.30)

2013-03-30 11:54:42 | 今日の大和民俗公園

「三日見ぬ間の桜かな」といいますが、前回の記事から4日目の今朝は本当に春らしい陽気になりました。

わが町の桜並木も、早や七分咲きから満開近くなりました。そのサクラの下を公園に歩きます。


カンヒザクラは落花盛ん、コヒガンサクラもそろそろ見納めです。


町屋集落生垣のドウダンツツジが開き始めました。


吉野集落横のシダレ桜もまもなく見頃を迎えます。


児童広場上部のユキヤナギが満開です。


上の休憩所付近のソメイヨシノ。バックの矢田山を隠すほどの満開になりました。


里山の道に入ると、コバノミツバツツジも満開。


梅林入口のオオシマザクラが青空に映えています。早足で2時間ほど歩いて、いいトレーニングができました。


早くもツツジが…(2013.03.26)

2013-03-26 16:35:44 | 今日の大和民俗公園

昨日から少し寒さは戻りましたが、空は春の色。二人で大和民俗公園へ歩きました。

わが町のサクラも三分咲きになりました。


公園のシダレ桜が開き始めています。


「里山の道」にはコバノミツバツツジが咲いています。


帰り道でオオシマサクラも開き初めました。

その下にはツクシが顔を出しています。


少しの間にこんなに摘めました。里帰り中の孫に見せてあげましょう。


初桜(2013.03.24)

2013-03-24 12:14:23 | 今日の大和民俗公園

例年より早く各地から桜の開花が伝えられています。七十二候では春分の次候は「桜始開」。

次第に青空が拡がってきた日曜日の朝。大和民俗公園へwalkingに出かけました。我が家のすぐ近くを流れる小川の岸のサクラも開き始めました。


大和民俗公園入口のカンヒザクラ(寒緋桜)。


釣り鐘状の花が特徴のサクラ。花言葉は「艶やかな美人」。例年、真っ先に見頃を迎えます。


こちらはコヒガンサクラ(小彼岸桜)。文字通り、この時期が見頃です。


レンギョウ(連翹)が満開です。よく見ると、小さい黄色の釣鐘のような形の4弁の花がたくさん付いています。それで英語では「golden bell flower」。


ユキヤナギの花も満開。花が雪のように白く、葉は柳に似ています。また花の形がお米のようなので俗称・小米花といいます。


満開のハクモクレン(白木蓮)が青空に映えています。二周して、そろそろ人が増えてきた公園を後にします。


帰りは「歌ヶ崎御廟」経由の道を帰りました。この辺りでは一番早く開く奈良高専横のサクラ。


もう満開近しです。たっぷり春の朝を楽しんで1万歩walkを終えました。


台湾周遊の旅・余禄

2013-03-22 09:02:43 | 旅日記

これまでにお伝えできなかった「こぼれ話」をお聞きください。


台湾の観光バスは兎も角ド派手です。私たちのバスはまだおとなしいほどでした。


台中のビルの上にデンと座って睥睨している神様。他にも、あちこちで屋根の上に鎮座している神様や仏様がおられました。


台南市内のロータリーで見た「自由の女神」。なぜここにあるのでしょう?もっとも日本でもパチンコ屋の屋根に立っている女神を見たことがありますが…。


さすが台湾、3月の初めにサクラが…と思いましたが、早とちりで紅花羊蹄甲という花でした。
 帰宅後調べると、日本では紫蘇芯花 ( ムラサキ・ソシンカ ) というそうです。


これは「榕樹」です。ガジュマル。沖縄でも見られますね。台湾では貴重な木陰を作るので公園や並木道によく見られます。


台中で見かけた郵便ポスト。緑は普通郵便、赤は速達と色分けされています。


三仙台で♀ペンの見つけたサンゴ


その近くで咲いていた草花(名称不明)


台湾の都市部はどこもバイクの洪水です。昔の日本で見たスクーターも多く、中にはこんな車も。道路標識にもご注目ください。


花蓮駅前の樟。ランの花を接ぎ木風にしています。


断崖の山越えの後、乗り換えたバス。こちらはかなり控え目です。


台北・中正記念堂の周囲は大きな公園になっています。珍しい植物が多く、それぞれ標識がついていました。これは「台湾山蘇花」。和名はオオタニワタリ。若い葉はニンニクなどと炒めて食用になります。


車窓から見た寺院の屋根瓦。獅子が並び先頭に騎乗の人物が見えます。獅子の数が多いほど位が高いとか…。


民芸品店で買った自分用のお土産。今年の元宵節限定ということでした。


故宮博物館のお土産。ケイタイストラップ


主にバラマキ用お菓子のお土産。パイナップルケーキは値段に大きな差があり、このなかでは上の写真左下(シンプルな模様の箱)が手作りで最も高価でした。


春色・二上山(2013.03.19)

2013-03-20 09:33:04 | 山日記

【登山日】2013年3月19日(火)
【コースタイム】道の駅「ふたかみパーク当麻」09:00…祐泉寺09:30~09:35…岩屋峠09:53…雌岳10:10~10:20…雄岳10:43…眺め坂11:15~11:20…鳶塚11:36…ふるさと公園12:00…道の駅12:10

明日は春分。めっきり春めいて暖かくなった快晴の朝。思い立って二上山へ出かけました。9時ちょうど、道の駅「ふたかみパーク当麻」を出発。

歩き始めて30分、祐泉寺に着き、美しい庭園を抜けて本堂にお詣りしました。昨日の雨でジメジメした個所もある谷沿いの道を登ると、じんわりと汗ばんできました。水場で休んでおられた人の先に行き、案外楽に岩屋峠に着きました。休まずにそのまま登り続けます。


真っ青な空の下、河内平野を見下ろしながら登っていくと、咲き残ったサザンカの花に集うメジロたちの歌声が、賑やかに春を謳歌しているようです。下ってくる毎日登山の人達に何人か出会いました。


今日の雌岳は貸切状態でした。10分ほど休んで歩き始めた頃、馬の背の方から女性が一人、登ってきました。


雌岳山頂はアセビの花盛り


中にこんなピンクの花も咲いていました。先月は雪で滑りやすかった道を馬の背に下り、雄岳に登り返します。
途中で何と二組のパーティ(若者4人組としっかりした装備の高年ペア)から雌岳の道を聞かれました。


雄岳の神社手前に、こんな立派な標識が立っていました(写真は合成)。先月には見かけなかったものです。その代りではないでしょうが、この手前の小さい岩場から道の駅への道、大津皇子墓から少し下ったやはり道の駅に下る道、どちらの分岐にもあった手書きの道標はなくなっていました。


道の駅への道と合流(ここの分岐の道標も撤去されていました)して枯葉の上にツバキの散り敷いた道を下ります。途中、出会い坂、いっぷく坂のベンチで休んでいる方に出会いました。


眺め坂の急坂を下って鳶塚の山頂を見たあと、登り返して今日は初めての道を鳶塚へ向かいます。


この分岐にあった標識もなくなっていました。(矢印は眺め坂への方角を示しています)
しばらくは落ち葉に埋もれるような分かり難い道を下ります。コルに下るとはっきりした踏み跡が現われ、次の分岐には「鳶塚→」の標識がありました。何故か「捻挫に注意」と添え書きしてあります。


この岩の横を抜けると、間もなく鳶塚(268m)の頂上です。


鳶塚頂上からの雄岳。何の変哲もない頂上なので、立ったまま水分を補給しただけで出発。ここからの道はかなり急で、昨日の雨に湿った落ち葉で滑らないように気を付けながら下りました。傾斜が緩まると道は左右に分かれますが、道の駅の方、右へ行きます。壊れた小屋の横を通り、車の音が聞こえるようになると最後の急坂を下って「ふるさと公園」の北端に飛び出しました。太鼓橋のかかる池に噴水があがり、雌雄の二上山が高く見えます。


道の駅はすぐ近く。
紅白のウメと黄色のサンシュユの花の上に浮かぶ二上山に見送られて、素晴らしいフィナーレでした。
 


台湾周遊の旅(終)

2013-03-19 15:03:04 | 旅日記

3月7日、5日間の台湾の旅も最終日を迎えました。ホテルでゆっくり朝ご飯を食べて、フロントのお姉さんに近くの地図を貰って散歩にでました。

数分歩くと、お姉さんに聞いた朝市がありました。昔の大阪にあった公設市場に似ていて、地元の人が食材を求めて訪れる店や、屋台などが迷路のような狭い通路の両側に並んでいました。


迪化街(テイーホァチエ
19世紀中頃の清代に貿易商人が形成し始めたというだけに、100年を超す老舗がずらりと並ぶ問屋街です。
日本統治時代には乾物、漢方薬、お茶、布などを扱う商店が集まり、台湾有数の商店街になりました。今もそのような品物を扱う店が多いようです。
この古い建物は永楽市場。二階には布のお店、三階はそれを裁縫してチャイナドレスなどに仕立ててくれるお店が並んでいます。


向かい側の乾物店で、ドライマンゴーや、お兄さんお奨めの黒金剛(殻を割ると黒色の煎りピーナッツ)などを買いました。


こんなメトロなバロック建築の店が…


ず~~っと並んでいます。


その一画にこんなお廟がありました。本来は城隍という神様(城=城壁、隍=堀、つまり都市の守り神)のお廟なのですが、一緒に祀られている「月下老人」が若い女性に人気があるようです。


月下老人は縁結びの神様。入口で頂いたパンフレットには「白く長い髭に赤い頬で始終、微笑んでいる。右手には杖、左手には誰とたれが結婚するか書いてある婚姻簿を持つ。未婚の男女には赤い糸を授け、良き伴侶が得られるよう手助けしてくれる。2011年には、良縁に恵まれた7871組のカップルがお礼参りに訪れた。」とあります。既婚者にもちゃんと「夫婦・家庭円満、人間関係がさらによくなる」ご利益がある、霊験あらたかな神様なのです。
 
ついでですが、バレンタインデーは「西洋情人節」といい、「台湾伝統情人節」は農歴(旧暦)7月7日<七夕だ!>と知りました。情人は日本でいう愛人ではなく、恋人なんですね。


日本人観光客にも人気スポットのようで、若い女性が熱心に拝んでいました。ただし、この参拝作法はとても複雑で、お供えセットを買ってから天公、城隍、城隍夫人、観世音菩薩、月下老人の5人の神様に、それぞれ違った礼拝をしなければなりません。しかし、よくしたもので日本語のできる専属スタッフが常駐して教えている様子でした。


さて、ホテルに帰って昨日行けなかった中正記念堂へ行きました。


「中正」とは蒋介石の名前で介石は字(あざな)です。2階に上がると巨大な彼の像が鎮座しています。後の壁には彼の政治思想、倫理・民主・科学の文字が見えます。
 日本の高田砲兵学校で学び、日本に亡命したこともあった日本通の蒋介石ですが、その評価はさまざまで独裁者的な面を持っていたとも言われます。私達、古い人間には日中戦争の相手だっただけに複雑な思いです。(台湾でも好きな人も嫌いな人もいるというガイドの話でした)


肖像の両側にいる衛兵は、人形のようにビクとも動きません。1時間ごとに衛兵の交代が見られるそうです。


(左上)は蒋介石の肖像上の天井、1階には蒋介石ゆかりの品が展示されています。(右上)愛用の乗用車、(左下)夫人の宋美齢と一緒に外出した時の駕籠、(右下)復元された執務室


ランタンの吊るされた1階フロア。右手では「テレサテン特別展」が催されていました。


中正記念堂を後にして、

 

最後のスケジュールで免税店に寄り(縁の薄い私達には退屈な時間でした)、台北を後に桃園国際空港に向かいます。
「台湾周遊5日間の旅」もこれで終わりです。長い間ご覧くださいまして、ありがとうございました。


台湾周遊の旅(10)

2013-03-18 16:32:43 | 旅日記

「九ふん」の観光を終えて高速道路で台北に着いたのは、すでに17時を過ぎていました。
急いで故宮博物館に向かいます。


17時30分に地下から入場して1階の「特別展示」、2階の「書画・陶器」、3階の「漢字の源流」「玉石の彫刻」と見て回りましたが、何分にも全てを見るには10年かかるといわれる70万点の収蔵品を有する博物館です。わずか1時間余りの見学では、僅かにその一端に触れただけに終わりました。


内部は全て撮影禁止ですので、お土産に買った絵葉書でごく一部をご紹介します。


鼎(かなえ)は元は料理に使われた道具でしたが、後には皇帝などの権威を象徴する礼器となりました。この「毛公鼎」の内部には世界一長いと言われる銘文が刻まれています。内容は周の宣王が周朝復興に功績のあった毛公一族を称賛したもので、背後の壁にはその全文が大きく表示されていました。


おそらく故宮博物館で一番人気の「翠玉白菜」。いつもは10分くらい並んで見るそうですが、閉館間際で並ばずに見ることができました。思ったよりも小さく、全長が19cm。翠の原石を彫刻したものだそうですが、微妙な色合いの変化を見事に表現しています。葉っぱにキリギリスとイナゴが付いているのですが、視力の弱い変愚院にははっきりとは見分けられませんでした。


「肉形石」はブタの角煮=東坡肉を掘り出した彫刻。瑪瑙(メノウ)の濃淡を利用して皮と赤身と脂肪を見事に表現した技巧に舌を巻きます。これも思ったより小さいものでした。


玉製の「辟邪」。「辟」は「避」と同じ意味で「邪悪をさけると考えられた空想上の霊獣」です。顔は馬に似ていますが(龍ともいいます)脚は太く、羽を持っています。


ミュージアム・ショップでも「白菜」は人気で、いろんなグッヅがありました。これはお土産のマグネットと携帯ストラップです。


慌ただしい見学を終えてホテルに荷物を置き、夜の町へ。「金品茶楼」で点心料理の夕食。左上は美味コウ(火偏に考)方。肉まんのような皮に豚の角煮を挟んで食べます。左下の小籠包にも色んな種類があり、最後の台湾ビールによく合って美味しかったです。


食事を終えると20時を過ぎ、「台北101」の最終入場時間が迫っています。


台北101は高さ509.2m、地上101階、地下5階の台北のシンボルタワー。ショッピングモールや証券取引所、銀行や企業も入る複合ビルです。


まず5階までは普通のエレベーターで登り、ここで入場券を買って高速エレベーターに乗る列に並びます。


パンフレットにあるような夜景のパネルをバックにした記念写真が撮られ、幾つもぶら下がっているモニター画面に映し出されます。ようやく順番が来て「世界最速」を誇るエレベーターに乗ります。


エレベーターの天井に描かれた美しい星座をカメラに収め終わるや、はや89階の展望階に到着です。分速1,010m、所用時間37秒間ですが、上昇中や停止時の不快感は全くありませんでした。


お姉さんから音声ガイドを借りて、ぐるりとフロアを一回りします。


眼下に美しい台北の夜景が拡がります。音声ガイドは日本語なのですが、


通りや建物の名前を聞いても、どこがどれやらサッパリ分からず、ただ「綺麗やなあ」と眺めるばかり…


集合時間が来て、階段で一つ下の88階まで下りました。重量800トンの世界最大のダンバー(強風や地震などによるビルの振れを吸収する装置)や色んなサンゴの展示などを見て、行列に並ばずに(廖さんの顔で)従業員用のエレベーターで下りました。花蓮から九ふん、台北と長い長い一日の観光が終わって、ホテルに帰ったのは21時半になっていました。



台湾周遊の旅(9)

2013-03-18 06:50:05 | 旅日記

鉄道の代わりにバス移動というハプニングはありましたが、予定通りのスケジュールを強行することになりました。結局これで台湾をバスでほぼ一周することになります。蘇澳で高速道路に乗り、九ふん(人偏に分)へ急ぎます。


九ふんは台湾北東部にあり、戦前(1880年、清の時代から)は近くの金瓜石に東洋一といわれた金鉱があった関係で、ゴールドラッシュで栄えた街です。戦後、生産量が減少し閉山した後は過疎化が進み、寂れた町になっていました。


その代りノスタルジックを感じさせる往時の町並みがそのまま残り、今は新しい観光の町となって生まれ変わっています。
このように屋根に煌(きら)びやかな飾りがあるのは道教の寺院です。仏教寺院は黄色い瓦で葺かれています。


金瓜石へ通じる汽車路(バス道)で、かなり上まで登りました。美しい入り江を見下ろしながら…


軽便路を歩きます。ガイドブックで見るより寂れているな…と思ったのも道理で、本当はこの上(山側)にある基山街という土産物屋や工芸品店が並ぶ通りが有名なのです。どうも時間がないので下の道を歩いたようでした。この辺りの古い民家はこのように屋根にコールタールを塗った布を張っています。


この少し先で、豎崎路(シューチールウ)という石段の道と十字形に交差します。


矢印が基山街(チーシャンチェ)と九ふん<国民>小学校を指しています。ここでの自由行動時間は僅か20分程。この間に見学とトイレも済ますという慌ただしさです。


大急ぎで豎崎路の急な石段を少し登ります。


一時、衰退していた九ふんが再び脚光を浴びたのは、1989年、ベネチア映画祭で金獅子賞に輝いた候孝賢(ホアシャオシェン)監督の映画「非情城市(ペイチンチョンシー)」の舞台になったことがきっかけです。映画には日本統治終了後から中華民国が台北に遷都するまでの台湾人社会が描かれています。特に、当時はタブーだった本省人(台湾人)と外省人(在台中国人)との抗争「2.28事件」(1947年)を取り上げたことで話題になりました。
  その舞台になった店がこの「阿妹茶酒館」というレストランです。


しかし日本人にとっては、宮崎峻監督の「千と千尋の神隠し」のモデルの町として有名です。阿妹茶酒館の向かい側にこんな看板を見かけました。ヨシモトの末成由美風の女性が番台に座っているお風呂屋…ではなくて喫茶店のようでした。(中国語で「湯」にはお茶、スープの意味もあります。)


外の景色が写りこんでよく分かりませんが、中には「千と千尋…」のお面などが飾ってあるようです。
山街まで登ると、トイレに行く時間が無くなるので元の十字路に帰りました。


十字路の角に建つこの立派な石造の建物は「昇平戯院」。1934年(変愚院の生まれた年)オープンした(廖さんによれば台湾で一番古い)映画館です。今は資料館のような形で保存されています。中に入ると当時のままのスクリーンを前にして座席が並んでいます。古い映写機やポスターの他に…


こんなチラシや


覗き眼鏡なども展示されていました。実は、ここは集合時間直前にトイレを借りに入ったので、ゆっくり写真も撮れませんでした。帰りは十字路から豎崎路の階段を別の駐車場に下りました。


台北へ向かうバスの窓から仏教寺院の黄色い屋根が見えます。今日の観光はまだ続きます。


台湾周遊の旅(8)

2013-03-17 09:09:41 | 旅日記

花蓮は有名な大理石の産地で、昨夜停まったホテルにもふんだんに大理石が使ってありました。太魯閣から花蓮への帰り道でこんな公園の横を通りました。歩道にも大理石が敷いてあります。


大理石の工場に寄りました。これは大理石の板を切断しているところ。


色んな製品が置いてあります。名前は忘れましたが、この石の模様はまるで山水画のようです。


広い工場内をバスで移動する間には「日光猴軍団」の施設もありました。博物館風の建物にきました。


入口の前にはずらりと十二支の像が並んでいます。変愚院の干支の台座の文字は「忠義傳家」。隣りのイノシシさんの「諸事如意」の方がいいなあ…。
 中に入ると芸術品的な石製品がずらりと並び「撮影禁止」。先ほどからずっと案内してくれた工場長?が、台湾で採れる各種原石の産地から製品の良し悪しの見分け方まで、立石に水、淀みない早口で説明。その流暢な日本語にあっけにとられていると、やはり日本人でした。その部屋の奥のカーテンを開けると…案の定ショッピング・コーナーがあるのでした。翡翠も猫目石もパワーを出す玉の腕輪も…変愚院夫婦には無縁の品で長く感じる時間でした。


今日は、花蓮から七堵まで特急列車で移動する予定です。ツァーではよく新幹線を利用しますが、これは西海岸側を走っています。「新幹線はコーヒーサービスがあるだけで、それもなかなか出ない。東海岸を走る鉄道は美しい海岸の景色を見ながら、のんびりくつろげる」とこれはガイドの寥さんの弁。
 バスが花蓮駅に着こうかというときに廖さんのケイタイに緊急連絡が入り「問題発生」。先発の貨物列車が七堵の手前で脱線して各列車が停まっているとのことです。


廖さんが駅員に説明を求めたり、会社(現地と日本の催行会社)の指示を仰いだりしている間、しばらく下車していいことになり駅へ行って見ました。スーツケースを並べた大勢の中国人や、現地の人、日本のツァー客で駅の内外は大混雑でした。10時35分発の列車に乗る筈でしたが、いつ出発するか見込みがつかないようです。あとの観光スケジュールもあり、急遽、バスで行くことになりました。昼食は列車内で弁当を食べる予定でしたが、山道を行くバスでは無理なので駅近くの食堂へ行きました。


11時、貸し切り状態の食堂で「台鐵弁当」を食べました。大きな豚肉のステーキや天ぷら、煮玉子、シシャモのフライ、野菜サラダまで入って80元(240円)プラスお茶(ペットボトル20元)。これだけでお腹いっぱいなのに、お詫びにとワンタンのサービス。美味しいスープに具たくさんのワンタンが10個も入っていました。これで60元(180円)は安い!


食事を済ませて12時前、バスに乗り込んで海沿いの道を北へ向かいます。太魯閣との分岐を過ぎると山道にかかります。海からすぐに断崖が迫り、地図を見ると鉄道と道路がもつれ合うように、幾つものトンネルを連ねながら続いています。


今日は右側の席で、海岸美は楽しめましたがスリル満点。


曲がりくねった山道をジェットコースターのように登り降りしていきます。


一つ間違えば太平洋へ真っ逆さま…。


結構、対向車もあり、それも時々ヒヤリとするほどのスピードで突っ込んできます。これまでにバイクの横転事故、車同士の事故を見ているだけに(このあともう一度クラッシュしている車も見た)、運転手の李さんの腕を信じるより他ありません。


おまけに崩落事故も多いのか、こんな処を過ぎると


復旧工事もあちこちで行われていました。


ようやく山道が終わって海岸線が横に見えるとヤレヤレ。和平という町だったと思いますが、駅前には代替バスでしょうか、ぎっしりと大型のバスが並んでいました。その中をすり抜けるように走って、さらに北へ。14時過ぎに着いた町(南澳?)のガソリンスタンドで、台北から迎えに来たバスに乗り換えました。これから又あの長く厳しい山道を運転して帰る李さんに、心からお礼を言って別れました。


台湾周遊の旅(7)

2013-03-16 08:09:07 | 旅日記

3月6日、花蓮(ホアリェン)のホテルで朝を迎えました。部屋のベランダから見る風景もいかにも南国らしい眺めです。
台湾周遊の旅も4日目。昨日ののんびりムードから一転、盛り沢山なスケジュールの一日の始まりです。7時10分にホテルを出発しました。30分ほど走ると太魯閣渓谷の入口に着きます。


太魯閣(たろこ)渓谷
花蓮県を流れる立霧渓が大理石などの硬質の岩盤を侵食して作り上げた美しい渓谷です。「東西横貫公路」とは標高3000m級の中央山脈を通り、花蓮と台中を結ぶ道路の名前です。


この美しい門にも「東西横貫公路」の文字が見えます。


このトンネルを抜けると白い橋が見えてきます。


「シャカーダン」歩道と読みます。ここから素晴らしい4.5kmの歩道が続いていますが、往復するには3~4時間かかります。


橋の欄干には100匹の獅子が並んでいますが、一匹一匹その表情が変わっています。


橋を渡り終えて再びバスに乗り、美しい渓谷を見下ろし、切り立った断崖を見上げながら上流に向かいます。




ここで橋を渡って引き返します。


河原や土砂崩れの後に見える白い石は全て大理石です。


今のように楽に太魯閣渓谷を観光できるのも東西横貫道路のお蔭ですが、その工事中に212人の尊い犠牲があったことを忘れてはなりません。長春祠はその霊を慰めるために建てられました。しかし、ご覧のような地形のために1958年に最初に建てられた場所(今の祠から水平に右に見える)から二度移築されています。


かなり遠く見えますが、急げば15分で往復できると聞いて急いで歩きました。


長春橋を渡り階段を降りると左手の岩窟に釈迦三尊が祀られています。




ここからトンネルに入ってみます。


このトンネルも人力で彫られたものです。



長春祠にお参りして、急いで元の道を引き返しました。