★ 池波正太郎さんの「食卓の情景」(新潮文庫)から「巣と食」を読んだ。台所から始まる嫁姑の戦い。それを収めるために「こまめ」な努力をする池波先生の姿が印象的だった。うまいものを食べることはなかなか骨が折れるようだ。
★ このエッセイを読んで、もう一編、向田邦子さんの「父の詫び状」(文春文庫)から「ごはん」が読みたくなった。
★ 教科書に掲載されているのは知っていたが、まだ読んでいなかった。
★ 「ごはん」に関する幼少期の思い出。一つは空襲の後に食べた昼餐。明日をも知れぬ命、人情味はあるが気難しい父親の下した命令は、ここぞとばかりの贅沢だった。といっても白米のご飯とさつまいもの天ぷら。しかしそれが当時としては精いっぱいの贅沢だったそうだ。
★ 今一つは、向田さんが小児結核の初期の状態にあった時、病院帰りに母に連れられて食べた鰻丼。母は一つしか注文しなかったという。自分も食べたかったであろうにと回想する。家にそれだけの余裕がなかったのだ。「食べものの味と人生のふたつの味わいがあるということを初めて知った」と彼女は書いている。
★ 「甘い中に苦みがあり、しょっぱい涙の味がして、もうひとつ生き死ににかかわりのあった」この昼餐と鰻丼を思い出の「ごはん」といて紹介している。
★ 人は生まれてから死ぬまで食と付き合わねばならない。最近はコンビニやスーパーの弁当、レトルト食品で手軽に済ますこともできるが、正月を前に母がコトコト似ていたお煮しめの味やみそ汁、かす汁、船場汁(「せんばい」と発音していたような)の味は忘れられない。もう食べることはできないけれど。
★ このエッセイを読んで、もう一編、向田邦子さんの「父の詫び状」(文春文庫)から「ごはん」が読みたくなった。
★ 教科書に掲載されているのは知っていたが、まだ読んでいなかった。
★ 「ごはん」に関する幼少期の思い出。一つは空襲の後に食べた昼餐。明日をも知れぬ命、人情味はあるが気難しい父親の下した命令は、ここぞとばかりの贅沢だった。といっても白米のご飯とさつまいもの天ぷら。しかしそれが当時としては精いっぱいの贅沢だったそうだ。
★ 今一つは、向田さんが小児結核の初期の状態にあった時、病院帰りに母に連れられて食べた鰻丼。母は一つしか注文しなかったという。自分も食べたかったであろうにと回想する。家にそれだけの余裕がなかったのだ。「食べものの味と人生のふたつの味わいがあるということを初めて知った」と彼女は書いている。
★ 「甘い中に苦みがあり、しょっぱい涙の味がして、もうひとつ生き死ににかかわりのあった」この昼餐と鰻丼を思い出の「ごはん」といて紹介している。
★ 人は生まれてから死ぬまで食と付き合わねばならない。最近はコンビニやスーパーの弁当、レトルト食品で手軽に済ますこともできるが、正月を前に母がコトコト似ていたお煮しめの味やみそ汁、かす汁、船場汁(「せんばい」と発音していたような)の味は忘れられない。もう食べることはできないけれど。