ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

2016年の山行(4) 高 円 山

2016-01-19 12:48:16 | 山日記

 【登 山 日】2016年1月16日
【メンバー】まほろば365
【コースタイム】滝坂の道登山口 10:30 … 大文字火床 11:20~11:23 … 高円山 11:40~11:50 … 火床 12:00~12:30 … 樋之口池登山口 13:00

「まほろば365」新春企画で高円山へ。10時、割石町バス停に集合して東へ歩き、柳生街道に入る。参加者25人。

演習林入口で軽く身体を動かした後、出発。私がガイド役で先頭を歩き、続く佐野さんのお母さんの歩調を見ながら、ゆっくり登る。最後尾は和田さんが務めてくれるので安心。最初の笹原の中の急坂は道が細く、初めての人は戸惑っている様子だった。最初の分岐から林の中のしっかりした道になると、頭上が明るくなって火床に到着したと「早とちり」する人もいた。休憩なしで最後の登りを終えて、広々とした火床に飛び出すと一気に展望が広がり歓声が上がる。腰を下ろしたそうな人もいたが、中央の慰霊碑のところまで頑張って貰う。



全員で集合写真を撮る。風もなく、少し雲があるが、まずまずのお天気だ。



予定よりだいぶ早い到着で、12時半まで休憩となったので、主催者の熊木さんに断って三角点へいく希望者を募る。私たち夫婦の他は二、三人かと思っていたら、思いの他に人数が多く17人になった。



予告通り、二等三角点(点名・白毫寺 432m)には10分で到着。



記念写真を撮ったあと質問があったので、三角点について簡単に説明して火床に帰る。



火床に腰を下ろして昼食を取り、大の字の第三画右下端から下山開始。下りは落葉が積り、細かい段差もあって結構時間がかかる。安全第一で、慣れない人の様子を見ながらゆっくり下る。ペースが遅いのに苛立った人もあった様子だが、滑って尻餅を搗いた人も何人か…。倒木を跨いだり、竹藪を避けたりしながら、全員無事で樋之口池の万葉碑前に下山した。



歴史の道を下って、燈籠の立つ県道に出て任を解いて貰う(13時5分)。事前に熊木さん、和田さんが十分に注意や資料提供をして下ったお蔭で、楽にリーダー役を果たさせて頂け感謝する


2016年の山行(3) 竜 王 山

2016-01-15 17:57:00 | 山日記

 【登 山 日】2016年1月13日
【メンバー】 近藤法子、芳村嘉一郎、芳村和子
【コースタイム】長岳寺09:15 … 奥の院分岐 10:30 … 奥の院 10:40~10:45 … 南城址山頂11:15~11:50 … 長岳寺 13:20

急に話が纏まってFB仲間の近藤さんと3人で登ることになった。アピタから同乗させて貰った車で9時、長岳寺着。山門の前には精進掛けが架けられ、紅梅が美しく咲いていた。門前の掃除をされていた女性に挨拶して、根上りの松を回りこむようにして山辺の道分岐へ。暖かだった三が日から急に寒くなって、今朝の気温は零度以下。上着を着たままでしばらく歩く。葉を落として寒々とした柿畑の中の道は、かなり上の方まで舗装されていた。近藤さんは若い頃にスキーもされていたそうだが、近頃は殆ど運動していないとのことなので、ゆっくり休まずに登る。

整備されて歩きやすくなった溝状の所を過ぎて、ロープの張ってある手前で上着を脱ぐ。中年の女性二人が声をかけて追い越していったが、初めてのベンチでは私たちが先に出る。中間点のお不動さんに手を合わせ、二番目のベンチで小休止する。この間に二人の女性はまた先に通過していった。



800mほど遠回りになるが、先に奥の院にお詣りすることにして分岐から笹の中の道を下る。古墳を過ぎてじめじめした処に来ると、すぐ左手が奥の院。



といっても建物はなく、大きな石の不動尊と、いくつかの神名を彫った石が並んでいるだけ。優しいお顔のお不動さんの前には、正月らしく大きな鏡餅とお花が供えてあった。

すぐに柳本古墳群からの登路にでる。谷間の中の木の階段から、真っ暗な森の中に延々と続くコンクリート補強の道になり、やっと頭上が開けてトイレのある林道にでる。田竜王社に手を合わせて、林道を離れて頂上へ。

先の女性二人が下山するところで、写真を取って貰った後は貸し切りの山頂になった。残念ながら雲が低く、明石大橋はおろか金剛・葛城も霞んでいた。南から東にかけては青空が見えるが、気温はかなり低い。近藤さんに頂いたお菓子とコンビニのサンドウィッチを食べ、熱いコーヒーで暖まる。その間に粉雪が舞ったが、すぐに止んだ。

下りは藤井竜王社から林道に出て、トイレ横からゆっくりと休まずに降りる。かなり下に来てから短い時雨があったが直ぐに止み、登ってきた若い男性は折り畳み傘を捲いていた。まずまずの天候で、気温が低かったお蔭で汗もかかず、いいトレーニングになった。近藤さんにも喜んで頂けたようで、幸いだった。


2016年の山行(2) 大 比 叡

2016-01-10 16:26:25 | 山日記

【登 山 日】2016年1月7日
【メンバー】丸屋博義、丸屋三輪子、芳村嘉一郎、芳村和子
【コースタイム】東塔本坂登り口 09:35…鉄塔 10:15…坂本分岐 10:55…亀堂 11:05~11:10…法然院 11:15~11:20…根本中堂 11:30…大比叡三角点12:20~12:45…ケーブル駅 13:30…無動寺谷分岐14:10…日吉東照宮 15:10



JR南草津駅で丸さんの車にピックアップして貰い、近江大橋を渡って坂本へ。先程までの小雨が上がったばかりの大宮川観光駐車場へ車を置く。日吉大社東受付前を通り、東塔本坂の長い石段を登る。始業式が行われている比叡山高校横の車道になり、車止めの横に「三丁」の標石があるところから比叡山参道が始まる。急な登り道は所々で中央が窪んだり、ガラガラの石屑がむき出しになったりして、12年前に登った時よりも、かなり荒れた感じである。

見覚えのある送電線鉄塔のある場所を過ぎると傾斜が緩んで、右手に琵琶湖の青い湖面が見えた。30分ほどで三体の石仏の並ぶところに来る。以前にあった坂本への道は通行できなくなっていた。右手に高い石垣が見えて亀堂への石段横を通る。亀堂の前まで右手から舗装の道が伸びてきていた。

すぐに法然院の前に出て、石段を降りて参拝した。

まもなく左手に延暦寺会館の大きな建物が見えて、延暦寺境内に入る。根本中堂にお参りして大講堂の前を通り、阿弥陀堂と法華総持院東塔を結ぶ回廊の下を潜る。回廊沿いに左に折れて坂道を登ると見覚えのある墓地に出て、小さな矢印が左の斜面を登るように指示している。はっきりした道で車道に出て、更に登り、右に折り返すと智辯大師御廟半町の石標の立つ尾根に出た。吹き上げてくる風が冷たく感じる。右に登ると読売や朝日などのTV中継塔がいくつか並んでいる前を通り、見覚えのあるコンクリート製給水設備の前に出た。



大比叡848一等三角点は、その先の小高い丘の上にある。記念写真を撮り合ううちに、激しく粉雪が舞うようになったが、幸いすぐ止んで日も差しだした。給水施設の後ろで、風を避けて慌ただしく昼食を済ませる。




下山は尾根を南へ直進して智辯大師御廟に手を合わせて、下に見えるドライブウエイに向かって急坂を降り、最後は墓地を抜けてドライブウエイにでる。琵琶湖が美しく眺められた。ケーブル駅に着くと発車寸前で、切符がないなら次にしてくれと駅員に言われ、30分も待つくらいならと歩いて下山することにした。前の記憶を頼りに、大乗院の方に下り出すと背負子姿のお坊さんが登ってきた。道を聞くとケーブル駅の方へ橋を渡った方にも道があるというので、今日はそちらを通ることにする。ケーブル線路に沿った道は少し急な下りで「もたて山」駅に出た。ここからは線路を離れて、緩やかに山腹を捲く道になり、無動寺谷分岐を過ぎると再び急な下りになり、蟻ヶ滝の架かる谷を左に(滝へは通行不能になっていた)見て、林を抜けるとまもなく急に開けた場所にでる。スコアボードがある比叡山高校グラウンドの真横だった。


朝登った道と校舎を挟んだ反対側の車道を下っていくと、右手に日吉東照宮が見えた。終日快適に歩けて楽しかった山行を終え、日吉大社に参拝して帰途についた


2016年の山行(1) 畝 傍 山

2016-01-10 11:50:37 | 山日記

【登 山 日】2016年1月5日    【メンバー】芳村嘉一郎、芳村和子
【コースタイム】登山口 11:10… 頂上11:35~11:50…東大谷日女命神社12:10

初詣の橿原神宮は三ヶ日が過ぎても、結構な人出だった。参拝を済ませ、北門を出て登山道に入る。時間が遅いので、下りてくる人に次々出会う。追い越していくのは高校生らしい若いランナーが多い。緩やかに山腹を捲いて登っていくと、左手の谷側の林の中に、真っ赤な一叢の紅葉が緑の中に鮮やかで目を引いた。道標のある畝傍山口神社への分岐で10人近いグループに出会い、まもなくY字状のヘヤピンカーブで右へ折り返す。直進する細い道はY字の下棒にあたる。



ここまでが少し長く感じたが、折り返してしばらくガラガラの急坂を登ると、間もなく「イトクの森」への下り道分岐にでた。ここはすでに山頂の一角で、左に御神木を囲む石の柵が見える。隅の大きな石標に住吉大社の名前が刻まれている。大阪の住吉大社で祈年祭(2月)と新嘗祭(11月)に使われる土器に畝傍山山頂の土が使われ、それを採取する「埴土神事」が行われる。(現在でも、この神事が行われているというコメントを、のちにFBで教えて頂いた。)

山頂には二人の子供連れの若い夫婦が休んでいた。三角点で記念撮影をして汗をぬぐう。山頂南側からは、靄で霞む大和平野に耳成山と天乃香久山が浮かんで見えた。北から東にかけては、ぼんやりと霞んで山の形も定かでなかった。

畝火山口神社跡近くに置かれた、新しい竹製のベンチに腰を下ろして休む。この神社は、もともとは大山祇命を祭神とした、延喜式神名帳に記載されているほどの古い神社である。江戸時代には「畝火明神」とも呼ばれ、天正年間から戦前まで山頂に鎮座していた。昭和15年(1940年)、紀元二千六百年にあたって橿原神宮が大拡張されることになり、東麓にある神宮や神武天皇陵を見下ろすのは宜しくないということで、政府によって現在の場所(畝傍山の西の麓)に移された。

今日は登ってきた同じ道を下る。登ってくる人に道を譲りながら、ゆっくり歩いて東大谷日女命神社に参拝する。この神社はかなり古くからこの地にあり、江戸時代までは熊野権現の名で知られ、イザナギノミコトを祀っていた。 明治20(1887)年頃、祭神は神功皇后へ、さらにその後、ヒメタタライスズヒメノミコトに変る。明治35(1902)年、現在の社名(大谷は近くの地名)になる。姫蹈鞴五十鈴媛命は神武天皇の御后である。

山頂の神社といい、ここと言い、皇国史観に振り回された時代の記憶を思い興させる山だった。