ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

続・旅で見た富士

2013-07-28 07:47:36 | 旅の想い出

1989年12月の富士山麓一周ドライブは実は二度目でした。最初は1986年夏、義父と3人で初めて富士山に登った帰りです。お鉢巡りを終えて11時に新五合目に下山後、まず白糸の滝で遊び、ついでに時計回りで山麓を一周しました。この日は清水で泊まり翌日は清水次郎長生家や菩提寺、三保松原、日本平、最後に登呂遺跡まで回って帰りました。75歳だった義父のタフさには今の私は到底敵いませんが、残念ながら富士は最後まで姿を見せてくれませんでした。

閑話休題「富士を見る旅」を続けます。1990年3月、西伊豆へ一泊旅行のとき、田子の浦からフェリーに乗りましたが富士は頭しか見えませんでした。土肥から南下して恋人岬を経て堂ヶ島で島めぐりの船に乗り、松崎で泊まりました。翌日は鏝絵で名高い長八美術館や岩科学校など見学して帰途につきました。三津浜まで来てようやく、ボンヤリと頭の部分を見せた富士です。

海の次は湖からの富士。翌年暮れも富士を見る旅で箱根から伊豆へ出かけました。写真はかなり裾まで白い衣をまとった芦ノ湖からの富士です。


1994年12月10日は30回目の結婚記念日でした。恒例になった「富士を見る旅」はスカイラインを走って忍野へ。御殿場登山口を過ぎた頃から雲が切れ、青空を背にした富士がくっきりと姿を現しました。


忍野で、太陽が富士の肩に隠れるまで飽きずに富士を眺めました。山中湖で泊まり、翌日は石割山に登りましたが小雨の中で、富士は顔を見せませんでした。


95年12月は青笹山に登る前日に三保ノ松原


日本平で遊び、堪能するほど富士を眺めました。


他にも富士の写真がありますが、最後に一番新しい昨2012年の「富士を見る旅」をご覧ください。4月上旬、里帰り中の娘、孫と4人でCT社のバスツァーで駿河路へ向かいました。前日(3日)は春の嵐が日本列島を走り抜けて各地に被害をもたらし、この日も曇り空の空模様。蒲郡で休憩した時は雨でした。しかし、バスが静岡に近づく頃には車窓前方に雪を被った富士が青空をバックに姿を見せ、清水ICを出る頃には快晴になりました。清水港で遊覧船に乗りました。


操縦士さんによると、昨日の雨は富士山では雪。「ちょっと厚化粧ですが、この時期には珍しくくっきり姿を見せています」という話でした。僅か40分ほどの港内クルージングでしたが素晴らしい景色でした。


大展望に満足して再びバスの車窓から富士を見ながら箱根へ…。御殿場IC近くからの富士です。宝永山がはっきりと見えます。


ロープウェイで大湧谷に登り最高所から帰る途中で、絶好の富士ビューポイントがありました。頭に雲の帽子を載せた夕暮れの富士がにこやかに私たちを見送ってくれました。

*長い間の富士山の想い出を振り返って、改めて山から見ても麓から見ても、遠くから見ても近くから見ても、やはり「富士は日本一の山」であると思いました。世界遺産に登録されても、この神聖で美しい山がいつまでも人間の手で汚されることのないように祈りつつ、この項を終わります。*


旅で見た富士

2013-07-27 09:13:19 | 旅の想い出

ともかく♀ペンは富士山が大好きです。一時期、富士山を見るために展望の良い冬に富士山周辺の山歩きをしていたことがあります。しかし、五百円札の図案で有名な鴈ヶ腹擦山では雲の中、有名な展望地三ツ峠は凄い降雪で登頂できず小屋から下山しました。

そんな中で、この浜石岳(707m)は予想外に歩かずに富士の展望が楽しめた山です。歩いて3時間のハイキングコースもあるのですが、夕方の遅い時間だったので車で登りました。東名高速を由比で降り、阿僧というところで教わったミカン畑の中の道をくねくね登ります。『林道の終点には電波中継所があり、小広場になっていて正面に大きく富士が立ちはだかっている。すぐ南に浜石山頂が見え「頂上まで100m」の標識がある。カメラだけ持って広々と明るい山頂に登る。ジャスト16時。』1997年1月23日、この夜は静岡に泊り、翌日は「クマ出没注意」の看板のある道を竜爪山(薬師岳1,051m、文殊山1,041m)に登りましたが、富士はベールを被ったように霞んでいました。


東名を走っていて静岡が近づくと富士の表情が気になります。ここは富士のビューポイントとしても有名な由比PA。これもある年の12月10日に写したものです。


富士山へ登るときは最後のトイレ休憩になる富士川SAからの富士。これは1991年11月「富士を見る旅」の途中、少し若い頃ですが私の誕生日の22日でした。


由比PAの写真の時は山に登らず「富士を見る」ことが目的のドライブ旅行でした。沼津から1号線を箱根へ。松並木を走り抜け箱根峠から芦ノ湖スカイラインへ入りました。これは箱根・十国峠付近からの富士です。この日は御殿場のホテルで一泊。


快晴で明けた朝、ホテルの部屋から見える筈の富士が見えません。驚いて見直すと、すぐ間近に首が痛くなるような高さに聳えているのでした。富士山一周ドライブに出発。雪の残る籠坂峠を越えて山中湖へ。山中湖ママの森から見た絵葉書のような風景です。

忍野を散策して富士の湧き水を飲みました。何度か訪れましたが、やはりここから見る冬の富士は絵になります。吉田の浅間神社に参拝して、河口湖へ。


河口湖ではロープウェイで天上山に登りました。山上は公園になっていて目の前に大きく富士が見えました。


鳴沢風穴に潜り、樹海の中を走り抜けて朝霧高原へ来るとまた富士が全容を見せてくれました。


続・山から見た富士

2013-07-24 17:43:47 | 四方山話

私たちの「山から見た富士」をもう少しご紹介します。



美ヶ原・王ヶ鼻(2,008m)から
美ヶ原の最高点は王ヶ頭(2,034m)ですが、少し離れた美ヶ原の西端が王ヶ鼻です。ここに立つと松本平野を隔てて北アルプスが一望のもとに収められます。目を南東に転じれば富士が…。その左、前景に横たわる大きな山容は八ヶ岳です。昔から松本周辺の人たちは美ヶ原全体を王ヶ鼻または東山と呼んで親しんできました。わが息子宅もこの山麓にあり、車で手軽に美ヶ原駐車場まで入ることができます。写真は92年8月初旬のものです。


伊豆天城山系・万三郎岳(1,405.6m)より
頂上三角点付近は樹木が成長して見晴らしが悪く、実際には少し手前の露岩からの眺めです。『富士は思ったよりも高く、大きく青空に突っ立っている』その左には南アルプス、右には箱根・丹沢の山々を従えています。白雪の中で黒い鳥が翼を広げたように見えるのは、宝永山の旧噴火口。ちょっと分かり難いですが、下の小さな白い雲が点々と三つほど見えるのが愛鷹山の稜線です。その手前は大平山。(1992年12月12日)


奥秩父・瑞牆山(2,230.2m)より
前日は金峰山に登り、瑞牆山荘に泊りました。快晴の朝、富士見平を過ぎた小川山分岐から天鳥川に下り、桃太郎岩から荒れた沢状のジグザグの道を登って樹林帯に入りました。突然、右に視界の開けた場所に出て、額縁に入ったような富士が見えた時がこの写真です。更に摩天楼のような岩峰・やすり岩の横を捲き、壊れかけた梯子を二つ登ると、大きな平らな岩の連なる瑞牆山の頂上でした。ここからは真南の方向に富士、その左に昨日登った金峰山が大きく、西には八ヶ岳
、南アルプスの峰々が居並んでいましたが、次第に雲がその姿を隠して行きました。(1994.07.23)


安倍山地・青笹山(1,550m)
安倍川上流の安倍奥と言われる山地は、北の山伏から南へ真富士山、竜爪山まで2000~1000m級の山々が連なって静岡・山梨の県境になっています。中でも間近に眺める富士が美しいことは島田市在住の松本さんに教えられました。彼とは万三郎岳で知り合い、その後も鈴鹿の山などに一緒に登り、今もお付き合いをさせて頂いています。この頃、毎年のように展望の良い冬に「富士を見る山歩き」をしていたのですが、1995年12月10日、松本さんと彼の叔父さん、弟さんが青笹山に私達夫婦を案内してくださいました。 青笹という名の通り全山がササで覆われていて、以前はたいへんな藪漕ぎを強いられたそうです。今はずっと切り開きが続いています。正木峠、地蔵峠、仏谷山、細島峠と縦走して青笹山の山頂に立ちました。頂上はかなり広い草地で、まさに360度の大展望でした。山日記には『東に大きく富士が裾野を伸ばし、…その右に特徴ある愛鷹山、更に右に伊豆の山々が霞む。富士の左に金峰山、瑞牆など奥秩父の山々、その左にハヶ岳、鳳凰三山、今越えてきた仏谷山の肩に真っ白な北岳と続く。北から西にかけては大井川上流の井川高原が近く、その向こうに大無間など。さらに遠く荒川、赤石、聖、上河内、茶臼、光と、雪を冠った南アルプス南部の山々が連なっている。富士の手前には毛無山、身延山など、さらに富士川の流れ、右手に駿河湾と、いつまでも見飽きぬ景色が展開する。』と興奮したように書き連ねています。テントシートに車座になり叔父さんの運び上げて下さった「鬼殺し」で乾杯。この日は私たちの結婚記念日、本当に素晴らしいお祝いをして頂けました。


山梨・竜ヶ岳(1,485m)
かってはスズタケに覆われて登り難い山でしたが、2000年の干支の山で、しかも元旦にダイヤモンド富士が見られるということで県が整備を進め登りやすくなりました。私たちもこの年、毎月干支の「竜の山」に登りましたが、10月初旬に富士に行った翌日に訪れました。低い笹原の登りで経塚跡というピークで稜線に出ると『新しい祠と展望台があり、富士の全景が大きく見渡せた。』曲がり角ごとに富士を見返りながら頂上に立ちました。『南東に秀麗な富士、南西に雨ヶ岳が大きく、西には遠く北岳から聖岳へ居並ぶ南アルプスの連山が望めた。富士は次第に薄衣を脱ぎ、今や山肌もくっきり見えてきた。』ゆっくりと景色を見ながら食事を終えて、富士を正面に見ながら同じ道を下りました。


奥秩父・茅ヶ岳(1,704m )
奥秩父山地の西南部、山梨県北杜市と甲斐市にまたがるコニーデ型火山。1971年3月、日本百名山で知られる深田久弥が登山中に脳卒中で亡くなった山ですが、展望の良いことで有名です
2012年5月下旬、ヒマラヤ・ゴーキョピーク登頂トレッキングでご一緒した齋藤さんの清里高原のペンションでお世話になった翌日、韮崎の饅頭峠近くの深田記念公園駐車場から登りました。尾根に出て「深田久弥先生終焉の地」の碑に手を合わせ、大きな岩の間を直登して9時30分、頂上に立ちました。『南には秀麗な富士の姿、北東中央には金峰山、左に瑞牆山、右に国師岳と奥秩父の山々が並んでいる。西には左から北岳(雲がかかっている)、仙丈岳、甲斐駒ケ岳と続く南アルプス連峰…。』富士はやや遠く霞んでいましたが、素晴らしい展望でした。


どうも富士の話から山岳展望の方にずれた感じですが、最後に飛行機からの富士のうち綺麗に撮れたものを一枚。これは2007年2月、北海道の旅の帰り、夕陽を浴びた富士の姿です。


山から見た富士

2013-07-24 11:22:47 | 四方山話

苦しい思いをして辿り着いた山頂で…ようやく辺りの景色を見回したときに、思いがけす富士の姿を見つけて思わず声を挙げる…山を愛する人は誰しもこんな経験をお持ちのことでしょう。例えば白馬や剣からの富士のように、あまりにも微かで写真に残っていないことも多いのですが、山から見た富士のいくつかをそれぞれの山の想い出とともにご披露します。

南アルプス・甲斐駒ケ岳(2,967m)より
1960年夏、9歳違いの弟と戸台から入山して北沢峠で一泊。翌日は仙丈岳を往復。この日は霧が深く北岳の頭が見え隠れするだけでした。3日目、仙水峠を経て『アサヨ峰の高度と比べながら、ゆっくり登る。富士が次第に大きく雄姿を表してくる。駒津峰の頂上はすばらしい。富士、鳳凰、北岳、問ノ岳、仙丈が絵のように連なっている。』写真は甲斐駒ヶ岳頂上からの鳳凰三山を前景にした富士。この日は七丈小屋に泊まり翌日、黒戸尾根を下山しました。(1960年8月15日)


八ヶ岳・赤岳(2,899m)より
1961年の5月の連休。職場の先輩、大学時代の同級生に山の会の女性2人の混成パーティで渋ノ湯から入山。中山峠から稜線に出ると濃霧で視界は閉ざされ、吹き飛ばされそうな強風でした。夏沢峠の山小屋は夜中、風の音がしていましたが、翌朝は雲一つない五月晴れになりました。硫黄岳のジグザグの登りを終えると素晴らしい展望が待っていました。『横岳主峰の登りで一方所、雪の悪い所があったが、鎖があり、一寸緊張しただけでなんなく通過。富士が美しい。』これは八ヶ岳の主峰・赤岳からの富士。右手前に見えるのは、八ヶ岳南部の権現岳から編笠山に続く山並みです。この日は中山乗越から急な岩場を赤岳鉱泉に下りました。(1961年5月6日)


八ヶ岳・ツルネの頭(2,550m)より
1963年、大阪山友クラブの秋合宿で八ヶ岳縦走。変愚院は15名のリーダー、女子4名の中で♀ペンは食料係でした。初日は夏沢峠手前で幕営。二日目は横岳(小雪降り出す)~赤岳(ガス)を経てキレットで幕営。強風でテントが飛びそうでした。三日目は快晴で明けました。『モルゲンロートの富士、赤岳!全くついている。雑炊を喰ってデッパツ。ツルムの頭で一本。素晴らしい展望。赤岳、阿弥陀、権現はいうに及ばず、南ア、富士、中ア、そして新雪に輝く北アの連峰。…』その時(9月24日)の写真です。この後、権現岳を越したところで一人が足を痛め(アキレス腱損傷)、編笠山を越えて八ヶ岳の長い裾野を、タクシーの呼べる道まで交代で背負って歩きました。今、一枚前の写真で見ると、あの楽しくも苦しかった山行がまざまざと蘇ります。


南アルプス・北岳(3,192m)
日本第二の高峰・北岳への合宿山行は1964年7月。この年の暮、結婚した私達には独身時代最後の山行です。この頃は湊町から「やまと」という夜行列車が出ていました。富士から身延線で甲府へ。翌日早朝、バスで芦安、ここからマイクロバスで広河原へ。樹林帯を登って北岳バットレスが間近に聳える白根御池で幕営。入山二日目、草すべりの急坂を登りきって『稜線に出ると、富士、中ア、北アと素晴らしい展望と冷風が待っていた。しきりに写真を撮り、北岳へ向かう。』これは北岳頂上からの富士です。北岳小屋前の幕営地はキジ場からも富士が見えました。


南アルプス・農鳥岳(3,026m)
翌7月20日は~間ノ岳~農鳥岳と白根三山の縦走。この日も快晴で『農鳥の小屋へかかる頃から日差しが強くなり、頭が痛くなりそう。今日の行程は水が不自由なのが恨めしい』。飲み水が心細くなり、日射病、今でいう熱中症になるメンバーが出て『東農鳥の手前でついにダウン。先にパーティを行かせて空身で歩かせ、ザックを二つ担いで頑張る。』ビバーグまで決意しました。何んとか大門沢を下り遅くから河原にテントを張りましたが、天気が良すぎるのもまた困ったものです。


南アルプス・鳳凰三山(北御室小屋付近より)
1987年7月下旬、職場の仲間6人と鳳凰三山を縦走した時の想い出です。前夜、青木鉱泉で泊まり大小の滝を見ながらドンドコ沢を登ります。五色滝からは『小さな梯子を登るところがニケ所あり、さらに喘登が続く。ようやく尾根に出て、富士がくっきりと見える地点で小憩。』このあと又、河原に下りて水量の少なくなった沢を詰め、鳳凰小屋に泊まりました。


南アルプス鳳凰三山・観音岳(2,840m)より
鳳凰三山は北からオベリスク(地蔵仏と呼ばれる巨岩)で有名な地蔵岳(2,764m)、観音岳(2,840m)、薬師岳(2,780m)が 白い花崗岩の尾根上に並んでいます。
これは上の写真の翌日、『稜線歩きは実に快適、ルンルン気分。白砂青松(ただしハイマツ)の庭園の中の散歩。奇岩怪石、枯れ木のオブジェ、岩陰のビランジ、シャクナゲの花。「ゆっくり楽しもうぜ」と言い合ったのに惜しいくらいに早く観音岳に着いた。ガスが切れて最後のピーク・薬師岳、後に大きく富士が見える。』


立山の想い出に…

2013-07-22 11:15:13 | 四方山話

雄山頂上の授与所(社務所)で参拝料(500円)を収めると、3003m地点にある峰神社神殿に詣でることができます。

ここで神主からお祓いを受けお神酒を頂くのですが、今年は時間が遅かったので(14時半まで)参拝料は200円でお札だけ頂きました。赤いお札には鈴と紐が付いていて、ザックやストックに付けて下山する人が多いようです。


社務所は改築を繰り返してホテルと見紛うばかりの建物です。さまざまな記念品やお守りがありますが、このバンダナ(1,000円)を頂きました。一等三角点横の「風景指示板」の周囲に、雷鳥やオコジョなどのイラストを配した中村みつおさんのデザインです。


そう言えば、前にもここでの授かりものがあった筈と帰宅後探してみました。これは1991年8月17日に授かったもの。
この時は町内のメンバー10人で、雄山の他に浄土山、別山と立山三山縦走を果たしました。雄山からの展望は最高でしたが、バス・ケーブルの乗車待ちに時間がかかり、氷見阿見の浦温泉に着いたのは19時を過ぎていました。


この二つは立山・剣のお土産に駅などで買ったものです。

右の黒光りした木彫りの雷鳥は、1966年7月下旬の夏合宿のお土産。この年、始めて室堂までバスが入るようになりました。21日地獄谷を経て剣沢へ入り幕営。強風でテント一張りがダメになりました。22日はサブザックで剣往復。山日記に『いつもより雪が多い』と書いています。23日、剣沢~雄山~一ノ越~五色ヶ原。『立山で人の多いのに驚く。』24日、~越中沢岳~スゴ乗越~間山。


25日、~北薬師~薬師岳薬師峠『快晴。快調に飛ばし昼前に早くも薬師本峰に着く。ゆっくり遊んで薬師峠へ。』26日、~太郎平衛平『今年もニッコウキスゲが咲き乱れていた』~有峰へ下山。…と長い縦走でした。写真は変色していますが、薬師岳から剣・立山方面を見たところです。


左の雷鳥は地獄谷の項でも書きました♀ペンとの剣山行のときの土産。1998年9月の剣頂上では『槍・穂高は雲に隠れたが、白馬から唐松、五龍、鹿島鑓、針ノ木と後立山連峰がくっきり。立山三山から薬師に続く山並み。室堂平から地獄谷の眺め。奥大日から大日への稜線。早月尾根の稜線と毛勝三山』と360度の大展望が楽しめました。


浄土谷から雷鳥沢を登る途中には名前通りよくライチョウに出会います。これはそのとき、雷鳥沢を別山乗越近くまで登ったところにいた雷鳥です。ちなみにニホンライチョウは国の天然記念物で、富山、長野、岐阜の三県で「県の鳥」となっています。雷が鳴るような悪天の時によく姿を見せるのでこの名がついたとか、かっての「霊の鳥」が「ライの鳥」に転訛したとか、名前の由来には諸説あるようです。日本の高山で越冬する唯一の留鳥です。


立山の花

2013-07-21 09:27:24 | 山日記

高山植物のベストシーズンというには少し早い時期ですが、思ったより多くの高山の花に出会えました。
美女平から室堂までの間でも、すでにミズバショウ、ゼンテイカ(ニッコウキスゲ)、ナナカマドなどの花を見ましたが、画像が流れていてお見せするに堪えません。(以下の花の名前について、誤りをご叱正頂ければ幸いです)

室堂~一ノ越

イワカガミ


 

シナノキンバイ


ハクサンイチゲ

一ノ越~雄山

イワツメグサ


ジムカデ(もしくはツガザクラ)

ミクリガ池周辺


テガタチドリ


アオノツガザクラ


ハクサンボウフウ


ツマトリソウ


コバイケイソウ


イワイチョウ


ウサギギク


ヨツバシオガマ


ヤマガラシ


クロユリ


久しぶりの立山(終)

2013-07-20 17:43:10 | 山日記

7月17日。陽が登ると消えるかと思っていた霧は一向に晴れず、小屋主の「午後から雨になりそう」という話に下山することにしました。7時15分、スタート。手袋なしではストックを握る手が冷たく、体感温度は10℃をはるかに下回っています。(11時に美女平駅で見た Live view camera では、その時点で室堂で11.6℃でした。小屋のすぐ下の石畳の道は少し凍結して滑りやすくなっています。


昨日あれほどよく見えた稜線は雲に覆われ、「もう一度、自分の登った急斜面を確かめたかった」と丸さんは残念そうです。少し霧が流れて別山が顔を出しましたが、真砂岳から雄山に続く稜線は見えません。


30分ほど下ると少し青空が見えるようになりました。下りの急斜面で何度も雪面を渡りますが、次第に雪が緩んできたので、アイゼンは装着の手間を惜しんで使わずに慎重に下ります。


室堂の建物群が近づく頃、太陽が顔を出して雪面に影を落とすようになりました。(Photo by Marusan)
奥大日岳をバックに地獄谷から噴煙が一筋挙がっています。左端は中大日岳、奥大日から右にグンと落ち込んだところがカガミタン乗越、更に稜線は室堂乗越へ続きます。若い頃、ザックを担いで弥陀ヶ原から称名谷に下り、凍えそうな冷たい水を渡渉して大日岳に登り、あの稜線を歩いて別山乗越から剣沢の幕営地へ降りたことが夢のようです。何度か登ってくる人に道を譲ったり、譲られたりしながら…


ちょうど1時間で室堂第三十二番石塔の分岐に来ました。浄土山の方は晴れていましたが雄山はまだ雲の中です。剣や立山への登山の途次で室堂を通るのは10度目なのですが、実は私も♀ペンもこの辺りでゆっくりしたことがありません。しばらく周辺を散策することにしました。玉殿岩屋への道は雪で覆われているので、室堂山荘の前からミドリガ池の方へ進みます。


ミドリガ池 室堂周辺の火口湖群の中ではミクリガ池に比べて面積が小さく、水深も浅いのですが透明度がとても高い池です。周囲にはアオノツガザクラやコバイケイソウを始め、いろいろな高山植物が咲いていました。のちほどまとめてご紹介します。


ミクリガ池 室堂周辺で最大(面積約30,000平方メートル)、最深(15m)の火口湖です。立山地獄の中の「八寒地獄」であるとされて、昔、山の先輩から「今でも亡者が水を飲みに来る」怪談を聞かされたものです。しかし、「ミクリ」は「御厨」と書き、立山権現の「神の厨房」という意味でした。まず修験道で「神の水」と崇められ、浄土信仰の発展で地獄と見做されるようになったようです。


ミクリガ池の北西隅にあたるところに「みくりが池温泉」があります。写真はここから地獄谷を見下ろしたところです。地獄谷は立山の爆裂火口で周囲約1.5kmの平坦な窪地で、無数の噴出孔が点在しています。立山信仰では八大地獄に小地獄を加えて百三十六の地獄があるとされ、生前の罪に応じて死後どこかに送られると言われました。今昔物語で修行僧が女に会い家族に供養するよう頼まれる話、謡曲「善知鳥(うとう)」で生前、善知鳥を殺した猟師がやはり修行僧に供養を頼む話などの舞台になっています。
 

変愚院の立山・剣デビューは1961年、その頃は源泉地域の中に温泉宿(房冶の湯)があり、宿泊もできました。写真はその折、雷鳥沢幕営地に向かう途中で。左上隅に房冶荘が写っています。


1998年の9月、♀ペンと剣岳に登った帰りにも地獄谷を周回しました。黄色い噴泉塔が突っ立ち、噴煙がたなびく地獄谷を移した写真です。この日は剣沢から剣岳を往復したあと、別山乗越へ登り、雷鳥沢を下ってここへきたので、♀ペンはミクリガ池への登りが辛かったようです。それでも室堂で空室を確かめて、天狗平の立山高原ホテルまで下りました。朝5時半から16時半まで11時間行動、無茶をしたものです。


そんな思い出のある地獄谷は現在、通行禁止になっています。英語、韓国語、中国語の表記もあるのが時代の流れを語るようです。


遊歩道からミクリガ池を見下ろします。立山の稜線はまた雲に覆われてきました。



(Photo by Marusan)

室堂ターミナルの建物のすぐ横に人だかりができています。大きなカメラを据えた人も何人か。昨日、出発時に見た雷鳥の親子が今日も草叢から出たり入ったり。よちよち歩きの数羽の雛をお母さん鳥が心配そうに見守っています。微笑ましい風景に暖かい気持ちで駅に行くと、出発寸前の11時のバスに間に合いました。短い滞在でしたが、懐かしい山々を眺めながら残雪の上を歩き、可愛い雷鳥や美しい花々にも会えて充実した山行でした。

*今回も丸さんの写真を何枚も使わせて頂きました。長時間の運転と合わせてここにお礼申し上げます*