ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

この日・あの山 (1月21日)

2017-01-21 05:00:01 | 山日記

1972年1月21日 葛城山(天商高耐寒登山付添)<省略>

マレーシア・キナバル山

ボルネオ島ににあるキナバル山は標高4095.2m。マレーシアだけでなく東南アジアの最高峰で、周辺の地域とともに世界遺産に登録されています。奇岩や岩盤の特異な山岳風景で、ウツボカズラなど珍しい動植物にも接することができました。
2005年1月に日本山岳会の仲間二人と和子の4人で登頂し、2007年1月21日には千日山歩渉会の仲間たち11名と再び登りました。このときは登山リーダー兼ツァーリーダーで、かなり消耗しました。
ここでは2005年の山行を記しました。2007年の山行については下記のページをご覧ください。
http://mountainpenguin.web.fc2.com/kinabalu2007/kinabalu2007.html

2005年1月21日 キナバル山(日本山岳会・森沢義信さん、久保和恵さん、芳村嘉一郎と和子<会員外>)

21日 コタキナバルへは関空からわずか4時間半のフライトである。ボルネオの青い海と白い砂浜を見下ろす頃、すぐ近くの雲の上に、角を幾つも突き出すような幅広い山が見えた。あれがキナバルかと思ったら、間をおかずアナウンスがあった。話に聞き写真で見てはいたが、実際に異様な山容をこの目にすると、期待と不安が交錯する。空港で現地女性係員の出迎えを受け、専用車でクンダサンへ向かう。椰子の木茂る海岸沿いから、山越えの道路になると前方にキナバル山が次第に大きく見えてくる。

峠のような所で車を停めてもらって、写真を撮る。さらに先に屋台の土産物屋がたくさん並んでいるところがあり、ここでは展望台に登って、金色に輝く夕暮れのキナバル山を間近に眺めた。
 夕焼け雲がたなびき、空には満月近い月がかかっている。車はキナバル公園への道を見送って峠を越え、いつの間にか輝き始めた町灯りを見下ろして走る。町から再び1キロほど登った、丘の上に立つホテルが今宵の宿。夜の間ずっと、外で雨が降るような気配がしていて、雨具を着て山を登る嫌な夢を見た。


*過去の今日はどこの山に登っていたかを振り返ってみました。このシリーズは新しい山行報告ではなく、かなり古い記録や写真も含んでいます。山行の際には、必ず最新の情報をご参考ください。* 


この日・あの山 (1月20日)

2017-01-20 05:00:35 | 山日記

1998年1月20日 葛城山 <省略>

2009年1月20日 伊勢・朝熊ヶ岳(和子と)

伊勢志摩国境に位置する朝熊ヶ岳(555m)は神宮の鬼門鎮守、また死者の鎮魂の場とされた信仰の山である。「伊勢に参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と言われ、低山ながら日本名山図会にも描かれた。一等三角点は最高峰の経ヶ峰山頂より西650mにある。伊勢参宮を済ませ伊勢志摩スカイラインに入る。ゲートの人は余程話好きなのか、それとも暇なのか、私たちが山に登ると聞くと「頂上まで車で登れる」と詳しく分岐の説明をしてくれた。寺から歩くと「3~40分はかかりたいへんですよ」ということだった。好意はありがたいが、竜王社への分岐を見送り、金剛証寺の駐車場に車を置く。

仁王門の石段を登って境内に入る。赤い太鼓橋が美しい姿を写す池があり、茶店横の広場にザック姿の団体が群れていた。その横を通り抜け、さらに一段高みにある本堂にお参りする。右手の奥の院への道に入ると、眼病にご利益のある明星堂があり、金網を張った井戸に目を写して祈願する。さらに進むと大きな冠木門があり、その下に「八大竜王・経ヶ峰参詣道」という背の高い標識と近畿自然歩道の道標が両側に立っている。門を潜り、右手下に卒塔婆の群れを見下ろしながら、山道にに入る。

ごろごろした小石の転がる急坂と、勾配のやや緩い道が二度ほど交差すると左100mで経塚群、直進は岳道を示す道標がある。この岳道は古くからの金剛証寺への参詣道で、峠までは各山麓の村からいくつかの岳道が通じている。やや遠まわりになるが経塚群を経て行く。

短い急登で林を抜けると、「国史跡・朝熊山経塚群」の柱が立ち、枯れたススキの穂の中に五輪塔や多宝塔などさまざまな形の石塔が散在している。この冬の枯れ野の風景は、あまりにもうら寂しく、もの悲しく、不気味でさえある。何枚か写真を撮って追われるように先を急ぐ。緩く登りつめて少し下ると、左から伸びてきた舗装路に出た。有料道路ゲートで聞いた車道のようである。

少し登ると左からの別の舗装路と合流する。ここの分岐は変形の十字路になっていて、山頂まで300mの標識がある。右は寺へ下る道だが、斜め左は舗装の車道、直進する形の地道はどちらも山頂に通じている。山道は急坂ではあったが、ひと頑張りで竜王社の建物横に出た。回り込むと広場になった山頂で、並んだ鳥居の奥に八大竜王社、

その西側に山頂碑が立っている。地元有志の浄財によるというが、正面に「朝熊ヶ岳山頂」、右側面にこの場所の緯度経度と標高、左側面には「一等三角点は直線で西650m」にあることが記された、赤色石製の立派なものである。

広場の反対側には無線中継所の建物と電波塔がある。ベンチに腰を下ろし、東に拡がる伊勢湾を見下ろしながら午後のコーヒーを楽しんだ。

少し歩き足りないので、予定通り一等三角点まで往復する。広場西側の小径を下っていくと、左に踏み跡が何箇所か分れるが、ともかく直進する。舗装路と合流して、すぐまた林の中に入る。クロモジ、サカキ、アカガシなどの林の中で、下草にはウラジロが多い。再び舗装路に合流したところはT字路になっていて、右手から「朝熊岳道」が登ってきている。

ここが朝熊峠で「二十二丁」を示す町石とお地蔵さん、その上が台地には竹製のベンチが置いてあり、北側の展望が大きく開ける。

湾に流れ込む河口や点在する近くの町が見えたが、帰ってから調べてみると、川は五十鈴川で二見ヶ浦辺りの景色のようだった。

更に真西へ続く、今度は宇治岳道を進む。所々で古い石垣に囲まれた森もあり、内宮から続く道と聞くと、思いなしか神々しい雰囲気が漂う。猟犬が騒ぐ一軒家の前を通り、地図にはない電波塔の立つ小広場にでる。三角点は確かにこの辺りで、その先は下り道になる。うろうろ探すうちに、♀ペンが右手の小高い処に登って三角点を見つけて、少し鼻を高くする。一等だが無展望で殺風景なので、記念写真を撮ってすぐすぐ引き返す。念のため、ずっと舗装路を登るが思ったより登りでがあった。道の両脇には木の名をつけた札が付けられている。アサマリンドウの花はここで発見されたそうだが、アサマツツジの名札もあった。分岐にきて右の地道に入り、なだらかに下る。やがて経塚群分岐で登って来た道と合流。後はあっという間に、冠木門に帰る。

左の奥の院へ向う。車道が勘吉台展望台に向かって右に大きく曲がるところで、逆U字型の白い門の上に赤い建物がついた極楽門を潜る。

その先は両側にずっと背の高い卒塔婆の列が続く。『江戸期以降、宗派を問わず葬儀ののちに朝熊山に登り、金剛證寺奥の院に塔婆を立て供養する「岳参り」「岳詣(たけもうで)」などと呼ばれる風習がある』(Wikipedia)。今も近在ではこの風習が守られているようで、新しいものではまだ一か月も経っていない、今年に入っての日付の卒塔婆もあった。故人の愛用の品や、花束などが供えられ、ここもなんとも寂しく不気味な雰囲気だ。

ずらりと並ぶ卒塔婆の通路を急いで抜けて奥の院に詣り、すぐに引き返す。

開山堂の前の空海が掘ったという蓮間池や、庚申堂などを見て仁王門を潜る。内側には仁王ならぬ観音像が安置されていた。曇り空だったが展望もまずまずで、見所の多かった山歩きに満足して、今宵の泊まり相差の宿を目指した。

*過去の今日はどこの山に登っていたかを振り返ってみました。このシリーズは新しい山行報告ではなく、かなり古い記録や写真も含んでいます。山行の際には、必ず最新の情報をご参考ください。* 


この日・あの山 (1月18日)

2017-01-18 05:00:34 | 山日記

1976年1月18日 信楽・鷲峰山(千日山歩渉会)

奈良より直通の信楽行きバスで、原山下車。曇天で小雨模様。村の中の道を登っていくうちに雪となる。両側が茶畑の急勾配の道は、村を抜けた辺りでようやく緩やかになる。ここまでで早くも一汗かく。この辺りより青空が拡がり、捲道を辿ってマンガン廃鉱跡で休憩。ここから谷沿いの道となり、木馬道と石段のジグザグを数回くり返すと案外早く金胎寺に着く。マイクロウェーブのある空鉢岳への稜線に立つと、凄い風。曇空だが、琵琶湖の水面が光ってみえるはど遠望が利く。最高峰は見送り、621Mの頂上で展望を楽しんだ後、多宝塔のある広場でカップヌードルの昼食。

再び粉雪が舞い落ちたが、行場巡りに出発する頃には又快晴となる。事務所横の木戸を潜って、迎えの行者までは捲道。ここから下って、東、西の覗き、胎内潜り、五光の滝、千手の滝を経て再び登りとなる。

鐘掛、小鐘掛、平等岩、蟻の戸渡りを過ぎて辻へ戻る。一周4キロで2時間かかり、大峰より距離が長い。子供たちは元気で、特に岳志は、親馬鹿かも知れぬが岩登りの素質があるように見えた。金胎寺で小憩後、元の道を膝がガクガクするほどの早足で降りる。真っ赤な夕陽が生駒山をシルエットにして沈むのを、バスの窓から眺めながら帰途に着いた。

原山9:45…マンガン廃鉱10:45~11:00…金胎寺11:15~30…頂上11:45…金胎寺11:50~12:45…行場巡り12:50~15:00…金胎寺15:15…原山16:05 


2004年1月18日 槇尾山~猿子城山(千日山歩渉会9名)
【コースタイム】槇尾山公園口駐車場9:25…五つ辻09:50~10:00…十五丁地蔵10:55…猿子城山11:20~11:25…ボテ峠12:00~12:45<昼食>…バンヤ峠13:00…追分13:10…虚空堂13:37…捨身ヶ岳13:55~14:00…藏岩14:10~14:40…槇尾寺山門15:10…駐車場15:25 

猿子城山は標高約705m。西国第四番札所・槇尾山施福寺の裏に連なる連山の一峰で、楠木一族の山城があったところである。今年初の例会に、干支にちなんだこの山を選ぶ。昨日は、関西では久しぶりの雪だったが、今朝もあちこちで道路が凍結している。170号線天野山トンネルを過ぎる頃から山や田圃に雪が残っていて、スリップ事故で破損した車も二台見た。施福寺への道を慎重に登り、雪が残るグリーンパーク駐車場に車を置き、身ごしらえをする。

公園口から根来谷沿いに登る。前に会で槇尾山に来たのは95年だから、もう8年にもなる。その時に比べると道も広くなり整備が進んでいる。登るにつれて次第に雪景色となり、稜線の五ツ辻に出ると見事な霧氷で歓声があがる。

露岩の散在するトラ尾と呼ばれる尾根道を登る。ときどき梢からシャワーのように落ちていた雪が、陽が昇るにつれてドサッと音を立てて落ちるようになる。林を出はずれて展望の開けるところにくると、真っ青な空から暖かい太陽の光が降り注ぎ、雪面からの反射が眩しい。

緩やかな道になり、左から西国巡礼旧道を併せて大きく右に回っていく。再び急坂の短い登りが終わると、雪を被った十五丁石地蔵の前に出た。三国山へ向かう道と分かれ、左折して猿子城山に向かう。急坂を登り返すと、松や檜に囲まれて展望のないピークに「猿子城山」の山名板があった。記念写真のシャッターを押した途端、頭上から大きな雪の塊に直撃されて身体中真っ白になった。

転げ落ちそうな急坂をグングン下って勾配が緩むとボテ峠に着いた。ダイヤモンドトレールの標識や案内図、ベンチもありメインルートらしくなる。ちょうど正午になり、雪のある小さな広場で昼食にする。谷を挟んで向かいの尾根に槇尾寺塔頭の赤い屋根が見える。午後は小さな谷に下ってからバンヤ峠に登り返す。十字に道が分かれる追分に下り、数字の減る丁石とお地蔵さんを見ながら行く。左に西国巡礼道を分けて勾配が緩むと虚空堂の下に出た。急な石段を登った虚空堂横から山頂を示す小さな道標に導かれて、胸を突くような急坂を登る。ときどき露岩の上にでて左側に開ける展望に慰められる。「601m槇尾山最高峰」捨身ヶ岳の山名板の前で写真を撮り、すぐに藏岩に向かう。

少し下った鞍部から広い岩稜を登って岩の上に立つ。快晴の空の下に遮るもののない大展望が拡がる。東には暖かい日を浴びた岩湧山から金剛山に続く尾根、西には関空方面、北にかけて大阪湾岸に連なる市街の上に六甲、遠く霞むのは淡路島か四国の山か…。岩の上でのんびりコーヒータイムを楽しんで、反対側の急坂を下る。本堂に手を合わせ、好天に恵まれ、思いがけぬ雪景色と大展望で幸先のよい今年のスタートが切れたことに感謝して家路についた。 

*過去の今日はどこの山に登っていたかを振り返ってみました。このシリーズは新しい山行報告ではなく、かなり古い記録や写真も含んでいます。山行の際には、必ず最新の情報をご参考ください。* 


この日・あの山 (1月17日)

2017-01-17 05:00:03 | 山日記

1988年1月17日 三輪山と巻向山(千日町ハイキング同好会)

神の山三輪は正月の山行にふさわしい。大和平野から仰ぐ端正な山容は、見慣れているが、神域に踏みいるのは、夫婦とも初めてである。狭井神社に参拝後、和と御弊でお祓いし合い、社務所で借りた入山許可証ともなる白いタスキを首にかけて、七五三縄の下をくぐって入山する。

苔蒸した階段状の石道を少し登ると、予想外に幅広く、傾斜の緩い明るい尾根道となる。ただし、松や杉、檜の大樹に遮られて展望は全くきかない。暫くでじめじめした暗い谷あいの小道となる。細い滝があり、行場らしく脱衣場建替えの為の木材が積まれている。滝の横から短いジグザグの登りとなり、再び尾根に出、少し傾斜が強まる。頂上直下は広い斜面で、七五三縄を張った黒い磐座石がいくつかある。467mの頂上には林の中に日向御子神を祀る神社と石の椅子があるだけで、頂上らしい解放感もわかず早々に下山する。<神域の山内は撮影禁止>

暗い域から「大美和の杜」へ出ると、春のような暖かい陽射しがさんさんと降りそそぎ、青空に今降りてきた山頂が遥かに高く浮かび上がっている。(写真は三輪山を背にして大和三山、左に三輪大社大鳥居)

1時間ほど腹ごしらえと休憩に費やし、三輪の奥、万葉に名高い巻向山に向かう。「山の辺の5道」をたどるときに通る巻向の道を走り抜け、笠明神への途中から林道に入る。舗装はあるものの、かなりの急カーブ、急勾配が続き、やっと「奥の不動寺」に着き門前に駐車する。ここから、すでに花崗岩の露出した斜面が見える。

ひと登りで奇妙な形の岩が立つ白山の稜線にでる。小規模だが、こんな近くにロックガーデンに似た風景が見られるとは、意外だ。ここからは、龍門、三輪、遠く二上山が見渡せる。大和平野の一部も見える。巻向への尾根道を辿る。栗や楢など灌木林の中の踏跡は、予想よりはっきり続いているが、二、三回ゆるい起伏を越した後、山頂近くなって道が入り乱れているところがあり、ルートが定まらず、しばらくプッシュを漕ぎ、ロスする。

567.1mの山頂には、龍王からの縦走路、長谷寺へ下る道などが集まってきているが、ここも林に固まれていて展望なし。三角点の標石の上でコーヒーを沸かして休憩。ここは、万葉の弓月が岳にあたる南東峰らしい。下りははっきりした谷沿いの道を下る。苔の付いた杉の大木や、檜の植林の側を行くと上りに縦走路から望見された林道となり、やがて駐車場所に帰り着いた。

1993年1月17日 播州・高御位山(ご近所のY夫人、和子と3人で)

三が日が過ぎると休日は雨続きで、今日が待ちわびた初登りとなる。加古川バイパス高砂北からすぐの公園墓地に駐車。久しぶりの青空に心を弾ませながら出発する(9:45)。山裾のバス道を10分程で、長尾の村に着く。舗装の切れた村はずれから、まっすぐに高御位山目指して細い道が上っている。すぐ岩道になり、急登だが案外に登りやすい。10分程でかなり上に見えていた送電線の鉄塔に着く(10:07)

大きな岩盤の上からは目の下の池を散りばめた田園風景、その向こうの臨海工業地帯の煙突、瀬戸内海と島々の姿と大展望が開ける。10分程、景色を眺めて出発。ここからは快適なスラブ状の砂岩の登り。ふり仰ぐ頂上は、大きな岩が取り巻いて要塞のように見える。200M程で右に捲き道があったが、頭上のマイクロウェーブ反射板目指してそのまま岩場を直登する。



登り切った稜線は頂上の西端で、天の御柱という大きな石造物が立っていた。100Mほど稜線を右に歩き、高御位神社奥宮に参拝〈10:45)。宮前の「神霊降臨の地」の立札にある大きな岩上に立つと、360度の大展望が広がった。

南に淡路島や家島半島の浮かぶ瀬戸の海、北に千ヶ峰や雪彦山など折り重なる山々(ただし、愛想のよい宮司さんに聞いてみても、山の名は分からなかった)。存分に展望を楽しみ縦走に移る。

登ってきた分岐まで引き返し、平坦な尾根道の灌木帯を行き、下りになる露岩の所で早目の昼食を取る(11:18~50)。人の多い山で、食事の間も大勢の人が行き交う。黒い雲が厚みを増して来たので、先を急ぐ。小さいがビラミダブルなピークを幾つか越えるが、時々、疎らな雑木林の中を行く他は殆ど見通しのよい稜線を爽快な気分で歩く。特に左手、海側の展望はずっと開けていた。

鹿島山の東峰と西峰も小さな突起で分からぬうちに通り過ぎ、左に廻り込んだ最後のピークまで来て振り返って、始めて識別できた。此処から観ると、偶然だが鹿島槍に似て立派な双耳峰である。この辺りからバラバラと霰がちらつく。ここからの下りは、岩梯子と名付けられた広いスラブ状の岩場で、1DOM程の距離だが30度位の傾斜がある。しかし、フリクションがよく効いて快適な下り。降りきると展望台があり、すぐ神社の階段になった。鹿島神社は予想外に壮大で、合格祈願の人々で混み合っていた(13:10)。石灯寵に置かれた破魔矢や達磨が珍しい。参道の店で名物の柏餅を買って、バス道を駐車地点に帰る(13:50)。304M(高御位)の低山ながら、ちょっぴりアルプス気分が味わえ、図らずも正月に相応しい初詣でまで出来て、大いに満ち足りて帰途に就いた。

1999年1月17日 信貴山~高安山(千日町ハイキング同好会) 省略 

*過去の今日はどこの山に登っていたかを振り返ってみました。このシリーズは新しい山行報告ではなく、かなり古い記録や写真も含んでいます。山行の際には、必ず最新の情報をご参考ください。* 


あの日・この山 (1月16日)

2017-01-16 05:00:10 | 山日記

 

 

2005年1月16日 鳥見山から貝ヶ平山へ(千日山歩渉会18名)

6台の車に分乗して7時に出発。名阪国道・針ICを出て369号線を香酔峠に下る頃から、雨は雪に変わる。この天候のせいか鳥見山公園駐車場には他の車が見当たらず、貸し切り状態だった。身支度を調えて、長い列になって動き出す。足元にはうっすらと雪が積もっている。小雪が舞う中を稜線にでたが、無展望なので展望台には寄らず、そのまま頂上へ向かう。今日は風はないが気温が低く、汗もでないうちに雪景色の山頂に着く。

ヒノキ林の緩い下りで一時少なくなった雪が、コルから登り返すと次第に深くなってくる。先行者の足跡がない、ふわふわした純白の雪を踏んで登る爽快さを久しぶりに味わう。雪の重みで道にふさがっていた木の枝が跳ね返ったり、手掛かりにした樹から落ちた雪を頭から被ったりしながら歩く。

真っ白な木々が重なるように続き、青空が背景ならどれほど美しいかと残念に思う。勾配が強くなって、虎ロープが張ってある岩混じりの箇所を二度過ぎる。

香酔山への分岐を右に分けると、まもなく見覚えのある鳥見山頂上だった。山名板を囲んで記念写真を撮り、アイゼンを着けて元の道を帰る。

 

湿った雪やその下に隠れた枯葉が、アイゼンの歯に絡んで団子になるので、ひっきりなしに足踏みしたりストックで叩き落とさなければならない。面倒なのでぶら下げて歩く人もでる。ロープのある急坂は滑りやすく神経を使う。雪が止み、正面に疎らに雪を付けた鳥見山のゆったりした姿が見えた。風が出てきて飛ばされた雪がシャワーのように降りかかる。笹原の尾根の下りは、雪が溶け始めて泥まじりになっていた。正面に雪をまとった曽爾の山々、右手に竜門岳や音羽三山を見ながら下る。展望台に登ると、先日よりずっと白くなった音羽三山、眼下に榛原の町と伊奈佐山、盆地に浮かぶ大和三山、雪雲に覆われた金剛・葛城、ぼんやりと影のような二上山と、まずまずの展望が楽しめた。

鳥見山公園の東屋で昼食後、ゆっくりコーヒータイムを楽しんで帰途につく。去年に引き続き、雪の「干支の山」で楽しい新年例会を行い、幸先のよいスタートを切ることができた。

*過去の今日はどこの山に登っていたかを振り返ってみました。このシリーズは新しい山行報告ではなく、かなり古い記録や写真も含んでいます。山行の際には、必ず最新の情報をご参考ください。* 


この日・あの山 (1月15日)

2017-01-15 05:00:00 | 山日記

この日はもと「成人の日」で休日。山行回数の多い日ですので、抜粋してご覧頂きます。
1977年1月15日 六甲山(家族で)
1981年1月15日 矢田山(千日町ハイキング同好会)
1991年1月15日 鷲峰山(千日町ハイキング同好会) 
1992年1月15日 大和三山(千日町ハイキング同好会)
1994年1月15日 犬鳴山(千日町ハイキング同好会)
1995年1月15日 猪背山(千日町ハイキング同好会)
1997年1月15日 葛城山(千日山歩渉会)
2000年1月15日 湖南・竜王山(和子と)

1997年1月15日 六甲山(家族で)

10時半、快晴だった空が雪模様となった有馬でバスを降り、温泉街を通り抜けて魚屋道に入る。ゆっくりとジグザグを繰り返し、所々近道を見付けたりしながら登る。最高峰のマイクロウェーブを近くに仰ぐころより雪降りだす。登るにつれ道も木々も白くなり、思わぬ風情。四十八滝への分岐の神社の横でホエをおこし、例によってカップヌードルの昼食。ドライブウェイを横切って、一軒茶屋より下山。七曲がりまでの道が凍結していて歩き難い。本庄橋付近はすっかり様子が変わっている。ノンストップで風吹岩まで飛ばす。夕闇迫る芦屋の邸宅街を抜けて、阪急で帰る。帰宅19時。

1991年1月15日 鷲峰山<じゅぶせん>(千日町ハイキング同好会)



今年の初登りは12月の飯道山に続き、行場巡りのある鴛峰山である。南側登山口である原山の公民館横に駐車させてもらい、村落の中を抜け、茶畑の中を通って山に向かう。山裾を左へ登り、鋭角に右に折り返して、薄暗い檜の植林の中を登る。尾根に出て殆ど勾配のない平坦な道となり、それが少し心配になるほど続く。雪のついた小さな橋を渡ると、始めて山道らしくなり、小さい流れに沿う雑木林の中の登りとなる。木馬道、石段状の所、また木馬道と次第に勾配も強まり、最後に2度ほどジグザグを切ると広い林道に飛び出した。すぐ立派な重文の金胎寺山門に着く。




広い道を多宝塔のある広場に登り、汗に濡れた下着を替えて、さらに頂上を目指す。握り石という奇石の横に頂上の標識があり、石塔もあるが、地図上の三角点とは位置がかなり異なるようだ。(山渓のアルペンガイドではここを685m・空鉢峰としている)。

マイクロウェーブのある地図上の空鉢峰の左手遠くにぼんやり三上山が見える。非常に気温が低いので記念写真だけ撮ってすぐ寺務所に下り、荷物を預け200円を払って、昼食前に行場巡りに出かける。右手の見晴らしの良い快適な尾根を行き、「迎え行者」に来る。行場は西の覗きから始まり、美しい千手の滝、胎内潜り、



この堂々たる五光滝までが下りで、ここから岩場の急登に変わる.鐘掛で少し時間をくったので、平等岩は無理をせず捲く。蟻の戸渡し迄来ると空腹も重なり、かなりピッチが落ちて、結局2時間を費やして寺務所に帰り着く寺守の76才のおじさんの話を聞きながら、暖かい土間でゆっくり昼食を摂らせてもらう。下りは、途中ちょっと雪がぱらついたりしたが、ノンストップで原山に下る。駐車場で整理体操をして十分に筋肉を伸ばし、夜の新年会を楽しみに帰途に着く。

1992年1月15日 大和三山(千日町ハイキング同好会)



耳成山麓へ駐車。山裾まで住宅が押し寄せているが、一歩、山へ入ると古代そのままの神さびた静けさ。途中の山口神社に詣で、三等三角点の山頂に立つ.樹木が生い茂って、北方の一部を除いてはあまり展望はない.神社から耳成池へ降り、万葉歌碑を見て駐車地点に戻る。桜井へ走り道端に駐車、田の畦道を吉備弛まで歩く。ここは金剛、葛城、二上山を背景に、大和三山が一望できる景勝の地である。反対側に多武峯、音羽山と龍門岳も見える。


南方、入釣の里に向かい藤原宮跡の博物館前に駐車、左手の香久山を目指す。ゆるい勾配の坂の途中に天皇国見の地があり、畝傍、耳成を始め、大和平野の眺めがよい。頂上の龍王社に詣で、北側に下って香久山神社、さらに山裾をぐるりと半周して南側の天岩戸神社にも詣る。

最後の目的地、畝傍山へ向けて車を駆る。雷丘の下から飛鳥の里をかすめて橿原へ。神宮北参道から山腹を巻くように続く立派な道を登り、北端で右に折れてやや急な登りを登り頂上小広場に着く。三角点は広場の北側にあった。

眼下に広がる街並の向こうに、耳成山と香久山が浮かんでいる。



元の道を下って、成人式の晴れ着姿で賑わう橿原神宮に、無事、三山完歩のお礼詣りをした。


1994年1月15日 犬鳴山(千日町ハイキング同好会)

この年初めての例会は干支に因んで犬鳴山。阪和自動車道の開通で泉南方面へも便利となり、僅か1時間15分程で犬鳴林道途中の宿坊駐車場に着く。林道を少し登り、祈祷のための車道を谷沿いの不動堂に降りたつ。犬鳴山は山号で、七宝滝寺の周辺のいくつかの山の総称である。お堂横の急な良い石段を登ると元の林道に出て、犬鳴トンネルに入る。出口も見えず真っ暗で不気味なトンネルを抜けると、頭上に青空が拡がり、右手には天狗岳から五本松に続く緑の稜線を仰ぐようになる。

取り付きを探して林道を行き、左手の山仕事のものらしい道を登るが仮小屋がある所で道は消えた。まばらな伐採の跡の斜面を直登すると稜線に出て、予想通り、かなりはっきりした縦走路があった。道は次第に下りになり、やがて木や岩や黒黄まだらのロープに縫っての急降下となる。最後に地獄岩という標識のある一枚岩を鎖を頼りに下ると、二つの沢の分岐となり、今降りてきた道へは「元山上岳」の道標がある。いつの間にかトンネルの上で林道を横切り、行場巡りのコースに入っていたらしい。ここは行者の滝の落ち口で少し下るとお堂があり、30円収めて滝の見学をする。

堂守りの人に道を尋ねて、下の大きな不動専の銅像がある広場横の、ちょっと分かりにくい所から灯明ヶ岳に向かう。ジグザグのかなり急な登りだが道ははっきりしている。義犬伝説の発祥地の「蛇腹」という所を右手に見て鳥居を潜ってさらに登り、最後に大きく右に捲くように登って頂上に立つ。石組みに囲まれた石塔があり、周囲は樹木が茂って期待の展望はなく、僅かに木の間から空港島辺りが見えるだけ。

ここからは稜線歩きで道もはっきりし、道標もある。5分で経塚ヶ岳。新旧の経塚と狛犬があった。こちらの方も樹林の中だが、やや疎らでそれだけ展望もましな気がする。東に小さなこぶをいくつか越えていく。最後に杉林の中の胸をつくような急坂を登り、国土地理院の地図の天狗岳頂上らしいピークに着く。すぐ三角点は見つかったが、標識は見当たらなかった。行者堂から登ってきた男性二人の登山者に出会い、急な下りだが早いということでこの道をとる。林道への分岐を過ぎると物凄い急坂となる。露出した岩がごろごろした道の両側から奇怪な形にねじ曲がったクヌギやブナの木が覆い被さり、例の黒黄まだらのロープが張ってなければ到底降りられそうもない行場道である。ようやく谷に下り着くと、高城山から降りてきた時の二つの沢の出合だった。今降りてきた道を見上げると、張られたロープの傾斜の具合からもよく降りてきたものだと感心する位の勾配がある。しばらく休んで参詣人の絶えない境内の参道を下る。不動尊から弁財天、観音、竜王、はては豆八という狸を祭る稲荷まで神仏のオンパレード。伝説の主「義犬の墓」もちゃんとあった。宿坊の白雲閣の横を通り、元の駐車場所に帰る。天狗岳から灯明ヶ岳に続く稜線の肩に太陽が隠れかけていた。


1995年1月15日 猪背山(千日町ハイキング同好会)



この年の干支、亥の名が付くこの山を初登りに選ぶ。今年の干支、猪の名前がつく山を初登りの目的地に選ぶ。8時出発。307号線の裏白峠付近は、雪が溶けて滑りやすく、運転に神経を使う。422号線を信楽川沿いに北上、脇出の富川会館駐車場に車を置く。沢沿いの踏み跡を、笹に積もった雪にまみれながら登る。しばらくで沢の中の直登となり、左手に逃げると三体のお地蔵さんのある正規のルートに出た。植林帯の中の緩やかな登り道をのんびり辿る。行く手に目指す猪背山の稜線が見える。少しルート探しに手間取るが、赤ビニールテープの標識を見つけて急坂を少し登ると、あっけなく558Mの頂上に着いた。下りは同じ道を下る。

1997年1月15日 葛城山(千日山歩渉会)

2000年1月15日 湖南・竜王山(和子と)



初登りというには少し遅くなったが、今年の干支の龍王山に登る。上桐生の駐車場に車を置き、舗装の林道を少し歩いて右の山道に折れる。山間の畑と小屋の横を通り、沢沿いに登っていく。道の両側には美しいウラジロがびっしり生えている。何度か谷を渡り返すと分岐があり、左は鶏冠山への道である。

次の分岐で「落ヶ滝へ」の標識に従って沢を渡り、なだらかな岩の上などを辿るとすぐに滝に着いた。何段かに分かれて落ちる滝の水量は、晴天続きのためか少なくて迫力に乏しい。

二番目の分岐まで引き返し北峰縦走路に向かって登る。滝の上部に出た後は沢伝いに登ったり、時には美しいナメ状のところを行く。沢を離れるとまもなく縦走路に出る。

いつもは北の鶏冠山を往復するのだが、今日は割愛して縦走路を南下する。雑木林を抜けると、花尚岩の岩峰が連続する稜線の道に出る。道は上下しながら続き、いったん稜線を左へ離れて雑木林の中を通った後、再び稜線に登って天狗岩に着く。大きな岩の上に登ると、二組4人が休んでいた。鶏冠山の右に整った山容の三上山、その向こうに琵琶湖の眺めが広がる。先ほどまでまぶしいくらいだった日差しがかげり、肌寒さを感じるようになったので早々に岩を降りて白石峰に向かう。

左側の暗い林に降りて登り返すと耳岩。更に進んで白石岩に着く。前よりもベンチの数が増え立派な道標が立っている。ここから龍王山へ向かうとすぐに茶沸観音の石仏に出会う。ここから整備された立派な尾根道を行き、右に折れて下り登り返すと左に八大龍王の社がある。四等三角点の龍王山は右の杉林の中にあり、木の間から三上山や阿星山が見えた。引き返して白石峰のすぐ手前の見晴らしの良いところでコーヒーを沸かし、少し遅めの昼食にする。今日はチーズ・ハム入りのパンにゆで卵、パテイローフ、レタスと洋風。ワインを忘れたのが残念だった。午後になって雲量が増えたが、西から南にかけてはかなり遠くの山までくっきり見える。北の方は雪雲がかかっているようでぼんやり暗い。稜線伝いに下ると重ね岩が道脇に立っている。国見岩からは琵琶湖の眺めが美しい。森の中の急坂を下ると狛坂寺跡に出る。

ここの線刻磨崖仏の美しさにはいつもながら感心する。とても平安時代のものと思えないほど、鮮やかに残っている。ここからは谷間の下りとなる。ウラジロの緑が生き生きとしている。竹藪を過ぎると林道に出会った。とても車では走れないような両側から草が覆い被さる狭い道である。水晶谷出合を過ぎたところで、大がかりな工事が行われている。建設中の第二名神道路の工事で、その下を立派なトンネルでくぐり抜ける。いつかは車で通ることになるだろうと話しながら行くと、再び谷添いの静かな未舗装路になる。逆さ観音は割愛して朝の駐車場に帰る。

*過去の今日はどこの山に登っていたかを振り返ってみました。このシリーズは新しい山行報告ではなく、かなり古い記録や写真も含んでいます。山行の際には、必ず最新の情報をご参考ください。*  


この日・あの山 (1月14日)

2017-01-14 05:00:00 | 山日記

1979年1月14日 葛城山(職場の家族会、我が家からも4人参加)
総勢28人で新春の葛城へ。10時、駐車場着。2日ほど前から暖冬の正月と打って変わった寒さとなっており、震えながらバスで来るパーティをロープウェイ駅で待つ。10時40分頃出発。A先生を先頭に子供たち中心でゆっくり登る。ときどき強風が木の雪を吹き飛ばし、頭から粉をかぶったようになる。やがて後発の0、Y等が追いついてくる。天神森でロープウェイ組と合流、賑やかな頂上へ12時30分着。国民宿舎前でホェーブスを興し豚汁を作る。子供たちは元気に凧揚げヤソリ遊びに興じた

1990年1月14日 芳 山(千日町ハイキング同好会)

高畑駐車場に車を預け、春日大社の裏参道入口から右に折れて滝坂の道に入る。妙見宮分岐の少し上で、路傍に横たわる仔鹿の死体を見る。外傷は無いので、かわいそうに群れからはぐれ凍死したのだろうか。石畳の道は能登川沿いに次第に登りとなり、苔蒸した大木の下を潜ったりして歩く。石仏はまず路傍の寝仏、次に左手の斜面を上って三体仏、夕日観音と続く。

川べりの朝日観音を過ぎると道も緩やかになり石畳も終わって、赤い前垂れの首切り地蔵の立つ広場に着く。

休憩所やトイレがあり明るい感じの分岐点になっている。新池の右側へ出る道を選ぶ。池は金網が巡らされすっかり風情がなくなった。昼食には早いので、ドライブウェイを横切って地獄谷の石窟仏へ向かう。線刻の摩崖仏を見た後、山腹を巻き気味に下り、小川を越えて階段状の急坂を上って、石切峠近くの東海自然歩道に出る。相当気温が低いと見えて、登りでかいた汗が直ぐ冷えて肌寒い。

甘酒で暖まろうと峠の茶屋に入る。江戸時代からある古い茶店だそうで、のんびりしていて甘酒一杯飲むのに30分もかかってしまう。店を出て誓多林集落入り口の神社横から芳山を目指す。入り口に標識も無く、竹林を抜け茶畑を横に見て、山間の田圃の畦を通り、行きつ戻りつうろうろ道を捜す。草に埋もれるような小さな道標を見付けやれやれ。胸を突く急坂を登り稜線に出て、展望のない518Mの芳山頂上に立つ。

また石仏を捜しにかなり稜線を歩いた後、穏やかなお顔の石仏を見付け、前の台地で湯を沸かし昼食。ゆっくり1時間を過ごし、雪でも落ちてきそうな空になってきたので円成寺への予定を変更して、途中、穴仏を見て春日林道を下る。例年の初歩きに比べ歩き甲斐があったが、低山でも地図と磁石は必要な事を再認識した。

【コースタイム】千日町発 9:00…高畑駐車場 9:30…夕日観音10:30…首切地蔵10:57…峠の茶屋11:4~12:16…芳山頂上13:10…芳山石仏13:30~14:30…妙見宮15:47…高畑駐車場16:30…千日町帰着17:00

2012年1月14日 平群・仁王山(OSR)
大阪と奈良を隔てる生駒・金剛・和泉山脈の北部。西の生駒山地、東の矢田丘陵に挟まれた小盆地の間を南北に竜田川が流れています。ここは平群谷と呼ばれ古代の豪族・平群氏の本願地でした。今も古い寺社、古墳などが残された歴史の薫り高いところですが、最近は大阪のベッドタウンとして急速に変貌しつつあります。曇り空の土曜日、この平群(へぐり)にある椿井山城址を巡るウォーキングにお誘いを受けました。
平群神社の近くSさんのお宅に余計な荷物は置かせて頂いて、総勢9名でスタート。最近はご無沙汰していましたが、皆さん古い顔馴染みの山仲間です。楽しく語り合いながら15分ほど歩いて協和橋で竜田川を渡り、椿井集落に入ります。



椿井線刻石仏
 
頭に平らな石を乗せているので笠石仏と呼ばれています。地元では弥勒菩薩と伝わる右向きの仏像が彫られていますが、顔から胸の辺りにかけては信仰する里の人が撫でさすって擦り減っています。また昔はこの石仏に牛馬をつないだらしく、引き倒されて胸のところで折れた跡が見られます。鎌倉時代のものと思われます。ここから集落の中の坂道を登り、途中、右手にある古い墓地に寄り道しました。石仏から300mほどで常念寺の横に来ます。左上に椿井春日神社が見えます。

見下ろすと平群の里がもう下に、正面に信貴山の特徴的な姿が見えます。



椿井井戸 
ここの地名の由来になった井戸です。聖徳太子が物部守屋を征伐した時、太子軍の将軍・平群神手が椿の杖を突き立て戦勝祈願をしました。すると一夜にして杖が芽吹いて葉が茂り、その下から清らかな泉が湧き出したといいます。この水を聖徳太子以下の将兵が飲んで意気大いに上がり、物部軍を打ち破ったという伝説の地です。

平成の今も、底の見えるほど美しい水が滾々と湧き続けています。

左に折れ春日神社の下を行くと、白石畑を経て松尾寺に続く古い松尾詣りの道にでますが、今日は直進して宮表山古墳の下を登ります。椿井城址に続くこの道は、二年以上にわたって地元有志の方々が整備され、昨年11月に完成したばかりです。以前のBLOGを見ると、城跡に登るのに踏み跡すら判っきりせず、藪漕ぎなどで大変だった様子がうかがわれます。今では途中の分岐に真新しい標識も設置されて、迷うこともなく尾根に出ました。左に少し登ると南廓址の標識がある平坦地(地図上の標高205m地点?)に出ました。

椿井城はもと土豪・椿井氏の山城で、のち島左近(大和の戦国大名・筒井氏、後に石田三成に仕えた戦国武将)が城としての体裁を整えたとされてきました。しかし、それを実証する史料はなく、最近では信貴山城の出城として松永弾正久秀との関わりを唱える説も出ています。南郭跡から北の主廓址まで約350mにわたって、尾根の上に点々と郭や横堀や土塁や土橋などが設けられていました。現在では所々に石垣の址が見られるだけで、辛うじて表示板で「郭」のあとが分かるだけでした。

尾根を北へ進んでいくと、何か所かこのような「堀切」に出会います。「縄張り図」によると全部で五ヶ所の堀切で遮断し、敵の侵入に備える防御線としていたようです。

新しいロープが取り付けられたおかげで、冒険ごっこのように楽しく登り降りしながら標高243mの北廓址に来ました。小広い平地になっていて、右手(東側)に小さな谷を挟んで矢田丘陵の最南端部が見えます。目の下には「じんあい焼却場」の白い建物と塵埃を保管するトタンの囲み。建物前の車道を左(北)へ行くと、谷間の集落白石畑にでます。ここまでは以前、道を探しながらきたことがあります。白石畑から松尾寺の切通しまでは、それほど遠くありません。

こんな木の瘤がありました。コアラが寝ているような形をしています。ネットで調べると、やはりコアラに見えるようで「コブリン」という綽名までついているとか、知る人ぞ知る人気者です。この北廓址で道はぷっつりと途絶えました。右も左も切り立った絶壁で降りられそうもありません。唯一、北に続く雑木林の小尾根を灌木を手掛かりに遮二無二下ります。地図によると椿井春日神社から白石畑に抜ける「松尾道」(近畿自然歩道になっています)に出るはずです。灌木に縋りながら急坂を下ると、次は密集したササ藪漕ぎ。なんとか下りきって水の流れる沢に下りましたが道はありません。対岸の斜面をトラバース気味に下ります。フユイチゴの実が赤く艶やかに光っていました。北廓址から藪漕ぎ30分あまり、

この写真の少し上部で「松尾道」に出ました。先ほどの沢は大きな岩石が重なっていて通過はまず不可能。斜面のトラバースは正解でした。ふわふわの落ち葉を踏んで降っていくと「近畿自然歩道」の標識がありました。

さらに下って平等寺の集落に入りました。「右 松尾寺」への古い石の道標のある場所から振り返ったことろです。電柱の上のピークが北廓址(243m峰)、南廓址は右に続く稜線のさらに右になります。北廓址の左、Ⅴ字形の切れ込みから下ってきました。国道を渡って「道の駅」に立ち寄ったあと、Sさんのお宅にお邪魔して大宴会。山の話で盛り上がり、可愛いお孫さんと遊んだりして、日が暮れるまで時間の経つのを忘れて楽しく過ごさせて頂きました。竜田川駅への途中、ふと見ると信貴山の上に空鉢堂の灯りがぽつんと一つ、星のように輝いていました。

*過去の今日はどこの山に登っていたかを振り返ってみました。このシリーズは新しい山行報告ではなく、かなり古い記録や写真も含んでいます。山行の際には、必ず最新の情報をご参考ください。* 


この日・あの山 (1月12日)

2017-01-12 09:01:58 | 山日記

2003年1月12日 金剛山(和子と)

冬の金剛山は簡単に冬山気分を味わえることで人気があり、特に休日の国見城趾などは、まるで花見時の観光地並みの賑わいでうんざりさせられる。しかし圧倒的に多いのは河内側からの登山者で、大和側からはどのコースを撰んでも静かな低山の冬を楽しむことができる。今日は神話の里・高天に車を置き、古くからの峠越え道である伏見道を登り、戦前は頂上社務所に郵便配達の人が通ったという郵便道を下山するコースを辿った。予想通り人が少なく、特に登りでは伏見峠まで誰ひとりにも出会わなかった。

高天神社の駐車場に車を置き、伏見集落へ歩いて菩提寺横から山道に入る。所々でV字型にえぐれた道の上に間伐されたヒノキが被さっていて、やや荒れた感じだが、4年前に来たときに比べるとかなり歩きやすく整備されている。30分ほど登ると道が大きく左に曲がる。ここは99年に10年ぶりにきた時、道を失って右手の斜面にある踏み跡に迷い込み、上部で元の道に帰るのにかなり苦労をしたところだ。勾配が緩んだ道をしばらく歩き、再び急な溝状の所を抜けると、右に大きくカーブして尾根(イワゴノ谷南尾根)の右側を捲くようになる。標高850mを越した辺りから雪が見え始め、菩提寺から1時間ほど歩いた所で開けた感じの分岐にきた。正面に白雲岳から続く稜線が見える。親切な図入り標識があり、直進はイワゴノ谷、左が伏見峠への道を示している。ちょっと登って左手に電波反射板があるところを過ぎ、再び林の中に入る。雪は少し増えたが、締まっていて歩きやすいのでアイゼンを付けずに登る。左から石寺から来た道が合わさると、急に賑やかな人声が聞こえだして、すぐに縦走路に飛び出した。

踏み固められた縦走路はツルツルなので、キャンプ場に入ってベンチでスパッツとアイゼンを付ける。いつの間にか雪空になり見晴らしが悪そうなので、展望台は素通りして、たくさんの人の行き交う道を山頂に向かう。湧出岳への道に入ると、また二人だけの静かさが帰ってきた。広い道を一登りで経塚の前に出て、関電の無線中継所横の一等三角点がある小丘に登る。周りの木々に僅かながら霧氷が見られた。三角点横で湯を沸かしラーメンを作る。一の鳥居、仁王杉を過ぎて賑やかな参道の急坂を登り、正面の石段から葛木神社へ参拝。ブナ林から葛城山を眺めて一の鳥居に帰る。

水越峠への道に入り、すぐ右へ急な階段道を下る。伏見峠より標高があるためか、しっかりついた美しい雪にアイゼンが気持ちよくくい込む。少し下ると、左手に白雲岳が思ったより高い所に見える。急なガレ場にロープが張られた所を過ぎ、はっきりした分岐に出会う。小さな梯子を下り、その先で右の道と合流したところでアイゼンを外す。時計の高度計は登り同様、標高850mを指していた。山腹の捲き道から石のゴロゴロする歩き難い急な道になり、静かな杉林の中の道になる。高天谷の水音が次第に大きく聞こえてきて、やがて高天滝の下で石橋を渡る。滝では夫婦連れで滝行をする人が見えた。細いが舗装された道を下ると、間もなく高天神社に帰り着く。二人だとどうしても休憩が少ないので、まだ13時を廻ったばかり。下ではずっといい天気だったようで、車の中は眠くなるほどに暖まっていた。

*過去の今日はどこの山に登っていたかを振り返ってみました。このシリーズは新しい山行報告ではなく、かなり古い記録や写真も含んでいます。山行の際には、必ず最新の情報をご参考ください。* 

                        


この日・あの山 (1月10日)

2017-01-10 05:00:00 | 山日記

2002年1月10日 二上山(和子と)<省略>
1997年1月10日 葛城山(和子と)<省略>

2012年1月10日 金剛山(和子と)

今年はまだスノータイヤに履き替えていないので、いつもよりゆっくり家を出て郵便道を登る。御所近くまできても山麓から見る金剛、葛城にはまったく雪がない。高天から高天彦神社に登る道にも雪の気配がない。杉並木の参道を通って登山口の高天彦神社に参拝。神殿はお正月らしく飾られ、狛犬の首にも注連縄がつけられていた。

ちょっぴり名残雪の残る畑地を抜け、10分ほど舗装路を登って高天滝の前の橋を渡る。ここから山道が始まる。山頂の社務所へ郵便物を運んだという道だけに、距離は短いが勾配はきつい。32Lのザックで完全な冬山装備できたのに、青空からさんさんと陽が降り注ぎ汗ばんでくる。ちょっと拍子抜けするほどだ。標高800mを過ぎると雪が出てきた。



しばらく登ったが、日陰の斜面が続き滑りやすくなってきたのでアイゼンを装着する。今日は久しぶりに軽金属製10本爪を持ってきたが、左足後部の金具が壊れていた。昨日の点検がいい加減だった報いだが後の祭り。適当に何とか括り付けて歩き出す。
最後の急登り、500段の階段は足元がぐらぐらして捗らず、よちよちとペンギン歩き。



雪の好きな♀ペンは颯爽と歩き、もどかしげに見守っている。ようやく登り切ってダイアモンドトレール出合に来ると、「左の靴の踵もおかしいんと違う?」。見ると外れてずり落ちそうなのが、なんとかアイゼンの靴台で引っかかっている。この登山靴も久しぶりに引っ張り出したので点検不足、それ以上に手入れ不足だった。しかし、郵便道は人が少ない(登りでは二人に出会っただけ)ので、格好悪いところは見られずにすんだ。



一の鳥居にくると湧出岳の方からくる人で急に賑やかになる。急坂を上って仁王杉を過ぎ、正面の石段を登って山頂葛木神社に参拝。新しくなった本殿の千木が金色に輝いていた。

夫婦杉前の急坂は冬用の捲き道が作ってあるが、曲りなりにもアイゼンを利かせて転法輪寺寺務所前へ。錬成会押印所の前には今年もカマクラが作られていた。

国見城址で居合わせた青年に記念写真のシャッターを押してもらった。ライブカメラに写っているかなあ。広場には、いつもより人が少ない。おかげで、河内平野を見下ろすベンチが一つ空いていた。腰を下ろしてガスコンロで湯を沸かし昼食。風もなく青空から陽が降り注いで、ジャケットを着ていると暖かすぎるほどだ。その代り、下界は靄がかかったように霞んで展望は今一つ。

広場は雪だるまの展示会場のようで、イヌや雪ウサギなど、いろいろな雪像が並んでいた。1時間遊んで腰を上げる。同じ道を下ったが、アイゼンはますますグラついて歩きづらく時間がかかる。雪が少なくなっても靴の踵が外れているので、そのまま歩き続ける。いよいよ外そうかと思ったとたん、木の根に爪をひっかけて大きく前に倒れる。幸い服を汚しただけで打った所も怪我もなかった。しかし、アイゼンを外すと登山靴の右の踵裏も剥がれているのに気づく。途中で落ちていた紐で片方は縛ったが、ペッタンペッタンさせながらゆっくり下る。

昔、合宿の時は、必ず装備係が靴の修繕用にペンチや釘、針金を持っていたもので、人の靴を修繕したことはあるが自分の靴が壊れたのは覚えがない。15時過ぎ、なんとか高天に下って、神社に無事下山のお礼を言って車に帰る。天気が良過ぎて樹氷は見られなかったが、青空と雪のコントラストが美しかった。ちょっとしたトラブルも、いい思い出になるだろう。

 

*過去の今日はどこの山に登っていたかを振り返ってみました。このシリーズは新しい山行報告ではなく、かなり古い記録や写真も含んでいます。山行の際には、必ず最新の情報をご参考ください。* 


この日・あの山 (1月8日)

2017-01-08 05:20:00 | 山日記

1994年1月8日 錫杖ヶ岳(和子と)
1997年1月8日 伊勢・牛草山(和子と)

1994年1月8日 錫杖ヶ岳(和子と)

名阪国道向井ICから舗装の林道に入る。登山口まであと10分という所で路肩が大きく崩れ通行不能となり、先行者のものらしい車が2台停めてある。私たちもここから歩き出す。小さな峠を越え、すぐに登山口の標識がある。かなり良く整備された道を、荒れた谷を左手に見ながら緩く登る。

30分足らずで柚ノ木峠に着き、南側、経ヶ峰方面の展望が開ける。ここで直角に左に折れ、明るい尾根道を登る。この辺りは十両、アオキ、シキミなどが目につく。杉の植林を過ぎ、檜と雑木の混じる狭い尾根道を小さく登り下りして、クヌギや樫の落葉樹の枝越しに頂上の見える所に来る。

ここから胸を突くをつくような急坂になり、木の根が階段のようになっている所を木の幹につかまって登る。足下に丈の低い熊笹が見られるようになると、岩場が混じるようになり、ニヵ所ほど連続して鎖が設けられているが、なくもがなの気もする。勾配はあるが短いので難なく登り切ると、大きな花崗岩が積み重なったような頭上に着いた。

先着の4人パーティに写真を撮って貰い、ゆっくりと四囲の展望を楽しむ。まさに360度の眺めで、北に油日・那須ヶ岳・高畑山、その右に綿向・雨乞・鎌・野登など、南は経ヶ峰から青山高原、西に霊山と見飽きない。眼下の錫杖湖の姿も美しい。やがて人声がして数人のパーティが上ってきたので、頂上を明け渡し、湖への降り口を少し下った屋根付きの立派な展望台で昼食にする。

殆ど汗もかかずにきたので喉も乾かず、持参の缶酎ハイはザックに返す。元の道の下りは本当に楽で、辺りの植物を見ながらあっという間に峠に着いた。ここで和がマユミの木の美しい果実を見つける。再び暗い荒れた谷間に沿い、車を停めた林道に帰る。天候は申し分なく、短い所要時間で大展望が楽しめ、幸先の良い初登りとなった。

 


 

1997年1月8日 伊勢・牛草山 (和子と)

丑年ということで「山渓」新年号に紹介されていた牛草山に登る。伊勢自動車道玉城ICを出て更に南へ宮川の支流・一之瀬川に沿って走る。川口集落から五里山橋を東に渡って林道に入ると工事中の標識があり、バス道から少し入った空き地に車を置かせて貰う。すぐ左手に山肌が明るいカヤで覆われている神岳が見える。 

一之瀬川の更に支流、五里山川に沿う林道は殆ど平坦で、時どき現れる小さな滝や川原の岩を見下ろしながら歩く。30分ほど歩いてウォーミングアップが出来た頃、岩伏場橋に着く。ジャケットを脱いで身軽になる。ここから虎ヶ岳林道と名を替えた林道の終点がやっと山道の始まりで、ここまで休憩を入れて45分、ガイドでは1時間だからまずまずのペースだ。しばらく沢沿いに檜の植林の中を登る。

荒れた感じの道は勾配を増すと、いつの間にか沢と離れ高度を上げる。再び沢に出会う所では流れが細くなり、岩伝いに対岸に渡る。かなり高いところに稜線が見える。上に来るほど風が強くなり、木の梢が擦れ合って人声や鳥の鳴き声、はては天狗の高笑いのようにも聞こえる。やっと檜林を抜け、広葉樹林のジグザグの急登となる。ほとんど海抜0メートルからなので、思ったより登りでがある。尾根に出て山名と矢印が記入されたビニールテープを見つける。500mピークを越えて二つ目の520mピークに向かう。ここから、やや急坂を登り切ると、明るく視界が開け小さい岩がごろごろした小広場の山頂だった。

雑木が何本か切り開かれて、正面に五所ヶ浦の眺めが拡がる。他は木に遮られ、展望はただそれだけ。すでに13時。お湯を沸かす時間がもったいないので、焼酎の水割りと肴、それにお握りで昼ご飯。ホッカイロで保温してきたお握りは、まだ暖かかった。それにしてもひどい風だ。おまけに午後になって、かえって気温が下がってきた気がする。あるだけ着込んだが寒くてたまらない。震えながら食事を終えて、写真を2、3枚撮り、追われるように頂上を後にする。凍えそうな手に手袋を2枚重ね、忠実にもとの道を帰る。

稜線を離れる分岐点で、ふと来るときとは逆に右の捲き道に入ると、金属板にマジックインクの細かい文字がある。曰く「牛草山へは、これを読んでいるあなたの背後の道がベター。正面も行けるが小ピークを二つ越すことになります」。なんと地図にない稜線通しの道を歩いて、往路だけで30分の時間と累積標高差250mの体力を浪費したことになる。駆けるように林道終点に下って大休止、熱いココアを沸かしてやっと人心地がつく。迷った時間込みで歩行4時間10分、休憩60分。結構よく頑張った。終日誰にも出会うことのないウィークデーの、高年夫婦二人だけの静かな山だった。

*過去の今日はどこの山に登っていたかを振り返ってみました。このシリーズは新しい山行報告ではなく、かなり古い記録や写真も含んでいます。山行の際には、必ず最新の情報をご参考ください。*