ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

台湾周遊の旅(3)

2013-03-11 09:01:32 | 旅日記

3月4日、台湾2日目の朝は台中のホテルで迎えました。8時頃、ホテルを出発して台中の観光にでかけます。


宝覚寺(正式名は宝覚禅寺)は1928年に創建された、釋迦牟尼仏、薬師仏、阿弥陀仏の三尊を祀る禅宗寺院です。
本堂は大きな屋根に覆われて保護されています。前に置かれたゾウは、仏像がなかった時代に聖なる動物とされた初期仏教の名残りでしょうか?




境内の金色に輝く大仏は未来仏の弥勒菩薩。56億7千万年後にこの世に出現して人類を救済する仏様です。(ちなみに過去仏は阿弥陀如来、現在仏は釈迦如来)。に
こやかな、このお顔は日本では七福神の布袋様としてお馴染みです。


像の高さは30.1m。裏側に入口があり、おヘソは覗き窓、内部は民族文物館になっていますが、現在は修理中で入ることはできません。近づくとその大きさが実感されます。


大仏には触れられませんが、代わりに大理石製の像を頭、耳、肩、腹と撫でると、それぞれにご利益があるそうです。


本堂の釈迦三尊に詣でて外に出ると、


中央下部に見える石塔の中央には、戦時中に亡くなった日本人や台湾出身で日本軍人として戦い戦死した人の慰霊碑があります。お墓なので写真は遠慮しましたが、お墓の前には線香ならぬ火の付いたタバコが烟を上げていました。「それからのちは一本の 煙草も二人で分けて飲み…」軍歌「戦友」を思い出しました。右の建物は約1万4千人の遺骨が納められている納骨堂です。


宝覚寺をでて次の観光地・日月潭へ向かいます。


ビルの上に鎮座する神像を見ながら台中市内を走り抜けて…


日月潭(リーユエタン)に着きました。標高750m地点にある台湾最大の湖です。


湖を見下ろす文武廟には孔子、武聖関公(関羽)、開基神明が祀られています。


この廟は日本統治時代に日月潭ダム建設で沈むことになった二つ村のお堂とお宮を移築して出来たものです。1969年、中国北朝宮殿形式の美々しい形で再建されました。


建物が真新しいのは、1999年の大地震で損壊したのを2003年に再建したためです。金色の鈴がずらりと並んで吊るされています。何かの願掛けでしょうか?


参拝者が次々にご本尊にお参りを済ませ、お神籤を引いていきます。これには決まった作法があって、日本のように簡単には行かず一寸面倒です。


まず、この三日月形の二枚の木片を持って神様に姓名と生年月日を告げて自己紹介。次に神様に聞きたいことを念じて、木片を床に投げます。


このように裏と表が出たら「お神籤を引いても良い」という神様の許可がでました。表と表、裏と裏ならダメのサイン。三回までトライできます。


下の長い棒が入った筒を持って振っていると、あ~ら不思議…一本だけ浮き上がってきます。棒には番号が書いてありますが、その番号で良いか再度、木片を投げて確認。表と裏でなければ引き直し。神様のお許しが出たら抽斗(引出し)がずらりと並んだ箱から自分の番号の紙片を引き出して、解説所で説明して貰います。ああ~しんど…。


お廟の前から日月潭を見下ろしたところです。湖畔には果物や小吃を売る屋台が並んでいます。左の丸い球を抱えた唐獅子も湖を見ています。


下へ降りるとこんな感じです。


この湖の名前については「真ん中の島を境にして北側が円形に近いので日潭、南側は三日月形なので月潭と呼ばれる」というのが定説です。文武廟のあるのは南側で、月潭はちょうど右の付きだした岬の裏側になります。
 
しかし或る台湾のBLOGでこんな文章を見つけました。
遊水裡社記云:「其水不知何來,瀦而為潭,長幾十里,闊三之一,水分丹碧二色,故名為日月潭
漢字字典によると「闊」には「間があいている」という意味がありますので、「三つの隙間のうちの一つが水を朱色と碧い色に分けているので日月潭という名になった」と素人が解釈してみましたが、水が朱色にはならないですよね。
別のBLOG(台湾ing)には「夕暮れ時が美しく、秋に見られる日月潭の夕焼けは台湾八景の一つに数えられています」と記されて真っ赤に染まった湖の写真が載せられています。ひょっとすると時として「丹碧二色」の光景が出現するのかも知れません。
 残念ながらこの日はどんよりした曇り空で、湖面は鉛色の空を映していました。