ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

今日の大和民俗公園(2011.05.31)

2011-05-31 21:36:17 | 矢田だより


ようやく雨が上がった午後、10日ぶりの民俗公園に行きました。
今はこのウツキの花が公園のあちこちで見られます。



「枝が中空なので空木(ウツロギ)がなまってこの名になった(説明板による)」



キソケイも満開です。モクセイ科でヒマラヤに多い植物です。
ソケイの仲間ですが香りがありません。



古民家の前に咲くタチアオイ



オオヤマレンゲには名札が立ち、手前には「天女の花」と記した指示標もありました。



まだまだ蕾があり、次々と花を咲かせてくれそうです。





花菖蒲園のショウブ



アジサイも色づき始めました。ショウブもアジサイもこれから見頃を迎えます。

こんな本を読みました(2011.05.30)

2011-05-30 14:56:01 | 読書日記
 変愚院の生まれは大阪市住吉区(現東住吉区)の田辺で、家は小学校のすぐ西側で卸業も兼ねた
文房具屋を営み「紙屋」と呼ばれていました。
 この小学校(私の入学した年から大阪市田邉国民学校に改名)の校章が大根の双葉をデザインした
もので「町の中でなんで大根や」と不思議に思って父に聞くと「田辺は昔は大根畑が多かったんや」
と教えられたことを思い出します。事実、その(1940年)頃には、現在の民家の密集している近鉄
大阪線東側にはまだ青々とした畑地が残っていたのです。
田辺という地名は京都府京田辺市、和歌山県田辺市などがありますが、京都の場合は田辺氏の支配
する土地であったため、また和歌山の場合はその地に館があり、その館に積み置く「稲を作れる田部
(たのべ)なるべし」と地誌にあるそうです(Wikipedeia,日本辞典などより)。
 この本には「田辺」の地名の由来は記されていませんが、コラム「大阪の伝統野菜」の中に田辺大
根が紹介されていて、小学4年生まで過ごした生まれ故郷を懐かしく思い出しました。


若一光司著 KKベストセラーズ 「ベスト新書」2008年9月刊

 11章からなる本書は、第1章の「難波から大坂、そして大阪へ」から始まり、大阪の四季のにぎ
わいを訪ねて、大阪の食道楽も市場のおかげ、商都の歴史を語る問屋街、時代のメロディーで口ずさ
まれた大阪、「八百八橋」の多くが町橋だった、大阪の近代化を象徴する洋風建築、大阪の熊野街道
を歩く、あの人の墓碑を訪ねて寺めぐり、交野が原に刻まれた七夕伝説の謎、文学に描かれた大阪の
人と風土…とさまざまな角度から大阪の地名に由来に迫ります。

 各章の終わりにおかれたコラム「大阪生まれの食べもの」で、モミジの天ぷら、ホルモン焼き、
船場汁、串かつ、うどんすき、たこやき、チキンラーメン…といかにも大阪生まれと思うものが並ぶ
中に、鴨南蛮や「しゃぶしゃぶ」が紹介されていたのは、どちらも全国版の食べ物と思っていただけ
にちょっと意外な驚きでした。
 
 本書には大阪を離れて北河内、池田、そしてまた北河内へと現住の大和郡山に落ち着くまで大阪で
青春の多感な時を過ごし、定年まで天王寺区の職場に通った変愚院にも、堺で生まれ育ち結婚まで中
央区にある会社勤めをしていた♀ペンにとっても懐かしい場所が続々と登場します。随所にこれまで
知らなかった数々の大阪のエピソードがちりばめられていて、最後まで楽しく読めました。

 なおこの本で興味を持って調べてみると、「田邊」の地名はこの地に田辺氏が祖先の天穂日命を祀
った田辺神社(現・山坂神社、氏神様でした)があったことが由来のようです。田辺氏はもともと西
国から移住した渡来系氏族で、現在の柏原市を中心に勢力を広げた一族といわれています。

ホームページ更新しました(2011.05.27)

2011-05-27 08:50:11 | 山日記
近畿地方は昨日、去年よりは18日も早く梅雨入りが発表されました。

わが阪神タイガースは昨夜も雨の中、打てず、守れず…おまけにマートンのアウトカウントを間違えて
スタンドにボールを投げ込む珍プレーまで出て、全国のファンも不安的中、今年のシーズンはもう見込
みなし…。
「雨が降ります 雨が降る 遊びに行きたし 傘はなし…」こんな歌を思い出します。
何とかジメジメした嫌な空気を吹き払いたいものです。

さて、本当に久しぶりにホームページ「ペンギン夫婦お山歩日記」をいじってみました。
まず、昨年の山行記をまとめています。

今後、今年の記録、海外の街歩きなど…更新していく予定です。どうかご覧ください。

松尾寺のバラ

2011-05-26 16:42:37 | 矢田だより


松尾寺で見せて頂いた数多くのバラの中から、10種類を選んでみました。



サプライズ



タワーブリッジ



ブラックティ



サマースノー



スパニッシュ・ビューティー



クリスチャン・ディオール



ピース



アーレン・フランシス



ルンバ



名称不明

*バラ園の公開は6月5日までですが、7月には700鉢のカサブランカが公開される予定で楽しみです*

双葉より芳し…(2011.05.25)

2011-05-25 17:29:40 | 矢田之花暦(やたのはなごよみ)
素晴らしい青空が拡がっています。今日は松尾山に登ることにしました。



斑鳩町営駐車場に車を置いてゴルフ場横から登ります。三丁町石付近の石仏。
中宮寺の如意輪観音さまに似たポーズをしておられます。



松尾寺は後回しにして先に松尾山に登りました。快晴で、木の間越しですが遠くの山も
よく見えます。



尾根の入峰道(近畿自然歩道)から松尾寺に下ると、境内は大勢の人で賑わっていました。
福壽院裏のバラ園を見せて頂きました。



ちょうど見頃で、辺り一面に素晴らしい芳香を漂わせています。



見学を終えて元の道を下りました。駐車場の横ではクサフジの花が群れ咲いています。



車を置いたところの頭上に背の高い(おそらく10mは超える)樹木がありました。



少し近づいてみます。きれいな花をたくさん付けています。何の木でしょう?
ヒント:タイトルでお分かりの通りです。



センダンでした。
一つ一つをよく見ると、色も形もとても美しい花です。この花を見ただけでも、今日は
大きな収穫がありました。早足で2時間強、12,000歩ほど格好のトレーニングでした。

今日の大和民俗公園(2011.05.22)

2011-05-22 09:41:28 | 矢田之花暦(やたのはなごよみ)
雨の降らないうちにと6時前からウォーキング



北入口近くで、スイカズラの花が咲いています。



ヒョウタン池上で咲いていた花。以前あった標識で花の名前を知ったのですが、二人とも
思い出せません。遠くから見ると辺り一面をレンゲ畑のような色に染めています。



近くで見る一つひとつの花も美しいです。



ヒョウタン池のヒツジグサも満開です。



オオヤマレンゲが咲き始めました。



今朝開いていたのはこの二輪ですが、今年は蕾も多く、これからが楽しみです。



満開近し・ツツジの葛城山(2011.05.20)

2011-05-20 16:24:57 | 山日記
開花が遅れていた今年のツツジも、もう見頃だろうと思って出かけました。
駐車場所の混雑と昼間の暑さを見越して6時過ぎに家を出ました。まだ道も空いていて
1時間ほどで水越トンネルを抜けたところの駐車場所に着き、7時15分スタート。



いつもの天狗谷沿いの青崩道は予想通り、ひんやりした山気に包まれて気持ちよく、
快適な登りです。最後の急坂の階段道も、何段あるか数えながら行くと疲れも感じ
ません(211段ありました)。それでも汗ばんで上のシャツを脱いで中間点ベンチに
着きました。(8時5分~8時10分)
明るく伐採された尾根道を登り、正面に山頂部を見ながら左へカーブする山腹道を
歩き、再び水のない沢に沿って登ります。花が終わり背の高くなったショウジョウ
バカマの群落を過ぎると、河内の弘川寺からの道に合流(8時50分)。



混まないうちにと山頂は後回しにして白樺食堂の前を直進してツツジ園へ。いままで
数人しか会わなかった人が急に増えて、ダイトレ下り道入口にきました(9時)。
真紅のツツジの向こうに金剛山。



ベンチに人影が見えるところまで下って見ます。残念ながら今年のツツジは少し色が
悪いようです。開花が遅れているところに急に暑くなったからでしょうか?
蕾のうちから色褪せた株がたくさん見られます。



下からツツジ園上部を見上げたところ。2年前に板東英二の番組取材班がカメラを
据えていたことを思い出します。



変愚院の好きな色のツツジ。



別の広い登り道で…



かんかん照りの中を頂上に立ちました(9時30分)。
この山名版は順番待ちの人気スポットで、この写真を撮るのに5分ほどかかり、いい休憩
になりました。暑いので長居は無用。涼を求めて元の天狗谷道へ。

途中で去年、ひろせさんとご一緒した右手の林道のツツジを見に行きました。こちらは
まだ蕾か、ようやく開花が始まったばかりでした。しばらくコーヒータイムを過ごして
下るうち、次第に人が増えてきました。道を譲るたびに開花状況を聞かれるのですが、
「満開近し」と伝えておきました。

「こんなに大勢の人やのに、誰も知ってる人に出会わんなあ」といっていると、大岩の
鎖場のところで見たことのある芝イヌを連れた人が…。何と、前回の残雪の葛城登山、
3月に出会ったご夫婦でした。この前、中間ベンチで聞いた話では変愚院の育った大東
市の同じ町の人です。しばらく立ち話をして別れましたが、こちらもあの時以来の葛城山
だそうで、まさに奇遇でした。

11時5分、駐車場帰着。さあ、冷えたビールの待つ我が家へ一直線…。

日本一低い一等三角点の山に登る(2011.05.19)

2011-05-19 20:48:07 | 山日記


今日のBLOG取材は♀ペンです。木曜日は毎週恒例の「親孝行日」、今回は両親と一緒に
大浜公園内の山登りをしました。



わずか7mとはいえ、れっきとした一等三角点を持つ山で、日本山岳会編「新日本山岳誌」
にも記載されています。



それにしても何故「ソテツ」山なのかは、上の「山岳誌」の記述(筆者は変愚院の岳兄
にして学兄<大学の先輩>山田博利氏)によると、「堺は室町時代から自由都市であり、
貿易で栄えたところ。外国貿易も盛んでソテツも入ってきただろう。堺の妙国寺は別名
ソテツ寺というように、ソテツは自由都市・堺のシンボルである」概ねこのように記され
ています。



しばらく歩いたこの神社で50円也を賽銭箱に納めると…





この登山認定書が授かります。快晴で真夏日の低山歩きでした。

初夏の竜王山(2011.05.17)

2011-05-17 16:58:44 | 山日記


たまには矢田山以外でトレーニングにと、竜王山(586m)に行きました。
長岳寺7時20分発。駐車場には近所の人のものらしい軽トラが一台停まっているだけ。
柿畑を抜けると舗装路は途切れ、山道になります。



U字形にえぐれたところや木の階段道を登って、ロープの張ってある急坂を過ぎると…



歩き始めて45分でお不動さんの石仏の前を通ります。
ここから、ややなだらかな道になり奥ノ院への分岐を過ぎると再び木の階段の連続に
なります。階段が終わると、やがて天理ダムから登ってくる林道に飛び出します。
右の「田(でん・地名)竜王社」の祠の前で顔を洗って、しばらく舗装路を登って…



林道を離れて再び何度か階段を上ると南城址の頂上に着きました。
晴れていれば大和盆地を隔てて金剛・葛城、矢田丘陵、生駒と素晴らしい展望なのですが、
今日は近くの古墳がぼんやり霞んで見える程度です。
いつも不思議に思うのですが、この頂上広場には草が生えず、マツやケヤキの大木が何本
も突っ立っています。山城はどの辺りにあったのでしょうか?

まだ9時です。二人だけで貸切りの頂上でお湯を沸かし、サンドウィッチでモーニング
コーヒーを味わいました。頂上滞在30分で下ります。



帰りは「柳本竜王社」を通って林道に出ます。竜王山は名前の通り、この山を発する水
の神様の住まう山で、山の東西両山麓の集落がそれぞれ竜神を祀っています。
(ナミ)アゲハがモチツツジの蜜を吸っていました。



少し歩き足りないので北城へ足を伸ばしてみます。登ってきた分岐から、だらだらと
舗装の林道を下り、この大きな石碑のところから林の中を登ります。
「土塁」や「虎口」などの説明板を見ながら、最後に急坂を上ると…



北城址にでます。こちらは南城と違って草ぼうぼう。西の端からわずかに展望が得られ
ます。



10分足らずの滞在の間に♀ペンがワラビを収穫しました。何年か前は、もっと太くて
立派なワラビがたくさん生えていたのですが、少しやせて貧弱です。



10時20分、分岐に帰り元の道を下りました。分岐にある説明版には、この山にまつわる
「れんげの生えない訳」と「ジャンジャン火」の二つの怪談めいた伝説が記されています。
いずれも十市氏が寄ったこの山城が、永禄年間に松永弾正によって落城したことに
まつわるお話です。

ゆっくり元の道を下って11時半に長岳寺に帰りました。ようやく帰り道の不動石仏下で
男性二人、柿畑で女性三人組に出会っただけの静かな山でした。

今日の民俗公園(2011.05.16)

2011-05-16 15:25:18 | 矢田之花暦(やたのはなごよみ)
♀ペンが家事を済ませた10時頃から民俗公園へ行きました。



ヒョウタン池のヒツジグサ



足元のニワゼキショウの群落。
漢字では庭石菖と書くことでも分かるように、小さく(5ミリ足らず)てもアヤメ科です。





菖蒲園ではまだ花が見えませんが、里中池上の「花の谷」では、さまざまな色のアヤメが咲いています。



先ほど「里山の道」から池の畔に見えた白い花は



バイカウツギでした。ツツジの時期が終わり、今はこの初夏の花が主役のようでした。