ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

春日大社新発見と若宮十五社巡拝(2)

2015-06-29 13:01:54 | Weblog

茅ヶ原で昼食を終えて、午後は春日大社(写真は南門)への参道を歩きます。何度も歩いた道ですが、ここでも新しい発見がありました。

大仏殿の方から市内循環バスの来る広い道を渡り、右手に飛火野を見みながら行くと左に荷(にない)茶屋があります。右が水谷川が飛火野へ分水される処に架かる馬止橋(七位橋)です。昔の馬場の終点で、ここで参道右に曲がります。

万葉植物園との間に、まっすぐな細い道が見えます。春日のお祭りに宮中から派遣される女性(内侍)がご本殿へ行くのに通る道で、勅使などの男性は表参道を通りました。

表参道を進むと右手は鹿園で、今月30日まで今年生まれた子鹿が公開されていて賑わっていました。六位橋のある壺神神社を過ぎると二の鳥居が見えてきました。右に見える建物は車舎(クルマヤドリ)。今まで奉納された酒樽を積んである場所と思って横目で通り過ぎていましたが、説明板に「天皇の行幸や勅使、藤原氏の高官の参詣の折に牛車を入れた車庫である」とありました。覗いてみると、一台の牛車が見えました。五位橋はこの西側にあります。

向かい側は現代の車舎…駐車場ですが、その近くにケヤキの大木が立っています。樹高16m、地上1.3mでの幹回が4.8m。根元では更に太く、奈良公園で最も大きいそうです。この樹も裏に回ると中が空洞になっていて、長い年月を過ごしてきたことが分かります。

二の鳥居の手前両側に興味深い燈籠がありました。鳥居の右側が龍、左側が豚(イノシシ?)と聞きましたが…。

二の鳥居を潜って、いよいよ神域に入ります。すぐ左手にある社が祓戸神社。その前で敷石の道が斜めに分かれています。先端の要の石が剣の形をして、踏んではならないと伝えられています。

道の入口の燈籠は土台が「寝鹿」の珍しい形をしています。

剣先道にはフジの木が多く、春日祭には藤原姓の人が通る本殿への近道だったそうです。
今では大声で話しながら外国からの観光客が降りてきます。

祓戸神社に参拝して、横にある伏鹿手水所でシカが口に咥えた巻物から落ちる水で手と口を浄め、参道を進みます。

参道右下の白藤の滝(左)を見に下り、引き返して左側の榎本神社の下から流れ落ちる青龍の滝を見上げました。

石段を登り、榎本神社にお参りします。祭神は元春日の地主神で耳が遠い方だそうです。そのため、社の柱を拳固で何回も叩いて「榎本の神さんは耳が遠いので、春日さんにお参りしました」という習わしがあったと、熊木さんからお聞きしました。耳が遠いので願い事を聞いて頂けないと困るからでしょう。

朱塗りの社殿で桟の隙間から祠を見ると、下に美しい唐獅子牡丹が描かれていました。ここで三位の橋を渡り、南門へ向かいます。 


なら瑠璃絵(2015.02.14)

2015-02-15 21:02:13 | Weblog

8日に始まった今年の「しあわせ回廊なら瑠璃絵」も今夜まで。暮れなずむ奈良の町へ出かけました。

行基さんの立つ近鉄奈良駅前から興福寺五重塔の前を過ぎると、国立博物館講堂の裏に去年なかった新しいアート「竹の庭」がありました。

新館の前にはこれも初顔のミラーボーラーが堀の水に影を落としています。

東大寺大仏殿へお参り。南大門を潜って参道を進むと、中門の両側にライトアップされた兜跋毘沙門天(右)と持国天が立っておられます。

観相窓が開いていて大仏様のお顔を拝むことができました。

鏡池には噴水のスクリーンに刻々と移り変わる美しい色彩の映像が投射されて、夢のような光景でした。

しばらくは、このウォーター・プロジェクションを鑑賞したあと、浮雲園地へ。様々な光のオブジェが通路を飾り、満開の冬桜もライトアップされていました。

奈良県新公会堂前のオフィシャルブースで本クズ入りの「しあわせココア」で暖まったあと、

公会堂庭園の「光のオブジェ」を鑑賞しながら

春日野園地へ歩きました。

ここでは大勢の人たちが花火の上がるのを待っていました。少し離れたところではライブが行われていて、バレンタインデーにふさわしく女性からプロポーズされる幸せな男の声も聞こえてきました。待つこと30分近く、19時30分を過ぎて花火が上がりました。

山焼きの時とは又違ったたくさんの花火が終わり、春日大社へ歩きます。

着到殿の夜神楽は終盤を迎えていましたが、御杖村桃俣の獅子舞や

宝来家玉之助さんの締めの「四方鎮」を鑑賞できました。

本殿にお詣りした後、回廊の万灯篭を少し眺めて家路につきました。夢のように美しい光の中を彷徨い歩いた、今年3度目の老人の夜遊びでした。


寒中お見舞い申し上げます

2015-01-16 11:04:57 | Weblog

寒中お見舞い申し上げます。

皆様お久しぶりです。昨秋、義父が104歳で永眠しましたので、年末年始の投稿もご遠慮しておりました。
淋しい年が明けて、1月7日に国立大阪医療センターで右目緑内障と白内障を手術。昨15日、退院しました。

幸い術後経過は順調で、今のところ視力も良く、以前よりかえってクリアに見えるようになっています。
ただ、出血が少し多かったので再発防止のため、主治医より1ヶ月の間、飲酒と山登りを禁じられています。
喉も足もムズムズしていますが、今は我慢ガマンです。...
まだ長い時間、PCに向かえませんが、ボツボツBLOGを再開します。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

病室は南側でベッドに寝ながらにして「あべのハルカス」が正面に見えました。

屋上に登ると、すぐ目の前が大阪城公園です。思えば7年前の冬に左眼を手術したときは、こちら(北)側の病室で毎日、お城のトラと睨めっこしていました。


スーパートール・あべのハルカス(2014.06.19)

2014-06-21 08:06:49 | Weblog

大阪舞洲ゆり園を見た帰り、かねてから♀ペンが行きたがっていた「あべのハルカス」へ行きました。300m以上の高さを持ち世界基準を満たす超高層ビル、わが国初のスーパートールも、3月7日の全面開業から三か月あまり、そろそろ混雑も一段落かと予想していたのですが、なんの何の…

チケットを買うに並び…2階からこの16階へのエレベータでも長い列…最上階へ行くのにまたまた並んでいます。

高速のエレベータに乗ると、あっという間に60階の展望フロアに。足元をみると目がくらみそうな地上300mの展望が待っています。これは北の眺め、まっすぐ伸びるのは谷町筋、左の緑は天王寺公園、中央の緑は四天王寺…遠くに北摂の山々が霞んでいます。

天王寺公園、美術館、動物園はすぐ足の下…

♀ペンが望遠で写した通天閣。足元低くに見えます。

南側真下の眺め…あべの筋を走る阪堺線、その右にはあべのキューズタウン、少し上の赤いビルは「あべのベルタ」。
その先には♀ペンの故郷…堺市の市役所ビルも。

南東の景色…中央奥に広がる緑の中に白い建物が見えるのは長居競技場、変愚院の生まれたのは左端中央のもう少し左です。二人の元の職場のある辺りや、色々なランドマークを見つけては子供のように喜んで、楽しいひとときを過ごせました。

2階下った58階の天空庭園から見上げたあと、名残を惜しみながら下界へ降り立ちました。


壺阪寺参詣(2014.03.11)

2014-03-12 09:35:59 | Weblog

高取の「町家のひなめぐり」を見がてら、高取山に登ろうと出かけました。朝から晴れ上がって冷え込みましたが、日差しの強さはすっかり春です。いつもはマイカーですが、今日は電車で壺阪山駅へ行きました。たくさんの人がこの駅で降りましたが、壺阪寺行きのバスに乗ったのは私たちの他には3人。僅か3キロですが曲がりくねった山道をゆっくり登っていきます。

壺阪寺のバス停はいつも入れるパークの中にあります。そこに立っていた「アショカ柱頭石像」。インドから招来されたものですが、同じものが「あべのハルカス(ウィング館)」にも設置されています。

壺阪寺も「町家のひなめぐり」に合わせて「雛曼荼羅」を展示中です。(町家ひなめぐりMapでは最後の100番)駅前で配布されていたMapを入口で見せると600円の拝観料が400円に割り引かれました。雛曼荼羅は境内に入ってすぐ右手の大講堂に、大日如来を中心にして雛人形330体、仏像370体 合計700体をさながら曼荼羅のように陳列しています。

近くに寄ってみましょう。左側後ろに掛けてあるのは「仏涅槃図」。釈迦の入滅の様子を描いた室町時代の作で、高さ2.5mあります。中央の立像は平安時代に作られた増長天。その右は鎌倉時代の薬師如来坐像。

中央が大日如来。周囲の金色の仏像は西国三十三ヶ所各寺の本尊・観世音菩薩の分身。ただし、この大講堂の本尊は大日如来の上に坐す弘法大師・空海です。

右側の展示。立像は元禄時代以降340年ぶりにされて、この3月からご開帳されたばかりの多聞天。右の掛図は善無畏三蔵像。お雛様の説明はないのでよく分かりませんが、かなり古い時代のものもあるようです。

階段を登り、仁王門をくぐります。壺阪寺は西国三十三ヶ所第六番札所ですが、正確な名前は「壺阪山南法華寺」です。

昔から眼病に霊験のある観音様として信仰を集めてきました。灌頂堂にはこんな大絵馬が置かれていました。

灌頂堂から通路を隔てて向かい側にある八角円堂(本堂)の御本尊を拝みます。

本堂に上がり間近に拝む本尊・十一面千手観世音菩薩

壺阪寺の名が広く知られるようになったのは浄瑠璃の「壺阪霊験記」です。「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ~」の浪花節でも知られる、その主人公「お里沢市」の像。沢一が身を投げた深い谷の上にたっています。

特別開帳中の「沢一の杖」。これを撫でると「夫婦円満」になれるそうです。

三重塔。国指定重要文化財です。

高さ3m、全長50m、重さ300tの天竺渡来仏伝図。「天竺渡来」というのは、このレリーフが南インドで、インド人の石工がインドの石を使って彫刻したものだからです。

ここから道路の下を潜って大観音石像と大涅槃石像にある高台にでました。

前はここから高取山へ行けたのですが、「新参道」ができてからは通行できなくなっています。もう一度、受付まで帰り、登りなおします。45分ほどの慌ただしい参詣でしたが、初めてお雛様の展示も見られて満足して高取山へ向かいました。


回光・夜の高松塚古墳(2014.02.23)

2014-02-24 11:23:22 | Weblog

老夫婦の夜遊びは「大阪城イルミネーション」「なら瑠璃絵」に続いて今月3度目です。

たそがれ迫る飛鳥駅(17:35)。明日香へはいつもマイカーで来るので、これまで気がつきませんでしたが、駅前にこんなモニュメントが立っています。雪ダルマのようですが須弥山を表しているそうです。

高松塚古墳へは徒歩15分。これも歩いていくのは何年ぶりでしょう。飛鳥歴史公園の中を登っていくと、こんな展示がありました。「草月流四神」の草花を使った壁画四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)の展示です。(帰りにはライトアップされていました)

今日のお目当てはこの「360°プロジェクションマッピングin高松塚」。古墳に360度3D画像が投影されるのは、日本初ということです。

18時、古墳の周りに集まった大勢の人が投影の開始を待っています。「もう少し暗くなるまでお待ちください」とのアナウンスがあり

15分後、投影が始まりました。最初に宇宙をイメージした映像が10分ほどあり、その後、四神が次々飛び出す約5分間の3D映像。真っ赤に古墳が燃え上がったり、朱雀が羽搏いて舞い上がったり迫力満点で見応えがありました。その繰り返しなので観覧者の循環は早いようです。二度鑑賞しましたが、次第に冷えてきたので会場を後にしました。私たちが帰る頃から、続々人が登ってくるようになりましたので、「もっと少し遅くに来た方が、きれいな画像が撮れたのかなあ」などと話しながら駅に向かいました。

 


マンモスの牙から城下町の成立まで

2014-01-13 11:07:36 | Weblog



昨12日、橿原考古学研究所付属博物館へ行きました。畝傍山を降りて「イトクの森古墳」の前の県道を渡って少し歩くと博物館です。


最初に特別陳列の「十二支の考古学・午」を見ました。上のパンフ中央に見える「獣頭人身」の十二支「午」像の拓本をはじめ、藤ノ木古墳から発掘された鞍の金具、祭祀用の「土馬」など、珍しい資料が展示されていました。パンフレットの表紙にもなっている絵馬にも多くの種類があり、中には円の面積を求める「算額」もあって、様々な願いが込められていることを改めて感じました。


 

常設の第一展示室に入ると、まずマンモスの大きな牙が目を引きます。「シガゾウ」と説明があるので「日本にもゾウがいたんやなあ」と話していると、女性の学芸員さんが「ここは初めていらっしゃいましたか?」と話しかけてこられました。「何度かちかくを車で通っているのですが…」と答えると、「何10万年も前の氷河時代には大陸と地続きで、オホーツクなどの北からも動物が渡来できたのですよ」と話されました。そしてさりげなく、
次の「ナイフ型石器文明」の説明に移られました。二上山の「サヌカイト」の名前は知っていましたが、「讃岐で最初に発見された石器なので」この名があることは初めて教わりました。先ほどのシガゾウは滋賀県ではじめて発掘されたので付いた名で「なんでも早い者勝ちですね…」と笑いを誘われます。同じナイフ石器の原料で産地が信州・和田峠と分かるものがあり、当時から長距離の人的交流があったことや、1万2000年前の縄文土器のデザインの付け方も説明していただきました。他にも九州から始まった稲作が近畿に来るまで100年かかったこと、さらに100年後に秋田地方に伝わったことも地図で教わりました。


 銅鐸の展示(右端三つ以外は模造)

 紐に付いた鹿の角で銅鐸を鳴らす

他にも屈葬された人骨、いったん埋葬されて大きな土壺に入れられた頭蓋骨など興味深いものがありました。食糧にしていたはずの犬が壺に入れられて埋葬されているのもありました。学芸員さんが「よほど狩りなどで働いた犬なんでしょう」と言って「想像するのは自由で楽しいですよ」と言われたのが心に残りました。

第一展示室を観終わる頃に正午のチャイムが鳴り、「この調子で説明していくと3時間はかかるのでかえって迷惑でしょう。私はこれで…」「また来てください」と仰ってくださいました。館内の写真も撮影禁止のマークのあるもの以外は許可されること、第二、第三の展示室で特に重要な観るべきものを教えて頂いてお別れしました。私たち二人のためには勿体ないような懇切丁寧なお話に深く感謝します。



第二展示場の埴輪の馬。左になぜ鹿がいるのか…とバカなことを考えてしまいます。




第二展示室ではヤマト王朝が成立して古墳時代となり、飛鳥時代へと移る時代の展示。第三展示場では鎌倉時代に寺内町や城下町ができるまでの文物が展示されています。




特に藤ノ木古墳の出土品や太安磨呂墓からの出土品が必見です。


中庭で埴輪のウマさんと記念写真を撮りました。
普段よりも長い時間をかけて見学したので少々気疲れしましたが、本当に意義深い半日でした。