ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

奈良の山あれこれ(140)石地力山

2016-07-22 09:45:50 | 四方山話

*このシリーズは山行報告ではなく、私のこれまで登った奈良の山をエリアごとに、民話や伝説も加えて随筆風にご紹介しています。季節を変えたものや、かなり古いもの写真も含んでいます。コース状況は刻々変化しますので、山行の際は最新の情報を入手されますようお願いします。*

(140)石地力山(いしじりきやま)<1140m> 「涯無東山

昔は「涯無」とも書かれた果無山脈…なんと夢をかきたてる魅惑的な名前だろう。「大和青垣の山々」(奈良山岳会編、1973)には『十津川の桑畑から紀州田辺の牛の鼻まで二十里」とは土地の人いう果無山脈の全容である。桑畑から発した果無山脈は果無東山、果無西山、安堵山、和田森と紀和両国を分けて二十余キロ連なり、なお南西へ笠塔山、虎ヶ峰とその名の通り果てしなく続いている』と記されている。その東部の最高点が石地力山である。

冷水山からは幅広い尾根となって明るい疎林が続く。ピークともいえない林の中にカヤノダンを示す小さい標識があった。密生したスズタケの中の急な下りを抜け出すと、南側が大きく崩落している公門の崩(ツエ)を通り、公門谷ノ頭に来る。ここでは釈迦ヶ岳から笠捨山に続く、大峰山系南部の山々が眺望できた。

尾根の幅が広くなり踏み跡が錯綜してくる。筑前タワの北側は倒木が積み重なるような斜面で、正面に釈迦ヶ岳はじめ大峰南部の山々がよく見えた。美しいブナやヒメシャラの林の中、はっきりした道となってP1117、P1158など小さなピークを上下していく。ブナ平を過ぎて少し登ったところにすばらしい展望地があった。

『南側が開け、眼下に蛇行する熊野川が光る。大齊原の大鳥居が小さく小さく見える。大雲取、小雲取の山並みも私を招いているようだ。(山日記より)』

僅かな登りで石地力山(1139.5m)である。伐採された西側斜面が開け、振り返ると朝から歩いてきた峰々が延々と続いている。

冷水山は稜線の右肩に小さく頭をのぞかせている。その右手には牛廻山、護摩壇山が見え、山座同定に忙しい。

急坂を下るとスギ林の中の果無峠に到着。十津川から本宮へ通じる小辺路の最終行程・果無越えで、西国三十三カ所をかたどった観音さまの第十七番目が安置されている。角の取れた宝筺印塔もあった。「十津川へ6.5キロ」を示す標識に従い、杉植林の中の整備された道を下り、果無集落を通って十津川の畔の蕨尾に下り着く。朝から8時間半(冷水山から7時間半)の行程だった。


奈良の山あれこれ (139) 冷水山

2016-07-05 08:44:15 | 四方山話

*このシリーズは山行報告ではなく、私のこれまで登った奈良の山をエリアごとに、民話や伝説も加えて随筆風にご紹介しています。季節を変えたものや、かなり古いもの写真も含んでいます。コース状況は刻々変化しますので、山行の際は最新の情報を入手されますようお願いします。*

(139)冷水山(ひやみずやま)<1262m>  「果無山脈最高峰」



奈良と和歌山の県境を東西に走る果無山脈の最高点である。山脈を代表する山として果無山とも、この山で山脈が南西に曲がるために最西とみなして果無西山とも呼ばれる。かっては和歌山側の竜神(田辺市)からも、奈良側の十津川からの登路も長く苦労する山だったが、現在は広域林道「龍神本宮線」によって短時間でアプローチできるようになった。


私たちも果無山脈縦走の折、丹生ノ川沿いの「ヤマセミの郷」で一泊。翌朝、この広域林道を利用した。ところどころに落石がある安堵山の山腹を絡み、黒尾山との鞍部、登山道に出会ったところで車を降りる。すでに標高1000m、ひんやりとした冷気が体を包む。真っ青な空の下に大塔山系の峰々がずらりと並んでいる。木の階段を少し上った小広い展望所から、背丈を超すスズタケを切り開いた道になる。少しの急登で笹原を抜けると1222mピークを越え、ブナやリョウブの自然林の中を行く。ふわふわの土を踏んで疎らに雪が残っている道を行き、黒尾山頂(1235m)に立つ。いったん下って登り返すと、一等三角点が埋まり「果無山脈最高峰」の山名板がある山頂である。

南北が開け、和州、紀州両側の重畳たる山並みを望むことができた。車を降りてから山頂まで1時間だった。