ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

東大寺修二会(2015.03.13)

2015-03-15 09:40:24 | 我が家の歳時記

古都に春を呼ぶ東大寺二月堂の修二会。今年は「お水取り」も終わった13日夜になって拝観しました。

行法の始まるのを待つ、広い境内を埋め尽くした善男善女。外国からのお客さんも多いようでした。

19時、境内の照明が消されました。左手の階段を練行衆に担がれたお松明がゆっくりと登っていきます。

回廊北西隅で止まり、くるくると回されたあと火の粉を振り落しながら足音高く走り出します。
凄い迫力に期せずしてどよめきが起こります。

回廊南西隅から空高く突きだされるお松明

赤い炎にお堂が照らし出され、美しく燃え上がるように輝きました。

くるくると回される松明から飛び散る火の粉を浴びると、この一年、無病息災で過ごせるといわれます。

炎の滝のような火の粉が落ち終ると、境内はまた闇に帰ります。
照明が点くと、ひと時の夢から覚めたような思いの炎の祭典でした。


高取「町家のひなめぐり」 (2015.03.12)

2015-03-14 21:02:50 | 旅日記

高取山の大手道を下って、上子島から高取の「町家のひな巡り」を始めました。

ちょっと小振りになって去年の広場の少し手前に引っ越した「上子島ミニジャンボ羊雛」です。

土佐街道と壺阪道の分岐、札の辻から壺阪の方へ歩きます。ちょっと変わったこんなお雛様が置かれていました。

一つ坂を越して清水谷絆広場に来ました。「ミニジャンボ雛」の後ろに見えるお家二階の窓からも、大勢のお雛様が覗いています。

札ノ辻に帰り、土佐街道を北へ下ります。100軒近いお家がそれぞれ秘蔵のお雛様を飾って見せて下さいますが、とても全部はご紹介できませんので、珍しいものをいくつかご覧頂きます。

これは土雛…もとは郡上八幡にあったものだそうです。先月、郡上八幡でも早目のお雛様を見ただけに、懐かしく思いました。

メイン会場の「雛の里親館」
呼び物の「天段のお雛様」15段を埋めるお雛様の和は200体余り、一番上には御殿飾りのお雛様が鎮座しています。

雛の里親館、2015年企画展示の「古都の雛」

御所の雛まつりをイメージしています。

里親館の外にはこんな展示もありました。



去年の「奈良一貫張り雛」は別の場所(土佐街道を北へ下っ
たところ)に移っていました。

下土佐ふれあい広場のジャンボ「武家雛」。五条の松倉祭御出張からお帰りになりました。

竹の筏に乗ったお雛様や

古い漢方薬のお店「壺阪漢方堂」さんのお雛様などを見せて頂きながら、町を通り抜けて

観覚寺のジャンボ雛に来ました。ここからは壺阪山駅へ間近です。

今年も町の人から声をかけて頂いたり、暖かく迎えて頂いて楽しく「雛巡り」を終えることが出来ました。来年の10回目にも是非お訪ねしたいと思っています。


まだ春遠い高取山(2015.03.12)

2015-03-13 15:42:18 | 山日記

【コースタイム】壺阪寺09:57…車道分岐10:07…五百羅漢10:15…壺坂口門10:55…本丸三角点11:00(昼食)…二ノ門分岐11:40…猿石12:00…岩屋不動12:10…上子島13:00

今年も「町家のひな巡り」を見に行く前に、高取山へ登る。電車とバスを乗り継いで10時に壺阪寺駐車場に着く。去年、ゆっくり参詣してお雛様も見せて貰っているので、門前から拝んだだけですぐ山に向う。

車道に出たところで写真を撮っていると、同じバスで降りた年配の女性5人組が登ってきた。追い越して先に五百羅漢に向かう。

ここで挨拶を交わしたが、しばらくすると騒がしい話声がして追い上げてくるので、墓地の手前の急坂の途中で先に行って貰う。すぐ上の車道へ出て、再び山道になって道が二つに分かれるところで、八幡宮の方へ登っていく先ほどのパーティに追いつく。最後尾の女性が「どっちが楽ですか?」と訊ねてきたが、先頭の女性は構わず急坂を登っていった。私たちは前に神社へ寄っているので、捲き道を行く。去年(一日違いの3月11日)はこの辺りから雪が出てきたことを思い出す。今日は少しじめついてはいるが雪は見当らない。再び車道に合流して、右手に石垣を見ながら急坂を登る。

壺阪門址を過ぎて巨木の横の急な木の階段を登ると、僅かに一握りの雪が残っていた。

大手門址の美しい石垣を見ながら本丸に登る。途中、若いペアが降りて行ったが、他に測量をしているらしい男性が独りいるだけで静かな城址だった。

最高所の三角点には新しい標識が付いていた。気温が低く風が冷たいので、下の方位展望盤の方へ下り、本丸南隅辺りのベンチに腰を下ろして簡単な昼食を始める。

曇り空で展望は今一つだった。汗ばんでいた身体も冷えてきたが、熱いコーヒーが暖めてくれる。時々、思い出したように陽が射すと背中が暖かい。ここで女性5人組が登ってきて、三角点を教えてあげると礼を言って登ったあと、食事のため一段下の広場へ下って行った。短い昼食の間にも、3人また別の5人のグループと登ってくるが、皆女性ばかり。下り道でも何グループかに出会ったが、男性は一人もいなかった。ウィークデーのせいもあるだろうが「女性パワー恐るべし」である。

下山を始める頃、また風が強くなり寒くなった。三の丸址の辺りは、雪の名残か、ぬかるんだ道が凍って霜柱も立っている。

二ノ門址の池と猿石を見て、去年行かなかった岩屋不動を見に行く。

少し湿った道を120m登ると、道脇に手水鉢やお百度石が残り、広場の奥に立派なお不動さん、両脇には役行者と文殊菩薩の石像が立っていた。引き返して左側に桜が植樹された道を下る。一升坂の辺りは去年より整備が進み、カエデも植えられている。七曲りの急坂を下って右下に見えた川を橋で渡ると、まもなく宗泉寺の山門が見えて道は舗装路に変わった。砂防公園のウメはもう終わったのかチラホラとしか見えず、河原ではブルトーザーが何台か置かれ、道路脇では作業の車が停まっていた。上に見える梅本家は去年訪れた「雛巡り」東端のお家。ゆっくりと次の目的「町家のひなめぐり」に向かった。


早春の竜王山と白山(2015.03.05)

2015-03-09 16:39:08 | 山日記

【メンバー】丸屋博義、丸屋三輪子、芳村嘉一郎、芳村和子
【コースタイム】長岳寺09:35…石不動 10:30…山頂 11:15~12:00…奥ノ院…櫛山古墳13:20…長岳寺13:35   (=笠山荒神 14:30  = 白山15:05)

昨年9月に義父を見送り、今年に入ってすぐ緑内障で入院したり、腰を痛めたりして機会がなく、先月の矢田山を別にすると3月になって、やっと今年初めての山行になる。

8時40分、前回(去年8月)登った白山と同じメンバーの丸さん夫妻が、車で家まで来てピックアップしてくれた。精進掛けがかかり紅白のウメが美しく咲く長岳寺山門前に駐車して歩き出す。だるい腰をかばいながら、ゆっくりと柿畑を抜け山道に入る。掘割状の道は風も通らず、すぐに汗ばんできて全員ウェアを一枚減らす。いつの間にか腰のだるさは消えていた。

ロープの張ってある処を過ぎ、初めてのベンチで腰を下ろすや、賑やかな声がして男性一人と数人の女性の中年パーティが追いついてきて立ち止まったので、席を譲る。お不動さんを拝んで、傾斜の緩くなった道を歩き、奥ノ院分岐を見送って最後の急坂を登り林道に出る。若い女性が追い越して車道を登っていくのと前後して、藤井竜王社の前の道を行き、ほぼ同時に南城跡の山頂に着く。残念ながら春霞か黄砂か知らないがぼんやり霞んで展望は今一つ。若い女性はすぐに頂上を後に下って行った。それでも丸さんは、これまで登った大和の山を眺めて「また一つ登れた」と満足げだった。なかなか発火しなかったガスコンロにコッヘルをかける頃、先ほどのパーティが登ってきてベンチに腰を下ろした。ようやく沸いたお湯で軽食を済ませるのに45分もかかり、思わず長い頂上滞在になった。

下りは田竜王社の前を通り,林道出会いから竜王古墳群への道に入る。長岳寺奥ノ院へ寄り道してお不動さんを拝んだり古墳の穴を覗いたりしながら、湿っぽいがらがらの道を下って山辺の道にでる。何人ものハイカーに行き会いながら櫛山古墳を過ぎる。腰を下ろしていた人に「全国でただ一つ天皇陵の中を通る道」と勧められて松の美しい崇神陵の土手を歩く。たくさんの鴨たちがお濠を泳いでいた。

歩きはじめから4時間、のんびりと馴染みの山を楽しめた。休む間もなく丸さん車は南へ走り、辻医院の前から再び山道へ。笠荒神の鳥居を潜って笠蕎麦で遅い昼食後、

笠山荒神へ参拝。再び県道を下る途中から左へ奥の不動寺の道に入る。車幅ギリギリ一杯の道を登るが、ヘヤピンで急坂になる処のスペースで遂に車を置く。折から降り出したみぞれ交じりの雨の中、傘を差して白山へ登る。

幸い雨はすぐに止んだが、15時を過ぎたので滞在15分ほどで車に帰る。あちこち引っ張り回して狭い道の運転を強いて、遠来の山友には本当に悪いことをした。果たして早春の大和の山を喜んで貰えただろうか。


健康ウォーキングで盆梅展へ(2015.03.03)

2015-03-06 12:01:44 | 矢田だより

桃の節句の3月3日大和郡山市矢田地区社会福祉協議会主催の「大和郡山盆梅展を観る健康ウォーキング」に二人で参加しました。

9時半、JA矢田支所に集合。参加者110人、5班に分かれて富雄川沿いの道を、まず登彌神社へ歩きます。
富雄川沿いにあり登美連の祖・ニギハヤヒノミコトはじめ二十二柱を祭祀する古い神社で、毎年2月1日に一年の農作物の吉凶を占う「粥占い」の祭事で有名です。宮司さんから詳しいお話を聞きました。現在は本殿修築中で、神様は仮本宮に遷座されています。

住宅街を通り抜けて大職冠・鎌足神社へ。大納言秀長(豊臣秀吉の弟)が郡山入場後、多武峰談山神社の藤原鎌足の神霊を遷座して鎮守とし、大織冠宮としたので一帯を大織冠といいます。のち神霊は多武峰に帰山したので、今は分霊をお祀りしています。
   珍しい形の石燈籠や、鎌の絵が刻まれた手水鉢がありました。

正午過ぎ、盆梅展会場の郡山城址に着きました。この盆梅展も回を重ねて今年で12回目。市内の愛好者たちが丹精込めた約120鉢が展示されています。

大手門を潜ります。柳沢氏が入部した頃は梅林門と呼ばれました。門の両脇に白梅の大鉢がおかれ、奥には満開の梅の樹が見えます。追手門の中と追手門櫓が盆梅展会場になっています。

会場には大鉢、小鉢さまざまな色のウメが艶を競い、かぐわしい香りが室内に立ち込めています。

追手門から追手門櫓に向かう通路から外の梅林を見たところ

追手門を守るための防御の役目をしている追手門櫓。正面で迎えるのは勇ましい武将ではなく、凛とした気品のある女性のイメージの「悠妃」。いまや郡山盆梅展の「顔」となっています。

紅白の梅が一体となった鉢

「大納言」
天井にまで届く堂々とした偉丈夫の風格。まさに百万石の大大名・豊臣秀長の名に恥じない大鉢です。

自由解散になりました。私たちは帰りも家まで歩いて、歩数計の数字は1万5000歩ほどになりました。
朝は冷え込みましたが、時々は春の日差しも浴びて上着を脱ぐほどの暖かさで、絶好のウォーキング日和でした。