ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

サクラから新緑へ(4月27日)

2006-04-27 18:12:52 | 矢田だより
久しぶりに二人で矢田丘陵を歩きました。
矢田寺駐車場のサクラは、ヤマザクラとヤエザクラが満開です。
木の下には白いシャガの花がいっぱい咲いていました。



最高点の展望台から稜線を国見台に向かいます。
矢田峠のお地蔵様のお顔が緑に染まるようです。



ミツバツツジの花も盛りを過ぎました。



往く春を惜しみながら、山を下りました。





海外編-ネパール(5)

2006-04-26 11:03:10 | 旅の想い出
カトマンドゥの繁華街アサンで見かけた人形店。
店内二階にはたくさんの民芸品(主にお面や人形)が
並んでいました。



お土産に買ったガネーシャの操り人形。
ガネーシャはヒンズー教の神で、ゾウの頭と四本の手
を持った姿です。
財宝をもたらし障害を救う神として崇められます。
仏教では、歓喜天または聖天として天部とされ、日本では
生駒の聖天さんでご存じのように、財宝をもたらす仏とし
て信仰されています。



カトマンドゥのすぐ南に位置する古都・パタンのダルバール広場。
塔の上に座っているのは、やはりヒンドゥーの神で鳥人、
ガルーダです。ヴィシュヌ神の乗り物とされています。
仏教では天竜八部衆の伽楼羅(かるら)として知られています。



パタンは奈良や京都のような古い宗教都市で、市内至るところに
美しい寺院が点在しています。
また宗教美術品を制作、販売するお店がたくさんあります。
下の写真はパタンで求めた「曼荼羅」です。マンダラやタンカ
(仏図)にはピンからキリまでありますが、これは知り合いの
ネパール人に聞いてもちょっとした物で、私のお宝の一つです。


小辺路を歩く (4月23日)

2006-04-25 17:30:17 | 山日記
昨日、下山と同時に降り出した雨は朝になって次第に小降り
になってきたので、出発時間を遅らせてバスで果無集落まで
送って貰いました。8時50分、スタート。小雨の降りしきる中、
傘をさして石畳の道を登ります。



クロモジの黄色い花が雨に濡れていました。雨の滴が玉のよう
に光っています。



登り着いた果無峠。標高1114mあり、雨は止みましたが少し肌寒さ
を感じました。
台座のない宝筺印塔と西国十七番観音像が霧の中に浮かんで
います。去年3月、果無山脈を歩いてここへ来た想い出が懐かしく
よみがえりました。



峠からは長い下り道が続きます。所々で西国三十三カ所の観音様が
旅人を優しく見守ってくださいます。峠に着く頃には雨も上がり、
七色分岐近くになると暖かい日が射してきました。



14時前、十津川沿いの八木尾に着きました。小辺路はここから
現在の国道168号線を九鬼へ、さらに三軒茶屋から再び古道を
熊野本宮へと続いています。しかし私たちはすでに「中辺路」
を歩いたおりに、三軒茶屋から本宮へは踏破済みです。
長い国道の舗装路歩きを敬遠して、ここで打ち止めにしました。
大した雨にも遭わず、無事に歩くことができたのは幸いでした。


小辺路を歩く(4月22日)

2006-04-24 18:01:24 | 山日記
JAC関西の山行で、小辺路の後半部を歩きました。
22日11時、前回(3月)の終了点、五百瀬をスタート。
昔は舟で渡ったいう神納川を船渡橋で越えます。



しばらく急坂を登ると吉村家跡で、防風林の役割をしていた
という、こんな巨大な木が並んでいました。



標高差700mを約2時間で登り切ると、本日の最高点・三浦峠(1130m)。
林道が通り、立派な休憩所がありました。ここで昼食をとりました。



薄暗い尾根をくだる道にアケボノツツジが鮮やかに咲いています。



左側が明るく開け、行仙岳の下に今西集落が見える。
手前の山肌にヤマザクラが満開でした。



西中に着きました。ここから15分ほど舗装林道と地道を下って
今日の行程約10㎞を終了。累積標高差+1016m、-1138mを
休憩を含め4時間45分で踏破、この夜は十津川温泉の宿
で一泊して、温泉でゆっくり山の疲れを癒しました。



海外編-ネパール(4)

2006-04-21 12:36:39 | 旅の想い出
ラマ・シンバル

ブロンズのちょっと分厚い仏具で、楽器にもなります。
打ち合わせると、とても澄んだ超高音が出て、長い余韻
を残します。



表面には吉祥紋が描かれています。
時計の文字盤で12時の位置にあるのは、ベルベウといって
終わりのない紐。無限の慈悲を表すといいます。
その右はトゥン(法螺貝)。右巻きで全ての人を真理へ導く。
あと、宝傘、宝幡、宝輪、宝瓶、蓮の花、金魚!などのめで
たいものが書いてある筈なのですが、どれがどれやら…。



写真は、2003年ナムチェで。
店のオジサンが吹いてみせているのは、ドゥンというトランペット
のような楽器です。音を出すのは、なかなか難しいようです。


海外編-ネパール(3)

2006-04-20 13:19:12 | 旅の想い出
次の信仰グッズお土産をご覧下さい。

これはドジェです。中国訳で「金剛杵(こんごうしょ)」というのは、
ドジェには雷、またはダイアモンドの意味があるからでしょう。

「すべての対立を調和させる空(くう)のエネルギーを表す」と
ガイドブックにありますが、その意味は私の理解を超えています。



スワヤンブナートのストーパの下には、金色に耀く大きなドジェが
置かれています。両脇をしっかり狛犬?が守っていました。



なお、ついでですがこの狛犬(シシ?)はかなりポピュラーなもの
らしく、シヴァパールバシティ寺院の前にも…



旧王宮の前にも坐っていました。
沖縄のシーサーに似た役割をしているようで、かなり目立つ派手な
色彩の大きなものです。



日本にもあったマニ車

2006-04-19 17:17:17 | 旅の想い出
昨日から娘、孫と4人で南知多へ遊びに来ました。
今朝(4月19日)宿を出てすぐ近くの野間大坊に参拝しました。
ここは源頼朝とゆかりの深い古刹です。



お堂の前に、こんなマニ車を発見。
その他、境内のあちこちで同じようなマニ車が置いてあるのを
みました。下に賽銭箱がついているのが日本的です。


海外編-ネパール(2)

2006-04-18 00:00:00 | 旅の想い出
これはマニ車。カトマンドゥ市内で買った小型の携帯用です。
真鍮製でトルコ石?やサンゴ?などが散りばめられ、回す
ための錘(おもり)がついています。



蓋を開けるとロール状の木版印刷のお経が入っています。
「これこの通り本物だよ」と強調して売りましたが、入っていて
当たり前、これを回すとお経を読んだ代わりになるのですから…。



これはトレッキングの途中、トゥクラ(標高約4600m)のバッティ
(茶店)前でマニ車を回す元シェルパ。
ちょっと大きめの木製のマニ車で、口では敬虔な態度で絶えず
「オムマニペニフム」というマントラ(観音さまを称える真言。
「おお宝珠と蓮華に幸あれ」という意味)を唱えていました。
なおマニ車は必ず右回りに回します。



しかし考えてみれば、お気楽というか横着というか、いい加減
な話です。下のようにずらっと並べてあれば、横を通って回す
だけで何巻かありがたいお経を読んだことになるのです。



大きいから功徳がある訳でもないでしょうが、これだけ大きいと
回すのもたいへんです。



そこで遂に登場。最終のズボラお経グッズ!
水力利用の自動マニ車です。
水の流れで下につけた水車を回し、その力で上のマニ車を
動かしています。かなり標高の高いところの村で見ましたが、
ナムチェの水場にも同じ仕組みの水車が設置されていました。



ちょっと茶化したようなことを書いてしまいました。

しかし、われわれ無信仰で、また教派に無節操な日本人が彼ら
を笑うことはできません。むしろ、彼らの信じる神や仏、先祖
、そして何よりも自然の万物を敬い大切にする姿を見習いたい
ものだと思います。

海外編-ネパール(1)

2006-04-17 11:05:26 | 旅の想い出
旅の想い出海外編は、トレッキング等の往き帰りで求めた
土地の香り高いお土産を、当時の写真と共に見て頂きます。

まずはネパールのお土産の「マニ石」です。

ご存じのようにネパールは東西に長い国ですが、それでも
チトワンなど南部はインド文化圏に、ヒマラヤ山脈に近い
北部はチベット文化に影響を受ける人々が暮らしています。



宗教でもチベット仏教への信仰が厚く、この「オム・マニ・ペニ・フム」
(南無阿弥陀仏にあたる)と刻まれたマニ石は、トレッキング中もあち
こちで見かけました。

これは1999年、エベレスト街道での写真ですが、もっともっと大きい
山の斜面いっぱいに書かれたものもあります。



お土産のマニ石は、首都カトマンドゥのチベット寺院・スワヤンブナード
の参道で1997年に求めました。
このお寺はカトマンドゥの西、高い丘の上に立っていますが、長い石段
の参道には物売りと乞食がひしめいて、参詣客より多いほどでした。



2003年に3度目にお詣りしたとき、乞食は殆ど見かけませんでした。
ここだけでなく市内でも野良ウシや野良イヌとともに乞食が激減した
のは、この間に近代化政策が進んだためでしょう。

写真は石段に入る手前、山門すぐのマニ石でできた塀です。ネパール
では「石を積むという行為が徳を積むことにつながる」と言います。
これはトレッキング中に、道の補修のために無償で重い石を運んでいる
人を見て、シェルパから教わりました。