ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

我が家の花(5月31日)

2010-05-31 14:29:21 | 花日記
五月も今日で終わり。いいお天気が続いています。
庭に出てサツキやロウバイ、モクレンなどの剪定をしてひと汗かきました。





車寄せの横で咲いているノイバラの花。



カントウサツキ




香りマツリカ。紫色から淡い紫色、最後は白と色が変わっていきます。



カキの花



実になっていく様子が分って面白いです。

今日の大和民俗公園(5月30日)

2010-05-30 13:29:10 | 矢田だより
快晴の日曜日。二人で公園を歩くのは久しぶりです。





花菖蒲園の花の数が少しづつ増えています。





オオヤマレンゲの花が咲いていました。



色鮮やかなアマリリス



旧岩本家住宅のカマドに火が入っています。お茶を頂いてしばらく休ませて頂きました。





旧岩本家の庭に今年もキソケイが咲きました。



大和民俗博物館近くのヤマボウシ



ウツギの花も咲いています。


5月29日は?

2010-05-29 10:11:12 | 四方山話
529の語呂合わせで「幸福の日」「こんにゃくの日」「呉服の日」と、各業界や
会社が制定しています。
スーパーなどでも「毎月29日はお肉の日」。

今日は「白桜忌」ということを知りました。與謝野晶子(1942年歿)の忌日。最後の
歌集「白桜集」に因んだ名前です。


2003.11.26 ゴーキョピーク(5,360m)より

私たち、山ヤ仲間にとっては今日は「エベレスト登頂記念日」
1953(昭和28)年、ニュージーランドの登山家・エドモンド・ヒラリーとシェルパの
テンジン・ノルゲイが、世界最高峰エベレスト(8848m)の登頂に成功した日です。


1999.11.24 カラパタール(5,545m)より

つい先日、5月22日に13歳の米国人少年が登頂に成功。世界最年少記録となったという
ニュースがありました。

あの時、ネパール側からは16歳以下の登山は禁じられているので中国側からの登頂
であると、新聞などでエベレストのチベット名「チョモランマ」も付記されていました。

ついでですがネパールでの現地名は「サガルマータ」(世界の頂上の意味)です。
チョモランマには「大地の母神」の意味があります。「エベレスト」の名称はインド
測量局長官のジョージ・エベレスト (George Everest) にちなんでのことですが、
中国は2002年の人民日報で「英語名エベレストの使用をやめてチョモランマと呼ぶ
べきだ」という主張をしています。

袋とおみくじ

2010-05-28 11:01:52 | 矢田だより


大和民俗博物館で開催中の特別展「モノまんだら」を見学しました。
(撮影は申請して許可を得ています。)

テーマはモノと人との関わり…という大きなモノですが、実際には「袋」と
「おみくじ」が展示されていました。
これは、スーパーマーケットなどの現代の袋です。



「袋」は生まれた時から「お袋」のお世話になり、最後は「頭陀袋」を首にかけて
あの世に旅立ちますね。
その間の人生で使う様々な袋が展示されていました。
珍しいものが少なかった中で、これは目を引いた「施餓鬼供米袋」です。
お盆に先祖にお供えをするとき、無縁仏で成仏できずに俗世をさまよう餓鬼にも、
お供えをする風習があり、そのためのお米を入れる袋です。



私、変愚院には「くじ」の方に興味がありました。
籤、鬮の字のほかに「孔子」と書いて「くじ」と読むのを初めて知りました。
聖武天皇は「仁・義・礼・智・信」のクジで録(俸給)を、北条泰時は鶴岡八幡宮の
クジで天皇を決めたそうですが、昔は判断に困ったときに神仏のご意向を伺うのも
仕方なかったのでしょう。
展示では「宝くじ」などお馴染みのものもありましたが、できるだけ大和の民俗的な
ものを選びました。

これは「あみだくじ」。阿弥陀様の後光に似ているので付いた名前とか…。
もともとはこのように、真ん中から外に向かって放射線状に人数分の線を書いて、
それを引いたそうです。現在のように平行線の間に横線を入れて梯子状にするのは
新しい方法とか。



神社などで見かける御神籤箱。
他に「折り畳まれた籤が入った箱の中から参詣者が選ぶ方法、自動販売機(頒布機)
に発売金額分の硬貨を投入して得る」(Wikipedia)があります。



振り御籤。名前を書いた紙片を小さく丸めておいて伊勢神宮の御祓い(白いビラビラ
を束ねたアレですね)を用いて吸い上げるオハライヅケ(右)や、振り上げて飛び出
たものを当たりにするフリアゲがあります。



「大和士(やまとさむらい)春日講参勤用クジ。春日社旧社領23地区の所役を決める」
という説明がありました。



瓢箪山稲荷の「おみくじ」と「辻占」。「あぶり出し」と三枚セットになっています。
瓢箪山は「辻占」の本家と言われ、いわゆる「恋の辻占」で有名です。
『江戸時代から近くの東高野街道において辻占いの風習があったが、明治時代初めごろ
に宮司が「辻占」を創始し、「淡路島かよふ千鳥の河内ひょうたん山恋の辻占」として
日本全国に知られるようになった。』とWikipediaにあります。
瓢箪山は、変愚院の長い間住んでいた大東市から近いので、瓢箪山稲荷には何度も
お参りしました。
本来の「辻占」とはちょっと違うのですが、この「やきぬき辻占」も面白いものです。
紙の裏に硝石の粉末(だったと思います)を水で薄めた液が筆で書いてあり、火をつけ
るとじりじり焼けていきます。裏を見ればナメクジの通った後のように光っているので、
答えはすぐに分るのですが。
「あぶり出し」も同じような方法です。子供の頃は、ミカンの汁で字を書いて
「秘密文書」として遊んだことを思い出します。

ところで、現在でも遷都1300年祭の平城宮跡の整備行事の入札で、下限価格に34社も
入札したので「くじ」で決めたという新聞のパネルがありました。
今でも神任せで物事を決める風習がまかり通っているのです。
そういえば、プロ野球のドラフト会議もくじ引きですね。

今日の大和民俗公園(5月27日)

2010-05-27 16:05:13 | 矢田だより
今日も晴れたかと思うと今にも降りそうになる、すっきりしない空模様です。
そのせいか、いつもより人影が少ない公園です。



花菖蒲園のショウブが咲き始めました。



ひょうたん池のヒツジグサの花は数が増えています。



ハナアブがアザミの蜜を吸っています。





アジサイが色づき始めました。新緑から梅雨に季節は移っていきます。

旅行人ノート1・チベット

2010-05-26 10:37:36 | チベット関連本
河口慧海の「チベット旅行記」に始まり、「チャンタンの蒼い空」まで、長い間
とびとびに拾い読みしてきたチベット関連本ですが、このあたりでお終いにしたい
と思います。

「チベット」と聞くと誰しも思い浮かべるのは「ポタラ宮のあるラサ」、あるいは
「カイラス山」の光景でしょう。行政区域上は「中華人民共和国チベット自治区」。
しかしチベットは、かって広範な範囲に版図を広げ栄えていたので、その文化圏は
かなり遠くにまで及んでいます。



上のガイドブック「旅行人ノート チベット」は、副題に「全チベット文化圏完全
ガイド」とあるように、前回の「ドルボ」、前々回の「ラダック」地方はもちろん、
中国だけでなくインド、ネパール、ブータンまでを含めた詳細なガイドブックに
なっています。
 
各地方のガイドに先立つ総説にあたるチベットの自然、歴史、また「チベット世界
をもっと知るために」の副題の付いた「解説」は、何度も読み返しています。

「チベットの歴史」では、いわゆる吐蕃時代から現代まで、中国側から見た歴史と
チベット側から見た歴史を二段組で対比させているのがとても興味深いです。

例えば、ダライ・ラマの亡命のいきさつについて

中国側
しかし、チベットが平和のうちに解放され、祖国の懐に抱かれるのに我慢出来ない
者たちがいた。それは外国の反中国勢力と一部の元貴族・農奴主だった。彼らは
たびたび妨害・破壊工作を続け、ついに1959年に武力反乱を起こした。
 14世ダライ自らの希望でチベット軍区講堂での観劇が決まった際、反乱分子たち
は「漢人がダライを拉致しょうとしている」とか「毒殺しょうとしている」とかの
デマを飛ばして市民を扇動し、当日2000人余りの市民を脅迫してダライの住むノル
ブリンカに生かせた。彼らはダライを脅迫してラサから連れ出し、…


チベット側
1959年、ラサにいた中国軍の将軍がダライ・ラマ14世に、中国軍駐屯地に劇を見に
来るようにと命令した。チベット人たちは、法王が誘拐されるのを心配し、法王の
離宮ノルブリンカを取り囲んで法王を守ろうとした。これを抑えようとした中国軍
がチベット人たちと衝突し、数千のチベット人が殺された。これ以上の悲劇を避け
るため、ダライ・ラマ14世はひそかにインドに逃れ、北インドのダラムサラに亡命
政府を立てた。


現在、チベットの子供たちが学校で学んでいる歴史が「中国側」の主張する歴史で
あることは間違いありません。

図版や地図の詳しさは群を抜いていて(もちろん私の知る限りですが…)ネパール
への旅では随分重宝しました。



これはカトマンドゥ市内タメル地区の地図ですが、しばらく在住していた息子に
聞いた情報を書き加えています。チベット文化に関する地図などは更に詳細です。
(例えばスワヤンブナートやボダナート周辺のチベット寺院の地図など)
私の持っているのは1998年発行の改訂版ですが、現在絶版になっています。
最新の第4版の目次を見ると、ラサの項に「ついに鉄道がやって来た!~青蔵鉄道
が開通~」とあり、また改訂版では「ネパールのチベット圏」だったものが
「ネパールヒマラヤ」になり詳しい項目も増えています。

この新しい本を持って「カイラス周辺」は無理としても、せめて「ラサからカトマンドゥ」
への旅をしてみたいというのが、今の変愚院の夢となっています。
どうも長い間、「チベット関連本」にお付き合い頂きありがとうございました。

法輪寺から松尾寺へ(5月25日)

2010-05-25 13:33:34 | 矢田だより


長雨が上がりました。法輪寺横の斑鳩町駐車場に車を置いて松尾山に向かいます。



ジャガイモの花が咲いています。





法隆寺ゴルフ場へ向かう道脇一面にスイカズラの花。
尾根道のツツジはすっかり終わり、新緑の中を黙々と登りました。



一週間ぶりの松尾寺に着きました。







バラ園は今が見頃です。



下りは三丁町石付近、石仏のある分岐から



古道の「七曲道」を東院に回ってみました。
あとは長いカンカン照りの舗装路を歩いて、駐車場に帰りました。

チャンタンの蒼い空

2010-05-23 11:46:38 | チベット関連本


この書籍は日本山岳会100周年、関西支部70周年記念事業の一環として、日本山岳会
関西支部が実施した「西チベット学術登山隊」の報告書です。
登山隊は、チベットとネパール国境に位置する未踏峰パチュムハム(6529m)を北稜
から初登頂、ギャゾンカン(6123m)南東壁から初登頂するなどめざましい登山活動
の成果を上げました。

しかし、この登山隊には隊の名称に「学術」とあるので明らかなように、更に一つの
大きな目的がありました。それは、かの「チベット旅行記」の河口慧海が、禁を犯し
てネパールからチベットに入山したときのルートを明らかにすることでした。

慧海は案内者など関係者に迷惑が及ぶのを避けるため、「旅行記」では意識的に
自分が辿った道筋を曖昧にしている部分があります。
「学術登山隊」は慧海の通ったと思われる道を入念に辿り、周辺の村やゴンパでの
聞き取り調査を中心に、衛星画像まで活用して入念に調査を行い、ほぼその足跡を
確定しています。

報告書には多くの貴重な資料が含まれているので、軽々にその内容を紹介するのが
憚られますが、「転生活仏(リインカーネーション)に関する聞き取り調査」
…慧海がヒマラヤを越えてチベットに入った直後に潜んだ「白巖窟」で出会った高僧
から転生した「現在の活仏」が現存していることなど…や、その「白巖窟同定のため
の各ゴンパ聞き取り調査」などを、特に興味深く読ませて貰いました。

この「報告書」は美しい写真や地図、挿絵が多く、見て楽しいだけでなく、
西チベットの探検史、参考図書などに関する資料も実に豊富で、学術的にも価値の
高いものと思います。

ついでですが、登山隊の活動は逐次、衛星通信によって知らされ、事務局を通じて
支部HPに掲載されました。当時、広報委員として在籍していた変愚院にとっては、
本当に僅かではありましたが隊のお手伝いが出来たことが、自分の人生に残した貴重
な足跡になっています。

編集後記に大西保登山隊長が「西チベットの現況」について触れておられます。
この一部を紹介させて頂いてこの項を終わります。

西チベットは(西ネパールに比べて…変愚院註)もっとひどい状況になってきた。ラサの官僚、経済を牛耳る成金チベット人が何でもお金の世界という市場経済に浸透されてしまって、西へ延びる道路の街には、必ずガソリンスタンド、スーパーマーケット、電気機器店、中華料理店、理容店、シャワー室、プールバー、貸しビデオ、CD、DVD、それにバス・トイレなし24時間TV付き近代的ホテル、ディスコといかがわしい本、ビデオに店など、北京や上海に続けと公称13億人、本当は16億?人の中国人と呼ばれる雑多な人種の中で特に漢人達は、どんな片田舎の村にも背広と皮靴姿でサングラスとニューョークジャイアンツの野球帽姿で活きている。
中央政府の命令で公共施設をどんどん建てている。女性は茶髪で細身のGパンに、ハイヒール姿で何故か急ぎ脚で片田舎の町を歩いている。ナクチューシャンのような放牧人のチベッタン村にガラス張りの政府、地方自治体の象徴的、異様なデザインのビルディングを建てている。こんな所にどうして要るのだろう。


それから6年、西チベットは更に大きな変貌を見せていることでしょう。

金剛山で見た花

2010-05-22 10:37:57 | 花日記
5月21日、金剛山の花たちです。華やかさはなく、あまり目立ちませんが
それぞれ個性的で清楚な美しさを見せてくれました。



ヤチマタイカリソウ
別名 ソハヤキイカリソウ
ソハヤキとは「東海地方から紀伊半島、四国、九州にかけて分布している植物群
をさす。九州の熊襲からソ、四国、九州間の速水の瀬戸からハヤ、紀伊の国から
キを執りソハヤキと名づけたもの。ヒメカンアオイ、スズカカンアオイ、レンゲ
ショウマなどが代表的な植物」ということです。(yasuo氏HP「ぶらぶら花日記」
より引用させて頂きました)



ヤマトグサ
ヤマトグサ科ヤマトグサ属 世界に4種、日本には一種しかありません。
牧野富太郎が明治20年に発見し、はじめて学名をつけた植物です。
花かんざしのような小さな花が風に揺れる様は、本当に可憐です。



ユキザサ
白い花は雪が積もったようで、近くで見ると雪の結晶のようにも見えます。




ウリハダカエデ
カエデ科の落葉高木
雌雄異株で花期は4~5月頃。樹皮は暗い青緑色の模様がある。この模様の色が、
マクワウリの未熟な実の色に似ていることからウリハダカエデの名がある。
(Wikipedia)
花序には10~15個の花をつけるそうです。「雌雄異株」なら雄花と雌花がある筈
です。これはどちらでしょう。写真を拡大すると、雄蘂らしいものが見えるので
多分、雄花だと思いますが…ちゃんと観察しておいたら良かった。