塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

文字とアクセントデザイン

2005年05月19日 | カテゴリ無し
今日会った日本語を学んでいる知り合いが、自作のTシャツを着ていた。パッチワークかなんかで貼っつけたんだろうが、日本語で「おまえはしっぱいした でもおれはちがう」と書いてあった。ちょっと変だが、本人は大層気に入っているようだし文法的に間違ってるわけでもないのでとりあえず社交辞令的に褒めておいた。

漢字や日本の文字が、文字としてではなく一種のデザインとして外国人に取り入れられている、というのは知られているところだろう。上述の彼の場合は日本語を「知っている」のだからこの例には当てはまらないだろうが、街中でしばしばそのようなファッションとしての日本語(中国語や韓国語ということもあろうが、面倒なのでそれらも含めて以下同様)を目にする。大抵はタトゥーやTシャツなのだが、帽子や上着だったりもする。

具体的には、なかなか思い出せないのだが首筋に「福」と彫ったり、シャツに「草原」と書いてあったり。意外と富士山とか寿司とかはない。個性を競い合ってると言うことだろうか。総じて確実なのは、纏っている当人がその意味を分かっていないだろうということだ。

日本でもキリル文字がAAやKOFで活躍(?)していたり、印鑑に使われる篆書は名前の旧書体としてよりも個人を識別する紋様としての面が強かったりする。あるいは衣服にプリントされている無意味な英語を一々読んでまわる人はそういないだろう。

ただ文字を書くことが美術になる文化は日本だけだと聞いたことがある(アラビア書道というのもあるそうだが)。しかし一歩外に出てしまえば、意味を伝達するという本来の目的を果たせなくなった文字は一種の紋様でしかない、ということだろう。