菜穂子さん、あなたを生み出した作者の堀辰雄の友人に萩原朔太郎という詩人がいました。その親友の萩原朔太郎が、堀文学を評して「お嬢様文学」とキツイ言葉を書きつけたメモを残しているのを知りました。「お嬢様文学」の、あなたはまさしくお嬢様でした。
少女の頃は信州の別荘地でテニスをしたり、自転車に乗ったり、有名な作家と母上が知り合いだったり…。そして結婚相手は元銀行家の息子で商社マン。
けれども小説の中のあなたは28歳、結婚生活もすでに3年を経ています。いつまでもお嬢様気分ではないでしょうに。
夫が10歳年上なのがご不満ですか。夫の母親と同居しているのがご不満ですか。夫がすこしマザコン的なのが嫌ですか。よくある話じゃないですか。
「不安な生」から逃れるために結婚したなどと訳のわからないことを言うものだから、姑や夫と闘えないのです。
胸を病み、サナトリュウムにひとり暮しをすることになったとき、あなたの周囲には死に瀕した患者たちがいました。あなたはそれこそ生と死についての根源的な問題を見つめなおす絶好の機会に恵まれるのに、いつも自己中心的な思考回路で、ムード的な物思いに耽っているだけでした。
雪の日にサナトリュウムを抜けだして、東京に舞い戻ってくるのも、身勝手な行動といわれても仕方ないでしょう。麻生のホテルに泊り、夫が「もう、二、三日このホテルにこのまま居ないか、そうして誰にも分からないように二人でこっそり暮らそうか」などと言ってくれるのではと期待するあなたは、おやおやどうなっているのと言いたくなります。日頃のあなたらしくもない。
あなたの生みの親の創作「覚書」を見ると、こちらが気恥ずかしくなるほどですが、あなたが作者の手を離れて、一瞬活き活きと見えるのは麻布のホテルの場面でありました。
菜穂子さん、かってあなたとあなたのまとう雰囲気に憧憬を抱いた10代の私自身を断罪するつもりで、これを書きました。
少女の頃は信州の別荘地でテニスをしたり、自転車に乗ったり、有名な作家と母上が知り合いだったり…。そして結婚相手は元銀行家の息子で商社マン。
けれども小説の中のあなたは28歳、結婚生活もすでに3年を経ています。いつまでもお嬢様気分ではないでしょうに。
夫が10歳年上なのがご不満ですか。夫の母親と同居しているのがご不満ですか。夫がすこしマザコン的なのが嫌ですか。よくある話じゃないですか。
「不安な生」から逃れるために結婚したなどと訳のわからないことを言うものだから、姑や夫と闘えないのです。
胸を病み、サナトリュウムにひとり暮しをすることになったとき、あなたの周囲には死に瀕した患者たちがいました。あなたはそれこそ生と死についての根源的な問題を見つめなおす絶好の機会に恵まれるのに、いつも自己中心的な思考回路で、ムード的な物思いに耽っているだけでした。
雪の日にサナトリュウムを抜けだして、東京に舞い戻ってくるのも、身勝手な行動といわれても仕方ないでしょう。麻生のホテルに泊り、夫が「もう、二、三日このホテルにこのまま居ないか、そうして誰にも分からないように二人でこっそり暮らそうか」などと言ってくれるのではと期待するあなたは、おやおやどうなっているのと言いたくなります。日頃のあなたらしくもない。
あなたの生みの親の創作「覚書」を見ると、こちらが気恥ずかしくなるほどですが、あなたが作者の手を離れて、一瞬活き活きと見えるのは麻布のホテルの場面でありました。
菜穂子さん、かってあなたとあなたのまとう雰囲気に憧憬を抱いた10代の私自身を断罪するつもりで、これを書きました。
菜穂子―他五編 (岩波文庫) | |
堀 辰雄 | |
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