ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

どうぞよいお年を…

2011-12-30 09:40:19 | Weblog

今年もBLOG「ペンギン夫婦の山と旅」をご覧いただき、ありがとうございました。

年内になんとか完結しようと思っていた「イタリアの旅」のレポートは、あとポンペイとナポリを残して、来年へ持ち越すことになりました。続けてご覧くださいますようお願いします。

今朝(12月30日)の毎日新聞1面で「巨大地震後に噴火 歴史が証言」「火山対策に政府が着手」の見出しが目を引きました。【3.11を経てリスクと向き合う】新シリーズの始まりで、1952年のカムチャッカ地震から2004年のスマトラ沖大地震までの「M9以上の地震と近くで起きた火山噴火の時期」のリストをあげて、地震と火山との連動による大災害への警鐘を鳴らしています。

実は昨日、BLOGを作るための資料集めをしていて、ポンペイが、火山灰によって埋まったヴェスヴィオ火山の爆発<79年8月24日>の17年前<62年2月5日>に、地震による大災害を受け、その復旧がまだ完全に終わらないうちの火山爆発だったことを知ったばかりです。上記、毎日新聞のリストでは地震から噴火までの期間は最大で3年後ですが、地球規模の大きな異変の場合はもっと長い期間をも考慮に入れねば…と思う次第です。

 2011年は、あの東日本大震災と福島原発事故によって私たち一人ひとりに、改めて「どう生きるか」が問いかけられた年でした。来たるべき2012年を「希望に満ちた新しい年」にするためにも、自分には何ができるかをもう一度よく考えてみたいと思います。

この1年、BLOGやTwitterを通じて懐かしい人たちとの再会があり、また新しいお友達を増やすことができました。私たち夫婦は、この強い「絆」を大事にだいじに紡いでいきたいと願っています。これからも、どうぞよろしくお願いします。

それでは皆様、どうぞよいお年をお迎えください。変愚院&♀ペン


2011年の山行

2011-12-29 16:21:48 | 山日記

年末恒例で今年一年間の山行を振り返ってみます。

  2月25日 二上山 517m(雄岳)
1月に♀ペンの入院などあって、今年初めての山歩き。当麻二上神社から祐泉寺を経て馬ノ背へ。雄岳も雌岳も遠足の小学生たちで賑やかだった。サザンカの咲く道を岩屋峠に下る。

 3月18日 葛城山 960m
天狗谷道のベンチから上は真っ白な残雪を踏んで登る。上にくるにつれて雪がしまり、アイゼンが小気味の良い音を立てた。頂上は予想通り、雪解けでどろどろ。ダイアモンドトレールを水越峠に下った。

 5月17日 竜王山 586m
9時に山頂(東城址)に着きモーニングコーヒー。歩き足りないので西城址へ周って、ワラビを採って遊んだ。

 5月19日 蘇鉄山 6.8m
標高6.8m。一等三角点を持つ、れっきとした日本最低山である。100歳と96歳の両親も♀ペンとともに登頂を果たした。

 5月20日 葛城山 960m
先にツツジ園に行く。満開近い今年のツツジは少し色が悪かった。ツツジ園も山頂も人が多く、暑いので長居は無用と、涼を求めて元の天狗谷道を下り、11時下山。

 
6月9日 大台ケ原山(日出ヶ岳 1,695m)
日出ヶ岳山頂からシャクナゲ平に下って、咲き残ったシャクナゲを見る。そのあと正木ヶ原、大蛇、シオカラ谷といつもの周回コース。ずっと霧の中だったが、シャクナゲとレンゲツツジが美しく、シカにも出会えて満足。

 6月14日 交野山 343.5m
山登りを始めた頃、よく岩の練習に通った大阪・北河内の山。ササユリが多いと聞いて白旗池から国見山へ歩いた。期待通りあちこちで美しいササユリの花に会えた。


 6月24日 観音峰(観音平 1285m)
ベニバナシャクヤク、ジキタリスの群落に満足して、今年は山頂は踏まずに帰った。

 7月27日 金剛山 1,125m
天から郵便道の往復。稜線にでる前の500段の急な階段も、今日は楽に登れた。曇り空から時々パラパラと雨が落ちたが、ザックカヴァーを出すとすぐ止む繰り返し。涼しくて良かった。

 8月9日 高見山 1248.9m
杉谷登山口から登る。好天で展望は良かったが、暑さと羽虫の多さに悩まされる。この山には、やはり冬の雪や樹氷がふさわしい。しかし富士山へ向けて、いいトレーニングができた。

  8月25日 御在所岳 1212m
武平峠に車を置いて鎌ヶ岳と一緒に登ろうと思っていた目論見は、鈴鹿スカイラインの通行止めで果かなく消えた。初めて一ノ谷新道を登り、奇岩の中道を下る。湿度が高く、アブも多かったが快調に歩けた。

 8月30日 葛城山 960m
昼までに、いつもの天狗谷道の往復。まだ暑さは厳しかったが、山頂には秋の気配が漂っていた。

 9月10日 金剛山 1,125
太尾西尾根を登って、頂上へ。シシウド、ツリフネ、キンミズヒキ、ヤマアジサイ、アキノチョウジ、ツユクサ、アキカラマツ…たくさんの花を見ながら北尾根を下った。

 9月13日 富士山 3,776m
ここが本当の日本最高所。中秋の名月の夜、6合目宝永山荘に泊まり、翌日、11回目の登頂。御殿場道から宝永山経由で下山。1,111回目の実川さんに出合う。14日、富士宮本宮に参拝して高齢登拝者名簿に記帳。

 9月27日 高円山 432m
これは大文字山から古都・奈良を見下ろしたところ。三角点はまだ先の林の中にある。さらに上の高円ホテル敷地内の最高所(460m)から首切地蔵へ歩き、柳生街道(滝坂の道)を下った。

 10月17日 竜王山 586m
長岳寺 08:00…不動石仏08:50…頂上09:30~09:50…長岳寺11:05 

 10月19日 二上山
の駅ふたかみパーク当麻から二上神社をへて雄岳、雌岳へ登る。下山は始めての道で、馬の背から雄岳へ少し登り返した地点から二上山ふるさと公園へ。変化があり面白かった。

 


11月14日 信貴山437m~高安山488m
紅葉を楽しみに行ったが、今年はまだ早いようだった。高安山まで往復して、レーダー裏の三角点にも上った。

 11月25日 高取山584m
壺坂寺に車を置いて、五百羅漢から八幡神社を経て高取城址(壺坂口門)、三角点へ登る。 天候に恵まれた上、予想以上に見事な紅葉をたっぷり鑑賞できて満足して家路についた。

 *今年は1月にフランス、12月にイタリアへ旅行。4月は遠くから娘と孫が帰省して長逗留したので、山行は残りの3か月間。それも竜王山、金剛、葛城など近くの山が多い。辛うじて11回目の富士山に登れたのが唯一の収穫と言えようか。この他に矢田山に10数回、松尾山に数度登っているが、裏庭散歩のつもりでカウント、記録していない。来年はもう少し頑張ろう*


イタリアの旅(13.ローマ その2)

2011-12-29 09:21:18 | 旅日記

次第に暮れなずむローマの町。

 

賑やかな通りを歩いて、ライトアップされたトレヴィの泉の前にきました。前回は思ったより小さいなという感想でしたが、今回は人の多さにびっくり。ともかく人をかき分けるようにして、階段を下って正面に立ちます。

トレヴィ(トレビ)の泉 Fontana di Trevi
ポーリ宮殿の前に立つ美しい彫刻に飾られた噴水です。
 もともとは古代ローマ時代にアウグストゥス帝がウィルゴ(乙女の)水道の末端施設として作らせたもので、その後、今の場所に移りました。現在の形に完成したのは18世紀の半ばということです。

昼間に撮った1979年の写真を見て頂きます。
背後のポーリ宮殿と一体になったデザインで、中央が水を司るポセイドン、左に豊饒の女神ケレス、右に健康の女神佐ルースが立っています。

有名な言い伝えは、肩ごしにコイン1枚投げると「もう一度ローマに来られる」ということで、変愚院はその通りに再来を実現したわけですが…。実は、他に「2枚投げると大切な人と永遠に一緒にいることができ」、3枚になると「夫や妻と離婚できる」とフランチェスカが教えてくれました。
 さて♀ペンは何枚投げたのでしょうか?

泉のあるトレヴィ広場周辺にはジェラードののお店が多く、その一軒で「モーラとビスタッチオ」の入ったものを食べました。

スペイン広場まではそう遠くありません。

スペイン広場 Piazza di Spagna
近くにスペイン大使館があるので、この名があります。これは広場の中央にある「パルカッチャの噴水」。1629年、ベルニーニ作で沈みかけた船の形をしています。すぐ横にあるのが…

スペイン階段 広場からトリニタ・ディ・モンティ教会に続く階段です。「ローマの休日」では、アン王女がローマで最初に訪れた場所で、ジェラードを舐めながら歩いたシーンが有名ですね。前にきたときは、階段の下にも途中にも屋台のジェラード(アイスクリーム)屋さんが何台もでていたのですが、今はこの階段で食べるのは禁止されているそうです。

階段の一番上は教会の前で…

街を見下ろす展望台になっています。

ローマの町の観光をすべて終えて、ホテルに帰る途中のレストランで夕食(ちょうど18時)。
今日のパスタはスパゲッティ・カルボナーラ。

サルティンポッカ。サルビアの葉と生ハムをのせた仔牛肉のソテー。美味しかった。

ドルツェは甘いプディング。

 今日の飲み物はビールにしました。缶ビール350ml、€5。日本の北アルプスの山小屋より高い!一人一本づつで我慢しました。1時間ほどで夕食が終わり20時半にホテルに帰りました。

ホテルの隣のスーパーがまだ開いていたので、ワインを買いに行ったついでに、ツマミと缶ビールを買ってきました。この500ml缶がなんと€0.82。決して第三のビールではなく、昔からある会社の地ビールのようなのにこの値段です。冷えてないのが残念ですが、シャワーを浴びて有難く頂きました。お休みなさい。


イタリアの旅(12.ローマ その1)

2011-12-28 16:28:38 | 旅日記

CIAO! ROMA

ヴァチカンの見学を終えて、バスはローマの歴史地区へ走ります。車窓からの写真は割愛して、コロッセオへ急ぎます。



 ←クリックで大きい写真が表示されます。

コロッセオ Colosse
AD70年に着工しAD80年に完成した、この巨大な闘技場は約6万人を収容できました。観客たちはローマの捕虜として奴隷になった剣闘士がたちが、仲間の剣闘士や猛獣を相手に命を懸けて戦うのを熱狂して見つめました。映画「グラディエーター」でも、主人公は奴隷に身を落として剣闘士として戦いましたね。映画と言えば古くは「ベンハー」、変わったところではブルース・リーの「ドラゴンへの道」にもコロッセオが登場しました。

バスの車窓から道路を隔てて見たコロッセオです。赤い衣装を着て歩いている人影は…

観光客相手の剣闘士に扮したモデルさんたちです。

コロッセオには様々な建築様式が見られます。一番上は煉瓦を積み上げて角柱にした壁になっています。
その下は、コリント式のアーチ。

上から三層目はイオニア式のアーチ。一番下はシンプルなドーリア式アーチ。高校の世界史で習った懐かしい名前です。

閑話休題・それはさておき…内部に入ります。

 

 ←クリックで大きい画像が表示されます

白く縁どられたように見える内側がアリーナ(舞台)で、覆いの上に白い砂が撒かれていました。戦士たちの血で汚れると、新しい砂が入れられたそうです。迷路のように仕切られた地下には、道具を入れる場所や猛獣の檻、奴隷の剣闘士の土牢などがありました。 

急な階段を上って二階席から見下ろしたところです。奥の方にアリーナの様子も一部復元されています。

二階の通路から外を見下ろしたところ。観光用の馬車が並んでいます。向かい側はフォノ・ロマーノです。 

フォロ・ロマーノ Foro Romano
パラティーノの丘のふもとに残る古代ローマ帝国時代の遺跡。フォロは公共広場のこと。紀元前からローマ帝国の政治、文化、宗教の中心地だったところです。ここも古い写真で見て頂きましょう。

 

今回、ガイドしてくれたフランチェスカさん。写真を撮ろうとグループから離れると「あなた、そんなに私が嫌い?」と、優しく、やんわりたしなめられました。ミラノの日本人ガイドとは大違いです。

コロッセオを出ます。

 

バスで、少し離れた真実の口で有名なサンタ・マリア・イン・コスメディン教会の近くに移動します。 
右の高い塔はロマネスク様式の鐘楼で、最上部にある部屋はローマ最高の位置にあるそうです。

真実の口 Bocca della Verit
映画「ローマの休日」でお馴染みの石の彫刻。教会外壁、正面柱廊の奥に飾られていて、元は下水溝のマンホールの蓋だったとか。 顔は海神トリトーネです。邪な心の人が手を口に入れると抜けなくなるとか、手首を噛み切られるとかいう伝説があり、「ローマの休日」ではG・ペック扮する新聞記者ジョーが、抜けなくなったふりをしてA・ヘプバーンのアン王女を驚かせていました。フランチェスカも「近頃は手が抜けない人が多いので、気を付けてください」と笑っていました。長い行列に並んで一人づつ口に手を入れます。二人一緒の写真も撮ってくれました。

 一方通行でサンタ・マリア・イン・コスメディン教会に入ります。6世紀頃の創建で、8世紀に教皇ハドリアヌス1世が拡張したという、なかなか由緒のある教会らしいのですが、異教徒の私には荘厳な雰囲気に浸っただけで終わりました 

 

外に出ると夕暮れが迫っています。次はトレビの泉へ向かいます。


イタリアの旅(11.ヴァチカン)

2011-12-28 08:32:35 | 旅日記

12月11日(日) イタリアの旅も後半に入りました。8時、カレンツァーノのホテルを出て、ローマまで305kmのバスの旅です。今日もあいにくの曇り空ですが、思ったよりも暖かい朝です。

 

昼過ぎローマに着きました。バスを下りたところはサンタンジェロ城のすぐそばです。

サンタンジェロ城 Castel Sant' Angelo
139年、ローマ皇帝ハドリアヌスが自身とその後の皇帝のために造った霊廟。(皇帝自身が設計を手掛けたといいます。)カラカラ帝までの歴代の皇帝がここに眠っています。6世紀の終わり、ペストが猛威を振るったとき教皇が祈ると、大天使ミカエルが出現して街を救ったという伝説の城です。屋上にはベルニーニ作の剣を掲げるミカエル像が立っています。この城は要塞、法王の住居、牢獄として使われた後、現在は国立の博物館となっています。
 城の正面に架かるサンタンジェロ橋には12体の天使の像が並んでいます。いずれもベルニーニの作品です。映画「ローマの休日」で、アン王女(A.ヘプバーン)が追手に見つかってギターを手に大暴れ、最後は川に落ちたあの橋です。

まずは、近くのレストランで昼食。運ばれてきたのは大盛りのサラダと…

このピアッツァ。ローマ名物のカプリチョーザでしょうか?キノコやハム、卵まで入ってボリューム満点。

大きさは半端じゃなく、およそ34~5センチはありました。しかし、とても美味しいピザで、♀ペンはボトル半分のワインとともに見事に完食しました!

V.エマニエル2世橋(ヴェネツィアの時にご紹介した、あの1870年にイタリアを統一して初代国王となった人の名のついた橋)を渡り、ヴァチカン市国へ歩きます。

この橋でも美しい彫刻を見ることができます。

橋を渡ってヴァチカンに続く大通りに入ると、正面にサン・ピエトロ大聖堂が見えてきました。

ヴァチカン市国 Citta del Vaticano
ローマの中にある世界最小の独立国家・ヴァチカン市国。面積は東京ディズニーランドとほぼ同じ0.44平方km。世界のカトリックの総本山で統治者はローマ教皇(現在はベネディクト16世)。住民は殆どが聖職者です。ここがそのヴァチカン市国入口です。

サン・ピエトロ広場 Piazza di San Pietro
玄関口にあたるこの広場もベルニーニのデザイン。写真右にエジプトから運ばれたオベリスク(高さ25.3m)が立っています。
 正面が サン・ピエトロ大聖堂 Basilica San Pietro  現在の建物や内装はルネッサンスからバロックの時期にかけての120年間にわたって、ミケランジェロやラファエロなど巨匠たちが建築家としても腕を揮ったもので、宗教芸術の宝庫でもあります。

大聖堂を中央にして楕円形に広場を取り囲む回廊の上には、ベルニーニの弟子たちの製作した140体の聖人像が立っています。

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今回は大聖堂や美術館を見学する時間がなく、始めての♀ペンには気の毒でした。ほんの一足、ヴァチカンに踏み入れただけで…

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先ほど渡ったV.エマニエル2世橋を見ながらバスに帰ります。空も少し明るくなりました。


イタリアの旅(10.ピサ)

2011-12-27 11:56:15 | 旅日記

フィレンツェから約1時間、113km離れたピサへ移動しました。シャトル・バスに乗り換えて5分ほど走るとドゥオモ広場の外壁が見えます。雨上がりの濡れた舗道を歩いてドゥオモ広場に入ります。

ピサの大聖堂(ドゥオモ)Duomo di Pisa

緑の芝生の向こうに美しい大理石の建物が並んでいます。前にきたときの第一印象は、「ピサの斜塔は大阪通天閣のように独立した塔でなく、薬師寺や法隆寺の塔のように寺院の一部なんだ」という当たり前のことでした。左から墓所(カンポサント) 、大聖堂、鐘楼(ピサの斜塔)。

洗礼堂 大聖堂の西側に建っています。直径約35mの大理石でできている円筒形の建物です。珍しいのは上部は尖塔群を持つゴシック様式、下部はロマネスク様式であることで、1152年から200年かかって完成した間の建築様式の変遷を語っているようです。

大聖堂(ドゥオモ)  1063年に都市国家であったピサが、パレルモ沖でサラセン艦隊を破ったことを記念して建築を始めたといわれています。全体としてロマネスク様式ですが、数百年にわたる改修でイスラム、ビザンチンなど様々な建築様式が混在しています。内部に入ってみましょう。

ずらりと並ぶ円柱はパルレモの古代遺跡から戦利品として運ばれたものが多いと言われます。

正面の聖壇。手前の巨大なブロンズ製の燭台にご注目ください。

説教壇。14世紀に造られたゴシック様式。素晴らしい彫刻が見ものです。

ピサの斜塔 La torre di Pisa
実は大聖堂の鐘楼。ついでですが、斜塔だけでなく「ピサのドゥオモ広場」全体が世界遺産です。
1173年着工。3階まで造られた段階で地盤沈下のために傾き始め工事が中断、その後も傾きを修正しながら現在の姿になりました。斜塔の高さは予定よりも低くなり、地上55m。現在の傾斜角は5.5度で傾斜の進行は止まっているそうです。

今回は時間がなくて登れなかったのですが、前回(1979年、これも夕方)は屋上に登って絶景を楽しむことができました。 297段の螺旋階段は身体を傾けながら登る感じで、途中の窓から外を覗くと地面が傾いて見えたのが面白かったです。

これが、その時の写真。 日没寸前です。さらに右手にモンタ・カラーダ(大理石の山)が名前の通り、夕映えでピンク色に輝いていました。閉門時間を過ぎていて、下から大声で怒鳴られて慌てて降りたのも懐かしい思い出です。

また雨が降ってきました。ここからなら片手で支えられそう。
再びシャトル、貸切バスと乗りついで連泊のホテルのあるフィレンツェへ帰りました。

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ミケランジェロ広場 Piazzale Michelangelo
アルノ川沿いの小高い丘の上の展望台です。夕暮れから夜景にかけての展望を見るのに絶好の場所で、またロマンチックなデートスポットでもあります。

広場の中心にはミケランジェロのダビデ像が立っています。

広場の端っこにあるレストランで、美しい夜景とキャンドルの灯りとともに。この日は変愚院夫婦のン回目の結婚記念日でした。この旅行で仲良くして頂いた二組のご夫婦も一緒に、ワインで乾杯してくださいました。 

ホテルに帰るバスの窓から見る町は、クリスマスのデコレーションが美しく輝いていました。


イタリアの旅(9.フィレンツェその2)

2011-12-26 16:09:04 | 旅日記

ウッフィッツイ美術館の見学を終え、1階の売店でガイドブックなどを買って外に出ると、雨は止み薄日が射していました。 

シニョリーア広場の北西隅から、この通りを北へ歩きます。

頭上にクリスマスらしい街灯が並ぶ濡れた石畳の道を急ぎ足で10分ほどいくと…

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 Basilica di S.Maria Del Flore
これは少し離れた西側から見た全景。左から洗礼堂、ドゥオモDuomo(大聖堂)、鐘楼。この三つの建築物の総称が大聖堂です。

大聖堂を南西隅から見たところ。左の巨大な柱状の建物が鐘楼。高さ91mのクーポラの丸い天蓋が見えています。

真下から見上げる鐘楼。製作者の名前を採って
「ジョットの鐘楼」 Campaniele di Giotto といいます。ゴシック様式で高さ84.7mあります。

少し北へ歩いていきます。 

ドゥオモ 「花の聖母教会」のネオ・ゴシック式ファサード(正面の装飾)

最初の全景で見て頂いたサン・ジョヴァンニ洗礼堂。八角形をした11世紀に造られたフィレンツェ最古の建物の一つ。ダンテなど多くの有名人もここで洗礼を受けました。この東の扉はレプリカですが、改装されたばかりで黄金色に輝いています。この扉はミケランジェロが「天国の扉」と絶賛したことで有名で、10枚のパネルに新約聖書の物語が浮き彫りされています。
 
記念写真を撮った後、昼食。その後、自由行動になってサンタ・マリア・ノヴェッラ駅(中央駅)近くのオベリスクが目印の集合地点まで歩き、途中の中央市場でお土産のお菓子やパスタを買いました。

 

左がパンフォルテ。 小麦粉に砂糖、ハチミツ、バニラ、シナモンなどを混ぜ合わせた生地にオレンジなどの砂糖漬けを加えて丸い形に焼き上げています。保存食にもなるようで、固いお菓子です。

こんな感じです。

右はパンペパート。胡椒味でアーモンドが入っています。旅行から帰った週末の17日、TV「世界ふしぎ発見」を見ていると、同じ包装のパンペパードが放送されて名前が分かりました。

ビスコッティ。これも固い焼き菓子。トスカーニ地方のものはアーモンドなどの木の実が入っています。
固いのでカプチーノ(ふつうコーヒーと言えばこれが出てくる)に浸して食べるようです。

パスタ。300種類もあるそうでいろいろ目移りしましたが、あまり日本で見かけない蝶リボンのような色の美しいのを求めました。

また雨が降り出しました。中央駅裏側に駐車していたバスに帰ってピサへ向かいます。


イタリアの旅(8. フィレンツェ その1)

2011-12-25 13:21:53 | 旅日記

CIAO!  FIRENZE

トスカーナ地方の中心・フィレンツェは、古代ローマ時代に花の女神・フローラの町「Florentia」と名付けられ、英語名Florenceにその名残が見られる「花の都」です。15世紀にメディチ家の庇護のもとにルネサンスの中心地となった「芸術の都」であり、町自体が「天井のない美術館」と言われるほど美しいところです。

 12月10日 昨夜はヴェネツィアから約245km離れたカレンツァーノのホテルで泊まりました。フィレンツェは変愚院が一番再訪を楽しみにしていて、♀ペンにもゆっくり見て貰いたかった町だったのですが、無情にも今日は朝から冷たい雨が降っています。

駐車場から傘をさして石畳の道を中心部へ向かいます。通りのお店は開いたばかり。これはお人形屋さん。イタリアではどこの町でもピノッキオが人気のようです。

サンタ・クローチェ聖堂 Basilica Di S.Croce
フィレンツェの数ある建築物の中でもゴシック建築の最高傑作とされています。ガリレオ、ミケランジェロ、ロッシーニなど多くの有名人が埋葬されています。蛇足ですが、サンタ・クローツェとは「サンタ・クロースのお爺さん」のことではなく「聖なる十字架」のことで、「聖なる十字架の発見」は中央礼拝堂のフレスコ画になっています<Sillabe社の日本語版ガイドブックによる>。

見所の多いところなのですが素通りして、ウフィッツイ美術館の予約入館時間までの間、「皮製品店でショッピングタイム」。この先の通りは昔から革職人が多く住んでいたところらいく、工房や革製品店が並んでいます。

シニョリーア広場  Piazz Della Signoria
古くローマ時代からフォルム(市広場)として栄え、周囲に市場、公衆浴場、劇場などがあったことが発掘調査で分かっています。中世(13~14世紀)にフィレンツェが自治都市だった時代はもとより、今も重要な市の政治中心地です。
 
左の人物像が立っているところがヴェッキオ宮殿(現在の市役所)、その右・白い4階建ての建物がウフィッツイ美術館、更に右のアーチ型の回廊はロッジア・ディ・ランツィ。 

ロッジア・ディ・ランツィ Loggia De Lanzi
広場南側にあるアーケイド形のロッジア(回廊)。大きなアーチ型が特徴で、14世紀終期には市民の集会所でした。(上の写真は1979.11.19 変愚院撮影)

今は美術品の残る屋外ギャラリーになっています。左のブロンズ像は「B.チェッリーニ作・メデューサの頭を掲げるペルセウス」。メデューサの首から血が滴っているところなど描写が細かい!

 右端はジャン・ブローニュ作の「サビニの女たちの略奪」。その隣は同じ作者の「ケンタウロス・ネッソスを打つヘラクレス」。いずれも白大理石製です。変愚院は前のライオンくんも好きです。

 ヴェッキオ宮殿 Palazzo Vecchio
「ヴェッキオ」とは「古い」の意味で、14世紀に建設され15世紀にはシニョリーア宮殿でしたが、1565年に宮廷が移ってから、こう呼ばれるようになりました。1865年から5年間、フィレンツェがイタリアの首都だったときは国会として使われました<前掲書による>。砂岩粗石積みの要塞のような作りで、鐘楼は94mの高さがあります。

宮殿正面にはミケランジェロの「ダビデ像」のレプリカが立っています。

 

近くから見たダビデ像 (1979.11.19 変愚院撮影:入口上の飾りを現在と見比べてください)

鈴の音も軽やかに観光客を乗せた馬車が広場を行きます。行く手に見えるのは「ネプチューンの噴水」

ネプチューンの噴水
大理石とブロンズでできています。ネプチューンはギリシャ神話ではポセイドン、水を司る神様で噴水によく使われます。何故か馬と縁があるようで、「競馬の神様」として崇める人もいるとか…?
 

予約時間の10時15分まで長い行列に並んで、ウフィッツイ美術館に入場しました。入口では厳重な手荷物検査が行われます。まず4階まで登って、そこから順に3階2階と約1時間、メディチ家の残した膨大な歴史的美術品を鑑賞して回りました。

このボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を始め、ミケランジェロ、ラファエルなどの有名な絵画展示されています。残念ながら館内は全て撮影禁止です。写真はネット上のフリー画材から借用しました。唯一、外の景色が撮れたのが窓からの下の風景…ベッキオ橋です。 

ヴェッキオ橋 Ponte Vecchio
アルノ川に架かる三つのアーチ型の上下二層になった橋です。洪水に流された古い橋を14世紀に再建したものでフィレンツェで一番古いもの。橋の上には金細工店が並び、二階部分は「ヴァザーリの回廊」として、かってはヴェッキオ宮殿とピッティ宮殿の間の通路となっていました。今はテラスからアルノ川の景色を眺めることができます。(この項続きます)


今年最後の?矢田歩き(2011.12.24)

2011-12-25 10:26:06 | 矢田だより

*「イタリア旅行」記はお休みさせて頂いて昨日、歩いた矢田山の様子を見て頂きます*

気温は低いですが、柔らかい冬の日差しが降り注いでいます。13時、横山北のお地蔵さんに手を合わせてスタート。

サザンカの花を見ながら野の道を行きます。イタリアから帰ると奈良の方が寒くて、二人とも風邪を引いていたので、久しぶりの矢田歩きです。今日は矢田寺はオミットして直接「矢田の大石」から矢田山へ。最初から急坂の登りですが次第に調子が出てきました。

13時35分「まほろば展望所」。気温4℃。じっとしていると手が冷たく感じます。5分ほど休んで北へ尾根道を行きます。

途中、東明寺の真上辺りの尾根道からの展望。正面が貝ヶ平山、鳥見山。

東明寺と「こどもの森」の分岐近くに、とても大きなスズメバチの巣がありました。

14時20分、東明寺にお参り。
14時35分、元の辻に帰って、今年も何度も歩かせて頂けたことにお地蔵さんへお礼を言いました。1時間半で出会った人、5人。静かなクリスマス・イヴの矢田歩きでした。


イタリアの旅(7.ヴェネツィア その4)

2011-12-23 20:51:37 | 旅日記

集合時間になってカフェ・フローリアンを出る頃には雨も殆ど止みました。
グループの人影が見える向こう、日除けの準備をしているところがフローリアンです。右奥はナポレオン翼といい、コッレール美術館入口があります。

反対側から♀ペンの撮った写真。雨が止んで広場にハトが帰ってきました。大阪四天王寺などの寺院の境内と違って、ここでは(この写真では見えませんが)カモメも混じって餌を啄んでいます。左の旧政庁翼にも別の有名なカフェがあり、前に椅子がでています。

旧政庁奥から細い路地に入り、昼食の場所に着きました。このお店もなかなかしゃれた感じ…

中の様子です。

壁にずらりとワインが並んでいます。左下の仮面はカーニバルで被るもので、ヴェネツィアのあちこちで見ました。カーニバルは「謝肉祭」と訳されますが、イスラム教のラマダンのような断食時期の前に羽目の外せる期間ですが、それほど厳格ではないようです。仮面は、貴族たちが身分を隠して庶民と一緒にお祭り騒ぎをするために付けたのが起源と言われています。

今日の1皿目はイカスミのパスタ。口中真っ黒けになるのを漱ぐのは白ワインにしました。
もちろん足りずナプキンまで黒くしました。

そしてイカやエビなどのフライ

ドルツェはレモン味のアイスクリーム。

帰りのヴァポレットの船内で。ベテラン添乗員の有馬さんと。
とても博学で西欧の歴史や文化に詳しい上に、たえず一人一人の体調まで気遣ってくれました。おまけに別れ際には涙を浮かべて…ほんとうにお客を大事にしてくれた優しい女性でした。

トロンケットへ帰ります。大鐘楼、ドゥカーレ、サンマルコ寺院…ヴェネツィアともお別れです。