ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

変愚院の山日記(10.荒れ模様の槍・穂高)

2011-11-29 07:00:00 | 山日記

*槍から穂高というと、普通は大喰岳から南岳、大キレットを経て北穂高という豪快な岩の道を思います。しかし山を初めて2年目、変愚院初めての槍穂高は当初予定のこのコースを採ることができなくなりました。 この年は正月三が日の比良縦走に始まり、2月は深雪の大山、3月は八方尾根で遭難一歩手前になり、7月は蓮華温泉から白馬三山、11月末の赤岳(八ヶ岳)単独行と大きい山行が続いています。夏二度目の北アルプスが大学同級生4人での槍・穂高でした。ほんのメモだけの山日記ですが、半世紀前の山登りの様子をご覧ください。*

1959.8.10~15   槍ヶ岳・穂高岳 

8.11 新穂高~双六小屋
前夜大阪発  高山4:54~5:15(バス)蒲田温泉7:55~8:45 新穂高温泉9:15~9:30  中崎橋10:20~10:50  わさび平11:10 抜戸岳からの雪渓末端11:30~11:45  岳見高原(昼食)12:55~14:00 大沼乗越16:45 双六小屋18:30

蒲田温泉でバスを乗り換える頃は快晴だった。

数軒の古い家が見えるだけの新穂高温泉に着き、林道を歩きわさび平へ。ここから山道になり小池新道を登る。(註.双六小屋の主人・小池義清さんが前年完成されたばかりの小池新道は現在の鏡平経由の道と違って、まっすぐ北へ抜戸岳と弓折岳の鞍部・大沼乗越へ向かっていた。)

頭上に弓折岳を見上げながら大ノマ谷沿いに直登する。岳見高原から大沼乗越へは意外に長く、完全にアゴを出した。大沼乗越辺りから雨が降りだし、びしょ濡れになって双六小屋にたどり着く。晩飯のおかずにイワナの天ぷらが出た。

8.12 曇りのち雨 双六小屋━西鎌尾根━槍岳山荘
5:00起床  6:00朝食  7:00~8:00双六岳で遊ぶ 8:15双六小屋発
8:40樅沢岳(15℃)    12:45槍岳山荘着



双六岳はひどいガスで何も見えず、頂上の手前の大きな雪渓のところ引き返した。ガスが切れると双六池の向こうに笠ヶ岳が見えた。硫黄沢乗越よりはごつごつした岩稜の北鎌尾根、遠く穂高連峰、笠ヶ岳を見たが、

槍ヶ岳には黒い雲が渦巻いていた。西鎌尾根の岩の道になる頃から雨になり、途中で頭からレインコートを被って震えながら昼食をとる。(パン、バター、チーズ、ジュース、チョコレートの豪華献立)。小屋に着いたが次第に強くなる雨に頂上へは登らず、何もすることがなくぼんやり寝転んでいる。

8.13 雨 槍岳山荘━槍沢━横尾━涸沢小屋
6:00起床  10:20槍岳山荘発  12:00槍沢小屋  13:20一ノ俣小屋 14:05横尾 14:45~15:05横尾岩小屋 17:20涸沢小屋
朝から雨が強く、縦走路の通過は不可能。いったん横尾まで降りたが、このまま帰るのも残念と涸沢へ向かう。横殴りの雨の中、槍沢の下りはちょっと辛かったが、横尾から涸沢への道は聞いていたよりも楽だった。

8.14 暴風雨 涸沢で停滞
9時頃、台風7号が北アルプスを直撃して通過。増水のため一ノ俣、横尾本谷の橋など流出。退屈しのぎに紙で麻雀を作って遊ぶ。台は段ボール、賞品は練乳一缶。涸沢のテントは殆どなぎ倒され、逃げ込んできた登山者で小屋は超満員になった。

8.15 曇りのち晴れ 涸沢━奥穂━前穂━岳沢━上高地
5:00起床 6:00出発 8:10~8:45 穂高小屋 9:10~9:20奥穂高
10:40~11:30前穂高 14:10岳沢ヒュッテ 15:45河童橋

台風一過に張り切ってザイテングラードを登る。

穂高小屋では気温5℃で寒かった。奥穂の頂上は濃いガスの中。

(これはバリュエーション・ルートでなく、50年前の奥穂~前穂の一般コース、いわゆる吊尾根の写真です。)

吊尾根を前穂まで来ると快晴となり、槍ヶ岳が美しい。この年は全国的に一等三角点の再測量が行われていて、前穂頂上にその櫓が立っていた。我々も大学名を書いたケルンを残した。重太郎新道(岳沢の下り)は急で、降りるにつれて暑くなり、楽ではなかった。



上高地は色とりどりのテントの間を変な格好をした奴がうろうろ歩き回り、おまけに台風で梓川の水はドロドロ。失望した。長い間待って乗ったバスは台風で道路が寸断されていて、

何度か下車して乗り継ぎながら島々に下った。(終わり)


紅葉の矢田丘陵(2011.11.26)

2011-11-27 07:00:00 | 矢田だより

今日も素晴らしい青空。♀ペンが家事に励んでいる間に、独りで矢田歩きに出かけました。
10時10分、横山北のお地蔵さんの前に駐車して矢田寺へ。

矢田寺本堂。味噌舐め地蔵さんの前のカエデも真っ赤に紅葉しました。

矢田四国「へんろ道」を登ります。この辺りはまだ青い葉も残っていますが…

登るにつれて見事な紅葉の並木になります。この辺りは急坂で汗がにじんできました。

赤や黄に彩られた木々の間から「十福小屋」の屋根が見えてきました。あと一息。

小屋の前の見事な紅葉。

一休みして登り続けます。振り返ると眼下に大和平野が拡がってきます。
最高所の満米上人石像から緩く下り、今日は「へんろ道」後半部を割愛して頂池から矢田山最高所へ向かいました。

11時30分、最高所・まほろば展望所。気温は8℃。しばらく、じっとしていると汗が冷えて寒さを感じます。縦走路をさらに北へ。

空気が澄んで遠くの山もくっきり見えます。これは縦走路途中から東の眺め。林がV字形に切れ込んだ上に、貝ヶ平山、鳥見山。右手遠くに高見山が霞んでいます。こちらから見ると昨日、見た鋭い三角形ではなく、なだらかな山容です。

12時05分、東明寺。ここの紅葉も山の下からはっきりわかるほど鮮やかです。
二つのお寺を巡拝して、12時20分、車に帰りました。今日はなぜか人が少なく、10人足らずの人に出会っただけの静かな山道でした。


紅葉の高取山

2011-11-25 17:22:46 | 山日記

【登山日】2011年11月25日
【コースタイム】壺坂寺09:45…五百羅漢分岐09:55…五百羅漢10:05…八幡神社10:40…高取城址(壺坂口門)10:50…三角点11:08…壺坂口門11:50…壺坂寺12:40

二、三日前から急に冷え込んだので、遅れていた紅葉も見頃になったことと思い立って、高取山へ向かう。

壺坂寺の駐車場に車を置き、石段を登ってしばらく車道を歩く。

10分ほどで五百羅漢への道を示す道標があり、左の山道に入る。

200mほど急な道を登ると五百羅漢の入口の三叉路に来る。散在する巨石に刻まれた石仏や羅漢像は何度見ても、なかなかの迫力だ。左奥から落ち葉に埋もれたような踏み跡を登り、五百羅漢遊歩道に出る。更に羅漢像を見ながら登り切り、いったん緩く下って三叉路から直進してきた道に合流する。ときどき木の間から右下を走る林道を見下ろす林の中の平坦な道になる。

道標や現在地を示す数字を書いた消防署の表示が至る所にあって、道迷いのしようがないハイキングコースを行く。やや登りになって、U字にえぐれた道を登りきると無線塔への舗装路が分岐し、いったん車道に出る。ここには「高取城址」の大きな石の標識がある。ふたたび山道に入り、すぐに右に登る道があったが行き過ごしたので、次に車道に出たところから八幡神社への石段を往復するロスになった。ここには城の案内板が立っている。前回(2008年3月)来たときは発掘調査中で通れなかった左へ分岐する道に入る。

次第に急になる道や階段を登る。「昔の武士は重い武具を付けて登ったのだから、体力があったんだなあ」といいながら行くと、ほどなく壺坂口門に着いた。

中門を通り二の丸に来る頃から、真っ赤に色づいたカエデが青空に映えて美しい光景を展開する。

中でも人気の高かった木がこれで、何人ものカメラマンが三脚を立てて構えていた。

まずは本丸の小天守址にある高取山三角点(584m)に登る。山名板は本丸反対側の展望盤のところにあり、こちら側はひっそりしている。

紅葉の向こうにどっしりと控える金剛、葛城が見える。

落ち葉に埋もれた本丸の一角で、暖かい陽射しを浴びてコーヒータイムを過ごした。

西には特徴のある姿で一目で分かる高見山が…。そして南には黒い雲に覆われた大台、大峰の山々が連なっていた。

1時間を城跡で過ごし、素晴らしい色彩の饗宴に満足して元の道を帰る。案内板のところは道幅が広く、何台もの車が停まっていた。八幡社分岐のところで男女のグループに出会った他は誰にも会わず、静かな帰り道だった。

五百羅漢からは左に下りる別の広い道を行くと、すぐに車道に出た。朝の分岐よりだいぶ上で、車が置けるスペースもあった。(覚えておいて次に来るときはここまで来よう)。少し下ると「壺坂古道・世尊寺」の標識があった。

大観音立像に見送られて…

壺坂寺へ下る。今回は拝観せずにここからお詣りして車に帰った。天候に恵まれた上、予想以上に見事な紅葉をたっぷり鑑賞できて満足して家路についた。


琵琶湖ぐるっと一周紅葉巡り(2)

2011-11-24 20:20:41 | 旅日記

夕暮れ近く、雨が止んだ彦根城に着きました。二重の堀に囲まれた三層の天守を持つ名城です。

中堀にハクチョウやコクチョウが浮かんでいます。

♀ペンが呼ぶとコクチョウが近づいてきました。

井伊直弼大老像の近くに、冬と春の二度咲く「二季桜」が満開でした。

自由行動になりましたが、時間があまりなく、天守閣は前に登っているので玄宮園に入りました。

唐の玄宗皇帝になぞらえて名付けられた回遊式の庭園です。

遠く天守閣が望めます。

武蔵野から魚躍沼対岸の鶴鳴渚を見たところ。

七間橋と臨池閣。17時からはライトアップされますが、次の目的地へ急ぎます。
すっかり日の暮れた名神高速を京都東ICで降りて、再び朝の道を坂本へ。

坂本は石積みの町と言われ、あちらこちらでこのような穴太積が見られます。
これはバスを降りた日吉馬場近くの石積みの洞窟。

日吉神社の境内は美しくライトアップされて足元にはこんな大津絵の行燈も…。

珍しい形の鳥居をくぐって

西本宮に参拝しました。

東本宮や明智光秀の墓がある西教寺への道は暗くて時間もないので割愛して、境内の紅葉に名残を惜しみながら

旧竹林院のライトアップを最後にバスに帰りました。
紅葉はまだ見頃というには早かったのですが、思い出に残る喜寿の誕生日になりました。 


琵琶湖ぐるっと一周紅葉巡り(1)

2011-11-23 15:54:44 | 旅日記

2011.11.22
タイトルのようなCT社のバスツァーに行きました。家から歩いても10分ほどのショッピングモールの駐車場を7時20分に出発。バスは奈良での乗客を合わせると42人の満席。ツアコンの話では、大阪や神戸など各地のバスを合わせると、この会社だけで15台も出ているそうです。

奈良では快晴だった空が湖西道路に入る頃から雲が厚くなり、懐かしい比良登山口付近に来るころから雨が降り出しました。幸い最初の目的地・マキノ・ピックランドに着いた時には雨が止み、青空も見えだしました。

マキノ・ピックランドは農業公園施設ですが、ここへ続く道路の両側2.4キロに約500本のメタセコイヤの並木が並び、晩秋の赤く彩られる風景が一つの見どころとなっています。最近ではヨン様の「冬ソナ」の舞台に似ているとかで、白一色の冬景色も人気があるとか。しかし、今はまだ青々としていて、上の写真のように施設近くだけがわずかに色づいていました。

バスは次の目的地、奥琵琶湖パークウエーに向かいましたが、また小雨模様になり、おまけにドライバーが入口を通過するミスで時間が押してきて、車窓からの紅葉見物に終わりました。展望台付近の紅葉は見事でしたが、時には窓に枝が擦れるほどの近さで写真は流れて無理でした。

長浜市木之本町の古橋地区は「観音と薬師の里」で知られています。ずいぶん昔に訪れたときは、月守りをしているお婆さんにお願いしてお堂を開けて貰い、仏像を拝観しました。その頃に比べると、宿泊施設などもでき観光地として整備されています。大きな駐車場でバスを降りて、紅葉の並木道を登ります。與志漏神社の鳥居をくぐって登ると薬師堂を過ぎて己高閣(ここうかく)の前に出ます。ここには昔、己高山(こたかみやま)の頂上近くにあった旧鶏足寺などの集めた宝物館です。

 己高閣横から鶏足寺(けいそくじ)ほうめんを見たところ。
いったん少し下って、黄と緑の旗の並ぶ薬草・ハーブ畑の中の道を通り抜けて、右の白いテントから鶏足寺(けいそくじ)遊歩道に入ります。木の間に見える左奥の山が己高山(923m)です。

石畳の道で湿原の横を通り、茶畑を抜けて林の中に入ります。約700mで鶏足寺(大門址)を過ぎ、美しい紅葉を見ながら行くと…

こんな張り紙にびっくり。しかし、こんなにぞろぞろ人が歩いていてはクマも出てこれないでしょう。

雨が少し強くなりました。傘をさして更に200m、最後は少し下って石道寺(しゃくどうじ)に着きました。
かっては更に1キロ南の山間にあって己高山五大寺の一つだった真言宗のお寺です。
本尊は井上靖の「星と祭」に出てくる平安中期の十一面観音像で国の重文となっています。
しばらく雨宿りさせていただくうちに雨も小降りになりました。元の道を帰ります。

紅葉に埋め尽くされた鶏足寺の入口(旧飯福寺大門址)。
もと鶏足寺別院の飯福寺(はんぷくじ)は中世には僧兵を持つ大寺でした。人影の見えるところから石段が続いています。

薄暗い道を本堂に登ります。
鶏足寺は奈良時代、行基の開山になる大寺で、もと己高山中腹にあり「湖北の比叡山」と呼ばれました。
一時、衰微したこの寺を再興した最澄が、不思議な鳥の声と薄雪に残る足跡に導かれて、行基の祀っていた十一面観音像を見つけたことから寺名となったと伝えられています。

バックが青空でないのが恨めしい紅葉です。このあと己高閣と世代閣で多くの仏像や宝物を拝観してバスに帰りました。

北陸自動道長浜付近から見た伊吹山。前日が初冠雪でした。
南下するにつれ、雨が止み薄日も射すようになりました。次は彦根城へ向かいます。


冬紅葉と赤い実

2011-11-21 15:45:13 | 今日の大和民俗公園

(2011.11.21) 紅葉は秋の季語。立冬を過ぎた紅葉は「冬紅葉」と呼ぶそうです。

今日は10時を過ぎてから公園へ行きました。

色とりどりの装いの中に、枯葉を落とした木々も増えてきました。

民家群の茅葺屋根の前にひときわ色濃い紅葉。

里山道に入る手前のイロハモミジ

クロガネモチの実
縁起がいい木という人もいるようですが「黒い金」なら、いただけませんね。

ハナミズキの実。丸い灰色のは来年の花芽でしょうか?


変愚院の山日記(9.紅葉の恵那山)

2011-11-21 08:56:58 | 山日記

*誰の感化を受けたのか弟も3人の義弟も、みな山が好き、そろってタイガースファンです。弟とは九つ違いですが高校入学と同時に山岳部に入りましたので、大学卒業間際に山を始めた私とは山歴に大きな差はありません。弟とは高校生時代には一緒に北アルプスや南アルプスに行きましたが、社会人になると岩登りが中心の山岳会に入ったので、一緒に山に行く機会は減りました。これは久しぶりに弟と、その嫁、山の後輩と変愚院夫婦の5人で恵那山に登ったときの想い出です。*

1996.10.6   恵 那 山  

10月5日(土)曇ときどき晴
昼前に家を出る。15時半に恵那SA待ち合わせ予定で中央道を走っていると、瑞浪を過ぎた辺りで追い越し車線でクラクションを鳴らすBMWがあり、見るとI(註.私と弟の山の後輩)が運転席(註.左ハンドル)から嬉しそうに笑っていた。SAでお茶を飲んでも、予定より1時間早く黒井沢林道ゲートに着く。同時に着いたジープから降りた親子は、野熊の池を目指して登っていった。駐車場脇に二張りの設営をすませた17時頃から21時まで、炭火で焼き肉パーティ。

3キロの肉と缶ビール、1升5合の酒が腹に収まり(弟Hは飲まないので酒は4人で)、流木の焚き火に顔を火照らせて談笑。少し離れて5人パーティが設営。他の何台かの車は無人で、どうやら山中で設営か、避難小屋泊の様子。降るような星空で、空が明るい程。1時頃、大きなバンが来て子供連れがガヤガヤと二張りのテントを張り、深夜の酒盛りを始める様子に目を覚ましてしまう。後はウツラウツラで朝。

10月6日(日)曇ときどき晴
5人パーティは4時頃から出発準備。私たちも5時起床。昨夜、炊いておいた飯に固形卵スープを入れて暖めた雑炊の朝食。アルコールが残り気味の腹に優しく収まり、実に旨い。6時半、出発。黒井沢に沿った林道にはアキノキリンソウやノコンギク、マツヨイグサが咲き、ススキの穂も少し銀色ががかっていた。右手の渓谷は所々に小さな滝をかけ、紅葉も始まり美しい。

 30分ほどで登山口。山頂まで5.8Kの道標があった。ここからおよそ500mごとに「山頂まで00」の標識があり励ましてくれる。河原に出て傾いて頼りない木橋を渡り、10分ほどで営林署小屋。ここからジグザグの登りが始まる。しばらく登ると昨夜のアルコール分は汗と共に蒸発して、すこぶる快調。落葉樹の巨木が立ち並び、中津川営林署が名前を書いた札を付けてくれている。ヒノキ、ブナ、ミズナラ、ダケカンバ、サワグルミはお馴染みだが、後は帰りにゆっくり勉強するとしよう。急坂は地図で覚悟したより短く、尾根の捲き道となる。

再び渓流に近づき、綺麗な流れを渡ってまた岩のゴロゴロした急な登り。冷たくて甘い水で喉を潤して一息入れる。この辺りではツルリンドウ、キツリフネ、アザミ、サラシナショウマなどの花が咲いていた。

 沢は源流を思わすように細くなり、笹の切り開きの中を通り野熊の池に着く。

辺りは紅葉が美しく、テーブルやベンチもあってのんびりしたムード。湯を沸かし、モーニングコーヒーを楽しむ。池を離れると、黄葉のカラマツ林と緑の熊笹の中を行くのどかな道が続く。ジープの親子がもう下ってきて挨拶を交わす。

急な林を登ると1992mのピーク。大台ヶ原を思わす枯れ木があり、雲の切れ間に頂上付近が一瞬望めた。いったん下って再び登り。あと60分の標識がある辺りから樹林相が変わり、針葉樹が多くなる。倒木を越え、木の根道を登り、ゴロゴロ岩の重なった道で時間がかかる。最後の水場を過ぎ400mで頂上小屋。後ろに大きな岩があり、深紅のモミジが美しい。何人もが食事中。ラジオの音が耳障りなので、まっすぐ来た方向に引き返す格好の頂上に向かう。緩く5分ほど登ると、イザナミ?を石に刻んだ恵那神社が一角に立つ頂上広場。

 2189.8m三角点を挟むように二つのベンチ、その奥に大きなケルンがある。広場を囲むように見事な紅葉。ここでも幾つかのパーティが食事をしていた。中にはコツヘルで肉を焼くパーティもある。私たちもIの担ぎ上げた缶ビールで乾杯、湯を沸かしAちやん(註.弟嫁)の作ったレーションで昼食。一人一人布袋に入ったレーションの中身は20種類近くもあり、朝の卵雑炊といい、良い食当(註.食事当番)のお陰でひと味違ったご馳走にありつく。食事が終わったが頂上は雲の中で展望はゼロ。せっかく「やまおたく」(註.旧バージョンのカシミール)とカシバードで作ってきた展望図も役に立たない。Hに進呈すると大事にザックにしまった。

いつもより長く、1時間も頂上で過ごし、元の道を下山した。1992mのピークまで下ると青空も見え、振り返ると頂上が高かった。下に見える山肌も見事に紅葉している。冷たい流水をボトルに詰めて、楽しく語らいながら林道を帰った。

<コースタイム>
林道ゲート S.06:30…登山口 A.07:00…営林署小屋.07:10~07:25…野熊ノ池.08:25~.08:55…1992mピーク.09:35~.09:45…山頂小屋 A.10:55…恵那山頂上.11:00~12:05…山頂小屋12:00~12:20…1992mピーク13:10~.13:20…野熊ノ池.13:55~14:05…営林署小屋A.14:50…林道ゲートA.15:20


変愚院の山日記 (8.♀ペン念願の剣岳)

2011-11-19 16:38:55 | 山日記

*「これまで登った山で一番心に残っている山は…」と♀ペンに聞くと、すぐに「それは剣岳や」という答えが返ってきました。何故かこれまで彼女には縁がなかった山へ、この年二人で登りました。*

1998年9月7日  剣岳

【コースタイム】
6日 室堂 11:40~12:10 …雷鳥平12:40 ~12:45…別山乗越14:20…剣沢小屋15:00
7日 剣沢小屋5:25…一服剣6:25~6:30…前剣7:10~7:20…剣岳8:35 ~9:05…前剣10:10~10:15…一服剣10:50~10:55…剣沢小屋11:55~12:15…別山乗越13:15~13:20…雷鳥平14:20…(地獄谷を経て)室堂15:20~15:40…天狗平(立山高原ホテル)16:15

 鎖場で大雷雨に見舞われた剣。大雨で池の平のテントが水没し、夜中に小屋へ逃げ込んだ翌朝、快晴の仙人峠から仰いだ剣。頂上の岩の間からオコジョがひょこひょこ顔を出していた剣。大日岳から奥大日、剣沢と重いテントを担いだ末、サブ一つの身軽になった嬉しさで足も軽かった剣…。剣沢小屋の前でコーヒーを飲みながら、黒い岩肌を眺めていると、若かった頃のさまざまな想い出が浮かんでくる。剣岳が初めての和子は、念願の三田平まで来たものの、果たして頂きに立てるか不安が去らないようだ。かなり疲れた足取りで小屋への斜面を登って来た同年輩の人に、「剣から今お帰りですか?」と訊ねている。話しを聞いて、これならと自信が湧いてきたようだ…。

 

 雷鳥沢の登りは案の定きつかった。初めて来たときより年齢は37プラスだが、8㎏のザックは20近いマイナスだと自分に言い聞かせて、一歩一歩踏みしめて登る。ガラガラの岩屑の道を「立山参拝」のお札を付けた人たちが続々と降りてくる。ナナカマドがルビーの実を付けている草原帯からハイマツ帯に入る。ガスが捲いてひんやりした風が流れてくる。足を動かしてさえいれば高度を稼ぐ登りで、 野営場の色鮮やかなテントがどんどん小さくなる。別山乗越が近くなったところで、和子が道脇のハイマツの中につがいらしい雷鳥を見つけた。すぐそばでフラッシュが光っても逃げようとしない。「こんな近くでユックリと雷鳥を見るなんて初めて…」と喜ぶ。乗越には、雷鳥平から1度の休憩を含めて95分で到着。まあまあのペースだ。賑やかな関西弁の一団が剣御前の捲き道を剣山荘へ向かうのを見ながら、三田平に下る。

 剣沢小屋の同宿は約20人。それぞれが個室で、シャワー室まであって至れりつくせり。汗を流しさっぱりして、小屋の前でコーヒーを湧かしていると、ガスが晴れて八ツ峰、源次郎尾根、前剣、本峰と次第に剣の全容が現れてきた。和子は別山から見たことはあったが、ここからは初めて。明日のルートを確認して小屋に入る。夕食にはなんと、下ろし大根添えのビフテキと湯豆腐がでて感激する。他にコンニャクのオランダ煮、素麺カボチャの中華風、ナメコ汁。満腹して部屋に帰ると、真っ赤な夕焼け空に早月尾根が美しいシルエットを浮かび上がらせている。明日の晴天を祈りながら、暮れゆく剣を飽くことなく二人で眺めていた。

7日。曇り空だが雲は高い。急いで朝食を頂き、サブザックを背に5時半出発。テント場を抜けていったん少し下り、ペンキ印の岩上の水平道を行く。剣山荘前では、幾つかのパーティが山頂に向かうところ。その中に混じって登り始める。歩き始めて1時間で一服剣。針ノ木から爺ヶ岳に続く稜線がくっきり見える。剣沢小屋は勿論、剣山荘の屋根も小さくなった。タテヤマアザミが群生して咲いている所から武蔵のコルに降りる。

ここから頭上に見上げる前剣へ岩礫の急登。所々でイワツメクサの白、チシマギキョウの紫が、モノトーンな灰色の道に彩りを添える。展望はますます拡がり、薬師の左に霞んでいるのは御岳か乗鞍か。大きな岩を乗り越すと左手に能登半島、富山湾、富山の市街が見下ろせた。

 前剣の頂上で水分補給。立山の左に槍、穂高が浮かぶ。源次郎尾根のすぐ右に白馬の特徴的な頂き。そこからは後立山の峰々がずらりと居並ぶ。さらに…展望は頂上での楽しみに先を急ぐ。岩のやせ尾根を下り、いよいよ核心部。

門のトラバースは、かって下りに雷雨に遭ったところだ。あの時は雷光に怯えて鎖から手を離す女の子がいて、サブリーダーの私はその方が恐ろしかった。今日もガイド役の男性に連れられた女性4人組が通過に時間がかかっている。少し待って取り付くと、和子はあっという間に渡ってしまい、「ウチはこういう所好きヤ」とのたまう。長女がお腹にいるのに岩登りの練習をした位の女だから、怖くなくて当然なのである。先行のパーティに先を譲って貰って平蔵のコルを過ぎ、

「カニのタテ這い」もスイスイ登って「これだけで終わり?」とかえって不満顔。昨日まで心配していただけに「本に書いてあるのは大げさなんヤ」と納得している。

 

早月尾根からのルートと合うと、後はガラガラの岩屑を踏んで祠のある頂上に立つ。和子は念願の頂きに感激の面もち。私も5度目とはいうものの26年振りで、感慨深く祠に手をあわす。小屋で一緒だった千葉から来た夫婦と、記念写真を撮り合う。少し前をいいペースで登っていたが、朝食を摂らずに出てお腹が空いたと笑っていた。槍・穂高は雲に隠れたが、白馬から唐松、五龍、鹿島鑓、針ノ木と後立山連峰がくっきり。立山三山から薬師に続く山並み。室堂平から地獄谷の眺め。奥大日から大日への稜線。早月尾根の稜線と毛勝三山…360度の展望を楽しむ。コーヒーを湧かし、ビスケット状のシリアルを食べる。一服剣で私たちが追い越した、神戸のパーティが到着して、頂上は急に賑やかになった。「もう頂上は諦めた」と言っていた小父さんの発声で、みなニコニコ顔で万歳三唱している。剣沢でアルバイトしている女子大生二人も登ってきた。いつの間にかガスが濃くなり、展望はゼロになったので頂上を後にする。

 「カニの横這い」では先行の若い男性二人組が手間取っていた。一人がなかなか思い切って足を踏み出せない。ようやく降りた後を、ここは私が先に降りてスタンスを確認。和子も殆ど鎖を頼らずにクライミングダウンした。一番傾斜が急で、かって電柱のアングルがあったところは、立派なハシゴが架けられていた。下りきると平蔵避難小屋跡に出る。前後して降りてきた千葉のご夫婦と一服剣で別れ、のんびり写真を撮りながら余分な荷を預けてあった剣沢小屋に帰る。

 小屋の奥さんとしばらく話して剣沢に別れを告げる。別山乗越への砂礫の道には、ほう果になったチングルマの中で、いくつか咲き残っているのがある。キジムシロの黄色い花。紅葉し始めたナナカマドの葉と真っ赤な実。ミヤマダイコンソウは早や紅葉したものが多い。イワイチョウも黄葉を始めた。まだ、夏の名残を惜しんでいるように見える剣沢も、もう一週間もすればすっかり秋の色に染まるだろう。

  雷鳥沢の下りから和子が少し不調になった。かなり急いだので低山病になったかも知れぬ。浄土沢の橋で少し休み、地獄谷を見に行く。みくりが池への歩道が、少し辛かったようだ。室堂で空室を確かめて、天狗平の高原ホテルまで下る。バスがなかった頃、重荷にあえぎながら登った懐かしい道を、冷たいビールを楽しみに歩く。

 

 8日朝は見事に晴れ上がった。真っ青な空を背に大日、奥大日、立山連峰がずらりと居並んでいる。そして別山尾根の後ろからは、また一つ想い出を作ってくれた剣岳が私たちを優しく見送っていた。