ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

矢田山にようやく秋の気配(2013.08.28)

2013-08-28 10:24:34 | 矢田だより

先日の大雨のあと、朝夕はめっきり涼しくなりました。今朝は朝食後、7時過ぎから矢田山へ行きました。
お地蔵さんの辻から朝露に濡れた草地を抜けて、矢田大石の上から矢田寺町石道を登ります。急な坂道で汗は出ますが盛夏の頃と違って、そよ風が心地よく感じられます。

矢田山最高点横の「まほろば展望所」で、気温は23℃でした。汗も引き、ゆっくりくつろいでいたいところですが、大きなアブの攻撃にたまらず早々に腰を上げました。

クサギの花が終わり、これから黒い実を付けます。


(地図上の)矢田山三角点近くのウバユリ。緑色の実になりました。


ヤブミョウガの花も実に変わっていきます。


尾根道は涼しい風が吹き抜けて、すっかり秋の気配でした。今日は高見山も台高北部の山々もよく見えます。


こどもの森への途中で、大きな倒木が道を跨いでいました。大雨の影響でしょうか、道も少し荒れた感じです。


東明寺を過ぎて大谷池の下に来ると、センニンソウの花がたくさん咲いていました。2時間ほどの適度なウォーキングでした。これでアブやブヨがいなくなれば、もっと気持ちよく歩けるのですが…。


朝の虹(2013.08.26)

2013-08-26 08:53:22 | 今日の大和民俗公園

昨日は西日本各地で記録的な大雨となり、大和郡山でも一時激しい雨が降りました。夕方からは青空も覗いていたので、今朝もいつも通り5時過ぎから二人でWalkingに出かけました。


日の出前の東の空が紅に燃えています。雲が金色に光り異様な光景です。


ビルの壁も赤く染まり、西の空に虹がかかりました。見ているうちにどんどん左(南)へ伸びて行って、やがて完全に半円を描く虹の橋が架かりました。外側に「添え虹」も出ています。


再び歩き出して矢田山の見えるところへきました。空は青みを増しましたが、しばらくすると雲が広がり雨が降り出しました。いつもより早めにウォーキングを切り上げて急ぎ足で帰りましたが、家に帰る頃にはしっかり降ってきました。昨日の雨がまだ降り足らなかったのでしょうか?


大和民俗公園の花 (8月)

2013-08-25 09:09:22 | 矢田だより

処暑を過ぎ、待望の雨も降って連日の猛暑もようやく一段落。民俗公園の花たちもホッと一息ついていることでしょう。

ここでも咲いている花が少ない月でした。その中で健気に咲いていた花たちです。

サルスベリ 夏を代表するこの花は我が家ではとっくに終わってしまいましたが、公園ではまだ咲き続けています。


この花もまだまだ素晴らしい香りを放っています。エリカの一種?
エリカにはスズランに似た紫色の園芸種など色んな種類があって、公園にあるこの花の正確な名前は分かりません。


ヤブカンゾウ(藪萱草) ユリ科ワスレグサ属。ノカンゾウとの違いは花弁が八重になっていることです。万葉集などに「わすれ草」と呼ばれているのは、一日花ですぐ咲き終わることや、元の種の萱草(カンゾウ)を衣服の紐に結び付けておくと「憂いごと」を忘れられるという言い伝えがあったことによります。ユウスゲやゼンテイカ(ニッコウキスゲ)なども、この仲間です。


ヒョウタン(瓢箪)


6月末にはこんな花でした。


ヒマワリ(向日葵)
いつも太陽の方に顔を向けているので「日回り」というのはよく知られていますが、実際に一日の中で花の向きを変えるのは成長期だけだそうです。「ひまわり」といえば松嶋菜々子主演のNHKドラマ、もっと古くはソフィア・ローレン主演の映画、ゴッホの絵、色んな楽曲、昔の少女雑誌、気象衛星…といろんなことが連想されます。


英語では Sunflower 。連想ゲームはこれで終わります。


カンカン照りの大台ケ原(続き)

2013-08-22 09:55:04 | 山日記

一刻も早く日陰に入ろうと休まずにどんどん下る。疎林の中の「イノシシのヌタ場」もカラカラに干上がっていた。

正木ヶ原もカンカン照りで人影も見えない。子供たちが幼い頃、登って遊んでいた倒木の先に、去年はシカの集団がいたと♀ペンは楽しみにしていたが、警戒の鳴き声すらしない。尾鷲辻の休憩舎は7,8人の先着者がいたので通過する。辻ではブルーシートが張ってあって、森林の手入れをしている人の姿があった。ここから正木ヶ原にかけて作業用の軌道が敷かれている。その先の大きなケルンが積んである道脇で休んでいると、先ほどの作業者がガラガラ音を立てて通り過ぎて行った。風もこないので水分補給だけして、5分も休まずに腰を上げる。


牛石ヶ原では灼けつくような日差しに晒された神武天皇の銅像が熊野の方角を睨んでいた。弓の先に止まる八咫烏もさぞ暑かろう。


その前の黒い大きな石には、理源大師が牛鬼という怪物を封じ込めたという伝説があり、触れると「白日も天地晦冥となり」降雨になると恐れられている。遊歩道のように整備されている道をしばらく行くとT字路になり、大蛇クラへ直進する道は細くなる。やや急なガラガラの下り道になり、先行した家族三世代らしい6人パーティに道を譲ってもらって先に行く。


大蛇クラに登る入り口の木の橋も補修され、その先の岩場の周りの鎖もピカピカ銀色に光る新しいものに取り換えられていた。


他には誰もいない大蛇クラの先端に立って、二人でお互いの写真を撮り合う。右手の蒸篭クラ、正面に深く切れ込んだ東ノ川を挟んで竜口尾根、細い布を垂らしかけたような西ノ滝、さらに奥に大峰の山々。いつ見ても何度見ても素晴らしい眺めだ。5分ほど絶景を二人占めにしていると、6人パーティが姿を現したので場所を譲った。


三叉路へ引き返す途中の大岩を左に捲くところで右へ、踏み跡を岩へ登る。岩上の日陰になった窪みには、なんと雨水が溜まっていた。トウヒやゴヨウツツジなどが日陰を作っている、私たちがよく使わせて貰う昼食の特等席だ。すぐ横に蒸篭クラが聳え、アカヤシオの枝にまだ色の淡いアキアカネが羽を休めている。昼食をしていると真上に人影が立って驚いたが、同じ方(大蛇クラ側)へ降りて行ったところを見ると、どうも私たちの話し声で勘違いしたらしい。反対側からは登りやすく岩の下には「この岩は大蛇クラではありません。少し先の…」という注意書きがあるのだが…(写真は大蛇クラから見た蒸篭クラ)。食事中に大勢の人が下を通って行った。大きなパーティのガイドが「右手のような大きな岩壁をこの辺りではクラといいます」と説明している。6人パーティや単独行の男性も帰って行った。


30分近くのんびりして腰を上げ、三叉路へ登り返して左に折れ、シオカラ谷へ下る。去年はこの辺りから激しい雷雨になり、道が滝のようになって難渋したところだ。今日はシャクナゲ林の中の道は木陰で、時折り左の東ノ川の方から冷たい風が吹き上げてくる。シャクナゲ林が過ぎると大きなブナやケヤキ、ナナカマドなどの自然林の道をシオカラ谷に下っていく。


冷たい水で顔を洗い、河原の石に腰かけてしばらく休む。6人パーティのうち若い4人と単独行の人を合わせても7人。涼しい風が吹きすぎる今日のシオカラ谷は静かだ。


何時までも休んでいたいところだが、4人パーティが出発したので重い腰を上げて吊橋を渡る。


毎度のことながら、ここから駐車場への登りが辛い。しかも年々、時間がかかるように思える。最初のジグザグの急登で単独行の人に追い抜かれた。いったん水平な道になって、しばらく息を継ぐとまた石の階段道になる。休まずにゆっくり登り続けて前を行く中年のペアに追いつき、先に行く。最後に林の中の一登りを終えて、水平な道を駐車場へ帰る。




上北山村物産店でカップの氷を買って火照った身体を冷やした。上に乗っているいるレモンが何ともいえず美味しかった。ドライブウエイでは今年もトモエソウが花盛りだった。黒い雲が空を覆ってきて待望の一雨が来るかと思ったが、結局、帰るまで一滴の雨も降らず、大滝の国道に設置してある電光掲示板は35℃を示していた。



<コースタイム> 山上駐車場 08:55… 日出ヶ岳 09:35~09:50 … 正木辻 10:00 …正木ヶ原 10:20 …牛石ヶ原 10:55 …大蛇クラ 11:10~11:15 …昼食 11:25~11:55 … シオカラ谷 12:30~12:50 … 駐車場 13:25


カンカン照りの大台ケ原(2013.08.20)

2013-08-21 16:32:12 | 山日記

今年の暑さは記録的で、もう何日も連続して最高気温は35℃を超えている。この暑さからしばらくでも逃れようと、お盆の間は道路の混雑を予想して敬遠していた大台ケ原へ向かう。今日の空も真っ青に晴れ上がり、朝から強い陽射しが照り付けている。朝の道は予想通り空いていて明日香、大淀、吉野と順調に南へ走る。大滝を過ぎると殆ど車の姿を見かけなくなった。

伯母峰峠からドライブウェイに入ると、右手に大普賢岳から弥山に続く大峰北部の山々がくっきりとスカイラインを見せる。雨の心配はまず無さそうだ。


エアコンを止めて窓を開け、涼しい山の空気を楽しみながら山上駐車場に8時40分着。車の数はまばらで駐車スペースたっぷりなので、ビジターセンターに近いところに車を置く。しかし外に出ると予想したより暑く、慌ててトイレと身支度をすませて出発する。当初、♀ペンの意見で「帰りの登りが辛いのでシオカラ谷から回ろう」と思っていたが、やはりいつも通り展望の良い朝のうちに日出ヶ岳へ登っておくことにした。


8時55分、センター横から周回路に入る。「最近、クマが目撃されたという情報が数軒あった」という8月の掲示が付け加えられている。少し先の「大台ヶ原の動物」の掲示ではクマの他、カモシカ、シカ、アナグマ、サル、テン、モモンガ、ヤマネなど多くの動物がいるが、シカ以外には出会ったことがない。し・か・も・この日はシカも見かけなかった。長年、大台ヶ原へきているが一頭のシカにも出会わなかったのは始めてだ。あまりの暑さに谷の水にでも浸かっているのだろう。


しばらく林の中の平坦な道を行く。雨の多い時はいくつか渡る流れも涸れて、森の生物たちの「命の水」も今日は細々とした流れだった。この辺りにいつも咲いているトリカブトの色も思いなしか冴えない感じがする。

 

それでも時々、右手のシオカラ谷側からひんやりした冷たい風が吹き上げられてきて、ここからようやく始まる遊歩道の登りを慰めてくれる。昔と違って整備された道は味気なくなったが楽になって、簡単に稜線の鞍部に出る。熊野灘の見える展望三叉路の展望台には親子連れの姿があった。声をかけて追い抜いて行った女性の後を追うように、休まずに頂上へ向かう。


ここの木の階段も年数を経て、かなり周囲の自然に溶け込んできた。歩き易くはなったが急登で、はや汗びっしょりになった。


9時35分、日出ヶ岳頂上。去年、イタ友(イタリア・ツァーで知り合った仲間たち)と8人で登った時の展望は今一つだったが、今日は周囲360度遮るものがない。


展望台に登ると微かに御岳や中央アルプスの姿まで見えた。遠く霞んでいるのは、まさか富士山ではないだろう。ひょっとすると仙丈ヶ岳?もちろん懐かしい奥駆道の通る大峰の山々は、ずっと南の熊野の海に落ちるまで見えていた。


展望台下の休憩所で水分を補給して、親子連れが登ってきたのを汐に滞在15分で頂上を後にする。鞍部にあたる三叉路を過ぎて林を抜けると、正木辻(昔は正木嶺と呼んでいたところ)まで長い木の階段道が続く。


登りの途中で単独行の男性に追い抜かれたが、この人とはこの後も何度か出会った。私たちは歩くのは遅いが休まないので、先に行っては追い抜かれる格好になる。


ちょうど10時に正木辻の最高点に着いた。振り返ると、紅葉の進んだドウダンツツジを前景にして日出ヶ岳が見送っていた。行く手には正木ヶ原の緑の笹原が見える。


ここから正木ヶ原への下りは素晴らしい白骨林の中で、大峰山脈をバックにした眺めをゆっくり堪能したいところだが、何分にも今日は暑すぎる。10時になって気温はますます上昇したようだ。<続く>


わが家の庭に…(2013.08.18)

2013-08-18 18:15:16 | 花日記

ようやくタカサゴユリが咲きました。
よそのお家ではとっくに咲いているのに今年はもう咲かないのかと思っていたら、夕方、水やりをしていると咲いているのを見つけました。

台湾原産の外来種なので高砂百合。テッポウユリによく似ています。鳥が種子を運んできて自然に根付きますが、何年か経つと消えてしまうようで数が減りました。


矢田丘陵の花 (8月)

2013-08-17 09:46:41 | 矢田之花暦(やたのはなごよみ)

市街地に近いのに豊かな自然の残っている矢田丘陵ですが、さすがにこの8月は花の種類が少ない月です。というよりも、暑さにかまけて、あまり出かけないので花たちに会う機会が少ないだけかも知れません。

ウバユリ(姥百合)
ユリに似ていますが葉が大きいのが特徴です。花が満開になると、この葉が枯れてしまうことが多いので「歯が抜けた姥」に例えられて名が付きました。


カラスウリ(烏瓜)
ツチウリ・キツネノマクラ・ヤマウリなどの別名があります。これは早朝の写真ですが、夜に咲いた花がもう萎んでしまっています。


果実は熟れると美しいオレンジ色になります。種子の形が「打ち出の小槌」に似ているので縁起が良いと、財布に入れる人もいたそうです。


クサギ(臭木)
葉の匂いが悪いので、こんな名前になりました。しかし花は甘い香りでチョウを呼び寄せ、


秋になると紅色のガクの中に紫色の綺麗な実を付けます。


コオニユリ(小鬼百合)
オニユリの近縁種だそうですが一回り小振りです。正確には葉の付け根にムカゴができるかどうかで見分けるのですが、私はまだ確認していません。


ヨウシュヤマゴボウ(洋種山牛蒡)
北アメリカ原産の帰化植物でアメリカヤマゴボウともいいます。子供の頃は「インキの木」と呼んでいました。実が真っ黒になると染料にもなるだけにシャツなどにつくと色が落ちず、また毒性が強いので絶対に口にするなと言われていました。


ミヤマウズラ(深山鶉)
絶滅が危ぶまれる
シュスラン属のランです。小鳥が羽を拡げた形の可憐なこのランを、矢田山で見つけたのは2005年のことでしたが、二、三年後には全く見かけなくなりました。道から離れた林の中で人知れず咲き残っていることを祈っています。


暑さにめげず…(2013.08.15)

2013-08-15 11:14:45 | 花日記

カンカン照りの猛暑日が続き、庭の花たちも雨を待ちわびている様子です。

ハナスベリヒユ 
園芸店などではポーチュリカと呼ばれています。田んぼの畔に咲くスベリヒユとマツバボタンとの交配種ともいわれますが、日本に入ってきたのは戦後のことのようです。暑さには強いのですが、朝開いて夕方には萎んでしまう短命な花です。


 シコンノボタン
ますます元気に咲き誇っています。


ゼラニュウム
蚊取り草ともいわれるように独特の香りで蚊を寄せ付けません。


スイスではあちこちのホテルや民家の窓際に、この花をずらりと並べていました。写真はツェルマットにて。


山の番組二つ

2013-08-12 19:39:10 | 四方山話

今日はNHKBSプレミアムで山の番組を二つ見ました。

まずは14時45分からの「北アルプス大縦走」。田部井淳子さんとNHK内多アナとの22日間にわたる立山~奥穂高ジャンダルムの縦走の記録です。

最後のジャンダルムは私たちも2000年に登っているので懐かしく見ました。涸沢で知り合った東京・調布市のN夫妻が「ジャンへ登りたいが二人では…」と言っておられたので、前に登っている変愚院がご一緒することになりました。




頂上直下は少しオーバーハングしていて、アブミがかかっているのが見えます。無理をしないように3
人には西穂側から捲いてもらって、変愚院だけアブミを使わせて貰いました。後は適当なホールド、スタンスが続き、快適な登りで広い頂上(3183m)に着きました。頂上からは期待通りの大展望で、目の前に西穂へ続く縦走路、奥穂から前穂への吊尾根。噴煙をあげる焼岳。遠くに浅間、乗鞍、御嶽、八ヶ岳が浮かび、槍の向こうに立山も後立山連峰も見えました。


19時半からは日本百名山「大峰山」を見ました。ここも私たちには何度も登った馴染みの山です。もっとも女人禁制の山上ヶ岳には♀ペンは登れませんが、弥山や八経ヶ岳は何度か一緒に登っています。これは番組でも見た弥山からの八経ヶ岳。


始めて二人で登った1994年7月の八経ヶ岳山頂


山上ヶ岳の行場・西の覗きで修行?中の変愚院

 

八経ヶ岳のオオヤマレンゲの大群落。この番組も懐かしい想い出を次々と蘇らしてくれました。


お盆の山の想い出

2013-08-12 10:03:06 | 過去の今日

去年の8月11日は前年のイタリア旅行で知り合った仲間たち7人と大台ケ原にいました。前夜、入之波温泉・山鳩湯で鴨鍋やアマゴの塩焼きでうまい酒を飲み、この日はドライブウェイを山頂駐車場へ。

日出ヶ岳に登頂したあと正木ヶ原、牛石ヶ原と周遊。心配していた空模様は大蛇クラに着く頃から怪しくなり、シオカラ谷への下りでは激しい雨足に道は滝のようになりました。しかし、全員元気に東大台周回を終えて山の空気を満喫できた山歩きでした。

この時期、道路は渋滞、山は満員の事が多いので、リタイヤ後は出来るだけ遠出の山行を避けています。しかし若い頃は長い休暇の取れるお盆休みは絶好の夏山シーズンでした。少し変愚院の「お盆の山」を振り返ってみます。

1959年、変愚院25歳。8月10日に新穂高から入山して小池新道を大ノマ乗越に登って(今は殆ど鏡平経由でしょう)弓折岳から双六岳へ。ここから槍へ西鎌尾根を辿るうちに台風が接近。危険な稜線歩きを避けて横尾廻りで涸沢へ。ここで台風に直撃されて小屋で二泊したあと、ザイテングラードを登って奥穂へ。その日(14日)のうちに奥穂、前穂を経て上高地に下山しましたが、帰りのバス道も寸断されて散々な山行でした。(写真は前穂頂上から槍ヶ岳)

1960年のお盆は9歳下の弟と南アルプスに行きました。戸台から入山しましたが、3日間降り続いた雨の後で高捲きや渡渉を重ねて、更に八丁坂の急坂を登って北沢峠へ。翌日は仙丈岳を往復。3日目は仙水峠から甲斐駒に登り、黒戸尾根を下り七丈小屋泊。翌日下山して松本から夜行で帰りました。当時の記録を読み返してみると、小屋泊りとはいえ装備・服装とも周到な準備で、真剣に山に取り組んでいたことが思い出されます。(甲斐駒頂上にて。富士山が頭を出しています)

 

1963年は顧問をしていた大阪市立YS高校山岳部の夏山合宿。13日.折立~薬師峠。この年はリーダーをしていた社会人の会で♀ペンと一緒に前月に同じ道を登っています。14日.薬師岳往復~カベッケ原。頂上で差し入れの西瓜を切りました。15日.黒部源流を徒渉して雲の平へ。16日.雲の平~三俣蓮華~双六。快晴。17日.雨で沈殿。18日.予定の槍はあきらめて小池新道を下山しました。この時の教え子たちが、もう68歳。経過した年月を思うと感無量です。(後の大きな山容が薬師岳)

 

翌、1964年も同じ山岳部合宿。この年は白馬から唐松~五竜~鹿島槍~爺岳と後立山連峰を縦走しました。写真は八峰キレットの通過。

 

山岳部顧問は、他のクラブ顧問と違って生徒達と全く同じように行動しなければなりません。荷物はやや軽めですが、生徒の命を預かる責任は重大。本当に好きでないとやってられません。しかし、教師と生徒を越えた人間としての絆はいつまでも強く、お互いの心に残っています。

1970年は蝶ヶ岳にいました。社会人山岳会で5パーティに分かれた槍ヶ岳集中登山のチーフ・リーダーでした。この年も台風に遭遇、結局、槍に登ったのは、なんと最難関の北鎌パーティだけでした。今と違って通じにくいトランシーバーだけが唯一の連絡手段で、各パーティの安否確認が大変でしたが、全員無事に下山できてほっとしました。

 

1978年8月14日。東鎌尾根にて。
赤い帽子の♀ペンの後に息子10歳、娘13歳、この頃は家族でよくキャンプや登山をしました。この年は燕~東天井~常念~蝶と縦走。その子供たちも40歳を過ぎ、今は孫たちが「ジイジと富士山に登りたい」と言って喜ばせてくれます。