ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

京セラドームもサクラ咲く!(3.29)

2008-03-29 17:45:46 | Weblog


開花宣言から3日目。富雄川沿いのサクラはもうこんなに開きました。



昨夜開幕のセ・リーグでも、わがタイガースは横浜に連勝!



今日の投打の立役者。初勝利の岩田投手と3安打、うち一本はHRの金本選手。



HRを打った瞬間(NHKTVより)
終盤は胃の痛くなるような試合展開でしたが、金本のファインプレーもあって、まずはめでたし、めでたし。
今夜も美味い酒が飲めるぞ~~。

三日見ぬ間の…(3.26)

2008-03-26 18:30:46 | 花日記
10日ぶりの大和民俗公園。梅林のウメはすっかり盛りを過ぎました。



これは珍しい、一本の枝に紅白の花をつけた梅の木。



ウメに代わって桜の季節。カンヒザクラが満開です。



彼岸桜(エドヒガン)も姸を競っています。



池に影を落とすハナモモ。



傍まで行って見ました。



ツクシの坊やも顔を出しました。


春うらら宝珠山(続き)

2008-03-24 10:00:31 | 山日記


緩いアップダウンで151mPを越して、サザンカの花の香りにむせるような道を下ります。
コルから標高差100mを登り小島との分岐に来ると急に道が細くなって、帰りが思いやられる急なジグザグの下り。



再び登り返す灌木帯の道は踏み跡が入り乱れて分り難い。
点名「高代」280.3m三角点は暗い林の中で、横に炭焼き窯あとの窪みがありました。



少し先へ灌木を分けて行くと笹原に露岩が散らばる所があり、すばらしい大展望が広がりました。
ゆるやかにカーブする千種川。高瀬舟着き場のある旧坂越橋が手前に見え、われわれの渡った坂越橋は二つ目になります。
川向うには御鷹台山から高山に続く低い山の連なりも見えます。
腰をおろして缶ビールで喉を潤した後、ランチタイム。



分岐に帰り一息入れて小島に向かいます。
海を見下ろす明るい尾根道は二つほどコブを越して高度を下げて行きます。
小島集落に下り、磯の香りを満喫しながら坂越湾沿いにR458横の歩道を歩きました。



しばらく行くと「海の駅しおさい市場」がありました。
ここのレストランでは新鮮な魚や貝を炭火で焼きながら味わえます。
カキを焼いて生ビールで乾杯、蒸したカキも美味しかったです。



港から坂越大道に入り、白壁の郷土館や妙道寺などの町並みを駅に歩きました。
久しぶりの海を見ながらの楽しい山歩き。
青春18キップまで手配して案内してくれた山の友Uさんに心から感謝します。



お土産の焼きアナゴ
 


春うらら宝珠山(3.22)

2008-03-23 20:23:56 | 山日記
宝珠山は赤穂市の古い港町・坂越の背後に連なる丘陵の一ピークです。
この山は4度目というUさんに案内してもらいました。



千種川にかかる長い橋の上から。
テレビ塔の立つ打越山、その左に緑の少ない280m峰が並んでいます。



坂越の古い街並散策は下山後に回し、妙道寺裏の細い道を登ります。
途中にある大避(おおさけ)神社に参拝しました。
新旧たくさんの絵馬や舟の模型(♀ペンの頭上)が奉納されています。
奥はお祭りに使われる船です。



「天コウセンを空しうする勿れ、時にハンレイ無きにしもあらず…」という古い唱歌をご存知の人は、もう少ないでしょうね。
南朝の後醍醐天皇に味方した児島高徳(コジマタカノリ)のお墓に詣でました。



行基菩薩開山の妙見寺観音堂から見る坂越湾。
目の前の生島(いきしま)は、全体が自然樹林でおおわれ、舟まつりの登御が行われるところです。



ミニ西国八十八ヵ所石仏の並ぶ山道を登っていくと、さらに美しい風景が開けます。
ゆるやかに流れる千種川と坂越の町並み。遠くは赤穂の市街地が見えます。



テレビ塔の立つ打越山から緩やかなアップダウンで着いた宝珠山頂。
残念ながら樹木に囲まれていて展望はありません。(続く)

エベレストから百名山へ(3.18)

2008-03-19 13:51:43 | 人との出会い・本との出会い
昨3月18日、東大阪市にある大阪府立中央図書館で、毎年恒例の日本山岳会関西支部主催「著者と語る会」が開かれました。



今年の講師は、表題の本の著者で関西支部長・重廣恒夫氏。
山登りを始めた動機となった子供の頃の昆虫採集の話から始まり、高校、大学そして社会人と登山を続けてこられた足跡…



とりわけ南西壁、北壁、交差縦走と三度にわたるエベレスト遠征と登頂の話は圧巻でした。
ヒマラヤ登山はじめ登山界の現況と、われわれ登山者が心すべき点を示唆されて話がおわったあと、隣接する東大阪市役所22階の展望レストランで著者を囲んでビールと軽食で話が弾みました。

なお中央図書館では23日(日)までの間、関西支部寄贈の山岳図書をはじめ、図書館所有の山岳書、また重廣支部長のヒマラヤの写真、支部会員の写真やスケッチなどを特別展示中です。

生駒越え余談

2008-03-17 17:24:31 | 四方山話
昨日の生駒越えでは新しい発見がありました。



鳴川集落の辻にある鳴川地蔵笠石仏・通称「ゆるぎ地蔵」。
祈願すれば病気が「ゆるぐ」ということでこの名があるとか。
「弘安四年辛巳五月日 願主快尊」の銘があり、制作年代の分かっている秀作だそうです。
弘安四年(1281)といえば「元寇」の年。なぜ覚えているかといいますと
「四百余州をこぞる十万余騎の敵 国難ここに見る 弘安四年夏の頃」という「元寇」の歌の記憶があるからです。
齢をとると昔のことは案外よく思い出せるものです。



千光寺の本堂への石段両側にずらりと並んだ役行者像。



千光寺を元山上というのは、役行者が大峯山を開く前にここで修業したからです。



暗峠で発見した「和州矢田山出迎地蔵尊」のお堂。
前に「矢田山(山号)二里」の道しるべと「おかげ燈籠」
矢田寺から、こんな遠くにまでお出かけとは…




枚岡神社の狛シカ。これは左側の♀鹿で右側には♂鹿がうずくまっています。
手前の手水鉢の水は、春日大社のものと同じで、鹿が咥えた巻物から落ちていました。
神社の紋は下がり藤。ここは「元春日社」といわれ、春日大社より古い社だそうです。

元山上に元春日。こんなことからも、大阪と奈良は古代から縁が深かったことが分かります。

大原山(3.16)

2008-03-16 21:22:51 | 山日記
快晴の日曜日、何十年振りかの生駒越えで枚岡梅林へ行きました。



元山上口まで電車で行き9時スタート。
山口神社に参拝(9:15)、千光寺の行場を少し歩いた後、千光寺へ後戻りしました(10:00~10:10)。
長い石段を登ってお参りを済ませ、ふたたび行者道へ…



なだらかな沢沿いの道から、少し登ると鳴川峠(10:55)。
縦走路を登って、大原山<522m>の山名板のある広場に着きました。
朝から写真を撮るときが休憩のノンストップで歩いて昼食(11:15~11:50)
春の陽射しにビールが美味しかった!
三角点を探して、ドライブウェイ駐車場の方へ少し下ります。



三角点広場「大原山・522m」の標識がありましたが、国土地理院の地図では514.2m四等三角点のはず…。一体どうなっているのか?(12:00)



石畳の美しい暗峠(12:10)。ここで新しい発見がありました。
詳しくは後ほど…



大阪側に下りる途中、初めて神津嶽(315m)を訪ねました(12:40)。
ここは枚岡神社が今の社地に移るまで、なんと奈良時代前からの祭祀の場所だそうです。



大阪側は傾斜が急で、登ってくる人はみな苦しそうです。
快調に梅見の人で賑わう枚岡梅林に下りました(13:10~13:25)。
枚岡神社にお参りして、枚岡駅13:35着で行動終了。

疲れも感じない10キロの、楽しい山越えハイキングでした。