ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

トルコ日記(7)

2010-06-30 06:00:00 | 旅日記
カッパドキア 6 - カイマクル

カッパドキアにはたくさんの地下都市がありますが、なかでもカイマクルはデリンクユ
とともに最も規模の大きいものです。
敵の攻撃を避けるための退避場所ですが、キリスト教徒だけでなく、もっと古いヒッタイト
の時代から地下の住居として使われていたようです。



地下都市へ続く道の両側には土産物屋さんがずらりと並んでいます。ここは、まだ入口
ですが、この先で道は狭くなり石段もある急な坂道になります。讃岐の金毘羅さんの
参道を思い出しました。



ここが地下都市の入り口。カイマクルの地下都市は地下7層までありますが、4層まで
公開されています。



かなり狭く天井が低いところもあり、屈みながら歩くのはちょっと大変です。
照明はありますが、足元の暗いところでは♀ペンが用意してきたヘッドランプが大いに
役立ちました。



1階には厩と住居、2階には教会や墓地もあります。一番重要な3階には食料貯蔵庫、
ワインセラーを備えた台所がありました。





左の丸いものは石の扉です。敵が侵入した時にこれで通路を閉ざし、時には間違った
ところへ誘導します。
迷路のような地下の抜け穴を、立ったり屈んだりしながら4階まで下り、そこから別の
道を地上へ帰りました。



例の土産物街で「買いまくる」こともなくホテルへ帰る途中、ここで「写真休憩」。
「三人姉妹」と名付けられた岩です。



このあたりの景観もなかなかのものでした。オカンは口癖のように「写真一杯摂って
下さい。そしてトルコのため宣伝して下さい」といいます。



いったんホテルに帰りシャワーを浴びて、車で20分ほど離れた洞窟レストランへ夕食
に行きました。もう8時半ですが、こんなに明るさが残っています。



もちろん最近拡張したものですが中はとても広く、天井も高くてヒンヤリしています。



このような雛壇形の座席が放射状に5箇所設けられています。これは向かい側の別の
グループ。楽師たちの前の板敷きがショーの舞台です。



私たちも席に着きました。



まず運ばれてきたのは、レンズ豆と牛肉のトマト味のスープ。



メインディッシュのギュペチ。土鍋に肉や野菜を入れてオーブンで焼いたもの。



それにピラウ(焼き飯ピラフ)とデザートが付きました。



ベリーダンスを鑑賞しながらとの触れ込みですが、最初は盆踊り風の民俗舞踊、次に
客まで巻き込んだ乱痴気騒ぎの喧しいむちゃくちゃ踊り、このオバチャンダンサーが
出てくる頃には、すっかり白けた気分でした。この後、照明を落として例のお腹を揺
さぶる踊りを見せます。動画で撮影しましたが、中年のあまり美人でもない女性が
たるんだお腹がブルブさせるさまは、エロチックというよりもグロテスクでした。



帰りにカッパドキアのお土産にワインを買いました。お値段は一本9TL(540円ほど)。
素焼きの瓶のデザインが気にいって、割れないように大事に持って帰ったのですが…。
家に帰って飲もうとすると栓はプラスチック、中身はなんと小さいグラス一杯に満たず、
計ってみると50ccしか入っていませんでした。
「二本、買っておいて良かった!」といいながら飲み干して、別のワインを開けました。


トルコ日記(6)

2010-06-29 06:00:00 | 旅日記
カッパドキア5-ギョレメ・ウォーキングとウチヒサール



次は「カッパドキア・ハイキング」
雨具などを準備するように言われたので、ザックの中にレインスーツを入れてきたのですが、
これはバスに残して傘をザックに入れました。グループの中にはザックを持たない方も…。
ここがスタート地点です。



なだらかな勾配の道を僅か30分ほど歩くと、目的地の「ミナザールの教会」の下に到着。
ここで解散して自由行動時間。あまりにあっけないので、何人かの仲間たちと近くの高台
まで登ってみました。写真でお分かりのように、ここまで車で登れるのです。でも、やはり
高い所からの展望は見事でした。



帰り道途中の分岐から迂回して教会へ行けるか試してみました。駄目なら元の道を引き返す
までです。



キノコ岩の洞窟に入ってみました。



予想通り「ミナザールの教会」の下に出ました。ここは有料なので誰も入場しなかったよう
です。私たちが立ち去ると、入り口で立っていた神父さん?は、さっさと帰り支度をして
いました。私たちのウォーキングも1時間足らずで終了して、バスに帰りました。



ここは少しバスで行った別の展望台で、クズル・チュクルというところです。オカンは
「ローズ・バレー」と紹介していました。夕焼けに赤く染まる頃が美しいようです。



展望台の一角にあった木に、お祈りのための白い紙片が括りつけてあります。
日本の神社でオミクジを結ぶのに似ていて面白く思いました。
小さく見える青く丸い目玉のようなものは、「ナザール・ボンジュウ」という
お守りです。



これは、のちほどお土産に買ったナザール・ボンジュウ。旅行中、いろんなところで目に
しました。
左の赤いのは、道端で売っていた独楽。



ここから間もなく「尖った城塞」を意味するウチヒサールに着きました。
大きな岩山の周囲に様々の大きさの岩石が寄り集まったような形をしています。



大小の窓が穿たれ、近年まで人が住んでいたようですが、地震で退去したとか。
上まで登れるようになっているのですが、ここでもやはり自由時間が少ないので断念して…



煙りと同じような性格の二人は、少しでも高い所を求めて小さな丘に登ってみました。



これは道路を隔てた別の高みから見た光景。見事な三角錐の砂岩の山が並んでいます。

カッパドキアの一日はまだ終わりません。次は地下都市・カイマクルを訪れます。

トルコ日記(5)

2010-06-28 06:00:00 | 旅日記
カッパドキア4-ゼルヴェの谷



午後はまず、ゼルヴェの谷の探訪です。
バスを降りてまず目を引くのは、上の方で枝分かれしてシメジのような形をした岩が、ニョキ
ニョキと何本も突っ立っている奇妙な光景です。
キノコの笠にあたる黒い部分は固い玄武岩、根元の方は柔らかい凝灰岩と、岩の質が違う
ので、浸食の進む速さが違ってこんな形になったそうで、ペリ・バジャ(妖精の煙突)と
呼ばれています。



ここで自由行動になり、私たちは時間の許す限り奥に行ってみることにしました。
後ろに見える広い道を進んでいきます。



この先で、道は細くなり大きな岩の間を抜けるようになります。



この両側が切り立った断崖は9~13世紀にキリスト教徒の隠れ住んで
いたところで、そのあとも1950年代まで人が住んでいました。しかし、
崩壊の危険が大きくなって住民はその後、平地部へ移住しました。



ここで道は二つに分かれます。左側の岩の間を抜けていくと身体が通るくらいの幅の下り
坂になりました。降りられないことはありませんが、帰りが大変なので右の道を行くこと
に…そこへ右の道を引き返してきた同じグループの男性があり、「この上からの景色がいい
ですよ」と教えられました。



少し登るとコル状の所に出て、見下ろすとかなり下に広い道が見えます。後から登ってきた
別の男性と一緒に下ってみました。急な道が終わると展望が開けました。



この道は、予想通り元の道と合流してスタート地点に続いています。反対側から見ると
最初の写真のシメジ岩はこんな形に見えました。

テントが見える所から集合地点はすぐ近くです。



下ってきた道を振り返ってみたところ。

今年は早くも美人の来訪(6月27日)

2010-06-27 15:58:21 | 花日記
雨が降りつづく昨夜遅く、今にも開きそうな大きなツボミを重そうに下げた月下美人を、♀ペン
が家の中に招き入れました。



そのまま眠ってしまったのですが、ふと気になって今朝2時頃見てみると、二つの鉢
に一つずつ見事に開花していました。





明るい陽射しの朝になって見に行くと、もう花を閉じて俯いていました。
去年より大分早い開花ですが、これから次々と咲き続けてくれることでしょう。

トルコ日記(4)

2010-06-27 06:00:00 | 矢田だより
カッパドキア3-ギョレメの印象

ギョレメの地図を見る(クリックして下さい)




絨毯工場の見学を終えて昼食場所に向かうバスの車窓には、こんな光景が延々と続きます。



篠山紀信の「シルクロード」(集英社文庫版)に次のような文章がありました。
『子供のころから待ちに待った風景、でもなにか見てはいけないもののような風景、
すき間からそっとのぞくような風景、怖いものみたさの子供心がつくりあげた風景。
カッパドキアの第一印象はそんな感じだった。』
ちなみに、この文章が載っている章の見出しは「ギョロ目の河童」でした。



私たちもこの「待ちに待った風景」が、これまで写真や映像で見て頭に描いていた以上に
奇怪で、信じられないほど奇抜で、そしてスケールの大きいことに、ただただ驚嘆する他
ありませんでした。



この岩が見える所で下車しました。名前は形通りラクダ岩です。
写真を撮ってバスに帰り、少し先の洞窟レストランで昼食。今日はトルコ風の家庭料理
だそうです。



テーブルには、こんなきれいなお皿がセットされ、篭にパンが盛られています。パンは
これだけでビールが飲めるくらい美味しかったです。



イスラム圏なのにビール(Bira ビラ)が飲めるのはありがたいのですが、値段は少し高め
で、この小瓶で7TL(450円ほど)。このあとホテル、レストランではさらに高いところも
ありました。ガソリンスタンド付属の売店などでは500ml缶で3TL。安いところでは2.75TL
とかなり安く手に入ります。
銘柄は殆どがこのエフェス Efes。すっきりした癖のない味でした。



スープ(チョルパス)が来ました。これはレンズ豆が中心のメルジメク・チョルパス。



前菜の詰め物(ドルマ)。いろんな種類がありますが、左はスッキーニ(らしい野菜)、
右はナスのドルマにヨーグルトをかけたもの。



中身はこんな感じです。なかなか美味しい。



メインディッシュはキョフテ(挽き肉を固めた肉団子風)がメインの盛り合わせ。
フライドポテトなどにバターライスが付いています。ご飯は細長いお米でパサパサして
あまり美味しくありません。



デザートの甘い甘いアイスクリーム。コーヒーの方が良かったのに…。これからも、朝食
以外にコーヒーを飲む機会がありませんでした。



食事を済ませて、ひんやりしたレストランからカンカン照りの外に出ました。
今日の気温は38度近いということですが、空気が乾燥しているのでそれほど暑さを感じ
ません。木陰に入ってそよ風に吹かれていると、心地よいほどでした。

トルコ日記(3)

2010-06-26 06:00:00 | 旅日記
カッパドキア2-洞窟住居訪問と絨毯工場



ギョレメ野外博物館から、しばらくバスで走ります。車窓からは今でも保蔵庫として利用
されている洞窟に混じって、新しく手を加えた住宅が見られるようになりました。



表通りから少し入ったところの一軒のお家にお邪魔しました。この門を入るとバラなどの
花咲く中庭があります。最後に入った♀ペンが、低い木に付いた小さな実を見ていると、
戸口で出迎えたおばあさんが何個か掌に載せてくれました。後で食べてみると青いけど
甘いリンゴでした。



玄関を入ると岩山を刳りぬいた住居だけに、冷たい空気が流れひんやりしています。
一階の一室はこのように食料の貯蔵庫として利用しています。その隣には薪などを積んで
ありました。



中二階、二階は居住部分で、私たちは二階中央のこの大きい部屋に招かれました。
突き当りに大きな明り取りの窓、左側に台所と居室があります。



右側にも家族の居室があります。家財道具は質素ですが、なかなか広くて快適なお住まい
です。



日曜で家にいた高校生のお孫さんがチャイを運んでくれました。
トルコ人は家族や友人たちと語らいながら、この掌に入るような独特の形のグラスで一日に
何杯もチャイを飲みます。
チャイと聞いてネパールトレッキングで毎日飲んだ、あの大きなグラスのミルクティーに似た
ものかと思っていましたが、ここでは紅茶をストレートに煮出してグラスに入れ、砂糖を入れ
て飲むのが習慣です。



オカンの通訳でいろいろとお話しした後、何人かの女性が民俗衣装を着せて貰いました。
幅の広いモンペに似たスカートは外での作業にも動きやすそうです。お婆さんが頭に
スカーフを巻いてくれました。
足元の絨毯はお婆さんの織ったもので、この地方では娘さんが結婚前に自ら織った絨毯を嫁入
りのときに嫁ぎ先に持参する習わしになっています。

心から歓待してくれたお爺さんやお婆さんにお礼を言ってお別れして、近くの絨毯工場へ。
このようなスケジュールは、ショッピングにあまり関心のない私たち夫婦にとって、いつも
時間を持て余すのですが、絨毯の作り方や製品の見分け方はなかなか勉強になりました。



最初の工程で繭から糸を引きだしているところ。何本の糸をより合わせるかで絹糸の太さ
が変わります。



原料の繭と染める前の糸。右に見える色の違う繭も蚕の種類による本来のものです。
これらの違う色を組み合わせた自然な図柄の絨毯も後で見ました。



機織り機で複雑な模様を織りだしているところです。とても神経を使う物凄く細かい作業
で、機織り機にむかう娘さんの表情も真剣そのもの。



別の部屋で、絨毯の品質の見分け方を聞きました。50枚もの絨毯を抱えて走ってきては、
次々に拡げて表裏を見せます。一つのショーを見るようで面白かったです。
柄が細かいものが高級品ですが、裏を見せられると違いがよく分かります。



細い糸で織られた美しいタペストリー。精巧さもお値段も、ため息が出るほどでした。

トルコ日記(2)

2010-06-25 20:37:48 | 旅日記
カッパドキア1-ギョレメ

6月14日(月)
世界遺産・カッパドキアは「美しい馬の土地」を意味するペルシア語が起源とされています。
すぐに頭に浮かぶのはギョレメなどの奇石群、カイマクルなどの地下都市ですが、その範囲は
東西20キロ、南北40キロに及ぶ広大な地域で、中に幾つもの町が点在しています。
今日は丸一日かけて、このカッパドキアを観光します。



ギョレメはトルコ語で「見てはならないもの」の意味で名付けられたといいますが、6000万年
もかけて自然が作り上げた不思議な造形に、そこに住みついた人間が手を加えた、実に珍しい
景観を見せてくれます。
 私たちの泊ったユルギュップ地区のホテルからバスで10分も走るとギョレメ野外博物館に着
きました。
 ここは4世紀前後、ローマ帝国の迫害から逃れたキリスト教徒が、柔らかい凝灰岩を横穴式
に掘り抜いて、岩窟教会や修道院をつくったところです。その数は全部で30ほどあるそうです。
正面に見えるのは男性の修道院の一つ。右手、人が群れているところが入り口です。



入場は、回転式バーの付いた自動改札を利用します。
これはそのチケットですが、この後の遺跡などの入場はすべてこの方式を採用していました。
(真中から上は裏側です。今気がついたのですが、日付や時間は実にいい加減です。
ひょっとすると使い回し???)



入場してすぐのセント・バジル教会(Basil Kilisesi)から見学を始めます。



内部には美しいフレスコ画が描かれています。これはキリストを抱く聖母マリア像。



この人はセント・ゲオルゲウス。馬に乗り槍を構えて蛇(竜?)を退治している絵で、カッパ
ドキアを守護する聖人とされています。

次に入ったのは「リンゴの教会」です。

1980年4月から1年間放送されたNHKスペシャル「シルクロード 絲綢之路」をご記憶の方も
多いと思いますが、その関連図書「シルクロード ローマへの道」第十一巻「騎馬・隊商の道」
に、この教会についてのこんな記述があります。
『聖堂は5メートル四方ほどのこぢんまりとした空間である。しかし天井は高い。4、5メー
トルはあろうか。内部に足を踏み入れると洞窟の中という感じがしない。その理由は聖堂の
構造にある。聖堂は洞窟につくられているにもかかわらず、野外の普通の建築の構造を忠実に
模倣している。四本の柱が丸天井のドームを支え、祭壇がつくられ、谷に向かって開かれた窓
がある。そして、壁面いっぱいに壁画が描かれている。』

この文章の通り、キリストや使徒たちの絵がドームやアーチに描かれているのですが、残念な
ことに「カメラ禁止」の標識があったのでこのあと撮影は見合わせました。
おまけに、時差による寝不足でオカンの説明も、絵画の印象もあまり頭に残っていません。





前の通路を先に進むと登り道になります。右手は切り立った断崖で谷の向こうにもたくさん
洞窟が見えます。小さな穴が並んでいるのは鳩の小屋。ここで飼われたハトは食用となった他、
糞は肥料として利用、また伝書鳩としても使われました。

突き当りの石段を少し登ると「蛇の教会」があります。
ここにもセント・ゲオルゲウスの蛇退治の壁画があり、反対側には「あみだくじ」のような変形
碁盤目のデザインが描かれています。これは下絵を描く時のものだそうで、その横の聖人の絵に
はうっすらと朱色の線が残っていました。



ここで解散して入り口まで自由行動することになりました。左に回り込むように進みます。



この辺りは修道院などの居住区域で、いくつもの洞窟住居の跡が残されています。さっそく
一番高い所にある洞窟へ登ってみました。



その内部です。正面は祭壇でしょうか。



ここは食堂。長い石のテーブルとイスがあり、天井は煤で真っ黒です。



入り口から見降ろしたところ。



少し進むと「暗闇の教会」があります。ここの壁画は保存状態が良く美しいそうですが、集合
時間が迫っているので割愛しました。



その前からの光景です。



緩やかな下り道を入り口の方へ周回していきます。



様々な形の岩峰を見ながら、色とりどりの美しい花が咲いている中を下っていきました。

梅雨の晴れ間(我が家の庭-6月24日)

2010-06-24 10:49:50 | 花日記
梅雨に入って以来、今日は貴重な晴れ間と各TVが伝えています。
毎日カンカン照りの中を歩き回っていたのでピンときませんが、留守にしていた10日間に
季節は確実に移り変わっています。



帰ってすぐに気付いたのが、裏のビワです。
出発前はほんのり黄色い色が見えただけなのに、すっかり食べごろの色になりました。







アジサイが咲いています。



エビソウは燃えるような赤色に…



アガパンサスも、もうすぐ開きそう。



月下美人のツボミが少し膨らんできました。間もなくいい香りを放ってくれるでしょう。

トルコ日記(1)

2010-06-23 11:26:45 | 旅日記
アンカラからカッパドキアへ

6月13日(日)
5時15分ドーハ着。乗り継ぎに1時間半ほど費やして、



昼前にトルコ共和国の首都アンカラに着きました。空港で入管手続きを終え、両替も
済ませて外に出るとムッとする暑さが身体を包みます。それでも標高850mの高さに
あるアンカラは過ごしやすい方で、明日からはまだまだ暑くなるということで先が思い
やられます。



バスに乗り込みます。現地スルーガイドは OKAN OZKAN という名前で、自分でも「”おかん”
は日本語でお母さんのことなのに、自分は男でおかしい」というようなことを話していました。
今日はアンカラから南東に300キロ離れたカッパドキアへ4時間を越えるバスの旅です。



空港を出てしばらく走ると、建設中のカラフルな高層住宅がたち並ぶ郊外から



バスはアンカラ市内に入ります。アンカラはトルコ共和国建国の父・アタチュルク(ムスターファ・
ケマル)によって、旧弊を排するためにあえてイスタンブールを排して首都に定められました。
オカンの話しを聞いていて、明治維新で都が京都から東京に移ったことを連想しました。
為政者が変わるときには、世界中どこにでもあったことなのでしょう。
また、「アンカラ」は「アンゴラ」から来ているとのことで、アンゴラはウサギではなくこの
地方に有名なヒツジの種類だそうです。
この街の見学は最終日の楽しみにして、名物の渋滞を抜けてハイウェイに乗ります。



一直線に伸びる道路の両側に、広々としたトルコの大地が拡がります。
トルコの面積は日本の二倍もあり、そこに住む人々は日本の半数に過ぎません。
また国旗やヒッタイト、ペルシャ、セルジュク、オスマンからトルコ共和国に至る長い歴史、
簡単なトルコ語の挨拶など、オカン先生の講義は、この道のように延々と続きます。



やがて大きな湖に沿って走るようになりました。岸辺に白く光るのは塩の結晶です。
トゥズ湖(トルコ語で塩湖の意味)はトルコで二番目に大きい湖で水深は1~2m、普段は
1500平方キロmの広さがあります。極端に塩分が高いので、夏の間に湖の水の多くが干上がる
と平均30 cmの塩の層が現れます。
今はまだ時期が早いので、湖岸近くだけに白い色が見えていました。



ここでトイレ休憩を兼ねて下車。トイレは殆どが有料制で0.5~1トルコリラを支払います。
飲み水はバスの運転手が車に用意していて、一本50クルシ(0.5トルコリラTL)で分けてくれ
ます。店で買うよりも安い値段です。

湖の畔を散歩しました。遠くから見ると、裾をヒザまでたくしあげた人たちが湖のかなり遠く
まで歩いています。遠浅とはいえちょっと驚きましたが、近くに寄ってみるとこのように踏み
石が続いているのです。
イエス・キリストが湖上を歩いた奇蹟で人々を驚かせたガラリア湖にも、ひょっとすると
こんな仕掛けがあったのではないか…と変愚院は罰当りな想像をしました。



少し湖上を歩いた♀ペンが手に塩の結晶を掬い取って帰ってきました。



これがその塩です。湖畔には製塩所が三つあり、トルコ国内の塩の70%がここで生産される
そうです。



湖畔を離れてアクサライで東に折れ、バスは再び広大な平野部を走ります。
この辺り中部アナトリア地方は豊かな穀倉地帯で、小麦やライ麦を主にした農業が盛んな
ところです。黄金色のライ麦畑やナタネ畑の中にポプラの木が立ち、その間をまっ直ぐに
道路が延びる…ところどころで牛や馬や羊が放牧されている…北海道の風景をさらに大きく
したような車窓の眺めでした。「トルコは他国に頼らぬ自給自足経済の国です」とオカンも
誇らしげでした。

やがて修復中のサライ(隊商宿)が見えてきました。ここにはシルクロードが通っていたの
です。またしても「雑誌サライのシンボルマークはラクダだったなあ」と連想しました。
じっと座ってボンヤリ走り過ぎる景色を眺めるだけなので、ついつまらないことを考えて
しまいます。



ようやくカッパドキアが近付いてきました。写真中央にシンボルのオルタヒサールが見えます。
一口にカッパドキアといってもその範囲は東西20キロ、南北40キロにも及ぶ広大な範囲です。
カッパドキア地方と言っていいでしょう。ホテルまでの間にも、いろいろな奇岩地帯を見て、
明日の予備知識を得ることができました。



今宵の宿。ユルギュップという町にあります。



ホテルでの夕食。ビュッフェ形式だったので色んな料理を「カルシュク」(ミックス)に盛り
合わせてみました。



二階ロビーで。明日も良い天気のようで楽しい観光が期待できそうです。

トルコ日記(予告編)

2010-06-22 19:33:18 | 旅日記
6月12日から10日間、CT社のパッケージツァーでトルコを旅しました。
関空からのグループは男性10名(うち独り旅の人5人)、女性16人の合計26人。
旅慣れた中高年のグループでしたが、あとで聞くとやはり私たちが最年長でした。
長時間での飛行機、バスでの移動に加え、遺跡巡りやハイキングなど歩くことも多い
ので、出発前はヒザの痛みがでないか少し心配でした。



しかし若いながらベテランTCの純子さんが、いろいろ気配りをしてくれたことも
あって、他の方が驚くほど元気で全行程をこなして、無事帰ってきました。
詳しいレポートは明日からにして、まずは予告編として日を追ってダイジェストで見て
頂きます。

1日目 6月12日(土)
深夜23時55分関空発のカタール航空でドーハへ。いつものように、ぐっすり眠れないので
前のシート背もたれのモニターで映画「おとうと」「アリス・イン・ワンダーランド」など
観たりして時間をつぶしました。

2日目 6月13日(日)
現地時間の5時15分ドーハ着。時差がサマータイムで6時間遅れなので、日本ではもうお昼
前です。乗り継ぎに1時間半ほど待ってトルコ共和国の首都アンカラ着11時40分。
空港で「おかん」という名の男性(本名です。OKAN OZKAN)現地スルーガイドの出迎えを受け、
カッパドキアへ向けて約300キロのバスの旅。



途中、塩湖のトゥズ湖畔で下車して少し散歩しました。17時過ぎホテル着。

3日目 6月14日(月)
世界遺産・ギョレメ国立公園のギョレメ野外博物館



きのこ岩の乱立するゼルベの谷(上の写真)、尖った城塞・ウチヒサール、



地下都市カイマクル

さらに洞窟住居に住む一般家庭訪問で現地の人と触れ合い、洞窟レストランで昼食。
午後は1時間ほどのウォーキングを楽しみ、ラクダ岩や三人姉妹の岩などの巨大奇岩群を
見ました。、
いったんホテルへ帰ってシャワーを浴びた後、ベリーダンスを見ながら洞窟レストランで
夕食。

4日目 6月15日(火)
セルジュークトルコ時代の首都コンヤまではカッパドキアから約220キロ3時間半。
途中でシルクロードの隊商宿、スルタン・ハヌ見学。コンヤで昼食後、



旋舞で知られるイスラム神秘主義のメブラーナ博物館に入場しました。
さらに430キロを走って、パムッカレの白い石灰岩が見えるリゾートホテルで宿泊。

5日目 6月16日(水)


「綿の城」パムッカレは古代都市ヒエラポリスの拡がる高台の東端にあります
世界遺産であるヒエラポリス遺跡を見学した後、靴を脱いで足湯感覚で石灰棚パムッカレを
歩きました。



午後は古代世界の七不思議のひとつ、エフェソス遺跡の観光。アイワルク泊まり。

6日目 6月17日(木)


シュリーマンの発掘とトロイ戦争の木馬で名高いトロイ遺跡観光後、午後はフェリーで
ダーダネルス海峡を渡り、一路イスタンブールへ。

7日目 6月18日(金)
イスタンブール歴史地区の観光。


ブルー・モスク

トプカピ宮殿を観光。



アヤソフィアにも入場して、4400の店が軒を連ねるグランドバザールを散策しました。

8日目 6月19日(土)


チャーター船でボスポラス海峡をクルーズ。船の左右に拡がるヨーロッパ側とアジア側との
景色を楽しみました。
午後は440キロ走ってアンカラへ。

9日目 6月20日(土)
古い城塞・アンカラ城跡を散策した後



トルコ共和国建国の父・アタチュルクの霊廟を見学。

全ての観光を終えて空港に。カタール航空の乗り継ぎ便はドーハで5時間15分待ち。
空港で乗り継ぎサービスのカレーライスがでました。日付が変わって

9日目 6月20日(土)
1時5分発のカタール航空でドーハ発。帰りも長いフライト時間を映画「釣り馬鹿日誌ファイナル」
「トイストーリー2」「アイ・ロボット」を見て過ごし、16時55分、無事、関空に帰着しました。

毎日晴天続きで体温に近い日もありましたが、空気が乾燥しているので暑がりの二人でも
過ごしやすく、あっという間の10日間の旅でした。
ダイジェスト版では観光絵葉書的な写真が多かったのですが、明日からのレポートでは
出来るだけ変わった角度からお伝えしようと思います。乞うご期待