ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

奈良の山あれこれ(01)~ (04)

2015-01-29 09:43:22 | 四方山話

「大和はくにのまほろば」…回りに海を持たないまさに「山都(やまと)」の山々。奈良の山「ならでは」の話題を綴っていきます。色んな資料を参考にしましたが、写真はすべて私の登った時のもので古いものも含んでいます。

<大和平野エリア>

(01)春日山、御蓋(みかさ)山、若草山

「みかさ山と若草山は別の山」

御蓋(みかさ)山、若草山、それに春日山はよく混同されます。特に「みかさ山」と若草山は旧陸測地図や国土地理院地図にも誤ったり、並記されたりしています。私も三層になった若草山を三笠山と呼んでいました。しかし、大和名所図会や大和資料などの古書には、三つの山がそれぞれ別の山であることが示されています。また1935年に三笠宮宮号宣賜の時の宮内大臣の謹話に「古くより三を音に通じて用ひ、山の名があたかも笠を伏せたように見える所より起こった名称である…」と区別がはっきりしました。

写真手前の山が御蓋山(293m)、後ろが若草山(342m)。なお春日山は、御蓋山を含めた東側の大きな山の総称です。

古都奈良の冬の風物詩・鹿寄せが行われる飛火野から見た御蓋山(正面)と背後の春日山。

 

(02)若草山

「山焼きはなぜ1月第4土曜日に?」

東大寺の背後にある芝生に包まれたなだらかな山は、大仏さんや春日の神鹿とともに奈良を代表する光景といえるでしょう。最近ではモノレール計画が話題になりました。

中でも古都に春を呼ぶ山焼きは全国的に有名ですが、永らく成人の日に行われていた行事が、なぜ1月第4土曜日に変わったのでしょうか?

これは2000年施行のハッピーマンデー制度で成人の日が月曜日になったので、その前日にしたためです。ところが消防出初式と重なったり、ススキや芝がまだ枯れていなかったりで、第3土曜日への変更が計画されました。

しかし、今度は花火の打ち上げ時間が大学センター入試の英語ヒヤリングと重なることでクレームがつき、2009年から現在の1月第4土曜になったということです。

写真では順序が逆になりましたが、今年は1月24日午後6時15分から約600発の花火が打ち上げられ、山焼きの点火は6時半でした。花火の中にはこんな可愛い鹿さんも…。

 

(03)春日山 

「原生林は昔のまま?」

春日山は春日大社の背後にある山の総称で、最高峰は花山(498m)。山全体が神域であるため、古来、狩猟や伐採が禁じられて、春日原生林は手厚く保全されてきました。

現在は国の天然記念物に指定され、また奈良の世界遺産として登録されています。ただ、古くは秀吉が1万本のスギの苗木を寄進した他、何度かの台風のあとでは整備されてきたので、厳密な意味では「原生林」とは言えないかも知れません。

高円山との間の谷沿いに石畳の滝坂道(柳生街道、柳生からは奈良街道)が東に延びて、稜線に出たところの三叉路に荒木又右エ門が試し切りをしたという首切地蔵が立っています。

昔は格好の目印だったところですが、今はすぐ近くにドライブウェイが通っています。

 

(04)芳山(ほやま)

「二体?三体?謎の石仏」

石畳の滝坂道を登り、首切地蔵を左に行くと石切峠に出ます。ここには古い峠の茶屋があり、古い槍などの武具や武芸帳も残されています。

上誓多林の八王子(八柱)神社(社殿にシカの絵が描かれています)から竹藪を抜けて山間の野菜畑の横を行きます。小さい茶畑が終わる所にシシ除けの金網があり、「芳山」と小さな標識のついた重い扉を開けて入ります。

美しい杉植林から細い急坂の山道を行くと、静かな林の中に四等三角点518mが埋まっていました。少し手前の分岐を入った広場に、正面と左側面にお互いの背中を合わせた二尊石仏が立っています。

三体仏とも言われているので、一面は雨風にさらされて磨滅したのかも知れません。


キナバル登山の想い出(続き)

2015-01-23 06:06:06 | 私の関西百山

登頂当日は簡単な朝食後、2時半出発。真っ暗な登山道を登ります。

パナール・ラバンの岩場を過ぎてトラーバース気味に登り(…暗闇でしたので下山時の写真です)

中間のサヤッサヤッ小屋着。標高3668mのここにはチェックポイントがあり、IDカードを確認されます。(これも下山時のもの)

登山口より8km地点。下に見えるピークはキナバルサウス

目指すローズピークは背後に…

灰色の広大な花崗岩の大斜面を登ると、暗闇の中に何人も座り込んでいる人に出会い驚きます。(これは登頂前の私。バテて座り込んだ訳ではなく、4000mを越えたので記念撮影。)

最後は岩梯子の急登で、4時間近くかかって最高峰ローズピーク4095 mの山頂に立ちました。下りは一気に登山口まで下りました。

この山で気付いたことがいくつかある。まず登山道も宿舎も、最盛期の富士山や北アルプスのような混雑がなく、実に快適なこと。これは宿舎の関係で入山者が制限されているためで、この日の登山者数は約120人と聞いた。また下山時のガイドはピンク色のビニール袋を持っていて、ここにゴミを入れて持ち帰ることが義務づけられている。この山に必要なのは技術や経験よりも体力である。登山者には日本人のツァーを別にすると若い人が多く、軽装で震えながら登っている人もいた。確かに登頂日の登り標高差800m、平均所要時間3~4時間、下り標高差2300m・平均所要時間6~7時間は、わたしたち高齢者には厳しい数字である。ラバンラタで出合った日本人グループは、この小屋で二泊したそうだが、こうするとかなり余裕を持って行動できるだろう。」


キナバル登山の想い出(2005年1月)

2015-01-22 06:01:01 | 山日記

 

*2005年のキナバル登山は2007年と同じ時期の1月22~23日でした。登山の想い出を綴ります。*
 
前日、コタキナバルから専用車でクンダサンの丘の上にあるホテルで一泊。
 
 
22日、キナバル公園本部で登山ガイドとポーターに落ちあい、さらに4km先の登山口、ティムポホン・ゲートへ車に揺られていきます。
 
 
登山道はよく整備されていて、アイアンウッズという固い木や鉄で階段状に補強されていますが、この段差が足の短い私たちには高過ぎる所が多くて厄介です。
 
 
要所にあるシェルターには、いずれもベンチのある四阿、水洗トイレ、蛇口のついた水タンク(飲めない)が設置されています。
 
 
大きな木性シダなど熱帯雨林の中を登り四つ目のシェルター、ラヤン・ラヤンで昼食。標高2,700m、今日のほぼ半分の行程です。
 
 
午後は黄色い土道の急登から、ウツボカズラやランなどの珍しい植物のある森林帯を抜けると、
 
 
真っ青な空を背景に、白い鋸歯状の山頂部が鮮やかに見えます。
 
 
急坂を登り切ると木の丈が次第に低くなります。タンポポやミヤマキンバイに似た黄色い花の咲く台地の上に、今夜の宿、ラバン・ラタ・レストハウス(Laban Rata Rest house)が見えました。
 
 
夕食はビュッフェスタイルで白いご飯に、ビーフンを炒めたもの、骨付きの牛肉、味付けの牛肉(ビーフシチュー風)、野菜炒め(マッシュルーム入り)と卵焼き。味も申し分なく、食堂の座席もゆったりしていて日本の山小屋とは大違い。
 
 
食後外にでて壮大な夕焼けを見て、岩山の上に月が出たので二階の部屋に帰り、大きなベッドに横になりました。明日は早朝から登頂です。
8:30 Timpohon Gate checking point (1866m)…Carson fall…9:01 Pondoc(shelter) Kandis(1981m)…9:17-? KM1.5 =Pondoc Ubah(2018m)… 9:46 KM2…9:56-? Pondoc Lowii.(2267m)…10:04 KM2.5…10:41-52 Pondoc Mempening(RTM Station分岐)…11:05 KM3.5…11:20-58 Layang-Layang Staf Qtrs(2702m)昼食…12:02 KM4…12:42 KM4.5…13:18~13:35 Pondoc Villosa…13:55 Pondoc Paka(3080m)…14:08 KM5.5…Waras Hut (3243m)…14:50 Laban Rata Rest house(3272m)

9年前の今日ー2007.01.21

2015-01-21 01:01:01 | 過去の今日

2007年の今日、1月21日、千日山歩渉会の仲間たち11名で東南アジアの最高峰であるマレーシアのキナバル山(標高4095.2m)に登りました。

登山口からの標高差が大きいわれわれ中高年には厳しい山ですが、奇岩や岩盤の特異な山岳風景が楽しめ、ウツボカズラを始め珍しい動植物にも出会えます。写真上は頂上直下のアグリー・シスターズ・ピーク(醜い姉妹)。下はロウズ・ガリーの深い谷(1,600mあるという)を挟んで急峻な岩壁の連なる岩尾根。

狭い頂上には二つの標識があり、一つは山名と標高を、今ひとつはこの山に初めて登ったグンティン・ラガダン(現地人)の名が記されています。既に2年前の2005年に日本山岳会の仲間二人と妻の四人で登頂していますので二度目でしたが、70歳台に入ってのリーダー兼添乗員めいたお世話は結構疲れました。

しかし全員無事に山頂に立ち、下山後はコタキナバル近くの島で遊び、熱帯の山と海を存分に楽しむことができました。まずは山頂付近の光景をお伝えしました。


寒中お見舞い申し上げます

2015-01-16 11:04:57 | Weblog

寒中お見舞い申し上げます。

皆様お久しぶりです。昨秋、義父が104歳で永眠しましたので、年末年始の投稿もご遠慮しておりました。
淋しい年が明けて、1月7日に国立大阪医療センターで右目緑内障と白内障を手術。昨15日、退院しました。

幸い術後経過は順調で、今のところ視力も良く、以前よりかえってクリアに見えるようになっています。
ただ、出血が少し多かったので再発防止のため、主治医より1ヶ月の間、飲酒と山登りを禁じられています。
喉も足もムズムズしていますが、今は我慢ガマンです。...
まだ長い時間、PCに向かえませんが、ボツボツBLOGを再開します。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

病室は南側でベッドに寝ながらにして「あべのハルカス」が正面に見えました。

屋上に登ると、すぐ目の前が大阪城公園です。思えば7年前の冬に左眼を手術したときは、こちら(北)側の病室で毎日、お城のトラと睨めっこしていました。