ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

道祖神

2006-06-30 16:08:43 | 旅日記
男と女の神様が仲睦まじく並んだ、微笑ましい道ばたの神さま
道祖神。安曇野を歩くと必ずといっていいほど、目にします。
今回はほんの少しだけのご紹介ですが…最初にちょっと珍しい
のを二体…。



「餅搗き道祖神」は始めてみました。安曇野巡りの前に寄った
穂高神社境内にあったものですが、実はこれは信州ではなく、
群馬県安中市の道祖神で、穂高町有明の人から神社に寄贈された
もので寛政八年の銘があります。
杵は男性、臼は女性を象徴しています。五穀豊穣、男女和合の
神様だけに、実に意味深長な表現ではありませんか。



千国街道、いわゆる塩の道は安曇野を南北に走っています。
今は過疎となった山村から、神社に移された道祖神ですが、
安曇野に多いものと違うのは砂岩で出来ていることです。



穂高町等々力。二十三夜塔や大黒様始め他の神様と並んで
いる右端の「握手像」は天保二年(1831)のもの。
穂高町の資料では町内にある125体のうち、このように仲良く
手を取り合った握手像が57体あり、一番多いようです。



同じく等々力の握手像。比較的新しく明治18年のものだそうです。



これも等々力の別の握手像。天保十年のものです。
道祖神には他に酒器を持ったもの、杓と扇を持ったもの、彩色された
ものなどがあるのですが、また次の機会に…。

安曇野・穂高町 (6月25日)

2006-06-29 10:36:41 | 旅日記


上に乗ると願い事が叶うという、東光寺吉祥門
(仁王門)前の大下駄です。
後ろの仁王様はかっての横綱・北の湖がモデル
だそうです。



東光寺向かいの本陣・等々力家。重文の長屋門の前で。
江戸初期には近くの川でサケが採れたようで、松本藩の殿様が
遊漁に来られたときの休憩所でした。

中に入ると、奥座敷から桃山風の須弥山石組みが美しい庭園を
見ることが出来ました。
私たちが近くの道祖神のことを訊ねると、受付の老婦人は「さあ、
たくさんあるので何処がいいかなあ…」と頼りない返事でしたが、
見学を終えると、大急ぎで探し出したという「道祖神巡り」の立派
なパンフレットを下さいました。



穂高川畔の「早春賦歌碑」。春を待つ安曇野を詠った作詞家・吉丸
一昌の胸像や歌詞が埋め込まれています。晴れていれば背後には
常念山脈が美しいのですが、雨が近い今日はぼんやり曇っています。



「なんで、あれが<道祖神>公園なんかねえ?」と等々力家の人が
言われた通り、小さな小さな公園に同じような道祖神が二体だけ。
実はこれ、NHK朝の連続ドラマ「水色の時」ロケ記念で造られた
ものです。

この後、道祖神を探して車を走らせましたが道の細いところが多く、
時間も遅く空模様も次第に怪しくなりましたので、奈良へ帰ること
にしました。
次の機会には徒歩で、せめて自転車で道祖神巡りをするつもりです。

池田町のラベンダー (6月25日)

2006-06-28 18:30:28 | 旅日記


安曇野の北、池田町中心部から八代峠を越えて夢農場へ行きました。
日当たりのいい山の斜面を利用してラベンダーが植栽されています。



6月17日からラベンダー祭りが行われています。今日は日曜日と
あって大勢の親子連れがラベンダー摘みを楽しんでいました。
最初の写真で紫色が疎らなのは、手頃なところの花は摘み取られた
後だからでしょう。指定の紙コップ1杯、500円で持ち帰れます。

この写真は斜面を少し登ったところです。孫たちとはここで別れて




帰りに池田町のハーブ園に寄りました。写真のラベンダーの他にも、
200種類以上のハーブを育てていて、隣接する道の駅「池田」にも
ハーブを使った多彩な商品が並んでいます。温室にも野外にもハーブ
の薫りがいっぱいに漂っていました。

戸隠から鬼無里へ (6月24日)

2006-06-27 17:24:05 | 旅日記


忍者村の帰りに戸隠森林植物園に寄りました。航だけが元気に
ザックを担いで一緒に歩きました。

後ろの戸隠連峰のスカイラインを見ると、前に近くのペンション
で泊まり、雨の中、高妻山に登ったことを思い出します。



バアバお目当てのミズバショウは、お化けのように大きな葉だけ
になっていました。今はこのクリンソウがきれいに咲いています。



別の道を帰ろうと山道を走りました。鬼無里への途中にあるこの
峠は、戸隠山(西峰)の素晴らしい展望台です。
左手には鬼無里を見下し、一夜山の向こうに北アルプス北部の山
が連なっているのですが、今日は残念ながら淡く霞んでいました。

鬼無里から白馬に出て、残雪の鹿島槍、爺岳を見ながら大町経由
で松本に帰りました。

戸隠チビッ子忍者村 (6月24日)

2006-06-27 16:33:56 | 旅日記


週末から孫たちの顔を見に、松本に行っていました。

土曜日、みんなで戸隠にある「チビッ子忍者村」へ。
「戸隠の大自然の中で、君も忍者になれる!!」というパンフの惹句
通り、レンタルの忍者服を着た子供達も走り回っていました。



この忍者屋敷と隣の(黄色い看板の)からくり不思議屋敷に入り
ました。どちらも真っ暗なお化け屋敷風で、迷路のようになった
狭い通路をからくり仕掛けの扉を探しながら進みます。
平衡感覚が狂う斜めの部屋があったりして、若い男女のグループ
もキャーキャー言っていました。



広い敷地内には、野猿の術、水グモの術、谷越えの術、小猿の
岩登りなどフィールド・アスレチック風の忍者修行?施設が
20以上もあります。これは「天狗の山越え」の一部です。



グラグラ揺れる「走り吊り橋」を渡っています。お兄ちゃんは
文字通り走って渡ったのですが…。



手裏剣投げは、二人とも少し重すぎたようで、なかなか思う
ように的に当たりません。
お土産には、ゴム製の手裏剣をパパに買って貰いました。

17年前の太郎坊宮

2006-06-22 17:37:37 | 旅の想い出
「前に太郎坊宮に行ったのはいつだったか?」と山行一覧を
データベースで検索しました。
千日山歩渉会の前身、千日町ハイキング同好会の平成元年
1月例会に三上山の帰りに立ち寄っていました。
そのときの写真です。現在の写真と比べてみて下さい。



すでに中腹までのドライブウェイはできていました。それでも
そこから鳥居の連続する720段の階段登りです。



本殿前社務所で正月の熊手を授かりました。赤い天狗の面が付いて
います。



湖東・箕作山から太郎坊山へ③ (6月18日)

2006-06-19 17:44:44 | 山日記
瓦屋寺から再び稜線に戻ると、なだらかな尾根の下りです。両側はマツタケ山
なのでしょう、「止め山」という標識があちこちにありました。ササで葺いた小屋
は監視小屋でしょうか。15分ほど下ると分岐があり、岩の散在する道を登ると
大きな岩が積み重なる上に出ました。太郎坊山の頂上です。



蒲生野を見下ろす、胸の空くような大展望を肴にランチタイム。
目の前は岩戸山から小脇山へ続く稜線。左の丘のように見えるのは鏡山と瓶割山
です。遠く雪野山が霞んで見えます。小脇山のずっと右手には昨年末に登った
津田山が頭を覗かせていました。



十分に展望を楽しんで太郎坊宮へ下りました。
本殿は去年から改築中で、仮本殿の横から「お帰り道」
をとりました。
神様の力で二つに分かれたという夫婦岩です。
「悪心を持つもの」がこの隙間を通るとたちまち岩に
挟まれてしまうという怖いところ。
私たちは幸い無事に通過できました。



今抜けてきた左側の男岩です。
鎖が付いていて登れそうですが…こんなことを
考えると挟まれるのでしょう。
前は広場になっていて展望が良かったです。
この写真の岩に向き合うように巨大な岩があり、
改築中の本殿はその岩にもたれ掛かるような
建築です。
その横を通り抜けて裏参道を下りました。



長い長い参道は最後は700段の急な石段になります。
下り終えて見上げる美しい容姿の太郎坊山。白く光るのは改築中の本殿です。
巨大な岩に抱かれるようにして、山腹に建物が点在しているのが分かります。
暑い陽射しにさらされながら、箕作山登山口へ続く山麓の道を帰りました。



湖東・箕作山から太郎坊山へ② (6月18日)

2006-06-19 16:52:39 | 山日記
薄暗い雑木林の稜線を行くと、何輪かのササユリに出会いました。
仄かな芳香とともに、そこだけ光が射して明るくなったような、
艶やかな美しさでした。



三等三角点のある小脇山は林の中で見晴らしもないので通過。
更に林の中の小さなアップダウンを二、三度繰り返します。
朝までの雨に濡れた下草でズボンはしとど濡れ、下を気にしていると顔に
蜘蛛の巣がまつわりつき、むっとする温気で鬱陶しいことこの上なし。
僅かに、白いドウダンツツジの花だけが慰めでした。



汗と湿気でびしょぬれになって着いた箕作山(373.5m)山頂。
まだ昼食には早いので、コーヒーを沸かして朝のティータイムにしました。
低山とはいえ、山頂の憩いのひとときは楽しいものです。日が射してくると、
少しだけ涼しい風が通り抜けて行きました。



太郎坊への途中で、寄り道して瓦屋禅寺まで往復しました。
先程頂いた「近江国岩戸山十三仏由緒」には、近江観音十八番札所で聖徳太子
開基と記されています。太子がこの地を巡幸のとき、「岩戸山上に紫雲棚引いて
金色を放ち…」、すなわち霊山と感応されて岩戸山への道を開かれたということ
です。この付近にも大岩が多く、神秘的な感じがします。
本堂は珍しい茅葺きで、境内も広い大きい寺院でした。大きな金色の観音像が
立つ広場からは、眼下に拡がる近江平野の眺めが見事でした。



湖東・箕作山から太郎坊山へ① (6月18日)

2006-06-19 11:31:53 | 山日記
千日山歩渉会6月例会で湖東の箕作山から太郎坊山を歩きました。
午前7時半、小雨のぱらつく中を千日町発。八日市に着く頃には雨も
あがりました。写真背後に見える「安土町健康作りセンター」から
雨上がりの道を登山口へ向かいます。



登山口は竹林の中にあり、ここから急な石段が続きます。
湿気が高く、すぐに汗びっしょりになりました。



四国八十八ヶ所霊場を表す石仏が、道の両側あちこちに佇んでおられます。
この岩戸山中全体では、その数160体とも200体に及ぶともいわれています。



箕作山の南端にある岩の積み重なった山が岩戸山です。その直下の大岩に
聖徳太子が爪で十三の仏像を彫ったという伝説があります。
写真左手のお堂はその大岩にもたれるように建てられています。
十三仏は秘仏で年に一日しか開扉されないそうで、「遠いところ来られたのに、
すみませんなあ…」と世話をしている女性が申し訳なさそうにいわれました。
右側の建物は二階建ての立派なお籠もり休憩所です。

<帰ってから「近江 山の文化史」を読み返すと、このお堂は「不動堂」で
祀られているのは「不動明王」となっている。どのみち、十三仏は薄れて
不明瞭だそうだが、もう少しよく確かめればよかった>



境内を抜けるとちょっとした岩場の登りになり、大岩の上の展望台に出ました。
交代で広大な景色を楽しみ、少し登ると岩戸山の頂上です。
紅白の幕を巡らした大岩に登ると、ぼんやりと煙る琵琶湖が見えました。



こんな石、見つけた!

2006-06-19 08:54:30 | 四方山話
昨日は千日山歩渉会の仲間と、近江八幡市西北の箕作山から
太郎坊山への稜線を歩きました。

途中、東側へ少し下って瓦屋禅寺にお詣り。そこで、こんな
霊験あらたかそうな石を見つけました。



写真ではちょっと読みにくいですが「猛虎石」と彫ってあります。
もちろん敬虔な気持ちでタイガース必勝を祈願したのですが、
対オリ10連勝はなりませんでした。

*山行の模様は後ほど…