ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

今日は何の日(2012.11.24)

2012-11-24 06:00:00 | 我が家の歳時記

今日は私・変愚院にとって「初めて単独で積雪の山に登った記念日」です。

1959年11月21日、高校の恩師で山の先輩のY先生と初冬の八ヶ岳へ向かいました。ところが、列車の中で先生が急に激しい腹痛を起こされて上諏訪の日赤に搬送され、緊急手術、入院。22日、私の25歳の誕生日は先生の病室で過ごしました。
23日、一人で出発。快晴。ザイルなどは置いてきましたが荷物は大きいし、八ヶ岳農場からゆっくり左俣をつめて赤岳鉱泉で泊まりました。同宿 は僅か3 人でした。
 
 
24日、ガリガリの薄雪を踏んで赤岳登頂を果たしました。目の前に黒い富士が見えたのが印象に残っています。フォーカルプレーンのシャッターが凍りついて山頂での写真がありません。頂上滞在僅か5分余り。登りか下るときか…寒さで震えながら撮った貴重な一枚がこれです。落葉の裾野の道を、感傷的になりながらトボトボ下って病院へ帰りました。山を始めて1年後のことでした。

 
また、この日は変愚院夫婦の「最高標高点到達記念日」です。赤岳からちょうど40年後の1999年11月24日、私たちは山の後輩の男女二人とともに、カラパタール 5545m の頂上に立ちました。間近に見る世界最高峰のエベレストに比べると3,300mも低い標高ですが、私たちにとっては薄い酸素と高山病に悩まされながらの精一杯のトレッキング・ピークでした。


 手の届く近さに見えている頂上が限りなく遠い。鉛の塊を付けられたように重い足を引きずり、何歩か登る。立ち止まり、薄い空気を精一杯、肺に送り込む。再びのろのろと足を運ぶ。
 急に目の前が開けた。濃紺の空の下、神々が住まうという白銀の嶺が私たちをぐるりと取り囲んでいる。ケルンに結ばれた五色のタルチョー(祈願旗)がバタバタとはためく。とうとう、辿り着いたのだ。長い間の夢であった5545m、カラパタール頂上に! 
 
上はホームページ「カラパタールの蒼い空」の一節です。(宜しければ本文もお読みください
 

さて、明11月25日から二人で5度目のネパールへ行ってきます。今回はトレッキングではなく観光旅行ですが、初めてのサランコットの丘からの展望や、古都パクタブル散策。また旧知のカトマンドゥやパタン、ポカラの町がどのように変貌しているか…。最後に訪れた2006年でも乞食や野良牛は姿を消し、近代化が進んでいましたので、あの喧騒と混沌とした独特の街の雰囲気は味わえないかも知れません。(写真は1997年のカトマンドゥ・タメル)
 
10日間、BLOGをお休みしますが、帰ると詳しくレポート致します。では行ってきます。アバ ジャンチュ。

今日は何の日(2012.11.22)

2012-11-22 00:00:01 | 過去の今日

今日11月22日は「小雪」。
平清盛を演じる松山ケンイチ君の奥さんとは関係なく、「二十四節気の一」僅かながら雪が降り始める頃です。

また「いい夫婦の日」。語呂合わせではありますが、れっきとした通産省制定の日です。
アメリカ合衆国では「感謝祭」Thanksgiving Day。これは11月22日ではなく、毎年11月第4木曜日が祭日です。
 
 
そして日本では1934年のこの日、大阪で変愚院が産声を上げました。(写真は生後一ヶ月、12月21日のお宮参り)
 
 
 
それを記念して(ではなく、これも毎年、感謝祭の朝にTurkey Pardonという恒例行事として)アメリカ・ワシントンのホワイトハウスでは、大統領によって二羽の七面鳥がされる運命から赦免されます。

プロ野球の話をします。1950年11月22日、初めての日本シリーズが行われました。セが毎日オリオンズ、パが松竹ロビンズ。松竹が勝ちましたがMVPは別当薫でした。
 

1978年の11月22日、阪神タイガースはドラフト会議で、今年同様4球団による競合の末に江川卓を指名しました。あの「江川の耳はロバの耳」と甲子園の虎ファンに野次らせた、あの江川スグルであります。前日、読売巨人軍はアメリカ留学を切り上げて急遽帰国した江川と入団契約。「ドラフト会議の前日は自由の身分だから、ドラフト外で自由に契約できる」という、真に自分勝手な屁理屈によるものです。いわゆる「空白の一日」の翌日のドラフト会議です。この抜け穴に対してセ・リーグ鈴木会長は契約無効を宣言、ジャイアンツはこれに抗議してドラフト会議を欠席します。翌年の江川ー小林繁の電撃トレード、男の意地を見せた小林は巨人戦負けなしの8連勝!…そして♀ペンは小林繁の大ファンとなりました。(おしまい)

キンセンは未だツボミも見えず(2012.11.20)

2012-11-20 13:52:04 | 今日の大和民俗公園

 

今日は民家群の開館時間を待って公園へ行きました。

 


町屋集落のドウダンツツジは真っ赤に色付きました。
 

宇陀・東山集落に入りました。白いサザンカの花がもう散り始めています。
 

民家庭先に咲いていた背の低いキク科の花。
 

吉野集落・旧木村家
 

児童広場のメタセコイヤ。すっかり色付きました。
 

里山入口の紅葉
 

児童広場上から矢田山
 

 

菖蒲園北側の冬の花・皇帝ダリアが咲き始めました。

 


立冬の末候は「金盞香し(きんさんこうばし)」。
「きんさん」は水仙の花のことだそうですが、我が家でも公園でも水仙はまだ蕾も見当たりません。
 

信貴山のトラさん達

2012-11-18 11:05:28 | 四方山話

 

 

聖徳太子が信貴山で「寅年(582年)寅の日寅の刻」に毘沙門天王を感得し、その守護により物部守屋を破った(587年)ことを感謝して、自ら毘沙門天王像を刻み本尊として祀ったことが信貴山(朝護孫子寺)の起源です。
そのため信貴山にはたくさんのトラが奉納されています。前からの写真も含めて一部をご紹介します。

 

赤門近くの石のトラ。(灯篭の裏側で、ちょっと分りにくい所にあります)
足元には奉納された小さい金属製の寅。なぜかイノシシが一匹混じっていました。

 

 大寅「世界一の福寅」阪神タイガースの優勝を祈念してVサイン!今年はこの台が撤去されていました。

 

 

こちらは可愛い「子トラ」ちゃん。

 

千手院境内の「笑寅」。境内最古だそうです。トラ「ン、俺が笑うてるように見えるか?」

 

千手院・夢叶堂の「撫で寅」、左は「撫で兎」。

 

 

千手院横の「三寅胎内くぐり」
長~~い胴体の途中に燈明を灯した祠があります。また、足元は西国八十八ヵ所のお砂踏みを象っています。

 

お水堂前の親子トラ。夜な夜な出歩くためか、檻に入れられています。

仔トラにして、この迫力!

 

このトラもかなり古く苔むしてます。

 

 成福院境内のお大師さん足元のトラ。頭を撫でられてピカピカに光っています。

 

 

開運橋欄干のトラ

 

最後にご存じ・寅まんじゅう。あっさりした餡子の味が絶妙です。


紅葉の信貴山から高安山へ(2012.11.16)

2012-11-17 20:19:45 | 今日の大和民俗公園
 

先週の「山の辺の道」で大和の秋を、いたく気に入った丸さんから「紅葉が美しい手頃な山は?」とのお尋ねがありました。ちょうど一年ぶりに信貴山に行くつもりだったので、お誘いして急に一緒に行くことになりました。

 

 
10時、信貴山駐車場に車を入れて石段を登ります。はや参道の燃えるような紅葉が出迎えてくれました。(Photo by Mau-san)
 

絵馬堂の古い扁額などをみて、大寅の前で記念撮影して赤門を潜ります。境内はどこも紅葉や黄葉で美しく彩られています。

 
 
千手院へ下り、銭亀さんや夢叶う堂にお参りした後、なが~~いトラさんの胴体の中でお砂踏みをしました。胴体の両側に顔があり、どちらが入り「口」ということはありません。
 
 

石段を登って参道に帰り朝護孫寺本堂にお詣り。七福神の一神・毘沙門天王をお祀りしています。「朝護孫子寺」の名は、命運上人が醍醐天皇の勅命により毘沙門天に病気平癒を祈願したところ、たちまちに快癒したことによって「朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所」として賜った勅号です。
 

舞台作りの本堂からは東に斑鳩の町の向こうに大和青垣の山々、南には金剛・葛城と素晴らしい景色を眺めることができました。写真は本堂の階段を下る途中からの玉蔵院方面を見たところです。帰りに、ゆっくり参詣することにして山頂にある「空鉢護法堂」への参道に入ります。
 

大きく折り返しながら赤い鳥居が続く参道を登っていきます。お参りを終えて下ってくる人と挨拶しながら登り、しだいに汗ばんでくる頃、奥ノ院への分岐に着きました。
 
 
 
すぐ上の台地は「信貴山城址」。天正5年、松永久長が織田信長の大軍を相手に50日にわたる籠城戦を繰り広げたところです。山頂は寺域で立ち入れないためか、ここの木の枝に何枚か山名板が下がっていました。
 

山頂の空鉢護法堂では、信者の方が熱心にお祈りをしていました。台湾出身で大阪にお住いの若い女性も真剣にお参りしていました。お堂前の展望台のベンチで一休みして展望を楽しみます。曇り空の去年と打って変わって今日は素晴らしい快晴で、正面に二上山から葛城・金剛と続く山並みが一直線に並んで見えます。その左には大和平野の東を区切る連山や台高、右には遠く大峰の山々も霞んで素晴らしい展望でした。
 

奥ノ院分岐に引き返して高安山へ向かいます。急な坂道の途中で奥ノ院への道と別れ、少し笹原の水平道を歩きます。この辺りから細い道の両側にはイノシシの掘ったらしい跡がずっと続きます。弁財天の滝への道を分け掘割状の道を登ったり、雑木林の中を歩いたりしていくと右手に「高安城倉庫群址」があります。『日本書紀に出てくる高安城の城は「シロ」ではなく「キ」と読む。白村江の戦で敗れた天智天皇が唐・新羅軍の来攻に備えて全国に築かせた防衛のための砦の一つが「倭国の高安城」である。ここは1958年に発見され、礎石は倉庫の址と言われたが調査の結果、少し年代が下がるようで確証はない。』(去年の変愚院BLOG)今日は生駒山や矢田丘陵がきれいに見えました。ここまで大阪側から来たハイカー一人に出会っただけの、静かな道でした。
 
 
元の道に帰り、しばらく緩やかに登ると信貴生駒スカイラインを横断して向側の山腹を登ります。大阪側に入るとさっきまでの青空が嘘のように曇り空になりました。しばらくで「一元の宮」前の広場に出ました。右に行くと信貴生駒縦走路の十三峠への道になります。まっすぐ広くなった道を行くと「高安山気象レーダー観測所」を経て西信貴ケーブル・高安山駅への道。一元宮の囲いの後ろから急坂を登ると、サザンカの大木が美しい花を咲かせていました。以前より少し切り開かれて広くなった高安山山頂(487.4m)で記念写真を撮ってレーダー観測所へ。
 

ここで昼食のつもりが、今日は車が入って工事中だったので少し先のケーブル駅の方へ行ってみました。河内平野を見下しながら落ち葉を踏んで緩く下っていくと「開運橋」があり、下を潜って荒れた道を下ると信貴山下駅に出る標識がありました。その横に「イノブタに注意」の標識。先ほどから気になっていた「道荒らし」の正体はこの動物の仕業だったようです。どこから逃げ出して住み付いたのでしょうか?
 

開運橋から引き返して一元宮前の石垣に腰を下して昼食。何人かのハイカーが行き来します。じっとしていると寒くなり、食後のコーヒーで温まりました。同じ道をイノブタ談義をしながら引き返します。今掘ったばかりのような生々しい跡もありました。最後の急坂を上って奥ノ院分岐から、鳥居の道を下ります。信貴山に帰ると不思議なほどまた真っ青な空に帰りました。本堂近くまで降りると朝より参詣客の数がぐんと増えて賑わっていました。登りでお詣りし残した境内を巡ります。どこも紅葉の真っ盛り。これは変愚院の大好きな撮影スポット。弁天堂前の宝寿橋の上から見た池に写った紅葉です。

 
十三重塔へ下る途中の「千手の銀杏」。枝振りが千手観音の手に似ています。また銀杏が仏の合掌した手に似ているので「仏手白果」といいます。中国原産で日本ではここと高千穂神社にしかないそうです。
 

帰りは仁王門を出て千体地蔵を拝み、前の「曽我の家」でお土産の「寅饅頭」を買って駐車場に帰りました。ちょうど見頃の紅葉の山道を歩き、顔も赤く染まるような楽しい一日でした。

初冬の「山の辺の道」を歩く

2012-11-12 14:20:30 | 旅日記

 

 青空に刷毛で掃いたような薄雲が拡がる土曜日の朝10時。奈良・桜井の駅に草津、長岡、芦屋、城陽から遠来の友人が集まりました。駅を降りるとまずハイカーの数の多いことに驚きます。電車から吐き出されたグループが幾組も続々と出発していきます。私たちはこの駅北口から、秋の「山の辺の道」へスタートしましたが、南出口からは飛鳥の方へ向かう人も多かったようです。

 
「山の辺の道」は、大和青垣の山麓を桜井から奈良に南北に走る古代の官道です。今日はその景観を良く残している桜井の海石榴市と天理の石上神宮間のうち、長岳寺までをのんびり歩きます。いつも車で走り抜ける桜井市街地の路面にも所どころ、このような「山の辺の道」の道しるべがあります。
 

前方に美しい三輪山、右手に耳成山、御破裂山、ひときわ高い音羽山などを見ながら、中和幹線の下を潜り初瀬川の畔にある「仏教伝来の地」標識に来ました。この辺りから現在の金屋集落にかけての「海石榴市」は、古代の陸路・水路の交わる物資の集散地で、定期的に市が立って栄えたところです。駅から約30分、ようやく「山の辺の道」に入ります。
 
 

「金屋石仏」はコンクリート製の立派な収蔵庫に安置されています。左が釈迦如来、右が弥勒菩薩。平安末期から鎌倉期に、泥板岩の石棺の蓋に彫られた美しい仏像です。
 

山裾の雑木林や竹林の中を行くと、短い石段の上に赤い門があり、潜ると「平等寺」の境内に入りました。正面に本堂、右手に美しい三重塔が立っています。左手が山門で手前に大きな聖徳太子像が立っています。このお寺のことは二人とも以前歩いた時の記憶にないので帰宅後調べてみました。Wikipediaによると、もとは聖徳太子が開基と伝承される三輪明神(大神神社)の別当寺(神宮寺・神社を管理する寺院)でしたが、明治初年の神仏分離令によって廃寺となり、以後は堂塔は破壊され仏像は翠松寺に移されて石垣だけが残っていたようです。現在の形に復興したのは、1977年(昭和52年)で現在は曹洞宗のお寺になっています。(撮影:イノッチさん)
 

しばらく行くと「大神(おおみわ)神社」の境内に入ります。大和国一之宮で日本最古の神社の一つです。背後の三輪山そのものがご神体なので本殿はありません。手水舎で手や口を清めて拝殿へ参拝しました。土曜日の境内は七五三参りで着飾った子供連れで賑わっていました。その右手でお神酒のご接待を受けました。
 
 
万葉集で「三輪」の枕詞を「うまさけ」というように、三輪さんはお酒の神様でもあるのです。「巳の神杉」の前には14日の酒祭り(醸造安全祈願祭)を控え、全国から奉納されたお酒がずらりと並んでいました。
 

「くすり道」から摂社・狭井神社へ向かい、参道入り口で左の「大美和の杜」の展望丘に登りました。大和平野に浮かぶ大和三山、三輪さんの大鳥居も小さく見えています。その背後に金剛、葛城から二上山に続く山並みは、今日は残念ながら少し霞んでいます。背後には三輪山が大きく圧し掛かるようです。大展望を楽しみながらお弁当を開きました。チカ姫さん、お心尽くしのお料理ありがとうございました。
 

食後は狭井神社へ参拝。白い襷をかけてお山への登拝を終えた人が、次々と降りてきます。拝殿横の御香水を頂いて、午後のハイキングをスタート。しばらく進んで狭井川を渡り、貴船神社を右に見ると岩坪池という大きな池の下を通ります。紅葉が美しいので池の畔まで登ってみました。元の道に帰り、柿畑の中を抜けると石畳の道になり、石垣の上に白壁の続く「玄賓庵」の前を通ります。平安時代の高僧・玄賓が遁世して庵を結んでいたところと伝えられ、謡曲「三輪」では玄賓僧都が三輪明神の化身である美女に仏縁を結ばせる話の舞台となっています。枯山水のお庭を横目に先を急ぎます。
 

この辺りは万葉集で「三輪の桧原」といわれていいたところで、三輪山の山裾を回るようにして歩くと左手(西側)の展望が開ける台地上の「桧原神社」の境内に入ります。大神神社の摂社で崇神天皇が天照大御神を祀ったところで、第一番目の「元伊勢」(宮中で祀られていたアマテラスを伊勢に移すための仮宮)といわれています。大神神社の拝殿奥深くにあるのと同じ「三ツ鳥居」が見られます。
 

思いがけず丸さんの元先輩が桜井市のボランティア・ガイドをなさっていて、三ツ鳥居の謂れなど珍しいお話を聞くことができました。この神社のご神体は三輪山の磐座なので本殿も拝殿もなく、この三つ鳥居から参拝します。また、正面のしめ縄を張った鳥居の真西に二上山が見え、秋分の日には雄岳と雌岳の間に沈む夕日が見られるそうです。淡路島の伊勢の森、堺の大鳥神社、二上山から、太安万侶を祀る多神社、ここ桧原神社、さらに伊勢の斎宮跡から神島に続く「聖なる太陽の道」北緯34度32分の地図や写真も見せて頂きました。
 

ここからは左右にたくさんの果樹畑があります。ミカンや柿、新鮮な野菜などを売る店や無人の小屋が散在しています。我がパーティもお買物上手な奥様ぞろいで、ついつい荷物が増えていきます。道はいったん東に向かい、ミカン畑の黄色と鮮やかな紅葉の上に万葉で「弓月が岳」と歌われた巻向山の姿を仰ぎます。
 

巻向川を渡ると車の多い県道を再び西に折り返し、ちりめん細工のお店「山桃梅(ゆすらうめ)」の手前で再び細い道に入ります。この辺りは「穴師」と呼ばれるところで古いお地蔵さんや民家の間の狭い道を通り、竜王山を見ながら北に歩きます。神話の里「神籬(ひもろぎ)」の標識で20mほど寄り道しましたが、ミカン畑の中の小さな囲いの中に石標があるだけでした。景行天皇陵北側の池の側のイチョウが美しい黄色に染まっています。

 
櫛山古墳を右に、崇神天皇陵を左に見て北別所に入りました。最後の目的地「長岳寺」は、このBLOGにも再三登場する「釜の口のお大師さん」です。ちょうど秋の「地獄絵」が御開帳中で、駐車場には観光バスまで入り大賑わいでした。残念ながら住職の「絵解き説法」は終わっていましたが、本堂で狩野山楽筆の大地獄絵を鑑賞後、ゆっくり境内を散策しました。これは紅葉に囲まれた放生池を隔てて見た本堂です。
 

庫裡で名物の「にゅうめん」を頂きました。しばらく待った甲斐があって、なかなか結構なお味でした。お寺を後にして根上り松を見ながら上長岡バス停に急ぎ、1時間に1台のバスで天理駅に出て解散しました。途中、すこし怪しくなった空模様も杞憂に終わり、楽しい仲間たちとのんびりと歩けて充実した秋の一日でした。

ホームページ更新しました(2012.11.07)

2012-11-08 17:05:29 | パソコン日記

世界遺産「紀伊山地の参詣道」シリーズを更新しました。以前にUPした少し古いレポートですが、

フォントを読みやすいメイリオに替え、画像も増やしたりサイズを大きくして見て頂きやすいように
工夫しています。
吉野から熊野までの奥駆道をはじめ、熊野古道、高野山などの風景をお楽しみ下さい。

今日は立冬(2012.11.07)

2012-11-07 10:52:12 | 今日の大和民俗公園

 

気候の上では今日から冬。思いなしか朝日の光も弱弱しく感じられます。

初候は「山茶(つばき)始めて開く」。ここでいうツバキとは「山茶花 サザンカ」のことです。
Wikipedia によると「山茶花は中国語でツバキ類一般を指す山茶に由来し、サザンカの名は
山茶花の本来の読みである「サンサカ」が訛ったもの」だそうです。