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大漁だあ!

 夏休み最後の日曜日ということで、妻の妹家族を誘って魚釣りに出かけた。魚釣りといっても、アウトドア派では決してない私が行くところといえば、養殖された鱒が池の中で泳いでいるのを釣る、釣堀のような所だが、釣った鱒をその場で調理して食べられるという、なかなか野趣あふれる場所であり、昔から年に何回か訪れている。家から車で20分ほど山間部に行ったところにあり、私の父親の生家に近いこともあって、ほぼ常連のような感覚で楽しんでいる。山中にあるにもかかわらず、時々TVで紹介されたりガイドブックに載ったりしているせいか、行く度に賑わっているのは嬉しいことである。というのも、そこで働いている人々、と言っても老人ばかりだが、ほぼ全員が私の父親の幼馴染であるため、身内のような気がしてしまうからであろう。
 今日は、到着した時間が11時30分とまだ早かったせいもあり、それほど混んでいなかったが、釣っているうちに次々と車がやって来たので、混む前に釣りきってしまおうと、小2の甥っ子を急き立てた。私の息子は、幼い頃からこの釣り場に通い詰めているせいか、鱒を釣ることにはセミプロ級の腕前を持っているのだが、今日は夏休み明けの試験が近いから家で勉強すると、立派なことを言って欠席した。家にいたって勉強しないだろうと喉まででかかった言葉を飲み込んで、家に残してきたけれど、最近になってやっと自覚が生まれてきたのかと嬉しい気持ちになったのは、やはり親バカなのだろう。
 いつもは息子がガンガン釣って、あっという間に食べられる数を釣り上げてしまうのだが、今日は息子がいないため、招待した妹家族にゆっくり楽しんでもらおうと私達夫婦は見学に回っていた。ところが、都会暮らしの彼らに任せていたのではなかなか釣果があがらないのに業を煮やして、私と妻が参戦した。ここの魚を釣るのには天然の釣りと違って、少々コツがいる。練り餌を針に付け、池の中に投げ入れるとすぐに鱒が群がり寄って来る。水は至ってきれいなので、魚がエサに食らい付く瞬間もはっきり見えるが、口に入れた瞬間よりももう一呼吸おいて、飲み込んだと思った瞬間に、思い切り竿を引き上げると十中八九釣ることができる。そのタイミングの妙を幼い頃から体得している私や息子は、たやすく釣り上げられるのだが、経験が少なく、タイミングが分からない人たちは、結構苦労するようだ。
 結局12匹釣って、それらを調理してもらった。6匹を塩焼きにして6匹をフライに揚げてもらったのだが、どちらもすこぶるおいしい。塩焼きは、腸を取った鱒を一匹ごと木串に刺し、塩をぶっ掛けて薪で起こした火で焼くだけなのだが、simple is best 、喩えようもないくらいおいしい。フライも一口大に切って油で揚げた一切れ一切れが、香ばしくてとてもうまい。釣ったばかりの魚をその場で食べるというのは、人の手など加えずともうまい物はうまいということを証明してくれるのだが、同時に、命を頂くという生物としての人間存在の業というものを実感させてくれる。甥っ子が、塩焼きを塩っ辛すぎると言って残そうとしたのを見て、『自分が釣った魚を全部食べてあげなきゃ、魚に申し訳ないでしょ!』と妻が怒鳴ったのは、さすが24時間TVでメイン司会をしているシンツヨのファンだけあって、命の尊さを伝えようとしているんだなと感心した。
 今日が、甥っ子にとって、ただの行楽の一日ではなく、人間が他の命を食らいながら生きていく存在であることを体感した一日として、記憶に残ってくれたら、夏休み最後の日曜日としては有意義だったと思うし、是非そうであってもらいたい。

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