ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

タイの旅(1)-バーンパイン宮殿

2009-08-31 13:43:44 | 旅日記
2009年 08月 26日(水)
昨夜22時35分、バンコク郊外のスワンナプーム空港に着きました。
H社のパックツアー・グループは予想したより多く、24名。
私たちの他には中年の夫婦連れ、母娘2組。男子大学生6+2名、ギャル2×4組。
もちろん最高齢者は私です。
シャワーを浴びて、ベッドに入ったのは1時を過ぎていたので、今日の出発は
ゆっくりしています。

10時、ホテルをバスでアユタヤに向け出発します。
14世紀中頃から18世紀までアユタヤ王国の都として、国際的にも有名だった
ところで、山田長政の活躍の場として知られています。
バンコクから北へ76キロ、立派な高速道路が通じていて約1時間で走ります。
バスの中は肌寒さを感じるほど冷房が利いていますが、車を降りたとたんに
凄い暑さが全身を押し包みます。
現地の女性ガイドの話しでは今日は38℃まで上がるということです。



まず王室の夏の離宮・バンパイン宮殿を見学しました。
門の周囲には白と青の布が巻かれ、国旗と並んで青い旗が立っています。
タイでは生まれた日が何曜日かを大事にするようですが、青い色は王妃
様の生まれた「金曜日」の色だそうです。
今月は王妃の生まれた月(8月12日生まれ)なので、どこへ行っても王妃
の顔写真と青い色だらけでした。



門を入ると大きな人工池を巡らしたなかに、広大で美しい庭園が拡がり、
その中にヨーロッパ、中国、タイと様々な建築様式の建物が散在しています。
案内図の右端が門で、まっすぐ斜め左に向けて進みます。



まずこの Haem Montien Devaraj(神王の黄金宮殿)に出会います。
入口で貰った英文パンフレットによると、石造のクメール様式のプラサット
(トウモロコシ型の神や王の住み処を象った建築物)で、かっての王が黄金で
作ったもののミニチュアといいます。(誤訳があるかも知れません)



横から見るとこんな形。裏に大きな菩提樹の樹がありました。



少し進んだところから見た三つの建物。
左のネオ・クラシック風建築は Phra Thinang Varobhas Bimarn
プラ・ティナン・ヴァロハス・ビマーン。
現在まで続くチャクリー王朝のチュラロンコーン王(ラマ5世)が1876年に
建てたもので、居室および外国使節などの謁見に使われました。
謁見の間にはタイの歴史の油絵が掛けられているということですが、見学は
できません。

右手の白亜の建物は Devaraj-Kunlai Gateとパンフレットにありますが、
二つの池の間にあるので水門なのでしょうか??



中央、人工池の中に立つのは Aisawan-dhipaya-asana Pavilion 。
正しくは Phra Thinang Aisawan Thiphya-art といいます。 
プラ・ティナン・アイサワン・ティッパアト。王が涼をとったところです。
これはぐるりと廻って正面から見たところ。
オレンジと緑の屋根のタイ建築様式で、十字型にポーチが張り出しています。

ここまでが外廷で、次に内廷へ進みます。<この項、未完>

タイから帰りました

2009-08-30 17:17:19 | 旅日記
昨日朝、タイから帰りましたが、暑い中を歩き回ったので少し疲れたのか
ほとんど一日中寝ていました。

今日は日記や写真を整理して、衆院選の投票に行ったり、出発前に壊れた
プリンタ(幸い購入店の5年間保証期間が残り半年ありました)を修理に
だしたりで、ご報告が遅れました。

タイにはもう何回も行っているのに、思わせぶりに○○などと書きましたが、
実はいつもプーケットとその周辺ばかりで、今度行ったバンコクとアユタヤ
は初めての観光旅行なのです。

25日は深夜ホテル着。26日、アユタヤへ。



王室の夏の離宮・バンパイン宮殿見学。
池の中に立つプラ・ティナン・アイサワン・ティッパアト



ビュッフェの昼食のあと世界遺産・アユタヤ遺跡観光。
まずワット・プラ・マハタートへ。
木の根に頭部が埋まった仏像など、痛々しい廃墟である。



次はゾウ乗り体験。これはプーケットやネパール・チトワンで経験済みだが、
今回はわずか10分間なので又乗ってみたい気持ちにさせる。

大仏寺(ヴィハーン・プラ・モンコン・ボピット)で12mの大仏を見て、次に
最大の見ものワット・プラ・シー・サンペットへ。



三基並んだセイロン様式のチェディの一つに登って写真を撮る。



タイスキの夕食後、美しくライトアップされたアユタヤ遺跡群鑑賞。
タイミング良くバスに帰るなり激しい雷雨になりました。

27日。バンコク三大寺院観光。



まず渡し船に乗って暁の寺へ。



次に黄金の大寝仏、涅槃寺。



翡翠の本尊を祭るエメラルド寺院。



王宮の前で衛兵の交代をみたりしたあと、昼食は飲茶食べ放題。
セントラル・ワールドで買い物をして、バイヨークスカイホテルの84階展望台
から市内展望後、フルーツ食べ放題の軽食。

夜はタイ古典舞踊を見ながらディナー。途中から屋根を叩く音が聞こえるほどの
雷雨が幸い小降りになり、ホテルに帰る途中ナイトバザールに行く。

28日
一日、フリータイムだが、外は暑そうなので、昼までのんびりベッドに寝転が
っている。13時、チェックアウト。ホテルに荷物を預けて、
下町情緒を味わいながら中華街を通り、運河を渡ってまたセントラルに行く。



夕方には若者のフリーマーケットがはじまり、バンドなども出て凄い人出だった。
17時過ぎ夕食を済ませ



再び屋台がでて賑わう町を歩いて、ホテルに帰る。
深夜、スワンナプーム国際空港を発ち、

29日朝、無事関空着。空港に預けてあったマイカーで家に帰りました。
若い人たちが中心の安いパックツァーで、汗をかきながら歩きまわりましたが
見どころの多い旅でした。詳しくは明日からレポートします。

しばらくお休みします

2009-08-24 12:05:09 | 矢田だより


朝晩はめっきり涼しくなりました。短い夏は、もう終わり近いようです。
庭のサルスベリ。精いっぱい青空に向かって花を咲かせています。
くすぐると枝や葉を動かすと、毎日新聞のコラム「季節のたより」に
ありましたが、本当かな???



白いムクゲも行く夏を惜しんでいるかのようです。

*明日から5日間、留守をします。
コメントを頂いても、すぐにはご返事できませんのでご了承下さい。
行き先は○○ですが、帰ってからのレポートをお楽しみに…*

ネパールの旅(3) カトマンドゥ散歩<アサン>

2009-08-24 08:20:13 | 旅の想い出
タメルチョークから南に歩いていくと、チェトラパティにでます。
ここは道がクモの足のように6本に分かれている分岐点です。



ここへ来る手前にあるネパール・キッチンというレストランでの、別の日
(トレッキングから帰った後)の昼食風景です。
ネパール料理の定番・ダルバート。
ダルは豆のスープ、バートはご飯。ネパールでは、これにタルカリ(野菜、
カリフラワーが多い)とアチャール(漬け物)が日常食です。
この店では、観光客向けにタンドリーチキンが付いていました。
定食で140ルピーですが、めちゃ辛かったのが印象に残っています。

チェトラパティから、そのまま南に直進してもダルバール広場にでますが、
見所がないので斜め左(東南へ)の道に入ります。



途中でこんなストゥーパ(仏塔)を見て更に進むと、日用品や雑貨を売る店
が並ぶ通りを抜けて…



小さい広場に出ます。人通りが多くとても賑やかです。
埃除けのマスクをした♀ペンに笛売りの男が近寄ってきました。



「カトマンドゥで一番カトマンドゥらしい」(「地球の歩き方」)といわれる
アサン広場です。
あちこちから道が集まり、東側へ歩くとラーリ・ポカリの前でカンティ・パト
大通りにでます。西は旧王宮のあるダルバール広場に通じています。



この写真と次の写真は2003年のものです。
新しい建物が増え、さらに雑然とした感じです。



先程から見えている三層のお堂はアンナプルナ寺院です。



いつも香煙と人々の鳴らす鐘の音が絶えません。



♀ペンも鐘を鳴らして旅の安全をお祈りしました。

ネパールの旅(2) -カトマンドゥ散歩1<タメルへ>

2009-08-23 09:54:34 | 旅の想い出
それでは、ホテルを出てしばらく散歩しよう。
カトマンドゥの市内は南北約2キロ、東西はそれより狭い地域だから
30分も歩けばどこへでも行けそうだ。
面倒だが地図を見て頂こう。(地球の歩き方1999~2000版より引用)



右上の赤い箇所は「現」王宮だったが、王制が廃止された今ではどう呼ぶの
だろう?
その左下隅の交差点には、市内(私が見た限り)で唯一の信号があった。
そこから真っ直ぐ南に延びるのがカンティ・パトという大通りでパタンに
通じている。



この道の右手、地図の水色のところはラーニ・ポカリという池で、中に白い
お寺が建っている。



ラーニ・ポカリの左上(北西)隅の交差点には陸橋があり、その上から北の
方を見たのがこの写真である(2003年)。
この交差点から左下の赤く塗られたところ、ダルバール(旧王宮)広場に
通じる斜めの道は、日用品などを売る店がずっと続く繁華街で、後ほど
ゆっくり歩くことにしよう。

地図の緑色の部分はラトナパークという大きな公園で、中にステージなどが
設けられている。
この公園の中ほどから西に延びる道がニューロードで、カンティ・パトと
このニューロードを中心に市街地が拡がっている。



私たちの泊まっているホテル・シェルパは、カンティ・パトの一本東側に
並行して走るダーバーマーグ(王宮通り)の西側 ② にある。
通りの向かい側には、各国の航空会社の支店やレストランなどが多い。



いよいよ、町に出よう。ホテルの少し南からパタン南側を見たところ。
① の銅像(何時の時代かの王様)が写っている。
反対側に真っ直ぐ進むと王宮正門に突き当たる。ここを左へ…
広い通りの両側に、絵葉書や土産物、帽子、Tシャツを売る露店が並ぶ。
最初に来たときはククル(犬)が多いことに驚く。ついで闇両替、楽器
やナイフなどの物売り…。



カンティ・パトを渡ってすぐ左手に古い寺院が建っている。
トリデヴィ寺院という。門をくぐると、英語で話しかけてきた人が
中を案内してくれた。別れ際にお礼を渡すと「お供えにします」と
そのまま賽銭箱?に入れた。近くに住む学生だそうで、ガイドの押し売り
かと誤解した自分が恥ずかしかった。



この先でカトマンドゥで一番の繁華街タメル地区に入る。
ゴミが散乱し、埃が舞い上がる道をオートリキシャやリキシャが走り回って
いた。ホテル、レストラン、土産物屋、本屋などがぎっしりと並んでいる。
(2006年には、道は少しきれいになり、スーパーも何軒かできていた)
写真は客待ちの色鮮やかなリキシャ。



タメルで息子の友人を訪ねる。「ネパール・ティー・トレーダー」の看板を
掲げる、少し名の通った紅茶専門店を営んでいる(写真は2006年)。
店の二階は「ふる里」という日本料理店で、「地球の歩き方」でも紹介され
ている。



昼近くなったので、息子おすすめの店「キヨスク・カフェ」で腹ごしらえをする。
ガイドブックには載っていない、長期滞在の外国人や地元の人がよく利用する店
である。
ネパール最初の昼食はネパール料理ではなく、チベット料理。
ヤキソバ風はチャウメン(Rs.35)、餃子に似たのはモモ(Rs.15)。
モモの中身は水牛の肉(ネパール人は宗教上の理由で牛を食べない)
だが、これがなかなか旨い。
♀ペンがめったになく食べ残しをするほどのボリュームで、これにビールを1本
付けてお勘定は170Rs.(ネパールルピー)
このときの為替レートは Rs.1=2 だから、二人で腹一杯喰って飲んで340円!!
だから、ネパールが好きだ!

ネパールの旅(1)-カトマンドゥへ

2009-08-22 21:01:21 | 旅の想い出
「…はじめてきた来た土地なのに何故か懐かしい思いがするのは、ここが
私たちの心の故郷なのかも知れません。牛が鳴き、鳥がさえずり、
ゆっくりゆっくり悠久の時が流れます。ふだん忘れていた大切なものが、
もう少しで見付かりそうなネパールの旅でした。…」

1997年11月、はじめてネパールに行った時の感想です。それから1999年、
2003年、2006年と合わせて4度、ネパールを訪れましたが、まだ大切な
忘れ物は見つけられません。これからも何度かこの国を訪ねてみたいと
思いますが、とりあえずトレッキングの往き帰りに訪れた町の想い出を
綴ってみます。



夜のトリブヴァン国際空港(1999.11)。
ネパールの首都・カトマンドゥ西部にあるネパールの玄関口である。
機体にROYAL NEPAL の文字が見えるが、国の名前がネパール王国から
ネパール国に変わった今では、懐かしい名前である。
この時は関空から週2便(水、日)の定期便があり、13時に関空を出て
18時45分着だった.
しかし欠航が多く、持ち主の王様が使うときは2機しかないうちの1機
で運航しているという噂があった。



現在、日本とネパール間の直行便はない。
08年08月に再開するとのことだったが、そのままになっているらしい。
2003年、2006年はタイ航空で、バンコクで一泊して乗り継いだ。
写真は2006年、バンコク郊外にあるスワンナプーム空港。
2日前の9月28日に開港したばかりで、空港係員も右往左往していた。



その代わり、昼間の飛行なので機上からヒマラヤを見ることができた。
右端が世界最高峰・エベレスト



初めての時は、暗い街路を野良ウシが堂々と横切り、ポンコツ車が走り
廻っている中をホテルに着いた。
チベット風建築のホテル・シェルパ。(翌朝の写真)



金色の地に「ブッダの智慧の眼」が描かれたエレベータの扉。



部屋に落ちついたところ。歓迎の花輪とカタ(白い絹布)を首にかけて
いる。



近代的な清潔なホテルだが、テーブルの上にはウエルカム・フルーツと
いっしょに、なんとローソクとマッチが置いてあった。
今はそんなことはないが、当時のネパールは電力事情が悪く、首都でも
何時停電があるかも知れない状況だった。
もちろん、山にはいると電気の来ている村の方が珍しかった。
ランドルンという村で泊まったとき、深い谷を距てた向かいの村ガンドルン
に灯りが点った。こちらの村は羨ましいだろうと思っていると、ちらちら瞬く
か細い灯りがしばらくして真っ暗になった。停電だったそうだ。



ホテルシェルパには1999年、エベレスト街道トレッキングのときも世話に
なった。(二階の植え込みがよく育っている)
このときには、もう停電の心配はなかった。



このドアマンはいつもさっと挙手をして「ナマステ」と笑顔で送迎して
くれる。覚え立てのチベット語で「タシデレ」というととても喜んだ。
この懐かしいホテルも06年にはなくなっていた。倒産したのだそうだ。
ネパールの都市部は、どこもホテルが多くなり過ぎて競争が激しい。
もっと小さなホテルやゲストハウスは、さらに淘汰が厳しいと聞いた。

このドアマンは新しい仕事にありつけただろうか…。

今年最後?の月下美人(8月20 日)

2009-08-21 08:07:45 | 花日記


21時、おそらく今年最後と思われる月下美人が開き始めています。



21時40分、殆ど満開です。



10時20分、満開。この芳香を画面でお伝えできないのが残念です。

今年は二つの鉢が6月に2輪、8月に7輪花を咲かせました。
あと二輪ついていた小さい蕾がこの夜、下に落ちました。
おそらく来年まで会えないと思うと少し淋しいですが、来年は他の鉢
も一緒に、もっとたくさん咲いてくれますように…

漫画そっくり!(8月19日)

2009-08-19 20:05:46 | 読書日記
朝夕はめっきり涼しくなりましたが、日中の暑さは相変わらずです。
寝ころんで読む、肩の凝らない本を引っ張り出しました。


「ネパールに行ってみた」2003年・小学館刊

新しいスキャナーのテストを兼ねて、モノクロでも一部


(故意に切り取っています)

カトマンドゥのダルバール広場にあるシヴァ・パールヴァティー寺院。
表紙カバーの左隅にもいるこのオッサン。
一日中、寺院の石段に坐って観光客がカメラを向けるのを待っている、
怪しげなサドゥー(修行者)です。
確か私の写真にも写っていた筈と思い出して、探してみると…



いました、いました!
ちなみにこの写真を撮ったのは1999年、エベレスト街道トレッキング
の折のものです。



もちろん、漫画にある「本物の人間がのぞいているかと」思われた
シバ神とお妃のパールヴァティー女神は、百年一日いや千年一日の
ごとく、下界の人間共の営みを見下ろしておられます。

10年間に4度訪ねたネパールですが、この間大きな政変で国の名前
まで変わり、近代化もスピードを増して町も様変わりしています。
私の大好きな、また行ってみたい国です。

*今回のジャンルは「読書日記」+「旅の想い出」になりました*

新しいスキャナー (8月18日)

2009-08-18 17:36:19 | パソコン日記
先週末、長い間愛用していたスキャナ(エプソンGT-9400UF)が突然、
ガタガタという異音と共に動かなくなりました。
開いてみると、駆動ベルトの支点が折れてしまっていました。
修理は簡単にすみそうもないので、思い切って買い換えることに…。



フイルムをスキャンすることはもうないと思うので、機能を絞った
エントリーモデルにしました。
ネットで見ると、評判の良かったキャノンの CanonScan LiDE 200 です。
これまで使っていた左のGT-9400UFに比べると、いかに小型軽量かが
わかります。
使い始めたばかりですが、
1.USB接続だけで使え、電源ケーブルもACアダプタも要らないので
パソコン回りがすっきりした。2.音が非常に静か
3.付属ソフトは豊富で、多様なデータ活用ができそうなところ…
が気に入っています。