ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

今日の矢田山(10.31)

2007-10-31 20:44:20 | 矢田だより
昨日、今日と♀ペンに用事があって一人で歩いています。
昨日とうって変わって、真っ青な秋空が拡がり快適に歩けました。
いい天気なのに、出会った人は僅か数人でした。
(昨日は今にも降りそうな曇り空だったのに、数えきれぬほどの人+柴犬2匹)



かわいいツリガネニンジンの花が咲いていました。



こんなツチグリの親子も…

今日は久しぶりにモブログで生中継しようと思って、上の二枚はケイタイで撮ったのですが…
さて送信しようとすると「充電して下さい」という無情な文字が表示されてしまいました。

本当に静かで、地面にドングリの落ちる音が、よく聞こえました。

伯耆の旅・倉吉(1)

2007-10-30 17:58:00 | 旅日記


市内を流れる玉川を柳橋で渡ると小さな公園があり、「倉吉流しびな」の銅像がありました。



鯉が泳ぐ玉川沿いに、江戸末期から明治時代にかけての町並みが保存されています。
白い土蔵、黒い焼杉の腰板に赤い瓦をのせた昔ながらの懐かしい風景です。
赤瓦の建物のうち九つが公開されています。



江戸時代から伝わる郷土玩具・はこた人形の工房がある二号館。



越後屋六代目の三好明さんと奥様が、和紙を何枚も貼り合わせ絵付けをする張り子人形を作っておられます。
こちらも後継者難で「私たちの代で終わりになる…」と奥様が淋しげにつぶやかれました。



ここでは絵付けの体験で自分で顔を描くことも出来ますが、私たちには到底無理です。
お土産に一体分けて頂きました。とても優しい和やかな顔のお人形です。



代表的な赤瓦建築。一号館。
大正時代の醤油の仕出し蔵だったとか。内部は物産館になっています。

伯耆の旅・三朝温泉

2007-10-29 17:38:47 | 旅日記
三徳山を降りて、三朝温泉に泊まりました。



内湯の露天風呂で汗を流し…



夕暮れの町を散歩しました。



「陣所の館」にて。
ビデオを見せて貰って、館長さんから詳しい説明を聞きました。
この太い綱は毎年5月4日に行われる伝統的な「花湯祭り」で使われる綱引きの綱です。



「陣所」とはこの綱引きのことで、町内の通りに綱を置いて東西に分かれて引っ張り合います。
「東が勝てば豊作、西が勝てば商売繁盛」だそうですが、フジカヅラで編み上げられた周囲1.5mもある大綱を引く様子は、ビデオで見ても実に勇壮なものでした。

写真は和紙細工による「陣所」の模型。



「彫刻の館」にあった「高野豆腐の彫刻」大久保左馬之祐と白狼。

ウィキペディアによると『源頼朝の家臣、大久保左馬之祐が源氏の再興を祈願し、三徳山三仏寺に赴いた折に命を救った白狼が夢枕に立って、楠の老木から湯が湧き出ていることを教えたといわれ』ています。

なお、三朝温泉の公式HPによると
左馬之祐は義朝の家来で、「命を救った」というのは、大きな楠の下に白い狼がいたので矢で射ようとしたが、「殺生はならんぞ」と思い直して立ち去ったところ…
白狼は妙見菩薩のお使わしめであって、夢枕に妙見菩薩がたって…ということになっています。

いずれにせよ、大久保左馬之祐と白い狼のお陰で今の三朝温泉があると云えるのでしょう。

三徳山のペンギン

2007-10-29 10:20:40 | 旅日記


三徳山を降りて参道にある谷川天狗堂で、名物の「三徳豆腐」を食べました。
ワサビ漬けにお醤油をかけたものを、やや堅めの冷や奴につけるだけですが、とても美味しく頂けました。



その醤油がこれ。たぶん、容器の名前でしょうが…。

大和郡山・西田中瓦窯(10月27日)

2007-10-27 17:07:45 | 矢田だより
藤原京(日本最古の都)で使われた瓦を焼いた窯跡が大和郡山市西田中町で発見され、今朝10時から市教育委員会による現地説明会が行われました。



窯は写真手前の段丘斜面に三つ並んだ「地下式有段登り窯」で、近くに更に三つの窯が埋まり、南西300mの内山瓦窯でも四つ見付かっています。
さらに多くの窯があった可能性もあり、「都の造営に必要な大量の瓦(200万枚といわれる)を制作した大生産団地があったのではないか」という説明でした。



1号窯。手前の黒い部分が燃焼室。その上に階段状に瓦を敷いた焼成室がありますが、その長さは操業を重ねるごとに燃焼室の床が炭で埋まって登り、短くなっていきます。




2号窯。内部を掘削せず残してあるので、上に行くほど狭まる煙道の形や中央部の天井が残った様子がよく分かります。



3号窯。1号窯同様、天井部が崩落しています。燃焼部、焼成部とも瓦を敷き詰め、何度か補修されています。
上部に「溝」という標識があるのは、三基を囲んで溝を彫り、雨水が窯に入らないように工夫したものです。



窯から出土した軒瓦です。この紋様から藤原都の中心的な建物-大極殿や朝堂院-に使われたものと分かったと言うことです。
家から歩いて僅か15分ほどのところに古代の大工業団地があったことを知り、当時の様子を想像しながら降り続く雨の中を帰りました。

三徳山に登る(10.23)

2007-10-26 11:29:09 | 山日記
<今回も時間の経過に随ってレポートを並べます>

家を出てから4時間、三朝温泉を過ぎて約10分で三佛寺前の駐車場に着きました。



車の通る道から、すぐこの急勾配の石段が始まります。
実は歩き始めてすぐのこの石段が、私にはいちばんシンドかったです。



さらにもう一つ石段を登ると参詣者受付所があり、入山料400円を納めます。
「投入堂へ登られますか」と訊ねられ、「靴の裏を見せて下さい」と言われました。



道の両側に皆成院、正善院、輪光院の宿坊と宝物殿が並んでいます。



最後の石段を登るとやっと三佛寺本堂です。この石段は永年、大勢の参詣者に踏まれてすり減り、波打っています。



残念ながら本堂は修復中でした。ここから遙か頭上に文殊堂の屋根が小さく望めます。

横に登山事務所があります。ここで住所・氏名・年齢などを届け、入山時間を記入します。
登拝料200円を納め、「六根清浄」と書かれた輪袈裟(たすき)を借りて肩にかけます。
ここでも靴の裏のチェックがあります。



赤い門をくぐり、宿入橋と呼ばれる橋を渡るといよいよ登山道が始まります。

三徳山に登る(2)

2007-10-26 11:19:37 | 山日記


役行者石像に手を合わせ山道に入ると、



すぐに「かずら坂」が始まります。
急勾配の道を、浮き上がった木の根を手がかり足がかりにして登っていきます。



しばらくの間、スギやハリギリやブナの大木が混じる林を登ると、大きな岩の上に立つお堂が見えてきます。文殊堂です。
ギョッ!手前の岩上には大蛇そっくりな木の根がくねっています。



文殊堂の横は「クサリ坂」と呼ばれる難所ですが、ホールド、スタンス共にしっかりしていて快適に登れます。



文殊堂は断崖の上に立てられた舞台造になっています。回廊を一巡りして紅葉の始まった周囲の山々の展望を楽しみました。(ここで標高約440m)

次に「平岩」という大きな岩を越していきますが、バランスを崩さない限り何ということもありません。
ただし両側は深い谷で「転落現場」の立て札もありました。



平岩を過ぎると地蔵堂。文殊堂とともに国の重要文化財です。
ここも回廊から景色を楽しむことが出来ますが、帰りに寄ることにしました。

三徳山に登る(3)

2007-10-26 11:15:20 | 山日記


次の建物は鐘楼堂です。大きな岩の重なった上に立てられています。
鐘は自由につくことが出来、冴えた音色が山肌に消えていきました。



鐘楼堂からは「馬の背・牛の背」と呼ばれる狭い岩稜の道が続きます。





足下をのぞき込むと、断崖に縋り付くようなダイモンジソウの大群落がありました。



納経堂に続いて岩窟の中に観音堂が建っています。ここも前は断崖。
写真の右手から左へ、お堂後ろの真っ暗な道を抜けて行きます。

さらに元結掛堂、不動堂と山上のお堂が続き、目の前に待望の投入堂が姿を現しました。



三徳山三佛寺の奥の院であり、世界遺産登録の動きがある貴重な建造物です。
こんな垂直の絶壁の中に、どのようにして建立したのか、見る人すべてが不思議で神秘的な思いにふけり、そこから役行者が投げ入れたという伝説が生まれたのでしょう。

帰りに宝物殿で勉強したところでは、平成13年、奈良文化財研究所の「年輪年代法」の測定で、平安時代末期の木材が使われていることが判明したということです。

はるばる大和の国から訪ねてきて、本当に良かったとおもいました。
これも役行者様のお導きだったのかも知れません。

三徳山に行きました(10月23日)

2007-10-24 18:46:37 | 旅日記
鳥取県東部にある「みとくさん」に登りました。



「新日本山岳誌」によれば、かっては南側からの登路があり山頂には三角点があるということですが…
山全体が三徳寺の境内で、役行者が絶壁のくぼみに投げ入れたという伝説を持つ「投入堂」までしか、登ることはできません。

詳しいレポートは後ほど…。

矢田ふる里まつり(10月21日)

2007-10-22 09:12:56 | 矢田だより
秋晴れの日曜日、第26回矢田ふる里まつりが郡山市総合公園施設で開催され、変愚院は今年もスタッフの一員として参加しました。



開会前にスタッフのユニフォーム姿でマスコットのシカくんと。
(ただし、矢田にシカはいません。)



矢田丘陵を背に、美女に囲まれてご満悦の変愚院。
ここ矢田の里は古代の邪馬台国に比定する説(鳥越健三郎氏・物部王朝邪馬台国説)があり、毎年、女王卑弥呼を選ぶコンテストがあります。
左の赤いスカート姿の女性が今年の「女王卑弥呼」、右の二人が「準女王」。
選出者たちは各種の市の行事のキャンペーンに活躍しますが、この「矢田ふる里まつり」が初仕事です。(BLOG掲載には同意を得ています)