ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

檜塚の初霧氷

2005-11-29 20:55:47 | Weblog
KCN(近鉄ケーブルネットワーク)の情報誌、Cable Guide
の表紙に変愚院の「檜塚の初霧氷」の写真が登場しました。
かって同社の「KCN-netpress」のコンテンツ、「ネップレ
ギャラリー」に掲載されたものと同じ作品です。



住塚山から国見山へ(11.27)

2005-11-28 21:19:00 | 山日記
千日山歩渉会の11月例会に室生火山帯の二つの山に登りました。
9時10分、屏風岩公苑をスタート。背後に長さ1.5㎞、高さ150~200m
の柱状節理の岩壁が連なっています。



一ノ峰のコルから急登で住塚山(1009m)へ(9時55分)。
山頂からは国見山、鎧岳、兜岳、倶留尊山、古光山などの曽爾の山々
が眺められました。



北へ下り、ゼニヤタワから登り返して10時50分、国見山の頂上に立ち
ました。ここも山名にふさわしい雄大な眺めでした。



早めの昼食後、クマタワに下り、広い舗装林道を歩きました。途中で
林道川根線に入り、美しい渓谷を見ながらゼニヤタワへ引き返す形で
緩く登り、クマザサの中を登ると若宮峠にでました。峠からは眼下に
屏風岩公苑を見下ろしながら、足がすくむような絶壁の上を歩きまし
た。この道は4年程前に歩いたことのある嶋本さんに教わりました。



一ノ峰のコルから朝の道を屏風岩公苑に下りました。改めて岩壁を
見上げて、あの上を歩いてきたんだという感慨にふけりました。
この二山へ登るのは5度目になりますが、屏風岩の頭に立ったのは
確か二度目です。公苑のサクラが咲く頃、また来てみたいと思いま
した。




錦繍の一日(つづき)

2005-11-26 18:56:31 | 旅日記
万福寺で満腹したあと、三室戸寺へ紅葉を見に行きました。



アジサイやツツジ、ハスの咲く初夏の頃もいいのですが、この
時期の紅葉もとても美しいお寺です。
「暮れはつる 秋のかたみにしばし見ん 紅葉散らすな
 御室戸の山  西行」



西国観音十番霊場だけに、この日も大勢の参詣客で賑わって
いました。



帰りに、今年で96年の歴史の幕を閉じる、枚方の菊人形を
鑑賞しました。



今年はNHK大河ドラマ「義経」がテーマですが、屋内の
9場面しかなく、かって「段返し」や20~30場面もの「大」
菊人形の記憶からはほど遠く、淋しい想いでした。




錦秋の一日 (11.25)

2005-11-26 10:33:01 | 旅日記
小春日和の昨日、友人夫妻と宇治の万福寺に行きました。
中国から渡来した隠元禅師創設の黄檗宗(禅宗)のお寺
で、建造物も儀式も明時代の様式です。
蓮の花の時期に何度か行ったことがありますが、紅葉は
初めてでした。



開板(かいばん)という木魚の原型です。今も時報の役割を
しています。



実は今日のお目当てはこの普茶料理。普茶とは「普(あまねく)
く衆に茶を供する」という意味の、中国料理風精進料理です。
四人一組で頂くようになっています。



左側は「ゆじ」という天ぷら、右は野菜の煮物「笋羹(しゅんかん)」
です。カマボコそっくりなものもあります。上は麻腐(ごまどうふ)。
他に雲片(野菜葛掛)、寿免(すめ・唐揚げ汁)、浸菜(しんつぁい・
お浸し)など。ご飯はキノコご飯、デザートには茶ダンゴもでてお腹
一杯になりました。



「山門を 出れば日本ぞ 茶摘み唄」 菊舎尼


過去の今日 (11.24)

2005-11-24 16:18:10 | 山日記
もう6年前になりますが、1999年の今日、カラパタールに登りました。
標高5,545m、ペンギン夫婦にとってこれまでの最高到達高度です。
おそらく、これからも、もうこれ以上高くには登れないでしょう。
高校山岳部の教え子二人、そして現地スタッフの協力あってこそできた
ヒマラヤ・トレッキングでした。



後ろに見える美しい水晶のような山は、プモリ(7161m)です。
すぐ手が届きそうなほど近くに見えます。
頭の上を三羽のヒゲワシが悠然と舞っています。



氷河を隔てた向かい側は世界最高峰サガルマータ(エベレスト)。
(正面の少し雲がかかった山、その右はローツェです)



なお、このトレッキングの様子はHPの「カラパタールの蒼い空」
でご覧下さい。

*このBLOGのタイトルの写真は、2003年のゴーキョ・ピークです*

天狗の話(終わり)

2005-11-24 00:00:00 | 四方山話


写真は鞍馬山の天狗様です。
(mumさんから頂きました。ありがとうございました)

唐突ですが、これで一応「天狗の話」を終わります。実はこの
一ヶ月、蕁麻疹のような不思議な病気に悩まされています。

はじまりは「大山の烏天狗」を書いた頃です。皆生温泉の宿で
夜食に「焼き鯖寿司」がでました。鯖が大好きな私は、♀ペン
があまり好きでないので、その分も平らげました。帰途、土産
に買おうと探し回りましたが、なぜか手に入らず、帰ってから
身体中に赤い斑点が出始めました。現在も、消えてはまた新し
く出てきます。

後で気が付きましたが、天狗様はサバがお嫌いなのです。信州
松本あたりでは、天狗様にさらわれないようにするには「サバ
喰った、鯖喰った」と呼ばわると良いと言われているそうです。

こんな訳で、きっと天狗様のお怒りをかったに違いありません。
「怪を語れば怪来る」この辺で「天狗の話」止めることに致します。

トベラ

2005-11-23 09:26:06 | 花日記
昨日、松尾寺境内で見つけました。黄色い実が弾けて中から
ザクロのような、こんな花が顔を出していました。
何という名前の木か知らなかったので、「訊ね花」(花では
なく木の実ですが…)としてお聞きしたら、さっそく
「丹波のたぬき」さんから、お教え頂きました。
 
 たぬきさん、ありがとうございました。


松尾寺の紅葉

2005-11-22 18:34:39 | 矢田だより
11月22日、久しぶりに午後の矢田丘陵を歩きました。
お天気は良かったのですが、靄がかかったようで国見台からの
展望は今一つでした。




松尾山に登った後、いつもの尾根歩きの代わりに松尾寺へ下り、
境内の紅葉を見に行くことにしました。
この「松尾山入峯修行道」の道標があるところは切り通しに
なっています。手前側は白石畑へ下る道、奥へ下ると松尾寺です。



落ち葉を踏んで下ると三重塔の横から境内に入ります。



ナンテン、イチョウ、カエデ、遠くには柿…色鮮やかな秋の境内です。



石段を下り山門をでて、別の道を松尾山に登り返して矢田寺に帰ると、はや
夕暮れが迫っていました。



今日は「いい夫婦の日」、そして私の「71回目の誕生日」でした。


天狗の話 (15)

2005-11-22 08:18:30 | 四方山話
さて、斧の頭が抜き取られるといったような災いの小さいうちに、
天狗様に詫びを入れておかないと大変なことになりかねません。
そこで急いで家に帰り山神(天狗)様を祭る準備にかかります。
その供え物になるのが「狗賓餅」です。

「飯を強く(こわく)炊き、それを握り飯として串に貫き、能く
焼きて味噌を付け…」 ただ、この餅を作るのはあくまでも山の中で、
「たいへん美味しい物だが、この餅を作ると天狗が集まってくると
いって、村内の家屋では一切拵えない」とあります。



『また美濃國苗木(現岐阜県中津川市)辺りではこれを「山小屋餅」
といい大きな焼き飯にする。小さい物を串に刺したものも作るがこれ
は「ごへい餅」という。「御幣餅」の意味か、よく分からない』と
書いてあります。

今の五平餅は、五平という山仕事の人が始めたという説もありますが、
私はこの御幣餅説を採りたいと思います。



今年も信州への途中、駒ヶ根SAで五平餅を食べました。
嫌がる♀ペンを無理にモデルにしました。

天狗の話 (14)

2005-11-21 09:00:15 | 四方山話
前回の末尾で、「狗賓」(普通、敬称をつけて狗賓様)は天狗の異名の一つ、
と書きました。
昔、深い山に入って山仕事をする人は天狗と出会う機会が多いので、天狗を
恐れ敬う気持ちは里人には想像できないほど強かったと思います。

山のなかで急に強風が吹く「天狗風」、大木の倒れる音が次第に近づいてくる
「天狗倒し」、大岩や大木を落とす音がする「天狗落とし」、あるいは天狗に
さらわれて高い木の天辺に吊される…など様々な伝承が各地に残されています。

 それほどでなくても、<北美濃郡上郡、武儀群、東美濃賀茂郡、恵那郡>
あたりでは、山仕事中の斧の頭がいつの間にか抜き取られている、ことが
あったといいます(想山著聞奇集)。
(図は同書から。右から二人目の髭を生やした人物の他は、すべて斧の頭が
なくなっています。)




これは山の神もしくは天狗の縄張りである聖なる区域へ、人間どもが入らない
ようにという警告でもあるのでしょう。
そんなことが起これば「齋(ものいみ)」をして山の神を祭って詫びを入れ、
あるいは事前に山神に供え物をしてから山の木を伐る習慣がありました。