ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

大和民俗公園の民家群(3)

2010-02-27 12:47:48 | 矢田だより


今日は国中集落にご案内しましょう。



国中(くんなか)とは大和国で盆地(奈良盆地、大和盆地)に当たる場所をいいます。
これに対して山間部を山中(さんちゅう)と呼ぶこともあります。



左が旧吉川家住宅、右が旧萩原家住宅です。



旧吉川家。現在の橿原市中町にあった住居の寄贈を受け、復元したものです。
屋根は元禄年間に建築された当時の「入母屋造り」に復元されていますが、移築前は
両妻に卯建を立てる「大和棟」だったそうです。



吉川家は旧中村の西端にあった自作農家で、内部は江戸中期の国中民家の代表的な
「四間取り」になっています。
写真左手前が「みせの間」その奥が「ざしき」、右手が台所、その奥が「なんど」です。



台所前の土間にあるカマド
写真右手が入口で、お釜のある後ろは「しも店」といって機織りなどをしたところ、
中二階は厨子(ずし)になっています。



旧西川家土蔵。
現在の天理市二階堂で、奈良と橿原を結ぶ旧街道に面して庄屋を務めた家柄です。
西川家には米蔵、高蔵、北蔵の三つの土蔵がありましたが、これは高蔵で衣類や
食器などを収納していたものです。

信貴山朝護孫子寺へ(続き)

2010-02-25 10:04:20 | 旅日記
赤門をくぐると道は二手に分かれます。右は千手院へゆるく下る道。
左手は本坊、護摩堂、宝寿橋へ続きます。
三宝堂の前で再び合流した参道は、虚空蔵堂手前から多宝塔を経て、赤い鳥居
の続く長い階段道で山頂の護法空鉢堂への登りになります。
山頂の様子などはこちらをご覧ください。



いつもは山頂へ登るのですが、今日はヒザをかばって本堂へお参りして引き返し
ました。



千手院への下り道です。右に石造十三重塔が見えます。



千手院境内の寅。とても笑っているようには見えない怖い顔…



千手院横の「三寅胎内くぐり」
長~~い胴体の途中に燈明を灯した祠があります。また、足元は西国八十八ヵ所の
お砂踏みを象っています。



赤門近くの石のトラ。(灯篭の裏側で、ちょっと分りにくい所にあります)
足元には奉納された小さい金属製の寅。なぜかイノシシが一匹混じっていました。



可愛い子寅たちに別れを告げて、信貴山を後にしました。



いつものお土産「寅まんじゅう」
あっさりした漉し餡入りカステラ饅頭で、二人とも大好きです。

信貴山朝護孫子寺へ(2月24日)

2010-02-24 21:58:00 | 旅日記
真っ青な空から暖かい日が降り注ぎ、なんと5月の暖かさになりました。
昨年、紅葉の時期以来の信貴山までは車で30分強です。



信貴大橋たもとの駐車場に車を置きました。
遷都1300年祭で都の西を守護する位置づけの「白虎」が出迎えてくれました。



信貴大橋からみた開運橋。後ほど渡ることにします。



まず仁王門へ。信貴山の山門ですが、この場所に移転したのは大正11年(1922)です。



仁王門から見た本堂。左の盛り上がったところが空鉢堂のある山頂です。





橋上から信貴山。幟は新しいシンボル「しぎとら君」


いったん対岸に渡ったところです。



橋を渡り返し少し進むと絵馬堂があります。古い絵馬がたくさんかかっています。
現在は休憩所として使われていて、大勢の人がお弁当をつかっていました。
絵馬堂の横から右の谷へ下る形で、剱鎧護法堂への道が分れています。



無病息災、病気全快の霊験あらたかな神と聞いて初めてお参りします。
途中から赤い鳥居が並ぶ中を通りぬけて、お参りをすませました。



元の道を登り返し参道に帰ると、すぐに大寅「世界一の福寅」に出会います。
阪神タイガースの優勝を祈念してVサイン!



昨年美しく塗り替えられた赤門をくぐります。(続く)

今日の大和民俗公園(2月23日)

2010-02-23 20:31:32 | 矢田だより
昨22日、二人で公園を歩いていると知り合いのご夫婦にであい、
「奥さんのお相手では物足りないでしょう」と言われました。
「いえいえ家内は私の付き添い兼トレーニングコーチです」と、
事情を話したのですが…

今日は火曜日恒例になった独り歩きです。曇り空からポツポツ雨も
落ちる朝でした。正面入り口にはシダレウメが咲いていましたが、
カメラもケイタイも持たなかったので残念でした。



午後になって青空が広がってきたので、もう一度、公園に行きました。



汗ばむほどの暖かさになりました。シダレウメも朝より開いたようです。





梅林のウメも五分咲きに近くなりました。



このまま春になってくれるといいのですが…。

富士山の日(2月23日)

2010-02-23 17:27:40 | 旅の想い出
今日は223で「富士山の日」だそうです。
以前に見て頂いたものですが、期限が切れたのでもう一度UPしました。

デジブック 『富士百景』


昨日は22222で「ネコの日」だったとか…
婚活期間が過ぎて、ようやく静かな夜を過ごせたと思いきや、昨日は
庭に気持ちよさそうに大きな奴が寝ていて、♀ペンが「ギャッ」と
悲鳴をあげました。

大和民俗公園の民家群(2)

2010-02-22 09:26:06 | 矢田だより


次は旧臼井家へご案内します。
臼井家はもと高取町上土佐にあった19世紀に建築された町屋です。



軒先に吊るされた杉玉でお分かりになるように、臼井家は伊勢屋という屋号で酒
や醤油を売るお店でした。
しかし高取藩の公用伝馬を勤め、町の大年寄役でもありました。



写真右手の入り口から見えるのが土間で、その左に店の間、次に中の間と続きます。
左端の格子構えになっているところ二間は奥座敷です。



土間奥にあるカマド。



土間を通り抜けると井戸があり、その向こうに白壁の内蔵が見えます。
二階建で大事な品物や道具類を収納しました。



美しい絵柄の屋根瓦ですが、何かの飾りだったのでしょうか?

今日の大和民俗公園(2月20日)

2010-02-20 14:59:37 | 矢田だより
少し風はあるもののよく晴れた土曜日です。
家族連れで訪れる人が多く、熱心に小鳥の姿を探す野鳥観察グループもありました。



リハビリのウォークを終え、梅の香りに誘われて梅林へ



花の匂いを楽しんでいるところ



ハクモクレンのツボミガ大きくなりました。
春の足音が次第に大きく聞こえてくるようです。



大和民俗公園の民家群(1)

2010-02-20 10:09:36 | 矢田だより


公園内には大和各地から移築・復元された古い民家が四つのゾーンに分かれて
展示されています。



公園正面入口を入ってすぐ左にある町屋集落。



左側が旧鹿沼家住宅、右は旧臼井家住宅です。



鹿沼家は文化9年(1812)建築の大和高田にあった民家で、切妻造り二階建、屋根は桟瓦葺
です。



どの民家も内部を自由に見学できます。これは居室部分



鹿沼家は代々「米屋冶兵衛」と名乗って米屋を営んでいました。
土間を店と奥に仕切る敷居を跨ぐと…



奥の住居部分の土間です。
今日は管理のためにカマドに火が入り、煙が立ち込めていました。

註・民家群の項の説明は、すべて各民家の説明板を参考にしています。

長谷寺の帰りに…

2010-02-19 10:12:46 | 四方山話
先月、郡山杉町に開店したばかりの「鳴門鯛焼」で「たい焼き」を買いました。



一匹づつ焼く「一丁焼き」で、皮がパリッとしていてアツアツがとてもおいしかった!
小豆餡と鳴門金時芋の餡(左の尻尾からはみ出している)の二種類ですが、♀ペンは
やっぱり女性ですねえ…「芋あん、美味しかった」。かくいう変愚院も芋餡は珍しく、
美味しく頂きました。



「たい焼き」で思い出すのは、2007年10月に倉吉で買った「一口タイ焼き」です。



こんな可愛い(上は眼鏡のケース)にミニの鯛が10匹入って400円です。
お腹のアンコは小豆の他、クリーム、ブルーベリーなどいろいろ。
ミックスは途中で平らげて、これは、家まで持って帰ったおすすめの黒豆餡。
帰ってからレンジで温めて食べても、とても美味しかったです。