ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

大和郡山の史跡と伝説(8)大納言塚

2014-11-30 15:58:34 | 四方山話

 

7.大納言塚(大和郡山市箕山町)
豊臣秀吉の異父弟・秀長の墓所。秀長は天正13年、紀伊・和泉・大和に及ぶ百万石の所領を得て、天正13年(1985)、郡山に城を築き秀吉の良き補佐役として活躍しました。現在の大和郡山の基礎となる商工業の発展や赤膚焼の開窯など、文化的な面でも力を尽くしました。幼名は小竹だったといわれますが、天正15年に従二位大納言の官位を得たので大和大納言と呼ばれるようになりました。暴走気味の秀吉のブレーキ役でもあり、彼が長命であったら豊臣家が家康に滅ぼされることはなかったと言われています。ここは天正19年に郡山城内で亡くなった秀長を葬ったところで市指定史跡になっています。
 
 
最初の写真に見えるお地蔵様(高見地蔵尊)
 
 
お地蔵さんの左が正面です。
 
 
門前にあるのは賽銭箱でなく「お願いの砂箱」
 
 
このように白砂を中の穴に三度通して願い事をすると「智将・大納言」が願いを叶えて下さいます。
 
 
合掌。

私の関西百山(97)氷ノ山

2014-11-28 10:56:57 | 私の関西百山

 

97 氷ノ山(1,510m)

(ひょうのせん)兵庫県養父市と鳥取の若桜町をまたぐ、中国山地では大山につぐ高峰である。ブンマワシコース、氷ノ山越えコース、仙谷コース、二の丸コースなどがある。下記に記した福定からのコースは、現在では頂上に避難小屋が新設されるなど、かなり様子が変わっている。
 
始めて氷ノ山に登ったのは1960年2月28日、当時、母校のS高校で実習助手をしていた私は先輩教員4人と、これも初めてのスキーツァーで東尾根から氷ノ山~鉢伏山(1,221m)を目指した。東尾根の登りは快適。千本杉ヒュッテは殆ど雪で埋もれていた。ここから氷ノ山頂上まではシールを利して簡単に登る。
 鉢伏への稜線は案外に長く痩せていて、途中で二度スリップ。よくもスキーを流さなかったものだ。すっかりバテ気味になる。横滑りの練習場みたいな斜面の連続でようやく鉢伏のゲレンデヘ出たと思った途端、腐った雪の中へ突っ込んで、左膝と足首のニヵ所を捻挫。なんとか頑張って大久保へ下った。
 朝7時前に宿を出て19時まで、12時間行動だった。当時のS高山岳部は公立校ながら大阪府代表で全国大会に出場するほどの実力校で、これには先輩でもあるY先生の力が大きかった。私も顧問の一人に加えて頂いて、休日を待ち兼ねて山へ向かっていた。
 
 
1961年の冬山合宿は前年のスキーで回ったコースを周回する予定だった。元旦から大久保でスキーをしながら後輩たちが来るのを待って、3日午後から福定へ下り山に入る。深雪にワカンを付けて登るが東尾根の取り付きが分からず、大谷ヒュッテの近くで幕営。
 
 
翌4日は雨で明けたが、苦労しながら尾根の上に出て昼食。風雪が強まる。ここから東尾根の単調な登り。ときどき雪が止み、鉢伏辺りの稜線が望まれる。寒さと疲労でクタクタになった頃、ようやく千本杉に着く。ヒュッテの中でテントを二つ合わせに張る。
 
5日、ガスの中を頂上に向かう。大した苦労もなく頂上を越し、氷ノ山越えで昼食。1,175mのピークをからみ、急斜面の難場をトラパースし終えた頃、冬の日は西に沈み、右下方に大久保の灯りが手招きするように近い。スキーコースの標識を見つけたが、谷が深く切れ込んでいるので夜の下降を諦めて、鞍部近くにテントを張る。
 
 
6日、小さい谷をいくつか越し、偵察を繰り返しながらも最大傾斜線沿いに下る。下るにつれて雪は重くなり、空腹にラッセルがこたえる。去年通ったスキーのルートより、かなり西寄りで牧場のスキー小屋に出た。後で知ったが大ナルという地点からの難コースだった。
 
 
昼前ようやく大久保に帰る。GPSやケイタイのない時代で宿の主人は救援隊の心配までして下さっていた。翌1962年も同じ日程、同じ場所で合宿したが、この年は天候も良く無事に行動を終えた。その4月、私は大阪市の高校教員となり、赴任した高校の山岳部や地域の仲間たちと、その後もスキーやハイキングで何度もこの宿のお世話になった。

私の関西百山(96)笠形山

2014-11-26 08:48:19 | 私の関西百山

 

96 笠形山(939m)
(かさがたやま)古くから秀麗な形で播磨富士として知られた。京都の愛宕山からみた形が陣笠に似ていると言われる。山頂からは北は但馬・丹波の山々、南は瀬戸内海を一望できる。山麓には1400年前、法道仙人創建と伝えられる笠形神社、笠形寺がある。
 
 
1993年5月5日、近所の友人夫妻と4人でいくつかある登山口の一つ、笠形神社の大鳥居が立つ寺家から山頂を目指した。笠形神社への分岐から大きな岩の重なる涸れ沢をしばらく登り仙人滝に着く。
 
 
展望が開け、結構、高度を上げてきた事が判る。ここからは歩き易い山道で山腹を捲きながらアップダウンした後、厳しい登りになる。しかし背後に展望が開け、周囲はツツジの花が美しく苦しさを感じさせない。
 
 
蓬莱岩は別にどうと言う程のものでもないが、見晴らしのいい所だ。稜線に出て薮こぎを覚悟していた道は、広く笹が切り開かれていて楽に歩けた。ササの高さが次第に低くなり、広々した気持ちよい高原状の鹿ノ原に出る。楽しく通り過ぎると、一転して杉の大木の中のひんやりした小暗い道になり、最後の急坂を少し登って笹ノ丸に飛び出す。



壊れかけたロボット雨量計と立派な休憩所がある。展望が開け、正面ちょうど程よい距離に笠形山があり、頂上の展望台が手に取るように見える。昼食後、頂上に向かう。

 
かなり高く見えたが、いったん鞍部まで下って登り返し、意外に楽に一等三角点のある頂上に着く。流石に360度の展望を誇るだけに周囲に数え切れぬほどの山々が見晴らせ、特に北側に連なる連山の眺めが良い。下りはあっという間に笹ノ丸を過ぎ、長い木の階段をどんどん下る。

 
草原状の見晴らしのよい所を降り切った地点から左に大きく曲がり、「谷苦登コース」との分岐に出る。今降りてきたのは「楽々展望コース」だそうだ。杉林の中の広い道を行き、笠形神社の境内に入る。こんな山の中にと思うような立派な神社で、特に本殿や拝殿の木鼻、欄間などの彫刻の精緻さに目を見張った。姫路城の心柱を切り出した檜の跡や、天を突く大杉もあった。ここから広く緩やかな林道となり、所々旧道を拾いながら、笠形寺を経て元の大鳥居に帰った。
 
<コースタイム>大鳥居9:50…仙人谷入口10:50…仙人滝11:10-11:20‥・蓬莱岩11:50…鹿ノ原12:20…笠の丸12:40(昼食)-13:30…笠形山頂上13:50-14:30…笠形神社15:08-15:15…休み堂15:45…笠形寺16:00…大鳥居駐車場16:15
 

高円山から滝坂道へ(2014.11.22)

2014-11-24 13:48:24 | 山日記

美しい冬晴れの朝。目が覚めて「今日から80歳の大台に乗った」と思った。傘寿記念と言う程でもないが想い出に残るように山に行くことにする。近頃、足腰が弱ってきているので無理をせずに、近くで紅葉も楽しめて…と和の提案の高円山へ。 

9時半に家を出たが3連休とあって道も混み、高畑の丸山駐車場はすでにほぼ満車。なんとか一番端っこに置いて「みかさ荘」の前を通り、飛鳥中学校前の「滝坂道」の標識へ来るとはや10時半。ここから白毫寺へ出て墓地横から登るのが本来の登山道だが、最短コース?を取るため直進する。

長い家並みを抜けて、ようやく石畳の道へ入る橋の辺りは大雨の影響か、かなり荒れていた。歩き始めは違和感のあった脚もようやく落ち着いて、立ち木に巻かれたテープ標識で右手の林の中へ。落葉に隠れた踏み跡を探して、今回もかなり右手(南)の伐採が進む山道に入ってしまった。和に呼ばれて少し下って、幅の広くなった踏み跡を支尾根にでる。赤や黄や茶に色付いた林の中だが傾斜はきつく、木の間から春日山が見える頃から次第に汗ばんでくる。30分近く登って白毫寺からの道に合流して、林の中をさらに登る。新しい登山道が登ってくる辺りで下ってきた自転車の青年が道を探していたが、後にも先にも柳生街道までは他の誰にも出会わなかった。

林を抜けてぱっと頭上が開けると、大文字の火床が並ぶ芝生の大広場にでる。

快晴で期待以上に素晴らしい展望だった。左の葛城、二上山は雲の裳裾を引いていたが、遠くは正面の生駒山から近くの若草山まで、眼下には大仏殿の屋根を始め奈良の町並みが一望のもとだった。無風で日差しが暑いので「大の字」の最上部に登り、日陰に入り腰をおろす。しばらくドリームランドのマッターホルンなどランドマーク探しで遊んだが、存分に展望を楽しんだので腰を上げる。

長い石段を登って林の中を行き、標識に従って432m二等三角点の丘に登る。林の中の無展望で殺風景な頂上からは、前回の道探しで懲りて元の分岐に引き返す。しばらく下って緩い登りになり、ススキが逆光に光る広場からドライブウェイを横断、元ホテルの裏側へ登る。

ホテルが撤去された後の、がらんとした空き地で最高点(Ca.460m)を探したが見当たらず、それらしき場所の近くに腰を下ろしコーヒーとビスケットの軽食。正面に黄色く色づいた木、緑の低い木を背景にハゼの真っ赤な葉が美しいが、残された土嚢やゴミが目立って廃墟のようで痛ましい。早々に腰を上げる。

最初は元の道を下るつもりだったが、せっかくなので柳生街道を帰ることにする。前にあったドライブウェイ沿いの踏み跡は、今は歩く人もないのか見当たらない。「人と自転車通行禁止」の道を歩かせて貰う。途中で出会った車はたった3台。最後の車が入った地獄谷石窟群P前の指導標で「地獄谷新道」に入る。若い女性3人組を始め次々と人に出会うようになり、山歩きから観光ルートに入ったことを実感する。

少し下った新池辺りの紅葉はこの日で一番見事だった。様々な色で織りなされた豪華な衣装をまとった回りの山が、青い水面に映る己が姿と美しさを競っている。ベンチに座る何組かの人たちも見惚れているようだった。

ゆっくりと池の畔を巡って首切り地蔵にくる。ここからは更に賑やかになった滝坂道を下る。

朝日観音(1)、夕日観音(2)はともかく、寝仏(3)は以前(4・2008年11月)に比べかなり摩耗して、お姿がぼやけてきているようだ。のんびりと初冬の奈良の低山を歩いて、楽しい思い出となった80歳の誕生日だった。


私の関西百山(95)千 ヶ 峰

2014-11-20 17:14:54 | 私の関西百山

 

95 千ヶ峰( 1006m
(せんがみね)中国山地の最東部・東播磨の最高峰である。山頂付近は草原状で播磨、丹波、但馬の山々の大展望が得られる。三谷、岩座谷、市原の三つにルートがある。
 
 
1997 11  16日、千日山歩渉会例会に 6 人で登った。播州路を走る車を、小さいが整った円錐形の錦の衣を纏った山々が出迎えてくれる。やがて正面高く目標の千ヶ峰を仰ぐ。紅葉が美しい森林公園から、カーブを繰り返して三谷渓谷入口に車を置く。
 
 
杉林の中の急登から美しい渓谷沿いの道になる。2~3mほどの小さな滝が連続して現れ、やがて三谷大滝雌滝にくる。木橋で左岸に渡る。橋の上から仰ぐ雄滝は、規模は小さいが真っ直ぐ豪快に落ちている。
 
 
道は次第に勾配を増し、左、右と渡り返した後に沢を離れると、胸を突くような急坂となる。岩座神からの道が合わさった所で小さな平地があり、ここで初めての休憩。
 
 
エネルギーを補給して傾斜がゆるまったクマ笹の道を行く。頂上が見上げるように迫り、急斜面を登る先行パーティの姿が小さく見える。
 
 
一歩一歩踏みしめて広い頂上台地に着いた。大勢の人が食事中で大賑わい。空全面が雲で覆われているが、予想以上に遠目が利く。
 
 
すぐ目に付くのが南の笠形山。その向こうに七種山、明神山。北西には段ヶ峰が見える。氷ノ山は雲に覆われているようだ。東側には丹波の山々が見えている筈だが、同定することは出来なかった。確かに360度の大展望が楽しめる山だ。三角点のある大石碑の辺りは満員なので、反対側でゆっくりランチタイムとする。
 
 
下山は市原峠に向けて、クマザサの中の広いが急な道を降る。勾配がゆるまると緑、茶、黄色模様の山肌や箱庭のような集落を見下ろしながら気持ちのよい稜線の散歩。市原峠は2万5千図と違い、神崎町への分岐からすぐ右によく踏まれた道が下っている。暗いヒノキ林を10分も下ると地蔵さんを祀った石室があり、二本杉の標識があった。そのすぐ下まで朝の林道が延びてきていて、登山口の標識はここにあり駐車場所まで長い林道歩きを強いられた。休憩が少なく、ちょっぴりハードだったが、変化に富み楽しい山行だった。

私の関西百山(94) 但馬妙見山

2014-11-17 14:14:46 | 私の関西百山

 

94 但馬妙見山( 1,139m  <中国山地東部>
(たじまみょうけんさん)兵庫県美方郡香美町と養父市の境界にあり矢田川、日置川の分水嶺をなしている。山麓の名草神社は妙見さんと呼ばれ、古くから信仰の山であった。人の運命を左右する星・妙見尊は明治の廃仏毀釈の折に山麓の日光院に移されたが、戦前までは農民の妙見参りは続けられ、妙見杉の葉を持ち帰って農作物の豊穣を祈る習わしがあった。またザゼンソウの自生地があることで知られる。
 
 
2005 年5月8日、千日山歩渉会 15 人でマイクロバスをチャーターして妙見キャンプ場に向かった。八鹿の市街地を抜けて県道を走り、林道に入ったとたん通行止の表示に出会う。「キャンプ場まで7キロ」の標識もある。ドライバーは「行けるところまで行ってみましょう」と、狭くて曲がりくねった急坂の道を大ナル登山口まで登ってくれた。キャンプ場を通り抜け、緩やかな登りを 30 分ほどで背の低い杉林に入る。
 
 
急坂を登ると尾根道はやや緩やかになり、クマザサの切り開きの中を行く。まもなく町境尾根にでると「山頂まで 300 m」の標識がある。
 
 
大きな方位盤のある山頂は、そこから 10 分もかからなかった。昼食後、妙見新道の急坂を下る。ブナ林の中を緩やかに下り、左手の林道にでる。
 
 
西側から古い参道が出会って再び山道に入るところが妙見峠。二体の石の地蔵さんと十三丁を示す町石が立っていた。この町石は名草神社までずっと続いている。大きなスギが立ち並ぶ暗い道を町石を数えながら下ると、自然に名草神社の境内に入っていく。
 
 
ザゼンソウの群落は社務所手前の山側斜面にあった。
 
 
大きな門のような入母屋作り、こけら葺きの拝殿を潜り抜けて本殿に詣でる。ともに県文化財に指定されている立派な建築物である。
 
 
石段を下り大鳥居をくぐると美しい朱色の三重塔(国の重要文化財)がある。その横に台風で倒れた夫婦杉の切株を覆う記念館があった。 300 年を越えるというこの杉を始め、境内に繁る杉の木は妙見杉という品種だそうだ。江戸時代、出雲大社の本殿の建材となり、その縁でもと大社にあった三重塔が名草神社に移されたという。神社を出て参道が終わると広い車道がバスの待つ大ナルへ続いていた。
 
 【コースタイム】 大ナル登山口 10:25…町境尾根 11:30 …妙見山山頂 11:40 12:35 …妙見峠13:15 …名草神社 13:50 ~14:10 …大ナル登山口 14:25

木枯らしの竜王山(14.11.13)

2014-11-14 11:33:46 | 山日記

 

急に寒くなった朝、ゆっくり家を出て長岳寺に向かう。駐車場には大地獄絵公開中のためか観光バスが停まっていた。

車を降りると風が冷たく、上着を着て手袋をする。舗装路に出ると竹林を背景に、真っ赤な種を覗かせたマユミの実が美しかった。
 
収穫が終り、葉も落ちてすっかり淋しくなった柿畑の間を抜けて山道に入る。今日は体調が良かったので、腰ベルトも膝サポータも付けるのを忘れてきた。ずぼらをした報いで、案の定、痛みという程でもないが右腰から脚にかけてだるく感じて、足が進まない。和子が「リハビリのつもりで、ゆっくり登ったらいい」と言ってくれたが、心の中ではもどかしく思っていたことだろう。風は頭の上の梢を揺らして轟々と音を立てているが、道は深い溝状のところを行くので寒さを感じない。二度ほど急登を終えたところで、上着を脱ぐついでに腰に薬を擦り込んだ。

お蔭でロープの張ってある一番の急登は案外楽に登れた。その上のベンチで腰を下ろして、塩レモン水を飲む。

お不動さんまでにいつもより大分、時間を喰ってしまった。頂上まであと1.3kのここからは痛みもなくなって、いつも通りに歩けるようになった。奥ノ院分岐を直進すると800mだが、遠回りして300m先の奥ノ院へお参りしていく。

もったいないほど下って古墳を過ぎ、いつものように優しいお顔の奥ノ院の不動さんを拝む。後ろの五つの石碑には何々大明神の名が二つずつ刻まれている。中には雨乞いの山らしく「白長大明神」の字もあった。60mで柳本古墳群からの道に出会う。「頂上まで1k」の表示があった。

延々と続く木の階段が、暗い林の中に入ると白いセメントで補修されて「これこそ白長大明神」とぼやきながら登る。ここまで誰にも会わなかったが、林道に飛び出したとたん空身の若いペアに出会う。女性はスカート姿で登ってきたらしい。柳本竜王社の横から頂上に登る。

思った通り、誰もいない城址を音を立てて風が吹き抜けている。展望は良く、和子がしばらく双眼鏡で探して明石大橋を見つけた。大阪湾に浮か船影も見える。上着を来ても寒いので水分補給だけで急いで下る。田竜王社の方に降りる途中で登ってくる男性にであった。
 
トイレ横からの下りも階段が続くが、こちらは明るい林の中で、ときどき美しい赤や黄の落葉を踏んで行く。快調に下って行くと、登りで休んだベンチに男性が二人、腰を下ろしていた。少し下ると若い女性が一人登ってきて挨拶を交わす。今日、出会った人はこれで終わり。静かな初冬のリハビリ山行だった。

<コースタイム>長岳寺10:10…石不動11:07…奥ノ院11:33~37…頂上12:05~12:20…長岳寺13:40


初冬の奈良散歩(2014.11.11)

2014-11-12 11:44:04 | 旅日記

暖かい陽射しに誘われて奈良へ行きました。

お目当ての依水園へ行く途中、この看板を見て急に県立美術館へ。

学術的には価値の高い展示内容でしたが、配置方法にもう一工夫があっても…例えば伊勢・おかげ横丁の新しくなった「おかげ座・神話の里」のように、古事記の記述順にした方が私たち素人には分かり易いと思います。熱心に見学する人たちに交じって思わぬ長時間を過ごして、依水園へ。

江戸時代に作られた前園から

明治時代に作られた後園へと歩きます。正面に見える山は春日山。その左、若草山の前の屋根は東大寺南大門です。

十月桜が紅葉と艶を競っています。

燃えるようなドウダンツツジの下を通ります。今が見頃の紅葉の庭園は期待以上の素晴らしさでした。敷地内の寧楽美術館を見学して、

現在、補修工事中の入江泰吉氏邸の前を通り、大仏殿の方へ歩きます。

大仏殿の前は、大勢の観光客(外国からの人も多かったです)や修学旅行生で賑わっていました。正倉院展が行われている国立博物館横から三条通りへ抜けて、

下って行くと南円堂下の美しい紅葉の終わった辺り、御高札場(江戸時代にお触書を掲げた場所)の前に

 こんなものがあるのを始めて知りました。各府県の県庁所在地から各地への距離を示す起点になるところで、ここには大阪や京都、三重まで等の距離が記されていましたが、いつの間にか台座だけになっていたのを2010年に復元したものです。

日向では汗ばむくらいに暖かい初冬の一日でした。


私の関西百山(93)三十三間山

2014-11-11 08:44:39 | 私の関西百山

 

93 三十三間山(842.3m  <丹波高原東部>  
 
(さんじゅうさんげんざん ) 福井県(三方上中郡若狭町)と滋賀県(高島市)にまたがる。独立峰ではなく、三方五湖の南東にある矢筈山、雲谷山から南に走り若桜街道・熊川宿近くの杉山で終わる県境尾根の最高峰である。山名は京都三十三間堂の用材(棟木)を切り出したことに由来する。
 
 
201210 16日、イタリアツァーで知り合った山仲間と 5人で登る。9時半に倉見に着く。登山届ボックスの横に木の杖がたくさん置いてあった。地元の人によく登られている山らしく、後で聞くと、この辺りでは小学校高学年や中学生も遠足で登るそうだ。駐車場奥に「三十三間山」と記された石碑と、その横に山名の由来と、字は三十三間堂を管理する妙法院主の揮毫であることを記した石碑があった。幅の広い立派な林道を八幡川の流れを見ながら緩く登る。
 
 
 20分で二つの林道の分岐である登山口にくる。美しい流れに沿った道は、何段かに分かれた小滝を捲くよう登る頃から次第に傾斜を増して、右手の山肌が崩落した箇所にくる。
 
 
沢が二つに分かれる処で「最後の水場 山頂まで2.4km 」の標識があり、沢を離れてジグザグの山腹に取り付く。尾根道に出ても急坂が続く。
 
 
「夫婦松」の標識まで登ると山頂まで 1.5km」の表示がある。やや霞んだ若狭湾や三方五湖を眺めながら休憩。夫婦松から勾配はさらにきつくなり、掘割状になって斑ロープが張ってあったりする。
 
 
「風神さん右へ 10m」の標識からひと登りで国境稜線に飛び出した。
 
 
一気に開けた展望は胸が空くような爽快さだ。少し登ると芝生の広場があり、そこからは 10分足らずで頂上に着いた。
 
 
灌木に囲まれた狭い空き地に三等三角点と何枚かの山名板。展望は全くなかった。引き返して芝生の広場に降りる。地元の登山者に左手遠くに霞む三角形の山が青葉山と教えて貰う。この広場は風の通り道でいつも寒いくらいだそうだ。食事を済ませて、風神さんを見に行ったり、夫婦松でコーヒータイムを楽しんだりしながら元の道を下った。
 
【コースタイム】倉見駐車場 09:40 …林道分岐10:00 …最後の水場 10:20…夫婦松11:10 ~11:17…山頂まであと1 km地点11:40 …風神 11:57…県境稜線12:03 ~12:07…三十三間山山頂 12:20~12:30 …芝生広場 12:40~13:20 …夫婦松 14:00~14:20 …最後の水場 14:50~14:55 …駐車場 15:20

私の関西百山(92) 白髪岳

2014-11-09 16:07:30 | 私の関西百山

 

92   岳( 722m)   <丹波高原西部>
(しらがだけ)美しい山容から丹波富士と呼ばれる、この地域での代表的な山である。山名については諸説あり、はっきりしない。隣接する松尾山には、別名・高仙寺山の由来となった高仙寺のあとや石仏群がある。
 
 
 
1994 4 月、近所の奥さんと 3人で二つの山を巡った。松尾山との分岐に車を置き、茶畑の中の林道を白髪岳に向かう。桜公園と名づけられた小広場では今が満開の桜が、さらに少し上ではエイザンスミレが出迎えてくれた。 30 分ほどで林道と分かれ、しっかりした山道となる。銀の採掘跡の洞穴を過ぎると勾配が強まるが、次はヤブツバキのトンネルで赤い絨毯を敷き詰めたような道を行く。
 
 
ジグザグの登りはタムシバの白い花が慰めてくれて、知らぬ問に高度を上げる。タムシバは「尾根全体を真っ白に染めるので山名の由来となった」という説があるほどで、この山を代表する花と思われる。
 
 
稜線に出ると露岩が現れ、やがて赤松の点在する岩場となる。際立った岩頭に登ると左右の緑の山肌は一面にタムシバの白を散りばめた美しい眺めだった。
 
 
快適な岩の感触を楽しんで登るうちに、最後は笹原の中の一登りであっけなく二等三角点のある頂上に立った。周囲の展望はさえぎるものなく、北に多紀アルプス、東に三国ヶ岳、南に虚空蔵山、西に西光山など丹波の山々がぐるりと取り巻いている。
 北へザイルの張られた急坂を下る。道の両側一面にショウジョウバカマの大群落が 200 m程も続く。ヤブツバキの咲くなだらかな尾根道になり、ピッチがあがる。北側の展望が開ける所で昼食をして、保福寺への道と分かれて松尾山へ。
 
 
僅か 200 mほどだが木に槌って喘ぎながら登る。小広場になっている山頂は南北朝時代に山城のあった所といい、鬱蒼と雑木に囲まれ展望がないので小憩して出発。
 
 
やや下った所に仙ノ岩という平らな大岩があり、正面に虚空蔵山と眼下に緑の田野が見渡せて壮大な眺めだった。女性二人は仰向けに寝て大きく山の空気を深呼吸。
 
 
再び暗い林の中の急な下りを終えると、少し開けた墓地(卵塔群)、三基の石仏、松尾寺本堂跡と続く。不動の滝を見て流れに沿って下ると未舗装の林道となり、舗装路に変わるとすぐ朝の登山口に着いた。
 一日中好天で、全行程が美しい花を愛でながらの恵まれた山行だった。
 
<コースタイム> 登山口 9 :40 …銀鉱穴跡 10 :17 …白髪山頂上( 722m )11 : 15~ 11 :35 …昼食 12 :10 ~ 45…保福寺分岐 12 :55 …松尾山 13 :05 …仙ノ岩 13 :20 …本堂跡 13 :50 - 14: 05 …登山口14 : 40