ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

バラ満開の松尾寺と松尾山ミニハイキング(2012.05.30)

2012-05-31 20:42:52 | 矢田だより


斑鳩の古寺・法起寺に隣接する斑鳩町営駐車場からスタート(8時45分)。オオマツヨイグサが咲いています。



駐車場横のセンダン。「双葉より芳しい」のに、花が満開の今は素晴らしい香りでむせるほどです。



足元のワルナスビ。よく見ると可愛い花です。



クサフジの花や



ジャガイモの花…いろんな花を見ながら法隆寺からくる広い舗装路に出て、緩い登り坂を山へ向かいます。



駐車場から20分ほどでゴルフ場下の池の畔へ来ます。手前の石垣沿いにスイカズラが咲いています。実質的に登山口になるここまで車で来る人も多く、自転車ならもう少し先まで登れます。これから1丁ごとに町石やお地蔵さんが迎えてくれる「十三丁」の参道を登ります。



毎日お詣りの人と出会いながら20分ほど登ると南側の山門です(9時25分)。



境内には10数人の大グループのハイカーがいて、声高に話し合っています。男性は3人で他の方は「三人寄ると…」といわれるご婦人方。本堂へのお詣りは後でゆっくりさせて頂くことにして、先にバラ園を見せて頂きました。



前に来たときは早かったバラも早や満開を過ぎた気配です。



一株ごとに名札が付けられています。これはサプライズ。



タワーブリッジ。他にもたくさんの品種が艶を競っています。ゆっくりと見せて頂いて松尾山へ向かいます(9時40分)。



穴が見える大岩は本堂背後にある「神霊石」と呼ばれる磐座で、この山が昔は「修験の山」だったことを偲ばせます。矢田寺や矢田山へのハイキングは殆どの人が北門から舗装の林道を登り、松尾山はオミットするようですが、私たちは三重塔への石段を登って元の「行者入峰道」から松尾山の三角点へ登ることにしています。



三重塔から竹林を抜けて、切通しから尾根に入る道は滅多に人に出会わない本当に静かな道です。15分ほどで三角点に着きました(9時56分)。近くの白いフジの花は茶色に枯れていました。北側へ急坂を下り、縦走路を国見台へ行きましたが殆ど無展望でした。矢田寺分岐まで行って引き返すと先ほどのグループが国見台に到着して、また賑やかに話の花が咲いていました。



林道を下り、改めて松尾寺にお詣りします。北の総門を入ったところにある手水は「松尾の水」と呼ばれる閼伽井から流れる水で、「大和の名水100選」の一つです。ここから本堂まで一〇八段の石段を登って、今日も無事にお山に登れたことを感謝しました。

下りも調子よくどんどん下って、11時10分に駐車場に帰りました。少し汗はかきましたが快適なミニハイクでした。

八ヶ岳山麓ドライブ(2012.05.26~27)

2012-05-30 15:53:37 | 旅日記


先週土曜日、茅ヶ岳を下るとまだ正午前です。中央道を北へ引き返えす車の正面には懐かしい八ヶ岳の姿。
空は青いしチェックインには時間があるので、須玉ICで降りて清泉寮へ向かいます。



清里駅を過ぎた辺りから高原の雰囲気がいよいよ濃くなります。



清泉寮。標高1380m地点にあります。前にここを訪れたのは24年前の1988年、富士山に登った帰り道でした。辺りの風景はまったく変わっていません。

当初は清里開拓の父と呼ばれるアメリカの宣教師・ポール・ラッシュが、昭和13年に創設したキリスト教の青年研修施設でした。ペンションのオーナー斉藤さんに聞いた話ですが、戦時中にいったん強制送還されたラッシュさんは、マッカーサーとともにGHQ将校として敗戦後の日本の土を踏み、天皇が戦争犯罪者とならないために奔走したそうです。また高冷地での開拓には酪農が最適と考えて、清里高原に酪農を導入しました。現在では宿泊、研修施設を伴う観光の拠点ともなっています。



清泉寮の名物・ソフトクリーム。ジャージー種の牛乳を使用した濃厚な味で350円は決して高くありません。4分の1世紀前も今も、このソフトクリームを買うのに長蛇の列。ただし前は本館だった売り場が新しい別館に変わっていました。



たまたま「第9回 良い食品博覧会」というイベントが開かれていました。バター作りやコンニャク作り体験。広い牧草地ではトラクターに乗ることもできます(写真後ろに乗車する人が並んでいます)。これは「ジャージー牛の乳搾り体験」(1回100円)。おとなしいウシさんの乳房から勢いよく白いお乳が飛び出していました。



「金魚すくいもあります」というアナウンスに行ってみました。おそらく距離的に近い愛知県弥富の金魚だろうと話し合っていると…。



何とペンギン夫婦の棲息地・大和郡山の金魚でした。スタッフの方もこの通り頑張っていました。



駐車場では、まだ菜の花が満開、ボタンサクラも咲いていました。



標高1100mまで下って、今宵も「ねむのきペンション」でお世話になります。オーナーの斉藤さんとは2003年、ヒマラヤトレッキングでゴーキョピーク(5,360m)に登ったときの山仲間。Twitterを通じてまたお付き合いが始まり、今回の旅行もここを訪ねるのが主な目的で、どちらかといえば山は付け足しでした。



白樺の木立に囲まれた広いお庭にはヤマブキ、ヤマツツジが満開でシャクナゲも蕾を付けていました。ハウチワカエデの花も教えて貰いました。足元にはスズランが満開、スミレやササユリなど野の花で溢れています。



夕食はお肉とお魚、そしてスープなど。



前夜の夕食には揚げたての山菜の天ぷらも。わざわざ採ってきてくださったタラの芽、ウドは香りが高く、山椒の若葉は始めて頂きました。
食後はゴーキョの想い出や、その後のお互いの山歩きを始め話は尽きません。斉藤さんは幼いころから自然に親しんできて、野鳥を始め、動物、植物のインタープリター…つまり自然と人間との仲介者…でもあります。いろいろ伺ったお話の中でも、特に自然保護について、理想的な建前や「可愛い」とか「可哀そう」という感情論主体の保護団体に対し、日々の生活で直接動物と関わらざるを得ない地元の人々の考え方の違いを聞いて、大いに考えさせられるところがありました。



清潔なお部屋でぐっすり休んで、日曜日(27日)の朝を迎えました。朝食の時は小鳥が庭の水盤に水を飲みに来ていました。シジュウカラの巣箱に雌雄の親鳥が1分間隔ほどでセッセと餌を運んできます。朝になってから天体観測をさせて頂くのを忘れていたことに気付きました。次回はぜひお願いしましょう。





名残は尽きませんが9時前に帰途につきました。「時間があれば麦草峠を通って茅野に出れば…」とのお勧めで、国道141号線を北上して長野県に入ります。松原湖から「八ヶ岳ビューロード」に入ると、八ヶ岳の姿がパノラマのように展開します。



小海リエックススキーバレー付近の白樺林。あまり美しいので車を止めて林に入りました。小海町から佐久穂の199号線に入ります。




「メルヘン街道」の愛称で知られる高原の道はカーブの連続。そして標高2,127mの麦草峠に到着しました。冬になるとこの標識が埋まるほど積雪が多いところです。



その少し先が麦草峠のヒュッテ。1979年8月、私たち夫婦と息子、娘、そして義父母の6人で白駒池に泊まり、翌日、雨の中をこの麦草峠に着きました。ここから茶臼山、縞枯山、横岳、双子池と歩き、さらに一泊して双子山から大河原峠まで北八ツ縦走を果たしました。その後、1996年夏にも本白根山の帰りと谷川岳への往路として二度、この峠を車で越えています。その時と変わらぬ姿のヒュッテ前で、ベンチに座って暖かいコケモモのジュースを飲みました。



少し辺りを歩いてみました。枯草の中に背の低いショウジョウバカマが点々と咲いています。前に見えるのは茶臼山。今日も子供連れのハイカーが鹿除けのネットをくぐって行きました。30年以上も前になりますが最後に天祥寺平で雨が止み、小学6年生だった息子が夏休みの宿題用に高山の花の写真を撮りまくっていたのが、ついこの間のように思い出されます。

今回の山旅でも幾つもの新しい想い出を付け加えることができました。まだしばらくは二人で元気で歩け続けたいと願いながら、懐かしい山々に見送られて家路を目指しました。7

深田久弥終焉の山・茅ヶ岳(続き)

2012-05-30 06:01:06 | 山日記


9時30分、山頂に立つ。これまで樹木で遮られていた視界が一気に開けて周囲一面遮るものがない。南側から登ってきたが、行く手正面(北)に金ヶ岳の南北二峰が間近く見える。茅ヶ岳から南峰への縦走路は、標高差100m強を下ったコルから登り返していく。ちょうど先着していた先ほどのグループが、そちらへ降りていくところだった。女岩コルで知り合った青年に記念写真のシャッターを押して貰う。



やや雲が湧いてきて、背後の金ヶ岳左肩に見える八ヶ岳はぼんやりと霞んでいる。



三角点にタッチ。



この頃は、南にひときわ高く秀麗な富士が見えていたが、時間の経過とともに次第に雲に隠れていった。それほど広くもない山頂だが、まだ人影は少ない。私たちの他には写真を撮ってもらった青年と単独行の中年男性、それに若いペア。山ガールと山ボーイ風のカップルはガスコンロを取り出してお湯を沸かしカップラーメンを作っている。



山頂の真ん中に3Dの展望盤があったが、字が小さい上に薄れて読みづらい。コピーしてきた「展望の山旅」で周囲の山の同定を試みる。



北東の眺め。中央に金峰山、左に瑞牆山、右に国師岳と奥秩父の山々。



西。左から北岳(雲がかかっている)、仙丈岳、甲斐駒ケ岳と続く南アルプス連峰。山の名前を訊ねてきた礼儀正しい青年があり、私も初めての山なので「展望の山旅」のコピーを進呈すると、たいへん喜んでくれた。



10時を過ぎて次第に人が増えてきた。最初は金ヶ岳まで足を延ばそうとも思っていたが、展望も同じようなものと聞いていた上に次第に雲が多くなってきたので、10時20分、滞在50分で頂上を後にする。最後に記念写真を撮ったこの標識が二本あるのは、初代が抜き捨てられ後に発見されたので、二代目と並んで建てられたという。その様子を記した新聞記事がマップケースに収めて二本の標識の間に挟んであった。



帰りは殆どの人が同じ道を下っているようだが、西へ「千本桜→深田公園」への標識のある道に入る。15分ほど下って急な傾斜が緩む頃にT字形の分岐があり、右への緩やかな尾根道は千本桜へ通じるようだ。直進して登りに使った道と並行する形の道を行く。駐車場にあった地図で北杜市と甲斐市の市境界になっている、別のやや急な尾根である。



ところどころでヤマツツジが咲いている美しい林の中だが、けっこう急な長い下りである。ただ、登ってくる人も少ないようで僅か1パーティに出会っただけだった。



足元に咲くハルリンドウや



アケボノソウの写真を取りながら、ゆっくり下る。ほとんど腰を下ろして休まない私たちにとっては、撮影タイムがよい休憩である。その間に中年の男性が下って行った。



太陽が昇り高度が下がるにつれて次第に暑くなった。林の中でエゾハルゼミがうるさいくらいに鳴いている。青年が声もかけず「ジロリ」と横目で私たちを睨んで追い越して行ったが、すぐ先の木陰で腰を下ろして何か食べていた。汗を拭きながら歩き続けて11時45分に林道に出る。しばらく暑い林道歩きを覚悟していたが、なんと二、三分で朝の林道分岐だった。



正午ちょうどに深田記念公園に着いた。



「百の頂きに百の喜びあり」の名言を刻んだ碑と「深田久弥と日本百名山」の由来を記した案内板があるだけの、静かな公園である。
しばらく休んでいると山頂でコピーをあげた青年と会い、一緒に駐車場に帰る。日曜日の駐車場はぎっしりと車で埋まり、大型のバスも止まっていた。青年の話では朝私たちが登った同じ道を下ったが、バスツァー40人もの大パーティだったそうだ。つくづく、別の道を下って良かったと思う。青年はまた礼儀正しく挨拶して自分の車に乗った。私たちも半日の登山ながら、素晴らしい展望、美しい花々、いい人たちとの出会いに満足して茅ヶ岳を後にした。

深田久弥終焉の山・茅ヶ岳(2012.05..26)

2012-05-29 06:00:00 | 山日記
茅ヶ岳(1704m) 奥秩父山地の西南部、山梨県北杜市と甲斐市にまたがるコニーデ型火山。形が八ヶ岳に似ているため「偽八ツ」と呼ばれて混同されることもあった。山頂の眺望が良いことでも知られ、1971年3月、日本百名山で知られる深田久弥が登山中に脳卒中で亡くなった山でもある。



昨夜お世話になった清里高原・ねむのきペンションを6時前に出発。オーナーの斉藤さんから教えて貰った茅ヶ岳の右肩には、ぼんやりとだが富士の姿が見えた。国道141号を南下して須玉ICから中央自動車道に入り、次の韮崎ICで降りて県道を北へ走る。饅頭峠近くの深田記念公園駐車場には1時間足らずで着いた。7時前なのにすでに先着の車が8台、仙台ナンバーのワゴン車のラックには、昨日の雨の中を登ったのか何枚か着衣が干されていてドライバーは車内で寝ている様子だった。他の車は全て東京周辺か山梨ナンバー、関西のナンバーはわが車だけである。



広い駐車場の入口に大きな韮崎市の観光地図と並んでトレッキング・マップが設置してある。



反対側の清潔なトイレを使わせて貰い、身支度を終えて7時ちょうどに出発。真っ青な空の下、雨に洗われた緑が清々しい。5分ほどで深田記念公園下の分岐に来て右に折れる。地道だが車が通れるほどの広い幅の道で、ところどころで同じような道が交わる。右手に廃屋があるのは開拓地の名残という。足元にギンランが一輪咲いていた。



30分ほどで舗装の大明神林道に出会い、横切ってまた広葉樹林に入る。朱色のヤマツツジが咲いている。アカマツやヒノキに混じってカラマツも見えるが、なだらかな傾斜も道幅も変わらない道が延々と続く。



歩き出して1時間ほどして苔むした岩が目につくようになった。両側から尾根が迫って沢筋となり、道幅も次第に狭ばまってやっと山道らしくなる。足元に点々と見える白い花はニリンソウで先ほどからずっと続いている。



朝早いせいか、まだ目を覚ましていない花が多いようだ。



少し平らな場所では何か所も大群落を作って咲いている。



ゴロゴロした岩が混じる道になり勾配が強まると立入禁止の黄色いテープの張ってある所に来た。「注意 ここは女岩手前50m.山頂まで60分.女岩付近落石多く立入禁止」という掲示がある。北杜市観光協会のホームページによると、女岩はコース唯一の水場で「大岩から水が滴り落ちている」という。



木の間から突きあたりに見える、下に穴の開いた大きな岩が「女岩」らしく、ズームで写してみる(8時15分)。ここまで標準のコースタイム(1時間30分)より少し早いくらいで来た。ザックを下ろそうかと思っていると数人の男女のグループが登ってきたので、スポーツドリンクを立ち飲みしただけで休まずに先に行く。



道はジグザグに登りだし女岩を下に見下ろすようになって、いったん水平な道を行く。



まだ蕾のハシリドコロの大群落で写真を撮っていると、先ほどのグループが追い越して行った。ここからブナ林の中の急な登りが続き、先のパーティの姿が次第に小さくなる。



いつも通りスロー&ステディのマイペースでで登り続けて、8時50分、稜線に出た。駐車場を出てから初めて腰を下ろして休憩する。間もなく地元の若い男性が登ってきて言葉を交わす。奈良から来たというと「何故、こんな遠いところまで…」と聞かれた。答えに詰まったが「前から来たかった未踏の山なので」と答えた。後で山頂で聞くと、大阪にも勤めたことのある転勤族で「せっかく山梨に来たのだから」と3年ほど前から近場の山を歩いているそうだ。



尾根道を左に登っていくと「深田久弥先生終焉の地」の碑が立っていた。前の大盆にお賽銭の小銭がたくさん入っている。私たちは「深田百名山ファン」ではないが、この本で知って登った山も荒島岳はじめ幾つもある。偉大な先達の霊に手を合わせて、これからも元気で山行が続けられるように願った。



尾根道は両側に樹木が茂ってあまり見晴らしはない。モチツツジなどの木の間から右手に秩父の山々がちらほら見えるだけである。



大きな岩の間を急登すると頂上が近い。





岩の下にびっしりとイワカガミが咲いていた。(続く)

5月の「花の山」歩き(3)

2012-05-28 17:02:40 | 花日記
*昨27日夕、久しぶりに二泊三日の「ちょっと遠い山」から帰りました。レポートを作成中の間、書き溜めてあった残りの「5月の花の山」をご覧ください*



鈴北岳(1182m)
鈴鹿山脈では藤原岳が代表的な「花の山」がですが、4月に登ったことが多いので、ここでは5月の鈴北岳を紹介します。東近江市。鈴鹿山脈の北部、鞍掛トンネルの南、鈴ヶ岳方面への登山道と鈴鹿山脈縦走路との合流点にあります。トンネル出口近くの登山口からコグルミ谷を登りました。写真は1994年5月1日の日本庭園付近。この先に昭和32年の遭難碑が立っていますが、今年(2012年2月)にも亡くなった方がおられます。冬は気象条件の厳しい山であることが分かります。合掌。前年はコグルミ谷から鈴鹿最高点を通り、御池岳へ登りましたが、この年は北の鈴北へ深いササを漕ぎ分けながら往復しました。花は稜線に出るまでの谷沿いにイチリンソウ、ニリンソウ、キクザキイチゲ、エンレイソウ、ニリンソウなどたくさん咲いていました。稜線では期待通りカタクリの大群落でした。



イチリンソウ(1994.05.08)
一輪さくのでイチリンソウ、二輪咲くのでニリンソウ、三輪咲くのでサンリンソウ(山で見たことがありません)と思い込みがちですが、個体差があるのでニリンソウでも一輪しか咲かないものや、三輪咲いているものもあります。イチリンソウはニリンソウに比べて花が少し大きく、葉の切れ込みが細かい(人参の葉のように…)ことで区別しています。



キクザキイチゲ(1994.05.01 鈴北岳)
菊咲一華。菊のような花を一輪咲かせます。写真の花は蕾から開花に至る途中。鈴鹿では他に青紫色の美しい花も咲いています。これもアズマイチゲと紛らわしい花で、またキクザキイチリンソウと呼ぶこともあってヤヤコシイことです。



キクザキイチゲ(1993.05.09 コグルミ谷)



カタクリ(1994.05.01 鈴北岳)
片栗粉で知られた(現在の市販ものは殆どジャガイモの澱粉)金剛山や葛城山でもお馴染みの花ですが、ここの群落は半端じゃなく足の踏み場に困るほどでした。



鎧岳(894m)
奈良県宇陀郡曽爾村。写真(曽爾川嶽見橋より)で見るように、三段になった柱状節理の岩壁を武士の鎧に見立てた名前の山です。南側にある兜岳から逢坂峠を経て縦走できます。



チャルメルソウ(2003.05,18 鎧岳)
哨吶草。哨吶(シノウ)とは中国語で屋台のラーメン屋さんでお馴染みのチャルメラのこと。この植物の果実があのラッパの形に似ているそうです。ユキノシタ科の植物で三重県より西でしか見られない花です。



ナルコユリ(2003.05,18 鎧岳)
近縁種のアマドコロにとても似ていますが『ナルコユリは、花と花柄のつなぎ目が緑色の突起状になるのに対して、アマドコロは突起状にならない。また、ナルコユリの茎は丸いが、アマドコロの茎には6本の稜があり触ると少し角張った感じがする(Wikipedia)』そうです。



笠捨山(大峰奥駆道)

「奥駆道」は吉野から大峰山(山上ヶ岳)、近畿最高峰の八経ヶ岳を経て、さらに長大な奥山の道を熊野本宮に至る修験者の修行の道です。春から夏にかけて、山中泊をを含め何度かに分けて全行程を歩きました。5月には至る所でシャクナゲやアカヤシオ、シロヤシオなどの花々が疲れた体を癒してくれました。



ヤマシャクヤク(2005.05.09 大天井岳)



ホンシャクナゲ(2005.05.14 地蔵岳近く)



シロヤシオ(2005.05.15 笠捨山)

**まだまだ見て頂きたい「5月の山の花」は多いですが、ひとまずこの辺で…**

5月の「花の山」歩き(2)

2012-05-27 07:00:00 | 花日記


釈迦ヶ岳(1799.6m)
修行の道「奥駆道」が通る吉野から山上ヶ岳を経て熊野三山に至る大峰山脈。その「峯中第一の秀峰」といわれるのがこの釈迦ヶ岳です。山頂には「鬼マサ」の異名で知られた強力・岡田雅行が、独りで道を作りながら担ぎ揚げたという釈迦如来像が立っています。



この山へはそれまでに西の旭ダム側から一度、東側の前鬼から一度、さらに大峰縦走中にもピークを踏んでいますが、この時は旭ダムから往復しました。古田の森を過ぎ、千丈平に来るとバイケイソウの大群落がありました。
 お目当てのオオミネコザクラ山頂から北へ奥駆道を少し孔雀岳の方へ下った岩場にありました。岩や木にすがるような急坂を降ると、山肌にすがりつくように可憐な花が数株咲いていました。ハクサンコザクラに似ていますが、ずっと小型の可愛い花でした。前年はもっとたくさん咲いていたのに土砂崩れのために、この年は数が少なく残念でした。近くにはヒカゲツツジも咲いていました。



オオミネコザクラ(2006.05.26 釈迦ヶ岳)
サクラソウ科のコイワザクラの一種で、大峰山系、台高山系の岩場で見ることができます。



取立山(1307m)
福井県勝山市。加越国境に近く、付近にはスキー場が多いところです。頂上北側の取立平にミズバショウの群落地があります。
この日は林道が工事中で「東山いこいの森」の駐車場に車を置いて出発。林道の横に、めったにお目にかかれぬような立派なワラビが目に付きました。45分で、広い駐車場のある登山口。岩の崩れたようなゴロゴロした道を標高差250mほど登ると美しいブナ林の中の気持ち良い尾根道となり、新緑にアカヤシオや白いタムシバが美しい紋様を描いていました。イワウチワの花が多い小さなピークを越すと取立山三角点に着きます。正面に雪を被った白山が見えました。
取立平へ降りるとミズバショウがすぐ近くの湿地帯に群生していました。その数およそ3000株。ロープに沿って群生地の周囲を巡ると、残雪から流れ落ちるせせらぎの横にイワカガミ、イワウチワ、ショウジョウバカマ、イチリンソウなどの花が咲き乱れていました。





ミズバショウ(1997.05.17 取立山)
水芭蕉。サトイモ科の多年草です。「夏が来れば思い出す」の歌で知られる尾瀬が代表的ですが、他にも北海道の網走湖畔、長野県奥裾花、そしてここ両白山地の取立山も有名な群生地です。花のように見える白いところは仏炎苞(ぶつえんほう)と呼ばれる苞で、葉の変形したものです。花は仏炎苞の中の円柱形の部分で、小さな花がたくさん集まって花序を作っています。



ウメバチソウ (1997.05.16 取立山)
ユキノシタ科ウメバチソウ属。梅の花に似た形の花です。



赤兎山(1628.7m)
加越国境(石川県白峰村と福井県大野市、勝山市の境)にあり、白山火山帯に属する展望にすぐれた山。山頂部に高層湿原があります。この年<兎年でした>は雪が多くやっと3日前に林道の除雪が終わったばかり。明るい林の中をジグザグに登ると、ショウジョウバカマがずっと並んで咲いていました。雪解け水が溜まったところにはリュウキンカの群落。早くも残雪が現れ、土の現れている処ではイワナシや、ミヤマカタバミ、エンレイソウ、ネコノメソウなどの花を見ながら行きます。写真は小原峠を越えて大長山を背後に見て山頂への急登が始まるところです。
目印も足跡もない胸を突く雪の急斜面を登って尾根に出ると、小ピークを越したところが頂上で大展望が待っていました。
「北東から真東にかけての白山連峰。左端の御前峰からいったん下って次の高みの別山へ。三ノ峰、二ノ峰、一ノ峰の連なりは真東に距離が近いだけに主峰に劣らず堂々としている。手前には願教寺山から野伏ヶ岳への稜線。南西に荒島岳が青く浮かび、その右手・西に少し離れて経ヶ岳の姿が大きい。」大展望に満足して食事を済ませ、赤池まで散歩に行きました。正面に白山を見ながら残雪を踏んで笹原を下っていきます。雪の上に動物の糞が落ちています。兎かな?と思っていると雪面との境から笹原へピョンと飛び込む姿がありました。山の名と違って灰色のウサギでした。



リュウキンカ(1999.05.14 赤兎山)
立金花。キンポウゲ科リュウケインカ属。湿地帯で自生しています。黄金色の花を直立した茎の上に付けた姿から「立金花」と名付けられました。しかし花のように見えるのは萼片だそうです。「必ず来る幸福」という素晴らしい花言葉を持っています。



サンカヨウ(1999.05.14 赤兎山)
山荷葉。フキに似た葉の上に白い花を乗せたような形で、この花も湿地が好きなようです。山渓ハンディ図鑑「山に咲く花」によると「和名は漢名に基づく」とあります。そこで「荷葉」を調べるとハスの葉のことでした。私にはやはりフキの葉の方に似ていると思われるのですが…。



笠形山(939.4m)
兵庫県神崎郡神河町と多可郡多可町との境に位置する山。京の愛宕山から見ると、山の堅いが笠に似ているので名付けられたといいます。その山容の秀麗さから播磨富士と呼ばれる兵庫の名山です。五つもある登山口のうち、笠形神社の大鳥居が立つ寺家から登りました。林道から大岩の転がる涸れ沢を登って仙人滝の下に着くと、濃いピンクのクリンソウが咲き誇っていました。
 後は歩き易い山道で蓬莱岩を経てツツジの紅の中を稜線に出ました。高原状の笹原・鹿ノ原から笹ノ丸のピークを越えると頂上。さすが一等三角点だけあって360度の大展望でした。帰りはこんな山の中にと思うほど立派な笠形神社に参拝し、笠形寺を経て元の寺家に帰りました。



クリンソウ(1993.05.08 笠形山)
九輪草。九輪はお寺の塔の上に立っている九つの輪で、相輪、宝輪、空輪ともいわれます。日本に自生するサクラソウ科の中で最も大きいこの植物は、花の形がこの九輪に似ているといわれます。



ヒメレンゲ(1993.05.08)
コマンネンソウともいいます。キリンソウなどと同じベンケイソウ科の植物。和名「姫蓮華」の「蓮華」は根元の葉が仏の座る蓮華座に似ていることが由来とされています。この花も滝の飛沫を浴びる岩の上に群生して咲いていました。

5月の「花の山」歩き(1)

2012-05-25 07:00:16 | 花日記
山を歩いていて美しい花々に心惹かれるようになったのは、何時頃からでしょうか。若い頃は厳しい山に向き合って、「挑む」という程でもなくても登るだけで精いっぱいで、花を見てもそれほど関心を持てませんでした。ようやく足元に咲く美しい花々に心を動かされ、時には慰められるような余裕も出てきてカメラを向けるようになりました。そんな花たちとの5月の出会いの一部をご覧ください。
(ただいまフイルムスキャン、スキャナーによるプリントからのデジタル化などを行って整理中です。説明も不十分ですし誤りも多いと思いますが、ご指摘ご指導いただければ幸いです)



青葉山(693m)
若狭湾のすぐ近くに聳えています。秀麗な山容は福井・京都、それぞれの側から若狭富士、丹後富士と呼ばれています。山麓の松尾寺は西国二十九番札所。この山は山陰地方の植物の宝庫で、その数は400種類に及ぶといわれています。
 立夏の日、松尾寺から山麓の道を、ヤブツバキ、ウマノアシガタ、キツネノボタン、アザミなどの野の花を見ながら中山登山口に歩きました。尾根末端から植林地に入るとシャガとホウチャクソウの大群落。赤紫や白のイカリソウは東峰を過ぎて西峰まで私たちの目を楽しませてくれました。
 他にはアオダモ、キランソウ、スミレ、チゴユリ、エンレイソウなど。東峰山頂付近ではイワカガミの大群落。ここから西峰への尾根にはイワカガミ、ヤマシャクヤク、ヤマルリソウ、フデリンドウ…何度かハシゴ場などを過ぎて西峰へ。最後は10mほどの大岩に登って内浦湾の素晴らしい展望を楽しみました。帰りは松尾寺にお詣り。庭園はあでやかなボタンの花盛りでした。



イカリソウ・淡紫(2003.05.06 青葉山)
碇草、錨草。4枚の花弁が距を突出した形が舟のイカリの形に似ているのが名前の由来です。ただし、ここでいう「イカリ」は現在の形ではなく、昔の和船で用いられた四本鉤のイカリのことです。近畿でもあちこちの山で見かけましたが、花の赤紫色にはいろんな濃淡があるようです。



イカリソウ・白(2003.05.06 青葉山)



ヤマシャクヤク(2003.05.06 青葉山)
山芍薬。「立てば芍薬、座れば牡丹」という美人の形容詞となったシャクヤクの山ガール版。この時期あちこちの山で見かける花ですが、準絶滅危惧種として多くの都道府県でレッドリストに入っています。



シロバナニシキゴロモ(2003.05.06 青葉山)
錦衣。 シソ科キランソウ属。普通、赤紫色の花で葉脈が紫色に染まり美しいので、この名がつきました。日本海側の山に多いと聞きました。近畿でよく見かける似た花にツクバキンモンソウがありますが、これは標高の低いところでも見られます。写真は青葉山で初めて見たシロバナのニシキゴロモです。



七面山(東峰 1624m)
五條市大塔(元大塔村)にあり大峯山脈から西に張り出した支脈上に東西二つの峰があります。この日はシャクナゲを見るのが目的でした。車は王子製紙林道入口までしか入れず、そこから1時間、標高差330mの登りでようやく登山口です。さっそく杉林の急登が始まる中で、♀ペンがこの花を見つけました。
 笹原との境を行く道ではユキザサの群落、ギンリョウソウも落ち葉の中から顔を出していました。七面尾(も下辻山へ向かう長い尾根)から西峰へ向かう道ではまずシロヤシオ、そして次第に痩せてくる尾根道では回り一面が赤い色であふれかえるようなシャクナゲの大群落で、すっかり満足しました。
 東峰へ往復した後、西峰から西に続く槍ノ尾を下ると写真のアケボノ平にでます。このように気持ちの良い笹原が拡がっています。正面の円錐形のピークが七面山東峰、その向こうに仏生ヶ岳、孔雀岳と奥駆け道の通る大峰の山々が見えます。槍ノ尾三角点ピークまでにはシャクナゲのトンネルもあり、なかなか楽しい山歩きの一日でした。



イチヨウラン(2003.05.29 七面山)
葉が1枚だけなので一葉蘭。イチョウ〈公孫樹〉とは関係ありません。深山に見られる1属1種の日本特産種です。



シャクナゲ(2003.05.29 七面山)
石楠花、石南花。ツツジ科ツツジ属。ホンシャクナゲの他にアズマシャクナゲ、キバナシャクナゲ、ハクサンシャクナゲなど多くの種類があり、各地の亜高山帯でよく見かける花です。ヒマラヤでも色んな種類のシャクナゲを何度か見かけました。関西では十津川の「21世紀の森」で世界各地のいろんな種類のシャクナゲを見ることができます。関西のお寺でもシャクナゲの名所がいくつもありますが、自生地としては大峰山脈の山々や稲村ヶ岳などが有名です。



ギンリョウソウ(2003.05.29 七面山)
銀竜草。代表的な腐生植物(普通の植物のように光合成できず、菌類と共生して栄養素・有機物を得て生活する植物)です。色素が全くなく白いのでユウレイタケという名前もあります。全国の林床でごく普通にみられ、私の家の近く矢田丘陵でも見ることができます。よく似た植物にギンリョウソウモドキがありますが、これは出てくる時期が遅く秋になってからです。



七七頭ヶ岳(693m)
ななづがたけ。湖北・余呉湖の北に位置します。麓から仰ぐ山容の美しさから地元で「丹生富士」と呼ばれています。写真は上丹生近くの野神橋から見る七七頭ヶ岳です。ここから少し先の矢田部橋が登山口で山頂まで1.9km。地元の人がよく登る山のようで、エンレイソウが数輪咲くそばにたくさん木の杖が置いてありました。雑木林に入るとシュンラン。イカリソウはこの先頂上近くまでたくさん見られます。30分ほどで尾根道にでると、ヤマブキ、ヤブツバキ。あと「1000m」の標識近くはヤブレガサの群落。最後の急登ではヤマツツジ、ショウジョウバカマ、ブナやミズナラの疎林の中で各種のスミレ、シュンランも多かったです。
イワウチワは三角点北側の「るり池」周辺で、いくつも大きな群落を作って咲いていました。



イワウチワ(2001.05.14 七七頭ヶ岳)
花言葉が「春の使者」。名前は葉の形状が団扇(ウチワ)に似ていることから来ています。この花も、鈴鹿の竜王山や油日岳、京都の峰床山、加賀の取立山など色々な山で出会いました。



シュンラン(2001.05.14 七七頭ヶ岳)
春に咲くので「春蘭」。分かりやすい名前です。あちこちの山で自生しているのを見かけましたが、東洋ランとして栽培もされていてわが家にも鉢植えのものがあります。



油日岳(693m)
鈴鹿山脈の南端部、甲賀・伊賀の国境に位置します。甲賀・油日神社のご神体山。山頂には岳明神の祠がありますが、山名は「山頂に降臨した大明神が油の火のような大光明を発した」ことに由来するといわれています。
1994年に北側の油日神社から登り三国岳まで往復したことがありますが、この日は三重県側の南登山口からゾロ峠へ登り、北へ縦走しました。
写真は登山口手前の余野公園から。左端に見えるのが油日岳、右端がゾロ峠です。
 イワカガミは鳥不越峠から三国岳へ向かう途中の、何か所か虎ロープの張られた岩混じりの道のところどころで群れ咲いていました。三国岳は近江、伊勢、伊賀の国境です。この辺りにはイワカガミも咲いていました。ここからさらにいくつかのピークを上下して油日岳に登り、北側の尾根から分かり難い踏み跡をツツジが満開の余野公園に下りました。



イワカガミ (2009.05.01 油日岳)
北海道から九州まであちこちの山で見ましたが、開花期が海抜によって違うので亜高山帯では7月頃から咲き始めます。北アルプスの白馬岳では7月末に咲いていました。岩鏡の和名は葉が鏡のように艶々と光っていることから付きました。



イワウチワ(2009.05.01 油日岳)



但馬妙見山 (1139m)
兵庫県八鹿、関宮、村岡の境界にあり矢田川、日置川の分水嶺となっています。江戸時代からの信仰の山であり、ザゼンソウの自生地があることで名高い山です。
 大ナル登山口からキャンプ場を抜け山道になると「植物歳時記の道」の表示があり、スミレ、エンレイソウ、ミヤマカタバミなどの花が咲いていました。山頂には大きな方位盤があり、人の少ない静かな山でした。妙見新道を妙見峠に下ったところにエンレイソウの大群落がありました。ザゼンソウの群落は名草神社の社務所手前の山側斜面にありましたが、残念ながら花期は終わり近くで僅かの数の花が咲き残っているばかりでした。



エンレイソウ(2005.05.08 但馬妙見山)
漢字で書くと延齢草、なかなか縁起の良い名前です。他に延命草、養老草などの名があるのは、中国では根を胃腸薬の原料としたことから来ています。しかし有毒植物で激しい中毒を起こすことがあるそうです。



ザゼンソウ(2005.05.08 但馬妙見山)
座禅草。名前の由来はお坊さんが座禅を組む姿に見立てたことから来ています。お坊さんを達磨大師としてダルマソウ(達磨草)とも呼びます。サトイモ科の植物です。

名残のツツジ・大和葛城山(2012.05.23)

2012-05-23 17:58:11 | 山日記

今年は開花が遅れたのでまだ咲き残っていると聞いた葛城山のツツジを見に行く。



6時55分、水越トンネル大阪側入口近くの駐車場所。まだ時間が早いので格好の場所に置けた。身支度を整えて7時出発。バス停からの道に合するまで竹林の上の道端にはテンナンショウの苞が並んでいた。真っ青な空の下、爽やかな朝の空気を胸いっぱいに吸いながら舗装の急坂から、ひんやりした植林帯へ。先月は色んな花が咲いていた天狗谷沿いの道も今は昨日の雨でたっぷり露を含んだ緑の雑草が生い茂っているだけ。



沢を渡り、鎖の付いた大岩を過ぎたところで、また沢を渡し返して右岸の急な道を登る。全く誰にも出会わないのでのんびりマイペースで、その代り水場でも休まずに中間ベンチに着く。上のシャツは脱いだが汗もそれ程かかず、ここまで快調にきた。水分を補給して出発(7時50分~55分)



この上は木の階段道が続く。来る度に整備されて昔に比べるとずいぶん歩き易くなった。右に金剛山が見える切り開きのところでは足元にチゴユリを見た。大きく左にカーブすると花期が過ぎて丈が伸びたショウジョウバカマが山腹に並んでいる。T字路で左へ林道を分けて、右へ涸れ沢沿いにショウジョウバカマの群落の中を登る。去年、Hさんとツツジを見に行った上の林道にそれる。この辺りはまだヤマツツジの色が鮮やかだった。ここで男性二人が追いついてきた。挨拶を交わして、その後をいく。少し遠回りになるがそのまま弘川寺からの道に合流するまで行ってキャンプ場を過ぎる。ロープ駅からの道に合流すると急に人が増えた。



それでも広い頂上には、ほんの数人の人影だけ。今日も遠くの山々や大和三山はぼんやり霞んでいた。南側の笹原が切り開かれたところから、コオニユリらしい葉がたくさん顔を出している。また、この山の楽しみが増えたようだ。単独行の男性と記念写真を取り合って高原ロッジ前へ下る(8時40分)。



ツツジ園に来ると思ったより多くの人で賑わっていた。残念ながら一目百万本といわれるツツジ園の主役・朱色のヤマツツジは殆どが盛りを過ぎて色が褪せかかっている。それでも遠くから見ると青空に映えてまだまだ美しい。



ツツジ園下のベンチ付近のモチツツジはまだ蕾も多く、ツマグロヒョウモンが遊びに来ていた。ここからダイトレを水越峠に下りて金剛山へ登る時間はまだ十分にある(2年前には峠で正午だったので金剛へ向かった)が、二日後に遠出を控えているので今日は足慣らしでここまでにする。



ダイトレを登り返す途中で少し道をそれると、こんなビューポイントがあった。この私の好きな色のミヤマツツジは今花盛りだった。



♀ペンを呼んで登ってきてもらい、パチリ。



上の遊歩道に戻って、しばらくベンチに座ってコーヒータイムのあと高原ロッジの方に帰る。大きなテラスの並ぶ定番の撮影ポイントから金剛山の写真を撮る。9時45分、高原ロッジの前を通って下山にかかる。ウィークデーというのにロープ駅の方からどんどん人が登ってくる。しかし、キャンプ場にくるとまた静かな山道になった。それでも中間点のベンチが近づくにつれて登ってくる人が増えた。目の覚めるようなファッションの山ガールがにこやかに挨拶してくれた。ベンチには登ってきた人が腰を下ろしていたので水場まで下る。しかし、ここも人で一杯なので持参した水だけ飲んで下る。



膝をかばいながらだったが、休まず下って11時過ぎに駐車場所に帰る。天候に恵まれた上、体調もよくいいトレーニングができた。