ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

台湾周遊の旅(6)

2013-03-15 08:41:19 | 旅日記

台湾周遊の旅3日目(3月5日)は西海岸南部の高雄から東海岸ほぼ中央の花蓮まで338kmのバス移動です。7時45分にホテルをでて、総合民芸品店でのショッピング・タイムののち東へ向かいます。

東海岸が近づくと、ウナギの養殖池がたくさん並んでいます。


台東までの間には、このような原住民の集落がいくつか点在しています。


昨夜食べた釈迦頭の栽培されている町を通過します。町ごとに違った果物を生産していますが、特に釈迦頭は台東周辺で始めて栽培され、今も主要な産物の一つになっています。


海岸沿いに出ました。残念ながら左座席は山側で海岸美は見えません。すぐ横を鉄道が通っています。


台東市に入りました。昼食はここの郷土料理です。


麻婆はあまり辛くなく日本人向きです。台東は気候・地質も稲作に適したことから、ここのお米は特に味がいいそうです。そのご飯にかけて頂きました。

右上はユリの花を、スイカの手前はハイビスカスの花を甘酢に漬けたもの。魚は今日もスズキでした。
食後は台東から65キロ北東にある本日唯一の観光ポイント、三仙台へ向かいます。


三仙台 元は一つの岬が海水の浸食で先端が離れ、三つの岩の小島となった観光の名所です。


三仙台の名前は、八人の仙人が海を渡った時、うち三人の仙人が岩の上で休んだことが由来です。アーチ形の美しい橋が架かり岩まで行くことができますが、ここも時間が足りません。


せめてもと、駐車場から整備された遊歩道を橋の袂まで往復しました。ガジュマルの林を抜けると目の前に美しい太平洋の海原が拡がります。晴れていて気温は高い筈ですが、海からの風が強くてそれほど暑さは感じませんでした。


一周すると2時間以上かかるということで、二つ目のアーチから引き返し…。


橋の上から美しい海岸線を眺めてバスに帰りました。


再び11号線を北上。静浦の北回帰線標誌(記念塔)で15分間の休憩。
北回帰線は23度26分22秒を通り、西海岸台湾海峡側は嘉義を通っています。この線より南は熱帯で北は亜熱帯とされています。


夏至の正午にはスリットの真上に太陽が来るので塔の影はなくなります。
18時半頃ホテルに着き、夕食を済ませて早めに休みました。
 


台湾周遊の旅(5)

2013-03-14 09:16:20 | 旅日記

台湾周遊の旅、二日目の夕方は明日予定していたスケジュールを前倒しして、高雄の寿山公園に登りました

高雄(かおしゅん)は台湾南部にある台湾第二の都市で、標高200mのテーブル状の台地・寿山の麓に位置しています。


古くから良港として知られ、現在も海運業が盛んで世界各地への貿易の根拠地になっています。
僅かの時間でしたが、寿山公園からの展望を楽しんだあとホテルに荷物を置いて、夕食場所のレストランに行きました。


海鮮料理の夕食はエビや貝など様々な海の幸尽くし。魚はスズキでした。


飲み物はこの台湾ビール。紹興酒もありますが、先日頂きものの20年物を飲んだ後なので、旅行中はずっとこのビールで通しました。(ホテルの部屋で寝酒にウィスキーは飲みましたが…笑)
さて、今夜も町に繰り出します。


六合国際観光夜市
夜市(Night Market)は台湾の各都市で何箇所も見られますが、この夜市は台湾国内や海外の観光客も多数訪れ、現地のBLOGによれば2010年の夜市NET投票コンクールで一位になった夜市です。六合二路と中山一路との交差点から西へ、長さ数百mに渡ってずらりと屋台が連なります。屋台が並び始める18時頃からこの一帯は歩行者天国になります。 


まず入口で強烈な匂いを放つのがこのお店。臭豆腐(チョウトウフウ)は発酵させた調味液に豆腐を漬けて焼いたものですが、通りすがりに嗅いだ匂いだけで「もう結構」です。しかし食べると病み付きになる味とか…。


珍しい果物が並ぶお店。日本語がとても上手なオジサンが呼び込んでいます。


上のお店から横道に入ったビンロウの屋台。このような屋台やお店は、これまでにもたくさん見かけました。


檳榔は写真のヤシの一種で、種子やすり潰したものをキンマ(胡椒科の植物)の葉にくるんで少量の石灰と一緒に噛みます。種子にはアルカロイドが含まれているので、しばらく噛んでいると唾液の混ざった鮮やかな赤や黄色い汁が口中に溜まります。汁は飲み込むと胃に悪いので吐き出します。軽い興奮作用があり、あとで私たちのバスのドライバーも山越えの眠気覚ましに買っていました。かっては「檳榔西施」(西施=美人の代名詞)と呼ばれる露出度の高い若い女性が道端で売っていましたが、現在は規制されています。それでも高雄ではそれらしい派手な看板の店を一軒、バスの窓から見ました。


この店は蛇料理の店で、スープや蛇酒、蛇肉料理などを売っています。屋台には「青蛙なんとか」という店もあってギョッとしましたが、これはタピオカジュースのことでした。


焼酒螺(ショーチューレー)。巻貝を蒸留酒や米酒に漬けて味付けした香ばしい酒の肴です。いろんな種類が並んでいます。




ゴーヤのジュースを始めいろんなジュースのお店。


焼き海老のお店。このような有名店には長い行列ができています。


中でも長い行列は、この胡椒餅(フウチャオピン)のお店。私たちも行列に並んで焼きあがるのを待ちました。


胡椒餅が焼きあがるまで。左上から時計回りに…1.発酵した小麦粉の生地を丸めて、胡椒や醤油で味付けした豚挽肉やネギを包む 2.高温に熱した窯の壁に1を張り付けて →<上の胡椒餅の看板のある写真>蓋をして焼きあがるのを待つ  3.(右下)香ばしい香りがしてきたら一個づつ壁からはがして 4.出来上がり。はい、お待ちどう…。




ホテルに持ち帰った果物と胡椒餅。赤い色の果物は「蓮霧(リエンウー」。リンゴのようなナシのような歯触りと味でした。1個40元=120円の胡椒餅は外側の白胡麻をまぶした皮がカリカリに焦げていて、中の具は胡椒が効いてとても美味しかったです。


釈迦頭(シージアトウ)Milk Custard Apple
お釈迦様の螺髪のような珍しい形で、中は房になっていて果肉の中に一つづつ種が入っています。よく熟れた果肉はこのようにミルク色でとろりとしていて、程よい甘さでした。

明日は台湾の東海岸へ向かいます。


台湾周遊の旅(4)

2013-03-13 17:07:31 | 旅日記

台湾周遊の旅二日目の午後は台南へ向かいます。日月潭から1時間半ほどで到着した台南は清代初期には首府として台湾の政治・経済・文化の中心地として栄えました。日本統治時代に首府は台北に移りましたが、しばらくは台湾第二の都市として発展しました。たくさんの古跡が残っていて「台湾の京都」とも言われる熱帯の町です。


台南は小吃(シャオチー=中華の一品料理)などのグルメの町としても有名です。ちょうどお昼どきに着いて、飲茶料理を賞味しました。左上から大根餅、餃子・焼売・肉団子、炒飯、海老春巻、春巻とデザートの水菓(フルーツ)の西瓜。どれも日本人に馴染みやすい味で美味しく頂きました。お腹が膨れたところで赤嵌楼へ。


赤嵌楼
1652年、当時台湾を占領していたオランダ人が移住していた漢人と衝突したのを機に、この地に高さ10mの城壁をもつプロヴィンティア城を築きました。


漢人が紅毛楼また赤嵌楼と呼んだ当時の城の模型です。現在は清時代の海神廟と文昌閣が建っています。


1661年、鄭成功がプロヴィンティア城の攻略に成功、さらにもう一つのオランダの拠点・ゼーランディア城も陥落させ、ついにオランダを台湾から追放します。鄭成功は清に滅ぼされた明の復興のために台湾に渡り、抵抗運動を続けた人です。始めて台湾に独立政府を樹立して、その後の開発に貢献したので台湾の人に非常に人気があります。
 彼は
お母さんが日本人で、福松と呼ばれた幼年時代を7歳まで平戸で過ごしました。「国姓爺」と呼ばれた彼の活躍は、日本でも近松の人形浄瑠璃、歌舞伎や映画でもお馴染みです。これは庭園に建つ「鄭成功に降伏するオランダ人」の銅像。


文昌閣の内部には、清時代にここにあった「蓬壺書院」で学んだ学生の試験用紙、先生の添削した宿題?などの文物が展示されています。二階の出口は煉瓦を積んで造形してありますが、この接着剤はもち米のとぎ汁に砂糖、牡蠣の殻を焼いて灰にしたものを混ぜたものだそうです。


外の回廊から見下ろすと、こんな遺構が見えます。1944年に発見されたプロヴィンティア城の北東稜堡基礎部分です。この頑丈な砦も、上と同じように煉瓦を接着剤で積み重ねて作られています。


文昌閣と海神廟の間にある「紅毛井」。オランダ人が掘ったこの井戸には、有事の時の避難用の通路が井戸の底から安平の古城まで通じていたと言われています。


乾隆帝の時代に反乱を平定した福康安を讃える碑文が、亀の背の上に立って並んでいます。上には二匹の竜が彫られています。龍が生んだ9匹の仔のうち一匹が亀に似た神通力をもつ動物になったという伝説に由来します。
 赤嵌楼の見学を終えて台南を離れ、今回訪れる都市では西海岸南端になる高雄へ向かいます。




蓮池潭(リャンチータン)
高雄市郊外にある周囲約5kmの美しい淡水湖です。いくつかの美しい建物を見ながら湖畔を歩きます。楠の並木道が続き美しい公園風に整備されていますが、寥さんの話では以前は雨が降るとドロドロで歩き難いところだったそうです。
左に見える三層の中国式四阿は「五里亭」、その右には高さ21mの道教の神様・北極玄天上帝像が見えます。それぞれ湖の中に浮かんでいて、長い橋を渡るようになっています。


蓮池潭最南端の龍虎塔の横で自由行動になりました。この虎と竜は、それぞれ後ろの七重塔の入口と出口なのですが、3月1日から塔の内部は補修中で入ることができません。このことは出発前に旅行社から知らされていたのですが、内部の美しい彩色や塔上からの景色をTVで見て楽しみにしていただけに、とても残念でした。


もう少し先へ進んでみます。湖畔から塔へ渡る橋は何度も曲がりくねっています。上海の豫園で九曲橋という同じような橋を渡りましたが、ここの橋はそれよりかなり大規模です。悪魔はこのような曲がった歩き方は出来ないから入れないようにしてあるとか…。


この塔に入るには必ず龍の口から入り、虎の口から出なければなりません。台湾では龍はもっとも善良な動物、虎は最も邪悪な動物なので、こうすることによって人間の業(ごう)が清められると信じられているのです。阪神虎軍!加油!!


一寸だけ橋の上を歩いてみました。左の二つの塔は関羽を祭る春秋二つの塔。その間に騎龍観音という名の、龍に乗った観音様の像があります。


蓮池潭の名前は池に多くの蓮が植えられていることから付けられました。だいぶ数が少なくなったそうですが、この辺りではまだ花が見られました。


中国から来たらしい大勢の観光客が橋を渡って行きます。そろそろ時間が来たので集合場所に帰ります。


もう一度、間近から迫力あるトラさんを見て蓮池潭を後にしました。


梅が見頃になりました(2013.03.12)

2013-03-12 14:04:38 | 今日の大和民俗公園

「台湾周遊の旅」は1回お休みを頂いて、今日の大和民俗公園の様子をご覧頂きます。
入口の紅白のシダレ梅も咲き揃いました。




暖かい春の日差しに誘われて梅見の人で大賑わいです。


梅林の上部からは金剛、葛城の山並みもくっきりと見えます。




梅の香りに酔いながら、園内を二回りしました。「里山の道」ではコゲラがドラミング、里山池のガーコは柵の横まででてきて餌をねだっていました。

イヌノフグリ


菜の花

 

オドリコソウなど春の草花も次々咲き始めています。


台湾周遊の旅(3)

2013-03-11 09:01:32 | 旅日記

3月4日、台湾2日目の朝は台中のホテルで迎えました。8時頃、ホテルを出発して台中の観光にでかけます。


宝覚寺(正式名は宝覚禅寺)は1928年に創建された、釋迦牟尼仏、薬師仏、阿弥陀仏の三尊を祀る禅宗寺院です。
本堂は大きな屋根に覆われて保護されています。前に置かれたゾウは、仏像がなかった時代に聖なる動物とされた初期仏教の名残りでしょうか?




境内の金色に輝く大仏は未来仏の弥勒菩薩。56億7千万年後にこの世に出現して人類を救済する仏様です。(ちなみに過去仏は阿弥陀如来、現在仏は釈迦如来)。に
こやかな、このお顔は日本では七福神の布袋様としてお馴染みです。


像の高さは30.1m。裏側に入口があり、おヘソは覗き窓、内部は民族文物館になっていますが、現在は修理中で入ることはできません。近づくとその大きさが実感されます。


大仏には触れられませんが、代わりに大理石製の像を頭、耳、肩、腹と撫でると、それぞれにご利益があるそうです。


本堂の釈迦三尊に詣でて外に出ると、


中央下部に見える石塔の中央には、戦時中に亡くなった日本人や台湾出身で日本軍人として戦い戦死した人の慰霊碑があります。お墓なので写真は遠慮しましたが、お墓の前には線香ならぬ火の付いたタバコが烟を上げていました。「それからのちは一本の 煙草も二人で分けて飲み…」軍歌「戦友」を思い出しました。右の建物は約1万4千人の遺骨が納められている納骨堂です。


宝覚寺をでて次の観光地・日月潭へ向かいます。


ビルの上に鎮座する神像を見ながら台中市内を走り抜けて…


日月潭(リーユエタン)に着きました。標高750m地点にある台湾最大の湖です。


湖を見下ろす文武廟には孔子、武聖関公(関羽)、開基神明が祀られています。


この廟は日本統治時代に日月潭ダム建設で沈むことになった二つ村のお堂とお宮を移築して出来たものです。1969年、中国北朝宮殿形式の美々しい形で再建されました。


建物が真新しいのは、1999年の大地震で損壊したのを2003年に再建したためです。金色の鈴がずらりと並んで吊るされています。何かの願掛けでしょうか?


参拝者が次々にご本尊にお参りを済ませ、お神籤を引いていきます。これには決まった作法があって、日本のように簡単には行かず一寸面倒です。


まず、この三日月形の二枚の木片を持って神様に姓名と生年月日を告げて自己紹介。次に神様に聞きたいことを念じて、木片を床に投げます。


このように裏と表が出たら「お神籤を引いても良い」という神様の許可がでました。表と表、裏と裏ならダメのサイン。三回までトライできます。


下の長い棒が入った筒を持って振っていると、あ~ら不思議…一本だけ浮き上がってきます。棒には番号が書いてありますが、その番号で良いか再度、木片を投げて確認。表と裏でなければ引き直し。神様のお許しが出たら抽斗(引出し)がずらりと並んだ箱から自分の番号の紙片を引き出して、解説所で説明して貰います。ああ~しんど…。


お廟の前から日月潭を見下ろしたところです。湖畔には果物や小吃を売る屋台が並んでいます。左の丸い球を抱えた唐獅子も湖を見ています。


下へ降りるとこんな感じです。


この湖の名前については「真ん中の島を境にして北側が円形に近いので日潭、南側は三日月形なので月潭と呼ばれる」というのが定説です。文武廟のあるのは南側で、月潭はちょうど右の付きだした岬の裏側になります。
 
しかし或る台湾のBLOGでこんな文章を見つけました。
遊水裡社記云:「其水不知何來,瀦而為潭,長幾十里,闊三之一,水分丹碧二色,故名為日月潭
漢字字典によると「闊」には「間があいている」という意味がありますので、「三つの隙間のうちの一つが水を朱色と碧い色に分けているので日月潭という名になった」と素人が解釈してみましたが、水が朱色にはならないですよね。
別のBLOG(台湾ing)には「夕暮れ時が美しく、秋に見られる日月潭の夕焼けは台湾八景の一つに数えられています」と記されて真っ赤に染まった湖の写真が載せられています。ひょっとすると時として「丹碧二色」の光景が出現するのかも知れません。
 残念ながらこの日はどんよりした曇り空で、湖面は鉛色の空を映していました。


台湾周遊の旅(2)

2013-03-10 09:30:25 | 旅日記

三峡・清水祖師廟
清水祖師(本名・陳昭應)は北宋時代の役人で退職後、福建省安渓県清水巌に隠居。橋を掛けたり道路を補修するなど社会事業に献身したので人々の崇敬を集め清水祖師と呼ばれました(我が国の行基を連想しますね)。安渓の人は祠を建て祖師廟と呼びました。後に安渓の人が台湾に移住して三峡を定住地にした時、この土地の守護神として祖師を祀りました。


祖師には様々な神秘的な伝説があります。例えば、天変地異や災いが起こるときに祖師像の鼻が落ちて人々に危険を知らせたことから「落鼻祖師」とも言われます。災難除けや福を授ける神様として人々から篤く信仰されています。


祖師廟は台湾美術の宝庫で、建物の至る所に芸術的な素晴らしい技巧がこらされています。回廊や柱の美しく精緻な彫刻は目をみはるばかり。


石の階段手摺の石版。中国の故事にちなんだ場面が刻まれています。


祖師廟は戦争や火災で二度の再建後、1947年に台湾のガウディと呼ばれる李梅樹教授により三度目の修復が始まり、教授没後の今も続けられています。まだまだ観ていたいところですが、残念ながら集合時間が近づきました。


長福橋の上には屋台もたくさん並んでいました。長い橋を渡り終えて唐獅子の守る門を出ます。
台湾料理の夕食を済ませて花蓮へ向かう途中で、新竹のランタン・フェスティバルに行きました。


新竹(シンツー)
旧暦正月15日は「元宵節(げんしょうせつ)」と呼び、古くから台湾四大節句のひとつとされています。新しい年が明けて(旧元日=今年は2月10日)から最初の満月の日(2月14日)で、全てが新しく始まることを祝います。この日は家々でたくさんのランタンを灯し、家族でご馳走を食べたり外で月を愛でたりします。


ランタン・フェスティバルは毎年この時期に台湾各地で行われますが、今年のメイン会場はここ新竹の高速鉄道駅前広場です。今年の会期は元宵節当日から3月10日まで。私たちがこの時期にツァーに参加した目的の一つも、この催しを見ることでした。


会場の入口には伝統的なランタンが並んでいます。




上はお目出度い動物代表・龍と鳳凰、下の段は今年のテーマ「アニメ、テクノロジー、カルチャー」に因んだ展示です。


様々な工夫を凝らした色とりどりのイルミネーションが、鮮やかに夜空を飾ります。


三重県から出典のブースには「忍者ハットリくん」や「鳥羽水族館、パールアイランド」が登場し、台湾の観光客誘致に一役を買っていました。


うっとりするような幻想的な美しさです。


一番の見ものは今年の干支に因んだ「蛇」。様々に色が変わります。




15分に一度は音楽に合わせて回転しながら煙を吐き…


極彩色に輝きます。




人混みの中を約1時間、夢のように美しくも妖しい世界に迷い込んだような一刻でした。


台湾周遊の旅(1)

2013-03-09 14:21:05 | 旅日記

鶯歌 (イングー)
台湾で最大の陶芸の街として有名で「陶都」と呼ばれています。「台湾10大都市周遊5日間」の旅は、この町から始まりました。
この陶板製案内図の前で現地ガイドの廖(リョウ)さんから説明を受けたあと、自由に街を散策します。



中国・清の時代に尖山地区で良質な粘土が発見され窯を設けたことから始まった陶器の町・鶯歌。なかでも鶯歌老街はかって尖山埔路と呼ばれ、両側に製陶工場が並んでいたそうですが、今は工場は郊外に移転して陶磁器の店を中心とした町並みになっています。


往時の工場を偲ばせるこの煙突は、時間(休日は10時半~19時半の30分ごと、平日は11時~19時の1時間ごと)がくると噴煙を挙げて時報の役割をしています。


鶯歌の焼き物は、日本統治時代には「尖山焼」の名前で台湾全土に流通しました。



一際目を引く赤煉瓦作りの建物は大きな市場です。


中に入ってみると陶器や玉、石製品などの店がぎっしり並んでいます。これは玉製品を売るお店です。


老街の突き当りの塀も、いかにも陶器の町の雰囲気です。


町の出口に流れる川の護岸。「鯨飛豚躍鶯歌領航」の文字とイルカ?の絵が見えます。クジラが飛び、ウグイスが歌うのは分かりますが…ブタが躍るとは??


対岸の建物は古い町工場の佇まいです。


今回のツァーの足となった最初のバスは、新車で内装も美しく座席もゆったりとしています。
次の目的地・三峡へは僅か20分足らずで着きました。


三峡(サンシア)
ここは三峡渓、大漢渓、横渓の三つの川が交わる場所で、日本統治時代に今の名に改められるまで三角湧と呼ばれました。


バスを降りて三峡渓に架かる長福橋を渡ります。長い橋の途中にはいくつか四阿もあり、足を休めて川を眺めることもできます。


清水祖師廟の屋根が見えてきました。橋を渡り終えて左に折れると廟の前の小さい広場に出ます。




その先に続く賑やかな通りが民権老街


赤煉瓦の立派なバロック式建築が、かってお茶や樟脳、木材の輸出で栄えた町の面影を残しています。
亭仔脚と呼ばれるアーチ型のアーケードが目を引きます。


通りには雑貨や小吃(ちょっとした食べ物)、お土産屋などが並んでいます。


このお店は有名店なのか長い行列ができていました。「猪血コウ」はブタの血の入った餅を串に刺して、甘辛ソースを塗り、ピーナッツ粉と香菜をまぶしたものです。どんな味がするんでしょう?


飴屋さんの店頭パフォーマンス。飴を長~~く伸ばしてから折りたたんでいきます。

 

広場に帰ると、音楽に合わせて子犬が次々と輪を飛び抜ける路上パフォーマンスをしていました。
再集合して清水祖師廟に入ります。(三峡の項、続きます)
 


台湾周遊の旅(2013.03.03~07)

2013-03-08 20:44:40 | 旅日記

3月3日から7日までH社のツァーで「台湾10大都市大周遊」の旅をしてきました。
5日間で台湾の主な観光地を巡る慌ただしい旅でしたが、初めての台湾は思いのほか見所が多く、気候も過ごしやすい季節でしたので楽しい旅になりました。

詳しいレポートは後程にして、まず5日間のハイライトをご報告します。


1日目(3月3日)
10時、関空を発ち3時間余りのフライトで12時過ぎ台北に着きました。まず陶芸の故郷といわれる台湾最大の陶磁器の街、「鶯歌 (インクー)」を散策。


ついで台湾北西部の三峡(サンシア)にある清水祖師廟へ。もっとも美しい建築といわれています。

夜は新竹で行われている華やかで幻想的なランタン・フェスティバルを見ました。


2日目(3月4日)
昨夜泊った台中では宝覚寺に参拝。高さ30.1mの弥勒菩薩(布袋様)が有名ですが、戦争で犠牲になった日本人の墓地があります。


日月潭(リーユエタン)は台湾最大の湖。写真左上の山から見ると日と月の二つに分かれて見えます。


湖を見下ろす文武廟。孔子、武聖関公(関羽)、開基神明が祀られています。


台南へ移動して「赤嵌楼(チーカンロウ)」見学。17世紀オランダ人によって建築された台南を代表する名所の一つです。


泊地・高雄に移動。蓮池潭(リャンチータン)を散策。残念ながら、この竜虎塔は内部改装中で入場できませんでした。




高雄・寿山公園から市街を展望したあと、六合観光夜市を見て歩きました。


3日目(3月5日)
台湾南部の都市・高雄から東海岸の台東市の北方約65キロの三仙台へ。


花蓮へ行く途中で、北回帰線(北緯23度26分)を通過します。その記念塔前で10分間停車。
この日は殆どがバスでの移動で走行距離は338km。7時45分に高雄を出て18時40分ごろ花蓮(ホアリェン)のホテル着。さすがに少し疲れました



4日目(3月6日)
今日はスケジュール一杯の日。まず台湾の代表的な景勝地・太魯閣(タロコ)渓谷へ向かう。断崖、絶壁、清流、滝と素晴らしい景観を楽しみながら、しばらく散策しました。


続いて大理石の工場見学。この資料館の中は撮影禁止。奥にはもちろん玉やメノウなどのショップがあります。


予定では花蓮から七墸まで特急列車で移動する予定でしたが、前方で貨物列車が脱線事故を起こし、急遽バスで行くことになりました。断崖絶壁の上の曲がりくねった道を走るスリル満点のドライブでした。


九ふん(人偏に分)はもと金の採掘地だった廃坑の町。今は独特の情緒を持つ新たな観光地として脚光を浴びています。


台北に着き、夕食後に故宮博物館で数々の名品を観賞、さらに「TAIPEI101」の89回展望室から台北の夜景を見下ろしました。ホテルに着いたのは22時を過ぎていました。


5日目(3月7日)
最終日は本来、午後の出発まで自由行動。ゆっくり寝て疲れを癒し、ホテル周辺の古い市場などを見て、午後は昨日見残した中正記念堂を訪れました。これで全ての日程を終えて、17時20分、台北空港をテイクオフしました。
台湾は往復のフライトも短い上に時差も1時間で楽に行くことができます。街であった人達も日本人に好意を持っている人が多く、笑顔で親切に接してくれますし、日本語で通じるところも多いので個人旅行もいいと思います。今回は下見のつもりで、機会があれば再訪してゆっくり歩き廻りたい国の一つになりました。


庭先の春(3月8日)

2013-03-08 13:22:22 | 我が家の歳時記

今の季節は啓蟄の初候で、「蟄虫戸を啓く(すごもりのむしとをひらく)」候というそうです。
留守をしていた5日間のうちに、わが家の庭もすっかり春めいてきました。


白梅や…


スミレや…


ヒマラヤユキノシタも咲き始めました。気温も上がり、ますます春の気配が濃くなりました。


大和な雛まつり(3)

2013-03-02 18:25:05 | 大和郡山歳時記

明日は楽しい雛祭り。今日は義妹夫婦と4人で郡山の町巡りをしました。紺屋町は昔は紺屋さんが並びこの堀で紺染の布を晒したところです。


大納言秀長の幼名「こちく」を店名にしたお土産屋さん。左のビニール張りの「金魚すくい道場」も有名です。




「こちくや」の店先のお雛様


堀を挟んでお向かいにあるクリーニング屋さん「奈良屋」のお雛様


箱本十三町は秀長から認可された自治組織です。紺屋町もその一つ。箱本館は江戸時代から続く藍染商の町屋を改修し公開しているのが箱本館「紺屋」(瓦屋根の建物)です


藍染めに関する様々な資料を展示しているほか、藍染めの体験もできます。


「紺屋」のお雛様

 

園融寺は融通念仏宗の寺院で、赤膚焼の名匠・奥田木白の墓があります。


その園融寺のお雛様


園融寺近くの鈴木家のお雛様。徳川時代中期の内裏様(享保雛)


徳川後期の三人官女(宮中の女官)と三人衛士(仕丁ともいいます。三人いるのは笑い上戸、泣き上戸、怒り上戸とか)。