ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

城下町・大和郡山散歩(紺屋町)

2012-04-29 19:48:17 | Weblog


紺屋町は豊臣秀長が郡山城主だった時代に始まった、藍染めを職業とする人々が住んでいた職人町です。
町の中央を幅1メートルほどの紺屋川が流れています。東西209mの間に150軒近い家屋が軒を連ね、13軒の紺屋がこの水路で染め上げた布や糸をさらしていました。



その様子を今に伝える箱本館「紺屋」さんを訪ねました。
江戸後期の元藍染屋「柳宗」の建物です。「箱本」とは町中の自治組織のこと。治安、消火、伝馬などの任務を課せられる代わりに地子(土地に対する課税)を免除されていました。ここ紺屋町を含め「内町十三町」で始まりました。



入館するとまず大きな藍ガメが目につきます。



復元された「染め場」



同じく復元された「くど」(かまど)。この土間を通り抜けると奥に藍染工房があり、藍染めの体験もできます。



土間から「図書コーナー」を見たところ。座敷にあげて頂きました。



染織の道具や染め糸の見本など、藍染めに関する多くの資料が展示されています。



染織に関する資料を集めた図書コーナー。



その奥の枯山水のお庭です



「紺屋」のもう一つの見どころは「金魚コレクション」です。大和郡山の名産「金魚」をデザインした古今の美術工芸品を展示しています。
これは「帯留」



江戸時代の「印籠」。最初は印鑑を入れていましたが、主に薬などを入れるのに使われた携帯用の容器です。
印籠を帯に留めるための小さな飾りが根付です。



根付(上の段)は印籠以外にも矢立や煙草入れにも使われて、ごくごく小さいものに細かい彫刻を施した日本独自の工芸美術品として発展しました。「昔の携帯ストラップ」といううまい説明がありました。下の段は刀の鍔(ツバ)。



細かいといえば、この留め金具。とても可愛い金魚です。



七宝焼や赤膚焼の壺。もちろん絵柄は金魚です。



「景秦藍魚瓶」約400年前の金魚瓶という説明がありました。



中を除くとこの通り…。このコレクションは適宜、入れ替えられて展示されています。

(続)元気大和っ子まつり

2012-04-29 16:51:16 | Weblog
「昭和の日」の今日も良いお天気。昨日に続いて五月人形を見に、郡山市内中心街へ行きました。





これは洞泉町の「源九郎稲荷神社」の五月人形







この3枚は、昨日も歩いた柳町商店街の南側にある「北谷呉服店」の五月人形です。
今日は市内の旧跡や見所も見て回りました。その様子は別に見て頂きます。

元気!大和っ子まつり

2012-04-28 20:17:20 | Weblog


大和郡山市では5月6日まで「元気!大和っ子まつり」が開かれています。今日はその一部を見てきました。



3月の「大和な雛まつり」と同じように今年から始まった、市内中心地の各施設やお店で五月人形や兜などの飾り、鯉幟などを展示して見巡ってもらい町の活性化を図る試みです。





ここまでは「まいどホール(大和郡山市商工会館)」の展示です。



紺屋町「箱本館・紺屋」の五月人形



紺屋町「お土産処・こちくや」の店先。ちなみに「こちく」は豊臣時代の郡山藩主・秀長(秀吉の実弟、100万石)の幼名「小竹」です。





柳町商店街「柳楽座」の五月人形



柳町商店街「成駒」の五月人形。3月の「大和な雛まつり」でもご紹介したお魚屋さんの店先です。



最後に我が家の兜です。変愚院が御幼少の折の立派な三段飾りは、どうなったのか記憶にありません。

新緑の季節へ(2012.4.27)

2012-04-27 19:01:28 | 今日の大和民俗公園




快晴の空から暑いほどの陽光が眩しく降り注いでいます。サトザクラも散り始め…



タンポポの花が一面に黄色の絨毯を敷き詰めたようです。



こちらはムラサキサギゴケのカーペット



「里山の道」ではヤマツツジや…



モチツツジ



ガマズミも咲いていました。



もう一度、下の道を歩きます。ドウダンツツジが満開。



ヤマブキや…





キリシマツツジが咲き始め、



麦の穂が顔を出し始めました。季節は新緑が目に染みる候に移っていきます。

お土産奇譚

2012-04-27 10:00:15 | 旅の想い出
中国へは何度か行きましたが、目的地への中継地点として成都に三度訪れました。
最初は2001年、四川省の太姑娘山(タークウニャンシャン 5025m)へ登頂した帰りです。その時の7月31日の日記…



『午後、蜀漢の宰相・諸葛亮(孔明)を祭る「武候祠」へ。「武候」とは孔明の贈り名・忠武候にちなむ名であり、主君・劉備玄徳廟と合祀されている。広大な境内を、三国志の世界に思いを馳せながら見て回った。次に「杜甫草堂」へ行く。詩聖が安史の乱を避けて長安から成都に移り、郊外に建てた草堂である。杜甫は4年間をここで過ごし、多くの詩作を残したという。「武候祠」「杜甫草堂」どちらもたくさんの人で賑わっていた。』

次は2006年5月、ラサへ行き、4,999mの峠カンパ・ラを越えてソムドク湖を訪ねた帰りに寄りました。




(これが杜甫の隠棲した庵)



『武候祠はライトアップ効果が良くなって見やすくなり、少人数(註.変愚院夫婦と友人の幸ちゃん、北京で合流した恵那市の青年の計4人)なので雷鳴君(註・スルーガイド、実名である)の説明も良く聞き取れた。杜甫草堂には新しく博物館ができていて、その裏の「珍宝殿」で飾り棚に入った9種の珍宝の説明が長々とある。』
この説明をした人は日本人で「大阪(の?)大学に勤めていて中国美術研究のため成都に滞在している。飾り棚は黒檀製で、これだけでン十万円する。一つ一つの玉の器や壺などにはそれぞれ由緒があり、名工の手によるもの」だそうだ。


(奥に見えるのが博物館)

『何か変だと思っていたら、「5月いっぱい期間限定で」一式120万円で販売しているので、四川省教育援助のため協力してくれという。翌日、「あれを買った人がいる」と飛行機で隣に坐った別のグループの人から聞いた(「ほら、あの人よ」と後姿を教えて貰いました)。「お宝好き」もいるものだと驚いた。』

三度目は2010年8月です。九寨溝、黄龍を訪ねる前に一泊した成都は、最初に来た時とは見違えるような近代都市に変貌していました。この時は少し詳しく日記に残しています。

『26日 午後は「武侯祠」に行く。「武侯」とは、三国志で名高い劉備の軍師「諸葛亮(孔明)」に死後贈られた贈名である。成都はかつて彼が長年働いた都市で、そして5回も魏国北伐に出発した都市なので、当初はここより西に離れた所に「武侯祠」があった。ここは、もともと劉備の墓と廟があったところだが、明の時代に「君臣を合祀するべきだ」という考えによって、合併されて現在の形になった。したがって正門の上の字は、劉備玄徳を祭る「漢昭烈廟」で、これが正式な名称である。(中略)』



「武侯祠」入口をくぐる。先年の四川大地震の影響があったようで、内部でまだ補修作業が行われていた。劉備が「三顧の礼」を持って迎えた名軍師・諸葛亮(字は公明)の像は、『鵞鳥の扇子を持つ智者姿で、中国人のもっとも馴染みの深い諸葛孔明のイメージという。



赤い塀と煉瓦の道が、劉備の墓へ続いている。赤い色は魔よけということで、竹の緑と美しいコントラストを見せる道である。





劉備玄徳の墓と伝えられる塚は高さ 12m、周囲180 m。劉備が病死した白帝城は、三峡付近なので成都から 1000キロも離れている。果たして遺体がここへ運ばれて埋蔵されたかは疑問で、一説には衣服だけが納められているという。発掘が許されないので真実は謎に包まれたままだ。



見学を終えて出口までの間にある「博物館」に入る。各時代の珍しい美術品が展示されているが、学術員が説明を始めると中央の何段かに分れた棚に明りが灯った。

2006年に杜甫草堂の「博物館」で出会ったのと同じ状況だ。案の定、「四川大地震で博物館も被害を受け復旧の費用捻出には入場料収入では足りない。展示品は売り物ではないが、寄付してもらったお礼に差し上げることはできる。この珍しい細工物はいくらすると思うか?この辺りは北京や上海と違って田舎で、細工する人の賃金が安いので6万円でいい。」この販売方法は中国の他の都市でもあるそうだ…。』

これら「お宝」は「撮影禁止」の博物館内に保管されているため、写真で見て頂けないのが残念です。

ペルーのお土産

2012-04-25 17:03:05 | 旅の想い出


ツァーで一番時間を持て余すのがショッピングタイム。中には買い物が楽しみで旅行される方もあるので仕方ないとはいえ、ブランドものや贅沢品で身を飾る趣味はないし、余ったお金はまた次の旅行に…というのが二人の基本的な考え方です。
で、買い物は自分用と身近な人へほんの少しだけ…これは少し古い話題になりますが、3月のペルー旅行の時のお土産です。



定番のチョコレート。マチュピチュを描いた外箱が気に入ったし、ピスコ入りというのが嬉しい。
ピスコは毎日のように食前酒として出てきた、ペルー原産のブドウ果汁を原料とした蒸留酒。甘くて飲みやすいがアルコールの度数は高いお酒です。



こちらのチョコレートはルクマ入り。ルクマは高さが10~20メートルにもなる木で、直径10センチほどの緑の実をつけます。熟すと茶色になりますが、生で食べるほかアイスクリーム、ヨーグルト、プリンなどいろいろな食べ物に使っています。また薬の原料にもなります。



アルパカ(リャマ?)の形をしたクッキー。



ペルー柄の袋に入った塩。クスコから車で1時間半、アンデス山地標高3200メートルにあるマラスの棚田で採れる天然塩。天日干しでインカの時代から作られていたそうです。英語で「Pink Sait」と書いてあるように、淡いピンク色をしていて、ほんのり甘くて丸みのある味。値段も手頃なのですが、ただお土産としては重いのが欠点です。



左はオカリナ。右はサンポーニャ。フォルクローレでお馴染みの楽器です。



毛糸のアルパカと金属製のリャマ。どちらも海抜3,500~5,000mメートルのアンデス高原で放牧されているラクダ科の動物でよく似ています。違いは大きさだと教えられましたが、実は私達にはいまだに区別がつかないのです。(人形になってしまうと尚更です)。



アルパカの指人形。ひとひとつ手作りなので、それぞれ表情が違います。



ナスカの地上絵を描いた石。地上絵のそれぞれを誕生月の星座にあてて購買欲をあおっています。サルは干支にあっても星座にはないと思いましたが、なんと変愚院の誕生月の蠍座のものだそうです。ハチドリは石の形が微妙に面白いので買いました。みんな集めると面白いけど、重いので…。



「トリート・デ・プカラ」
陶磁器のウシ。沖縄のシーサーのような家の守り神です。雌雄一対を屋根の上や家の柵などに置きます。信仰心を表すために中央に十字架を立てたり、火事除けのまじないに下に水壺を置いたり、神様用にチチャ酒を置いたり、いろんなパターンがあります。壊れないように持ち帰るのに苦労しました。



フォルクローレのCD。残ったソルを使い切るのに、リマの空港で買いました。
あとでビデオやスライドショーのBGMに使うための私のお土産の定番です。フォルクローレの定番は、やはり「コンドルは飛んでいく」で2曲入っていました。

いつもご覧頂きありがとうございます(お願い)

2012-04-25 09:06:50 | Weblog
いつも当BLOG「ペンギン夫婦の山と旅」をご覧頂き、ありがとうございます。

BLOG設置者(goo)の方針で、画像サイズの変更が行われたことがあり(現在は一部不具合があり復旧)、このBLOGでもサイズ変更を行いました。
現在、画像は 640X640ピクセル で UP しています。メニューバーの「表示」→「拡大(z)」を100%にして頂ければ、適度な大きさで表示されると思います。なお、文字が見難い場合はおなじく「表示」→「文字のサイズ(X)」で調節をお願いします。

また、各記事の最下段に表示されていました「キーワード」欄は表示されないようにしました。これは私のBLOGに関連する他のBLOGを「GOOが選出して」表示するものです。私の意志は全く反映されないため、どう見ても関連性がないものや中には不適切と思えるものもありましたので、表示しない設定にしました。

これからも当BLOGをご高覧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

タイのお土産

2012-04-24 19:45:04 | Weblog
タイ・プーケットから里帰りしていた娘と孫が、今日、日本を離れました。



これは一ヶ月前に帰ってきたときに持ってきたお土産です。
上左は「かっぱえびせん」風のお菓子。上右は「雀の卵」によく似た「Koh-Kae」。これは私たちの好きなココナッツ味ですが、他にもコーヒー味、チキン味、エビ味、トムヤンクン味など様々あります。お酒のつまみにも合います。
下は近頃の日本では珍しくなった「3 in 1」(シュガー、ミルク入り)のインスタントコーヒー。いつも山へ持って行くのに重宝しています。



「マカーム」英語ではTamarindo、中国語では酸果樹といいます。タイ西部のカンチャナブリ地方の名産品です。種が大きく、それほど美味しくは思いませんでした。



タマリンドを使った石鹸です。どんな効能があるのかは不明。



中央の二つ、右の水色の袋や



この袋に入っているのは「ウンセン」、緑豆の春雨です。



これは珍しい食材で「クイチャップ」といいます。米の粉を原料にした平らな麺。写真のように透明なフイルム状ですが、熱湯で茹でるとクルクルと丸まってマカロニのようになります。



パッケージの調理例のように炒め物に入れたり、スープに使ったりするようです。



「クンチアン」甘みのあるソーセージです。見たところサラミ風ですが、そのままでは食べず、輪切りにして野菜炒めや焼き飯などに入れて食べます。



「カウギャップグア」?
油で揚げて食べましたが淡い甘みがあり、パリパリした感じで美味しかったです。

晩春の大和葛城山(2012.4.19)

2012-04-20 15:27:32 | 山日記


イタリア旅行で知り合ったIさんと二人で葛城山へ花を見に行く。いつもより遅く家を出たのに、週日の石筆橋周辺には車の数も少なかった。空は真っ青に晴れ上がり、国道を跨ぐ橋のたもとには名残のサクラが美しく咲いている。



竹林を抜けて青崩バス停から来る道と合流して右に折れ、いろいろな春の野の花が咲く畑地を見下ろしながら急な舗装の坂道を登っていく。最後の民家を過ぎて植林帯に入ると傾斜はなだらかになり、右に天狗谷の流れを見下ろすようになる。木陰のひんやりした空気が汗ばんだ身体に心地よい。谷を渡る手前の草地にはスミレを始め、ヤマルリソウ、シロヨメナなどいろいろな春の花が咲いている。



石段と木の階段道を登って鎖場を通過する。このルートではここだけの短い岩場を楽しんですぐ上で谷を渡り返し、100m足らずで水場に出る。冷たい水で喉を潤してゆっくり登り続ける。大きく「くの字」形に折り返して谷を右に見るように階段道を登る。沢から吹き上げてくる風が汗ばんだ身体を冷やしてくれる。



もう一度折り返して少し登り、更にもう一度折り返して長い木の階段道を登るとベンチが二脚おいてある折り返し点にくる。青崩と山頂へはどちらも1.7キロ。ちょうど中間点にあるので、いつも腰を下ろして休憩することにしている。古い道標によると、ここからの下りの方が登りより10分長く取ってある。確かに、いつもここへ来ると後は楽なように思う。



しばらく休んで出発。年々道がよくなって木の階段道が多くなったが、植林の間伐や枝の間引きが進んでグンと明るくなった。最初の小さなコルの処からは右手に金剛山の北面、正面には葛城の山頂部分がよく見える。しばらく土道を行き、再び短い階段道を登ると、尾根の左に沿って緩くカーブしながら続く水平な道になる。この辺りからショウジョウバカマが見られる。しかも植林の手入れのお蔭か、以前に比べて格段に数が増えている。



古い小さな砂防ダムのあるところで河内弘川寺への林道と分かれ、右の涸谷沿いに登る。左手の斜面にはずっとショウジョウバカマの大群落が続く。花を見ながら登っていくと疲れも全く感じない。Iさんも「凄いなあ」「可愛いなあ」を連発しながらシャッターを押している。しかし、上部にくるほど蕾が多くなった。まだまだ花の時期は続きそうで、これからも楽しめるだろう。キャンプ場のある上の林道に出る手前で、もうただの窪みになった涸れ谷を渡ってカタクリの群生地を見に行く。立ち入り禁止の貼り札だけが無闇に増えたが、まだ少し葉が出たばかりで蕾も見えなかった。



林道からキャンプ場を通り、ロープウェイからの道と合流しても今日は人が少ない。白樺食堂の前から山頂へ登っていく途中の左手斜面の笹原の中に、枯葉から頭を出したカタクリの蕾をIさんが見つけた。日当たりが良く、暖かくなって目を覚ましたらしい。折り紙のツルのような可愛い感じだ。



近くで開いた花も二、三輪あった。長年の保護活動のお蔭で、山頂付近でもカタクリの数が年々増えてきているのは喜ばしいことだ。写真に収めて山頂へ。



ひとりで山頂に現れた青年に写真を撮ってもらい、南向きのベンチで景色を見ながらオニギリを食べた。雨の心配はないが雲が多く、見通しもあまり良くないのが残念だ。食後のコーヒーを楽しんでいるうちに数人のグループや二人連れが登ってきた。のんびりした時を過ごして腰を上げ、高原ロッジの前からツツジ園の上を回って「婿洗いの池」へ降りる自然観察路入口のカタクリを見に行く。柵越しに覗いてみたが、まだ少し葉を出したばかりだった。白樺食堂前に帰り、ロープ駅の方に下る。



自然観察路入口には新しくできた「北尾根ルート」へ通じていることが記されていた。この山の成り立ちや動植物の生態の説明版が随所にあり、前々からなじんできた楽しい道だが、道の両脇に黒いロープが張られ、やたらに「立ち入り禁止」の標識がある。これまでしなければ自然が守れないのかとちょっと淋しい気がする。



しかし下っていくにつれて右に見下ろす斜面の花の数も多くなり、遠目からではあるが十分に観賞することができた。緑に苔むした岩が散らばる涸れ谷(以前はカタクリの花の中を歩き回れた)を左に見て、右へ大きくカーブする処から引き返す。



途中から右に見える階段道をダイアモンドトレールに向けて登る。ここも道の両脇にカタクリが群生している。



登るにつれて蕾が多くなった。ショウジョウバカマと同様に今年は花の時期が遅れていて、これからもまだまだ楽しめそうだ。
ダイトレにでて右へ電波中継所の前を通りキャンプ場に帰った。下りも同じ天狗谷道を帰る。いつもより、ゆっくりと山上で花を愛でることができて楽しい一日だった。

わが家の庭で(2012.04.18)

2012-04-18 17:35:25 | 花日記
今年も咲きだしたわが家の花たち(昨17日写しました)



ハナニラ…ユリ科、アルゼンチン原産だそうです。花言葉は「悲しい別れ」「卑劣、うらみ」…
そういえばアルゼンチンタンゴに「さらば愛しき人よ」という曲があったような…春は別れの季節でもありました。



ウラシマソウ。サトイモ科テンナンショウ属。山でよく見るマムシグサの類ですね。花の先が長く伸びているのを「浦島太郎の釣り竿」に例えたのが、日本での名前の由来とか。



庭の土の上に下ろすと、さっそくテントウムシの赤ちゃんが遊びに来ました。



シャガ…見れば見るほど複雑な花弁に、「造化の妙」という言葉が浮かびます。「胡蝶花」という異名もあります。
「著莪の花」は夏の季語です。『一面の著莪にさゞめく洩日かな 松本たかし』



この花を見ながら昼のビールを楽しむことも、そろそろできなくなります。今日は暑いくらいの陽気になりました。