ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

2019年の読書歴

2020-01-09 11:03:23 | 読書日記

書店の店頭に山積みされ、新聞の書評欄でベストセラー上位に並んでいるのは、夫(この人も鬼籍に入った)が「ロックンロール!」とばかり叫んでいる、首の長い哺乳類のような名前の俳優の遺作や、私たちが子供の頃は口にすると叱られた「ウ〇コ」を堂々と題名にした本ばかり。おまけに目が悪くなった上に旅をすればその記録や写真の整理でPCの前に座り、タイガースの試合があればTV実況に熱狂し、読書の時間は減るばかり。それでもこの年はこんな本を読んだ。

1月 泡坂妻男「ヨギガンジーの妖術」、「しあわせの書」、「生者と死者」

2月 南方熊楠『十二支考』、森見登美彦「熱帯」、大沢在昌「帰去来」

3月 多崎礼「叡智の図書館と十の謎」

4月 堂場瞬一「バビロンの秘文字」

5月 山本弘他「謎解き超常現象」、『新とんでも超常現象56の真相』、玄侑宗久『現代語訳 般若心経』

6月 創元推理文庫「世界推理短編傑作集3」、奈良まほろばソムリエの会「奈良百寺巡礼」

7月 亀井勝一郎『大和古寺風物誌』、和辻哲郎『古寺巡礼』

8月 三浦裕之『口語訳 古事記』神代編、人代編、阿刀田高『楽しい古事記』、太宰治『お伽草紙』

9月 ちくま文庫日本文学『太宰治』、『菊池寛』、『夏目漱石』、『芥川龍之介』

11月 チャールス・L・ハーネス「パラドックス メン」、実吉達郎「世界空想動物記」

12月 山田野里夫『妖怪・魔神・精霊の世界』、野村胡堂「銭形平次捕物控傑作集三」

どうも安っぽいエンターティンメントばかりでお恥ずかしいが、今さら小難しい本を読んで勉強することもないし、今の私にとって読書は娯楽の一部に過ぎない。上の一覧で「」は新刊書で、昔からの癖で一冊読んで興味を持つと関連する本が多くなる。『』はわが家の書棚(DK以外の5部屋に各2つ以上ある)に積んである本である。後半期になると『』が多くなるのは、読み比べてみると、どうも昔の本の方が読み応えがあり面白い故だ。例えば「世界空想動物記」の参考文献にあった『妖怪・魔神・精霊の世界』だが、人魚だけをとっても世界中から何倍もの資料を集めて説明している。「奈良百寺巡礼」と『大和古寺風物誌』や『古寺巡礼』を比べるのは言わでもがなである。

「無人島に持っていくならこの一冊」という惹句のベストセラーがあるが、せめて今ある本のうちから100冊だけ残すとすれば…と年末から断捨離を始めた。山の本だけでも100冊に絞れないし、これは大変な作業になりそうな予感がする。


富士を読む

2014-12-16 11:44:43 | 読書日記

  

例年秋に登る富士山に今年は行けませんでした。淋しい思いを埋めるように、9月以降に何冊か富士に関する本を読みました。

竹谷靱負「日本人はなぜ富士山が好きか」祥伝社新書
帯の背に「日本文化史」とあるように、古くから多くの歌、随筆、絵画に描かれてきた富士山が「日本人の心の山」となっていく過程を、多くの図版入りで分かり易く解説しています。富士山の頂上はなぜ三つのギザギザに描かれるのか、北斎が描いた蝦夷から見た富士(狼がいる)など興味深い話が多いのですが、最後に満開の桜を前景に無残な富士の姿を精密に描いた福田美蘭の「噴火後の富士」の絵はショックでした。いつかは来るこの現実をどう受け止めるか…この本を読んだ直後に起こった御嶽山の噴火が何かを暗示するようです。

 
竹谷靱負「富士山文化ーその信仰遺跡を歩く」祥伝社新書
本の背に「探訪ガイド」とあるように、世界文化遺産に登録された富士山の「現在」における信仰遺跡の紹介です。富士山の構成(信仰)遺産を1.登拝、2.遥拝、3.文化・芸術の三つの面から見て、主に1と2について(3は上の「日本人は…」に詳しい)、登録対象から漏れた遠方の「富士塚」も含めて紹介しています。これまで訪ねたことのある登拝道、山頂周辺を始め、浅間神社や白糸の滝などの山麓の遺跡にも、重要な文化的価値があることを教えられました。体力的に登拝が無理になっても富士山を訪ねる楽しみは、まだまだ残されています

久保田淳「富士山の文学」角川ソファイア文庫
「常陸国風土記」「古事記」から「十六夜日記」などの中世文学、江戸の紀行から近世の漱石、太宰治など富士について書かれた書物が50編余り紹介されます。特に興味深いのは、「けぶりは絶えず」と歌われた富士の噴煙が鎮まった時期が何時であったかを、文献として知ることが出来ることです。日本人の心にある山、富士についての貴重なガイドブックであるこの本に教えられて、読みたくなったのが次の本です。
 

武田泰淳「富士」
舞台は第二次大戦末期の富士山麓にある精神病院。戦争という日本人全体が狂気に巻き込まれた時代に、そこに勤務する若い青年医師の目を通して、院長を頂点とする職員らと様々な患者たちの姿と心(精神)が描かれます。ここでは富士は舞台で言えば背景の書割のようですが、その美しさだけでなく負の面(慈悲深さに対する忌み嫌われた山)も両義的に描いています。小さい活字で600ページを越す大作で、混沌と饒舌に疲れてやっと辿り着いた結末は衝撃的でした。

写真は新しく私の書棚に加わった書物ですが、その他にも再読したい富士山の本があって、しばらくは机上登山を楽しめそうです。

 


8月に読んだ本から

2014-08-27 06:00:00 | 読書日記

1.吾輩ハ猫ニナル(横山悠太・講談社)群像新人文学賞受賞・芥川賞候補作
題名を見て単なる漱石の「猫である」のパロディかと思うと大違い。ユニークなルビ付き文章で浮かび上がるのは、微妙な表現のズレによる日本と中国の文化の違いです。
 ほんの一例ですが、「超市がスーパー、便利店がコンビニで、熊猫はパンダ、猪肉はブタ肉…」程度のことは、何度か中国に行って私も知っていました。しかし…以下の中国語は日本ではどんな意味でしょう。「鍋貼、芝士、烏冬、馬刺をかける、毛病」。答えは「ギョーザ、チーズ、ウドン、拍車をかける、くせ」…全く逆の意味の場合もあります。例えば「黒車=白タク」の意味で使われています。ずっとこの調子で、しかも「日本語は字が三種類もある」のでカタカナは主人公の目の敵にされます。そうそう主人公は父親が日本人の中国青年(ハーフは差別語なのでダブル)、彼がビザの更新のために日本に来て、友人や母親に頼まれた買物のため秋葉原に来るお話です。「猫」がどう絡んでくるのか…面白いです。

 
2.ソマリアの海賊(望月諒子・幻冬舎)
男っぽい冒険小説です。凄く魅力的な女性が登場しますが、濡れ場は一切なし。ひょんなことから平凡なサラリーマンの青年が、武装勢力同士の争い、政府高官の人民搾取、周辺の大国の思惑で揺れ動くソマリアで、最初は戸惑いながら最後は大活躍する物語です。冒頭に紹介したマリアの連れの「サー」の称号を持つ007を彷彿とさせるイギリス人、CIA、ソマリアの長老、その孫の(本物の)海賊、その幼馴染の海賊…他でチョイ役で登場する人物も含めて、いきいきと一人一人の個性が描かれています。そしてクライマックスは海賊が世界を相手にミサイルをぶっ放す…荒唐無稽なようですが、文献によって技術的なディテールがきちんと描かれていて、はらはらしながら読みました。上質のエンターティンメントでした。

シャンタラム~最近読んだ本

2013-05-11 10:24:05 | 読書日記

変わった題名ですが、これは主人公の名前です。本名は他にあるのですが、脱獄囚の彼が世を偲ぶ仮の名。名付け親は彼がインド・ボンベイで知り合い、後に親友になるガイド、プラバカルの母親で、デカン高原の古い農村に住む女性です。シャンタラムとは「平和を愛する人」…さまざまな事件に出会ったあと、最後にこの女性が主人公の前に再び大きな意味を持って現れます。読み終わったとき、久しぶりに感動して涙が滲みました。

文庫本で上、中、下あわせて1,870ページの大冊です。一気に読み終わりましたと…言いたいのですが、加齢のために目が弱くなってから長時間の読書は無理になりました。続けて読めるのは100ページがせいぜいで、何日間も放りぱなしのときもあって一ヶ月以上かかって読みました。

とにかく主人公「リン・シャンタラム」の生き様は波乱万丈です。武装銀行強盗で服役中のオーストラリアから脱獄してボンベイへ。そこで襲われて無一文になり、スラムに住むことになります。様々な人との出会い、なかでもマフィアのボス、カーデル・ハーンとの出会いが彼のその後の運命と大きく関わってきます。スラムでコレラが発生し、医師の心得のあるリンは大活躍。しかし何者かの陰謀で投獄され、過酷な拷問をうけ同房者と闘いみじめな時間を過ごします。カーデル・ハーンに救われ、彼の下で偽造パスポートや不正両替の仕事で裕福になり…更にアフガン戦争に参加、マフィア同士の抗争と予期せぬ展開が続きます。

良くできた面白い小説ですが、カバー裏の「筆者紹介」によると、最初の銀行強盗、脱獄をはじめ、かなりの部分が筆者の実際の体験に基づいているようです。そのため状況描写は精密そのものです。スラムの場面ではゴミや人々の生活の匂いが間近に迫ってくるような気がします。謎の美女カーラとの色模様は思ったより淡白な描写ですが、刑務所内での権力による暴力の凄まじさでは、実際に痛みを感じそうです。

この本は愛と憎しみ、暴力と安らぎ、正と邪、善と悪、富と貧困…相反する立場を行き来する「主人公の魂の遍歴」の書と言えるでしょう。そして随所に散りばめられた主人公の述懐によって、「人生とは何か」を考えさせる偉大な哲学小説になっていると思います。


トラ好きにお奨めの本二冊

2012-10-28 17:57:46 | 読書日記

トラが好きです、ちょっと前…秋の初めの頃ですが、こんなご本を読みました。

 
馬上の偉丈夫は、タイトルにもありますように加藤虎之助清正であります。帯に(小さい文字で)「この男が生きながらえていれば、豊臣家の運命は変わった。」(そして大きく)「家康がもっとも恐れた男」とあります。帯が裏に回ると「本能寺の変、天下統一、朝鮮出兵、関ヶ原の戦い…報恩の思いを胸に秘め、戦国動乱期を駆け抜けた豪傑。その人生と謎めいた末期に新たな光を当てる傑作歴史小説」。
 これで、どんな内容の本かはほぼ明らかですが、蛇足を加えますと…「報恩の思い」というのは、清正は夜叉若と呼ばれていた頃から六尺一寸(185㎝)という大男でしたが、郷里が秀吉と同じ尾張中村であり、長浜城主であった秀吉に近習として召し抱えられ、秀吉を烏帽子親として元服して清正と名乗ります。数々の戦で武勲を立てますが常に秀吉を実の親とも仰ぎ、秀吉亡きあとは遺児・秀頼を守り抜きます。関ヶ原の戦いでは石田三成に組しなかったため、戦後、家康から肥後一国を与えられ熊本藩主となりますが、その篤実な性格から領民から敬慕される良き領主でした。家康の招きを受けて上洛した秀頼と家康の対面の場で、常に傍らにあって未然に暗殺を防ぎます。彼の死因は「腎虚の病」と言われていますが、この小説では家康に「主計頭(清正)を早う世を去らせる手段はなきか」と言わせ、側臣・本多正信が「伊賀者を使い、毒飼(どくがい)を試みまするかや」と答えることで毒殺を匂わせています。ともかく痛快な小説です。
 

こちらの小説の舞台は江戸。主人公のこれも大男の南町奉行同心・虎之助は安政の大地震がきっかけで臨時の見回り同心に任命され、江戸の町を駆け巡ります。東北大震災の記憶も消えない今の世相を彷彿とさせる状況の中で、さまざまな人間模様が描かれ事件が起こります。事件解決のヒントを虎之助に与える母親と二人の出戻りの姉。父親の代からの目明しで虎之助を助ける「噛み付き犬の松五郎」、虎之助がほのかな思いを寄せる町娘とその妹、友人の同心などが五つのエピソードを紡いでいきます。
 いわゆる人情捕り物帖のスタイルですが、「灰色の北壁」や「ホワイトアウト」しか読んでいなかった私には、真保裕一が時代小説を書くのも新鮮な驚きでした。しかし、欲をいうと出だしは快調ですが、後半から次第に政治?も絡む重い話になってきて、読むのがしんどくなってくるのが残念でした。

この夏に「はまった」本

2012-09-13 17:15:03 | 読書日記

 この夏、ひょんなことから「柳 広司」という作家の小説に出会った。

表紙の人物は日本陸軍軍人・結城中佐である。「魔王」と呼ばれる彼が第二次世界大戦を前に陸軍内に設立したスパイ養成学校「D機関」では軍隊の信条・常識を根底から覆す。例えば、敵に捕らえられても自死を選ばず、軍人の仕事ともいえる殺人を許さない、さらに絶対者「天皇」の正当性すら「生徒」に議論させる。ここで育て上げられたスパイたちが東京で、上海で、ロンドンで、仮想敵のアメリカ、ソ連、フランスさらには同盟国であるはずのドイツ、時には軍隊内(例えば参謀本部)の「敵」と熾烈なスパイ合戦を繰り広げる。文句なしに面白いサスペンス小説である。

 
「天保銭(陸軍大学校出身者)は使えない」と豪語し、軍の外の大学出身者で構成する「D機関」に対し、新しい諜報員養成機関「風機関」が設立される。そこでの教育は「潔く死ね」「躊躇なく殺せ」。まさにD機関とは逆のものだった。もう一枚のジョーカー。つまり一枚はスペアで、どちらかは要らない。生き残るのは…という頭脳戦を描く表題作の他に、大戦直前の仏領インドシナを舞台にした仏印作戦、結城中佐の現役諜報員時代を描く「棺」などの短編集である。
 

柳広司はもともとがパスティーシュ(他の作家の作品から借用されたイメージやモティーフ等を使って造り上げられた作品。ウィキペディア)が得意な作家である。そのデヴュー作がこの「黄金の灰」。カバー絵はオスマントルコの辺境「ヒッサルリクの丘」に埋まっていた古代の壺…と言えば、お分かりのように、この作品の舞台は「トロイアの遺跡」。ここで起こる発見された黄金の焼失、密室殺人…これらの謎を解く探偵役はハインリッヒ・シュリーマン、語り手は彼の妻・ソフィアである。虚実を取り混ぜた本格的な推理小説として楽しめる。
 

「血と見まがう不吉な赤い色をした」カニが岩礁を這い、ゾウガメが頭をもたげたような雲の下を走る帆船・ビーグル号。「種の起源」の著者、若き日のチャールズ・ダーウィンが遭遇したガラパコス島で起こる不可能犯罪の数々。探偵役はもちろんダーウィン。本格推理小説の面白さに留まらず「異文化の接触」が巻き起こす悲劇、「アイデンティティの揺らぎ(本書の解説・千街晶之氏)」をも描く力作である。
 

子どもの頃に誰もが読んだ「シートン動物記」。その「狼王ロボ」を題材にした「カランボーの悪魔」が最初の章である。シートン村を訪ねたロサンゼルス・タイムズの記者(以後7編全体の語り手)に対し、80歳のシートンは彼のプロフィールを、「野生動物とのつきあい」で得た素晴らしい観察力と推理力で言い当てる。この件はまさにシャーロック・ホームズを彷彿とさせる。ロボの物語には殺人事件がからんでいたのだが、以下7編の短編は宝石盗難事件、殺人犯の居場所、猫ミステリー、日常の謎、ルーズベルト大統領の登場するエスピオナージュ、クマ狩りの活劇と、いずれもお馴染みの動物たちがからむバラエティに富んだ話をシートンが記者に語るという趣向である。動物好きの私には、この短編集が一番面白く、わくわくしながら読めた。
 

表紙カバーに地球儀が見えることから想像されるように、このマルコはマルコ・ポーロである。ジェノヴァの牢に入れられたマルコが、同じ牢の囚人たちに語る世界のあちこちで出会った不思議な事件の数々。ところが何時も肝心なところで尻切れトンボの形で終わる。囚人たちは知恵を出し合って謎に挑む。…という趣向だが、収録された13編の短編の中には、肩透かしのような解決もありまずまずの出来だった。「100万の」には「ホラ吹き」の意味があるのだが…ちょっと乱作気味で息切れしかかっているのか…。

まだまだ幾つかの出版社から文庫本など出ているが、この作家の作品を読むのにも少々飽きてきた。この辺で…

古事記を口語文で…

2012-09-04 08:47:26 | 読書日記
 今年は712年に古事記が編纂されて(異論もあるが)1300年目にあたるので、奈良県や私の住む大和郡山市でもいろんな事業も行われているが、一昨年の「平城遷都1300年祭」に比べると今一つ盛り上がらないのが残念である。

大和郡山市では毎年「記憶力大会」が開かれている。これは古事記の編纂者の一人とされる稗田阿礼(ひえだのあれい)が大和郡山市稗田の出身とされていることに由来している。阿礼は非常に記憶力の良い人で、一度目や耳にしたことは決して忘れなかったといわれる。「古事記」序文によると、舎人として仕えていた天武天皇に命じられて「帝紀」(天皇の系譜、事績)「旧事」(昔の出来事)の誦習を命じられた。のちに元明天皇の代に詔勅によって阿礼が口誦し、太安万侶が筆録して古事記が成立した。現在、稗田町には稗田阿禮命を祭神とする賣太(めた)神社がある。

 古事記の内容については神話や昔話として知っていること、いや、私たち戦前の教育を受けた世代のものにはとっては「歴史的事実」として小学校で教えられたことも多い。しかし、いずれも断片的な知識で、この歳になるまで全文を読み通したことはない。原文は無理でも、せめて朧げにでも全体像を掴めたらとこんな本を読んでみた。
 

この本は語り部の古老が若者たちに「ふること」を語るというスタイルをとっている。古事記成立までは「歴史」は文章でなく「口で伝えられて」いたのだから、文章で読むより当時の聞き手に近い形で「受け取れる」ともいえる。古事記の原文には話が急に飛ぶところが何カ所もあるが、この本では、自称「老いぼれ」の語り部が、原文にはない独白を語ることで原文の繋がりにくいところを補っている。たとえばヤマタノオロチの話では、原文で怪物を退治した最後の場面で「蛇」という言葉がでてきて怪物の正体が分かるのだが、『ところでの、そのヤマタノオロチというのは、酔うて寝ておるところをよくよく見たれば、ただのクチナワの大きなやつだったというわけじゃ』と話す。もっとも時には『いや、どうにも、この老いぼれには分からんわい、神の代のことじゃでのう』と片づけることもあるが…。

もう一つ、この本の特徴は各章ごとの詳細な注釈である。活字の大きさを考えれば「本文」よりも多量になるかも知れないこの注釈が、読み応えがあり実に面白い。先ほどのオロチの場面では、他に化け物が正体を現す例として「さいちくりんのけい三足」や「四足八足二足横行左行眼天にあり」の昔話を引いている(答えは「西の竹林にいる鶏の足」と「カニ」)。さらに「天の浮橋」を宇宙ステーション、「天の御柱」をトーテムポールにたとえるなど、現代の読者に分かり易くする配慮が随所にみられる。
 

「神代編」はイザナキとイザナミ(作者は命や神を付けない)の国生み神話に始まり、天岩戸の物語、ヤマタノオロチ退治や大黒様と因幡の白兎などのエピソードを散りばめながら神武東征で終わる。次の「人代編」は神武以降の三十三代の天皇の事績であるが、皇位継承をめぐる骨肉の争いや陰謀、はたまた男女の葛藤など次第に人間味が臭くなる。しかし「ヤマトタケル」の英雄談、常世の国にトキジクノカグミを求めるタジマモリの話、雄略天皇が葛城山で一言主神に出会う話など、まだまだ神話世界の趣が濃厚である。逆に言えば、最後の推古天皇の時代で語り部の役割が終わり、確実な資料の残る「真の歴史」時代に入っていく。語り部も「これからは字と筆の世じゃ」と述懐している。
 この本は本文では「○○天皇」という後代のおくり名を使わず、すべて当時の呼び名のカタカナ表示である。たとえば推古はトヨミケカシキヤヒメであるが、これが却ってピンと来ない事が多い。やはり、私たち日本人は漢字という表意文字に慣らされた人間だった。
 

「口語訳」は洒脱な説明があったとはいえ大学教授の著書であるのに対し、この本の著者はエッセーを得意とする作家である。これまでにも「ギリシャ神話を知っていますか」「旧約聖書を知っていますか」などの著書を読んできたが、この本もその流れを汲む一種の啓蒙書?であるが、題名通り楽しく読ませる。
 何よりも面倒な天皇の名前(系図)だけが並ぶ箇所は「省略、省略」で面白いエピソードだけが並び、しかし、基礎となる原文を決してゆるがせにしない姿勢を貫いている。

表紙の絵はご存じ「天の岩戸」の場面。「岩戸のかげに一番の力持ちタジカラオの命が身を隠し、いよいよウズメの命の登場だ。(中略)着衣ははだけて乱れて、オッパイが飛び出す。下腹も見え隠れする。たいへんなはしゃぎよう。」こんな感じである。

しかも筆者は次々とこの古事記の舞台を訪ねるのである。これが実に面白い。上の場面では高千穂へ岩戸神楽を見学に行く。神武東征では「お船出餅」の話などなど。懐かしい文部唱歌もでてくる。「神々の恋」では「大きな袋を肩にかけ 大黒様が来かかると ここ因幡の白兎 皮をむかれて丸裸」の歌詞が四番まで。垂仁天皇のエピソードでは「香りも高いたちばなを 積んだお船が今帰る…」の忠臣タジマモリの歌。この歌は今でもアカペラで歌える。私は筆者と同世代(私が一歳上)で共有することも多いのである。実に人間的な古代の神様たちの姿が、生き生きと伝わってくる古事記の世界。この本を先に手にしていれば、きっと「口語訳」は途中で投げ出していただろう。
 

2月23日は富士山の日

2012-02-22 15:56:11 | 読書日記
昨2011年12月、静岡県と山梨県が毎年2月23日を「富士山の日」とすることを条例で制定しました。世界遺産への登録を目指して、単なる語呂合わせから本格的なイベントへと動き出したようです。昨年は私たちの登った「ふるさと富士」を見て頂きました。
今年はわが家にある「富士山をテーマにした本」の一部を、発行年の古いものからご紹介します。



泉 晶彦著 「富士霊異記」-湖・山頂・樹海の神秘  昭和49(1974)年 白金書房 B5判
「富士山は天孫降臨の聖地であった」にはじまり「河口湖の小島には古代人がいた」(第1章 富士山を巡る人と伝説)、「富士山のクマは葬式をする」「フジギツネは尻尾から火を出して人を騙す」(第2章 富士山に棲む生物たち)「UFOは富士に集中して飛来している」「富士五湖には河童がいるという噂がある」「富士山麓にはウロコ人間がいる」(第3章 富士山の超科学現象)と目次のごく一部を列挙すると、興味本位のいい加減な本のように見えます。
 しかし、著書の本当に書きたかったのは、第4章の「富士山の地質と気象」だったのは明らかです。過去の富士山噴火の歴史から近い将来の大噴火を警告し、大沢崩れや砂走りに富士山崩壊の予兆を見、「富士山の自然破壊は東海の水産資源を壊滅させる」が最後の節になっています。すでにプロローグで「富士山信仰の衰退は日本を滅ぼす」と語った筆者の「(これまで)必要以上に富士山から奪うことをせずに自然を保全してきた」畏敬の対象・富士山への思い、「富士山に慈悲を」の悲痛な自然保護の訴えとして、この本読みました。



朝日新聞社編 「富士山全案内」All About Mt.Fuji 昭和60(1985)年 A4変形
山麓一周のウォーキングに始まり、サイクリング、ドライブ、各登山口からの登頂コースなどのガイドから、植物・動物・気象・地質の自然、文学・芸術・宗教の文化面など様々な角度から富士山を紹介しています。
富士山周辺のビューポイントも参考になりますが、私には特に「富士山の好展望台50山」が興味深かったです。この本のお蔭で青笹、浜石岳、竜爪岳、パノラマ台、足和田山、大菩薩嶺、石割山…など、いくつかの山の名を知り、登頂することができました。



大貫金吾著「限りなきオマージュ『富士山』400回までの登頂記録」 2001年 ごま書房 B5判
1930年生まれの著者は25歳の時、初めて富士山に登ります。65歳のお母さんが「生きているうちに富士山に登りたい」と言われたことがきっかけでした。その後400回を数えるまで47年間の登頂の様子を毎日克明に記録。本書には、そのうちの約4割が掲載されています。気象条件によって同じ季節でも異なった顔を見せる富士山に、バリエーションルートを含む様々なコースから登頂することで、「ひとつとして同じ顔のない感動のドラマ(帯の推薦文より)」が展開します。11回に及ぶ元旦登山、田子の浦から剣ヶ峰往復…とにかく凄い記録の連続です。
大貫さんには2004年10月、富士宮口登山道の七合目で立ち話をして以来お目にかかっていませんが、今も元気で登り続けられていることと思います。



NATIONAL GEOGRAPHIC  特集「日本のシンボル」富士山 平成14(2002)年8月号 雑誌
表紙写真の元となった特集最初のページの写真には、上部の富士山に「日本を象徴する神聖なる山」、下部の人形に「-そしてその世俗的な面」の文字が入っています。娯楽施設(これは前年既に閉園になっていたテーマパークのガリバー)が神聖な山の周辺にあることを揶揄しているような写真です。
 しかし全体の内容は、富士を愛する日本人の心を見事に伝えています。世俗的というのは、富士ゼロックスや富士フィルムのような大企業を始め数百の会社、商品のロゴに使われていることの他、富士急ハイランドや富士サファリパークなどの商業施設が周辺にあること…などですが、これも「地元の雇用維持に欠かせない役割」と好意的です。写真もこの一枚を除けば、「富士山御神火まつり」「積雪期の上空からの火口」「午前2時山頂を目指す人の列」などみな美しいものでした。
筆者は二度目の富士登山を果たし、ご来光を見る人たちの万歳を聞き、小児ガンの人々の富士登山イベントを取材して、記事の最後をこう締めくくっています。「『富士に二度登るバカ』という言葉を改めるべき時ではないか。私は富士に登る機会を再び与えられたおかげで、気がついたのだ。多くの人々が日本の象徴である富士と対峙して自分を見つめ直すことで、精神的にひとまわり大きくなるということを」。
それだけに、この表紙は返す返すも残念です。



畠堀操八著 「富士山村山古道を歩く」 平成18(2006)年 風濤社刊 B5判
「村山道」は1000年前の平安末期に開かれた最古の富士山登山道です。海抜0メートルの田子の浦から村山浅間神社、さらに旧三合石室を経て新六合目・現在の富士宮登山道まで。かって村山修験と呼ばれた人だけでなく、江戸時代には英国公使・オールコックを始め、多くの人がこのルートを辿っています。100年前に廃道になっていたこの古道を、地元・村山の人とともに復活させたのが畠堀さんです。
この本が出版された年の9月、いつもお世話になる富士宮新六合目の宝永山荘でたまたま隣り合わせに寝ることになり、そのとき売店に置いてあったこの本にサインして貰いました。彼は多くを語りませんが、後で本を読んでみて、生い茂るスズタケやブッシュ、倒木と戦いながら道を切り開いていく様子に大きな感動を覚えました。
昨(2011)年9月、仲秋の明月の夜に数人のパーティで古道を登ってきた畠堀さんと山荘で再会。月光の下で「村山古道」に対する行政の動きへの不満など、いろいろな話を聞かせて頂きました。
*「村山古道」に対する行政の動き=1.静岡森林管理署は「国有林への立ち入り禁止」を主張し、地元民の立てた道標の撤去を求めている。 2.世界文化遺産の登録を前に。「修験道遺跡」の保護と調査を理由に、地元住民を含めた村山古道への立ち入り禁止を求めている。など…詳しくはこちらをご覧ください。




小林朝夫著 「富士山99の謎」   平成20(2008)年  彩図社  文庫
副題に「知れば知るほど魅力が増す富士山の秘密」とありますが、「謎」というには大げさなほど常識的な話題が多い、いわゆる雑学本です。たとえば「富士山にはゴミが溢れている!」「ブーム必至?富士山ナンバー!?」「富士山がよく見えるのはいつ?」「富士登山に必要なものは?」「山頂お鉢巡りとは?」。!や?は付いていますが、謎でもなんでもないでしょう。1~2ページのコラムの集積で、最後の99番目の謎は「山頂ラーメンのお値段は?」でした。
BOOK OFFで105円で買った本ではありますが、拾い読みしてみると新しい発見もあります。「富士山の日」を最初に制定したのが、富士河口湖町であることを始めて知りました。



実川欣伸著「富士山に千回登りました」 平成23(2011)年 日本経済新聞出版社 日経プレミアシリーズ

この本については昨年9月4日に、このBLOGでご紹介しました

その最後に「今年も宝永山荘で、この素晴らしい笑顔に出会えることを楽しみにしています。」と書いたのですが、その通りに昨年の富士山登山で偶然、別のルートから下りてきた実川さんにバッタリ出会い、一緒に宝永山荘に入りました。奇しくも彼の「1111回目」の記念すべき登山の後でした。(この時の様子はこちらで…)。その後も、着々と記録を更新中と思います。またエベレストへの挑戦も楽しみにエールを送ります。

芥川賞受賞作を読む

2012-02-17 08:57:55 | 読書日記
2月14日の毎日新聞によれば田中慎弥の芥川賞受賞作「共喰い」が20万部を売り上げる大ヒットになっているようです。

田中さんは4度の落選のあと、5作目のこの作品で受賞。記者会見での発言…
「(受賞を)断って(石原氏が)倒れたら都政が混乱する。都知事閣下と都民各位のためにもらってやる」が話題になりました。

会見内容詳細はこちら→産経新聞1月19日号

下関の工業高校卒業後、職に就かず自宅でカレンダーの裏などに下書きしたものを、パソコンを使わずすべて手書きで仕上げたといいます。

今年の受賞作は二編でもう一つは、円城 塔の「道化師の蝶」。こちらも受賞決定からわずか2週間で電子書籍化されるという人気です。
円城さんは東北大理学部卒業後、東大大学院総合文化研究科博士課程修了。受賞者インタビューによると「お金が欲しくて投稿した」「趣味は編み物」という変わった方です。



この二作を同時に読めるのはこの雑誌。新刊書を書棚に並べることはあまりないので、直木賞作品を読みたいときは、これで済ませています。
さて読後の感想ですが…

「共喰い」…「川辺」といわれる狭い地域の範囲で繰り広げられる男女の営み、荒々しい性と暴力の生々しい描写。私のあまり好きでないタイプの小説です。しかし九州弁のおかげか、ユーモアのスパイスもあって救われます。並々ならぬ筆力でぐいぐい最後のクライマックスまで引っ張られていきました。特に溝川の匂いが紙面から漂うような描写で、鎖に繋がれた赤犬、巨大な虎猫、鷺、船虫、蝸牛…そして釣り上げた鰻、これら小道具的な動物たちが印象的でした。

「道化師の蝶」…確かに難解な小説です。「私」が章ごとに入れ替わり、また立ち替わりして、まるで夢の中か迷宮をさまよう感じです。しかし無理に全体の構成や筋道を理解しようとせずに、その章ごとの文章を楽しんでいれば飛び抜けて難しいというほどでもありません。もっと難解な文学作品は無数にありますし、訳の分らないSFもたくさん読みました。選考委員の川上弘美さんが、この作品を「シュレーディンガーの猫」を引き合いに出して推奨していましたが、私は表と裏が判然としない「メビウスの帯」を思い浮かべました。あとで筆者のインタビュー記事を読むと、円城さんは喫茶店でメビウスの輪を作ってみたりするそうです。やっぱりな~。ともかく奇妙な読後感の残る小説でした。



ちなみに表紙のイラストはポタラ宮。この地下に理想の仏教国「シャンバラ」への入口の一つがあるというお話をご存知でしょうか?(2006年撮影)

黒猫の遊歩あるいは美学講義

2012-02-06 15:44:21 | 読書日記
ファイロ・ヴァンスという名探偵をご存じでしょうか?S・S・ヴァン=ダインという作家が生涯に書いた12作の長編推理小説(ベンスン殺人事件、グリーン家殺人事件、僧正殺人事件、カナリ殺人事件…)のすべてに、この名探偵が登場します。ヴァン=ダインは1920年代末から登場した古い作家ですが、第二次大戦後、欧米の翻訳<探偵>小説全盛期に高校~大学生だった変愚院は夜遅くまで読みふけったものです。
 ファイロ・ヴァンスが断片的な証拠から犯人を見つける推理は明晰ですが、その過程で様々なウンチクが散りばめられていて、煙に巻かれながらも楽しみでした。今でいえば、TVドラマ「相棒」の杉下右京を、もっとスペシャリストにしたような感じです。



昨年、早川書房がイギリスのアガサ・クリスティー社の公認を得て「アガサ・クリスティー賞」を創設して、新人の発掘を試みました。アガサ・クリスティーはE・ポワロやミス・マープルもので知られる「ミステリの女王」と呼ばれた作家ですが、候補作107編から選ばれて「第1回アガサ・クリスティー賞」を受賞したのが、この本です。(副賞100万円、漫才大賞に比べるともっとあげて欲しい)

最初にファイロ・ヴァンスの事を書いたのは、この本の探偵役「黒猫」が、ファイロ・ヴァンスに負けず劣らずのペダンティックな言葉をまき散らすからなのです。なにしろ「黒猫」は弱冠24才の「美学」を駆使する大学教授。普段の付き人(これが同世代の女性でポーの研究者)との会話でも「僕がここで言うカタルシスはプラトン的なものではなくてアリストテレス的なもので、アリストテレスは負の感情を浄化する点で悲劇にこの効用があるといっている」くらいは当たり前。焼き鳥屋にいっても「焼き鳥というのも死のアレゴリーになったりはしないのかしら?」「んん、普遍性がまだ足りないね」といったやり取りになるんです。ついていけんなあ。

この本は六つの短編からできていますが、すべて彼と彼女の身の回りのちょっとした謎ばかりです。たとえば「川に振り掛けられた香水」「でたらめな地図」などで、大きな事件は起こりません。しかし、すべてE・A・ポーの作品、これまた懐かしい「モルグ街の殺人事件」「盗まれた手紙」「黄金虫」…をモチーフにしているという趣向です。

その謎をイケメンで、頭が良くて、ぶっきら棒なようで時にふとした優しさを見せる「黒猫」が解いていく。こんな男には敵いません。もちろん「話し手」でもある私はメロメロ。最後には、どうも黒猫もまんざらではない様子で、これはプラトニックな恋愛小説でもあります。ウンチクもそれ程嫌味もなく、難しいところはザット読み飛ばすと爽やかな読後感が残りました。

ただ、この本で惜しいと思ったのは、何か所かにポー作品の「ネタばらし」があることです。
S・S・ヴァン=ダインはアガサ・クリスティの処女作『アクロイド殺人事件』を酷評しました。理由は彼が推理小説を書く上での鉄則を記した「ヴァン・ダインの二十則」に、クリスティが違反している、つまり「読者に対してフェアでない」という点にあります。
いかにポーの作品はすでに古典に属するとはいえ、推理小説のネタをばらすことは、最大のルール違反ではないでしょうか?