ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

いよいよ秋本番…

2006-09-30 18:18:37 | Weblog
HP更新のお知らせ
これまで歩いた鈴鹿の山のうち、まずセブン・マウンテンをまとめてみました。

「鈴鹿の山 Ⅰ」

9月の山行 はHPで詳しくレポートしています。こちらもご覧下さい。

9月 3日 富士山 (富士宮口6合目~剣ヶ峰~御殿場口下山~宝永山~富士宮6合目)

9月21日 城山(岳山)… 宇陀、奈良百遊山

9月21日 栃原山   … 吉野、奈良百遊山 (上と同じページにあります)

9月24日 栃尾山   … 大峰、奈良百遊山


10月の山行予定

9月30日~10月9日  マナスル三山展望トレッキング
今年はマナスル登頂50周年にあたります。
それを記念した日本山岳会関西支部企画のトレッキングに、二人で参加します。

10月15日 綿向山 千日山歩渉会10月例会

ヒガンバナ満開 (9月27日)

2006-09-28 08:54:16 | 矢田だより


矢田寺駐車場下の田圃の風景です。黄金色の稲穂が頭を垂れ、
まわりを真っ赤なヒガンバナの花が縁取っています。

今日はここから国見台~松尾山~矢田山~と回りました。
松尾山は名前の通りアカマツが多く、松茸がよく採れたそうです。
昔…といっても私たちが大和に来た35~40年前までは、朝早く
行くと、けっこう見付かった…と、かって出入りしていた酒屋さん
から聞いたことがあります。

松尾山の登り口では確かに、マツタケの香りがただよってきました。

栃尾山 (続き)

2006-09-25 17:14:27 | 山日記
栃尾山の山頂は樹木に囲まれていますが、少し手前の岩があるところ
から西と北側の展望が開けます。



西側の展望です。山名はカシミールの展望図と見比べて下さい。


北には金剛葛城から二上山に続く山並みが見えました。
手前の顕著なピークは天狗倉山です。

さて、山頂には小さいハエが無数にいて身体の回りにまとわりつく
ので、食事もできず早々に下ることにしました。
稜線上の細い道はネット沿いに西南に向かって急激に下っています。
天和山への縦走路と気付いてGPSで確かめると、地図上の大原は
山頂よりやや北東の位置になります。
すぐに引き返して左へ降り口を探すと、別のネットが下(北西)に
続き、その横に分かり難い細い踏み跡がありました。よく見ると
先端に赤いペンキを付けた木の棒が地面に差し込まれています。
ネット沿いの道は灌木に覆われていたのを、新しく切り開いて整備
中のようで、赤ペンキの木の棒が所々にあって心強く思いました。


20分ほど下ると、前の「立入禁止」の札があったネットの扉の前に
でました。(青い字で大平辻と書き込んだところ)
よく観察すると天和山の方に向かう草に覆われた踏み跡もあります。

つまり現在使われている栃尾辻(そして弥山)へのルートは、推測で
(GPSのトラックは林の中、稜線の陰の弱受信で残っていません)
すが、赤線のようになります。
帰ってからネットで見ると、他にもこの辺りで戸惑われた方がおられ
ますので、栃尾山へ行かれる方は注意して下さい。

五月蠅いハエがまだ付いてくるので、昼食はかなり下になりました。
13時半、登山口に帰り、弁天様に無事下山のお礼をして家路につき
ました。
登りの10時頃、二人組の登山者に出会っただけの二人きりの静かな
山でした。


大峰山系・栃尾山 (9月24日)

2006-09-25 09:51:49 | 山日記
栃尾山は天川坪内から栃尾辻、頂仙岳、狼平を経て弥山に
登る道の途中、栃尾辻から西に派生する尾根上の1256.9m
峰です。(2万5千図には山名記載なし)


スタート地点の天河神社。「日本三弁天」として有名なお社に
参拝して…


9時過ぎ、林道坪内谷線と分かれて登山口に来ました。しばらく
左に坪内谷の水音を聞きながらヒノキ植林の中を登ると、傾斜が
緩やかになります。


伐採地の中の次の急な登りも5分ほどで、木材運搬用のモノレール
をまたぎます。


ここからは殆ど水平な遊歩道のような道で、時になだらかな登りを
交えて次第に高度を上げていきます。植生も植林、混成林、自然林
と変わって、ブナやヒメシャラ、ミズナラ、アセビなどの美しい
樹林帯を歩くようになります。


いったん左手が開け、また林の中に入ると送電線の下を通ります。
すぐの関電巡視路「23」の標識近く、右手がやや開け獣除けのネット
があるところが曲者です。「立入禁止」の標識が地面にありました
が、扉を開けて通らせて貰うのが正解です(これは帰りの写真)。
直進すると左手の暗い山腹に入り、今までとうって変わって岩屑の
混じる急で細い山道となります。


このザレ場のトラバースは殆ど足の幅だけで、しかも急斜面です。
♀ペンが手を上げているのは写真では見えませんが、ワイヤロープ
に頼っているところです。このロープもかなり高い位置にあります。


もう一箇所のザレ場を過ぎ、急な登りで栃尾辻手前の分岐に着き
ました。写真右手から登ってきて、鋭角で左手に見える尾根道に
折り返します。


はっきりした踏み跡が続いていますが、美しいブナ林を過ぎると
痩せた尾根を通過します。何度か緩いアップダウンで背の低い笹原
になり、倒れかけたネットに沿っていくと林の中に三等三角点と
小さな山名板がありました。山頂着、11時25分。
朝から一度休憩してお茶を飲んだだけで、案外楽に登ってきました。

ソバの花 (9月23日)

2006-09-23 19:11:50 | 矢田だより
お彼岸の今日は夕方から矢田丘陵を歩きました。
ヒガンバナの咲くお地蔵さんの辻(上横山)に車を置いて、矢田大石
から「まほろば展望所」に登ります。



展望所横が矢田山の最高地点(343m)になりますが、少し前まで
雑草に覆われていた踏み跡が、幅広いはっきりした道になって
いました。 そして…



今までになかった「平成十八年九月」付けの標識が立っていました。
あたりにはビシャコがたくさん自生していますが、ここから100m程
先まで踏み跡が広くなっています。
<ビシャコ…仏様への供花に使う姫榊(ヒサカキ)の方言です。>



ここから峠池の方に下り、東明寺経由で帰りました。
帰り道の畑で、真っ白なソバの花がきれいに咲いていました。

栃原岳 (9月21日)

2006-09-22 10:10:57 | 山日記
榛原の岳山を下るとまだ昼前でしたので、次に吉野へ移動しました。

栃原岳は吉野町栃原にあり、標高531m。下市から登っていくと、
山頂に大きな鉄塔が立つ山が近づき、前に櫃ヶ岳、栃ヶ山に登ったとき
見覚えのある「一の鳥居」の前に出ました。



ここが登山口ですが、車道が鳥居を潜って続いているので、そのまま
少し上までと車を進めるうちに、NHK栃原中継所の建物と二本の高い
鉄塔、見晴台などのある広場に着きました。



石段を登ると、すぐ波比賣神社の境内です。結局、歩かずに山頂
まで来てしまいました。
三角点を探して境内や裏手の広場も歩きましたが、見付かりません
でした。金剛山葛木神社のように神域周辺にあるのでしょうが、
深入りはしません。



拝殿横から見るは美しい彩色が施された本殿です。
祭神の弥都波比賣神は水の神様。この山は「金の嶽」とも呼ばれ、
南へ尾根づたいに行くと「銀の嶽」銀峰山、そこから東に向きを
かえて行くと「銅の嶽」櫃ヶ嶽があり、あわせて「吉野三山」と
いいます。この三つのいずれも山頂にも、水神が祀られています。

展望台からは大淀や五條の市街地、鉄塔の向こうの金剛・葛城の
山並みを望むことが出来ました。

これで「奈良百遊山」で未踏は、残り二つ(高城山、栃尾山)に
なりました。

城山(岳山) <9月21日>

2006-09-21 21:59:11 | 山日記
奈良県(福祉部健康安全局健康増進課)選定の「奈良百遊山」という
リストがあります。「○○山」とか「○名山」というものはあまり好き
ではありません。しかし奈良に居を構えて35年、いくつもの奈良の
山を歩いてきましたが、リストを見てまだ名前を聞いたこともなかった
山があることを知り、登ってみることにしました。



城山という名の山は、名阪国道近く(別名・椿尾塁)、大和高原の
馬場、白石、吐山、室生の竜口などにもあります。
いずれも山城が築かれていたことから付いた山名のようですが、今日
登る山は櫻井市と宇陀市榛原区の境にある、長谷寺からは正面に大き
く見える525.5mの山です。
2万5千図には山名も、山頂への登山道も記されていません。
前から気になっていた山ですが、今日は南側の笠間から登りました。

スタート地点にある新陽明門院笠間山陵にお詣りした後、右手の草深い
道を北へ登ります。
ヒノキ、スギの植林の中は薄暗く、湿った急坂の道の至る処に大きな
クモが巣を張っていて、大のクモ嫌いの私にとっては、恐ろしいアプ
ローチでした。15分ほどでしっかりした踏み跡になり、拾った木の枝で
クモの巣を払いながら、さらに20分登ると NHK宇陀中継所のTV塔
のある平坦地に出ました。ヤマホトトギス、ミズヒキ、キンミズヒキなど
の咲く草地で、東西に延びる稜線上のT字路に突き当たった感じです。
ここが宇陀松山の出城のあった場所でしょうか。



ここから左(西)へ100m程は、深いクマザサの中へ踏み跡が延びて
います。



GPSを頼りに笹を漕いでいくと茂みの中に山名板と三角点が
ありました。ピークとは言えない道脇です。

分岐に帰り稜線の道を直進。すぐイノシシのヌタ場にぶつかり、
林の中を捲き、ようやくスギ林の登山道らしくなったと思うと、
また草に覆われた道、ヌタ場の繰り返しです。イノシシの足跡、
掘り返した痕が多く、最初は安田から登ってくる道と出会う
「長者屋敷」跡まで行くつもりでしたが、小さなピークを過ぎた
峠状の十字路で右に下ることにしました。

最初しっかりしていた道は倒木が重なる溝状の廃道になり、植林
帯に逃げたりしているうちに、しっかりした道になってイノシシ
除けのトタン板が並ぶ山間の畑地にでました。下に朝置いた車が
見えやれやれと思うと、スタートからゴールまで腰を下ろすこと
はおろか、水も飲まずに歩き続けていていたことに、やっと気が
付きました。

展望もなく、廃道同然の道がつづくこの山が、なぜ「遊山」なのか
よく分かりません。特にクモ嫌いの私には、とても「健康増進」
とは言えない苦難の1時間半でした。

畠堀操八さん-富士山

2006-09-20 06:22:06 | 人との出会い・本との出会い
9月始めの週末、宝永山荘は大勢の宿泊客で賑わっていました。
例年なら、9月に入ると富士宮表登山道も山小屋も、夏の喧噪が
嘘のように静かになるのですが、今年は2日が土曜ということで、
まだ夏休みが続いているかのような混雑でした。



そんな中で、一升瓶を横に静かに茶碗酒をあおる人がいて、同じ
部屋に私たちのパーティとその人が入ることになりました。
「もう登ってこられたんですか?」と聞くと「いや、先程ここへ
着きました」。「それじゃ、明日ご一緒ですね?」「ここから
下ります」と、ちょっと噛み合わない会話の後、「あ!」と気が
ついて「ひょっとすると…」とお訊ねすると、やはり「村山古道」
の畠堀さんでした。(写真は翌日朝、お別れする前のものです。)



富士山の登山道には精進口、吉田口、須走口、御殿場口、それに
いつも使う富士宮口などがあります。
また1999年に須山道が85年ぶりに復活したこともJAC同期入会の
裾野市愛峰山の会会長・勝又一歩さんから教えられていました。
しかし、実は「村山古道」については、宝永山荘でこの著書を手に
するまで耳にしたことがありませんでした。



この書物は、富士山最古の登山道でありながら明治初期の廃仏毀釈
以降次第に廃れて忘れられていた古道を復活させた、畠堀さんらの
道の整備に伴う苦闘の記録であり、また詳細なガイドブックでもあり
ます。
特に田子の浦から「村山」に至る道筋の説明は懇切丁寧で、ここを
歩く人のトイレ利用に役立つよう、沿道のコンビニが全て記載されて
いるほどの念の入れようです。
これは一人でも多くの人に、この道を歩いて欲しいという、著者の
熱い思いの現れでありましょう。

また、この土地と人との関わりが清水次郎長はじめ末代上人から
「いかりや長介」に至るまで豊富に描かれています。私には、
狂気にも似た廃仏毀釈の結果、辿らざるを得なかった「村山修験道」
の数奇な運命がことに興味深く、読み応えがありました。

またスズタケと倒木と闘いながら道を開かれた畑堀さんらのご苦労
が、「はじめて山登りが人様の役にたった体験」という、さりげない
表現に表れていることに感動しました。

いつも利用している富士スカイラインの西臼塚や高鉢駐車場などの
近くを通り、新六合目の歩道に達している、素晴らしい古道があること
を知り、ぜひ機会をつくってこの古道を歩いてみたいと願っています。

夕風の矢田丘陵 (9月19日)

2006-09-19 18:31:13 | 矢田だより


朝は雨だったので、夕方に矢田丘陵を歩きました。
夕風の涼しい稜線では、数人の人が歩いていました。まほろば
展望所の前に、ヤマハギ?の花が咲いていました。
今年の「仲秋の名月」は10月6日ということですが、去年が
9月18日でしたから、ずいぶん遅いのですね。



山かげでは日暮れが早くなり、矢田大石の近くまで下ると少し
薄暗い中でカラスウリの白い花が浮かんでいました。



こちらは別の場所で、夕陽を浴びて真っ赤なカラスウリの実。
日中はまだまだ暑いのですが、本当の秋がそこまで来ている
矢田丘陵です。