ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

私の関西百山(43) 鷲峰山

2014-02-28 10:28:07 | 私の関西百山

 鷲峰山(682m) <信楽>

【じゅうぶせん】南山城にあり「北の山上」と呼ばれる金胎寺の行者巡りで知られている。宇治田原町の維中前バス停から信西塚、大道神社を経て東海自然歩道を東南へ辿るコースが一般的。私たちは南側の和束町原山から登ることが多いが、ここ20年ほど訪ねていないので、久しぶりに訪ねてみたいものだ。

原山の村落の中を抜け、東海自然歩道の標識に従って茶畑の中を通って山に向かう。薄暗い檜の植林の中を抜けると尾根に出て、右手の展望が開ける。しばらく山腹の捲き道を行き、小さな橋を渡って流れに沿う雑木林の中を登る。



木馬道と石段のジグザグを数回くり返すと広い林道にでて、すぐに立派な重文の金胎寺山門に着く。

 多宝塔

金胎寺は白鳳4年(675)役行者の創建と伝えられる。平城京の鬼門に当たるため、聖武天皇が都鎮護のため勅願寺として堂塔を整備した古刹である。境内に本堂、行者堂、多宝塔がある。

 Jan.1976

 Jan.1991

多宝塔の横から笹原を少し登ると「天狗の握り石」という奇石と宝篋印塔が立つ空鉢峰と山頂である。



(地図上の一等三角点は、ここから見えるマイクロウェーブのあるピークにある)

行場巡りは一周4キロで大峰より距離が長く、1時間半から2時間かかる。社務所に料金を払って横の木戸を潜る。(1970年代は50円だったが、80年代には100円、90年代は200円になっていた)迎えの行者までは捲道。

 五光の滝

ここから下って、東、西の覗き、胎内潜り、五光の滝、千手の滝を経て再び登りとなる。鐘掛、小鐘掛、平等岩、蟻の戸渡りを過ぎて辻へ戻る。下山は一等三角点の釈迦ヶ岳(681.2m)を経るコースをとると、宇治田原町湯屋谷にバス停がある。


春霞・二上山(2014.02.25)

2014-02-25 20:29:08 | 山日記

急に春めいて暖かい朝。「2月は山へ登ってない」という♀ぺンの言葉に思い立って二上山へ行きました。道の駅に車を入れていつもより遅めの出発(09:20)。ふるさと公園は休園日ですが何人もの人が体操をしたり、石段を上下したりしていました。

何時もながら、歩き始めからの階段歩きはちょっとシンドイです。400段を過ぎてあと60段。

展望台の下の展望図。残念ながら景色はぼんやりと春霞に曇っています。(09:30~09:35)
歩き出してすぐに、雄岳への道にロープが張られ、去年まではなかった
「この登山道は私有地につき立ち入り禁止」という「ふるさと公園」の掲示がありました。しかたなく他の道を探して少し進みましたが、公園に下る捲き道しかないのでいったん公園まで降りて二上神社の方へ回ろうかとも思いましたが、せっかく稼いだ高度が馬鹿らしいので引き返しました。よく見ると「公園は…一切の責任は負わない…自己責任」の文言があるので、今日は通らせて貰うことにしました。

ここからは小さいピークが小うるさいほど続きます。しかも下りが急でそれを登り返すので時間がかかります。444m四等三角点のピークで写真を撮っていると空身の男性が追い越していきました。(10:00)

ここからは登り一方で、10分ちょっと登ると鳶塚を眼下に見る「眺め坂」のベンチ。いつもはいい景色なんですが、今日は殆ど無展望。ぽかぽかと暖かくのんびり気分で水分補給して出発。(10:15~10:20)

ウグイスの声を聞きながら急になったり、緩やかになったりする道を行きます。出会坂から急坂を少し登ると雄岳への分岐があります。右へしばらく下り、登り返すと二上神社からの登山道に合流します。ここからは行き交う人が急に増えました。大津皇子墓所にはまだ雪が残っています。(11:10)

頂上の神社の前には雪ダルマも…

しかし陽が高くなると気温はぐんぐん上がり、山頂の広場の寒暖計は太陽をまともに受けて何と20℃を指しています。(11:15)

何人かの人と行き交いながら斑に雪の残る馬ノ背を過ぎて雌岳へ向かいます(11:25)。

去年の2月に来た時は凍り付いていた石段も雪解けの感じで楽に頂上へ。二人の間に痩せた雪ダルマが見えます。コーヒーとシフォンケーキで軽い昼食をとりました(11:35 ~12:00)。

ちょうどお昼時で去年貸し切りだった頂上広場は賑わっていました。正午ちょうどに下山。広場の周りのアセビの花の白は綻びかけていましたが、赤の方はまだ蕾が固いようでした。

岩屋峠へ下る途中のサザンカの並木道は終わりかけた花が最後の芳香を放っていました。峠に着いた時(12:15 )、登ってこられた男性に上の雪の様子を聞かれました。地元の大池近くの人で後から来られたもう一人の方と二人で、一週間に二度は登って来られるそうで、先週は馬ノ背から上はアイゼンなしでは登れなかったとか。

私たちも下の様子をお聞きして立ち話の末に「お土産に…」と笹の葉で作ったキリギリスを二匹も頂きました。いつも山で出会った子供たちにあげるために箱に入れて持ちあがっておられるとか…。

「またお会いしましょう」「気をつけて」とお別れして裕泉寺へ下ります。先ほどのお話通り、雪は殆ど溶けて二か所ほどのぬかるみも大したことはありませんでした。

裕泉寺(12:37)から舗装路になり雪は全く姿を消しました。結局、アイゼンもスパッツもザックに入れたままで済みました。大池(12:50)では、いつものように私たちの声を聞きつけて鴨たちが群がり飛んできました。番いのガチョウも後を追ってきます。岩屋峠で会った男性が「うちの扶養家族」と言っておられた鳥たちです。「今日も君たちにあげるものがなくてゴメンネ」。

山口神社から道の駅に帰る道にはハコベやイヌノフグリの花が春の訪れを告げていました。道の駅近くの墓地の横ではカンザクラが満開でした。来週はもう弥生。大和路の春もいよいよ本番近いことを実感させるハイキングでした。


回光・夜の高松塚古墳(2014.02.23)

2014-02-24 11:23:22 | Weblog

老夫婦の夜遊びは「大阪城イルミネーション」「なら瑠璃絵」に続いて今月3度目です。

たそがれ迫る飛鳥駅(17:35)。明日香へはいつもマイカーで来るので、これまで気がつきませんでしたが、駅前にこんなモニュメントが立っています。雪ダルマのようですが須弥山を表しているそうです。

高松塚古墳へは徒歩15分。これも歩いていくのは何年ぶりでしょう。飛鳥歴史公園の中を登っていくと、こんな展示がありました。「草月流四神」の草花を使った壁画四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)の展示です。(帰りにはライトアップされていました)

今日のお目当てはこの「360°プロジェクションマッピングin高松塚」。古墳に360度3D画像が投影されるのは、日本初ということです。

18時、古墳の周りに集まった大勢の人が投影の開始を待っています。「もう少し暗くなるまでお待ちください」とのアナウンスがあり

15分後、投影が始まりました。最初に宇宙をイメージした映像が10分ほどあり、その後、四神が次々飛び出す約5分間の3D映像。真っ赤に古墳が燃え上がったり、朱雀が羽搏いて舞い上がったり迫力満点で見応えがありました。その繰り返しなので観覧者の循環は早いようです。二度鑑賞しましたが、次第に冷えてきたので会場を後にしました。私たちが帰る頃から、続々人が登ってくるようになりましたので、「もっと少し遅くに来た方が、きれいな画像が撮れたのかなあ」などと話しながら駅に向かいました。

 


スペイン8日間の旅(12)

2014-02-20 08:42:21 | 旅日記

6日目の午後は最後の観光地・トレド。首都・マドリッドから南に70kmにある、古代ローマ時代から様々な異なった民族の支配を受け、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教と異なった宗教の混在する独自の文化を残す世界文化遺産の街です。

まず、町を巡るように流れるタホ川の対岸を時計回りに南側の高みにある展望台・ミラドールへ登り、町全体を見晴らします。

左奥にカテドラル、右奥にアルカサルが見えます。いったん、この写真の左手の方を下って



タホ川に架かるアルカンタラ橋を見て、別の橋で再び川を渡ります。

バスが停まる寸前、こんな乗り物が窓の外を通過しました。ソコトレインといって町を一巡する観光バスです。

ソコトベル広場でバスを降りました。ソコトレインは各名所を巡りますが、途中下車なしでここが唯一の発着場。私たちは狭い町の中を散策します。

坂の多い、迷路のように入り組んだ町を、迷子にならないように早足で歩くガイドに必死でついて歩きます。行く手に美しい塔が見えてきました。

カテドラル スペイン・カトリックの総本山です。この前で10分休憩ですが、スリやヒッタクリが多いとかでおちおちブラついてもおれません。

壮麗なファサード

見事な塔と、外観だけ眺めはしましたが実は「下車観光」で、内部のステンドグラス、絵画、展示物などは見る時間がありませんでした。

再び狭い町の路地を歩いて名残惜しげに振り返ります。このあとサント・トメ教会に入り、有名なグレコの「オルガス伯爵の埋葬」の絵を見ました。



トレドは要塞都市として栄えた町で旧市街にはあちこちに城壁が残されています。

バスに乗った処にもこんな美しい城壁が残っていました。

城壁にはいくつかの門が開いていて、その門もそれぞれ見応えがあります。「スペインに一日しか滞在できなかったら迷わずトレドに行け」という格言があると、「るるぶ情報版」に書いてありました。そのトレドに僅か2時間の滞在ですから、アルカサルを始めまだまだ見たいところがあって、とても心残りです。

この日、マドリッドへ帰り昨夜と同じホテルで連泊しました。翌1月30日、10時マドリッド空港を発ち

フィンランドのストックホルムで乗り継ぎ、北極圏の海を飛んで14時間の飛行で翌31日午前10時前、無事、関空に帰りました。8日間とはいうものの実質は6日間のスペインの旅でした。予想外に暖かくて過ごし易く、雨が降ったのはバスの中だけで傘も使わずに済みました。期待した以上の楽しい旅でしたが、もし再訪できる機会があれば、今回訪ねなかったセビリアを始め、マドリッドやトレドの町をゆっくり歩いてみたいと思っています。長い間お付き合い頂いて、ありがとうございました。(終)


スペイン8日間の旅(11)

2014-02-19 11:30:27 | 旅日記

6日目(1月29日・水)マドリッド~トレド~マドリッド

レコンキスタ、新大陸発見、大航海時代とスペインが大いに繁栄した1561年、トレドからここに都が移されて以来、マドリッドはスペインの首都になり、政治・経済・文化の中心として発展してきました。昨夜は遅く着きましたので、今日はゆっくりと、9時にホテルを出て市内の観光です。

美しい公園や建物を次々に通り過ぎますが、残念ながら車窓からの観光では、座席の関係もあって自由に写真も撮れません。これはシベーレス広場 Plaza de Cibeles。中央のシベーレス(ギリシャ神話の女神・キュベレのスペイン語読み)噴水に因んだ名前です。後ろの建物はコムニカシオネス宮殿(ビデオカメラで撮影したものをキャプチャ、トリミングしました。)

王宮やマニョール広場はあっという間に通り過ぎました。ようやくスペイン広場 Plaza de Españaで下車。ここで現地のガイドさんと合流します。スペイン広場は3年前訪れたローマを始めグアム島や東京にまであるそうですが、やはり本場はここでしょう。

セルバンテスの没後300年を記念して造られた広場の中央には、大きな塔の下にセルバンテスがどっかと腰をおろし、その前にサンチョ・パンサを従えたドン・キホーテの銅像がありました。

スペイン広場から始まる大通り、グラン・ビアを走りプラダ美術館の前に着きました。1819年、スペイン国王の命で王家のコレクションを公開したのに始まる世界三大美術館の一つです。

10時の開館時間になりました。既に大勢の人が列を作っています。

収蔵作品2万点、全部見るには何日もかかりますが私たちは10数人ずつに分かれ、ガイドさんのイヤホンの説明を聞きながら1時間20分ほど主な作品だけを見て回ります。(写真はチケット・団体券?15€と日本語の館内ガイド)

最初に入った部屋の奥に架かるこの絵に、まず目を引かれました。宮廷画家ベラスケスのラス・メニーナス(宮廷の侍女たち)です。美術には疎い私にも、立体感のある表現力、描画力の凄さは分かります。(後でガイドさんが「今でいう3D」と言っていました。)傍に近づくと手前の犬の毛並みまでくっきりして、今にも飛び掛ってきそうです。中央のマルガリータ王女、肖像画を描いている画家ベラスケス本人、鏡に映る肖像画の対象・フィリペ4世と后…圧倒される思いで鑑賞して、この部屋だけで何分いたでしょうか。引き込まれるように見入っていました(館内は撮影禁止ですので、写真はお土産に買った絵葉書からスキャンしました。)
 
他にも多くのベラスケスの作品やエル・グレコの「胸に手を置く騎士」などの作品を鑑賞しましたが、一番強烈な印象を受けたのはゴヤの「我が子を喰らうサトゥルノ」です。絵葉書がありますが、あまりにも不気味なグロテスクな絵ですので敬遠します。

これもゴヤの作品。上は「1808年5月2日、エジプト奴隷兵との戦い」、下は「1808年5月3日の銃殺」。ナポレオンの新略に抵抗する市民と、その最後を怒りを持って描いた傑作です。


一転して謎の美女「裸のマヤ」と「着衣のマヤ」。当時、裸婦像はタブーだったので依頼者の宰相・ゴドイさんだけが、こっそりニヤニヤ鑑賞したのでしょうか。


これもゴヤの、上は「カルロス4世の家族」。ここでも画家自身が登場しています。下は「日傘の女」です。

鑑賞を終えて、売店でお土産の絵葉書を買って外に出ました。すぐ前は青空を背にした聖・ジェロニモ教会です。

いつも私たちが時間を持て余す免税店でのショッピング・タイムののち、ランチ・タイムになりました。日本でいうと居酒屋風の気軽なお店で、タパスを食べます。生ハムや焼きマッシュルーム、イカのリング揚げ…などなどの一品料理ですが、これが今回の旅行で一番私たちの口に合いました。実はスペイン料理は調味料に砂糖を使わないので(その代わりデザートが超甘い、もちろん料理に出汁は使わなし…)味付けが単調なせいか、あまり美味しいとは思いませんでした。(もっとも、安いツァーの料理だったせいもあるでしょうが…。)

上はレストランのトイレ案内の紳士・淑女。下の左はメトロの入り口と市バス。右は下水の蓋にあった「マドリッド市章」。山桃を取ろうとするクマさん。この絵と同じ銅像はプエルタ・デル・ソル「太陽の門広場」で見たのですが、写真に撮れなかったので、せめてもの代用です。さて、お腹も膨れてホロ酔い気分で最後の観光地・トレドへ向かいます。


大和郡山城址の梅(2014.02.17)

2014-02-17 13:33:53 | 大和郡山歳時記

何日ぶりかに朝から暖かい陽の光が降り注いでいます。二人で散歩がてらに近鉄駅前まで歩き、用事を済ませてお城へ行きました。

今、盆梅展が開催中で、実はそれが目当てだったのですが…(写真は追手門櫓)

係りの人に聞くとまだ三分咲きとのことで、日を改めて来ることにしました。庭園の梅もまだ蕾が膨らみ始めたばかりです。

本丸跡にある柳沢神社へお参りします。この季節らしく「交通安全」に並んで「合格祈願」の幟が立っています。

拝殿庇下には金曜日の雪がまだ残っていました。明治十三年創立の柳沢神社は、元郡山城主の柳沢吉保(徳川五代将軍綱吉の側用人)を祭神としています。吊燈籠にその家紋が見えます。

拝殿に掲げられた古い絵馬。川中島合戦が描かれています。

境内の白梅は五分咲き

紅梅は三分咲きでしたが、どちらもいい香りを放っていました。陽を浴びているとぽかぽか暖かく、春が近いことを思わせるお天気でした。


スペイン8日間の旅(10)

2014-02-16 16:48:13 | 旅日記

 

(5日目・1月28日続き)メスキータを出て北西の方へ数分歩きます。細い道の両側に美しい花で飾られた白い壁の家が並んでいます。ここは8世紀の頃、ユダヤ人に作られた「ユダヤ人街」で、この細い路地は「花の小径」。奥の方から歩いて来ました。振り返るとメスキータの塔が見えます。

レストランで昼食を済ませてローマ橋対岸のバスに帰り、遠くからメスキータを見てコルドバに別れを告げました。今夜泊まるマドリッドまでは約410km、途中のラマンチャ地方のPuerto Lápice(プエルト・ラピセ)という小さな町で少し長めのトイレ休憩になりました。

さすが「ラ・マンチャの男」ドン・キホーテで名高い土地柄だけに、トイレの標識もこの通り…。

セルバンテスが何度も泊まったという小さな宿で、今は「ベンタ・デル・キホーテ」というレストラン。中庭には、槍を持ったドン・キホーテが立っています。(トイレは写真左の建物)

博物館も併設されていて作者・セルバンテスの使った机や椅子、文房具などが保存されています。

興味深かったのは、世界各地で出版されたドン・キホーテと従者サンチョ・パンサが活躍する本の展示です。右下の本の挿絵はドラゴンと戦うドン・キホーテが描かれていますし、その左の浮世絵風の挿絵は「稲村ケ崎の新田義貞」そっくりですが説明には「ドン・キホーテは鎧の騎士」とありました。実に貧相な顔やし、わけ分からん…。

こっちは有名な風車と戦う、騎士ならぬ武士です。よく見ると風車じゃなく水車じゃありませんか!

さて、しばらく走るとコンスエグラという町に入ります。細い町並みを抜けて小高い丘へ登っていきます。しばらく前から降っていた雨は止みましたが、凄い風です。

ここには11基の白い風車が並んでいます。風車は回らないようになっています。

上の写真手前に見える丘に登ってみました。行政からの補助金に頼らずに村の人たちが大事に保存しています。一つ一つの風車に名前が付いていることからも愛着ぶりが分かります。



風車がたくさんあるくらいですから、普段から風の強い処ですが、それにしてもあまりにも強い勢いで飛ばされそうです。慌ててここだけ入口の開いている風車に入りました。村の人たちが保存のために有料で内部を見せてくれています。ココア付きで1.5€(200円余)の協力金を払って螺旋階段を登ります。

古い木製の歯車です。壁に「風車小屋の構造」「どのように動くのでしょう」といった日本語の解説が張られていました。

3階建てほどの高さにある窓からはコンスエグラの街が一望できました。ここからマドリッドまでは130km。ホテルについて荷物を部屋に運び、夕食が始まったのは20時30分になっていました。


スペイン8日間の旅(9)

2014-02-15 09:04:55 | 旅日記

5日目(1月28日・火)グラナダ~コルドバ~ラ・マンチャ地方~マドリッド

8時、グラナダを出てコルドバへ向かいます。30分ほどで郊外に出ました。8時45分、朝焼けの空の下にオリーブ畑が続いています。

途中、古い貨物駅の跡にある道の駅?でトイレ休憩。その後、今度は見渡す限りのヒマワリ畑。今は発芽したばかりですが、花が咲くと素晴らしい光景でしょう。もっともスペインでは陽光がきつすぎてヒマワリはお日様から顔を背けて咲くとか。そんな話を聞きながら、10時45分、167km離れたコルドバに着きました。

コルドバは紀元前2世紀頃からローマの植民地となり、8世紀半ばから11世紀にかけてイスラムの後ウマイヤ王朝の都として栄えました。その歴史地区は世界遺産に登録されています。グアダルキビール(ビア樽生ビールと覚えました)川にかかるローマ橋のたもとに停まったバスを降りて、メスキータへ向かいます。

メスキータの塔と外壁が見えてきました。街路樹はたわわに実をつけたオレンジ…誰も採らないのかなあ?

メスキータ スペイン語でモスクの意味です。もともと西ゴート王国のカトリック教会があった処ですが、イスラム後ウマイヤ朝時代にモスクとなり、さらにレコンキスタによってキリスト教会に改築されました。そのためイスラム教とキリスト教両者の様式が見られる独特の建築物となっています。イスラムの面影の濃い門を潜って内部に入ります。

円柱の森。数万人を収容できる(甲子園か!)という森を表す祈りの大空間に、868本(王のHRと同数や!)の柱が立ち並んでいます。

785年のモスク完成後、200年にわたって拡張が繰り返されたので、柱には世界各地から大理石や硬質の木材など色々なものが転用して使われています。その高さの不揃いを調整するための工夫が上部の二重アーチで、赤の煉瓦と白の石灰岩が交互に組み合わされています。

キブリ壁。モスク中央にある最も重要な場所で、メッカの方向を指すくぼみ・ミフラブがあります。イスラム教徒はメッカのカーバ神殿の方を向いて祈ります。以前にイスラム圏を旅したとき、ホテルの天井や部屋の机の中にまでメッカの方角を示す矢印があったことを思い出しました。くぼみの周りは金色のモザイクで装飾され、コーランの一節が描かれています。



中央礼拝堂。18世紀に作られたキリスト教の礼拝堂。中央がドーム型になっています。

こちらは聖歌隊席。周りの壁や背後の像は黒檀です。

オレンジの中庭。名前のとおり周りにオレンジの樹が植えられています。糸杉の向こうに見えるのはアルミナールの塔。イスラム教徒にとって、中庭はこの塔や礼拝の間と並んで、祈りの前に沐浴で身を清める大切な場所です。

たまたまオレンジの収穫期らしく無造作に実が集められていました。美味しそうだなあ…と眺めていましたが、添乗員さんの話では街路樹やここに植えてあるオレンジは食用ではないとのこと…なあんだ。


奈良は大雪(2014.02.14)

2014-02-14 14:20:11 | 矢田だより

昨夜から降り出した雪は朝になっても止まず、大和郡山でも8時には6cm積もっていました。

朝のわが家の庭の様子です。

後ろに見えるキンモクセイの中で、ヒヨドリが雪宿りしています。
(ちょっと分かり難いですが探してみてください)

正午を過ぎても雪はやまず、すでに積雪15cmほどになっています。

大和郡山では近年まれに見る大雪です。

ツバキの花も…

マンリョウも雪帽子の重さに耐えかねているようです。


しあわせ回廊「なら瑠璃絵」(2014.02.12)

2014-02-13 15:02:00 | 我が家の歳時記

昨12日夜、「しあわせ回廊・なら瑠璃絵」を観に行きました。春日大社、興福寺、東大寺の三大社寺を「光の回廊」でつなぎ、幸せを祈るという奈良の早春を彩る大ページェントです。2010年の第一回以来に行って以来ですが、さらに規模の大きくなった美しい光の饗宴にすっかり魅了されました。

美しくライトアップされて夜空に浮かび上がる興福寺五重塔。春日大社へと東に歩きます。

一の鳥居を過ぎて国立博物館を左に見ると、光のトンネルを潜ります。高畑からの道は横断できず直進して参道に入れなくなっています。順路の指示通り北へ行き大仏殿前の交差点にきました。大仏殿への道に入ると急に人が多くなりました。屋台もでていて賑やかです。餌をねだるシカも姿を見せました。

東大寺に近づくと鏡池に噴水が上がり、鮮やかな色が…



正面に回ると仏様の姿が浮かび上がってきました。

短い(約2分)動画がこちらにあります。→ http://youtu.be/rkC7ODMYQHc

噴水のスクリーンに万華鏡のように美しい絵模様が次々と浮かび上がります。

 

長い間鑑賞してやっと南大門へ。ここの敷居はいつも高くて跨ぐのがちょっとシンドイです。

さらに奥の中門まで行くと大仏殿もライトアップされ、上の小扉が開いていて大仏様のお顔を拝むことができました。

交差点に引き返して浮雲園地に入ります。

光の回廊に導かれて奈良県新公会堂へ。

公会堂東側に広がる光の海…小川のスモークが赤や青に染まり、サザンカの花の下でイルカが跳ねていました。

新公会堂から「ミラクル春日参道」を大社に歩きます。

くつものミラーボールの光が足元にこぼれています。

遠回りしていつもより長く感じる参道を登ってやっと春日大社にきました。

参拝を済ませ、吊燈籠をちょっとだけ覗いてみます。

帰り道の参道で見たアートプロジェクション「閃光」。春日大明神は雷の神様だそうで、その雷をイメージしたオブジェです。様々に変化する光のゲートを潜って家路につきました。