ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

あたふたフランス旅行

2011-01-31 06:00:00 | 旅日記
1月18日(火)から25日(火)まで「フランス決定版8日間」と銘打ったHK社のツァー
に参加しました。
 前に変愚院が仕事の関連でフランスを訪れたのは1979年のこと、ギリシャ、ブルガリア、
イタリアを訪問した後、誕生日をパリで祝ってもらった翌日、ドゴール空港の職員(管制塔)
のストで帰りの飛行機が飛べなくなりました。ツァーリーダーの機転で急遽、バスを借りて
フェリーでドーヴァー海峡を渡り、ヒースロー空港からバンクーバー経由で羽田へ飛び
(成田はまだなかった)、ようやく帰れたと思うと今度はエンジントラブルで空港で待機。
結局は深夜バスで大阪へ帰るという始末でした。

今回はそんなことはあるまいと思っていましたが、思いもよらず♀ペンがフランスの土を
踏むや体調を崩し、観光初日からほとんど飲まず(水以外は)喰わず(エスカルゴも1個!)
のみじめな旅になりました。(ネパールやチベットのまずい飯も平気なのに、ハイカラな
食事は身体に合わないのかも知れません)
それでも何とか関空に辿りつきましたが、ついにダウン。昨日から、ようやく元気を取り
戻したところです。

旅の顛末はのちほど見て頂くことにして、とりあえずは8日間の歩みをご覧ください。

1日目 1月18日(火) 関空発、長い長い空の旅で深夜、南仏・ニースへ着く。

2日目 1月19日(水)

「天使の湾」プロムナード・デ・ザングレと旧市街散策


177kmの移動でプロヴァンス地方の小都市・エクス・アン・プロヴァンスへ


ゴッホゆかりの地・アルル


アヴェニヨン ♪…の橋の上で踊るよ踊る…

3日目 1月20日(木)

アヴィニョン散策後、ローマ時代の水道橋「ポン・デュ・ガール」へ


リヨン フルビエールの丘に登った後、旧市街散策

4日目 1月21日(金)  382km移動してブールジュへ。


ブールジュ大聖堂


125km離れたロワール地方で古城観光

5日目 1月22日(土)

266㎞のバスの旅でモンサンミッセルへ。見学後、パリへ。

6日目 1月23日(日)

花の都・パリ


午後はヴェルサイユ宮殿観光

7日目 1月24日(月)アムステルダム経由で帰国の途に

8日目 1月25日(火)9時過ぎ関空に帰着しました。

今読んでいる本

2011-01-17 06:00:00 | 読書日記
昨年末、いつものBookOffでこの本に出会いました。



10年近くも前の2002年1月の発行で、しかもよく読みこまれているのに(あとで見ると
赤ボールペンのアンダーラインまでありました)、まだ定価の半額の棚にありました。
いつもなら手を出さないのですが、ちょうど関心のある国だったので買って帰りました。

著者の篠沢教授(近影ではあのふくよかな面影は見る由もなく、お気の毒)によると、
この本は「フランス文明の真相」、「ふざけていえば『深層』」を探るのがテーマです。

内容は1.フランスとは何だろう 2.フランス語とは何だろう 3.文明としての
フランス からなり、難しい問題も随所に篠沢節がバクハツして面白く読めます。
フランス史にはそれほど関心はないのですが、大昔に「世界史」で習った百年戦争、
アンシャン・レジーム、フランス大革命はじめ、懐かしい言葉が次々と現れます。
「三銃士」や「ジャンヌ・ダルク」などにも触れています。また、これまで気づか
なかった「イギリスとフランスの関係」たとえば、ブルターニュとグランド・ブル
ターニュ(グレート・ブリテン)の関係や、現在の英語(イングランド語)の成立した
のは実は14世紀、日本では足利時代だったことなど、「目から鱗」の話もたくさんあり
ます。

「フランスは日本に似ている」という結論らしいのですが、まだ半分ほどしか読んでい
ない今は<時間がかかるのは、やはり固い本?>「ああ、このことだな」と気付く程度
です。

で…真相確認のために明日から8日間、フランスへ行ってきます。土産話をお楽しみに。

お伊勢参りを済ませて…

2011-01-13 17:16:23 | 旅日記
「おはらい町」を散策しました。
旧参宮街道は石畳みの道が約800m、内宮の前から五十鈴川に沿って北に走っています。



人混みにもまれながら歩いていると、卯年だけに、たくさんのウサギたちに出会いました。
(民芸品店のショーウィンドウで)



こちらは藍染めの店「もめんや」さんのウサギ。御幣をつけた犬は「代参犬」



町の北端近くにある「五十鈴川郵便局」。町並みの景観に合わせた妻入建築です。



明治4年の郵便創業時、京都や大阪で使われていたものを模して作ったポスト。
江戸時代の「目安箱」に似た角型の木製の箱です。



「赤福本店」で行列に並んで、お土産の赤福餅を買いました。



向かい側が「おかげ横丁」の入口です。



射的や「一服100円」で煙管を咥えさせる店など、変愚院の子供の頃、昭和初期の新世界
界隈を思い出させる雰囲気です。懐かしい紙芝居屋さんも熱弁をふるっています。



こちらは毎日3回上演されている「神恩太鼓」
大拍手のうちに演奏が終わると、三人の男女は額に汗を浮かべ、大きく息を弾ませて
いました。



芝居小屋の外観をしたこの建物は「おかげ横丁」のシンボル「参宮歴史館・おかげ座」
10年以上前に入ったことがあり二度目です。まず「歴史館」で江戸時代の「お伊勢参り」
が映像で紹介されます。



「主題(テーマ)館」では人形を使って昔の情景が再現されています。女性ガイドが詳しく
説明してくれます。
手前の裃姿の人は御師。旅の仲介役で、今でいう旅行代理店とツァーコンダクターの役割
をします。「施行」と書かれた登りは、四国八十八か所巡礼でいう「お接待」です。



この米屋さんも店先で施行しています。



「代参犬」
金毘羅さんでも見ましたが、主人に代わってお伊勢参りをする殊勝な犬です。他に
「三宝荒神」という三人乗りの馬が珍しかったです。普通の鞍に一人がまたがり、
両脇にサイドカーのように椅子に座ります。これでは馬も大変だろうと思うと、
昔の人は現代人に比べて小さかったので、こんなことができたという説明でした。

ゆっくり見学して外に出て、珍しいバターコーヒーを飲んでバスに帰りました。

今年もお伊勢参りに(1月11日)

2011-01-12 17:40:46 | 旅日記
今年も奈良発のバスツァーで伊勢神宮へ行きました。

朝の奈良は氷点下マイナス4.2度の震えあがる寒さ。大和高原から関トンネルを抜ける
まではあちこちで積雪が見られ、曇りがちで先行き不安な天候でした。



しかし伊勢道に入って南下すると次第に良いお天気、真っ青な青空になりました。
まずは豊受大御神を祀る外宮へお参り。



池の面に影を映す「唯一神明造」の御正殿。茅葺の屋根に9本の鰹木が乗せられています。



100段の石段を登って別宮・多賀宮へ参拝。ここは御正殿と同じ平成25年に遷宮が行われます。
右の注連縄の張ってある所がその場所。
風宮、土宮の別宮も拝んで内宮へ。



風もなく、雲ひとつない空から暖かい日差しが降り注ぐ絶好のお天気になりました。



五十鈴川に掛けられた宇治橋を渡ります。



参道を進んで五十鈴川で手を洗い、天照大神を祭る御正殿へ。
四重の垣根に囲まれ、撮影は禁止されています。



境内には二千年の歴史を語る数多くの大木が聳え、パワースポットとして若者たちも大勢
参拝していました。



御稲御蔵(みしねのみくら)
この高倉式の穀倉が内宮、外宮の御正殿に見られる「唯一神明造」の原型と考えられて
います。



天照大神の荒御魂(あらみたま)を祀る別宮・荒祭宮(あらまつりのみや)。
神様には平和で優しい一面と、荒々しく恐ろしい別の側面があると考えられています。
前者が日光や雨もたらす和魂(にぎみたま)、後者が疫病や祟りをもたらす荒魂です。
その荒魂を鎮めるための別宮です。



参拝を終え、外に出ました。宇治橋鳥居の真ん前が「おはらい町」の入口です。
約800mの通りの両側には伊勢名物の手こね寿司や伊勢うどんなどの飲食店、土産物屋、
商店などが立ち並んでいますが、ほぼすべての建物が切妻・入母屋・妻入の木造建築で統一
され、レトロな雰囲気を醸し出しています。ここで、ゆっくりと3時間ほど過ごしました。

天理教お節会と石上神宮(1月7日)

2011-01-08 08:57:52 | Weblog
お正月もはや七日。今朝は軽く七草粥を食べて、10時から天理へ行きました。
「天理教お節会」は、正月にお供えされた鏡餅を焼いてお雑煮にして参拝者に振る舞う、
100年近く続いている伝統的な行事です。



今年も知り合いの信者の方から入場券を頂いたので幸ちゃんと3人で行きました。



お供えされた鏡餅は、まず食べやすい大きさに切られて山のように積み上げられ…



10数か所ある餅焼き場で信者さんの手によって、こんがり焼かれます。



今年はお餅41トンが、5日から7日までの3日間で7万4千人の参拝者に振る舞われまれ
たということです。



水菜は柔らかくお出汁もとても美味しくて、二杯もお代わりして頂きました。



お節会場から石上神宮へは1キロほど。足元に見つけた美しい道標です。
物部氏の氏神を祀る石上神宮は、奈良と三輪を結ぶ「山の辺の道」の中間付近にあります。



国宝「七支刀」で有名ですが、多数の武器が奉納されていたことから大和朝廷の武器庫の
役割をしていたと考えられています。
写真左が拝殿(国宝)、正面が本殿(もともとなく、明治時代に禁足池から神剣が出土した
ため建てられたもの)です。





干支にちなんだ授けもの。<400円ではありませぬぞ>
縁起はご覧のとおりです。



境内のニワトリ。木の上で甲高い声で鳴いていました。
ニワトリはもともと祭祀用として飼育されていたといわれていますが、この鳥は尾が長く
色も鮮やかな「東天紅」と呼ばれる品種です。鳴き声の良いことでも有名です。





他にもこんなニワトリがいます。品種ごとに群れを作っていました。


法隆寺の動物たち

2011-01-05 09:19:32 | 四方山話
法隆寺の五重塔をはじめとする建築や寺宝は殆どが国宝、重文の貴重なものですが、
門外漢の私には、解説書を読んでもあまりよく分からないことが多すぎます。

ここでは孫たちにも人気のあった動物たちをご紹介します。



金堂は上下二層(下層に裳階がついています)の建物で、その二つを結ぶ四隅の柱に
それぞれ動物がついています。



これは龍。



これはゾウでしょうか?



馬屋の中のウマ(太子の愛馬・黒駒?)と手綱をとる聖徳太子。
鎌倉時代に製作された「聖皇曼荼羅図」最外院の太子像を模した近年の作品と思います。

「玉虫厨子」の玉虫の羽、捨身飼虎図のトラ、天寿国曼荼羅繍帳(中宮寺)のウサギ
などは残念ながら撮影禁止でご覧いただけませんが…

帰ってから孫娘と我が家の中にあるウサギを探す競争をしました。(年賀状は省く)
娘は100羽近く見つけましたが、そのうち数十羽はなんと、いつも私が尻に敷いている
長座布団の模様のウサギでした。まさに「灯台もと暗し」で参りました。