ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

大阪山友クラブ50周年

2009-11-30 09:51:31 | Weblog
昨11月29日、大阪新阪急ホテルで、大阪山友クラブ創立50周年記念パーティが
開かれ、かって会員だった変愚院夫婦も二人で参加しました。
変愚院の在籍したのは13年間ですが、現在までずっと会を支えてこられた
M.Mさんの呼びかけで48人が集まりました。

M.Mさんの司会で、クラブ創設者のM.Sさんの挨拶で始まり、変愚院が乾杯
の音頭をとらせて頂きました。
退会して35年以上経つので、殆どの会員たちとは初対面でしたが、昔馴染みの
懐かしい顔ぶれも多く、久しぶりの対面ですぐにお互いが青春時代に帰って
話に花を咲かせ、本当に楽しいひと時を過ごしました。

盛大なパーティでしたが、これまでに積み立ててきた遭難対策費用を一部充当
するからと、会費は無料で寸志も受け取ってもらえず、申し訳ない気持ちです。
これまで長い間、遭難者を出さないでやってこられたことは、どんな山行記録
よりも優れた素晴らしい業績だと思います。

MMさん、本当にありがとうございました。

サンサカの花

2009-11-28 17:51:20 | 我が家の歳時記


漢字で書くと山茶花。ふつうサザンカと読みますね。
しかし本来はツバキの意味で、サンサカから言いやすいサザンカに転訛した…
二、三日前の毎日新聞「余禄」欄からの受け売りです。

河内に住んでいた子供の頃、ゴロリと横になることはネロコブ(←寝ころぶ)
と言っていました。
大人たちはバスのことをパスと言っていたことを思い出します。

大和郡山城址の紅葉(11月26日)

2009-11-26 21:52:44 | 矢田だより
雲一つ無い青空の下、郡山城址まで歩きました。



暖かい陽を浴びて、お城の堀にカモたちが大勢浮かんでいます。



追手門

郡山城は天正時代(1580年)筒井順慶が築城、のち豊臣秀吉の弟・秀長の
百万石の居城となったお城で、日本桜100選に選ばれた桜の名所です。
明治6年に廃城令によって取り壊されましたが、1980年、築城400年を記念
して、この追手門(梅林門)や追手向櫓、東隅櫓、多聞櫓がなどが復元され
ました。



徳川時代になって何代か城主が変わりましたが、享保9(1724)年、柳沢吉保の
長男・柳沢吉里が甲府城から移り、以後は柳沢氏が明治まで城主として続きます。



見事な柿の木と市民会館(常盤曲輪)。
市民会館は旧奈良県立図書館で、早春にはここで盆梅展が開かれます。



毘沙門曲輪付近から追手向櫓を見たところ。
近くに柳沢家時代の史料を保管する柳沢文庫があります。
吉里は学問好きで、郡山藩政の基礎を固めた名君として知られています。
また有名な「郡山の金魚」は吉里が前任地の甲斐から、観賞用として持ち帰った
のに始まると伝えられています。



本丸跡には吉里の父、柳沢吉保を祀る柳沢神社があります。



久しぶりに、段差の大きな石段を天守台に登りました。



残念ながら現在、天守閣はありませんが素晴らしい眺めです。
東側の眺望。左端に若草山が見えます。



西側の展望。遠くにお馴染みの矢田丘陵。
近くのテニスコートやプール、建物は県立郡山高校です。



天守台を降りて北側に回ります。
野面積みの石垣の下部に前掛けを付けた石仏が並んでいます。
大和には石材が少ないので、筒井順慶が築城の折に周辺の古い寺院の礎石、
五輪塔、墓石や石仏までかき集めて石垣を造った名残です。
春の「お城まつり」では、供養のために大きな数珠を石垣に掛けまわして
「数珠繰り」法要が行われます。



中でも有名な「逆さ地蔵」暗く狭い穴の中にさかさまに横たわっておられます。
いつもお顔が判りにくいのですが、今日は光線の具合がよく、はっきり拝めました。
(中央の薄緑色のところがお顔)

これで城内の散歩を終えて帰りました。今日の歩数計11,411歩。

わが町の桜紅葉(11月25日)

2009-11-25 16:01:16 | 矢田だより
「桜紅葉」は俳句の季語にもあります。
角川書店編の「合本 俳句歳時記」には「桜の紅葉は他の木に比べて早い。
九月の末にはすでに黄ばみ、早いのは落ちてしまう。」



そして「美しいものではない。」とあります。
門外漢の私には不案内ですが、どうも仲秋の頃に使う季語のようです。
これは春には美しい花の並木となる、我が町の桜紅葉。今、落葉盛んです。
たしかに花のあともこの時期も、ご近所の方には掃除でお世話をかけますが、
「美しいものではない。」と決めつけるのは可哀想に思えます。



今日はケイタイで撮った写真ですが、青空に映えてなかなかキレイです。

カラパタール登頂

2009-11-24 09:00:53 | 過去の今日
ちょうど10年前の1999年の今日、ネパールのクーンブ地方にある
エベレストの展望台、カラパタール(5,545m)に登りました。



快晴。この高度にもかかわらず、幸いによく眠ることができた。
長時間の行動を予測して7時に出発する。カメラなどを入れた小さいザック
だけの殆ど空身で、一歩、一歩踏みしめるようにゆっくりと登る。



広く荒れた砂地を行き、山腹の急な道に取り付く。ガラガラの岩屑の道で
歩きにくい。横の斜面には、大きな霜柱がエビノシッポ状に地面から突き
上げていた。見下ろすと右手にクーンブ氷河が青白く光っている。
若い山仲間のイシとサッチャン、ラデュ(シェルパ)の3人は順調に高度を
上げ、次第に先行して岩陰に姿を消した。



何度も立ち止まり、大きく呼吸する。その間隔が次第に短くなる。
穂高のザイテン・グラードを登る感じだった道が、剣岳を思わせる岩場の
直登になった。和子も苦しいのか、私より更に下の方に見える。



ミン(サーダー)がぴったりサポートしている。私にはモハン(シェルパ)。
少しでもふらつくとサッと支えてくれるなど、非常に献身的だ。
彼らスタッフの力がなければ、頂きにたどり着くのはより困難だったろう。



10時過ぎ、イシらに30分ほど遅れて、やっと5545mの頂きに着いた。
しばらくして和子も頂上に立つ。ばたばたと五色の旗が風にはためいている。
青いというよりも黒みがかった空の下に、ぐるりと純白の神々の座が居並ん
でいる。すぐ近くにプモリ、クンブ、頂上付近に笠雲を冠とした世界最高峰
サガルマータ。そしてローチェ、アマダブラム、カンテガ、タムセルク、
タウチェ・ピーク、トゥナ・ピーク…。

ICレコーダーの録音。
イシ「あー、なんでもやればできるもんだと思いました」
サッチャン「やっとここまで来ました。誘って頂いて本当にありがとうございました」。
和子「あんまり苦しい登りで、まだ感動が沸いて来ません」



ミン「皆さん4人とも登れて本当に良かったです。私もうれしい」。
私のこの時の率直な感想は「あー、これでもう歩かなくていい」ということ
だけだった。この時、たどたどしい「雪山讃歌」の歌声が流れてきた。
一生懸命練習したラデュ君が歌っているのだ。思わず熱いものがこみ上げてくる。
「長い間の夢が叶いました。イシ、サッチャン、そしてスタッフのみなさん、
本当にありがとう」。

黒みがかった蒼空に聳えるのはプモリ。悠々とヒマラヤワシが舞っています。



正面に見えるサガルマータ(エベレスト)に雲がかかってきました。
頂上で至福の時間を過ごしたのは僅か30分ほど。
下りも、時にはふらつく身体を支えられながらゴラクシェプに帰りました。
しばらく休むと長居は無用。できるだけ早く高度を下げる必要があります。
どんどん下って17時、目的地のロブチェに着きましたが、テント地は満員。
さらに真っ暗な中を2時間歩いてトゥクラ(4,600m地点)へ。
この日の行動は12時間に及びました。

勤労感謝の日

2009-11-23 16:18:43 | 過去の今日
この日は連休になることも多いので、あちこちに登っています。



1958年 東六甲縦走。初めて大山に登った仲間と芦屋ロックガーデンから最高峰
へ登り、宝塚まで縦走しました。これが2度目の山歩きです。
ハンチングベレー帽というのが流行していました。



1960年 金剛山南尾根縦走 紀見峠から金剛山に登り、御所に下山しました。
金剛山頂葛木神社にて。右端が変愚院です。隣で手に雪塊を持って女の子に
イタズラしているのは9歳年の離れた弟。この時代は、この時期の積雪は
ごく普通のことでした。



1961年 比良山北比良峠付近。前夜、八雲ヶ原で幕営のとき、後輩たちが
苦労して運んできたバーズデーケーキで祝ってくれました。朝から降雪の中、
武奈ヶ岳に登り下山してきたところです。

1978年 多武峰の向かい側にある音羽三山(音羽山、経ヶ塚山、熊ヶ岳)を
縦走しました。何故か写真がありません。



1989年 毎年のように紅葉を見に行く大台ヶ原。大蛇にて。



1992年 唐木のキレット。鈴鹿山脈の南端近く、那須ヶ原山と高畑山の間に
あります。那須ヶ原山からキレットまではアップダウンが激しく、ところどころ
で藪漕ぎやガレ場の通過もあり面白かったです。



2000年 これも、あまり登られていないマイナーな大和の山。
大宇陀の南にあり、神武東征にまつわる八咫烏(ヤタカラス)伝説が残る山
です。



そして10年前の11月23日。標高およそ5,100m、「烏の墓場」という意味の
ゴラクシェプ。
荒れ果てたクーンブ氷河のアブレーション・バレー(側谷)に沿って登り、
標高差100mのサイドモレーンを越えて5時間かかって着いた、カラパタール
への最後の泊まり場です。背後の美しい三角錘の山はプモリ(7161m)です。
一休みすると、高山病の徴候が出てふらふらの身体を励まして、明日登る道を
標高差推定100m程登って高度順化しました。とても苦しい一日でした。

初冬の大和民俗公園 (11月21日)

2009-11-21 16:58:32 | 矢田だより


午後も遅くなってから民俗公園へリハビリに行きました。
矢田山に淡い日が当たっています。
肌寒い気温のせいか連休初日なのに人影は少なく、静かでした。



サザンカが花盛りで、カエデやドウダンツツジの紅葉と妍を競っています。



これは数少ない白い花。まだ咲き始めです。



また赤い実を見つけました。クロガネモチの実です。
まだ少し足を引きずる感じなので、自重して園内を2周しただけで帰りました。