ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

この日・あの山 (1月20日)

2017-01-20 05:00:35 | 山日記

1998年1月20日 葛城山 <省略>

2009年1月20日 伊勢・朝熊ヶ岳(和子と)

伊勢志摩国境に位置する朝熊ヶ岳(555m)は神宮の鬼門鎮守、また死者の鎮魂の場とされた信仰の山である。「伊勢に参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と言われ、低山ながら日本名山図会にも描かれた。一等三角点は最高峰の経ヶ峰山頂より西650mにある。伊勢参宮を済ませ伊勢志摩スカイラインに入る。ゲートの人は余程話好きなのか、それとも暇なのか、私たちが山に登ると聞くと「頂上まで車で登れる」と詳しく分岐の説明をしてくれた。寺から歩くと「3~40分はかかりたいへんですよ」ということだった。好意はありがたいが、竜王社への分岐を見送り、金剛証寺の駐車場に車を置く。

仁王門の石段を登って境内に入る。赤い太鼓橋が美しい姿を写す池があり、茶店横の広場にザック姿の団体が群れていた。その横を通り抜け、さらに一段高みにある本堂にお参りする。右手の奥の院への道に入ると、眼病にご利益のある明星堂があり、金網を張った井戸に目を写して祈願する。さらに進むと大きな冠木門があり、その下に「八大竜王・経ヶ峰参詣道」という背の高い標識と近畿自然歩道の道標が両側に立っている。門を潜り、右手下に卒塔婆の群れを見下ろしながら、山道にに入る。

ごろごろした小石の転がる急坂と、勾配のやや緩い道が二度ほど交差すると左100mで経塚群、直進は岳道を示す道標がある。この岳道は古くからの金剛証寺への参詣道で、峠までは各山麓の村からいくつかの岳道が通じている。やや遠まわりになるが経塚群を経て行く。

短い急登で林を抜けると、「国史跡・朝熊山経塚群」の柱が立ち、枯れたススキの穂の中に五輪塔や多宝塔などさまざまな形の石塔が散在している。この冬の枯れ野の風景は、あまりにもうら寂しく、もの悲しく、不気味でさえある。何枚か写真を撮って追われるように先を急ぐ。緩く登りつめて少し下ると、左から伸びてきた舗装路に出た。有料道路ゲートで聞いた車道のようである。

少し登ると左からの別の舗装路と合流する。ここの分岐は変形の十字路になっていて、山頂まで300mの標識がある。右は寺へ下る道だが、斜め左は舗装の車道、直進する形の地道はどちらも山頂に通じている。山道は急坂ではあったが、ひと頑張りで竜王社の建物横に出た。回り込むと広場になった山頂で、並んだ鳥居の奥に八大竜王社、

その西側に山頂碑が立っている。地元有志の浄財によるというが、正面に「朝熊ヶ岳山頂」、右側面にこの場所の緯度経度と標高、左側面には「一等三角点は直線で西650m」にあることが記された、赤色石製の立派なものである。

広場の反対側には無線中継所の建物と電波塔がある。ベンチに腰を下ろし、東に拡がる伊勢湾を見下ろしながら午後のコーヒーを楽しんだ。

少し歩き足りないので、予定通り一等三角点まで往復する。広場西側の小径を下っていくと、左に踏み跡が何箇所か分れるが、ともかく直進する。舗装路と合流して、すぐまた林の中に入る。クロモジ、サカキ、アカガシなどの林の中で、下草にはウラジロが多い。再び舗装路に合流したところはT字路になっていて、右手から「朝熊岳道」が登ってきている。

ここが朝熊峠で「二十二丁」を示す町石とお地蔵さん、その上が台地には竹製のベンチが置いてあり、北側の展望が大きく開ける。

湾に流れ込む河口や点在する近くの町が見えたが、帰ってから調べてみると、川は五十鈴川で二見ヶ浦辺りの景色のようだった。

更に真西へ続く、今度は宇治岳道を進む。所々で古い石垣に囲まれた森もあり、内宮から続く道と聞くと、思いなしか神々しい雰囲気が漂う。猟犬が騒ぐ一軒家の前を通り、地図にはない電波塔の立つ小広場にでる。三角点は確かにこの辺りで、その先は下り道になる。うろうろ探すうちに、♀ペンが右手の小高い処に登って三角点を見つけて、少し鼻を高くする。一等だが無展望で殺風景なので、記念写真を撮ってすぐすぐ引き返す。念のため、ずっと舗装路を登るが思ったより登りでがあった。道の両脇には木の名をつけた札が付けられている。アサマリンドウの花はここで発見されたそうだが、アサマツツジの名札もあった。分岐にきて右の地道に入り、なだらかに下る。やがて経塚群分岐で登って来た道と合流。後はあっという間に、冠木門に帰る。

左の奥の院へ向う。車道が勘吉台展望台に向かって右に大きく曲がるところで、逆U字型の白い門の上に赤い建物がついた極楽門を潜る。

その先は両側にずっと背の高い卒塔婆の列が続く。『江戸期以降、宗派を問わず葬儀ののちに朝熊山に登り、金剛證寺奥の院に塔婆を立て供養する「岳参り」「岳詣(たけもうで)」などと呼ばれる風習がある』(Wikipedia)。今も近在ではこの風習が守られているようで、新しいものではまだ一か月も経っていない、今年に入っての日付の卒塔婆もあった。故人の愛用の品や、花束などが供えられ、ここもなんとも寂しく不気味な雰囲気だ。

ずらりと並ぶ卒塔婆の通路を急いで抜けて奥の院に詣り、すぐに引き返す。

開山堂の前の空海が掘ったという蓮間池や、庚申堂などを見て仁王門を潜る。内側には仁王ならぬ観音像が安置されていた。曇り空だったが展望もまずまずで、見所の多かった山歩きに満足して、今宵の泊まり相差の宿を目指した。

*過去の今日はどこの山に登っていたかを振り返ってみました。このシリーズは新しい山行報告ではなく、かなり古い記録や写真も含んでいます。山行の際には、必ず最新の情報をご参考ください。* 



1 コメント

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一等三角点、天測点 ()
2017-06-03 17:34:16
初めまして、
朝熊ヶ岳555m山頂へ行かれても一等三角点478.0mへ行く人は少ないですね。
一等三角点のところは少し藪っぽく寂しい場所ですが、横に大きな八角柱(高さ約1.5~2.0m)のコンクリート土台を見られたかな? 天測点(一等三角点の中で全国48ヶ所)の測定器を載せる土台です。現在は天文台観測所に変り測量されてません。天測点は各県ほぼ1個ですが大阪・奈良・滋賀にはなく兵庫・京都が2個あり京都は次の日記の鷲峰山一等三角点横にありここでも八角柱土台見てないかな。
藪ぽくなっているが、近鉄朝熊駅からハイキング道を(ケーブル跡)登ると「二十二丁」の朝熊峠に出ますが、ケーブル山頂駅は一等三角点の北側になります。
京都愛宕山と同じで古くに廃止になっており鉄塔・トンネルなどが残ってますね。
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