ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

2013年の旅(2)

2013-12-30 10:42:41 | 旅日記

4月8日 美濃の花めぐり
里帰り中の娘、孫と4人でH社の日帰りバスツァーに参加、美濃路の花の名所を訪ねました。



まず岐阜県海津市にある国営木曽三川公園センターへ。ちょうど「チューリップ祭り」が行われていて、約1時間、たっぷりと艶やかな花の饗宴を楽しみました。



西国三十三国霊場満願の寺・谷汲山華厳寺では「さくらまつり」の最中でした。約300本のソメイヨシノ並木の参道を本堂へお参りして、孫と戒壇巡りもしました。ちょうどお釈迦様の誕生日で「仏生会」の甘茶を頂きました。



バスの正面に真っ白な能郷白山の姿を見ながら本巣市根尾谷へ。「蕾の時はピンク色、満開に至ると白色、散りぎわには特異の薄い墨を引いた色になる」薄墨桜を鑑賞して、たっぷりと季節の花を愛でることができて大満足の一日を終えました。


4月23日 八重桜と牡丹の寺



山友達の幸ちゃんに案内して貰って、孫と三人で広陵町の新家長福寺へ行きました。ガイドブックなどには紹介されていませんが、古くから「桜御坊」と呼ばれ、知る人ぞ知る隠れたサクラの名所です。それほど広くない境内に色々な種類の八重桜が植えられ200株を越すボタンと妍を競っています。フジの花も満開で見事でした。


4月26日 岡寺の石楠花と牡丹



山門をくぐり石段を登ると美しい庭園に色とりどりのボタンが植えられています。本堂にお参りし、竜蓋池の前を奥ノ院に向かう参道の両側は満開のシャクナゲです。



奥ノ院から本堂南側の斜面に続く
道もシャクナゲのトンネル。三重塔の建つ台地で展望を楽みました。「花の寺」の名にふさわしく他にも様々な春の花が目を楽しませてくれました。


5月23日~24日 黒部トロッコ列車と雪の大谷
CT社の一泊バスツァーの旅で黒部へ。朝、奈良を立って宇奈月着は15時。



トロッコ列車で黒部渓谷探勝。目も眩むような絶壁を縫って、いくつものトンネルを抜けて鐘釣まで行きました。



約1時間の自由散策時間に万年雪展望台、河原の露天風呂、薬師堂などを見て宇奈月に帰りました。この夜は富山のホテルに泊まりました。

翌日は立山へ。快晴の空の下を美女平、弥陀ヶ原と登っていくうち、車窓から見える辺りの景色は新緑のブナ林から純白の世界に変わり、車内のあちこちで歓声が上がります。室堂バスターミナルで下車、2時間の自由行動。



何はともあれ雪の大谷ウォーク。10年前に黒部ダム側からケーブルやバスを乗り継いできたときは凄い風雨で外に出られませんでしたが、この日は照り返しで暑いほどの良いお天気でした。終点近くの最高地点で壁の高さは16m。

室堂バスターミナルへ引き返し、北側の雪原へでました。雪面からの反射で目が痛いほどの青空の下に大日岳、剣岳、別山から雄山へと続く稜線…ぐるりを取り巻く山々の様々な思い出を胸に、帰りのバスに乗りました。


6月24日 出雲大社



直径52㎝、高さ6mの銅製の大鳥居を潜り、正面の拝殿に進み
ます。普段は正月5日間以外は拝殿右手にある八足門までしか入れません。今年は昭和28年以来60年ぶりの「平成の遷宮」の年で、拝殿と本殿との間にある楼門まで入って参拝することができました。普通の神社と違ってここでは二礼、四拍手、一礼です。太さ8m、長さ13.5m、重さ4.5tの日本最大の注連縄が張られた神楽殿に昇殿して、厳粛な気持ちになって頭を垂れて参拝。神主さんの祝詞、巫女さんの舞の奉納のあと、御祓いを受けてお神酒とお授けものを頂きました。


10月6日~8日 北東北の旅
丸さんご夫妻をお誘いして、3日間のJTBハイキング・ツァーに参加しました。
6日 伊丹発のJALで1時間の空の旅。1時間20分で着いた「いわて花巻空港」はあいにく今にも泣きだしそうな空模様でした。

いったん南下して一関市厳美渓(1)で昼食。出発まで天然記念物の渓谷美を観賞しました。午後は霧雨の栗駒山麓世界谷地(やち)を散策(2,3)。秋田県鹿角の湯瀬温泉に泊まりました。



7日 夜来の雨が上がった八甲田山へ。ロープウェイで田茂萢岳へ登り、田茂萢(たもやち)湿原から美しく紅葉した上毛無岱(けなしたい)、下毛無岱を経て酸ヶ湯へ下りました。



酸ヶ湯で入浴中、激しく降っていた雨も小降りになり、和田湖畔の宿へ移動する途中で奥入瀬渓谷を歩きました。



8日 発荷峠から八幡平へ。朝から無情の雨が降り続き、八幡平の頂上はガスと雨で無展望でした。
山頂ハイキングは急遽、後生掛温泉周辺(1~3)と大沼のハイキング(4)に予定変更されましたが、普段ツァーでは行くことのないコースを歩けて、まずは満足の旅でした。


11月5日 奈良公園



正倉院展に行きました。「なら仏像館」、青銅器館もゆっくり見て、奥村記念館の屋上に登り、夢小路から大仏殿周辺を散歩。紅葉も始まり鹿クンもたくさん群れていました。
飛火野の紅葉も進んでいます。秋の奈良は外国人も含めて大勢の観光客で賑わっていました。


12月8日 京都東山散策



年に二、三度顔を合わせ、食事会やハイキングなどを楽しんでいるイタリア・ツァーのお友達と京都東山・三条通りにある文久元年創業の「三味洪庵」で昼食会。そのあと南禅寺、疎水、哲学の道を散策しました。まだ見事な紅葉で特に永観堂が圧巻でした。京都駅前で夕食後、京都タワーの灯りに見送られて帰りました。

今、1年を振り返るとここ二、三年の間にだんだん山歩きの回数が減り、旅行=それも安直な旅行会社のツァーにシフトしていくようです。それでもバスや飛行機での移動に耐えられる間は、内外の見知らぬ土地を訪ねて、まだ衰えぬ好奇心を満たしていけたらと欲張っています。それでは皆さん、どうぞ良いお年をお迎えください。


2013年の旅(1)

2013-12-29 09:46:57 | 旅日記

今年初めての旅は「台湾10大都市周遊5日間」のツァーでした。初めての台湾は思いのほか見所が多く、気候も過ごしやすい季節でしたので楽しい旅になりました。

3月3日 昼過ぎ台北に着き、まず陶芸の故郷といわれる鶯歌(イングー散策。かっては尖山埔路と呼ばれ、両側に製陶工場が並んでいた鶯歌老街は、今は工場は郊外に移転して陶磁器の店を中心とした町並みになっている。

次に三峡(サンシア)へ。三峡渓に架かる長福橋を渡ると賑やかな三峡老街で、亭仔脚と呼ばれるアーチ型のアーケードの下に赤煉瓦の立派なバロック式建築が並ぶ賑やかな商店街である。近くの清水祖師廟は災難除けや福を授ける神様として人々から篤く信仰され、建物の至る所に芸術的な素晴らしい技巧がこらされた台湾美術の宝庫である。

旧暦正月15日は台湾四大節句のひとつ「元宵節(げんしょうせつ)」で、台湾各地でこの日を前後にランタンフェスティバルが行われる。今年のメイン会場・新竹高速鉄道駅前広場で人混みの中を約1時間、夢のように美しくも妖しい世界に迷い込んだような一刻を過ごした

3月4日 台中のホテルを出て宝覚寺へ参詣。境内の金色に輝く布袋さん(弥勒菩薩)は高さ30.1m(1)。本堂の釈迦三尊に詣でて外に出ると、戦時中に亡くなった日本人や台湾出身で日本軍人として戦い戦死した人の慰霊碑や納骨堂があり、改めて台湾と日本との深い関わりを感じさせられた。台中を出て、標高750m地点にある台湾最大の湖・日月潭(リーユエタン)(2)へ。真ん中の島を境にして北側が円形に近いので日潭、南側は三日月形なので月潭と呼ばれる(異説あり)。湖を見下ろす文武廟には孔子、武聖関公(関羽)、開基神明が祀られている(3,4)。

午後は日月潭から1時間半ほどの台南へ。清代初期には首府として台湾の政治・経済・文化の中心地として栄えた。赤嵌楼
は1652年、当時台湾を占領していたオランダ人が築いた城の址。現在は清時代の海神廟と文昌閣が建ち(1)、北東稜堡基礎部分の煉瓦が残っている。また1661年、抵抗運動の末、オランダ人から台湾を解放した鄭成功記念像が庭園に立っている。蓮池潭(リャンチータン)は高雄市郊外にある周囲約5kmの美しい淡水湖である。自由行動になったが、楽しみにしていた龍虎塔(2)は残念ながら修理中で登れなかった。池の周辺のお堂などを遠望しながら、中央の橋まで行ってハスの花を見た。夕刻、台湾南部にある台湾第二の都市・高雄(カオシュン)に着き寿山公園から街の展望を楽しんだ(3)。レストランで夕食後、長さ数百mに渡ってずらりと屋台が連なる六合国際観光夜市 (4)を散策した。


3月5日 台湾3日目は西海岸南部の高雄から東海岸ほぼ中央の花蓮まで338kmのバス移動である。原住民の集落(1)がいくつか点在する山間部を走り抜けて東海岸にでる。台東で昼食後、65キロ北東の三仙台へ。元は一つの岬が海水の浸食で先端が離れ、三つの岩の小島となったものである(2,3)。美しい海岸美を鑑賞したあと、再び11号線を北上。静浦の北回帰線標誌(記念塔)で休憩(4)。北回帰線は23度26分22秒を通り、西海岸台湾海峡側は嘉義を通っている。この線より南は熱帯で北は亜熱帯とされている。この日は花蓮(ホアリェン)で泊まった。

3月6日 盛り沢山なスケジュールの最初は、まず太魯閣(たろこ)渓谷。花蓮県を流れる立霧渓が大理石などの硬質の岩盤を侵食して作り上げた美しい渓谷で、標高3000m級の中央山脈を通り花蓮と台中を結ぶ「東西横貫公路」が通っている(1)。今はバスの窓から楽に渓谷美を眺められるが、道路工事中には212人の尊い犠牲があった。長春祠はその霊を慰めるために建てられた(2)。花蓮に帰り名産の大理石工場を見学した。特急列車で移動するはずだったが、先行の貨物列車の脱線事故のため駅は人で溢れている(3)。結局、バスで山越えして北行するが、海からすぐに迫る断崖上の道路が鉄道ともつれ合うように、幾つものトンネルを連ねながら続いていて(4)、何度も肝を冷やす。結局これで台湾をバスでほぼ一周することになった。

九フン(人偏に分)は台湾北東部にあり、戦前(清の時代から)は近くの金瓜石に東洋一といわれた金鉱があった関係でゴールドラッシュで栄えた町。閉鉱後はノスタルジックを感じさせる往時の町並みがそのまま残り、今は新しい観光の町となって生まれ変わっている。映画「非情都市」で有名になったが、その舞台となった阿妹茶酒店が(2)。この町は宮崎俊監督の「千と千尋の神隠し」の舞台でもあり、阿妹茶酒店の向かい側には『神隠少女』湯婆婆的湯屋…の看板を出し喫茶店があった(3)。(4)は「昇平戯院」。台湾最古の映画館で今は資料館のような形で保存されている。しばらく坂の多い町を散策した。

台北に着いたのは17時を過ぎていて、慌ただしく故宮博物館を見学した。何しろ70万点の収蔵品を有する博物館なので、わずか1時間余りの見学ではその一端に触れただけに終わった。ホテルで夕食を済ませ、台北101へ。高さ509.2m、地上101階、地下5階の台北のシンボルタワーで、ショッピングモールや証券取引所、銀行や企業も入る複合ビルである。世界最速」を誇るエレベーターで89階の展望階に昇り、美しい台北の夜景を見下ろした。ホテルに帰ると21時、長い一日だった。

3月7日 最終日はゆっくり起きて二人で台北のホテル周辺を散策した。まず朝市を見て迪化街(テイーホァチエ) へ(1)。19世紀中頃の清代に貿易商人が形成し始めたというだけに、100年を超す老舗がずらりと並ぶ問屋街である。その一画にある台北霞海城隍廟に詣でる。ツァー最後の目的地は中正記念堂(2,3)。「中正」とは蒋介石の名前で(介石は字・あざな)、彼の遺品などが飾られている。日中戦争の相手だけに、われわれ高年者には複雑な思いだった。これですべての日程を終えて台北空港へ向かう(4)。

台湾は時差が僅か1時間でフライトの時間も短く、気軽に行くことができる「外国」である。人々は概して好意的で暖かく接してくれる。とくに高年者には親日家が多く、日本語で話しかけてきて君が代を歌ってくれた人までいた。お蔭で楽しく過ごせて、是非また再訪したいと思っている。


2013年の山歩き(2)

2013-12-28 09:03:00 | 山日記

7月16日~17日 立 山

三連休明けを待って丸屋夫妻と1991年以来の立山に登った。丸さんの車で着いた立山駅前の駐車場も、ケーブルも高原バスも意外なほど空いていて、予定よりずっと早く11時45分に室堂バスターミナルに着く。正午、観光客で賑わう室堂ターミナルを出発。室堂近くで腹ごしらえをして何度か残雪をトラバースして一の越へ登る。この日はバスのドライバーも山荘の主人も「この月に入って初めて…」と言う程の好天だったが、明日の予報は思わしくないので余分な荷物を置いて14時20分、雄山へ向かう。15時20分、三角点着。最高所(3003m)の峰神社に登拝して17時過ぎ山荘帰着。泊り客は私たち4人を入れて10人で広い部屋に一家族づつ入れた。

17日、昨夜からの濃い霧は朝になっても晴れず、小屋主の「午後から雨になりそう」という話に下山することにした。室堂に降りたころには青空も覗いたが稜線は雲に覆われていた。ミドリガ池、ミクリガ池を巡り地獄谷を覗いて室堂ターミナルへ。建物横で、よちよち歩きのライチョウの雛を母親が心配そうに見守っていた。出発寸前の11時のバスに間に合い、帰りも順調で夕方無事家に帰る。短い滞在ながら懐かしい山々を眺めて残雪の上を歩き、可愛い雷鳥や美しい花々にも会えて楽しい山行だった。


8月20日 大台ケ原

連日35℃を超す記録的な暑さから逃れようと大台へ。早朝の道は空いていて8時40分に山頂駐車場を出発、9時半に日出ヶ岳に着いた。雲一つない快晴で、山頂からは去年と違って360度の大展望が楽しめた。正木嶺を過ぎる頃から中天から照り付ける太陽で気温はジリジリ高くなり、ゆっくり景色を楽しむ余裕もなく先を急ぐ。無人の大蛇クラの岩頭に立って、いつもの「ニセ大蛇クラ」上の木陰で昼食。ときどき涼風の吹き上げるシャクナゲ林をシオカラ谷に下る。ここからの辛い登りを終えて駐車場に帰り、上北山村物産店でカップの氷を買って火照った身体を冷やした。午後になって雲が出てきたが雨は一滴も降らず、大滝の国道にある電光掲示板は35℃を示していた。


9月10日 葛城山

ようやく秋めいて鰯雲の浮かぶ空の下、足慣らしに葛城山へ行く。いつもの天狗谷道を登ったが、砂防工事はだいぶ下まで進んで迂回路で左岸に渡るようになって見慣れた谷の風景は一変していた。雲が出てきた無人の山頂でしばらく休み、高原ロッジの前で初めて泊り客らしい人に出会う。全く無人のツツジ園で赤トンボが舞っていた。たくさんの野の花を愛でながら、のんびりと歩いて駐車場所に帰り着く頃(まだ昼前)、雲が晴れてまた夏の様な強い陽射しが帰ってきた。早起きは三文の得。静かな山が楽しめた。


9月20日 金剛山

7時に水越峠に車を置き、ガンドバコバ林道を登りカヤンボを過ぎて右へ折れ、次のT字路からオオカミ谷を見下ろしながら登り、ベンチで一休みして太尾塞へ。ここから六道の辻までが、この日唯一の登りらしい登りだった。大日岳のまだ穂が赤いススキの原から見る河内平野は靄に霞んでいた。国見城址上で少し休んで転法輪寺、葛城神社に詣で、帰りは旧パノラマ台への道を下る。ヤマジノホトトギスやトリカブトの花を見ながら、昼前に水越峠へ帰った。


9月27日~28日  木曽駒ヶ岳

 

丸さん夫妻と一泊二日で木曽駒ヶ岳に行く。27日11時半、ロープウエイ千畳敷駅着。真っ青な空の下、ホテル横で南アルプスや富士を見ながら昼食を済ませ正午出発。剣ヶ池に下り、ナナカマドの赤い実を前景にした宝剣岳を見上げて、八丁坂を登り乗越浄土へ。今回もこの日のうちに木曽駒ヶ岳を登っておくことにした。少しガスが出たが夕方には晴れ上がり、宝剣山荘の窓から満天の星と月を眺めながら眠った。

 

28日、快晴で素晴らしいご来光を迎えた。木曽駒は6回目で宝剣岳も、農ヶ池から駒飼池へのコースも何度か通っている。何より昨夜の同宿90人近くの殆どが宝剣を目指すようだったので、狭い山頂は人で一杯だろう。始めての伊那前岳をピストンしてみた。これは大正解で、貸切の山頂で360度の大展望を存分に楽しめた。土曜日のことで数珠つなぎで登ってくる八丁坂を下山。家には17時前に帰った。一泊二日の慌ただしい、しかし充実した山行だった。

*同じメンバーで10月に八甲田山に行ったが、ツァーだったので山頂に登っていない。それ以後、年内は体調や天候不順などを言い訳にして、(矢田丘陵を別にすると)山を歩いていない。長い山歴でこんな年も珍しい。5年前(2008年)でも年間に海外(カムチャッカ・アバチャ山)を含め37回、10月以降だけでも(富士山を含め)9回の山行である。つくづく老いを感じる。
しかし立山、木曽駒、武奈ヶ岳と旧知の懐かしい山に登れたし、小さい病を抱えながらも何とか無事に過ごせた年だった。来年は世界遺産登録による人気沸騰で敬遠した富士登山を再開したいし、これからも歳相応に山と付き合って…というよりも山の懐に抱かれていきたいと思っている。


2013年の山歩き(1)

2013-12-27 09:15:13 | 山日記

この一年も足や腰の不安を感じながらも何とか無事に山歩きを続けることができました。一緒に歩いてくれた山仲間や♀ペンに感謝しつつ、2013年の山歩きを振り返ってみます。

初登りは1月2日、孫娘と3人で矢田山へ登りました。松尾山と併せて矢田丘陵は年中歩いていますがが、このリポートでは省略します。なお、山名から当日のBLOGにリンクしています。

1月6日 (天理)竜王山



天理の「お節会」(天理教本部神殿に供えられた鏡餅が鏡開きの後で切り分けられ雑煮にして振る舞われる行事で、全国からの信者の他に私たちのような信者以外の人もたくさん来ている。)に幸ちゃんと3人で行った。雑煮のお餅をしっかりお腹に収めて竜王山へ向かう。長岳寺からいつもの道を登り山頂へ着いたのは12時半だったが、初めて見るほどの賑わいだった。帰りは柳本古墳群を通り山辺の道へ下る。古墳の石仏にお餅とミカンが備えられていて、お正月らしい風景だった。
 

1月12日 六甲山(東お多福山~蛇谷西尾根~最高峰~蛇谷北山)

5年ぶりの六甲山。丸屋夫妻と芦屋で待ち合わせて、バスで東お多福山登山口へ。お多福山頂上で展望を楽しんで土樋割峠に下り、黒岩谷と出会うところで地下足袋姿の男性に教えられて東谷との間の尾根(西尾根?)を登る。急登の連続だが、大岩のトラバース、痩せ尾根、斑ロープが付いている急坂と変化に富んだ楽しい道だった。一軒茶屋前に出て最高峰で昼食後、石ノ宝殿から北山コースに入り蛇山北山(1988年以来二度目)を経て、土樋割峠から長い林道歩きで東お多福山登山口に帰った。天候に恵まれ、気が合って足の揃った仲間と一緒に初めてのルートも歩けて、楽しく充実した山行だった。
 

1月20日 二上山

「二上山ふるさと公園」を抜けて456段の急な石段で国見丘展望台へ登る。冬枯れの林の道を444.8mピーク(4等三角点)を経て烏谷口古墳への道を分けて眺め坂に出た。ここから雄岳に登り、無人の雌岳で昼食後、むせ返るような匂いを放つ満開のツバキの花の中を岩屋峠に下った。大池で人懐っこい水鳥に戯れて道の駅へ帰る。日までの寒さも一服、暖かい陽だまりハイキングだった。
 

2月8日 二上山

昨夜の雪が残り、ちらちら小雪の舞う寒い朝。裕泉寺山門の手前50mほどの地点から右の山腹に取り付く。雑木林の道から小尾根にで出て二上覗き」の岩場を登る。上からの展望は見事で、胸のすくような見晴らし台だった。数分で道の駅からのルートに合して今日は先に雌岳をピストン。残雪と紅い椿、青空の美しいコントラストを楽しみながら雄岳へ。神社と大津皇子墓にお参りして、鳥谷口古墳へ下る。ちょっとしたバリエーションルートの登降で新しい思い出を作れて、楽しい3時間半の山歩きだった。


2月11日 金剛山

丸屋夫妻と高天神社から郵便道を登る。水場近くから疎らに雪がでてきたが、凍結していたのでアイゼンは付けずにダイトレ(水越峠分岐)にでた。一の鳥居に来ると大阪側からの登山者で急に賑やかになった。仁王杉から葛木神社への急な登りも全く雪がなく、拍子外れだ。国見城址でコンロで湯を沸かして昼食をとったが、寒いので早々に腰を上げる。帰りは郵便道への入り口でアイゼンを付けた。雪が薄いので500段の階段下りが長く感じたせっかく楽しみにしていた雪もなく、登り下りとも途中で一度も休まず、丸さんご夫妻には申し訳なく思っている。
 

3月19日 二上山



春分の前の日、めっきり春めいた二上山へ。道の駅から裕泉寺、岩屋峠を経てアセビの花が満開の雌岳へ。雄岳へ登り返し、今日は道の駅へ下る途中から初めて鶯塚を目指す。しばらくは落ち葉に埋もれるような道を下るが、コルからははっきりした踏み跡で登り返し、やがて大きな岩の横を通って鳶塚(268m)に立つ。ここから急坂を分岐のある平地に下り、壊れた小屋の横を通って最後の急坂を下ると「二上山ふるさと公園」の北端に飛び出した。紅白のウメと黄色のサンシュユの花の上に浮かぶ二上山に見送られて、素晴らしいフィナーレだった。

4月16日 葛城山

春の妖精・カタクリに会いに丸屋夫妻と天狗谷を登る。中間ベンチで一休みして、弘川寺への林道と分かれ涸れ沢の横を登るとショウジョウバカマが群がり咲いている。谷の上部には新しい砂防堰堤が作られていた。山頂を踏んだ後、カタクリを見に歩く。南東側斜面のカヤの中から顔をのぞかせた花を丸屋夫人が見つける。野鳥観察路入口では既に満開の花が多い。ロープ駅へ下る途中から左手の自然観察路に入ると予想通り、今年もたくさんのカタクリを見ることができた。ダイトレへの道でもいつものカタクリに会って、キャンプ場上でゆっくりコーヒータイムを楽しみ、ショウジョウバカマに見送られて元の道を下った。

5月5日 天理・竜王山


爽やかに晴れた子供の日。長岳寺のツツジのトンネルを抜けて柿畑の坂道を登る。足元には野の花が咲き乱れ、山道に入る手前ではタケノコが何本も顔を覗かせていた。今回は久しぶりに奥ノ院のお不動さんにお参りした後、南城跡の山頂へ。全くの貸し切り状態なのでゆっくりコーヒータイムを過ごし、アスレチック風遊具で遊んでからこれも久しぶりの北城跡へ。もちろん無人で昔のようなワラビ狩りの楽しみもない。散策路経由で下山口に帰りもとの道を下る。全山溢れるばかりの緑のハイキング。


5月17日 武奈ヶ岳

丸屋さんの車に乗せて貰って比良へ向かう。花背トンネルを抜けて坊村の地主神社に駐車、御殿山コースを登る。葛川明御殿山1097m王院護法堂横から登山道に入ると急登の連続。 途中の分岐で冬道に入り涸れ谷を登って展望のよい高台で尾根道と合流、再び急登で御殿山1097mのピークに立つ。標高差100m下ったワサビ平から西南稜を登り、小ピークを三つ越して武奈ヶ岳へ。素晴らし展望に大満足して元の道を帰った。私たちには実に32年ぶりの武奈ヶ岳だった。少し厳しい登降はあったが、天候と展望と良い仲間に恵まれたお蔭で、それほど辛い思いもせずに歩けて「まだしばらくは山歩きができる」と自信がついた。


7月12日 金剛山

久しぶりのトレーニング山行。太尾を登り、大日岳から葛木神社へ詣でたあと国見城址へ。暑さのせいか人影も疎ら。まだ10時半なので、帰ってからのビールを楽しみにすぐ北尾根を下る。頂上では24℃と下界より10℃も低かったが、下るにつれて蒸し風呂のように暑くなり、今まで殆ど休まずに来た報いでだんだんペースが落ちて、最後は腰を下ろして水分補給。かなり消耗して北尾根登り口に出た。北尾根の下りで2時間もかかったのは多分始めてだろう。2009年5月、葛城、金剛を連続で登り、北尾根を降りたときから僅か4年で、ずいぶん体力が落ちたものだ。同じように暑さに弱い筈の♀ペンは、まだま余裕綽々の表情だった。(続く)


私の関西百山(40) 三上山

2013-12-26 14:25:49 | 私の関西百山

三上山(432m)  <信楽・大和高原>
【みかみやま】守山付近から見ると美しい円錐形で近江富士と呼ばれるが、実際は雌雄のピークを持つ双耳峰である。頂上部には巨大な磐座があり、古くから西山麓にある御上神社の御神体山とされてきた。

この神社の祭神はもと山頂に祀られていたものを、麓に勧請したものという。神社の説明板に「第七代孝霊天皇の御代に天照大神のお孫の天之御影の神がこのお山に御降臨になったので、爾来三上の住民はお山を神山として信仰し…毎年旧六月一八日の未明に山頂で神迎えのお祭りを続けている」と記されている。

しかし、『近江名所図会』には「絶頂に八大竜王の祠あり。毎歳六月十八日竜王祭とて、遠近来たって登山す」とある。これは頂上にあった石の地蔵を竜王として、雨乞いの神・農耕の神として崇敬していた。また、御上神社社伝の天之御影の神は、別名を天之一目箇神といい、忌火の神・鍛冶の神でもある。『近江名所図会』には「俗に蜈蚣(むかで)山という。秀郷の由縁によりいいならわしける」とある。この俵藤太の蜈蚣退治は「瀬田の橋下に住む大蛇の願いで、三上山に棲み山を七巻半する大ムカデを退治した」という有名な話である。

この山は戦国時代以来、荒廃していたが徳川秀忠によって御留山として保護され、緑の山となって特にマツタケの名産地になった。私たちも、たまたま松茸シーズンに行って入山料が必要と知って湖南アルプス・竜王山へ転進したことがある(1988年10月)。また、この山だけでは時間に余裕があるので、行く度に近くの菩提寺山や太郎坊山へ寄り道している。

 表登山口

御上神社の駐車場に車を置き、国道八号線を渡ると表登山口で頂上まで3kmの標識がある。すぐにきつい石段の登りが始まる。

 魚釣り岩

途中に神が岩上から釣りをしたという魚釣岩がある。山全体が水成岩で出来ているようだから、伝説にもいくぶんか事実は含まれていると思う。

 妙見堂跡

登山口から10分程で妙見堂跡。ここからいよいよ本格的に登り出す。

 割石

10分も登ると割石。ちょうど一人が横になって、くぐり抜けられるほどの割れ目がある。

 姥ヶ懐

更に急坂となり、部分的にスラブ状の手摺のある岩場となる。姥ヶ懐という。

ひとしきり登ると鳥居と社のある頂上に着く。

近江平野と琵琶湖を前に比叡、比良の連山、遠く白山らしき白い山も微かに見え、素晴らしい展望である。

下りは裏参道を取る。すぐに雌山。ここからは東面の眺めがよい。どんどん下って一揆の犠牲者の「義民の碑」と御上神社御旅所のある広場に出ると、直ぐに登山口に帰り着く。登り900M、下り1100Mの行程だった。

【参考コースタイム】御上神社11:10…表登山口11:15…頂上12:05~12:55…天保義民碑14:00…御上神社14:15(2001.12.16)


私の関西百山(39) 竜門岳

2013-12-24 11:26:58 | 私の関西百山

竜門岳(904m) <竜門山地>

  津風呂湖より

【りゅうもんたけ】奈良県吉野郡吉野町と宇陀市大宇陀区の境にあり、竜門山地の主峰にふさわしい堂々とした山容である。『大和志』に「竜門荘(りゅうもんのしょう)山口村の上方(かみつかた)にあり。山林遠く望めば蔚然(いぜん)(草木の茂るさま)として青々たり」と記されている。



登山口にある吉野山口神社は徳川家光寄進の石灯籠や、天然記念物のツルマンリョウ自生地として知られる。

並んで建つ高鉾神社は、もと竜門岳山頂にあったことが『大和名所図会』で分かる。共に延喜式内社である。

しばらく登ると竜門寺址がある。平安から室町にかけて栄え、宇多上皇や藤原道長も参詣したと『懐風藻』に記されている。近くの竜門滝は落差25m。

元禄元年(1688)、吉野を訪ねた芭蕉が立ち寄り、「竜門の 花や上戸の 土産(つと)にせん」の句を残している。文政元年(1818)、竜門郷14カ村の百姓が代官所を襲う一揆が起こった。いわゆる竜門騒動である。長らく旱魃に苦しんできたこの土地に、1951年、灌漑用ダムとして津風呂湖が造られ、新しい観光資源ともなっている。

  

吉野町山口から竜門寺址、竜門滝を経て山頂まで約2時間。嶽神社祠前に三角点があるが、スギやヒノキに囲まれて展望は殆ど得られない。

 登山口

  頂上間近か

1968年11月、大阪山友クラブの17名で初めて津風呂湖より全山紅葉の龍門岳へ登った。その後、数度登っているが、いずれも山口からのピストンである。二人で行った2004年7月1日のコースタイムを参考に挙げておく。

駐車地点(山口貯水槽)09:55…林道分岐10:25…尾根取り付き10:45 …竜門岳11:40~12:00…竜門滝13:10~13:40…駐車地点13:55


私の関西百山(38) 高見山

2013-12-22 08:44:11 | 私の関西百山

高見山(1249m)  <高見山地>

【たかみやま】よく「関西のマッターホルン」とか「関西の槍ヶ岳」と表現される。西側、とくに国道166号線の木津(こつ)峠付近から見た姿は、まさに「天を衝く」感がする。吉野郡東吉野村と三重県松阪市の境に位置し、台高山脈北端の山として南端の大台ケ原山と山脈を代表する。三峰山と同じく霧氷で有名である。

 木津から高見山

高見山は『万葉集』の「吾妹子をいざ見の山を高みかも 大和の見えぬ国遠みかも 石上大臣(石上麻呂)」 の「いざ見の山」に比定されている。去来見山(いざみやま)の別名はこの歌が元になっている。この山は古くは高角山(たかつのやま)といい、山頂の高角神社は神武天皇東征のとき道案内を勤めた八咫烏建角見命(ヤタカラスタケツノミノミコト)を祀る。山頂からの展望は名の通り雄大で、間近の三峰山をはじめ曽爾、大峰、台高の山々などが一望できる。

いくつかある登山路のうち、杉谷からは伊勢南街道を通り小峠へ。ここから急登で平野からの道と合すると、いくつかの巨岩を見ながら山頂に向かう。冬には美しい樹氷が見られる人気の高いコースである。杉谷の登山口から2時間15分。



最初に登った1978年1月の千日町ハイキング同好会例会では、子供たちも一緒に登山バスで杉谷まで行き小峠へ。今は寂れたこの道は旧伊勢南街道で、塩や魚の運ばれた重要な道だという。真っ白な雪の国道166号線を高見峠(大峠)に登り、寒さに震えながら昼食後、山頂を目指した。頂上付近の霧氷はさすがに見事で、エビノシッポ状の氷塊が宝石細工のようだった。

96年にも二人で歩いたこの杉谷からのコースを、2011年8月久しぶりに辿った【登山日】 2011年8月9日 
【参考コースタイム】杉谷登山口07:27…小峠08:27~08:45…平野分岐09;05~09;10…頂上10:20~10:30…大峠11:25~11:45…小峠12:05~12:20…杉谷13:15

 



杉谷登山口の禅寺・正福寺前に車を置かせて貰い、「山神」の祠から「旧伊勢南街道(紀州街道)」に入る。説明板によると『紀州、大和、伊勢を結ぶ塩の道、米の道、魚の道の交易路であり、かっては伊勢参宮の道であり、また紀州徳川家が江戸参勤交代にこの街道を利用した。特に夏は大峰山、年末には年越え参りで賑わった』道である。ところどころ美しい石畳が敷かれ往時の賑わいが偲ばれる。

「撞木松」の古木を過ぎると尾根に出る。草原になり朝露に濡れたススキを分けるように登る。再び石畳道になり「古市」の跡を通る。紀州、大和、伊勢の人が集まって市が立ったという。今では信じられないような山道の途中である。

「雲母曲(きららひじ)」を登り、未舗装の林道が通る小峠にでた。「高見山登山口」の石標がある。ここまでちょうど1時間。高角神社の鳥居をくぐると、急勾配をジグザグに登る厳しい道が続く。

みるみる林道が下になる胸のすくような登りで、最後は鎖のある岩の間を抜けて稜線に出る。平野からくる道との合流点である。ここから稜線を行くが、大きな露岩が次々に出てくる。神武天皇が国見をしたという国見岩に登ってみたが、周囲の樹木が生い茂り名前どおりではなかった。「揺岩」は「多武峰 大職冠 藤原鎌足公」と三度唱えると揺るぎだしたという。

次に右手が開けたところに「笛吹岩」がある。『高見山の開祖聖人がこの岩頭に登り笛を吹くと、両谷から雌雄の大蛇が駆け上がり、笛の音を陶然として聞き入ったといわれている。また笛の音が山すそまで聞こえると、次の日は必ず雨になったと伝わる』。ここから正面に国見山、その右に遠く薊岳が見えた。 緩やかな登り道が急坂に変わり、登りきると左側が開けた山頂部にでた。

 (Feb.1997)

分岐から平野への道は、1997年2月にML低山徘徊派の仲間と下山路に使った。途中で樹齢700年の高見杉を仰いだのが印象に残る。杉谷分岐から1時間足らずだったが、登りに使うと頂上まで2時間30分かかる。

 (Jul.1996 大峠より山頂を仰ぐ) 

山頂南側にある大峠は、昔から伊勢街道が通る高見峠として交通や通商の要衝であった。今は峠のさらに南の山腹を国道166号線高見トンネルが通っている。一番簡単に登るには、車で166号線から大峠に登り広場に駐車すると、1時間足らずで山頂である。

 (Oct.2011)

1987年7月、初めて登ってから10年後にマイカーで大峠の駐車場まで行った。鳥居をくぐると最初からきびしい直登だが灌木帯を抜けると展望が開ける。

 (Nov.2004)

山頂の様子を『社は昔のままだが立派な展望図の埋め込まれたものと、「霊峰・高見山」と刻まれたものの二つの標石があり、大きな避難小屋もできている。』と山日記に記している。

 大峠から山頂を仰ぐ(Oct.2011)

2004年11月も大峠まで車だったが、時間があるので先に雲ヶ瀬山(1075m)へピストンした(往復1時間強)。山頂は樹木に囲まれて展望はないが、少し南に歩くと三峰山とその右肩に局ヶ岳の鋭峰、右には迷岳などが見える開けた処に出た。ここはサシバなどの「渡り」が見られる展望所という。


私の関西百山(37) 学能堂山

2013-12-20 08:57:36 | 私の関西百山

学能堂山(1022m)   <高見山地>

【がくのうどうやま】奈良県御杖村と三重県美杉町にまたがる。三峰山から北に延びる支稜上にあり、楽能堂とも岳の洞とも書かれる二等三角点の山である。学能堂の名は、かって山頂に文殊菩薩を祭る祠があったことから、学芸上達を祈願する人たちの思いを偲ばせる。「御杖村史」には、昔、能楽が催された山と記されている。三重側の美杉町で「岳の洞」と呼ぶのは「大の洞」(大洞山)と同様である。昭和48年刊の「大和青垣の山々」では、「大和最東端の山」として、「山頂に至る道らしい道が開かれていない」と記されているが、今は奈良県、三重県の両側からいくつかの登山道がある。

私たちは1990年6月、杉平から水谷林道を経て県境尾根を登った。見通しのない杉植林の中を30分ほど登り、やっと稜線の908M地点に辿り着く。ここからは緩い尾根道の登りで、やがて下生えの熊笹の中を行くようになり、木の丈もだんだん低くなって、明るい日差しの中に飛び出したら頂上だった。一等三角点の標石の横には、「学能堂」「岳の洞」の二種類の標識が仲良く一本の柱に打ちつけられていた。

 北の眺め

ドーム型の山頂部はススキや笹で覆われて樹木が少なく、胸のすくような素晴らしい展望が開ける。北に倶留尊山と大洞山、尼ヶ岳、古光山。南には伊勢の局ヶ岳と高見山を東西に従えた三峰山が大きい。

また2006年12月には神末から小須磨山(850m)、小須磨峠を経る道を登った。最初は未舗装の林道を歩き、植林帯の支尾根を稜線通しに小須磨山(850m)へ。

山頂を三峰山からの縦走路が通っている。しっかりした稜線上の道を小須磨峠に下る。「学能堂山へ2.1㎞」を示す道標がある。左手にシカ防護柵の金網が続く杉林の中を登る。白土山、東俣山の二つのピークを越して、佐田峠への道を分けると

最後はカヤトの原の中、かなりの急登で学能堂山山頂に達する。この日は美しい銀世界だが無展望だった。

【参考コースタイム】駐車場所(みむね山観光案内所の先)10:10…林道終点10:40~10:45… 小須磨山11:25~11:30… 小須磨峠11:37…白土山12:01…東俣山12:13…学能堂山12:37~12:45… 佐田峠分岐12:58(昼食)13:30…小須磨峠14:08~14:13…小須磨峠登り口14:40…14:50 駐車場所(2006.12.18)



*他にも払戸、笹峠から登る道があると聞く。


私の関西百山(36) 三峰山

2013-12-18 16:33:21 | 私の関西百山

三峰山(1235m) <高見山地>

【みうねやま】畝が三つ並んだように見えるので、三畝山(みうねやま、さんせやま)とも呼ばれた。高見山地の中央にあり、奈良県宇陀郡御杖村、三重県一志郡美杉町、松阪市にまたがる大きな山容を誇る山である。
 山麓の御杖村は伊勢本街道が通り、垂仁天皇の皇女倭姫命が、天照大御神の御杖代(神意を受ける依代)」となって巡行した時、この地に行宮を造り休憩したところという伝承がある。村名は倭姫命の玉杖を祀ったことから生まれたという。

1985年5月、千日町ハイキング同好会の例会で神末から登った。ワンピッチで落差15メートルの不動滝。植林の中のジグザグの登りで避難小屋を過ぎ更に900メートルのゆるい登りで三峰山頂に立つ。登ってきた方角と反対側を5分ほど下るとササの緑が目に染みるような八丁平。思わず両手を広げて駆出したほどの、広々とした明るい草原である。下りは避難小屋から別の道をワラビを採りながら下った。

今は「みつえ青少年旅行村」が起点となる。冬季は「霧氷の山」として人気が高く、大勢のハイカーで賑わう。シーズンの休日には、ここまで「霧氷バス」が運行される。少し引き返し神末川に架かる橋を渡り、大タイ川沿いに行くと尾根道の「登り尾コース」と、落差15mの不動滝を見る「不動谷コース」に分岐する。いずれをとっても1時間半ほどで避難小屋がある地点で合流する。小屋から三畝峠を経て約30分で山頂に達する。

1999年2月、千日山歩渉会10名で登り尾道を登った。(2003年2月にも日本山岳会関西支部の山行で同じコース)。杉林の急登、ゆるやかな尾根道、また少し急な登りと次第に高度を上げる。キュキュと小気味よい音を立てて、アイゼンが良く利く。次第に霧氷が美しさを増し、真っ白な樹氷が出迎えてくれた。ときどき、林の切れ目から倶留尊山、大洞山などの曽爾の山々が低く見える。五本杉から三畝峠までの間が、杉やブナなどの霧氷が一番美しく眺められる所だ。峠からは雪に覆われた笹原のゆるい上り下り。風当たりの強い場所では小さなエビノシッポが見られた。

しばらくで、大勢の人で賑わう山頂に立つ。一等三角点の埋まる山頂は樹木の成長で、かっての大展望が失われ、僅かに北側に室生火山群が望めるだけである。少し南西に少し下った八丁平はススキやヒメザサに覆われた広々とした高原で、花期にはシロヤシオの花が咲き誇る。迷岳、池木屋岳、国見山など台高の山々の展望が良いところだ。

下山は新道コースを下る。ブナやヒメシャラの林がクリスタルガラスのように連なる中を緩く上下して行く。登り尾峰近くで雲が切れ、青空が覗きだした。午後の陽ざしに霧氷がキラキラ輝いて、夢の中のような美しさだった。振り返ると山頂付近の稜線が銀色に光っている。新道峠(ワサビ峠)から稜線はさらに高見山へと続くが、下山コースは右に折れて沢に下る。

途中の開けたところからは古光山、倶留尊山、大洞山、尼ヶ岳などの眺めが美しい。次第に水量を増す流れの横を行くと林道のゲートにでる。このコースは林道歩きが長いので、下山に使われることが多い。登りでは山頂まで2時間40分かかる。

【コースタイム】旅行村<560m>10:15…アンテナ基地(のぼり尾道合流)<760m>11:05…五本杉(不動滝分岐)<1080m>11:45…三畝峠12:15…三峰山 <1235.4m>(昼食)12:25~13:20… 八丁平13:25…新道峠<1060m>14:15…林道ゲート<820m>14:45~15:10…みつえ青少年旅行村15:40(1999.2.14)


冬枯れの矢田山麓歩き(2013.12.17)

2013-12-17 13:32:00 | 矢田だより

今の季節、七十二候では「熊穴に籠る(こもる)」候だそうです。じっと家に籠っていると運動不足になりそうで、少し遅い時間から矢田歩きに行きました。

今の大和民俗公園は紅葉も終わり近く…

枯葉が地面を覆って「熊五郎狐」も寒そうにしています。

帰りはちょっと遠回りして矢田坐久志玉比古神社へお参りしました。

矢落大明神の扁額がかかる拝殿をはじめ、境内はお正月の準備が進んでいます。



途中で見た古い石仏(奥)。下の石垣にはずらりと石臼がならんでいます。

我が家の近くまで帰ってきました。枯れ果てたアキノキリンソウの上に矢田丘陵。寒々とした冬景色です。