ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

私の関西百山(30) 古光山

2013-11-30 09:32:26 | 私の関西百山

古光山(953m) <室生火山群>
【こごやま】倶留尊山、亀山から南に続く稜線上にある。石英岩質で鋸の歯を連ねたようなアルペン的な風貌をもつ。天狗が住んでいたという伝説が残る。

 大峠

1997年3月4日、曽爾村役場の前から林道を大峠まで乗り入れる。立派な「ふきあげ斎場」があり、納骨堂の裏手から見上げるばかりの頭上にあるピークに向かって杉林の中を一直線に直登する。『確かにこの勾配はただごとではない。なにしろ足を水平に置く場所がないので、アイゼンワークの練習をするように斜面にフラットに靴を置かねばならず、10分も登ると足首が痛くなった。その代わり高度は面白い程稼げる。』灌木帯の尾根らしいところに出て40分ほど登って小さいピークを過ぎ、すぐまた急坂の登り。

南峰(5峰)から次の4峰までが岩稜の岩尾根で、縦走路のハイライトだが、ちょっと岩の感触を味わっただけで、あっと言う間に終わってしまった。

 古光山

残雪の上にでた岩を踏んでいくと、あっけなく三等三角点の埋まる頂上に着いた。



古光山より倶留尊山、尼ヶ岳、大洞山(2008.5.16 )1997年には周囲は灌木に囲まれ、僅かに枝越しに倶留尊山が見えただけだった。

ここから後古光山に向かうが、地図を出すのを怠ったため大失敗。『道標は頂上手前で右に急降下する道を指していたが、ぐるぐる動くので信用できず尾根を直進してしまう。雪の上に何か大きな動物の足跡が残る広い道になり、松林の中を下っていく。

 頂上直下から古光山

10分ほど歩いておかしいと気が付いて引き返す。しかし気勢を削がれ、帰りのことも考えて後古光山はまた次の機会に残す。南峰でゆっくり周囲の展望を楽しむ。南東に三峰山のどっしりした山容、南東には10日前登った高見山。その右手遠くに大峰の山々が青く霞んでいる。東に住塚、国見山。その右の鎧、兜は、ここからだとあの怪異な姿に見えず平凡な形だ。

 長尾峠

2008年5月16日。北側の曽爾高原から登る。杉植林の中を緩やかに登った長尾峠が登山口になる。後古光山へは、林の中に延々と続く木の階段道を登る。いい加減あき飽きする頃に階段は終り、土の感触が嬉しい登りになる。大きなリスが目の前を横切って大きな木に飛びつき、トンボ返りして元の笹原に逃げ込んでいった。なだらかな尾根道となり、のんびり歩く。展望が開け、左に尼ヶ岳や大洞山、右に住塚山や屏風岩から鎧・兜岳と続く稜線が見え、

行く手には後古光山と古光山の頂きが並んでいる。

 後古光山

再び林の中の急坂となるが、登り切ると後古光山(892m)の狭い山頂だった。背後に亀山から二本ボソに続く稜線、尼ヶ岳、大洞山、三峰山、局ヶ岳と遮るものない大展望だが、頭上からさんさんと降り注ぐ真夏のような陽光に早々と出発する。

下りは上りにもまして急な斜面で、岩や木の間に張られた太いロープを頼りに下る。

薄暗い林の中に大きな岩がごろごろする処を通り、二重、三重にロープが張り巡らされた急斜面の下りになる。「少年自然の家」を利用する子供たちのハイキングコースになっていて、そのために整備が行きとどいているようだ。

 フカタワ

勾配が緩んで気持ちのいい疎林となり、フカタワと呼ばれる後古光山と古光山の鞍部に下る。曽爾と御杖を結ぶ道の通る峠でもあり、気分まで広々と明るくなる。古光山へは更なる急坂を、ロープや木の根の助けも借りて登る。灌木帯を少し登ると三等三角点の埋まる山頂に飛び出した。帰りは元の道をフカタワへでて林道「古光谷線」を下り、林道入口から緩やかな舗装路の登りで駐車場へ帰った。
【コースタイム】曽爾高原駐車場10:25…長尾峠10:40…後古光山11:35~11:40 …フカタワ12:15…古光山12:40~13:10…フカタワ13:35…林道古光谷線入口14:00~14:05…駐車場14:25


私の関西百山(29) 倶留尊山

2013-11-27 08:16:03 | 私の関西百山

倶留尊山(1038m) <室生火山群>
【くろそやま】三重・奈良の県境をなし25kmに連なる室生火山群の主峰である。山名は自然信仰の名残と思われる倶留尊石仏から来ている。東の三重県津市美杉町側は柱状節理の見られる急な断崖を形成しているのに対し、西の奈良県宇陀郡室生村側は曽爾高原と呼ばれるなだらかな草原帯で、お亀池を中心にした池の平はススキで有名な景勝地になっている。

 

二本ボソとの最低鞍部より倶留尊山

初めて大阪山友クラブ例会で登った時は東側の上太郎生からで、雨の中の山行だった。『…上太郎生で降りて広い道を傘をさして歩く。開墾地から山道になり、少し急な道を歩いて亀山峠へ。(ここまでノンストップ)。稜線で昼食。付近はワラビが一面に顔を出していた。なだらかな稜線を二本ボソへ。ちょっと双六辺りを思わせる楽しい登り。ここから、いったん心配になるほど下り、林の中の滑りやすい道を登ると、倶留尊山頂上だった。キリションで展望効かず、すぐ下る。亀山峠に近づく頃ガスが晴れ、眼下にお亀池、前に国見、高見の山々が見える。スケールは小さいが美しい景色だった。傘をさして街道へ下る。(69.05.25)』その後、バス利用のときは殆どこちら側のルートだった。

1972年には幼稚園児で亀山まで登った子供たちも、小学校高学年になった5年後はテント泊で倶留尊山に登った。1977年5月7日、同じ家族構成のご近所のSさんと8人で、狭い林道を倶留尊高原へ登り、二張りのテントを張る。見事な夕焼けに住塚から鎧の稜線が黒々と浮かび上がり、やがて降るような星空に変わる。夜、野犬がうろついたり、他のテントで3時から起き出す奴がいたりで、あまり眠れなかった。

8日。ウグイスや名も知らぬ野鳥のコーラスで夜が明ける。朝食後、撤収して倶留尊へ。雲一つない快晴。お亀池より稜線に向けて直登。快調に二本ボソへ登り、いったんコルヘ下って最高点へ向かう。ツツジの紅、アセビの若葉の薄紅が新緑と競い、イワカガミやスミレの可憐な花が登りの苦しさを慰めてくれる。頂上よりの眺めも申し分なく、みんな満足。帰りは峠から亀山へ登り、連休の最期を楽しむ人で賑わうお亀池で遅い昼食をとり、帰途につく。

その後も何度か登ったが、すべて昔の林道が立派な車道となった奈良側からのアプローチである。1982年5月には77年のキャンプサイトは大きな駐車場になり、亀山峠に大きな展望図が立っていた。それでも付近ではワラビやゼンマイがビニール袋一杯に重くなるほど採れた。



稜線から池の平を見下ろす。正面に連なる曽爾の山々は左から住塚山、国見山、兜岳、鎧岳。(Oct.2004)

その後、池ノ平周辺は年を追うごとに整備され、近くには「国立・曽爾青少年自然の家」などが建設された。

 NOV.2001

  Oct.2004

この山は草原が緑もえる春も良いが、やはり曽爾高原のススキが銀色に波うつ秋が登山の好季である。



2001年に行くと二本ボソの下で入山管理料500円が必要になっていた。

 (紅葉の山頂・
Nov.2001)

最近では2010年11月に二人で登った。



池ノ平の遊歩道に鉄柵とライトアップ用の灯篭がずらりと並び、道幅も広くなっていた。何人ものカメラマンが三脚を立てて逆光に光るススキを狙っていたが、残念ながら前の年に比べても極端に少なく貧弱なススキ原に変わっていた。



快晴で二本ボソからは伊賀富士・尼ヶ岳、大洞山。東側には伊勢の局ヶ岳や高見山の鋭鋒も見えた。



帰りは吹き飛ばされそうな強風の亀山を通り、40年前の思い出を辿りながら、紅葉の林の中を下った。


私の関西百山(28) 尼ヶ岳・大洞山

2013-11-25 08:16:09 | 私の関西百山

尼ヶ岳(958m) <室生火山群>
【あまがたけ】山名の由来は山頂部が尼僧の頭に似ているためという俗説があるが、新日本山岳誌によると、高所を意味する「アマ(天)」からきているという。谷文晁の日本名山図会にも「天岳」と記載されている、伊賀一の高峰で伊賀富士と呼ばれる美しい山である。

大洞山(雌岳985m)<室生火山群>
【おおほらやま】三角点のある雌岳と最高点1013mのある雄岳からなる双耳峰である。山容が山伏の吹く法螺貝に似ているので大螺山という別称がある。

*尼ヶ岳と大洞山は大タワという鞍部を挟んで北と南に対峙しているので、私たちは続けて登ることが多い。ここでも一つの項にまとめた。

最初にこのニ山を登ったのは1971年9月12日である。当時、所属していた大阪山友クラブの地域研究グループ8人で登った。『タクシーで太郎生に入り、民家の間を通って山へ取りつく。稜線へ出るまでの道が、田の中を通ったりして、かなりややこしい。尼ヶ岳へは峠からかなりの急登で、潅木を両手で持ってよじ登る感じとなる。大洞へは人の通った後がなく、薮漕ぎをくり返して道を探す。稜線へ出れば顕著なピークを3つ越えて、最後の急登で大洞山に着く。日の暮れかけた道を急いで、元の太郎生の集落に降りる。』当時の山日記の全文だが、当時はまだ、あまり歩かれていなかった様子である。写真も残していない。

6年後の1977年4月10日に、千日町ハイキング同好会例会で大洞山へ登った。小学生だった子供たちも含め21人で名張に着いたが、長瀬付近で山崩れのためバス不通。やむなくタクシー4台に分乗して杉平から登った。帰りはキキョウ平より東海自然歩道を中太郎生へ。迎えのタクシーが峠で事故があって遅れ、また1時間以上待たされた。事故現場の峠で対向のトラックとのすれ違いに肝を冷やしながら名張へ帰った。

大洞山の南山麓には三多気の桜で有名な真福院がある。参道はもとより、ここから仰ぐ大洞山も桜で埋まっている。(1987年4月)

 倉骨峠より尼ヶ岳

1990年代になると子供たちは成長して、町内の同好会は中高年の大人だけになった。毎年夏には北アなどに登るので、1990年8月5日には10名で白山のトレーニングに行った。マイカーで下太郎生から林道・倉骨線に入り、倉骨峠に駐車した。

大洞山の二峰は西側をまき、一峰の石段状の下りを終えると大タワに着く。尼ヶ岳へは標高差250mを一気に登りつめるのでかなり厳しい。頂上は広い草地で二等三角点が埋まっている。

 尼ヶ岳頂上より大洞山

2000年代、同好会が町内以外のメンバーを加えて千日山歩渉会となった後も何度かこの二山を登ったが、2005年6月19 日には14人のメンバーで歩いた。
『…暑さもうなぎ上り。この時期の低山で涼しいところといえば一押しの、この二山で今月の例会は決まり。』…尼ヶ岳へはところどころに階段を交えた標高差300mの急坂だが、ヒノキ植林の中は風が通り、ひんやりして気持ちがいい。

小タワからはススキ原のカンカン照りとなり、苦しい登りを終えて三等三角点の埋まる、開けた山頂に立つ。帰りは大タワを過ぎると苔むした石段の道で、東側から肌寒いくらいの冷たい風が吹き上げてきて快適だった。

峠から大洞へは三ノ峰、四ノ峰と辿り、林の中の急登で雄岳三角点にたつ。雌岳山頂からの展望も曽爾の山々、先程後にした雄岳、尼ヶ岳と申し分なかった。植林に入った所で昼食にする。予想通り涼しい風が吹き通り、天然のエアコンである。ヤッケを着る人までいたほど涼しかった。東に石段を下り、しばらく舗装路を歩いて自然歩道に入る。この道は日陰ではあるが、大雨で少し荒れたように思った。…しばし下界の暑さを忘れた納涼例会だった。
【コースタイム】倉骨峠09:40…大タワ09:50…尼ヶ岳10:20~10:35…倉骨峠11:10~11:20…大洞山(雄岳)11:57~12:07…大洞山(雌岳)12:23~12:30…分岐12:35~13:05(昼食)…倉骨峠14:10
*道もはっきりしなかった頃から、林道や登山路が次第に整備されてきた様子が写真でもうかがえる。*


小春日和の朝(2013.11.23)

2013-11-23 10:19:05 | 今日の大和民俗公園

寝過ごして6時を過ぎてwalkingに行きました。それでも夜明けが遅くなったので、歩いている人もまばらです。

一周目終わり近く花菖蒲園の手前で。皇帝ダリアの上にお月様がかかっています(7時01分)。

公園入口近くの紅葉が朝日に映えています。(7時10分)
ここから里山の道に向かいます。



里山の道北端付近から民家群を見下ろしたところです。陽が当たると素晴らしい紅葉なんですが…。

生垣のドウダンツツジの色が鮮やかです。



もう一度、皇帝ダリアを見に行きました。この一群の花だけ朝日を浴びていました。(6時40分)

 

8時、我が家近くまで帰ってきました。桜並木の色が赤から茶色に変わり、落葉が盛んです。
季節は晩秋から初冬へ移っていきますが、今日は穏やかな小春日和になるでしょう。

 


私の関西百山(27) 錫杖ヶ岳

2013-11-22 10:43:00 | 私の関西百山

錫杖ヶ岳(677m) <布引山地>
【しゃくじょうがたけ】伊勢と伊賀の国境となる布引山地北端の山。槍のように鋭い山容を修験者の錫杖に見立てた山名であろうか。古くは百丈岳とも呼ばれ、雨乞いの霊山であるとともに、東海道名所図会に「錫杖嶽峩々と聳えて風色斜めならず」と記されたように、東海道の名勝の一つでもあった。山頂部は花崗岩の露頭で、土地の人は「雀頭(じゃくとう)」と呼び、展望に優れている。4度登っているが、うち錫杖湖へ二度降りた。一番印象に残る、最初に二人で登った思い出を記す。

1994年の初登り(1月8日)に前年秋、霊山からその尖鋒を見て登高欲をそそられていた錫杖ヶ岳に登る。名阪国道加太トンネルを過ぎて向井ICを降り舗装の林道に入る。登山口の標識から良く整備された道を、荒れた谷を左手に見ながら緩く登る。

30分足らずで柚之木峠に着き、南側、経ヶ峰方面の展望が開ける。ここで直角に左に折れ、明るい尾根道を登る。
  桧と雑木の混じる狭い尾根道を小さく登り下りして、落葉樹の枝越しに頂上の見える所に来る。ここから胸をつくような急坂になり、木の根が階段のようになっている所を木の幹につかまって登る。足下に丈の低い熊笹が見られるようになると、

岩場が混じるようになり、ニヵ所ほど連続して鎖が設けられている。



難なく登り切ると、大きな花崗岩が積み重なったような頂上についた。



先着のパーティに写真を撮って貰い、ゆっくりと四囲の展望を楽しむ。まさに360度の眺めで、

北に油日・那須ヶ原山・高畑山・鈴鹿峠、

その右に綿向・雨乞・鎌・野登など、南は経ヶ峰から青山高原、西に霊山と見飽きない。

眼下の錫杖湖の姿も美しい。やがて人声がして数人のパーティが上ってきたので、頂上を明け渡し、湖への降り口を少し下った屋根付きの立派な展望台で昼食にする。元の道の下りは本当に楽で、辺りの植物を見ながらあっという間に峠に着いた。再び暗い荒れた谷間に沿い、車を停めた林道に帰る。天候は申し分なく、短い所要時間で大展望が楽しめ、幸先の良い初登りとなった。

<コースタイム> 駐車地点9:35…登山口9:45…柚之木峠10:10…頂上11:02-11:23…昼食後発11:58…登山口12:56


私の関西百山(26) 油日岳

2013-11-20 08:51:33 | 私の関西百山

 油日岳(698m) <鈴鹿山脈>
【あぶらひたけ】鈴鹿山脈の南端部、甲賀・伊賀の県境に位置する。甲賀・油日神社のご神体山で、山頂には岳明神の祠がある。山名は「山頂に降臨した大明神が油の火のような大光明を発した」ことに由来するという。

1994年11月20日、町内のハイキング同好会のメンバー6人で登った。山麓の油日神社に詣でて今日の無事を祈り、林道終点まで車を進める。小暗い杉林の中、右手の小さい流れに沿っていく。大きな岩のあるところから山道らしくなる。花崗岩の崩れたような道、落ち葉を敷き詰めた道と次第に高度を上げ、勾配も強まり電光形に登るようになる。最後の水場を過ぎ、熊笹が現れると一登りで稜線縦走路のT字路に出た。右へ小さいアップダウンで698Mの頂上。40分で登り着いたことになる。



椿の花の咲く平地の一角に嶽明神の祠があり、西、北方だけ展望が拡がる。昼食を済ませ、縦走路を東に向かう。T字路からはクヌギ、カエデ、ブナなどの雑木林の中、勾配の強い、滑りやすい登降が連続する。705Mの東油日岳で右に折れ、砂地に露岩と小さい松が点在する明るい尾根に出る。左前方に那須ヶ原山が大きく、目指す三国山へ続く稜線が始めて望めた。局ヶ岳、錫杖ヶ岳の特徴ある姿も見える。



蟻の戸渡りのような痩せ尾根を過ぎ、かなり降って、また展望のない林の中の急坂を登ると三国山だった。帰路は同じ道を引き返した。

2009年5月1日。三重県側の南登山口からゾロ峠へ登り、北へ縦走する



奥予野森林公園にある南登山口には「東海自然歩道ゾロ峠へ」の道標の下に「壬申の乱・大海人皇子美濃への通路」「源義経平家追討のため四国への道」などの標識があり、何となく歴史の香りが濃い。整備された沢沿いの道を登り、最後はヒノキ植林の階段道であまり峠らしくないゾロ峠に着いた。

立派な道標は「ぞろぞろ峠」となっている。休まずに左の「倉部山」へ向かう。小さなガレ場を通り植林帯の中を急登すると、細長いピークの上で倉部山の標識があった。



右手が大きく開けたガレ場の上で、正面に錫杖ヶ岳、その右に経塚山が望めた。

ここから三国岳へは虎ロープの張ってある急登である。あちこちでイワカガミの花が迎えてくれたおかげで疲れも感じず、思ったよりも楽に三国岳に着いた。「イワウチワもあればいいのに」と言っていると、タイミングよく♀ペンが何輪か咲いているのを見つけた。しかし蕾も多いカガミに比べ、ウチワの方は花期が終わったらしく少し萎れた感じだった。ここからの急な岩場の下りには、真新しい白いロープが張られている。 下りきった鞍部から登りかえすと忍者岳である。 確か前は東油日岳と呼ばれていた728mピークで、縦走路中での最高点になる。

さらにキレット状のところや崩壊の進んだ痩せ尾根上を交えてアップダウンしていき、加茂岳の標識を過ぎるとスギの古木が影を作る油日岳に着いた。

嶽明神の祠に手を合わせ、昼食。滋賀・三重の県界尾根を下って登山口に帰着した。花と展望の楽しい山歩きに満足した一日だった。

右端の鞍部・ゾロ峠から左へ倉部山683m(細長いピーク)、三国岳711m(美しい三角錐)、忍者岳728m(東油日岳)、加茂岳720m、左端の油日岳へ続く、この日歩いた縦走路を見返る。


私の関西百山(25) 宮指呂岳

2013-11-19 10:11:13 | 私の関西百山

宮指呂岳(946m) <鈴鹿山脈>
【くしろたけ】鎌ヶ岳から南に延びる国境稜線の上にあり、山名は標高をそのまま当て字にしたものである。短時間で歩けるが、頂上付近は巨大な岩が多く変化があり、展望にも優れている。

小岐須渓谷への標識で巡見街道を左折、正面に鈴鹿南部の山々を見ながら走る。御幣川林道の大石橋近くに駐車する。ダムの横を通り、沢沿いに登る。⒑分ほどでカワラコバ谷コースとの分岐に来て、左のヤケギ谷に入る。何度か沢を渡り返しながら高度を上げる。源流の様相を見せるガレを横切ってジグザグ道を登る。雑木林の中、山腹の捲き道になり、笹原を切り開いた中を小さな沢をいくつも越して行く。

笹がなくなると明るい尾根道になり、ここからはベニドウダンの林の中を行く。やがてぽっかりと目の前が開け、大きな花崗岩がいくつも立つ「東海展望」に飛び出した。

目の前に電波塔のある野登山、

そこから仙鶏尾根が仙ヶ岳の双耳峰に伸びている。あそこを歩いたのも快晴の夏の日だったことを思い起こす。仙ヶ岳から宮指路岳に続く稜線がアライ谷を隔てて鋭く連なり、手前右手には三体仏と呼ばれる岩峰が見える。ずっと左手に伊勢湾、四日市方面が霞んでいた。少し休んでいるうちに人が増えてきたので頂上に向かう。

 三体仏と野登山

途中、崩れやすい風化した花崗岩の上を降りて三体仏岩を見に行く。



頂上手前のピークからは、紅や白のドウダンツツジを前景に鎌ヶ岳、御在所ヶ岳、入道ヶ岳が鮮やかに見えた。しかし、宮指路岳の頂上は狭く展望もないので、写真だけ撮って先を急ぐ。すぐに林を抜け大きく視界が開けて、馬乗り岩という巨岩が立つ広場に出た。

岩の上に登ってみたが、とても風が強く吹き飛ばされそうで寒い。

広場の端、笹の陰に腰を下ろして昼食をとり、ゆっくり休んで出発。笹原の中を少し行くと右に直角に曲がり、小岐須峠に出た。カワラコバ谷を下る。次第に荒れた沢に沿った急な下りとなり、山腹をへツルような狭い道を慎重に下る。やがて落差の大きい見事な法丁の滝を見て、どんどん下っていくと元の分岐に出た。久しぶりの鈴鹿の山は二人の期待を裏切らず、素晴らしい展望と爽やかな緑の嵐で迎えてくれた。(1998.05.31)

*鈴鹿南部には他にも文中の野登山、仙ヶ岳など「私の関西百山」リストに挙げたい山があるが、この宮指呂岳と次の油日山の二山にとどめた。*


私の関西百山(24)  綿向山

2013-11-18 10:26:40 | 私の関西百山

綿向山(1110m) <鈴鹿山脈>
【わたむきやま】雨乞岳の西、鈴鹿山脈が滋賀県側に突出した西端に位置する。近江平野に水をもたらす日野川源流にあり、古くから近在の人々に崇敬されてきた近江4霊山の一つである。



<表参道を登り、水無山北尾根を下る>
日野町西明寺からの表参道から三度登った。1992年3月20日、初めて町内のハイキングクラブで来たときには道路工事が行われていて、水木野集落の空地に置かせて貰った。

 ヒミズ谷出合(May,2006)

今は御幸橋に駐車場があり、20分ほど歩いたヒミズ谷出合小屋が表参道登山口になる。頂上まで整備された立派な道が続き、各合目ごとに標高と頂上までの距離が示された標識が設置されている。樹林帯をジグザグに登り五合目に着くと避難小屋があり、奥の平林道からの道と合流する。ここから道は右手にヒミズ谷を見下ろしながら、一度も折れ曲がる事なく七合目まで続き、この山の大きさが分かる。

 (Mar.2002)

七合目には小さな祠があり、行者コバ(山伏コバとも)と呼ばれる所である。昔はここでお山に登る服装を整えたという。2002年 3月24 日、日本山岳会関西支部例会の時は、ここで雪が降り出してみるみる銀世界になった。
八合目を過ぎると、右手下に金明水が見え、年中、涸れないこの水場がちょうど標高1,000M地点である。



最後は急勾配の108段ある石段を登り、古い鳥居をくぐると正面に綿向神社奥の院の祠、

 (Mar.2002)

その右に大きなケルン状の青年の塔が立つ頂上の広場に出る。

 (Oct.2006)

左に大きな山容の雨乞岳、中央に鋭峰・鎌ヶ岳、この写真では入道ヶ岳までだが、ずっと右の野登岳の鉄塔まで見える。御在所岳は雨乞岳に隠れて見えない。

 コルより文三のハゲ (Oct.2006)

帰りは水無山北尾根を下る。「文三のハゲ」を横に見る鞍部まで下りて、急坂を水無山(995m)に登る。
 1992年には深い熊笹の中に道標もなく、ルートファイティングに苦労した。ヒミズ谷へ入り込んでしまって、分かりにくい踏み跡を辿って、何度も沢の流れを渡り藪漕ぎを繰り返してヒミズ谷を下った。10年後にははっきり立派な道が続いていた。水無山は灌木に囲まれた狭い頂上で、少し先に展望の良いところがあり、東峰との間は深いキレットになっている。

 (Oct.2006)

北尾根の道は崩壊した箇所や狭い足場のトラバースが多く、のんびり歩ける表参道の登りとは一転して、少し緊張させられる、それだけに山歩きの味わい深い道である。登りとほぼ同じ二時間でヒミズ谷出合の登山口に帰り着いた。

<竜王山より展望とイワウチワの尾根道縦走>
2000年5月3日、日野町の「綿向山を愛する会」のHPで「健脚向き」とされているコースを二人で歩いた。
西明寺から水木林道に入り竜王山登山口に駐車。最初からかなりの急坂だが、20分程登ると傾斜が緩んで山腹を捲く。山頂直下の新しい階段道になり、見上げるような急勾配を5分ほど頑張ると、太い松の木が何本もまばらに立つ龍王山頂上である。



 小さい石を祀った小台地で、南東に綿向山、雨乞岳が見える。南西には水田が美しい幾何学模様を描く近江平野が拡がり、すぐ下にブルーメの丘、蔵王ダム、その上に猪ノ鼻ヶ岳が懐かしい姿を見せている。

 送電線のあるピーク
 
綿向山へは東へ延びる稜線を行く。道の両側は満開のアセビの林が続き、その上でコブシが咲き誇っている。15分ほどで送電線鉄塔が建つ草地のコブが二つある。ここは360度の大展望地で、雨乞、綿向はもちろん琵琶湖、三上山、近江平野などが一望のもと。向かい側の山腹にはまだ色濃いヤマザクラとコブシ、咲き始めたミツバツツジが散りばめられ、ありふれた表現ながら絵のようだった。

少し下ったコル状の所から再び厳しい急坂を登り切ると、思いがけずイワウチワの大群落に出会った。両側の疎林の中はもちろん、登山路の足元にもずっと並んで咲いている。やがて917峰の標識がある。いったん下って登り返すと小さな岩稜の突起になり「綿向山へ1時間15分、龍王山へ50分」の標識。この辺りから尾根は大きく右(南)へ回り込んでいくが、ここでも素晴らしい展望が得られた。下りきった所からも水木林道へ下る道がある。次の登りはコース全体で一番険しく、木の根を掴んで身体を引き上げるような急坂だが、道の両側に咲くイワウチワが激しい登高を慰めてくれる。また下り、雑木林の中の急坂を登る。最後はクマザサの急坂となり、登りきると雨乞岳から来る稜線上に出た。懐かしい鈴鹿の峰々がずらり並んで出迎えてくれる。道はここで右に直角に折れ、綿向山までは笹原の緩やかな尾根が続いている。

下りは表参道を五合目で右に折れ、スギやヒノキ植林の静かな北参道を奥ノ平に出る。谷沿いの林道歩き20分ほどで朝の駐車場所に帰った。
<コースタイム>水木林道駐車地点8:50…龍王山登山口8:55…龍王山9:35~9:50…917m峰10:50 ~11:00…雨乞岳への分岐11:50…綿向山12:00~12:30…行者コバ12:50…五合目13:00…奥の平13:20…駐車地点13:40