ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

2012年海外の旅

2012-12-30 10:04:01 | 旅日記

今年の海外旅行は春のペルーと秋のネパール。ネパールはレポートしたばかりですが、総集編のつもりで振り返ってみます。

ペルーの旅 2012.03.01~09
3月2日 伊丹から羽田、ロス、更にリマへと実質20時間、通関手続きなど入れると丸一日かかって朝、リマに着きました。海岸部から山を越えて夕闇迫る頃、ナスカの地方色豊かな落ち着いたホテルに着きました。

3月3日 ナスカの地上絵
光線の具合の良い早朝、定員12名のセスナ機で上空から地上絵を見ました。様々な動物や幾何学模様をみる30分のフライトでした。いったんホテルに帰り休憩後、午後は観測用のミラドール(展望塔)からの地上絵見学。

更にナスカからパン・アメリカーナ・ハイウエイを30分ほどリマの方に引き返したところの、もう一つの地上絵・パルパの地上絵を見てリマに帰りました。

3月4日 約1時間15分のフライトでクスコに着き、アルマス広場を見下ろすレストランでフォルクローレの演奏を楽しみながらの昼食。

午後はしばらくクスコの古い町を歩いたあと、ウルバンバ渓谷にあるインカ時代の沐浴場「タンボ・マチャイ」へ。標高約4,000mの高地で急いで歩くと息切れします。



少し下った丘の上にある、インカ帝国軍と征服者スペイン軍の最初の戦いの場となったサクサイワマン城塞址に立ち寄ったあと、クスコに帰り、
インカ帝国の「太陽の神殿」コリカンチャがあったサント・ドミンゴ教会を見学しました。

3月5日 マチュピチュ MACHU PICCHU
早朝からバス、高原列車、バスと乗り継いで2,460mにあるマチュピチュ歴史保護区へ。



見学中は幸い夜来の雨が上がり、この旅で一番の楽しみにしていたインカの遺跡を存分に歩き回ることができました。

夜はクスコのペーニャ(フォルクローレを聞けるレストラン)へ。

3月6日 リマへ。飛行機が遅れ、市内の観光を始める頃は16時近くになっていました。まずラルコ博物館へ。45,000点といわれる膨大な展示物のごく一部を見ても、ペルー文化の長い歴史が感じられます。夕暮れに旧市街の中心、マルサス広場を少し歩き、夜の「恋人たちの公園」も散策してペルーの旅は終わりました。
 
帰路はロスのホテルで日中の殆どをフライト待ち。さらに翌日は飛行機の中で過ごし、やっと9日に伊丹に帰りました。飛行時間の長いことや入出国手続きの煩雑さを差し引いても、とても充実した楽しい旅でした。

ネパールの旅 2012.11.25~12.02
5回目のネパールは初めての観光ツァーでした。バクタプル、パタン、ポカラ、カトマンドゥと古い文化と歴史の街を巡り、ナガルコット、サランコット、ラムコットさらにトラ(トゥーロ?)コットの丘の上から朝陽、夕日に染まるヒマラヤの山々を観賞しました。去年、イタリア旅行で親しくなった友人3人と一緒の、ゆったりした旅でした。以下のページにまとめがあります。

http://blog.goo.ne.jp/kaichiro/e/99ddd0bab1ba6cc4fe4b314e685baec4

少年期から青年期にかけては戦中戦後の生きるのに必死の時代、その後は子育てと仕事で海外旅行などは夢の夢でした。たった一度、仕事の関係でヨーロッパを訪れ、これまで写真や映像で見ただけの景色に触れたことがありました。40歳代始めのこと(1979年)でしたが、その時、初めての異文化に触れた印象は強烈に残っています。ようやくリタイア後、お金は別にしても暇だけはできたので、幼い頃からの「何でも見て見たい」という好奇心を少しづつ満たしているところです。この点では、同じ趣味を持って一緒に行動してくれる伴侶に恵まれたことに感謝しています。来年も二人で新しい夢を見続けられるように、健康で過ごせるように祈っています。

この一年、このBLOGを見て頂き、ありがとうございました。
皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。 変愚院&♀ペン


2012年の山歩き

2012-12-29 10:33:00 | 山日記

年も近くの山が中心でしたが、♀ペンや山仲間たちと1年間元気で歩くことができました。その山歩きを振り返ってみます。

1月7日 天理・竜王山 天理のお節会でお餅を5個も食べて11時15分、長岳寺から登る。12時45分、大部隊が下山した後の無人の山頂。寒くてたまらずコーヒー一杯飲んで下る。快調に歩けた。

1月10日 金剛山 8時過ぎから郵便道を登る。災難三つ。1.10本爪のアイゼンの金具壊れた 2.登山靴の底(踵部分)剥がれた 3. それでいい加減に括り付けて歩いてたら、下りで木の根に爪が引っかかってコケタ。こんなん、始めてや!…何とか登って、国見城址で1時間遊んで下る。

1月14日 平群・仁王山 古い山仲間のSRCグループと♀ペン、私の9人で椿井城跡から低山の史跡めぐり。最後はやぶ漕ぎ30分強。昼過ぎに下り、幸さん宅で焼き鳥をメインに宴会。

1月22日 能勢・竜王山 SRCの仲間たちと前夜、丹波篠山渓谷の森公園でボタン鍋オフ。この日は美しい棚田の長谷から才の神峠に登り、竜王山へ、そこから時計回りにぐるりと牛の子山、チンジンさんと巡って5時間余り歩いた。

2月19日 河内・飯盛山 多感な青春時代、朝な夕なに仰いだ懐かしい故郷の山である。今日は久しぶりに小楠公墓地へお参りしたあと、正面の四条畷神社から登る。山頂から河内平野を見下ろし、野崎城址(写真)から野崎観音へ下った。様々な思い出とともに新しい発見もあり、短いが充実した山歩きだった。

3月22日 二 上 山 イタリア旅行で知り合った「いのっち」さんと、道の駅「ふたかみパーク当麻」に車を置いて二上神社から登る。帰りは雌岳から岩屋を見に行って祐泉寺へ下った。傘堂からいつもより東よりの道に入ってしまったが、かえって大和三山の眺めが良かった。二上山にはこれまで登る機会がなかった「いのっち」さんにも「ガイド付きで良かった」と喜んでもらえ、楽しい山歩きだった。

4月19日 葛 城 山 「いのっち」さんと花を見に天狗道から登る。今年はいつもより花期が遅れているようで、ショウジョウバカマとカタクリの両方が楽しめた。いつもより、ゆっくりと山上で花を愛でることができて良い一日だった。

5月8日 金 剛 山   高天から郵便道を登る。春の花、なかでもヤチマタイカリソウの花盛り。一の鳥居から湧出岳(1112.2m一等三角点)「大阪府最高地点 1053m」へ寄り道して、ボタンザクラが満開のロープウェイ駅から国見城址へ。。いつものバタバタ山行と違って、今日は久しぶりに山頂で2時間半を過ごして、始めての花やお馴染みの花にたくさん出会えた。二人とも十二分に満足して家路についた。

5月23日 葛 城 山 今年は開花が遅れたのでまだ咲き残っていると聞いた葛城山のツツジを見に行く。7時、水越トンネル出口からいつもの天狗谷(青崩)道を登り、頂上で1時間ほど遊んで11時に下山した。膝をかばいながらだったが、体調もよくいいトレーニングができた。

5月26日 茅 ヶ 岳(1704m  奥秩父山地にあり山頂の眺望が良いことで知られる山。1971年3月、日本百名山で知られる深田久弥が登山中に脳卒中で亡くなった山でもある。前夜、清里高原で一泊し、饅頭峠近くの深田記念公園駐車場から登る。長い林道歩き、ニリンソウの大群落の谷筋から急坂を尾根に登り、深田久弥終焉の地を経て富士や南ア始めとする大展望の山頂に立つ。下りは別の道を下る。半日の登山ながら、素晴らしい展望、美しい花々、いい人たちとの出会いと多くの思い出ができた。

6月8日 交 野 山 生駒山地最北端に位置する山で、山頂からの眺めがよいことで知られている。去年より一週間早いのでササユリの開花状況が心配だったが、まずまず楽しむことができた。白旗池から国見山まで歩いて往路を引き返した。この日、近畿地方にも梅雨入りが発表されたが、終日雨に遭わずラッキーだった。

6月15日 三 輪 山 大神神社へササユリを見に行き、登拝する。「ささゆり奉献神事」の前日だった。写真は狭井神社境内のササユリ。

8月11日 大台ヶ原山 去年のイタリア・ツァーの仲間8人と。前夜、入之波(しおのは)温泉で泊まり、この日、東大台を周遊する。途中から激しい雨になり昼食をとる余裕もなかったが、山が初めての人も含めて日出ヶ原、正木ヶ原、牛石ヶ原、大蛇クラ、シオカラ谷…と予定のコースを歩き通した。

8月21日 葛 城 山 来月の富士登山に備えてトレーニング。いつもの天狗谷道をアブに悩まされながら頂上に着くと、この季節には珍しい360度の大展望に恵まれた。しかし暑くてたまらず、急いでビールの待つ我が家を目指して下った。

8月28日 金 剛 山 6時45分、高天彦神社から郵便道を登る。ずっとアブとブヨに悩まされる。国見城址でまだこの時間。割合に見通しが効き、六甲の山並みがはっきり見えた。11時25分、無事下山してトレーニングを終える。

9月9日 金 剛 山 白露だが真夏の空、富士登山を一週間後に控えて3週連続のトレーニング。水越峠からガンドガコバ林道をつめて太尾塞に登る。ススキの穂がなびく大日岳から国見城址に出て、帰りは葛木神社に参拝後、パノラマ道を下る。暑さを覚悟していた林道歩きも、幸い雲が出てきて涼しく歩けた。

9月14日 富 士 山   毎年恒例となった秋の富士登山。今年は丸さんご夫婦とご一緒に登る。いつも通り前夜、六合目宝永山荘で泊まり、4時35分、ヘッドライトの灯りをたよりに出発。八合目で丸さん夫妻に高山病らしい兆候が現われて残念ながらリタイア。頂上には二人で立った。12回目の登頂だった。ちょうど正午に浅間神社にお参りして同じ富士宮道を下る。翌日は富士宮浅間大社に参拝して帰る。丸さん、来年はリベンジで登頂しましょう。

10月3日 天理・竜王山 果樹畑で作業中の女性から大きな「熟柿」を4個も頂いてザックに入れて登る。山頂では先着の男性一人が展望を楽しんでいた。帰り道で出会った地元の方は、10年も前から私達のホームページやBLOGを見て下さっていて、今日は「登山の日」だからこれから登るそうだ。今日は「これならもう一度登れる」と♀ペンが言うくらい非常に快調に登り下りできた。

10月9日 金勝アルプス 丸さん夫妻、いのっちさんと5人で久しぶりの金勝アルプスへ。一日中、快晴で鶏冠山の登りで大汗をかいた。縦走路は風もあり快適。天狗岩で昼食後、竜王山もピストンする。先年の台風で白石峰からの下り道が少し荒れていた。酸性雨の影響か狛坂磨崖仏も摩耗が激しい。

10月16日 三十三間山  標高842.3m。福井県(三方上中郡若狭町)と滋賀県(高島市)にまたがる。山名は京都三十三間堂の用材(棟木)を切り出したことに由来する。先週と同じメンバー5人で。登りの連続で結構しんどかったが、国境稜線にでると疲れも吹き飛ぶ素晴らしい光景が待っていた。草原にザックを置いて空身で山頂往復。草原で昼食、夫婦松でコーヒータイム。結構、登りでのある関西百名山だった。

10月26日 葛 城 山 トレーニングがてら天狗谷道を登り、高原ロッジで12月のSRC忘年会鴨鍋オフの予約を入れてきた。いつになく頂上でゆっくり1時間を過ごして下山。

11月16日 信貴山から高安山 丸さん夫妻と。いつも通り千手院から本堂に参詣したあと、赤い鳥居の続く道を空鉢堂の建つ頂上へ。高安山へ往復して、信貴山へ帰り寅饅頭を土産に帰った。

12月15日 葛 城 山 SRC12月例会(兼忘年会)。14名参加。前夜から雨模様で心配したが昼ごろには止み、13時半ロープ山麓駅前発。前よりは階段道が多くなった櫛羅滝道を登る。高原ロッジで宴会前、鴨鍋での本番、二次会と良く飲む。夜にはまた雨。16日、ガスで無展望の頂上に登り、急坂続きの北尾根道を下った。

今年一年の山行を振り返ると旧知の山が多い。コースタイムにとらわれず花を愛でながら、のんびり歩けるのが嬉しい。トレーニングの場としても葛城・金剛は相変わらずホームグラウンドの感じだ。もっとも矢田山、松尾山などしょっちゅう歩いている矢田丘陵はここにあげなかった。その中で印象に残るのは、秩父山塊の茅ヶ岳、関西百名山の三十三間山だろうか。バテバテながら12回目の富士山登頂が果たせたのも自分への勲章だ。また、新しい山仲間ができて一緒に歩くことで、自分たちの行動にもより責任を感じるようになった。来年も年相応の新しい目標を持って、まだまだ山を楽しみたいと思う。


2012年の旅 

2012-12-29 09:30:50 | 旅日記

今年も残すところあと2日余りとなりました。今年1年間の私たちの旅を振り返ってみます。

1月1日 暖かく穏やかなお正月。息子たち夫婦と初詣に薬師寺に行きました。

1月6日 恒例のお伊勢参り。「辰の五十鈴」を授かり、始めての猿田彦神社へもお詣りしてきました。

4月5日 里帰り中の娘と孫と一緒に「富士を見る旅」に。駿河湾クルーズで船上から美しい富士を見たあと

大湧谷からも富士を見て箱根で一泊。翌日は大井川鉄道のSLに乗って車窓からのサクラも楽しみました。

5月26日 清里高原の「ねむのきペンション」で一泊。秩父の茅ヶ岳に登ったあと清泉寮で遊びました。

翌日は八ヶ岳を見ながら走り、麦草峠経由で帰りました。

6月16日 昨年暮れにイタリアで知り合った仲間たちと京都で再会。建仁寺両足院で半夏生の庭を観賞してお茶を頂きました。

6月24日 前夜は水上温泉のホテルで泊まり、湯けむり街道を鳩待峠へ。僅か1時間余りの尾瀬ハイキングでしたが、僅かながらミズバショウも咲き残っていて、リュウキンカはじめ数々の花も見られて満足でした。

7月25日 日帰りバスツァーで琵琶湖周辺の旅。まず箱館山の観光ユリ園へ。250万輪というユリの香りに圧倒されました。

つづいて伊吹山へ。9合目から山頂へ歩き、高山の花を楽しみながら、しばらく周遊しました。

最後に醒ヶ井のバイカモを観賞して帰りました。結構、強行軍で少し疲れましたが花いっぱいの楽しい一日でした。

8月24日 これもバスツァーで「いっ得上高地」に参加。何と交通費を含み一泊二食付で1万円!この日は車山、霧ケ峰と廻り白馬八方で一泊。

8月25日 大正池でシャトルバスを降りて河童橋周辺を散歩しました。天気に恵まれたお蔭で懐かしい北アルプスの峰々にゆっくり再会できて、本当に価値あるツァーでした。

10月13日 六甲台の知人宅にお邪魔した帰りに、神戸ハーバーランドへ海を見に行きました。

10月16日 湖北の三十三間山に登った帰り、夕暮れの梅丈ヶ岳頂上公園から三方五湖を見ました。

10月17日 若狭街道を帰る途中、しばらく熊川宿を歩きました。

11月10日 イタ友7人で桜井から「山の辺の道」を歩き、紅葉の長岳寺でニュウメンを賞味して帰りました。

今年一年の国内旅行を振り返ると、バスツァーが多かったことに気付きます。マイカーで長距離を運転するのがだんだん億劫になり、公共機関やバスを利用することが多くなってきています。これも歳のせいかと思いますが、来年も歳相応に身近な旅を楽しみたいと思っています。


2012ネパールの旅 17(エヴェレスト遊覧飛行)

2012-12-24 20:56:24 | 旅日記

長らくご覧頂いた「2012ネパールの旅」も、いよいよ最終回を迎えました。
最終日(12月1日)はオプション・ツァーの「エヴェレスト遊覧飛行」があり、他のメンバー10名の方は早朝からこのツァーに参加するために空港に向かわれました。私達夫婦は当初から「遊覧飛行」に参加するつもりはなく、この時間を利用してカトマンドゥに住む知人に会おうと思っていました。しかし飛行が終わってホテルから空港へ再出発するのが10時過ぎと、あまりにも短い時間しかなので困っていました。前夜、ガイドのラジャン氏に相談すると、相手に電話してくれて8時にホテルに来てくれることになりました。知人のラジェス氏は息子の友人で、カトマンドゥの繁華街タメルで古くから紅茶商を営み、いつも「お父さん、お父さん」と歓迎してくれます。この日も忙しい中をお土産を持って駆け付けてくれました。6年前は日本へ行っていて行き違いで会えなかったので、9年ぶりの再会です。すっかり貫録がついたので「モタウヌボ(太りましたね)」<これは褒め言葉で、女性に対してでもこういう>というと、近頃はもう褒め言葉ではないと笑っていました。流暢な日本語で近況などを話すうちに、遊覧飛行を終えた人たちと迎えに行ったラジャン氏も帰ってきました。二人は知り合いらしく肩を叩いて話していました。再会を約してラジェス氏と別れると、間もなく出発の時間となりトリブヴァン国際空港へ…。こうして長いようであっという間の今回のネパール旅行は終わりました。

さて、これまでの記事でも随所にInocchi-san(猪花光男さん)、Maru-san(丸屋博義さん)撮影の的確にシーンをとらえた美しい画像を使わせて頂いてきました。その意味でこの「ネパール旅行記」は女性二人の写真も含め5人の合作ですが、最後に丸さんに「遊覧飛行]の
「文と写真」を頂きました。イノッチさんの写真と合わせて、有終の美を飾って貰うことに致します。ありがとうございました。

(Photo by Inocchi-san)

30年ほど前にグランドキャニオンの遊覧飛行でえらい目にあった私は、それ以来小さな飛行機は好きではない。いや怖い。したがって今回のネパール観光の目玉ともいえるエベレスト遊覧飛行はご辞退申し上げたいのが本音であるが、山歩き愛好家初級編の私としては、せっかくネパールまで来て世界一高いエベレストを見ないわけにもいかず、恐る恐る参加することとした。

 飛行機はカトマンズ空港から飛び立つのだが、エベレスト周辺の山々に雲がかかっていると飛行が難しいため出発が遅れたり、場合によってはキャンセルとなることも少なくないと聞かされ、「オイ、オイ、大丈夫かいな」とさすがの私も少々及び腰ではあったが、日ごろの行いが良かったのか、当日の天候はベストコンデション。遊覧飛行の小型飛行機は順番通り次々とエベレストに向かって飛び立った。

私たちが乗った双発小型機は横3列席×縦10列の30人乗りで全員が窓側に座れるよう配慮されており、往路は左側の席、復路は右側の席からヒマラヤの山々を望める。 
 私は右側の最後部座席であったため往路は左側座席の窓越しにヒマラヤ山脈を遠目に眺めながらであったが、おかげさまで飛行機もあまり揺れることなく順調に飛んでくれた。
 
天候のコンデションが良ければ操縦席に案内され、そこから景観が望めるサービスがあると聞かされていたが、一定の高度を保ち飛行を始めたころから、少々色は黒いが(これは余計)小柄で美人の客室乗務員が右側座席の乗客から優先的に操縦席に案内してくれた。私は小さな飛行機の中ではあまりウロウロしたくないのだが、折角のお誘いにて、甘んじてお受けすることにし、恐る恐る前方までたどり着き、操縦席に上半身だけお邪魔させていただいた。

この山々の景観はその時に操縦席から撮影したものであるが、どれがどの山なのかさっぱりわからない。しかし、初めて見るヒマラヤの山々は私の想像を遥かに絶するものであり、雄大で美しい光景は心の底から感動するものであった。

その後、飛行機はゆっくりと左に大きく旋回し折り返した。(飛び立って約20分程後)それはエベレストを遠目に望みながら少々やり過ごした時点からの旋回であったように見受けられたが、その瞬間、私の座席右側の展望が大きく変わった。な、な、なんとあの8500mを誇るロッツェが右に、そして世界一高いエベレスト、左下には7900mのヌブッエが、私の目の前に静かに .悠然と聳え立っていた。

飛行機会社いわく、エベレストには8kmの地点にまで近づけるとのことであるが、今回はその距離ではないものの天候がすこぶる良かった故、かなり近いところまで接近したことは言うまでもない。とにかく圧巻である。それ以外の言葉は見いだせない。(右ロッツェ、中エベレスト、左ヌブッエ…写真下)

すると機内からは大きな歓声が沸き起こり、乗客全員が総立ちで私の座っている右側の席に「ド、ドッ」と押し寄せた。その瞬間、私はこの世界一のエベレストの雄姿をじっくりと鑑賞する余裕をなくし、そして折角の美人客室乗務員のガイドアナウンスもうわの空で、飛行機がバランスを崩して墜落しないかと、心配で、心配で、肘掛を強く握り締めただひたすら無事な飛行を念じた。

メカが信じ切れず、おまけに高所が苦手な私にとって恐怖のどん底状態であることもつゆ知らず、昔は娘だったおばさま連中のテンションは上がりっぱなしにて、思わず「自分の席に戻ってくれ、バランスが崩れる」と発していた。
  その後、少々機内の興奮状態も沈静化し安堵したのだが、今度は西洋人の綺麗なおねえさまが前方から私の席までやってき て「横に座って写真を撮ってもいいでしょうか」と尋ねられた。私はにっこり微笑んで思わず「イエス、オフコース」と云っていた。どうやら私の座席位置は観覧にはベストポジションであったようだ。(右側最後部席)復路で辿るヒマラヤの山々はぐっと至近距離からのパノラマであった。

写真の出来はご勘弁いただき、どうぞご鑑賞下さい。「ダンニャバード」
<以上写真と文・丸屋博義>

<以下の写真は猪花光男氏撮影>







<2012 ネパールの旅 終>


2012ネパールの旅 16 (カトマンドゥ4)

2012-12-22 16:54:55 | 旅日記

ハヌマン・ドカの見学を終えて、北側のいくつかの寺院が集まった区域に出ます。

ここはいつ来ても、お寺の屋根も地面も無数のハトで埋まっています。今日は黒い仔ウシも蹲っていました。(Photo by Maru-san)

ジャガナート寺院 この辺りで一番古く1563年、マヘンドラ・マッラ王の建立。

庇を支える方杖(支柱)の色鮮やかでエロチックな像が有名です。(2003年 変愚院撮影)

タレジュー寺院 タレジュー女神(別名ドゥルガ、その化身がクマリ)を祀っています。1549年、同じくマヘンドラ・マッラ王の建立。(Photo by Inocchi-san)

ここがタレジュー寺院の入口。年に一度、ダサイン(ヒンドゥー教の大祭)の時だけ教徒に解放されます。ただし、ご本尊を拝めるのは王族に限られています。

2006年に訪れたときは、たまたまダサインで門前はこの通りの賑わい。果ては行列に割り込んだとかで喧嘩まで起きていました。

カーラ・バイラヴ シヴァ神の化身の一つ、破壊の神・恐怖の神。眼を見開き、髑髏のネックレスをして刀を振り上げ、別の手には人間の生首をぶら下げています。

この像の前でウソをつくと即座に死ぬと信じられていて、16~7世紀には罪人をこの前に連れてきて白状させたとか…。しかし、どこか童話的でマンガチックで憎めぬ、変愚院の好きな神様の一人?です。

ここから人混みにもまれながらマカントーレ通りを少し北東に歩くと、賑やかな交差点・インドラチョークに出ます。

 チョークは交差点というよりいくつかの道が交わる、ちょっとした広場の感じ。白い屋根の建物はマハデーヴ寺院です。
(上の二枚 Inocchi-san撮影)

その向かい側のアカシュバイラヴ寺院の飾り。

4頭の黄金の獅子像が有名です。(Photo by Inocchi-san)

インドラチョークで一番見事な建物ですが、人混みで全体像が撮れなかったので2003年撮影のものを見て頂きましょう。

今はともかく人を避けて歩くだけで精一杯。ゆっくり写真も撮っておれません。

ようやくバスに帰り、ダルバール通り(現王宮前)のホテルYak & Yeti 付属のレストラン・Lal Durbar でネパール料理の夕食を取ります。
献立は最初にオードブル。取りあえずビールで乾杯していると…

正面の舞台ではネパールの舞踊が始まり…

美しい女性がロキシーを注いでくれました。日本の焼酎のように米や麦から作る蒸留酒ですが、アルコール度が50度もある非常に強いお酒です。

次の献立はMakai koRoti(トウモロコシのパン)、Ghyau tareko(キノコの揚げ物)、Rajma(カレー味のレンズ豆)
<Menu は 一人づつの名前入りで記念に貰って帰りました>

続いてMomo モモ(ミンチ肉入り、チャツネ味のソースがかけてある)

Kwanti (ミックスした豆のスープ)

そしてメインディッシュは、Sada Bhja (ご飯)、Dal Jhane ko (ダル=レンズマメのスープ)、 Khasu ko Maasu (マトンカレー)、Kukhura ko Maasu(チキンカレー)、Aalu ra Govi ko tarkari (ジャガイモとカリフラワーのカレー味)、干したプラムなど…、小さい容器は外に出して、ご飯に混ぜて食べます。野菜は全て有機野菜で、各料理はネパール風のスパイスとハーブで香味が付けられています。
最後にシナモンを振りかけたアイスクリームとお茶がでました。ロキシーを3杯も飲んだので少々酔ってホテルに帰りました。
ネパールで過ごす夜も今宵で終わります。


2012ネパールの旅 15 (カトマンドゥ 3)

2012-12-22 16:49:10 | 旅日記

ダルバール広場に来ました。ダルバールとは「宮廷」の意味で、バクタプルやパトンにもあった旧王宮前の広場です。各時代の王たちが競って広場の周囲に美しい建物を作りましたが、とくにカトマンドゥ王国の中心であったこの広場の建物の美しさは格別です。前にシヴァ信仰を表すシカラ(白い塔)が立っている高い建物はシヴァ寺院、右端にシヴァ・パールバティ寺院が見えます。

二頭の白いライオンが入口を護っているのはクマリの館。左側のポスターにある写真の少女・クマリが住んでいます。

クマリはドゥルガ(タレジュー神)の生まれ変わりとして、ネワール・サキャ族の由緒正しい家系から選ばれる生き神様です。ただし初潮を見ると別の女の子に交代します。時々、上の金色の窓から顔を見せるのですが、今日はお出ましがないようでした。

内部に入りました。(下の写真はInocchiさん撮影)窓にも美しい装飾が施されています。

クマリの館の向かい側にある白い建物は旧王宮(ハヌマン・ドカ)の一部です。周囲の雰囲気にそぐわない西欧風の建物は、19世紀に当時の支配者・ラナ家(宰相家、実質的な王朝)が建築したものです。この先はニューロードと呼ばれる通りに続きますが、反対側(手前)へ歩きます。

カスタ・マンダプ寺院  別の名、マル・セッタル。一本の木から作りだされたと言われる古い寺院で、カトマンドゥの名の元になったともいわれています。もとは木賃宿だったという、この寺院の前を北東へ行くと…

(Photo by Inocchi-san)
最初の写真で見たシヴァ寺院の前を通ります。1690年にバクタプルの皇太后によって建てられた、この広場で一番高い建物の壇の上には、いつもたくさんの人が座っています。

シヴァ・パールバティ寺院。1790年、グルカ王朝のラナ・バハドゥール・シャハ王建造。石のライオン像が護っています。

二階正面の窓からは、破壊の神・シヴァとその妃・パールバティが下界の人々を見守っています。

その南側にハヌマン・ドカ(旧王宮)の入口があります。

(Photo by Inocchi-san)
ハヌマンドカは
もともと、この門のことでした<ハヌマン=サルの神様(ヒンドゥー教)、ドカ=門>が、今では旧王宮一帯を指す名になっています。1672年、プラタップ・マッラ王によって置かれた猿神様の顔には赤い布を被せてあり、見ることができません。
現在、王宮内の一部は博物館として公開されています。短時間でしたが入場して見学しました。

入るとすぐ左手にこんな彫像があります。ナラシンハ(維持の神・ヴィシュヌの化身)が悪魔を退治している姿といわれています。ン…悪魔は美女の姿をしている?用心、要慎、気を付けましょう。



パンチャ・ムクヒ・ハヌマン寺院 中庭北側に謁見室のある建物があり、その横にある円形五層の屋根を持つ珍しい様式の寺院です。中には五つの顔を持つハヌマン神が祀られているといいますが、ヒンドゥー教徒の他は入れません。

(Photo by Inocchi-san)
ナサルチョーク(中庭)の奥には高い塔が見えます。右がバサンタプル・タワー・別名カトマンドゥ・タワー。中央はキルティプール・タワーといいます。
バサンタプル・タワーは外見は5層ですが実際は9階になっています。狭い階段を登ってみました。以前は最上階から中庭や町の景色を見下ろせたのですが、今日は何故か3階辺りから博物館に誘導されました。歴代の王の写真や遺物が飾ってある部屋を、時間を気にしながらグルグル回って別の出口から中庭にでました。


2012ネパールの旅 14 (カトマンドゥ 2)

2012-12-21 18:09:03 | 旅日記

カトマンドゥはネパールの首都で別名・カンティプール(栄光の都)。人口67万人(2011年)でネパール最大の都市です。街のあちこちに寺院がありますが、中心部から西に3kmほど離れた丘の上に町を見下ろすように立つスワヤンブナートは、カトマンドゥの象徴ともいえる寺院です。

スワヤンブナートの仏塔。四方にすべてを見通すというブッダの目が描かれています。更に額には第三の「真実の目」が…

ここにたどり着くには、かって東側の坂の下から露店や乞食、ガルーダや獅子の石造を見ながら385段の階段を登ったものですが、この前2006年にきたときは、車で西側にあるこの門まで登りました。今は観光客は殆どここまで車で来るようです。

門を入ると小さいチョルテン(ストゥーパ、仏塔)が並んでいます。上に張られている五色の旗はタルチョ(祈祷旗)といいます。五つの色は物質の五大(元素)、黄=地、青=水、赤=火、緑=風、白=空を表しています。旗には経文が刷られていて、風にはためく度に世界に仏法を拡げて行きます。

ここから参道を進みます。お土産屋さんの前には野良イヌが寝そべり…

境内の仏塔ではお猿が遊んでいます。このお寺は、もともと「Monkey Temple」といわれるほどサルが多いところですが、最近は観光客が与える餌のお蔭でさらに数を増しているそうです。

この辺りではこの通り数え切れぬほど群れています。

ところでこの写真には、いろんな形式の建物が写っているのにお気づきでしょうか?(Photo by Maru-san)
左側の白い建物はインドのシカラ様式仏塔、中央はチベット仏教の大チョルテン、右はヒンドゥー寺院です。宗教の混在に寛容なネパールならではの光景です。

しばらく自由行動になりました。大チョルテンの周囲を一回りしてみましょう。作法通り時計回り(コルラ)します。
東側正面に来ました。長い石段を登って参詣する地元の人たちに混じって、外人観光客の姿も見えます。(Photo by Maru-san)

石段を登り切ったところが寺院の正面です。安置されている黄金のドルジェ(金剛杵、こんごうしょ)は「無明を打ち砕く雷」で、密教の法具です。

ストーパの高さは15m、円形の部分は直径18mあります。伝説によると、遥か昔、カトマンドゥ盆地は湖でした(これは地質学的な事実でもあります)。ある時この湖に一輪の蓮の花が開き一条の光を放ちました。本初仏・持金剛(大日如来)の出現です。そのとき中国の五台山からインドに帰国の途に会った文殊菩薩は大日如来に敬意を表すためネパールに赴きます。当時、土地の人は湖に住む大蛇に苦しめられていましたが、文殊菩薩は携えていた利剣で山を切り開き、湖水を流し大蛇を滅ぼします。文殊菩薩は後に残った小高い丘にストゥーパを建てました。スワヤンブーとは「自ら生じるもの」「万物の創造者」の意味<サンスクリット語でスワヤン=自らの、ブ=大地・地球>で、大日如来はのちに仏陀として転生します。

ここは盆地底部より77m高いのでカトマンドゥ市街部を眼下に見下ろせます。ずいぶん高い建物が目立つようになりました。

「オム・マニ・ペニ・フム」(おお宝珠と蓮華に幸あれ)と唱えながらマニ車を回します。

大ストゥーパの周りには9つの祠堂があります。中に祀られている大日如来。

一巡りして元の場所で集合します。建物はチベット仏教のゴンパ(僧院)です。

別の参道で元のゲートに下りました。


2012ネパールの旅 13 (カトマンドゥ1)

2012-12-20 17:09:00 | 旅日記

11月30日(金)今回の旅も残り短くなりました。3泊お世話になったホテルの窓から、お馴染みになった山々ともお別れです。

アンナプルナ連峰

そしてマチャプチャレ…さようなら。

9時半の飛行機でポカラからカトマンドゥへ帰ります。

帰りも右側の山が見える席に座ることができました。

何度見ても見飽きない光景です。

カトマンドゥの街は今日も活気にあふれ…

というよりもごった返している感じで

前には見かけなかった交通整理のお巡りさんも大勢見かけました。

取りあえず今日のホテル「エヴェレスト」に荷物を置いて別のレストランで昼食。
ホテルの前も道路の拡張中で掘り返しています。

昼食の献立はモモ(チベット風ギョーザ)と

チベット鍋です。水牛、チキン、卵、タマネギ、ニンジン、豆腐、春雨などの具を

ご飯(細い形の米)の上にかけて食べます。腹ごしらえを済ませて、カトマンドゥの街の観光に出ます。


2012ネパールの旅 12 (トラコット)

2012-12-19 19:37:01 | 旅日記

11月29日の午後は昼食後、ポカラでのフリータイムでした。ガイドのラジャンさんから、ホテルの旅行代理店デスクからのショートツァーの案内がありました。皆さん「民家訪問」($40)を希望され、私たちも山岳博物館などポカラの主な見どころは前に訪問していますので、このツァーに参加します。

訪問先はトラ(トゥーロ?)コットと呼ばれる丘陵地帯の民家です。

案内役はこの青年、Amit 20歳。案内は全て英語です。「もうちょっと、ゆっくり話してえな」とネパール語でいうと「ネパール語上手だね。何度目の訪問?(英語)」と答えて、すぐ仲良しになりました。あとで聞くとポカラで英語を勉強中で将来は山岳ガイドになりたいそうです。

トゥーロ(大きいの意味)村の入口でバスをおりて、しばらく民家の点在する広い道を歩きます。村の水汲み場で、女性が野菜を洗っていました。山から水を引いて、更にホースで各家に送っているようです。(Photo by Inocchi-san)

訪問先はアミット君のお祖母さんの住居ということでした。左の屋根にホースを引いてあるところが台所。中央で火を焚いて食事の準備をします。

左側にいるイトコ?の少年が赤ちゃんを子守りしていたのですが、間もなくお母さんが帰ってきて抱っこしました。
足元は砂ではなく、モミ殻の付いたままの稲を拡げて乾かせています。少年は今、足の踵で踏んで精米作業?中です。

これはネパール語でジャーント、ザトと聞こえます。昔、わが家にもあった懐かしい石臼です。

お祖母さんが火を興して紅茶を御馳走してくれました。

隣りの部屋はキッチンです。

お鍋も食器もピカピカに磨かれています。

二階の部屋も見せて貰いました。

お茶とミカンを頂いてお家の皆さんとお別れしました。ウシさんが見送ってくれました。犬小屋には立派なイヌもいました。

日没を見るために村はずれの丘に登ります。これはポカラ周辺でよく見かける長い葉っぱの松です。

日没に間に合うように急いで登ったので、少し汗をかきました。マチャプチャレを背にして全員で記念撮影。

ここからは三つの湖が見下ろせます。これはベグナス・タール(湖)。

今日も美しい夕焼けを見ることができました。明日もいい天気になりますように…。


2012ネパールの旅11 (ラムコット・ハイキング)

2012-12-18 14:38:24 | 旅日記

11月29日(木)7時、ポカラのホテルを出てラムコットへハイキングに出かけます。
ラムコットはポカラ郊外にある標高1,430mの丘陵地で、ダウラギリやアンナプルナの展望に優れているところです。

標高約1,100mほどの村、シャンジャでバスを降りて太い竹竿の下を潜り、しばらく石畳の急坂を登ります。

今日も雨の心配はなさそうで、目指すラムコットの上にアンナプルナサウスが顔を出しています。

しばらくで緩やかな勾配の広い土の道になり、ゆっくりと歩いて行きます。

道端にあるこの植物はアムリソ(トウモロコシの仲間?)で、穂はどこの家でも使っている帚(ホウキ・ネパール語でクチョ)の材料になります。

しばらく登ったところで道は大きく右に曲がります。ここにはTemple Tree という大きな木が日陰を作り、廻りを石で囲んだチョータラ(休み場)になっています。私たちも少し休んで出発。(Photo by inocchi-san)

歩き始めて1時間半、標高差300mの目的地に到達しました。丘の上にヒンドゥー寺院が立っています。

扉にはトラに乗った女神様

横に回るとお顔を拝めました。ん、この乗り物は獅子?後で調べるとドルガーという神様で、乗り物はトラとも獅子ともいわれているようです。シヴァ神の妃・パールヴァティの化身の一つ(ヒンドゥー教の神様はいろんな分身をお持ちのようですね)で殺戮の神。非常に美しいが冷酷、残忍だとか…美人は怖い。ご用心、ご用心。

ヒマラヤの山々が次第にはっきりと見えてきました。アンナプルナ1峰も見えています。(左のアンナプルナサウスから右に続く山稜が、雲がかかっている所へ大きく落ち込む前の尖った山)

トイレを使わせて貰うのを兼ねて、少し下った民家(バッティ・茶店?)でお茶を飲んで休みました。

家の横の一段低いところに畑とトイレ。ヤギ小屋もありました。(Photo by Inocchi-san)

店の前で子供をあやす若いお母さん。白いヒマラヤを背にした農村の風景です。

ドコ(背負いカゴ)を担ぐ少女たち。ナムロ(紐)は頭にかけています。(Photo by Maru-san)

帰り際に「ミト・チャ」(美味しかった)というと店の人から満面の笑みが返ってきました。のんびりと来た道を帰ります。

(Photo by Maru-san)

(Photo by Inocchi-san)
この辺りでは自給自足の生活が多いと聞きました。標高1,000mを越えるこんな高地にも美しい段々畑が見られます。殆どが二毛作だそうで、狭く地質の貧しい土地を懸命に耕して生きるネパールの人たちの姿がうかがえます。

女性たちがアワ(粟)を収穫してました。

正面にアンナプルナ山群、マチャプチャレと贅沢な眺めを楽しみながら…。

下りは1時間足らずでバスの待つシャンジャへ帰りました。