ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

残念!試合中止(7月29日)

2010-07-29 15:24:46 | Weblog
このところ快調に進撃中のわが阪神タイガース。
昨夜は横浜で唯一の苦手・清水投手に僅か2安打に抑えられていた打線が、7回になって
一挙に爆発。なんと2犠打を含む8安打連続で大逆転。



今夜は弟からアイビーシートのチケットを貰っていたので、3連勝で首位固めの六甲おろし
を声高らかに歌おうと…



阪神グッヅも用意怠りなくザックに入れ、朝から出ている♀ペンとはナンバで待ち合わ
せて、甲子園に行くことになっていました。ところが、先ほど雨天中止の報道が…。
今まで天気続きやったのに、なんで今日に限って雨が降るんや…。無情、ナサケナイです。

涼風・大台ケ原(7月27日)

2010-07-28 12:35:51 | 山日記
下界の暑さを逃れて大台ケ原に行きました。
家を出てから3時間近く、大台ケ原駐車場に着くとさすがに標高1570mの空気はひんやりと
爽やかで、暑さに弱った身体をたちまち活気づけてくれます。



9時25分、駐車場スタート。濃淡いろいろな色合いの緑に染まりそうな水平道から、整備
された階段道を日出ヶ岳へ登ります。



10時10分、山頂のログハウス風休憩所の屋上展望台です。周囲360度の大展望で、これは
東側。横の展望図によると、変愚院の左側には御岳、木曽駒、恵那山、仙丈ヶ岳、間ノ岳、
そして富士山と、懐かしい山が並んで見えるはずなのですが、これは冬の晴れた日の早朝
のこと。
今日は夏雲に覆われて、右手の熊野灘さえ見えません。



先ほど追いついたバスツァーの30人グループが出た後は、二人だけの貸し切り状態になり
ました。
写真は1695mの一等三角点を見下ろしたところ。背後の山は三津河落山。霞んでいた大峰の
山々も次第に姿を現して来ました。15分ほど休んで出発。



木道が続く正木ヶ峰を登り終えて、トウヒの白骨林を見ながら下ります。



正木ヶ原にくると、急に目の前をシカの大群が横切りました。およそ30匹はいたでしょうか。
頭数の多かった昔でも一度にこれほどの数を見たことはありません。近頃は、東大台で
シカを見ることが珍しくなっただけに、嬉しい出来事でした。
写真はのんびり餌を探していた別のグループです。

少し先で休んでいた30人グループが、出発準備をしていたので混まないうちに大蛇に急ぎ
ました。



滑りやすい岩の先端に立ちました。東ノ川を隔てて大峰の連山が一列に並んでいます。
右手には西大台の樹林帯に、中ノ滝が白布をかけています。(12:00~12:05)



目の前は蒸篭(セイログラ)の絶壁です。狭い岩場にガイドを先頭にして大グループが
やって来たので、場所を譲って引き返しました。



ちょっと戻った岩場が、私たちがいつも昼食場所にしているところです。
ご丁寧に「この場所は大蛇ではありません。もう少し下った先端に鎖がある岩場が
大蛇です」という新しい札が取り付けられていました。
木陰でサンドウィッチを作り、昼食を済ませました。(12:10~12:45)



いつもは、ここからシオカラ谷に下り、吊橋を渡って登り返して帰るのですが、しばらく
動かしていないヒザが不安なので今日は尾鷲ノ辻に引き返しました。
いつもは人のいる休憩所に、初めて腰をおろしてみました。(13:10~13:20)
あとは何十年ぶりかで歩く水平道を2キロ、のんびりと駐車場へ帰りました(13:50)

久しぶりの山歩きなのに膝サポーターを忘れ、いつ痛みだすか心配もありましたが、帰って
からも異常なく、かえって調子が良くなったほど。天気予報が伝えていた午後の雷雨にも
会わず、静かな大台の雰囲気に浸れて満足の一日でした。

ぬか喜び(7月25日)

2010-07-26 06:00:00 | 矢田だより
連日の猛暑続きで、どうしてもひと雨欲しいところです。
♀ペンが庭の水やりをしていると、急に黒い雲が空を覆ってきました。



どうやら一雨きそうな雰囲気で、サルスベリの花も期待顔?
しばらくすると激しい雷鳴が轟き、パラパラと雨が降りました。雷はしばらく続きましたが、
雨は土も濡らさぬほど…
「水やりしといて良かったやろう」♀ペン。

マイカー7代記

2010-07-24 06:00:00 | 四方山話
今の車、3度目の車検が終わりました。つまり7年間乗っています。
第二の勤めをしていたときは、山行のための遠出を含めて年間20,000kmは乗っていま
したが、このところ遠出も減りましたので、バッテリー交換などはしましたが、まだ
まだ乗れそうです。

これまでのマイカーの歴史を振り返ってみました。

初代 1973年(昭和48)6月~
免許を取って始めて乗った車は、軽乗用車・スバルR2の中古車でした。このとき
変愚院は39歳。遅い免許取得ですが、実は若い頃、自動二輪で人身事故をおこし、
これをキッカケに二度と車に乗るまいと免許更新をしませんでした。
しかし、どうしても車がほしくなり、当時、軽自動車なら自動二輪免許で乗れたのに、
若い同僚と自動車学校に通って普通免許を取得しました。
 このスバルR2が実に傑作で、真っ赤なボディのルーフとボンネットにグリーンの
短い毛が絨毯のように植え付けられているのです。前の持ち主が、何かそのような仕
事で奥さんの車に実験的に行ったということ。どうせ、最初は「アテるんやから」と、
言われて、トヨタ系列の販売会社にいた弟から下取りの車を諸費用込み11万円で購入。
 しかし、流石にこのド派手な車は人目につきすぎて恥ずかしく、1年あまりで乗り
換えることにしました。写真があれば本当に笑える車なんですが…

2台目 1974年(昭和49)9月~
ベージュ色の軽、ホンダ・ライフ。前の車は3万で下取りさせました。この車も中古車で、
よく故障してJAFのお世話になりました。短い期間で写真もありません。



3台目 1977年(昭和52)1月~
トヨタ・スプリンター(1,200CC)。ようやく車らしい車で家族と良く出かけました。
特に春休みには、毎年のように九州、四国などを家族サービスのドライブ。
写真は1982年春、阿蘇草千里です。



4台目 1984年(昭和59)3月~
トヨタ・カローラ2(1,500cc)。また安い出物があるとの弟店長の言葉に釣られて、
この中古車に乗り換え。前の人のクセが残っているのか、やや扱いにくく、最後は
大阪中央環状の路肩に乗り捨てて、引き取りに来させました。
これは何処で取った写真か忘れました。



5台目 1990年(平成2)8月~
コロナEXサルーン(1,800cc)。これまでミッション車でしたが、始めてオートマ、パワステ
車になり、狭いわが家の車庫入れが楽になりました。
平成2年は花博があり、バブルが崩壊した年。この年の夏も暑かった記憶があります。
この車で1996年8月に谷川岳へ行ったのが、フェリーを別にすると変愚院の最長ドライブ
記録です。
写真は1994年8月、富士スバルラインにて。



6台目 1996年(平成8)12月~
カルディナTZワゴン(2,000cc)。弟はすでにトヨタを辞めて別の仕事をしていましたが、
慣れたトヨタ車を大和郡山で買いました。屋根にキャリアが付いていますが、全く使わ
ずに終わりました。
この車からカーナビをつけたので、ナビゲータ役の♀ペンはグッと楽になりました。
写真は1998年春、松本市本町通りの「牛つなぎ石」で。ドライバーは息子です。



7台目 2003年(平成15)7月~
そして今の愛車です。同じカルディナ(2,000cc)ですが、キャリアはありません。
カーナビはオプションで最初から付けました。
今年は免許切り替えの年で、後期高齢者講習を受けなければなりません。モミジ・マーク
も付けなければなりませんし、かなり勘も鈍ってきて擦ったりもします。そろそろ車の運転は
…とも思うのですが、やはり便利な道具ですのでなかなか止められません。
写真は2007年2月、伊勢・白猪山登山口で。

今、探してみるとクルマの写真というのは、あまり撮ってないものですね。

今日は大暑

2010-07-23 09:02:33 | 過去の今日
昨日は多治見で今年の最高気温、39.4℃が記録されました。
奈良でも35℃近く、夜になっても気温は下がらず風はそよとも吹かず、変愚院家でも
今年始めて一晩中、エアコンをかけずには眠れませんでした。

「大暑」の今日も文字通り、大いに暑くなりそうです。
こんな日には涼しい山に行きたい!過去のこの日に立っていた山頂を振り返りました。



1963年7月23日 写真は北アルプス・祖父岳庭園です。薬師岳から黒部の源流を渡って
雲の平に来ました。この後、三俣蓮華岳に登り、湯俣に下ります。



1966年7月23日 一服剣からみた立山連峰。前日に剣岳に登り剣沢で幕営。この日は
立山を縦走して、更に薬師岳を目指し南下しました。



1982年7月23日 義父母、義弟と変愚院家族の7人で木曽駒ヶ岳に来ています。
これから宝剣岳に登り、天狗山荘泊まりです。



19947月23日 二人で瑞牆山に来ています。昨日登った金峰山を背にして…



1995年7月23日 湖南アルプス・堂山。さすがに384mの低山歩きは暑かった!
この3年前に二人で来たときは、秋の良い天気だったのですが…
それでも、山頂からは昨夜の豪雨で洗われたような360度の大展望でした。

やはり山は最高!ああ、山へ行きたい。


 

闇の奥

2010-07-21 09:10:07 | 読書日記
辻原登著 文藝春秋社 2010.04.10 第一刷刊


第二次世界大戦末期、ボルネオで消息を絶った若い民俗学者がいた。彼・三上隆は世界
各地に残る「小人族」が実存することを信じ、また
『百万年の昔、天上から神が降下したもうたごとく、かの山巓から生きとし生けるもの
が東南アジアの島々へ、とりわけ二つの高山島、台湾島とボルネオ島に下ったのだ。
みな小さなヒマラヤなんだよ。』(友人への手紙)というように、ヒマラヤの造山活動、
いわゆる「ヒマラヤ褶曲」が、これらの土地に同じような環境を産んだと考えていた。

この本は、三上隆の生存を信じる人たちが、戦後、彼の足跡を追って捜索を続ける物語
で、6つの章から成り立っている。
序章に当たる「イタリアの秋の水仙1」(この章の名にも意味があるのだが…)で、
何故この物語が生まれたかが語られ、物語の輪郭が大まかな見取り図のように朧気なが
ら読者に示される。


キナバル山(4101m)

続く三つの章は、1982年(昭和57年)に第三次三上隆捜索隊がボルネオで彼の生存して
いた証を発見する話しである。
目的地はキナバル山から連なるクロッカー山脈を縫って流れるサバ州キナバンタン河の
源流域。ここで「矮人族(ネグリト)」が登場し、首狩族らしいということで物語は奇怪な
雰囲気を見せる。しかし、三上はすでにロマンティックな想い出を残して、この地を立ち
去っていた。


大塔山

次の章は1986年(昭和61年)、舞台は日本、しかも三上の生まれた和歌山県である。
第三次捜索隊員でもあった男が、友人二人を誘って大塔山系に分け入り、苦心の末に
「ネグリトの村」を発見する話。しかも、ここで三上隆が姿を現し、しばらくは東チベット
にいて「気がついたとき、ここにいたのです。」と語る。
しかし、これは語り手が「孫娘におとぎ話」をするつもりで書きためた資料でもあり、
どこまでが真実で、どの部分がファンタジーなのか分からない。

最後の章は再び「イタリアの秋の水仙2」で、これは2009年(平成21年)、つまり去年
の話し。すでに第三次捜索隊までの隊長・村上も、大塔村で小人族の村を発見したとい
う出水もすでに亡く、村上の息子と第三次の脇役で今や千葉大名誉教授の青木が東チベット
に出かける話しである。
三上が滞在していた村は東チベット・ミニヤコンカの麓で、その話はなんとダライ・ラマ
が語ったことで保証される。しかも、三上はダライラマのチベット脱出に一役買って
いたのだ!


ダライラマの夏の離宮・ノルブリンカ

村上の息子と青木がラサ暴動後の東チベットへ行く手段も傑作で、日本からの「マツタケ
狩りツァー」に便乗して、途中から抜け出す。
ここで登場する同じツァーの一員、実はチベット人の中年女性がとても魅力的だ。

この本は実在の山や人物が登場し、かの「和歌山のカレー」事件や「ダライラマのチベット
脱出」事件も、構成上、重要な役割を果たしている。現実と夢想が交錯する不思議な物語
世界に読者を誘い込むこの小説は、「文学界」に連載されていた文芸書ながら、非常に
面白く読み終えた。

南方熊楠を始め、この本にも登場する岡潔など、和歌山県には天才奇才を産む土壌があ
るのだろうか?この本の主人公・三上隆同様、作者も和歌山県人である。

西国三十三所道中案内地図

2010-07-20 11:27:07 | 読書日記


畏友・森沢義信氏が新著「西国三十三所道中案内地図」をナカニシヤ出版から上梓され
ました。上下巻、B5判 152頁ですが全頁上質紙カラー印刷のずしりと重い豪華本です。
思いがけず、この貴重な本をご恵贈頂きました。

この本は江戸時代から現代まで残る「西国三十三ヵ所巡礼道」を、江戸時代の巡礼の諸文献
をもとに森澤さんご自身が2,200kmに及ぶ全行程を踏破され、国土地理院の地図上に表示され
たルートマップです。この写真では分りにくいのですが、分岐点や目印、道標などとともに、
適所で写真も挿入されていて、これを持って歩けば迷わずに歩くことができるでしょう。



普通「西国三十三ヵ所巡礼」は、一番札所「那智山青岸渡寺」に始まり、三十三番札所
「谷汲山・華厳寺」で終わるのですが、この本でのスタート地点は伊勢神宮です。
これは江戸時代の巡礼者は東国(東日本)の人が多かったせいで、まず伊勢神宮に参拝
して、そののち熊野街道(今でいう熊野古道)を青岸渡寺へ辿ったことに、基づいてい
ます。

さらに、一番から順に辿る「順道」の他、一部区間では逆に歩く「逆打ち」、さらに途中で
寄り道をする「高野廻り」、「比叡越え」、「愛宕道」、「兵庫廻り」も紹介されています。
いわば江戸時代のトレッキングコースとも言えるこの寄り道コースは、変愚院にはとても
興味深く感じられました。

実は、変愚院夫婦は40歳代の数年間で西国三十三ヵ所と新西国三十三ヵ所をそれぞれ二度づつ
参拝しているのですが、全コースが車使用で、しかも二度目は新と旧?をごっちゃにして
(近いところは同じ日に済ませました)いますので、これはとても巡礼とはいえません。
もうとても全行程を歩き通す気力はありませんが、せめてこの本をザックに入れて「寄り道
コース」だけでも歩いてみたいと思っています。貴重なご本を本当にありがとうございました。

森沢氏については「森澤義信さん・奈良の本」として詳しくご紹介していますので、
こちらをご覧ください。

トルコ日記<番外編2>

2010-07-16 06:00:00 | 旅日記
トルコのお菓子



トルコの代表的なお菓子はロクム(LOKUM)です。これは、その産地として有名なスルタン
ヒサールでお土産に買いました。(一箱10TL、10個で1個おまけ)
 日本でいえば求肥(ギュウヒ・白玉粉を練って作る柔らかく弾力がある餅の一種)に似て
いますが、甘い上に更に砂糖の粉をまぶしてあります。
 赤いのはバラのエッセンスを入れたもの、その下はピスタッチオを入れたものです。
他にカシューナッツ入り、チョコレート入り、色んな種類がありますが、ピスタッチオ入りが
美味しかったです。



上の写真はお土産用で少し高価でしたが、こちらは例の「道の駅」で見たもの。
量り売りか何本かの値段か、大分安いようです。



右はゴマ菓子。日本の粟おこし(岩おこし)に似た感じで、美味しいお菓子です。
上の箱はエルモ・チャイ(Elmo Cay・アップルティー)。帰ってから箱を開けると、砂糖
入りの粉末で、飲むととても甘かったです。
下はピシュマニエ(Pismaniye)といいます。縁日などでよく見る綿菓子を丸めたような
ものです。



取り出してみたところ。少し食べにくいですが案外ベタベタせず、口にくっつくことはあり
ません。



こういう駄菓子類は種類ごと箱に入れて売っています。試食OK。量り売りですが、安くて
(これだけで1.25TL=80円) 美味しいです。特に豆菓子の種類が豊富でした。

トルコな人たち

トルコで出会った笑顔の素敵な人たちを紹介します。



カッパドキア・洞窟住宅のご主人





カッパドキア・絨毯を織る女性



「道の駅」でピデ(ピザ)を焼く女性



アヤソフィア近く・西瓜を売る人



同上・トウモロコシと焼き栗屋さん



アンカラ近くの道端でサクランボを売る少年



イスタンブール、グランドバザール前で



イスタンブール~アンカラ間の「道の駅」で、アイスクリームを売る女性。



最後に8日間私たちをガイドしてくれたオカンと添乗員の純子さん。(トロイで)
後ろにいる犬に注目。前にうちの子だった ミレイ によく似ていて驚きました。

長らくご愛読ありがとうございました。以下はおまけの短い動画です。

サバサンドを売る船

ベリーダンス

トルコ日記<番外編1>

2010-07-15 06:00:00 | 旅日記
トルコな風景
トルコ日記でご紹介に漏れた写真の一部を見て頂きます。
まず、一番大切なのはお金。しかも小銭です。どこの国でもそうですがホテルの枕銭や
チップが必要ですし、ここではトイレに行くのにも、水を飲むにも小銭が要ります。



右の紙幣の人物はすべて「国の父」アタチュルクです。トルコは近年猛烈なインフレに
襲われ、2005年にデノミが実施されました。今の1TL(テュルク・リラ)は、なんと前の
1万TLと同じ価値に相当します。左の貨幣は上から1TL、50Kr(クルシ)、5Kr。
1TL=100Krです。到着日(6月13日)の空港での交換比率は1TL=65円でした。

<ついでですが、この写真はカッパドキアのホテルで撮影しました。押さえに使っている
緑のピンポン玉状のものは洞窟住居で貰ったリンゴの実です>



これが有料のトルコ式トイレ。ドアの方を向いてしゃがみます。用が終わると紙は備え付け
の容器に入れ、小さいバケツに水を汲んで流します。
トイレ使用料金は50Kr、75Kr、1TLのところもありました。ホテルやレストラン、観光施設、
たいていのガソリンスタンドでは普通の洋式で、無料でした。



水は「Su スゥ」といいます。酢ではなく、炭酸の入らないミネラルウォーター。
町中のいろんなところで売っています。これはブルーモスク前の土産品店。赤いシャツの
人が、ビニール袋に入れたペットボトルを買っています。
ガソリンスタンド、キオスクではだいたい500mlペットボトルで50クルシ。レストランなどでは
結構高い値段です。



もうひとつ町でよく目にしたのは、このゴマ入りのドーナツ型パン。(前に高速道路の
降り口で棒にさして売っている写真を載せています。)
シミット(Shimit)といい、ゴマ入りのほかチーズ入りなど何種類かあるようです。



あるオトガル(高速沿いにある「道の駅」風の施設)で、シミット(1袋3TL)と並んで
こんな大きなパンを売っていました。1個6TL(=380円ほど)です。
一般にトルコの物価はインフレの影響もあり、それほど安くはありません。



安いのは野菜や果物。特に旅行中はサクランボの時期で、ホテルなどで、ふんだんに
出ました。
これはアンカラ城内の八百屋さん店先。サクランボは1kgで2TL(=130円)、安い!
産地直売だからでしょうか?(他ではもう少し高い)



次にトルコの交通機関のうち、写真が撮れたものを見て頂きます。
私たちが全行程でお世話になった現地ツァー会社のバス。乗降口は反対側の前と中央の
二か所にあります。



イスタンブールやアンカラなどの渋滞は今や日常的、それを縫うように走るドライバー
の腕はまさに神業です。



このミニバスは、市の中心と郊外の町を結ぶ近距離バスです(アンカラで)



二階建のバス(Otobus・オトビュス)も見ました。他にトルコ独特のドルムシというバス
もあります。これは、大きなワンボックスカーを改造したような形で、満席になったら発車
という乗合タクシーです。残念ながら写真に撮れていませんでした。



イスタンブールの新市街を走るチンチン電車。乗ってみたかったです。



トラム(トラムヴァイ・路面電車)と、その駅(イスタンブール)



(アンカラ)



空港とアンカラを結ぶ鉄道、その名もアンカライ(Ankaray)といいます。

バスが市内を抜けて高速に入ると、渋滞の時間を取り戻すように凄いスピードで飛ばすので
窓外の写真も思うように撮れません。