ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

竜の地名を歩く(1)

2012-01-31 16:23:37 | 四方山話
「干支の話」が話題になるのは、たいていが前年暮れか新しい年の初め。
新しい年に変わって、もう1ヶ月が過ぎようとしているのにかなり時期外れですが、一寸聞いてください。
本当は風邪を引いて家に籠もってばかりでBLOGのネタが切れただけですが…。

さて「龍」「竜」の字が付く「山」については12年前の2000年にレポートして、またその年は毎月一つづつ「竜」の字のつく山に登っています

今回は数ある「龍」「竜」のつく地名のうちで、私たちの行ったことのある場所の写真を見て頂きます。まずは、地形的にも「黄色の龍」そのものの…

中国・黄龍

世界遺産「黄龍(風景区)」は全長7.5kmの峡谷(黄龍溝)で、その源流は岷山山脈の一つ、玉翠峰(標高約5100m)から発しています。渓谷は新生代第四紀に石灰岩層が氷河に侵食されて形成されたもので、そこを流れる石灰分を含んだ水が今の光景を作りあげました。
黄色がかった乳白色の石灰華の連なりを、白雪を頂いた高山目指して昇る龍になぞらえて「黄龍」と名付けられています。



ロープウェイ山上駅から整備された道を1.7km歩いたところで林を抜け、黄龍の流れを木橋で渡ります。これは橋の上から上流を見たところ。まさに巨大な竜の背中の上という感じです。
 ここから標高約3570m地点まで登って、下流へハイキングします。ロープウェイのない頃はたいへんだったでしょう。



道が整備されているせいか、高度の割には思ったより楽に登れます。最高所の手前には道教寺院(黄龍上寺)、最高所には展望台がありました。下流へ下っていきます。



争艶彩池
『面積は20000平方メートルで658の極彩色の池から構成されており、海抜3400メートルのところにある。黄龍溝第二の極彩色の池群…云々』



広々と開けた明るい川原のようなところにでました。七里金沙と呼ばれる、まさに巨大な黄龍が横たわっているような風景です。ここからしばらく樹林帯を通って…



再び広大な石灰岩の斜面に出会いました。金沙舗池です。『海抜3305メートル。地理的に恵まれていないた為、水中の炭酸ナトリウムがここでは凝縮していない。』
「竜の金色の鱗が輝いているようだ」と言われている傾斜の急なところです。強い西日を受けながら右岸の板敷道を下っていきますが、目が弱い変愚院には段差が見え難く少し手こずりました。

黄龍にはこのような石灰岩層の中に数え切れぬほどの湖沼、滝などが散在して、独特の美しい風景を作り出しているのですが、今回は「龍」の地名に拘った写真を主に見て頂きました。

氷瀑を見に行く(2012.01.28)

2012-01-29 12:44:10 | 今日の大和民俗公園
<今日のBLOGは♀ペン担当です>



「御船の滝」は川上村井光(いかり)にあります。女友達3人で美しい氷瀑を見に行きました。
桜井駅からハチキンさんの車に同乗させて貰って、いつも大台ケ原へ行くときに使う国道169号線を南に。迫の付近には昨年の台風12号の爪痕が残っています。迂回路を通って時間をかけてバス停井光に。左折して井光川沿いにしばらく登って、もりもり館の駐車場に車を置かせて貰います。ここから小雪のちらつく林道を歩くこと約3キロ、30分ほど。アイゼンがさくさくと、いい音を立てます。



後ろの階段から数分、山道を登っていくと、氷の鎧をまとった見事な滝が現れます。高さ約50メートル。文殊菩薩を現すとも言われ、知恵を授ける滝と伝えられています。まだ滝のすべては凍っていませんでしたが、それでも素晴らしい迫力です。



展望台にも登って10分足らず休み、元の道を引き返しました。
まだ時間が早いので、ハチキンさんの案内で別の滝も見に行くことになりました。169号線をさらに南へ、新伯母峰トンネルの手前の茶店でお腹を満たしました。



大台ケ原ドライブウェイは冬季通行止め。その入口近くに車を置いてしばらく行くと、大普賢岳方面が見える展望地点に出ます。



伯母子谷支流のわさび谷には大小いくつもの滝がかかっています。その一つ無名滝。



「立ち入り禁止」の標識がありましたが、ちょっとだけ中を覗かしてもらって…



いくつか美しい滝を見ました。



3人とも童心に帰って楽しく過ごした一日でした。はちきんさん、どうもありがとうございました。
またさそってね。

能勢・竜王山(2012.01.22)

2012-01-28 06:00:00 | 山日記
<コースタイム> 駐車場所 09:20 …才ノ神峠 09 :57…竜王山登り口10:08…竜王山10:32~10:40…宮峠11:10…無名峠11:50…牛ノ子山11:57~12:20(昼食)…チンジンさん13:10…長谷川沿いの道に出る13:25…駐車場所13:40

SRCのメンバーに加えて貰って例会に参加した。昨夜は修ちゃんの車に同乗させて貰って、丹波篠山渓谷の森公園(猪村の近く)へ。ちょうどボタン鍋が煮えたところで、さっそく乾杯して熱い鍋に舌鼓を打つ。



L.の水谷さんが買ってきた猪肉は1.5キロ、雄と雌で微妙に味が違うそうだ。柔らかくて全く臭みがない。一緒についてくる太い牛蒡が、これまた旨い。存分に腹に収めたが、明日があるのでメンバー9人みな飲むのを控えたか、持ち寄った酒はだいぶ余った。11時、しゃべり疲れて男女二棟に分かれて寝る。設備もよくてなかなかいいコテージだった。

昨夜の鍋の残りを雑炊にしたりして朝飯を喰っていると、陽が射してきた。8時過ぎ、コテージを後にして少し大阪側に引き返す。途中のコンビニで昼食を仕入れ、能勢町の長谷川沿いに北上。道沿いのスペースに駐車する。周りを山に囲まれ、その山の斜面を切り開いた美しい棚田が広がっている。


<ケイタイで撮影>

行く手に三草山の整った山容を見ながら、山裾に広がる長谷集落を抜けて行く。見下ろす東側には棚田の向こうに淡く碧く低い山が重なり合って美しい眺めだ。



かなり勾配のある舗装路を何度かヘヤピンカーブを繰り返しながら登っていく。小母さんに連れられた白い犬が何度も振り返りながら前を歩いていく。


<ケイタイで撮影>

歩き始めて約30分で才ノ神峠に出た。北側から二本、南側から二本、東西の稜線へ一本づつ。合計六つの道が集まっている。峠に立つ石の道標は寛文十一年(1671)のもので能勢町指定の部文化財である。傍らの説明版によれば、ここは源平一の谷合戦の折り「三草の勢揃い」が行われたところで、石標が立った時代には市街道として交易、有馬への湯治などで人の行き来が多かったらしい。東へは三草山登山口の標識がたち階段道が続いている。私たちは西へ斜面を捲いていく。



10分で竜王山の登り口にきて道を離れ、北西に疎林の尾根を登っていく。枯葉や木の枝を踏んでしばらく行くと苔むした岩がいくつも転がるところにでて、やがて山頂の大岩に着く。



竜王山(670m)は慶佐次盛一氏「北摂の山」、赤松茂氏「北摂の山々」(エアリアマップ)などでも『竜』王山と記されているが、なぜか最近の国土地理院地図では『滝』王山と変わっている。三角点は見当たらず、植林の中で展望も全くなかった。



山頂部の北端に鉾を立てたような尖った石があった。小さな祠があり、供物などを捧げるためか石を積んで階段を作ってある。おそらく竜神信仰のものだろう。



牛の子山に向かう。登りにはなかった、しっかりした登山道が北に続いている。やや狭い尾根の下りとなり



507.4mピークに着いた。さらに抉れた道の急な下りで十字路の中心に降り立つ。宮峠である。右(東)に下れば八坂神社があるので、この名があると考えられる。さらに東に下れば駐車場所にでる。峠から緩い登りでさらに北へ進む。道は尾根を等高線沿いに捲くように続いているが、途中で尾根に登ったり、下ったりしたので



短い時間ながらブッシュや笹を漕いだりした。ややはっきりした道に出て、道が東に向かうようになったところに無名の峠がある。


<貴公子さん撮影>

「標高差40mの登り」という背後の貴公子さんの声に押されるように登る。



登りついた小広いピークが450.8mの4等三角点を持つ「牛の子山」である(地図には記名なし)。変わった名前だが、この辺の山に詳しい「やまあそ」氏はホームページで『この山が牛頭天王を祭神とする八坂神社からみて子(北)に位置するからでは」と推論されている。
 ともあれ、今朝から初めて腰を下ろしてランチタイムとなる。食事を終える頃、賑やかな話し声がしてかなり大きい二つのパーティが登ってきた。そのうち、やまゆき会のMさんとは一緒に山行したことのある顔馴染みである。彼らはちょうどわれわれとは逆回りで、同じコースを歩くらしい。しばらく話して分かれる。最後の藪漕ぎで尾根を下り、先ほどの無名峠から東に下る道に出る。抉れた溝状の道からやや広い道になり、下から犬の鳴き声も聞こえるようになる。



右手が大きく開け、三草山が逆光に浮かび上がっている。



その右には今日歩いてきた稜線がつづく。クリ林を過ぎて最後のアルバイト。左手の広い斜面を登っていく。下りてきた山仕事の人に「どこへいく」と聞かれ、誰かが「チンジンさん」というと「なんやそれ」と不審顔をされた。「この上の山」というと「昔は年寄りを生き埋めにしたという伝説のあるとこや」と恐ろしいことを言った。しかし「気い付けて行きや」と優しい人だった。
 登りつくと林の中で何の変哲もないピーク。ただ古いタイヤがずらりと列を作って並んでいる。それも半端な数ではなく、薄暗い中でちょっと異様な感じがする。すぐに反対側に下山。



暗い植林帯を抜けると、民家の横を通って長谷川沿いの道に出た。対岸に朝の道が見える。三々五々、のんびりと駐車場所へ向かう。少し先で橋を渡り緩く登っていくと、驚いたことに対岸の道にはずらりと車の列ができている。大型の貸切バスも一台。山姿の人の他に、イチゴ狩りの袋をぶら下げた団体客も見える。車に帰り、挨拶を交わして解散。帰りも修ちゃんに上六まで乗せて貰った。ありがとうございました。

SRCグループでの山行は先週に続いて二度目だが、遅れがちながら何とか一緒に歩け通せた。若い仲間たちには、もどかしかったかも知れないが、私たちには収穫の多い楽しい山行だった。やはり歳には勝てない。なるべく迷惑を掛けないようにヨチヨチ付いていきたい。

*この項を書くにあたって、表記のない写真は全て若い山友達である「たらちゃん」の撮影したものを使わせて頂きました。また、「やまあそ」さんのホームページ「山で遊ぼっ」から多大の示唆を受けました。心よりお礼申し上げます。*

この一週間

2012-01-27 18:05:34 | 矢田だより
1月20日(金)夜、診療所で定期健診。尿に糖が出ているが許容範囲。先月の血液検査も異常なし。待合にマスク姿の急患が多い。風邪を移されそう。傘さしてヘッドランプ点けて田圃道を帰る。

1月21日(土)SRCのボタン鍋例会。上六で拾って貰って阪神高速を飛ばして1時間で丹波篠山渓谷の森公園(猪村の近く)へ。新鮮な猪肉でビール、焼酎、ワインなどで適当に飲んで騒いで23時、就寝。

1月22日(日)晴れたり曇ったり。能勢町の竜王山~牛の子山、チンジンさんと巡って5時間余り歩く。久しぶりのグループ山行で楽しかった。カメラを忘れたので写真はタラちゃんに頼んだ。道の駅でトイレ休憩後、帰りも上六まで送って貰う。お蔭で明るいうちに帰れた。朝、昨夜の鍋の残りの雑炊。昼、オニギリ。夜、寿司をたらふく食い、焼酎一杯。

1月23日(月)曇り。遅くまで寝る。昼前、迎えのバスに乗って奈良・春日野荘での町内の飲み会へ。風邪のせいか会席料理はあまり旨くなかった。酒も少なめ。カラオケはしっかり歌った。17時過ぎ帰って、お茶を飲んで寝てしまう。

1月24日(火)晴れたり曇ったり。24時間のうち、食事の4時間を除くと約20時間寝ていた。緑内障のおかげで風邪薬が飲めないのが辛い。夜、起き出して10時までメールをしたり、TVを見たり。朝、雑炊。昼、肉うどん。夜、おでん。焼酎もうまくない。

1月25日(水)朝飯を喰ってまた布団に入ったが、流石にもう眠れず。横になっている。「黒猫の遊歩あるいは美学講義」を読み始めた。一風変わったペダンティックな推理小説。朝、パン。昼、うどん。夜、フライと昨日の残りのおでん。焼酎一杯。

1月26日(木)晴れたり曇ったり一時雪。寒。昨夜はついに寝足りたのか朝4時まで一睡もできなかった。親孝行に行く♀ペンを送り、帰ってずっとコタツでPC。日記を書き、写真を整理。昼飯(インスタントのカレーうどんに焼き餅二個入れる)を喰って昼寝1時間。♀ペンを迎えに行き、夕飯に鴨鍋、焼酎2杯。雑炊たらふく。久しぶりに旨いと感じた。まだ痰は出るが、ようやく風邪終息か?

1月27日(金)8時起床。朝飯を喰ったあと昼までBLOG作成。チャーシューメンを喰って昼寝1時間。5日ぶりに入浴。夕食、牛シャブ。焼酎二杯。とにかく栄養のあるものを喰って寝るに限る。しかし、ボツボツ山の虫が蠢きだした。

*そんな訳で、一週間更新できずご心配をかけました。お問い合わせまで頂き感謝です。また、よろしくご愛読ください*

こおりやまさんちの金魚

2012-01-19 11:13:27 | 矢田だより
昨日、郡山散歩の途中、朝日町の洋菓子店・パルファンで買ったお菓子です。



このお店は古くからシュークリームなどで有名ですが、去年、「一果 ichika 」シリーズのひとつとして、郡山特産の金魚を象ったマカロンを売り出しました。金魚形二つ、丸い普通のマカロン三つの他に別の焼き菓子1個がセットになって箱に入っています。

マカロンはフランスを代表する焼き菓子ですが、このマカロンに使われているジャムは、これも大和郡山(片桐地区)特産のイチジクのジャムです。

このパルファン(有限会社)の代表・五條さんは、昨年の台風12号の被害でまだ仮校舎で授業を受けている、五條市大塔町の保育所、小学校、中学校に、12月2日に「一足早いクリスマス・プレゼント」を贈呈しました。奈良新聞によると、届けられたのは直径28センチの特製ケーキ2個、24人の児童・生徒たちは、切り分けられたケーキを嬉しそうに口に運んでいたそうです。

この「金魚」も、ほのぼのした暖かさを感じさせるような形と味のお菓子でした。

郡山歴史散歩(2012.10.18)

2012-01-18 13:51:14 | 矢田だより
朝の寒さが次第に緩んで、いいお天気になりました。近鉄駅前に用事があるので、近くの史跡に寄り道しながら散歩しました。



養魚池の金魚たちが暖かい日を浴びています。通り道にある箕山町の大納言塚へ行ってみます。



大納言塚。
豊臣秀吉の異父弟で郡山100万石の城主・豊臣秀長は天正19年(1591)に郡山城内で没しました。享年51歳。秀吉はここに菩提寺・大光院を建立して弟を弔いました。手前の大石には「大納言塚」の文字、山門の手前には「お願いの砂の箱」が見えます。



金属製の蓋を持ち上げると中には白い砂が盛ってあり、小さな穴から箱の中に落ちるようになっています。「自分の名前と願い事を告げて砂を三度、穴に通せば、優しく賢くとても立派な殿様が、きっと願いを叶えてくださる」ということです。もともとは、墓前に敷き詰められた粗い白砂を持ち帰り、願いをかけて返納する習わしだったのですが…。



豊臣家滅亡後、大光院は藤堂高虎によって京に移され墓地は荒廃していましたが、安永6年(1777)、春岳院の僧・栄隆らの尽力によって外塀や五輪塔など現在の姿になりました。高さ2メートルの五輪塔の「地」輪に秀長の戒名が刻まれています。

*用事を済ませた帰り道に、永慶寺町の黄檗宗「龍華山永慶寺」へ行きました。郡山城主・柳沢家の菩提寺です。



永慶寺山門
市指定文化財。旧郡山城の南門を移築したもので、安土桃山時代の郡山城を偲ばせる現存する唯一の遺構です。



山門から石段を登って広大な境内に入ったところ。左端のこんもり大きいのは庭石です。右は本堂。




本堂。釈迦三尊を安置しています。



本堂裏の高浜虚子句碑。『秋雨や俥なければ歩くまで』



境内の拝観を終わり、弁天門を出ます。



帰り道の城南町で古いお家の前に「荒木又右衛門屋敷跡」の石碑がありました。
伊賀の仇討「決闘・鍵屋の辻」で名高い剣豪・荒木又右衛門は、郡山藩・松平忠明に召し抱えられ剣術師範役250石に取り立てられました。その折の住居のようです。なお、又右衛門は仇討(寛永11年・1634年)の助太刀をするため、その前年に郡山藩を退身しています。

郡山に住んで30数年経ちますが、この屋敷跡は始めて知りました。ぽかぽか暖かい陽射しの下の散歩で、新しい発見もあって楽しかったです。ただ、カメラもケイタイも持たずに行って、♀ペンのケイタイを借りて移送したので写りがよくなく残念です。直線距離では家から駅まで3キロ足らずですが、寄り道したので歩数計の数字は10,580になりました。

平群の山城址を歩く(2012.01.14)

2012-01-15 22:22:16 | 今日の大和民俗公園
大阪と奈良を隔てる生駒・金剛・和泉山脈の北部。西の生駒山地、東の矢田丘陵に挟まれた小盆地の間を南北に竜田川が流れています。ここは平群谷と呼ばれ古代の豪族・平群氏の本願地でした。今も古い寺社、古墳などが残された歴史の薫り高いところですが、最近は大阪のベッドタウンとして急速に変貌しつつあります。
曇り空の土曜日、この平群(へぐり)にある椿井山城址を巡るウォーキングにお誘いを受けました.



この平群神社の近くSさんのお宅に余計な荷物は置かせて頂いて、総勢9名でスタート。最近はご無沙汰していましたが、皆さん古い顔馴染みの山仲間です。楽しく語り合いながら15分ほど歩いて協和橋で竜田川を渡り、椿井集落に入ります。



椿井線刻石仏。
頭に平らな石を乗せているので笠石仏と呼ばれています。地元では弥勒菩薩と伝わる右向きの仏像が彫られていますが、顔から胸の辺りにかけては信仰する里の人が撫でさすって擦り減っています。また昔はこの石仏に牛馬をつないだらしく、引き倒されて胸のところで折れた跡が見られます。鎌倉時代のものと思われます。ここから集落の中の坂道を登り、途中、右手にある古い墓地に寄り道しました。石仏から300mほどで常念寺の横に来ます。左上に椿井春日神社が見えます。



見下ろすと平群の里がもう下に、正面に信貴山の特徴的な姿が見えます。



椿井井戸。
ここの地名の由来になった井戸です。聖徳太子が物部守屋を征伐した時、太子軍の将軍・平群神手が椿の杖を突き立て戦勝祈願をしました。すると一夜にして杖が芽吹いて葉が茂り、その下から清らかな泉が湧き出したといいます。この水を聖徳太子以下の将兵が飲んで意気大いに上がり、物部軍を打ち破ったという伝説の地です。



平成の今も、底の見えるほど美しい水が滾々と湧き続けています。

左に折れ春日神社の下を行くと白石畑を経て松尾寺に続く古い松尾詣りの道にでますが、今日は直進して宮表山古墳の下を登ります。椿井城址に続くこの道は、二年以上にわたって地元有志の方々が整備され、昨年11月に完成したばかりです。以前のBLOGを見ると、城跡に登るのに踏み跡すら判っきりせず、藪漕ぎなどで大変だった様子がうかがわれます。今では途中の分岐に真新しい標識も設置されて、迷うこともなく尾根に出ました。左に少し登ると南廓址の標識がある平坦地(地図上の標高205m地点?)に出ました。

椿井城はもと土豪・椿井氏の山城で、のち島左近(大和の戦国大名・筒井氏、後に石田三成に仕えた戦国武将)が城としての体裁を整えたとされてきました。しかし、それを実証する史料はなく、最近では信貴山城の出城として松永弾正久秀との関わりを唱える説も出ています。南郭跡から北の主廓址まで約350mにわたって、尾根の上に点々と郭や横堀や土塁や土橋などが設けられていました。現在では所々に石垣の址が見られるだけで、辛うじて表示板で「郭」のあとが分かるだけでした。



尾根を北へ進んでいくと、何か所かこのような「堀切」に出会います。



「縄張り図」によると全部で五ヶ所の堀切で遮断し、敵の侵入に備える防御線としていたようです。



新しいロープが取り付けられたおかげで、冒険ごっこのように楽しく登り降りしながら標高243mの北廓址に来ました。小広い平地になっていて、右手(東側)に小さな谷を挟んで矢田丘陵の最南端部が見えます。目の下には「じんあい焼却場」の白い建物と塵埃を保管するトタンの囲み。建物前の車道を左(北)へ行くと、谷間の集落白石畑にでます。ここまでは以前、道を探しながらきたことがあります。白石畑から松尾寺の切通しまでは、それほど遠くありません。



こんな木の瘤がありました。コアラが寝ているような形をしています。ネットで調べると、やはりコアラに見えるようで「コブリン」という綽名までついているとか、知る人ぞ知る人気者です。
 この北廓址で道はぷっつりと途絶えました。右も左も切り立った絶壁で降りられそうもありません。唯一、北に続く雑木林の小尾根を灌木を手掛かりに遮二無二下ります。地図によると椿井春日神社から白石畑に抜ける「松尾道」(近畿自然歩道になっています)に出るはずです。
 灌木に縋りながら急坂を下ると、次は密集したササ藪漕ぎ。なんとか下りきって水の流れる沢に下りましたが道はありません。対岸の斜面をトラバース気味に下ります。フユイチゴの実が赤く艶やかに光っていました。北廓址から藪漕ぎ30分あまり、



この写真の少し上部で「松尾道」に出ました。先ほどの沢は大きな岩石が重なっていて通過はまず不可能。斜面のトラバースは正解でした。ふわふわの落ち葉を踏んで降っていくと「近畿自然歩道」の標識がありました。



さらに下って平等寺の集落に入りました。「右 松尾寺」への古い石の道標のある場所から振り返ったことろです。電柱の上のピークが北廓址(243m峰)、南廓址は右に続く稜線のさらに右になります。北廓址の左、Ⅴ字形の切れ込みから下ってきました。

国道を渡って「道の駅」に立ち寄ったあと、Sさんのお宅にお邪魔して大宴会。山の話で盛り上がり、可愛いお孫さんと遊んだりして、日が暮れるまで時間の経つのを忘れて楽しく過ごさせて頂きました。竜田川駅への途中、ふと見ると信貴山の上に空鉢堂の灯りがぽつんと一つ、星のように輝いていました。


今日も冬晴れ矢田丘陵(2012.01.11)

2012-01-12 13:45:24 | 矢田だより

気温は低いがよく晴れた朝。♀ペンを駅へ送った足で、どこへ行こうかと迷いましたが結局は矢田山へ。カメラはおろか水も持たずに全くの空身。写真は携帯で撮ります。

いつものお地蔵さんの辻に車を置いて、9時20分スタート。大石を経て登ります。露ナシ池に張った氷が溶けかけていました。

展望台を過ぎて「まほろば展望所」へ

「まほろば展望所」から東方の眺め。若草山から南へ続く山並み、奈良市街がよく見えました。気温0度。汗も全くかかず快適です(09:55~10:05)。今日はここから南へ歩くことにしました。

南僧坊池にはまだ氷が張っています。水鳥の姿が一羽も見えません。

10:40~10:45 国見台。 高見山は霞み、大台山脈は雲の中でした。松尾山は割愛して下ります。

10:20 矢田寺に参詣して、味噌舐め地蔵さんの下から近畿自然歩道に入って

地蔵さんの辻に帰りました(11:30)。今日は珍しく10人以上の人に出会いましたが、二人連れ二組の他は単独、しかも男性ばかりでした。休憩を入れて2時間10分、歩数計(ケイタイ)の数字13,235歩。


冬日和の金剛山(2012.01.10)

2012-01-11 13:58:19 | 山日記

風もなく暖かな朝。今年はまだスノータイヤに履き替えていないので、道路事情も考えていつもよりゆっくり家を出て、郵便道を登ることにする。御所近くまできても山麓から見る金剛、葛城にはまったく雪がない。室から名柄へでて山麓線を南下。高天から高天彦神社に登る道にも雪の気配がない。神社の駐車場にはいつもは見られない「参拝者用」の張り紙があったので、外の道路脇に置かせてもらい登山靴に履き替える。杉並木の参道を通って…

登山口の高天彦神社に参拝。神殿はお正月らしく飾られ、狛犬の首にも注連縄がつけられていた。
9時35分スタート。

それでもちょっぴり名残雪の残る畑地を抜け、10分ほど舗装路を登って高天滝の前の橋を渡る。ここから山道が始まる。

上の標識の横に、こんな表示があった。高天村の人たちが歴史のある自分たちの山を大事に守っておられる様子がうかがえる。

山頂の社務所へ郵便物を運んだという道だけに、距離は短いが勾配はきつい。32Lのザックで完全な冬山装備できたのに、青空からさんさんと陽が降り注ぎ汗ばんでくる。ちょっと拍子抜けするほどだ。

標高800mを過ぎると雪が出てきた。しばらく登ったが、日陰の斜面が続き滑りやすくなってきたのでアイゼンを装着する。去年使ったX形は鉄製で結構歩き難かったので、今日は久しぶりに軽金属製10本爪。ところが左後部の金具が壊れていた。昨日の点検がいい加減だった報いだが後の祭り。適当に何とか括り付けて歩き出す。

最後の急登り、500段の階段。足元がぐらぐらして捗らず、よちよちとペンギン歩き。雪の好きな♀ペンは颯爽と歩き、もどかしげに見守っている。ようやく登り切ってダイアモンドトレール出合に来ると、「左の靴の踵もおかしいんと違う?」。見ると外れてずり落ちそうなのが、なんとかアイゼンの靴台で引っかかっている。この登山靴も久しぶりに引っ張り出したので点検不足、それ以上に手入れ不足だった。しかし、郵便道は人が少ない(登りでは二人に出会っただけ)ので、格好悪いところは見られずにすんだ。

一の鳥居にくると湧出岳の方からくる人で急に賑やかになる。

急坂を上って仁王杉を過ぎ、正面の石段を登って山頂葛木神社に参拝。12時15分。
新しくなった本殿の千木が金色に輝いていた。

夫婦杉前の急坂を下る。冬用の捲き道が作ってあるが、曲りなりにもアイゼンを利かせてロープ駅への近道分岐から転法輪寺寺務所前へ。錬成会押印所の前には今年もカマクラが作られていた。

国見城址。居合わせた青年に記念写真のシャッターを押してもらった。ライブカメラに写っているかなあ。
広場には、いつもより人が少ない。おかげで、河内平野を見下ろすベンチが一つ空いていた。腰を下ろしてガスコンロで湯を沸かし昼食。風もなく青空から陽が降り注いで、ジャケットを着ていると暖かすぎるほどだ。 その代り、下界は靄がかかったように霞んで展望は今一つ。

広場は雪だるまの展示会場のよう。この人もイヌが好きなんだなあ。

他にも雪ウサギなど、たくさん作ってあった。1時間遊んで腰を上げる。
同じ道を下ったが、アイゼンはますますグラついて歩きづらく時間がかかる。雪が少なくなっても靴の踵が外れているので、そのまま歩き続ける。いよいよ外そうかと思ったとたん、木の根に爪をひっかけて大きく前に倒れる。幸い服を汚しただけで打った所も怪我もなかった。しかし、アイゼンを外すと登山靴の右の踵裏も剥がれているのに気づく。途中で落ちていた紐で片方は縛ったが、ペッタンペッタンさせながらゆっくり下る。昔、合宿の時は、必ず装備係が靴の修繕用にペンチや釘、針金を持っていたもので、人の靴を修繕したことはあるが自分の靴が壊れたのは覚えがない。15時05分、なんとか高天に下って、神社に無事下山のお礼を言って車に帰る。

天気が良過ぎて樹氷は見られなかったが、青空と雪のコントラストが美しかった。ちょっとしたトラブルも、いい思い出になるだろう。