いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

2月18日 ビンタン島到着

2008年06月22日 | マニラから船旅でバンコクを目指す
館内放送でアザーンと呼ばれる祈りへの呼びかけが独特の節回しで流され目覚めた。バリ島やジャワ島での滞在時、殆どアザーンを聞かなかった様に思う。
6時15分起床。晴れ
船旅最後の朝日を見に行った。今船旅で綺麗な朝日を見る事が出来なかった。今日は雲の中ではあるが光が見える。これが精一杯か!
  朝日
 

7時に食堂に行き朝食を取った。オムレツ、野菜の煮付け&御飯であった。
ボートデッキの船尾にモスクがあり、その横の階段を上がるとオープンカフェがある。オープンカフェと私は言っているが売店とテーブルが並び、大きなスピーカーから煩い音楽が流れている。
影内にあるテーブルに座り小説を読んだ。疲れると海、水平線&青空を眺めた。
ボートデッキを歩いた、周りは海と青空だけである。
11時過ぎ昼食に行った。1&2等客は数人しかいない様だ。昨夜も2等キャビンは周りが空き室ばかりで、私の船室のドアをノックされたが、ぶっそうなので出なかった。
ボートデッキを歩いた、北には南シナ海、西にはスマトラ島、しかし、周りは海と青空だけである。時々島影でも見えれば変化があって良いのだが現れない!
船が陸地や島に何kmまで近付けば見えるのか? フィリピンでの船旅で20km離れた対岸が見えた事より20km近付けば確実に陸地や島影は見えるだろう。だが30kmではどうか?
ジャカルタからビンタン島キジャンまで26時間、それからいくと16時ごろに着く事になる。しかし、16時になっても着きそうになかった。
船員にキジャンに何時に着くか聞くと20時との事。まだ、4時間もある!!!!! 疲れがどっと出た。
船内はエアコンが効き長居はできない、船外ではオープンカフェにしか椅子がない、居場所に大変困った。
遅れたお蔭で綺麗な夕日が見る事が出来た。 
  夕日
 

両側に陸が見え、河を船が上がっている様な感じであった。
20時15分キジャンの岸壁に接岸した。
  キジャン(ビンタン島)
 
乗客に付いて乗場を出るとベモ(ミニバス)の運ちゃんが待ち構えていた。タンジュン・ピナンまでRp20,000(240円)との事、夜遅いので言い値で乗ろうと考えていた。英語の話せる兄ちゃんが現れ、ついつい英語の話せる兄ちゃんと話してしまい、運ちゃんと兄ちゃんに付いて行くややこしい事になってしまった。ベモに着き、助手席に座った。
2人は、更に客を探しに行った。数分待つとインドネシア人客3人を連れて来た。
兄ちゃんにタンジュン・ピナンのホテルを紹介する様依頼した、すると酒と女のいるカラオケに行こうと誘って来た。しつこく誘われたが丁重にお断りした。
ベモは村の中を走ったかと思うと山の中、狭い道をくねくねと走った。一体どこへ行くのだろうと不安に思っているとある民家で停まった。
インドネシア人客3人が降りた、兄ちゃんに聞くと、彼らは大型車の運転手でマレーシアに出稼ぎに行く為、ここ手配師の家に着いたところだそうだ。
キジャンから約1時間でホテルに着いた。宿泊費Rp250,000と言うので部屋を見ると居間と寝室の続いたスイートルームで、必要ないので1部屋で良いと言うと隣の部屋に案内された、1泊Rp150,000(1,800円)でOKした。
ベモに戻り、運ちゃんにRp20,000を払い、兄ちゃんには、ガイド料&縁切り料?US$2を渡した。インドネシア・ルピアが使い果した。
フロントでジョホール・バル(マレーシア)行きボートのチケット入手方法を聞いていると兄ちゃんが戻って来た。しつこい奴! Good-byと言っても帰らない。
チケット入手の件であるが、後払いでスタッフが買いに行ってくれる事になったと理解したがスタッフの英語力も私と同じで??
しつこい兄ちゃんを追い返し、今度はビールが欲しいと言うと1階に女の子のいるバーがあるのでそこで飲めるとの事。必要ないと言うと缶ビール1缶を買って来てくれた。US$2を払った。
部屋でシャワーを浴びた後、2日振りのビールを飲んだ。美味いビールであった。
11時疲れて寝た。眠って直ぐ熱が出た、少し寒気がするがそのまま寝た。


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