塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

京都五山送り火での岩手県陸前高田市の松の使用中止に対して

2011年08月07日 | 社会考

 今回は仙台七夕についてレポートしようと思ったのですが、緊急に気になるニュースを目にしたので、すみませんが次回に回させていただきます。

 今月16日に行われる京都の五山送り火で、東日本大震災で倒れた岩手県陸前高田市の「高田松原」の松を材料とする薪を燃やす計画があったそうです。ところが、京都の大文字保存会は、放射能汚染を懸念する意見が相次いだことを理由に、被災地の薪の使用を見送ることを決めたそうです。五山送り火は、故人の名前などを書いた護摩木を燃やすお盆の伝統行事で、問題となった松には被災者らが犠牲者の名や復興の願いなどを手ずから書き綴っていました。また、事前に放射性物質の検査もなされ、問題ないことが明らかとなっていました。それでも使用中止を決めた保存会は、被災者の書いた名前や願いは別の薪に書き写すからそれでいいだろうとしています。私などは、被災者の方々の自筆であることに大きな意味があるように思うのですが、主催者の方々は何とも感じないのでしょうか。

 放射能汚染が気になるということですが、福島第一原発と陸前高田市は、直線距離でおよそ200㎞離れています。これは、京都市から見れば、岡山県倉敷市や長野県飯田市、静岡県浜松市ぐらい離れていることになります。一応、福島第一原発から200㎞以上離れた東京都や神奈川県でも放射性セシウムが規定値を超えて検出されたりしているので、距離だけからみれば、不安を払拭するに十分とはいえないかもしれません。ただ、首都圏に放射性物質が飛散しているのは風の影響であり、季節風の関係上岩手県までは放射性物質は到達しにくいと考えられます。こちらの放射線濃度マップをみると、正確性のほどは分かりませんが、岩手県(盛岡市)よりも京都市の方が放射線濃度が高いことになっています。

 また、薪をつくるには樹木の外皮は剥いでから乾燥させるのでしょうが、幹の内部にまで放射性物質が蓄積するには、おそらく半端でない量が飛散していなければならないはずです。そして、原発事故のあった福島県と陸前高田市の間には宮城県があります(常識ですよね?)。岩手県でそれだけの量の放射性物質が飛散しているということであれば、宮城県の動植物にすでに影響が出ていてもおかしくはありません。私などは、仙台には震災以来何度も帰郷しています。ですから今回の話にしたがえば、私が京都に赴いた場合、体内に放射性物質を貯めこんだ危険人物として追い返されなければならない道理となります。

 この件で私がもっとも感じたのは、京都の人間が東北をどのように見ているかということです。東北周辺は当然ながら、東京の人だって、福島県と岩手県がまったく別物であることはよく承知していると思います。同様の送り火がもし東京近郊であったとしたら、このような仕打ちは受けなかったのではないかと考えています。これが外国人ならいざ知らず、同じ日本の人間に、東北というだけですべてを一緒くたにしたかのような病的な拒絶反応を受けるとは、悲しいやら悔しいやら何ともいえません。

 結局、当該の松は陸前高田市から一歩も出ることなく、高田で燃やされることになるそうです。以前も書きましたが、三陸はとにかく優しい土地柄なので、何も言わずに黙って引き下がることになりました。私だったら、「そんな人たちに送ってもらっては犠牲者が浮かばれない!」と、書き写しに使う薪を叩きつけてやるところです。お盆には送り火の保存会委員が陸前高田にやってくるということですが、これも来なくて結構でしょう。というより、放射能が心配だという土地にのこのこやってくるというのは、矛盾も甚だしいように思います。

 寄せられた反対意見のなかには、「琵琶湖の水が飲めなくなる」といったものまであるそうです。滋賀県には近々行く予定がありますので、その際には是非とも琵琶湖で東北帰りのこの身体をもって水浴びをしたり口をゆすいだりして、飲めない水にして差し上げようと思っています。