ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

秋晴れの葛城山(2014.10.29)

2014-10-29 20:44:12 | 山日記

寒い朝、急に思い立って葛城山に向かう。登山口の、水分橋に着いたのは10時、既に旧国道沿いには車が列を作っている。いつものトンネルを見下ろす広場は満車で太尾登り口の方まで登って駐車する。青崩集落を抜けてていくと日は既に高く、真っ青な空から燦々と陽光が降り注ぐ。

畑の中の急坂で真っ赤になったサクラの木が一本、その上に緑の山が招くようだ。谷沿いの林道に入って、先行の夫婦連れを追い越した。今日は膝のサポータを忘れたのでちょっと不安だったが、まずまずのペースだ。荒れた谷道の鎖場、水場を過ぎ、中間点ベンチに着いて始めて腰を下ろす。単独行の男性が二人追い越して行った。じっとしていると汗が冷えてきたので、5分間休んだだけで出発。

ゆっくりと登り続けて、ショウジョウバカマの群生地にくる。今年になって生まれたような小さな小さな緑の葉が可愛い。砂防堤防横の階段は、やはり私には段差が大きく感じる。新しい水場の出来たキャンプ場を過ぎて、ロープ駅からの道に出会うとようやくハイカーの姿を見る。本日休業の白樺食堂の前から頂上へ登る。

正午前に着いた広い山頂のあちこちには、思い思いに腰を下ろす人影がみえウィークデーにしては賑やかだ。記念写真のシャッターを押して貰って、ススキの中を正面に金剛山を見ながら高原ロッジの方へ下っていく。

空は高く、大気はクリアで高見、曽爾山塊、大峰、大台の山々がくっきりと望める。

高原ロッジからツツジ園の方へ回るところで、和が笹原の中にリンドウの花を見つけた。ワレモコウは茶色になりかけていた。

他には白い野菊だけで、花には恵まれない時期だ。ツツジ園は火気厳禁の文字が目立つので、キャンプ場の方に移動する。

婿洗い池の方を見下すと、春にはヤマザクラが見事だったが、今は山肌に紅葉を散りばめて美しい眺めだった。キャンプ場上のファイヤをする広場に腰を下ろして湯を沸かす。背中から陽を浴びてポカポカと心地よい。北尾根の方へ行き来する人、数人とランニングの若い女性に出会っただけの静かな昼食場所だった。山頂部で1時間を過ごし、元の道を下る。中間ベンチまでは快調だったが、谷の下部に行くほど荒れているので神経を使い時間もかかる。久しぶりの山歩きだったが、幸いに腰も膝も痛まずに駐車場所に帰る。歩き慣れた道だけにのんびりと秋の山を楽しめた。


イタ友会で箕面へ(2014.10.26)

2014-10-27 17:36:06 | 旅日記

昨日はイタ友会で箕面へ行きました。2011年のイタリア旅行で知り合った仲間たちが、年に3度は集まって食事会やハイキングを楽しんでいます。

10時箕面駅に集合。紅葉のテンブラを売る店が並ぶ商店街を抜けて…

魚の姿が見える透き通った流れに沿って、滝を目指します。

昔はイタズラ者で名高かったお猿さんも、今はこんな格好でしかお目にかかれません。日曜日だけに観光客の姿だけが目立ちました。

昆虫館を左に見てさらに登ると「唐人戻り岩」。昔、唐の貴人がここまで来て岩の大きさと道の険しさに驚いて引き返したとか…

今は駅からぞろぞろと人の流れに交じって、歩くこと45分ほどで滝に到着。紅葉は始まったばかりですが滝は美しい虹をかけ(最初の写真)、水量は多くしぶきがここまで飛んできます。

帰りは「舗装なし、アップダウン多し、夜間照明なし」と注意書きのある自然観察路(遊歩道)を下りました。行き交う人もぐっと少なくなります。姫岩という二つの岩の間を抜けて振り返ったところです。

しばらく時間を潰したあと箕面観光ホテルで昼食。そのあと京都へ移動して、カラオケを楽しんで帰りました。万歩計の数字は14,000歩、カラオケのカロリーは??。久しぶりに楽しい一日を過ごせました

今日のお世話をしてくださったKさん、いつもグループの纏め役としてご苦労頂くチカ姫さん、イノッチさんを始め、皆さん本当にありがとうございました。


私の関西百山(89) 磯砂山

2014-10-25 08:49:21 | 私の関西百山

 

89  磯砂山( 661m   <丹波高原西部>

(いさなごさん) 661m 。丹後半島のほぼ中間部、京丹後市峰山町にある天女伝説の山。中腹まで車道が通じ、登山道もよく整備されていて、地元の人に親しまれている。
 
 
一夜を過ごした国民宿舎・丹後由良荘を後に、川沿いの府道を南に車を走らせる。正面の磯砂山が次第に近づいてくる。乙女神社近くで道端のおばさんに道を聞き、府道と舗装林道を4㎞登ると「羽衣茶屋」がある。ただしトイレとベンチだけの無人休憩所である。すでに標高400 m、車を置いて小雨の中を出発。
 
 
やや勾配の強い舗装道を 300 m登ったところが登山口で、「頂上まで 1010 段」という標識がある。しばらく登ると左手のガレ場の上をトラバースして、峠状になったところに「磯砂女池」への分岐がある。池へは帰りに寄ることにして、「あと 870 段」を頑張ることにする。雨はいつの間にか止んだ。
 
 
階段は適度な歩幅になるように工夫され、しかもチップが埋め込んであって足に優しく、歩きやすい。右手、海側が開けてきたが霧が出てきて乳白色のベールに覆われている。「南無妙法蓮華経」と彫られた石塔を通過して、ひと登りで頂上の広場に着く。登山口から僅か 40 分、楽なハイキングだった。
 
 
一等三角点があるので展望はよい筈だが、あいにく霧の中で展望はまったくゼロ。ヘリコプターで天から舞い降りたというモニュメントの天女と記念撮影して、元の道を下る。
 
分岐から小さなコブを越えて磯砂女池に行ってみた。今は薄暗い木立に囲まれた小さな水溜まりに過ぎないが、昔は天女が水浴びしたというほど、神秘的で清澄な池だったのだろう。
茶屋に帰る頃、また雨が降り出した。林道から府道へ降りたところで、偶然、先ほど道を尋ねたおばさんに出会った。挨拶すると「天気が悪くて悪かったねえ。どこから来たの」、そして「お茶、飲んでいきませんか」と言ってくださった。昔ながらの旅人への親切が嬉しかったが、このあと太鼓山へ行くので辞退した。
天女神社は、天女の子供を祀ったという言い伝えがあり、前にキャンプ場などの施設をもつ「天女の里」がある。参拝して天女の里でお土産に桃を買った。鱒止の青々した田園風景の中で振り返ると、展望に恵まれなかった私たちを気の毒がるような磯砂山が、「今度はいい天気の時においで…」と見送ってくれていた。
 
2007 年7月26 日【コースタイム】羽衣茶屋 09:10 …登山口09:15 …磯砂女池分岐 09:25 …礒砂山09:50 ~ 10:15…磯砂女池分岐 10:27 …磯砂女池…分岐 10:40…登山口 10:45

 
「礒砂女池の羽衣伝説」(分岐の説明板より)
北畠親房著の元元集(1337年)に『丹後国風土記に曰く、丹後国比治の山(磯砂山)の山頂に井あり。その名を真井(女池)という。この井に天女八人降り来て水を浴(あ)みき。麓の和奈佐という老父(おきな)、天女の衣をかくし、児として無理に連れ帰る。天女万病に効く天酒(てんのさけ)をよくす。 十有余年するうち、老父の家富み栄えるも、老父は”汝はもともと、わが児にあらず”と家より追う。天女は泣く泣く放浪し、竹野の郡(こおり)船木の里にたどりて死す。 里人天女を奈具社(なぐのやしろ)に祀る。こは豊宇賀能売(とようかのめ)の命(伊勢外宮の豊受大神)なり』と、このように女池の羽衣伝説は日本各地に数ある天女伝説の中でも、極めて格調の高いものである。 大宮町 

私の関西百山(88) 青葉山

2014-10-23 09:01:55 | 私の関西百山

 88  青葉山   <丹波高原西部>

 
(あおばやま)若狭湾のすぐ近くに聳える。秀麗な双耳の山容は福井・京都、それぞれの側から若狭富士、丹後富士と呼ばれている。山麓の松尾寺は西国二十九番札所である。山陰地方の植物の宝庫でもあり、その数は 400 種類に及ぶという。(写真は西峰)
 
 
 2003 年5月6日、 JACの先輩たちと 5 人で松尾寺に車を置いて山麓の道を歩き、途中の今寺登山口を見送って、東峰から延びる尾根末端の中山道登山口から登った。緩やかな登りから木の階段道になり、大きくジグザグを切るように登っていくと、赤紫や白のイカリソウの花が目を楽しませてくれた。
 
 
 植林を抜けて尾根に出て勾配も次第にきつくなる頃、展望図のある四阿があり、高浜の海岸や大島半島など若狭湾の展望を楽しんだ。尾根道にはさまざまな野の花が咲き、豊かな自然の饗応が続く。
 
 
馬ノ背の岩稜に登ると、眼下に高野の集落が箱庭のように見えた。ブナ林の登りを終えると、青葉神社の祠がある東峰頂上の小広場に飛び出した。
 
 
食事の後、西峰への縦走路に入ると尾根は細くなり、足元が切れ落ちている所もある。イワカガミ、イカリソウ、ヤマルリソウ、フデリンドウに加えて、ヤマシャクヤクの花が点々と咲いていた。大きな岩が次々現れ、洞穴のようになった岩もある。
 
 
嶮しい岩稜では真新しい金属製のハシゴが取り付けてある。西峰の頂上は東峰より広く、何枚もの山名板、大きな丸太のベンチ、松尾寺奥の院の祠などがある。
 
 
 
祠の背後には高さ 10m ほどの幅広い大岩があり、岩の上に登ると内浦湾の素晴らしい眺めが拡がった。しかし、海岸には原子力発電所の建物が見え、また北朝鮮へ拉致された人達のことや、岩壁の母も山行中の私たちの話題だった。単純に「海の見える山」として楽しむだけではすまない、さまざまなことを考えさせられる山でもあった。
 
 
急坂を松尾寺に下り、参詣を済ませて山門近くまで来ると、横の庭園には目もあやなボタンの花が咲き誇っていた。花の山の最後を飾る印象的なフィナーレだった。
【コースタイム】松尾寺 08:30 …中山道登山口 09:45~ 09:55 …高野への分岐 10:17 …展望台 10:50 ~11:05 …東峰 11:55 ~12:30 …西峰 13:10 ~13:40 …松尾寺 14:20

私の関西百山(87) 愛宕山

2014-10-21 11:16:30 | 私の関西百山

 

87 愛宕山( 924m <京都北部>
(あたごやま)京都市の西北、丹波と山城の国境に比叡山と対峙して聳える山。山頂の愛宕社は火伏せの神として「伊勢へ七度、熊野に三度、愛宕さんへは月参り」と俗謡にも歌われたように崇敬された。山麓に月輪寺、空也の滝の見どころがある。
子供たちが小さい頃は子供会で、また千日山歩渉会例会でも登っているが、いずれも雪のある時期である。ここでは 1990 年1月末に二人で登った時の様子を記す。
 
 
秋には紅葉の名所で賑わう清滝の駐車場に車を置き、猿渡橋を渡って登山口の鳥居をくぐる( 09:30 )。舗装路から石段の山道となり急登が始まる。頂上まで五十丁の一丁毎に右の地蔵さんが立ち、別に合目の標識もある。 3 合目辺りから歩き易い広い道になり、途中、幾つかの休憩小屋を見送り、 5 合目を過ぎると勾配も緩くなる。杉林の中の大杉神社(↑)を過ぎると、左手の展望が開け京の町並みや比叡山が見える。
 
 
柚子の里・水尾への分岐の小屋はすでに七合目半( 11:00 )、始めて小休止するが汗が引いて寒いので、立ったまま煙草一服ですぐ出発。この前後から雪が見え始める。しばらく平坦な道を行き、また石段の登り。樒を売る大きな小屋があり、お婆さんが「ようお参り」と声を掛けてくる。
 
 
黒門の大鳥居を潜る(11:30 )。両側に灯篭の並ぶ、幅広い真白な雪の参道は神々しい気に満ちている。
 
 
社務所の前から急な石段を登り、本殿に参拝して無事登れたことを感謝(11:45 )。滑り易い石段を下り、休憩所裏のベンチで湯を沸かし、ラーメンを啜る( 12:00~12:25 )。陽が陰るとさすがに肌寒く、木の技に干してあったタオルがバリバリに凍った。
 
 
月輪寺への下りはかなりきつい。熊笹の中の凍てついた雪道で 200m 程だけアイゼンを着用。松や杉の林の中をジグザグに下って静かな月輪寺に着く。(13:15 )丁寧な物腰の若い尼さんにご朱印を戴く。ここからまた長い下りが続く。空也の滝への分岐を今回は見送って、河原でコーヒータイム( 14:00  20)。後はのんびり舗装路を辿って駐車場に帰り着いた( 14:50 )。
 

私の関西百山(86) 大文字山

2014-10-19 16:22:36 | 私の関西百山

86 大文字山(466m ) <京都北部>

(だいもんじやま)北の比叡山から南の稲荷山まで京都の町の東に連なる山並み「東山三十六峰」の主峰である。すぐ東の如意ヶ岳と併せて東山如意ヶ岳とも呼ばれた。お盆の16日に精霊送りの行事として、山腹に巨大な「大の字」が描かれることで有名。金閣寺に近い左大文字山では、大の字を裏返しにした「左大文字」が送り火とされる。
 
 
1982年4月、町内のハイキング同好会月例会で南禅寺から歩いた。『赤レンガの疎水橋の下から山に向かう新島穣の墓を過ぎ、木の間がくれに下界がうかがえるだけの単調な上りで稜線に出る。ゆるい下りで山中の少し広い十字路は、大津と鹿ヶ谷とを左右に分けている。俊寛もたどった山中かと思うと興趣深い。
 
 
ここから更に一登りで三角点につくが、展望はあまり良くない。(南禅寺より約1時間)。15分ほど下ると急に視界が開け、大の字の字面の一番上の地点に着く。京の街が眼下に広がる様は、まさに絶景。今まで樹林に視界を遮られていただけに、一段と印象的である。京の町並は背後に嵐山と賀茂の流れや御所の緑を控え、寺院の屋根や塔が散在し、さすが1000年の歴史の重みといったものを感じる。』
 
 
18年後の2000年2月、南禅寺に車を置いてふたりで同じ道を登った。尾根へ登る途中では日陰に雪が残っていた。『十字路の峠に出ると、立派な京都一周トレイルに出会う。NO.42の標識がある。直進すれば山科御陵への道、大文字山へは左にこのトレイルを行く。標識NO.45でトレイルを離れて、少し登ると三角点である。
 
 
…ぐんぐん下っていくと、ぱっと視界が開けて大文字の火床の上に飛び出した。レンガで囲った火床の横に、三角錐を逆にしたような金属製の新しい容器が取り付けてある。前には確かこんなものはなかったが、燃料でも入れておくのだろうか?「大の字」の横棒端辺りに腰を据え、京の町を見下ろしながらお握りを食べ、ラーメンをすする。
 
 
右手の比叡山はくっきり見えるが、正面の嵐山から右手奥の愛宕山にかけてはぼんやり霞んでいる。眼下の銀閣寺の森の向こうに吉田山、その奥に京大。黒谷光明寺の寺院群左に平安神宮の真っ赤な大鳥居。京都タワーは春霞のベールの中だ。ゆっくり展望を楽しんで急坂を下る。』前に来た時と同じく銀閣寺に下り、哲学の道を歩いて南禅寺に帰った。
<写真は全て2000年のもの>

私の関西百山(85) 比叡山

2014-10-17 08:42:19 | 私の関西百山

85 比叡山(848.3m) <京都北部>

(ひえいざん)京都・滋賀の府県境を南の四明ヶ岳から北に連なる山並みは、琵琶湖東岸からは大きな山塊に一望できる。京都側からは秀麗な山容のため「都富士」と呼ばれた。八瀬からケーブル、ロープウェイを乗り継いで、簡単に遊園地のある四明ヶ岳(838m)に達することが出来る。登山コースとしては修学院駅から「きらら坂」を登るのが普通である。この道は昔、叡山の僧兵が強訴のために神輿を担いで都に降りた歴史の道でもある。比叡山は最澄によって開かれ、延暦寺を中心とした東塔、西塔、横川の三塔十六谷と言われる全山が寺域である。宗教的には東山麓の近江側からの道が表参道とされ、坂本には今も多くの僧坊がある。

 

2004年9月、千日山歩渉会14名で日吉大社から参道を上り、大比叡三角点(848m)を踏んで無動寺谷道を下ったときの想い出を記す。大宮川観光駐車場に車を置き、日吉大社と比叡山高校の間の石段を登って山に向かう。しばらく林道を歩き左側の急な山道に入る。送電線鉄塔を過ぎると、なだらかで歩きやすくなる。この道は東塔本坂といい、昔はたくさんの人が利用した参道で、随所に石段や手摺りなどの名残があり整備されている。歩き始めて45分で左側が切れ落ち、道の中央が抉れた急坂となる。しかし、短い登りで三体の石地蔵の立つ草地に出た。ここから林道経由で坂本へ下る道がある。3分ほどで亀堂に着いた。背中に石碑を乗せた亀の像が古いお堂の前にある。左に法善堂を見ると道は舗装された坂道になり、延暦寺の境内に入る。



すぐに根本中堂の前で、比叡山の中心部だけに大勢の観光や参拝の人で賑わっている。坂道を登って阿弥陀堂と東塔を結ぶ回廊の下を潜るようにして裏側に回り、左に山に向かう道を登る。狭い平地にでると古いお堂の背後、深い杉林の中に「登山道」の小さい標識があった。尾根に出て右に折れて無線中継塔の立つ山頂部に来る。



給水設備裏の高みに一等三角点と大比叡の山名板があった。背の高い杉木立に囲まれて展望は全くない。東に延びる尾根の杉林の中をぐんぐん下る。智辯大師廟を過ぎて古い墓地を通り抜け、ドライブウェイに降り立った。赤い鳥居を潜り、西尊院横の歩道を下るとケーブル延暦寺駅。眼下が開け、薄日が差す琵琶湖南部が初めて望めた。石の鳥居を潜って無動寺参道に入る。石段を下り、玉照院前から竹藪を通る山道になる。急坂を下り、小さい沢を二つ渡る。沢沿いに下り、 小さい尾根を一つ越すと再び長いなだらかな下りになり、県道に出た。



【コースタイム】大宮川駐車場9:45…日吉神社9:50~10:00…大宮谷林道分岐10:50~11:00…亀堂11:03~11:05…根本中堂(見学、昼食)11:15~12:05…大比叡三角点(848.3m)12:45 …ケーブル駅13:10~13:20…日吉神社14:35~14:45…大宮川駐車場14:50  

私の関西百山(付録?)

2014-10-15 08:38:26 | 私の関西百山
*牛松山に登ったときの山日記の末尾に【雑感】として、こんなことを書き残しています。読み返してみると、ちょっと面白いので加筆して写真とともにUPしました。*

【雑感】牛松山を「丹後のカイラス」といった人があると何かの本で知った。近辺の信仰を集める神の山の故だろうか。



頂上の金比羅神社に舟が奉納されていることで分かるように、昔は保津川は物資や人の重要な運送路であり、舟運に携わる人から尊崇されていたようだ。コンピラの語源はサンスクリット語のクンビーラである。宮毘羅(クビラ・十二神将)、金毘羅(コンピラ)はその漢訳で、ヒンズー教の神・クンビラがガンジス河のワニ神であることと関連がありそうである。



ワニはエジプトでもナイル川の神としてコム・オンボ神殿に祀られている。ここの御神体はワニのミイラで、おそらく力の象徴であるとともに水運の守り神として崇められたのであろう。牛松山の祭神である大物主命は、讃岐の金毘羅さんと同様、金毘羅と同一視されている。





たまたま、牛松山に登ったこの年(2009)の4月に大麻山(象頭山)に登った。登山口の金毘羅本宮にも数々の絵馬とともに、太平洋横断の堀江謙一のマーメイド号や最新のソーラー船まで奉納されていた。



そういえば大黒様が助けた因幡の白兎とワニの話を思い出す。



ネパールではクンビラはシェルパ民族の最も尊敬する神で、標高5673mのクンビラ山は聖なる山として登ることを許されない。私なら、牛松山はカイラスというより「丹波のクンビラ」と呼びたい。また…下山地点の国分にある愛宕神社は元愛宕と呼ばれ、愛宕山上の愛宕神社は和気清麻呂の請願でここから移されたという。ここも火伏せの神として軻遇突智<カグツチ>神(火産霊神)が祀られているが、他に伊邪那美神と大国主神が祀られている。継体天皇の時に神殿が建立されるまでは、山そのものがご神体であったらしい。



そう聞くと、また大物主(大国主)とゆかりの、これもご神体山である大和の三輪山を連想するのである。

大和郡山の史跡と伝説(6)飛龍権現

2014-10-14 08:12:16 | 四方山話

 

6.飛龍権現(大和郡山市矢田町)
矢田寺南の交差点、横山口から西へ進む道の左には毎年「全国金魚すくい大会」の会場にもなる市営総合公園施設、右は市役所矢田支所があります。
 
 
支所を過ぎると右手の田圃の中、小高い丘の上に赤い鳥居のお社が見えます。
 
 
郷土史家・駒井保夫さんの「郷土の伝説」(昭和55年刊)によると、昔この地から竜が昇天して、その時の稲妻で周囲の木は全て焼けてしまったという伝説があります。
 
 
また同書によると、いつからか「登竜門」と結びつけたのか選挙や入試にご利益があるとされるようになりました。当選者からお礼の寄進が絶えないので、社も鳥居もいつも真新しいのだそうです。

京都水族館へ行きました(2014.10.09)

2014-10-10 10:16:54 | 旅日記

昨日、里帰り中の娘と孫と4人で京都水族館へ行きました。

この水族館は「水といのち」のつながりをテーマにしています。まず入館するとこの「京都の川ゾーン」で主役のオオサンショウウオが迎えてくれました。色んな種類のサンショウウオの仲間、中には今まで見たこともない大きいサンショウウオもいました。

「かいじゅうゾーン」…怪獣ではなく海獣でした。生まれて間もない赤ちゃんのオットセイも…

ペンギンゾーンの仲良しペンギン

大水槽の大きなエイ、亀、後ろに小さな魚たち。下からウツボも首を出しています。

海洋ゾーンの珍しい魚と…

無脊椎の生き物展示…タコ、クラゲ、エビ、カニなどを見て「イルカスタジアム」へ。

ショーの始まる前に飼育員のお姉さんから笛を貰って鳴らす練習をしていると、ゲストのペンギン君の登場です。

イルカたちも喜んでいるという楽しいショーを見て外に出ると、空が暗くなってきたので急いで京都の希少動物を展示してある「山紫水明ゾーン」、田圃や用水路の生き物を展示している「京の里山ゾーン」などを通って水族館を後にしました。大阪の海遊館より規模は小さいですが、京都ならではの特色のある水族館で楽しめました。