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窯垣

 昨日銀行に行く用事ができた。いつもなら車で出かけるのだが、暖かさに誘われて、息子のマウンテンバイクに乗って行くことにした。自転車に乗るなんて何年ぶりだろう。本当に久しぶりに風を全身に受けながら走って行った。途中桜が満開の公園に立ち寄ったら、風とともに舞い落ちる花びらが地面をおおっていた。きれいだなと思いながら、川面を眺めると桜の花びらが流れている。おお、と思いながら目を凝らしてみたら、きれいな色の鴨がいた。

  

見慣れない鴨だなと思って見ていたら、すぐ後ろにいつもの茶色の羽をした鴨が付いているから、羽が生え変わったのかなと思った。果たして鴨の羽が季節によって生え変わるのかどうか知らないから、なんとも言えないが、鳥嫌いの私から見てもきれいな色の鴨だった。
 銀行までの途中にいくつかの橋があるが、その欄干は皆陶器で細工が施されていて、「さすが陶器の町!」という趣がある。私の小さい時にはそんなお洒落なものはなかったが、観光客を惹き付けるためにいろいろな工夫がされるようになって来た。

  

銀行で所用を済まして外に出ても、すぐに陶器が見つけられる。銀行の外壁には陶器の展示がしてあるし、陶器店は当たり前のように店を開いている、陶器でできた小さなお社まである。本当に陶器だらけだ。

  

子供のころは、こんなに陶器だらけの町が嫌いで仕方なかった。何年経っても旧態依然たる町並みや因習に捕らわれて沈滞した空気がたまらなくいやだった。それなのに、結局この町から離れずにずっと暮らしているのだから、文句は言っても愛着はそれなりに深いのだろう。
 折角ここまで自転車で来たんだから、帰りはちょっと寄り道しようと思った。少し行けば「窯垣の小径」という散歩道がある。「窯垣」というのは、窯から出た不用になった陶器のかけらや焼き物を焼くときの窯道具を使って崖を補強したものである。そんな「窯垣」の横に細い坂道が続いていて、ちょっとした観光名所だが、私は子供が小学生だったときに1度だけ親子学級で歩いたことがあるだけだ。

  

私にしてみれば、昔から見慣れたものであり、別段感興を催すものでもないが、他所から来た人には物珍しいようだ。確かに改めて見ると、なかなかレトロな雰囲気をかもし出している。だが私に感慨を催させたものは、小道の傍らに打ち捨てられていた窯の煙突の残骸である。


苔むした煉瓦に蔦が絡まり、何十年も前に役目を終えた煙突、なんだか衰退し続ける陶器産業を象徴しているように思えて物哀しかった。私が子供だったときは至るところに林立していた煙突からの煤で洗濯物が真っ黒になるのもしょっちゅうだった。こんなにきれいな空気、きれいな川を身近にできるなんて、子供のころには想像もしなかった。嬉しいような、寂しいような・・。
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