ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

信貴山余話

2010-11-29 20:55:19 | 四方山話
聖徳太子が信貴山で「寅年(582年)寅の日寅の刻」に毘沙門天王を感得し、その守護により
物部守屋を破った(587年)ことを感謝して、自ら毘沙門天王像を刻み本尊として祀ったこと
が信貴山(朝護孫子寺)の起源です。
毘沙門天は、日本では七福神のうち財宝を司る神として信仰されていますが、もとはヒンド
ゥーのクビーラという神様です。甲冑姿の四天王の一、多聞天(たもんてん)となったのは
中国へ伝わって以降のことです。なお毘沙門の妻は吉祥天という絶世の美女で、法隆寺金堂
では並んで祀られています。

1.毘沙門天とムカデ



絵馬堂に掲げられていた絵馬と…



参道の幟です。毘沙門さんと「トラ」の関係は初めに書きましたが、なぜムカデなのでしょう。
ムカデは「オアシがたくさんつく」という俗信から財宝神・毘沙門さんのお使いとするのが
一般的ですが、実は「ムカデが前に進むには、一本の足でも別に動いてはならない。困難を
成し遂げるには多くの人が心を一つに合わせることが大事である」という教えをあらわして
いるそうです。(上の二枚はciao66さんより頂きました)

余談ですが、変愚院はムカデが大嫌いです。河内に住んでいた少年の頃、夕暮れに隣家で
貰い風呂をいていました。まだ、電灯をつけるほどでもない時間でした。五右衛門風呂から
上って身体を洗おうとした時、天井から何か落ちてきて肩に当たりました。何気なく手で
払い落して見ると…五寸釘ほどの大ムカデが逃げていくではありませんか。思わず大声を
あげてしまいました。
もう一つ、伊吹山に夜間登山したときです。何合目だったか岩場で山靴が滑るのでヘッド
ランプでよく見ると、岩が動くように思えるほどのムカデの子の大群が…。この時も本当に
驚きました。一番嫌いなのはクモですが、ムカデやヤスデも怖いです。

2.剱鎧童子のこと



国宝切手シリーズの一つ「信貴山縁起絵巻」です。
国宝・信貴山縁起絵巻は全三巻からなっています。「信貴山に住む命蓮が托鉢に使う鉢を
飛ばし、強欲な山崎長者の米を蔵ごと運ぶ」、いわゆる「山崎長者の巻(飛倉)の巻」が
有名ですが、「延喜加持の巻」は醍醐天皇が病の床についたとき、勅令により命蓮が毘沙
門天に祈ります。すると剱鎧護法の使者が天皇の枕元に出現して、天皇の病が平癒する、
というお話です。
この使者が童子の姿で現わされたのが剱鎧童子。転輪聖王の金輪を転がしながら後ろを
引く雲に乗って空を飛ぶ姿で現わされています。



今回は訪れませんでしたが、絵馬堂横から右手の谷へ林の中の鳥居の並ぶ道を下っていくと



この童子を祀る剱鎧護法堂があります。(2月の投稿写真を再掲しました。)

遠来の友と信貴山へ(11月26日)

2010-11-28 18:49:08 | 矢田だより
仙台にお住まいのciao66さんにご一緒して信貴山へ行きました。

彼のBLOGのタイトルは「ペンギンの足跡」。フランスやイタリア、トルコなどの旅行記は、
私たちのようにパックツァーでなく、すべてご自分で計画・準備して行われたものだけに
予想外の展開や発見も数多くあって、いつも「自分ももう少し若ければこんな旅がしたい
なあ」と思いながら読ませて頂いています。
しかし、実際にお目にかかるのは実はこの日が初めてでした。それでも毎日のようにコメ
ントを頂いたりしているので、お会いしてすぐに長年の知己のように打ち解けてお話する
ことができました。

今回、奈良には仕事で関西に来られたお帰りの途中で、飛行機の時間もあってほんの短い
滞在です。奈良には何度もこられているし良くご存じの様子なので、どこへご案内しよう
かと迷っていたのですが、「信貴山へはまだ行ったことがない」とのことで、正午過ぎに
マイカーで駅へお迎えに行きました。こうして仙台と大和の二羽のペンギンは信貴山へ…。



ところが、すっかり慌ててカメラを忘れていきました。写真はすべてciao66さんに撮って
頂いたものです。
朝護孫子寺の境内に入ると、まず大虎がお出迎え…。



境内の紅葉は今が見ごろで、青空に美しい色彩を浮かべています。



塔頭のひとつ、千手院のお砂踏み。
この虎の胴体の中を歩くと、敷石の下の砂を踏むことで四国八十八霊場を巡るご利益が
あるといいます。



本堂にお詣りしました。回廊からの眺めです。



神妙に手を合わせる変愚院



せっかくなので山頂まで登ろうとお誘いしました。赤い鳥居が続くつづら折れの階段道を
700m登ります。
2月に♀ペンときたときは膝が痛くて山頂へは登れなかったのですが、ようやく回復した
今日は先ず快調です。約20分で…



奥の院への道を分けると山頂の一角、織田信長に滅ぼされた松永久秀が寄った山城、信貴山
城址にでます。実際の山頂(双耳峰の雄岳)は少し上の空鉢堂敷地内にあり立ち入れない
ので、登山者たちは普通ここを山頂(標高433m)としています。そのため山名板が何枚か
木の枝に付けてありました。



山頂の空鉢堂。この拝殿奥の大岩の上に小さい祠があります。



山頂からの南側の眺め。手前が雌岳、遠くに葛城山、その奥に金剛山が並んでいます。
少し霞んでいたのが残念ですが、大和盆地に浮かぶ大和三山の一つ耳成山もぼんやり
見えました。
下りはやはり早く、あっという間に登り口に帰り付きました。霊宝館で国宝「信貴山絵巻」
(ただし実物展示期間は終わり、模写が公開されていた)や、絵巻の主人公・命蓮上人の
袈裟断片、楠正成の鎧など、こじんまりながら充実した展示を見学。



宝寿橋下には池のコイと浮かぶ紅葉が色を競っていました。
成福院の寅大師を拝んで、千手院前の「千手のイチョウ」を見下ろします。
黄色いじゅうたんを敷き詰めたようでした。



開運橋から青空を背にした信貴山を振り返りました。(この1枚だけ変愚院ケイタイ撮影)



最後に変愚院が一番好きな展望ポイントへご案内しました。仁王門横からのこの眺め
です。
まだ剱鎧護法堂などご案内できなかった場所も残っていますが、駆け足で一通りは見て
頂けたと思います。ご一緒できて本当に楽しく幸せでした。
ciao66さん、今度はまた桜の季節にでもごゆっくりと大和へお越しください。

紅葉の信貴山(11月26日)

2010-11-26 20:47:59 | 旅日記


朝の曇り空が午後からは見事に晴れ上がりました。
遠来の知人と信貴山に行き、朝護山寺にお参りし、山頂の空鉢堂まで登りました。
紅葉は今が盛りで、全山が燃え上がるような美しさでした。

ところが肝心のカメラを忘れたので、最後に思い出してケイタイで撮った写真で
綺麗に写ったのは、開運橋から撮ったこの一枚ぐらいです。

撮って頂いた写真がたくさんありますので、あす以降見て頂きます。

紅葉の室生寺(11月24日)

2010-11-24 17:40:33 | 旅日記


昨日の風も収まり、穏やかな小春日和が期待できそうです。
10時家を出て1時間足らずで室生寺に着きました。駐車場に車を預けて歩きだすと、
「下の橋」近くで早や美しい紅葉に目を奪われます。



紅葉と色を競う真っ赤な太鼓橋を渡ります。
正面が表門ですが、拝観順路は橋を渡って右へ…



表門
「女人高野」の文字が見えるのは、厳しく女性の入山を禁じてきた高野山に対して、
室生寺が「女人済度」も図る真言道場として女性の参詣を認めてきたことを表して
います。
門の右上に見える山は室生山です。蓮の蕾にたとえられる美しい形の山ですが、
現在登ることができません。



続いて左手に赤門があります。苔むした屋根に積もる黄葉がとても美しかったです。



道の右手は室生川に沿っています。対岸の石垣に陽光を透かした紅葉が映えています。



仁王門をくぐります。



バン字池。梵字の「バン」の字、こんな形を表しています。



この坂を「鎧坂」といいます。



登り切った処右手にに金堂があります。内陣には本尊・釈迦如来像(国宝)を中心に
数多くの国宝、重文の仏像が並び、建物そのものも国宝です。



金堂前の池に写る紅葉



本堂(国宝)と五重塔
本堂は灌頂(智水を頭に注ぎ佛弟子になる儀式)を行うところで灌頂堂ともいいます。
入堂してご本尊の如意輪観音さまを拝みました。



本堂横を登ると国宝・五重塔。高さ16.7m屋外に立つ五重塔では最も小さいものです。



五重塔から深い林の中の石段を登って奥の院へ向かいます。
ちょっと見えにくいですが、♀ペンの後ろの大杉は根の中に大きな石を抱え込んでいます。
この上右手に「暖地性シダの群落地」があり、石段は上に行くほど急に、また段の幅も狭く
なります。



舞台造りの位牌堂が見えてくると、400段近くの石段登りも終わりに近づきます。



奥の院御影堂
単層宝形形の建物には弘法大師像が安置されています。
右手に室生山へ登る山道がある筈で下見のつもりで探してみましたが、道がなくなっている
ようです。

ゆっくりと紅葉を楽しみながら元の道を帰りました。まだ正午を過ぎたところなので、
室生川沿いに700mほど上流にある龍穴神社へ歩き、参拝をして駐車場へ帰りました。
久しぶりに訪れた室生寺でしたが、お天気も良く紅葉も見頃で満ち足りた気持ちで家路
につきました。

今日の大和民俗公園(11月23日)

2010-11-23 14:05:17 | 矢田だより


昨日一日降り続いた雨も上がり、昼前から青空も拡がってきました。



民家群沿いのドウダンツツジが鮮やかです。



メタセコイヤも美しく黄葉しました。



いつもは子供たちで賑わっている広場には、休日なのに珍しくまったく人影がありません。



「里山の道」に入ってみました。
民家群を見下ろす紅葉の下で、お母さんといっしょに落ち葉を拾う子どもたちに出会いました。
「コンニチハ」と挨拶して「モミジのじゅうたん」と話しかけてくれました。
心温まる情景でした。

今日は何の日(11月22日)

2010-11-22 09:35:03 | 四方山話
1.今日は二十四節気の「小雪」
辞典には「根雪とはならぬ程度の雪に見舞われる時分」毎日新聞では「寒くなって雨が
雪になるころのこと。…」とあります。
奈良では昨夜から雨が降り続いていますが、暖かく、雪に変わりそうにもありません。

2.今日は「いい夫婦の日」
単なる語呂合わせにすぎませんが、今日に限らず仲が悪いよりはいい日が多い方が
家庭円満、世の中平和に暮らせると思い、日々努力を重ねております(変愚院独白)。

3.今日は「変愚院誕生日」
変愚院の生まれた1934年はどんな年だったか、調べてみました。
この年はヒトラーがドイツ総統に就任し、ナチス軍事政権の独裁時代が始まります。
3月には満州国で溥儀が皇帝となり、日本の傀儡政権が成立します。
一方国内では、3月に函館で市街地の3分の一を焼く大火があり、9月21には
室戸台風が日本に上陸。関西に大被害をもたらしました。
東北地方は大凶作に見舞われ、家庭の貧困から食事を与えられない「欠食児童」という
言葉が生まれています。
一方、12月26日、日本初のプロ野球チーム「大日本東京野球倶楽部」が創立されました。
メンバーには沢村栄治、スタルヒン、水原茂、三原脩らが名を連ねています。
歌謡曲の世界では東海林太郎の「国境の町」や「赤城の子守唄」、ディックミネの
「ダイナ」が流行したのがこの年です。

矢田寺と遍路道の紅葉(11月20日)

2010-11-20 14:21:04 | 矢田だより


矢田寺は隠れた紅葉の名所です。
新聞の地方版に紹介されたせいか、何人ものカメラマンが訪れていました。



今日は紅葉の遍路道を歩きました。



「へんろ保存会」の人々が整備された道を登ります。



この辺り、一番急な登り。



「じゅっぷく茶屋」で一服すると、十のしあわせが得られるとか…



遍路道の最高所。保存会の人たちが植樹された紅葉も元気に育っています。



1時間ほどで八十八か所を巡拝し、お寺に帰りました。